潮騒、某、暮れ泥み

小説のような旅行記を。鉄道旅を主として全国を旅しています。

沖縄本島旅行

 梅雨が明けた。蒸し暑い中を、日焼け対策の長袖長ズボンで羽田へと向かう。京急の車内は涼しい。羽田に着くと、いよいよ旅の始まりだ。

 那覇空港に着いた頃には、日もとっぷりくれた夜。一番安い飛行機が夜便だったので、この日は前日入りのようなものだ。ゆいレールに乗り、ネカフェへと向かう。日本全国どこに行っても変わらないネカフェは身体に馴染んで落ち着く。その日は何もせずそのまま眠りに就いた。

 

 

 次の日から本格的な観光の始まりである。那覇バスターミナルまで歩くだけで汗をかく。ところで、私は運転免許を持っているが、ペーパードライバーだし、沖縄のレンタカーは供給が足りず逼迫しているという。那覇バスターミナルに着くと、バスの3日間周遊パスのゆいレールプラスを買った。5500円也。3日間沖縄本島のほとんどのバスが乗り放題になる上に、1日分のゆいレール乗り放題券が付くたいへんお得な切符である。これからの旅ではこの周遊パスを運転手に見せ続けることになる。

 初めに向かうのは何と言っても美ら海水族館であろうと息巻いていたが、バスで寝過ごし乗換を失敗し、終点の名護バスターミナルまで……。計画を変更して、今帰仁城から行くことにした。

 ここでこの旅の趣旨を書いておくと、それは世界遺産琉球王国のグスク及び関連遺産群」を全部回ることである。今帰仁城はその一ヶ所目となる。ここは三山時代に北山の拠点であったグスクで、規模も大きく、観光客もそこそこいた。暑い中ご苦労なことである。石門を潜り、階段を上っていくと、見晴らしのいい一の郭に出る。壮大な石垣と建物の遺構が残されたグスクからは、遠くに海を臨めた。沖縄では少し小高いところに出ると大体海が見える(後述する識名園を除く)。

 

 

 今帰仁城を後にすると、いよいよ沖縄一の観光地と言ってもいいであろう美ら海水族館に向かう。隣町なのでバスに乗れば少しの距離だ。事前調査が足りず知らなかったのだが、美ら海水族館の周りは海洋博公園として整備されており、思ったよりも広い。結果から書けば、全部は回りきれなかった。

 

 

 ここについては詳しく語るまでもないであろう。巨大なジンベイザメの泳ぐ水槽を初めとして、様々な生き物が展示されており、我々を楽しませてくれる。個人的にはサメに関する展示が興味深かったのを覚えている。本館の他にマナフィ館などもあるが時間切れで行けなかったのだけが心残りだ。

 

 

 この日は更にもう一ヶ所、恩納村にある万座毛に行った。断崖絶壁が象の鼻のような形をしており、自然の神秘を感じられる。ちょうど日の入り頃に行けて時間的にもちょうどよかったと思う。非常に短い滞在だったが、ここもいい景観であった。

 

 

 これで2日目の観光は終わり、ネカフェへ。元々沖縄本島のかなり北部まで来ていたことと、次の日の行程を考慮して、この日はコザに泊まった。美味しい沖縄そばを探してコザ周辺を少しうろついたが、時間が遅いこともありありつけず。結局、コンビニでお酒と沖縄そばを買ってネカフェに入った。

 

 3日目は最も疲れる一日となった。コザを朝早くに出発し、まず向かったのは座喜味城。座喜味城は築城名人としても名高い護佐丸の手によるもの。入場料がなく自由に開放されているのがありがたい。24時間開放されているグスクに入城すると、小規模だが立派な石垣の郭が待っている。ここも見晴らしがよく、読谷村の海が一望できる。他に、入館料のいる資料館があったが、その日は定休日であった。残念。

 

 

 次に向かったのは勝連城……のはずが寝過ごして屋慶名バスターミナルまで……。気を取り直して折り返し、勝連城に到着。城の入口の手前でバスが停まってくれるのが後述する中城城などと比べてありがたいが、入場券は少し離れたあまわりパークで購入しなければならない。そこの資料館とのセットで入場券を購入することになる。

 

 

 勝連城は護佐丸・阿麻和利の乱で知られる阿麻和利の居城であった。阿麻和利は琉球王府を脅かす反抗勢力であり、歴史的に悪役とされてきたが、うるま市は彼の英雄的な側面も紹介しようとしている。

 あまわりパークを出ると、4人くらい乗れる小さな車が待機しており、グスクの石垣までの急勾配を上って連れて行ってくれたのがありがたかった。窓も扉もないので風が気持ちいい。勝連城は立派な石垣をしており、眺望も抜群。阿麻和利の勢力の大きさを窺わせる。

 

 

 そしてお次は中城城へ。しかし、これがまあ大変であった。世界遺産だというのに、バス停はグスクから遠く、30分くらいの山登りを強いられた。これには堪えた。

 汗だくになりながら必死で坂を登りきって平地になると、ようやく中城城の看板が。ほっとして入場券を購入する。そこから城まで更に少し坂があるが、そこは勝連城にもあったような車で送ってくれた。しかしそれなら山の麓から送ってほしいものだ。

 中城城は護佐丸の居城として知られ、勝連城と同様に規模が大きい。立派な城郭と美しい眺望はもう見慣れたものになっていたが、やはり似て非なるものである。違いを楽しみながらグスク観光を終えて山を下った。

 

 

 

 この日は既にくたくたになっていたが、もう一ヶ所行きたいところがあった。これは空港に貼ってあった広告を見て急遽どこか旅程の中に組み込めないか悩んだ場所だった。DMMかりゆし水族館である。

 那覇バスターミナルに戻ると、煙草で一服して、次のバスに乗った。終点まで乗ると、豊見城市の臨港地帯にあるイーアス豊崎に着く。その中に水族館はあった。

 

 

 水族館の入館料は高く、施設自体も広くないが、映像や音とリンクした新感覚の水族館が待っていた。爬虫類などの展示もあり、普通の水族館とは違うことが入った瞬間にわかる。熱帯魚の展示も煌びやかで、見る者を魅了する。雰囲気作りが見事で、それだけで来た甲斐があったと思った。

 

 

 

 水族館を出ると、バスまで少し時間があったので、海岸の方まで歩いていった。日もとっぷりくれた夜の海は人っ子一人おらず寂しげだった。でもそれが心地よく、しばらく感傷に浸っていた。

 やがてバスが来て、豊見城を後にする。ネカフェの最寄りのバス停に戻ってくると、ネカフェまでの道を歩いた。この日は本当に疲れた。さっさとシャワーを浴びて、眠りに就いた。

 

 4日目は南部を攻略することにした。那覇バスターミナルまで歩き、斎場御嶽行のバスに乗る。途中で奥武山公園の沖宮に寄った。

 

 

 斎場御嶽前のバス停に着くと、チケット売場があり、購入。土産物屋があったので入ってみた。ここ斎場御嶽のある南城市は、アニメ『白い砂のアクアトープ』の聖地だ。だからそのグッズやパネルも合わせて置いてあった。誘惑に負けて私はそのグッズを買ってしまった。ちなみに私は風花が好きだ。

 

 

 土産物屋を出ると、わかりにくい道を辿って世界遺産斎場御嶽を目指した。中は森のようになっていて、そこに参道が架けられている。一番有名な三角形の隙間の空いた岩の前にも、拝所や見晴らしのいい場所がある。ニライカナイに通じるとされる久高島への遥拝所もあった。そして斎場御嶽の最奥に着いた。岩は見事で、パワースポットといった趣だ。三角形の空洞のある岩の奥には、本来なら入れるようだが、この時は入れなくなっていた。残念。それでも満足感を覚えながら帰路に就いた。

 

 

 

 斎場御嶽を出ると、次はおきなわワールドを目指した。鍾乳洞である玉泉洞を始めとして、沖縄に纏わる様々な施設や催し物がある。まずは玉泉洞に入ったが、中は涼しく、一年中その気温が保たれるそうだ。鍾乳洞は見事で、規模も大きく、魅了された。

 

  

 

 

 その他には、沖縄の伝統的な街並みを再現したようなエリアや、南国のフルーツなどを栽培しているエリア、それから沖縄特有のハブに関する展示などがあった。どれも興味深く、楽しく見て回ることができた。また、沖縄の伝統的な街並みを再現したエリアの一角では創作エイサーが催されており、それもたいへん見応えがあった。太鼓の音に合わせて踊る様が勇ましかった。

 

 

 

 

 この日最後に向かったのはひめゆりの塔だ。沖縄ではあちらこちらで沖縄戦の苦い記憶が保存されている。その中でも代表的なひめゆりの塔に一度は行ってちゃんと勉強してみたかった。

 ひめゆりの塔は塔というより慰霊碑だった。犠牲者の名前が書き連ねられ、献花がしてあった。近くの資料館に立ち寄ると、そこには大量の千羽鶴が飾られてあった。

 

 

 

 資料館の中に入ると、沖縄戦の凄惨な事実に言葉を呑んだ。写真撮影は禁止だったので写真はないが、沖縄戦の歴史や、生き残った方々の証言に息が詰まる。犠牲者は全員が展示されており、当時の作文のようなものも置いてあった。改めて戦争の悲惨さを痛感するいい機会となった。

 

 

 ひめゆりの塔を後にすると、今日の旅程は終わりなので、那覇バスターミナルに戻る。そこでふと、まだ沖縄料理をちゃんと食べていないことに気付いた。まだ早い時間だったので、適当に沖縄料理の居酒屋に入る。泡盛といくつかの沖縄料理を注文して、3000円ほど。そこで食べた島らっきょうとラフテーは忘れられない味になった。

 

 最終日、寝坊した。それはともかく、バスの3日券は切れていたので、もう自由にバスには乗れない。その代わり、この日はゆいレールプラスを使ってゆいレールが乗り放題だ。まずは首里城に向かう。那覇観光が最後になってしまった形だ。

 首里城は雨だった。傘を差しながら一つ一つの城門を潜っていく。立派な朱色の城門だった。とりわけ守礼門2000円札の絵にもなったことがあるほど著名で、写真撮影している観光客も多かった。余談だが、沖縄のATMでお金を下ろすと2000円札が出てきて驚いた。

 

 

 

 肝心の中心部である御庭には、城がない。以前焼失してしまったのは記憶に新しい者も多かろう。工事中という趣でグレーのシートや組まれた足場があり、小さな土産物屋だけが営業している状態だった。せっかくなのでマグネットを購入した。少しでも修繕費に当ててくれれば嬉しいが、どうだろうか。

 首里城の近くには、他の世界遺産として園比屋武御嶽石門と玉陵もある。それらにも立ち寄った。園比屋武御嶽石門は本当にただの石門で、玉陵はある程度広い空間に立派な石垣と建造物がある。しかし、それらに見向きする人は少なかった。

 

 

 

 玉陵を出ると、牧志に向かった。国際通りを県庁前側から行ったことは以前にあるのだが、牧志側から行ったことはなかったからだ。そこで沖縄一安いというソーキそばをいただいた。味変のコーレーグス島とうがらし泡盛に漬けたもの)も美味しかった。その後は第一牧志公設市場を見学し、イラブチャーなる青々とした魚が売られているのを見たりした。

 

 

 

 そして、那覇新都心であるおもろまちにも寄ってみた。おもろそうだから、というのは冗談で、おもろさうしから取られた名前だ。そこそこ発展していた。

 

 

 その後は識名園に向かった。識名園は立地が悪く、バスを使わざるを得ない。しかし、その時のバスの運転手の応対が悪かったので、二度とバスに乗るかと誓って帰りは首里駅まで必死に歩いた。

 識名園はそれほど広くないものの立派な庭園である。池泉回遊式庭園で、池も見事だし、御殿なども立派であった。また、識名園は中国からの冊封使琉球王国を広く見せるため、海が見えないようにできている。沖縄ではちょっと小高いところに行くとすぐ海が見えるが、識名園はそれが見えず山と街しか見えないのだから、やはり意味のある立地選びなのだ。

 

 

 

 えっちらおっちら首里駅まで歩くと、もういい時間になっていた。本当はてだこ浦西まで乗ってゆいレールを完乗し、浦添ようどれなどを見たいと思っていたが、寝坊したせいでそれは叶わなかった。それが少し心残りではあったが、沖縄旅行は十分楽しめた。世界遺産も制覇した。私は満ち足りた気分で那覇空港へ向かった。

 帰りの飛行機は行きと違って成田に着く。航空会社が違うのだ。成田までのフライトを待つ間、さんぴん茶を買った。やはり沖縄の味といえばこれである。やがて搭乗案内がなされ、私は飛行機に乗り込んだ。さらば、沖縄。

 

 成田に着いても蒸し暑さは続いた。各停しか来ない京成にやや苛立ちつつも、京成の車両に乗り込む。西船橋で乗換をして、東京メトロに乗った。沖縄気分はまだ抜けないまま、私はさんぴん茶を呷った。

メンヘラは「夜」が好きなのか?

 昨今、「夜」がつくアーティストが流行っている。ヨルシカ、ずとまよ、YOASOBI……。今回はそんな「夜」がつくアーティストの曲を通してメンヘラの気持ちを綴っていこうと思う。以前書いた記事も参考にしてほしい。

 

目次

 

 

三者の違い

 よく「似ているから違いがわからない」と言われる三者。でもどれもよく聞く自分からすると全然違う。それぞれに主題やモチーフが違うからである。音楽のことはよくわからないので、歌詞の観点から違いを述べる。

ヨルシカ

 ヨルシカの歌詞は全体的に鬱っぽい。それから夏がよく登場する。この辺は「感傷マゾ」の概念を想起させる。どこか遠くへ行きたいけど行けないもどかしさが歌われていると思う。

ずっと真夜中でいいのに。

 ずとまよの歌詞は愛が重いという意味でメンヘラっぽい。また、科学的なモチーフがよく登場する。無機質なものにたとえることで機械的に漫然と生きている様を表していると思う。

YOASOBI

 YOASOBIは正直メンヘラ感は薄い。もうちょっと王道寄りのポップスである。しかし、その中で一番のヒット曲の「夜に駆ける」がメンヘラっぽいゆえにメンヘラっぽく感じられることもあるのだろうと思う。

 

 

楽曲

 

だから僕は音楽を辞めた/ヨルシカ

 

 

「将来何してるだろうって

 大人になったらわかったよ

 何もしてないさ」

 の部分が刺さる。そう、大人になっても何もせずにいる自分がいる。何かを成し遂げたわけでもなく、ただ呆然と生きている自分が。

「僕だって信念があった

 今じゃ塵みたいな想いだ

 何度でも君を書いた

 売れることこそがどうでもよかったんだ」

 昔は信念があったかもしれないのに、それももう忘れてしまった。今は何もせずぼうっとしている自分だけがいる。精神を病んでいる。それはもう修復できないほどに。

 

 

藍二乗/ヨルシカ

 

 

「人生は妥協の連続なんだ

 そんなこと疾うにわかってたんだ」

 人生は妥協の連続である。妥協して、妥協して、残るものは何もない。悲しいけれど、そういうふうにできている。妥協せずに生きていけるほど強くなかったのだ。

「人生の価値は、終わり方だろうから」

 人生の終わり方を自分で決められたらどんなにいいだろう。そんなことを常日頃思う。私は死に場所を探している。死ねない自分を呪う。

 

 

爆弾魔/ヨルシカ

 

 

「死んだ眼で爆弾片手に口を開く

 さよならだ人類、みんな吹き飛んじまえ」

 本当にその通りだと思う。人類も地球も全部吹き飛んでしまえばいいのに。跡形もなくなって、世界がなくなってしまえばいいのに。そうすればこの苦しみからも解放されるのに。

「今日も出来ませんでした

 今日もやれませんでした」

 今日も何もできずにいる自分がいる。そう、本当に何もしていない。人生に意味を見出せない。生産的なことが何もできない。こんな人生に意味はあるのだろうか?

 

 

レプリカント/ヨルシカ

 

 

「あんたの価値観なんて偽物だ

 思い出だって偽物だ

 心は脳の信号なんだから

 愛も皆レプリカだ」

 心は脳の信号である。だからすべては物理法則に従った電気信号の集合体でしかなく、そこに意味なんてない。

「人を呪う歌が描きたい

 それで誰かを殺せればいいぜ

 夏の匂いに胸が詰まっていた」

 私の文章も誰かを殺すだろうか。私は人を呪って生きてきた。全部吹き飛べばいいのにと思って生きてきた。刺し違えたい相手もいる。本当は私の心が殺されたのかもしれない。

 

 

詩書きとコーヒー/ヨルシカ

 

 

「幸せの色は準透明

 なら見えない方が良かった

 何も出来ないのに今日が終わる」

 ああ、今日が終わる。何もできないまま。そうやって鬱病の一日は過ぎていく。これを読んでいる読者はどうだろうか。生産的な一日を送っているだろうか。

「わかんないよ わかんないよ

 わかんないよ わかんないよ

 わかんないね

 人は歩けるんだとか

 それが当たり前だとかわかんないさ

 わかんないよ」

 もう何もわからない。人は歩けるんだろうか。私にはもう歩く元気がない。家でじっと、何もせず、一日が終わるのを待っている。そして今日も思う。ああ、何もできなかったな、と。

 

 

冬眠/ヨルシカ

 

 

「神様なんていないから

 夢は叶うなんて嘘だから

 仕事も学校も全部辞めにしよう」

 そうだ、全部やめにしよう。やめてしまえばいいんだ。自暴自棄だろうか。それでもいい。全部やめてしまいたい。もう疲れた。もう頑張れない。だから全部やめにしよう。それがいい。

 

 

秒針を噛む/ずっと真夜中でいいのに。

 

 

「このまま奪って 隠して 忘れたい

 分かり合う◯1つもなくても

 会って『ごめん。』って返さないでね

 形のない言葉はいらないから」

「『僕っているのかな?』

 本当はわかってるんだ

 見放されても信じてしまうよ」

 見放されても相手を追いかけてしまう主人公。メンヘラは愛が重く、愛想を尽かされやすい。それを的確に捉えた表現だと思う。また、恋愛絡みじゃなくとも「僕っているのかな?」という問いは私に付き纏う。私はこの世界に、誰かに必要とされているんだろうか。きっと必要とされていないけど、必要とされていると信じたくなってしまう。

 

 

脳裏上のクラッカー/ずっと真夜中でいいのに。

 

 

「なりたい自分となれない自分

 どうせどうせが安心をくれたような」

 理想像に追いつけない自分。私も理想像が遥か遠くにあって、永久に追いつける気がしない。それが歯痒く、もどかしい。

「なんで? 隣にいなくても

 いいよ いいよ いいよ いいよ

 って言わせないでよ」

 本当は隣にいてほしいのに隣にいてくれない。愛の重さが伝わってくる。これもメンヘラの空回りなのかなと想像する。愛の重さを受け止めてくれる人はなかなか現れないものである。私の愛も、受け止めてくれる人がおらず迷子である。

 

 

Dear My 「F」/ずっと真夜中でいいのに。

 

 

「きみ無しじゃ生きていけないって

 依存しそう で厄介さ」

 ずとまよの歌詞の引用は難しいが、ここは明らかにメンヘラポイントである。「きみ」に依存しそうなほど愛している愛の重さがメンヘラを感じさせる。

「あぁ、なんかわからなくなりました

 自分って誰 あれ 何故なれないの」

 自分という存在がよくわからなくなる時も多い。人を愛するという過程の中でもそういうことはあるだろう。私も自分がわからない。何ができるのか、誰が好きなのか……。歌詞を通して陰鬱さが感じられる。

 

 

サターン/ずっと真夜中でいいのに。

 

 

「私といるより楽しまないで

 心に傷を負った君がいい」

 はメンヘラらしさが非常によく表れている。嫉妬心が表出しており、共依存になりそうな関係性も予感させる。

「言わなきゃ でもやっぱやだ

 それじゃ何も始まらないのだから

 言わなきゃ なんかこのまま

 気づかないふりしないっこでいいのかな」

 自然消滅しそうな関係性を繋ぎ止めようとする必死さが伝わってくる。得てして関係性は自然消滅する。それが怖くて、何としても繋ぎ止めようとする気持ちは痛いほどわかる。それでも躊躇ってしまうところまで。だから遠くの惑星「サターン」なのだ。

 

 

夜に駆ける/YOASOBI

 

 

 これは心中を歌った曲である。

「変わらない日々に泣いていた僕を

 君は優しく終わりへと誘う」

 の部分で心中が暗示され

「二人今、夜に駆け出していく」

 で飛び降りてしまう。しかしこの曲は心中、自殺を決してネガティブに捉えてはいない。むしろポジティブに死を捉え、心中によって永遠の愛が歌われているように思われるのである。私も誰か愛し合える人と心中したい。それは決してネガティブな選択ではなく、ポジティブなこの世への別れであろう。

 

 

もしも命が描けたら/YOASOBI

 

 

 この曲のストーリーは複雑だが、「君」が死んで自殺しようとしていた「僕」が月から「自分の命を削って絵に描いたものに命を分け与える力」を貰い、「あなた」の彼氏にそれを使って死んでいくという構成になっている。

「恋に落ちた

 愛を知った

 幸せだと思えたのに

 どうして大切ばものばかりが消えていく

 この世界とさよならしよう」

 と自殺を決意するが、前述のようにストーリーが進み、最後は

「そしてひとり

 あなたのこと母のこと

 君のこと想い目を瞑った

 長い長い旅の終わり

 やっとまた会えたね」

 と締められる。寿命を全うして「君」に会いにいくところでストーリーは終わる。命の価値について考えさせられる名作だと思う。

 

 

 以上、三者三様の「夜」の世界を覗けたと思う。興味を持ったら他の曲も色々聞いてみてほしい。きっと新たな発見があることであろう。

 また、今回は「夜」をテーマにしたが、他にもメンヘラソングはたくさんある。是非お気に入りのメンヘラソングを見つけていただければ幸いである。

Juice WRLDとドラッグ

 私は洋楽のHIPHOPをそこそこ聴くが、その中でも一番好きなラッパーがJuice WRLDである。Juiceの曲の中にはドラッグが大量に出てくる。実際、エモ・ラップを牽引している多くのラッパーがドラッグに手を出しているのが現状だ。メンヘラとドラッグも関わりが深い。抗うつ薬抗不安薬を飲んでメンタルを保ち、時にはODもするからである。今回はJuiceの曲を通してこのドラッグ問題について考えたい。

 

目次

 

基礎知識

 薬物には大きく分けて3種類ある。

・アッパー

 覚醒作用を齎すもの。

・ダウナー

 鎮静作用を齎すもの。

サイケデリック(サイケ)

 幻覚作用を齎すもの。

 これらを踏まえた上で以下の解説を読んでほしい。

 

主な薬物

大麻マリファナ

 weed、野菜、420など色々な隠語がある。最も代表的な薬物。日本では違法だが、合法な国や地域も多く、普遍的に蔓延していると思われる。ダウナー系のドラッグである。アメリカのラッパーは当たり前のように使用している。

 

覚醒剤

 シャブ、アイス、スピードなどとも呼ばれる。物質名としてはアンフェタミンメタンフェタミンに該当する。アッパー系のドラッグである。これもまたラップ中によく登場する。

 

コカイン

 コーク、チャリなどとも呼ばれる。アッパー系のドラッグの中ではかなり強い。本来はラッパーは売人として売る側であったが、近年は乱用者も増えているという。ハードドラッグの一種。コカの実から取れる。

 

ヘロイン

 恐らく最強の薬物。他の薬物は、それを使用しながら作業をしたりセックスをしたりするために使用されるが、ヘロインはそれ自体の快楽に溺れるものだという。オピオイド系でダウナー系のドラッグである。ハードドラッグの一種。ケシの実から取れる。

 

MDMA

 エクスタシー、モリーなどとも呼ばれる。アッパー系のドラッグである。様々に着色されたものが密売されている。

 

LSD

 紙などとも呼ばれる。サイケ系のドラッグである。幻覚や幻聴が起こるタイプのドラッグである。私はあまり興味を惹かれない。

 

リーン

 purple drank、dirty spriteなどとも呼ばれる。昨今ラッパーの間で流行っているもの。後述するブロンと同じコデイン入りの咳止めシロップをスプライトなどで割ったものである。アッパー系かつダウナー系である。合法であるゆえに蔓延しやすい。

 

ザナック

 Xannyとも呼ばれる。抗不安薬の一種で、物質名としてはアルプラゾラム、日本での商品名はソラナックス。完全に合法な薬だが、それゆえに蔓延しやすい。鬱病などの患者には普通に気軽に処方されると思われる。

 

パーコセット

 Perkyなどとも呼ばれる。オキシコドンアセトアミノフェンが混ざった処方箋ドラッグ。モルヒネなどと同じく鎮痛剤として処方されるもの。オピオイド系でダウナー系のドラッグである。

 

 

日本でODによく使われる薬物

ブロン

 何を置いてもブロンが一番悪名高い。ブロンに含まれるコデインが体内でモルヒネに変換され、快楽を齎す。同時にエフェドリンによる覚醒作用も起こる。本来の用途は咳止めである。アッパー系かつダウナー系のドラッグである。通常の薬局では購入数制限などが行われている。

 

パブロンゴールド

 俗に金パブと呼ばれる。ブロンと同じくコデインの含まれる薬品だが、アセトアミノフェンが邪魔で肝機能障害を起こす可能性があるので、CWEという濾過作業をすることが推奨されている。そもそもOD自体推奨されないものだが。

 

レスタミン

 俗にレタスと呼ばれる。本来の用途はアレルギー性皮膚炎の治療薬。眠剤ドリエルと中身は同じなのに安いので眠剤としても使用できる。ODすると眠気の他、虫などの幻覚を見るとされている。

 

コンタック

 本来の用途は風邪薬。ODするとふわふわして幻覚を見たり音楽がクリアに聞こえたりするとされている。サイケ系のドラッグである。

 

デパス

 市販薬を除けば最もODされていると思われるもの。抗不安薬で、物質名はエチゾラム鬱病などの場合、簡単に貰うことができるので、蔓延しやすい。私も処方されているが、今のところODはしていない。

 

 

Juice WRLDの楽曲

Lucid Dreams/Juice WRLD

 

 

 Juiceの代表曲。直接薬物名は登場しないが

“I take prescriptions to make me feel a-okay”

 というフレーズから薬物に走っていることがわかる。

”Now I’m just better off dead”

 私も自分は死んだ方がましなんじゃないかとよく考える。親や世間に迷惑をかけるだけかけて何もせず生きているなんて……。そして

“You made my heart break

 You made my heart ache”

 と繰り返されるところは痛切である。彼女に傷つけられた恨みが描かれている。恋愛は毒にも薬にもなるが、ここでは毒となる好例である。

 

 

Righteous/Juice WRLD

 

 

“Five or six pills in my right hand yeah

 Codeine runneth over on my nightstand”

 というフレーズからコデインに走っていることがわかる。前述の通り、コデインは海外のラッパーにも日本のメンヘラにも広く愛されている。

“Taking medicine to fix all of the damage

 My anxiety the size of a planet oh”

 そう、惑星のように大きな不安を薬物だけが解消してくれるのである。私も抗うつ薬抗不安薬で何とか繋ぎ止めている命だ。このフレーズは痛切に響く。

“Over ice I’m freezing”

 という歌詞から覚醒剤もやっているのではないかと推測できる。違法薬物はやってはいけないが、それに逃げたくなるほどの不安はわかってあげてほしいものである。

 

 

Lean Wit Me/Juice WRLD

 

 

“Lean with me, pop with me”

“Smoke with me, drink with me”

 というフレーズが特徴的だ。リーンに逃げ、煙草(あるいはマリファナ)や酒に溺れている。私はリーンはやめたが煙草や酒はやめられずにいる。

“Yeah, I love P’s, yeah I love lean”

 という歌詞からパーコセットやリーンを愛しており脱せない苦しみが伝わってくる。これらは処方箋ドラッグと市販薬だから合法で手に入る。ゆえに依存から脱せない苦しみは痛切だ。鬱の不安はどうすれば取り除けるのだろう?

 

 

Black & White/Juice WRLD

 

 

“I’m in the black Benz, uh

 Doin’ cocaine with my black friends, uh”

“Switch up to the white Benz, uh (Benz)

 Doin’ codeine with my white friends, uh (friends)”

 と対比されている。黒人の友達とコカインをやり、白人の友達とコデインをやっているのだ。コカインもラッパーの間に広まっているのだろう。そこまで強い薬に頼らないといけないほど苦しんでいるのだ。

“I know that these percys finna hurt me, ayy”

 パーコセットが自分を傷つけることもわかっていながら、逃れられない。

“Pills with the Hennessy, I might throw up”

 ヘネシー(ブランデー)で薬を飲んだりもしている。もうめちゃくちゃだ。

“I’m getting too fucked up”

 と歌われている通り。

 

 

Wishing Well/Juice WRLD

 

 

“Stress on my shoulders like a anvil

 Perky got me itching like a ant-hill

 Drugs killing me softly Lauryn Hill

 と歌われている通りやはりパーコセットに依存している。Wishing Wellとは願い井戸のことで、一曲を通して苦しみから抜け出したいことが歌われているが、やはり薬物依存からは抜け出せていない。それほどに鬱のストレスは重く、薬物をやらないとやってられないものなのだ。

“If it wasn’t for the pills I wouldn’t be here

 But if I keep taking these pills I won’t be here yeah”

 と、もう薬なしではやっていけなくなっている。

 

 

Wasted/Juice WRLD, Lil Uzi Vert

 

 

“Wasted, I’m on these drugs, I fell wasted”

 と歌われている通り、薬をやってハイになっている。

“Wasted, I waste all my time when I’m wasted”

 薬をやっていると時間を無駄にすることになると知りながら。ここにも薬物依存の悲しい現実が表れている。また

“She do cocaine in my basement

 I’m her docter, but I’m runnin’ out of patience”

 という彼女との不健全な関係性も描写されている。彼女もJuice自身もハイになっており、救いようがない。

 

 

End Of The Road/Juice WRLD

 

 

“It’s suicidal she wrote

 This is the end of the show, it’s over

 We doin’ drugs ‘til we in a coma”

 というふうに彼女は自殺し、Juiceたちは昏睡するまでドラッグに溺れる。まさに道の終わり、恋路の終わりであろう。メンヘラ同士の恋愛がうまくいかないことを象徴しているかのようだ。そして

“I pray to God my plug I pour up

 I pray to God my plug still show up”

とドラッグが手に入れられることを祈る。

“She love the coke, but not Coca-Cola”

 彼女もコカインに溺れている。メンヘラに恋は難しい。薬物に溺れて、お互いに限界なのだろう。

 息が詰まりそうだ。これだけ薬物依存の歌詞と向き合っていると、胸が詰まりそう。最後に少し救いのある曲を紹介しよう。

 

 

Girl Of My Dreams/Juice WRLD, SUGA of BTS

 

 

 この曲では

“Stop sippin’ purple potion (For you, babe)”

 と彼女にリーンを啜るのをやめるよう諭している。そして

“The girl of my dreams, but I ain’t fallin’ asleep”

“I ain’t gon’ lie, you got it all, all, all, all, all of me”

 と熱愛が歌われている。君は俺のすべてを手に入れたのだと。ああ、ようやく恋が叶った。不健全な関係を脱して、本当の愛を手に入れたのだ。やはり薬物に依存してはいけない。恋が薬の代わりになるのだ。

 

 

 以上、Juiceの歌詞とともに薬物依存について考えてきた。薬物依存の当事者の視点を通して、薬物依存への理解を深め、薬物から脱せるようになればいいと切に願う。私も酒や煙草、抗うつ薬抗不安薬から脱せてないが、ブロンなどからは足を洗えた。読者諸氏も、身近に薬物依存者がいれば、薬物依存を頭ごなしに否定するのではなく、その苦しみに寄り添いながら一緒に脱する方法を考えてあげてくれれば幸いである。

 

 

番外編

Lemonade/Internet Money, Gunna, Don Toliver, NAV

 
 
 この曲には実に多様な薬物が登場する。
“Xanny bars suicide door brand new bag”
“Off the juice codeine got me tripping”
“Ice lemonade my neck was drippin’”
“Adderall feeling nausea xanax bars ayy”
“Did a percocet promethazine”
 というように。ザナックス、コデイン、アイス、パーコセットは前述の通りで、lemonadeはヒドロコドン、Adderallはアンフェタミンを含むADHD治療薬、promethazineは抗ヒスタミン剤である。健全な読者なら知らないであろう薬物名のオンパレードに驚かされる。
 

Blueberry Faygo/Lil Mosey

 
 
 爽やかなナンバーだが、Blueberry Faygoもリーンのことを指している。
“Poured up a 4 now that’s blueberry Faygo”
 と歌われている。Faygoは清涼飲料水を指していて、それと咳止めシロップを混ぜたものを飲んでいるようだ。
“Got me some gas rollin’ up some”
 とマリファナも吸っていることがわかる。更に
“I ain’t fucked her yesterday I’ma fuck some”
 とセックスについても触れている。
 

Mask Off/Future

 
 
 Futureはリーンをスタイリッシュに広めた張本人の一人で、JuiceもFutureの影響でリーンを始めたと言われている。というわけで最後に紹介しておこう。
“Percocets molly Percocets”
 というフレーズはあまりに有名である。パーコセットとMDMAを常用していることがわかる。また
“Two cups toast up with the gang”
 とリーンも飲んでいることがわかる(リーンの冷たさを保つためにカップを二つ重ねるらしい)。しかし
“Mask on fuck it mask off”
 というように、薬物から脱しようとする試みが描かれている。薬物でキマった自分のマスクを剥いで、素面でいられる日が来ればいいと願うばかりである。それが健全な生き方なのだから。

海の見える路線10選

 今回は海の見える路線について書く。海の見える路線はどれも魅力的だろうと思うが、その中から筆者の乗ったことのある範囲で10路線に絞って語る。海の魅力を存分に味わっていただきたい。

 

目次

 

函館本線

 まずはJRから8路線、北から南へ順に紹介していく。最初は函館本線だ。森〜長万部の長い区間、海岸線沿いを走る。内浦湾の美しい海を十二分に堪能できる。存分に海を楽しめる路線の一つだ。

 

 

氷見線

 氷見線では富山湾の雨晴付近で海を見ることができる。雨晴海岸はヨルシカの『ただ君に晴れ』のMVのロケ地としても知られ、一度下車してのんびり歩いてみることをおすすめする。立山連峰とのコントラストも美しい。

 

 

紀勢本線

 紀勢本線では周参見紀伊長島の長い区間で断続的に海を見ることができる。特に新宮〜熊野市あたりまでは直線的に海沿いを走るのでお見逃しなく。美しい太平洋が待っている。

 

 

山陰本線

 山陰本線鳥取・島根・山口県内の大半で海沿いを走る。実に長い間、日本海を見ることのできる路線の一つだ。なかなか本数の少ない区間だが、是非とも乗りに行ってほしい路線の一つである。

 

 

本四備讃線

 本四備讃線は瀬戸大橋の上、つまりまさに海の上を走る路線であり、その意味で特別である。右を見ても左を見ても瀬戸内海とその島並みが見える車窓は別格に美しい。是非マリンライナーに乗ってみてほしい。

 

 

呉線

 呉線呉市東広島市竹原市の各区間で断続的に海を見ることができる。瀬戸内海沿岸の港町がちらちらと見える様は必見だ。沿線には観光名所も多く、途中下車するのもいいだろう。

 

 

予讃線

 予讃線伊予市伊予長浜区間が絶景だ。SNSでも話題の下灘もこの区間にある。下灘では是非下車してみて、眼前に広がる瀬戸内海の海岸線を楽しんでみてほしい。

 

 

長崎本線

 長崎本線肥前浜〜湯江あたりで海が見える。同じ長崎県内だと大村線も海が見えるので合わせておすすめしておく。それぞれ有明海大村湾を臨むことができる。また、後述する島原鉄道長崎県である。長崎は海の見える路線が豊富だ。

 

 

三陸鉄道

 ローカル私鉄も少しだけ紹介しておく。まずは三陸鉄道。震災から復興し全線開通した三陸鉄道は、ほぼ全区間リアス式海岸の海岸線沿いを走り、東北の綺麗な海を臨むことができる。

 

 

島原鉄道

 前述したように島原鉄道も海の見える路線である。これまたほぼ全区間にわたって海岸線沿いを走り、有明海を存分に楽しむことができる。大三東はTVCMでも話題となった駅だ。黄色いハンカチが風に棚引いていることでも知られる。

 

 

 

 以上、海の見える路線10選はいかがだっただろうか。筆者の趣味の偏りで西日本が多めになってしまったことはご容赦いただきたい。まだ筆者が乗りに行けていない海の見える路線もあるので、近いうちに乗りに行きたい次第である。

八重山旅行

 成田は肌寒かった。こちらは南国に行く準備をしているというのに、成田はそれを許さない。寒さに震えながら足早にネカフェに向かう。朝早くに飛行機が出るので、前日入りをしているのだ。

 ネカフェで温かいものを飲んで寝た。翌日、日の出とともに出発した。京成に乗って成田空港へ。チェックインを済ませ、保安検査場を問題なく通り、待合室に出た。LCCなので手荷物に7kgの制限があるが、それも難なくクリアしていた。そのように準備してきたからだ。

 煙草をふかしていると、あっという間に搭乗の時間がやってきた。送迎バスに揺られて飛行機まで向かい、飛行機に乗り込む。いよいよ待ちに待った3泊4日八重山の旅である。

 飛行機で爆睡してコンディションを整え、小説を読んでいると、飛行機は無事石垣に着陸した。石垣空港には活気があった。人の声で満ち溢れていて、これからの旅への気持ちを高めてくれた。

 しばらくバス待ちがあって、コンセントコーナーで充電したりお土産を見たりした。お土産はまだ買わない。荷物が多くなってしまうのが嫌だったから。お土産は追い追い買うことにしよう。

 バスがやってきて、川平湾に向かう。川平湾は石垣でも随一のビーチである。海を俯瞰して、それからグラスボートに乗るつもりで予約をした。

 川平湾に着いて、とりあえず上から見下ろすと、エメラルドグリーンの湾が広がっていた。その日は干潮で天気も芳しくなく、海の透明度は低いと言われたが、それでも十分綺麗に見えた。本当にこんな色の海があるのかと感動した。

 

 

 グラスボートの乗船手続きをする。しばらくビーチのベンチで待っていると、グラスボートが到着して、乗船。私の他に数グループを乗せ、船は出港した。

 海の底には珊瑚礁と様々な魚たちがいた。「今日は透明度が低いのでこれで乗った気にならないでください」というようなことを言われて、笑いが起こった。それでも私には十分美しく見えた。海を泳ぐ魚たちに愛おしささえ覚えた。

 

 

 あっという間に30分ほど経ち、グラスボートはビーチに帰ってきた。グラスボートを降りると、近くのお店で八重山そばを食べた。太麺が私好みの食感と味付けでとても美味しかった。石垣島の形をした蒲鉾が愛らしかった。

 

 

 その後はひたすらバス待ちである。次のバスまでまだ2時間ほどもあった。途方に暮れた私は、再びビーチに降り立ってみたり、煙草を吸ってみたり、とにかく何とかして暇を潰した。植物の写真も撮った。植物には昏いが、植生が本州と違うことはわかった。特徴的な赤い屋根瓦もカメラに収めた。そうしてようやくやってきたバスに足早に飛び乗った。

 石垣バスターミナルはどことなく殺風景な感じがした。古そうなコンクリートの建物が一つ。多くのバスが停車していたが、人は疎らだった。

 明日に備えて離島バスターミナルの場所を確認して、私は民宿に向かった。石垣には24時間営業のネカフェがない。日頃ネカフェ泊をしている私としては衝撃だったが、ともかく安く泊らねばお金がない。そういうわけで初めての民宿を予約したのだった。

 民宿に通されると、簡単な施設案内の後、ベッドにダイブ。コンセントの位置を確認してモバイルバッテリーの充電を始めた。手持ち無沙汰になったので、夕食にしようと近所の居酒屋に伺った。店内は活気に溢れ、流行っているようだった。

 石垣牛の寿司とイカスミチャーハン、それから泡盛をいただいた。上手な食レポなどできないが、どれも美味しかった。イカスミで歯や舌は真っ黒になった。マスクをしなければならないご時世で助かった。

 

 

 その後は民宿に帰って、誰と喋ることもなく読書をして寝た。フリースペースでは会話が盛り上がっていたが、そこに割って入る勇気はなかった。今思えば、そこに飛び込んでいけば貴重な話が聞けたかもしれないのに、とも思う。結局、この民宿ではほとんど口を開かなかった。

 

 翌朝、私は離島ターミナルに向かった。そこで昼便の波照間行のチケットを買う。目的はもちろん、最南端の碑であった。最北端と最東端には訪れたので、今回の旅では最南端と最西端に行くつもりだった。

 

 

 波照間行の船は無事出港した。揺れは大きかったが、酔い止めを飲んでいたので読書をしても平気だった。1時間ちょっとの航路であった。

 波照間港に着くと、「んぎしたおーりょー」の文字に迎えられた。「ん」から始まる日本語があるのかと驚いたが、八重山の方言は島ごとに異なり多様なので不思議ではなかった。ちなみに石垣島では「おーりとーり」、沖縄本島ではご存知「めんそーれ」という。

 波照間島は見渡す限り何もない島であった。いよいよ本当の離島、本当の田舎に来たかと胸を躍らせた。私はレンタサイクルをした。4時間と書き込むと、600円だった。

 自転車を島一周道路沿いにえっちらおっちら漕いで最南端を目指す。途中、いくつかの標識はあったが、それも頼りなくGoogleマップを見ながら慎重に進んだ。

 そうして私は最南端の碑に到達した。達成感を伴ったいい汗が額を流れていった。びしょびしょに濡れた下着のシャツを脱いで、鞄の中にしまった。波照間ではこんなものは必要なかった。

 

 

 断崖絶壁に打ち付ける荒波を暫く眺めていた。暑い夏の波照間に気持ちいい風が吹いた。風に当たって汗が乾くのを待って、また自転車に跨った。

 その後は島一周道路を北上し、下田原城やコート盛を見た。地味な石垣だけの建造物だったが、見晴らしは素晴らしかった。

 

 

 そして一周すると、ニシ浜に着いた。マリンブルーの海が陽光に煌めいていた。これまた見たことないほど透き通った海で、風に当たりながら暫く目を奪われていた。海水浴をしている観光客が大勢いた。

 

 

 自転車を返却すると、港に向かった。また「んぎしたおーりょー」の文字が気になった。八重山の方言のことを調べながら待っていると、乗船できるようになっていた。これで最南端の旅は終わった。次は、最西端。

 与那国行のフェリーは月一くらいで欠航になるという。この頃から、私は運行状況が気になって何度も何度もウェブサイトを更新していた。欠航する時だけ情報が掲載されるのだ。しかし、結局は何も掲載されなかった。私はフェリーが動くことを確信した。これは僥倖であった。

 波照間航路の船は帰りもよく揺れた。読書をしながら乗っていると、頭が痛くなってきた。船酔いかもしれないし熱中症かもしれない。この日は安静にしようと思って、早めに民宿に戻り、さっと汗を流して、早めに寝ることにした。誰とも会話はしなかった。

 

 さて、次は最西端への旅である。まだ少し頭痛がした。酔い止めを飲んで、フェリーターミナルへ向かう。与那国行のフェリーターミナルは他の島へ行く離島ターミナルとは離れた場所にぽつんとあった。運営会社も違う。何しろ与那国は遠い。約4時間半の航路なのだ。それゆえに特別扱いされているのであろう。場所は前日に確認しておいた。

 朝早くに辿り着き、往復切符を買う。煙草をふかして待っていると、他の乗客が疎らに乗り込んでいくのが見えた。随分と前から乗り込んでいいのだと理解し、私も乗り込む。フェリーには等級もないのに、椅子だけでなく座敷や二段ベッドまで使える贅沢なものだった。

 

 

 航路は長かったので眠って体調を整え、またも読書をして過ごした。何せ離島旅は暇である。暇潰しに読む本くらいは持っておいた方がいい。

 そうこうしているうちに与那国に着いた。早く最西端の碑を見に行きたかったが、先に民宿に向かうことにした。バス待ちの間、観光客のおじいさんに話しかけられた。とりとめもない話をしていると暇も潰れた。余談だが、与那国のバスは無料で乗れる。これはすごくありがたいことだと思った。

 民宿に着くと、オーナーはいなかった。電話で呼び出すと、程なく来てくれて、簡単に施設の案内をしてくれた。二段ベッドの上の方で暫し休んでから、出直した。いよいよ最西端の碑に向かうのである。

 最西端の碑は西崎の断崖絶壁の上にあった。久部良港から歩いていくと、急な上り坂の連続で、なかなか堪えた。西崎に着くと、突風に襲われた。もう夏に近い沖縄にいるはずなのに、寒さを感じた。

 最西端の碑はそこにこじんまりと鎮座していた。私は日本の最果てを東西南北制覇したことに感激していた。これでようやく旅人を名乗れる、とかそんなことを思った。チュートリアルが終わって、真の旅人になった気がしたのだ。

 

 

 突風に吹かれながら、海を眺めていた。この旅で何度も眺めた海。それでもこの瞬間は特別だった気がした。

 

 

 本当はここから沈む夕日を見たかったが、生憎の曇りだった。後から聞いた話だが、与那国が晴れることは滅多にないという。残念だったが、仕方ない。私はまたあの長い坂道を下っていった。

 バス待ちをしていると雨が降り出した。今思うと、雨は数十分で止んだので、熱帯特有のスコールだったのかもしれない。風で傘が折れそうだった。

 民宿に戻って煙草を吸っていると、お姉さんに話しかけられた。そこから民宿の旅人の会話の輪に入れてもらい、この日は旅人同士たくさん語らいあった。各々が色々な目的を持って与那国に来ていた。与那国名物の花酒を飲み、酒のあてをつまみながら、貴重な話をいっぱい聞くことができた。流石に強者の旅人が多く、皆個性的で、楽しい夜になった。普段はネカフェ泊で寡黙な私だが、たまにはこんな夜も悪くない。

 次の日はまた朝早く出発した。名残惜しそうに民宿の旅人に見送られた。バスに乗って久部良港に着く。ああ、旅が終わってしまう。そんな一抹の寂しさを抱きながら、フェリーに乗り込んだ。

 

 ところで、石垣にもう一ヶ所行き残しがあった。石垣島鍾乳洞である。フェリーが石垣のフェリーターミナルに着くと、バスターミナルから鍾乳洞へ向かった。鍾乳洞は郊外の田園地帯の中にぽつんとあった。ネットで予約していたチケットを見せて、中に入る。

 

 

 鍾乳洞の中は涼しいのかと思ったが、意外と蒸し暑かった。上着を着たまま入ると、少し暑苦しくなった。しかし、そんなことを忘れさせるくらい、鍾乳洞は美しかった。自然の作り出す何とも不思議な空間に私は感嘆した。

 

 

 鍾乳洞を出ると、お土産を買った。そろそろ買っても荷物の嵩張りが気にならないだろう。脱いだ上着とお土産を鞄に詰め、バス停まで歩いた。

 これで八重山の旅は終わりである。私は石垣空港に向かった。空港でもお土産を購入した。そして飛行機に搭乗する。

 飛行機は定刻より少し遅れて出発した。窓から見える石垣島のビーチが綺麗だった。しかし、あっという間に雲に覆われ、島は見えなくなった。飛行機が雲の上に出ると、暮れ泥む西日が差した。

 成田に着くと、やっぱり少し肌寒かった。もうここは南国じゃない。遠く八重山を懐かしみながら、京成に乗り込んだ。

メンヘラに刺さる曲30選

※この記事は過激な表現を含みます。

 

 今回は旅の話は一旦置いておいて、鬱病の当事者として、鬱っぽい曲・ドラッグに関する曲を30曲ほど書き連ねていこうと思う。鬱の時は明るい曲より暗い曲の方が聴いていて落ち着くし共感を得られるので、とりわけ鬱などの精神疾患に罹っている人(以降、メンヘラと呼ぶ)に刺さればいいなと思って筆を取った。同時にメンヘラ当事者の脳内を覗ける機会と思ってくれればいい。ひたすら自分語りをして厭世観を書き綴るつもりだ。

 とはいえ、何も鬱っぽい曲・ドラッグに関する曲を探そうとして見つけてきたものばかりではない。単に普段私が聴いている好きな曲についての話である。

 
 
目次

 

 

ヒッチコック/ヨルシカ

 
 
 メンヘラにまず聴いてほしいのがヨルシカである。ヨルシカは好きな曲が多すぎて書き切れないので、ここでは厳選して書く。
「あぁ、この先どうでもいいわけなくて、現実だけがちらついて、
夏が遠くて。」
 という部分が特にお気に入りだ。この先どうなるのかわからない若者の不安を端的に表現していると思う。ふとした瞬間に現実がちらついて泣きたくなることは鬱病の闘病生活の中で何度もあった。つらく苦しい現実にどうしようもない私。そんな膠着状態がずっと続き、深い苦しみの中で何度も泣いた。
「ほら、苦しさなんて欲しいわけない。
何もしないで生きていたい。
青空だけが見たいのは我儘ですか。」
 まったくである。綺麗な晴天の青空だけを見てのんべんだらりと生きていたい。そんな願いが叶わないことが悲しくて堪らない。
 
 

思想犯/ヨルシカ

 
 
 続けてヨルシカから。全体的に暴力的で悲愴な歌詞がいい。
「死にたくないが生きられない」
 というフレーズがとりわけ刺さる。いや、私は確かに死にたいのだが、同時に死にたくないが生きられないとも思っていると思う。そう、どうせうまく生きようとしたって生きられないのだ。生きづらさを端的に表現したフレーズだと思う。
「人を呪うのが心地良い、
だから詩を書いていた」
 私も人を不快にさせるような文章を書いているかもしれない。呪っているつもりはないのだが。それでも世間が憎いという思いもあり、非常に共感できる。
「認められたい、愛したい
これが夢ってやつか」
 これは私の夢でもある。つくづくメンヘラは承認欲求の塊だと思う次第である。
 
 

八月、某、月明かり/ヨルシカ

 
 
 ヨルシカをもう一曲。
「人生、二十七で死ねるならロックンロールは僕を救った」
 というフレーズが好きだ。ロックンローラーは27歳で死にやすいというジンクスがあって、27クラブと呼ばれているらしい。実際には統計的有意差は見られないそうであるが、ともかくそこから取られたフレーズであろう。私も27歳くらいで夭逝できたらどれだけ幸せだろうと空想することがよくある。親は悲しんでくれるだろうか。嗚呼、それならまだ死ねない、と思いそうになる。これは私が生きている限り半永久的に葛藤し続けるだろう。
 
 

勘冴えて悔しいわ/ずっと真夜中でいいのに。

 
 
 お次はずとまよから一曲。最後の
「遺影 遺詠 遺影 遺詠 遺影 遺詠 遺影 死体」
 という部分が面白い。取り繕ってしまうけれど内心は死んだようになっていることを言葉遊びでキャッチーに語っている。また
「着いた 吐いた ツイッター呟く 7個目の方で」
 という表現も面白い。いくつも鍵垢を持っていてそこに病みツイートが溢れ返っている様子がありありと想像できるのである。メンヘラは大抵鍵垢を持っていて、そこにしこたま病みツイートを書き込んでいるものである。
 
 

お勉強しといてよ/ずっと真夜中でいいのに。

 
 
「私を少しでも想う弱さが
君を苦しめていますように」
「私を少しでも想う強さが
君を悩ませていますように」
 の部分がメンヘラらしい。メンヘラは重い愛が欲しいから、それが「君」にもあることを願う。奥手な主人公は不安定な「感情参考書」を相手に渡す。私にもそんな人がいたらいいのに。重く愛されてみたい。相手が悩み苦しむほど私を好いてくれたらいいのに。
 
 

サターン/ずっと真夜中でいいのに。

 
 
 ずとまよをもう一曲。
「私といるより楽しまないで
心に傷を負った君がいい」
 という歌詞が何ともメンヘラの心を擽る。メンヘラは愛が重い。愛されたいし愛したい。共依存であってもいい。でもそれが叶わないことが星に準えられながら歌われている。私も誰かを重く愛して重く愛されてみたいが、生憎相手がいない。それから、恋をする気も失せるような曲も後述するので複雑なメンヘラ心である。
 
 

ねむるまち/くじら feat. yama

 
 
「正義は必ず勝つって
正義って何なの?」
 という歌詞が好きだ。「わかんないことはわかんない」正義なんてものは存在しないんじゃないかと思う。世の中は偽善者で溢れ返っている。
「ねむるまちに行こう
ねむるまちに行こうよ」
 鬱の時は寝るのが一番いい。起きてもまだ鬱の日もあるが、眠ると沈んだ気分がリセットされることが多いからだ。私も「ねむるまち」でずっと寝ていたい。できれば、永遠に。
 
 

生きていたんだよな/あいみょん

 

 

 飛び降り自殺した人の歌である。メンヘラらしいテーマである。

「最後のサヨナラは他の誰でもなく

自分に叫んだんだろう」

 私もそう思う。死ぬ瞬間は、自分に別れを告げるだろうと。でも同時に、私なら世界にも別れを告げる気がした。憎く醜い世界に中指を立てて死にたいからである。

「精一杯勇気を振り絞って

彼女は空を飛んだ」

 その勇気を私は讃えたい。世間の「普通の人」はそれを否定するかもしれないけれど、せめて私だけは喝采を送ってあげたかった。だって、私には死ぬ勇気がないから。だからこうして惨めに生きながらえてこんな駄文を書き連ねているのだから。

 

 

The hole/King Gnu

 

 

「愛する誰かが自殺志願者に

僕らはそのくらい脆く不確かで」

 というフレーズが印象に残る。私も自殺志願者だが、こんな世の中じゃいつ誰が自殺志願者になるかわかったものじゃない。そんな世の中で、強かに生きていくことは叶うだろうか。

「愛を守らなくちゃ」

 誰かを強く愛することができれば、叶うのかもしれない。つくづくメンヘラは重い愛を求めていることを痛感させられる。

 

 

生きてるだけでえらいよ/ReoNa

 
 
 ずっとつらくて泣いている歌詞が続く。ストーリーテイストなので抜粋するのが難しいが、最後の
普段そんなに話さないんだけど、なんか、ばーって全部話しちゃって。

わーわー泣いちゃって。
そしたらね、その子ね、そっかそっか、って。
背中なでてくれて、『えらいよー、生きてるだけでえらいよ』って。」

 にメッセージが詰まっていると思う。泣きたい時は泣いていい。思いは誰かに吐き出さないといけない。私もつらくてずっと泣いてきた。泣き疲れて眠りにつくまで泣こう。それでいい。
 
 

憂一乗/ヨルシカ

 
 
「適当でもいいから
目的とかいいから
このまま何処でもいいからさ、
逃げよう」
 つらいことを抱えながら頑張ってる人に、逃げてもいいよって言いたい。泣いてもいいし、逃げてもいい。逃げた先に何があるのか、幸せなのか、それとももっと悲惨な未来が待っているのか、わからない。責任は取れないけど、何も耐える必要はないって言いたい。これは私のエゴだろうか?
 
 

Wishing Well/Juice WRLD

 

 

 私は英語の曲も聴くので、洋楽からもどんどん引用していく。歌詞の和訳はしないので原文ママでニュアンスを味わってほしい。和訳は検索すればいくらでも出てくるので、割愛。

 さて、

“I still try even though I know I’m gon’ fail”

 という部分にまずは共感する。失敗するとわかっていながら、何度も何度も挑戦し続けている。それでも無理なものは無理で、次第に諦めてゆく。そんな大人にはなりたくなかった。

 そして

“Drugs killing me softly”

 に薬物中毒者の悲しい末路が端的に表現されている。また、

“Ring-ring phone call from depression”

 という表現も面白い。何の前触れもなく鳴り響く電話のように、鬱の波はいつも突然やってくるのである。

 

 

All Girls Are The Same/Juice WRLD

 

 

 

 これは失恋がきっかけで鬱になってしまった人に聴いてほしい曲である。最初の

“They’re rotting my brain love

These hoes are the same”

 に主題が込められていると思う。恋愛絡みで拗らせた人のシンプルな捨て台詞だと私は受け取った。歌詞は男性目線だが、女性目線に置き換えても同じことが言えるだろうと思う。

“Fuck livin’

I’ma drown in my sorrow”

 には生きることのつらさが描かれている。私も悲しみの中で何度も溺れてきた。もっとも、失恋はしていないし、そもそも恋すらしていないのだが。だが、こんな曲を聴くと、恋をする気も失せるのである。

 

 

Lean Wit Me/Juice WRLD

 

 

 Juiceも本当に好きなラッパーなのでもう一つ。

“Will I die tonight?

I don’t know, is it over?”

 に薬物中毒の苦しみが詰まっていて、終わってゆく自分を感じるのであろう。酒や煙草に置き換えてもいい。酒に酔いすぎた時など、楽しい気分なのにしんどいような妙な感覚を覚えることがあるだろう。それが終わりへ一歩近づくということなのである。アル中でヤニカスの私も

“Fucked up liver with some bad kidneys”

 になっているに違いない。

“I know I'm not right

But I'm not wrong, no, I'm not wrong"

 と歌われているように、正しくないことはわかっていてもやめられない薬物中毒の悲惨さが描かれる。更に

”If I overdose, bae, are you gon' drop with me?"

 というのが何ともメンヘラらしい。私も心中相手は随時募集中である。愛する人と心中できたらどれほど幸せなことか……。

(leanは咳止めシロップに含まれるコデインをスプライトなどで割ったものである。合法的にトリップできるものであるはずだが、私は体質的にトリップできなかったので残念だ。JuiceはこれのODで亡くなったとされている。良い子は真似しないように)

 

 

The A Team/Ed Sheeran

 

 

 これは薬物中毒の少女を描いた曲である。Edの中でもお気に入りの一曲だ。

“The worst things in life come free to us”

 は本当にその通りだと思う。最悪なことほど私たちに降りかかってきて、私たちを困らせる。

“And go mad for a couple grams”

 で薬物に狂わされてゆく様子が描かれている。ほんの少しの薬物(酒や煙草でもいい)が私たちを狂わせることは経験のある人もいるのではなかろうか。

(the Class A Teamはヘロインやコカインのようなハードドラッグの中毒者を指しているらしい)

 

 

Drunk/Ed Sheeran

 

 

 Edをもう一曲。

“I’ll be drunk again

To feel a little love”

 皆さんはそんな夜はないだろうか。私にはある。いっぱいある。それでも酔っ払ったところで愛なんて感じられない。

“All by myself”

 と繰り返されているように、一人孤独に酔っ払っているだけなのである。アル中の末路だった。

 

 

Give Me Love/Ed Sheeran

 

 

 Edを最後にもう一つ。

“My my, my my, oh give me love”

 というフレーズがひたすら繰り返される。愛が重い。重すぎる。Edの絶唱はメンヘラの愛の重さを雄弁に語っている。酒に酔いながら、君を抱きしめたいだけなんだと歌う。やっぱり私も誰かを重く愛してみたいかもしれない(結局どっちなんだと言われそうだが)。

 

 

Can’t Feel My Face/The Weeknd

 

 

 この曲はラブソングと解釈している人と薬物依存の曲と解釈している人がいる。私は後者だと思ってここで紹介している。

 I can’t feel my face when I’m with you

But I love it but I love it oh

 という歌詞から、薬物で顔の感覚がなくなっていることがわかる。顔の感覚がなくなるような薬物はコカインだそうだ。歌詞中のsheやyouは薬物を指している。

 薬物もやはりメンヘラと関わりが深い。つらいことから逃げる手段として手っ取り早いからだ。しかしその危険性は重々承知しておかなければならない。と言いつつ、私は酒を飲み、煙草を吸い、ODも何度もしてきたのだが……(ODはしない方がいい、絶対に)。

 
 

SAD!/XXXTENTACION

 

 

 実にわかりやすい曲名である。特に注意を引くのは

“Suicide if you ever try to let go uh”

 ではなかろうか。これこそメンヘラと言わんばかりの歌詞であり、たいへん気に入っている。私ももし恋をして、失恋でもしようものなら自殺しかねない。だから私に恋はできないと思う。だって

“But it’s torture bein’ in love”

 なのだから。恋は拷問に等しかろう。こんなどうしようもない私もまた

“I’m sad I know yeah”

 
 

Legends/Juice WRLD

 

 

 これは亡くなったLil PeepとXXXTENTACIONへのトリビュートソングであるそうだ(Juiceもその後亡くなっている)。この曲では

“What’s the 27 Club?

We ain’t making it past 21”

 と歌われているように、先程触れた27クラブにも届かず、21歳にもならないうちに死んでいく仲間たちへの悲しみが歌われている。Juiceも21歳で亡くなった。才能あるラッパーが21で死んで、私はのうのうとそれ以上の年月を生きている。こんな世界はあんまりじゃないか。私ももっとODすれば死ねるのだろうか。後遺症が残って生きながらえてしまうのが怖くて実行できない勇気のなさが嫌いだ。

 
 

SUN GOES DOWN/Lil Nas X

 

 

“I wanna run away

Don’t wanna lieI don’t want a life”

 にこの曲のメッセージが詰まっていると思う。私も現実から逃げ出したい。生きたくない。どこか遠くの町で野垂れ死にたい。そんな空想を何度したことか。今まで食べたパンの枚数くらいはあるだろう。それほどに生きることはつらい。逃げ出したいことで溢れていると私は思う。

 

 

I Fall Apart/Post Malone

 

 

”Oooh I fall apart

Down to my core"

 というフレーズが繰り返される。失恋して心の底まで破壊されていく様子がわかる。そして

”And now I'm takin' these shots like it's Novocaine yeah"

 と酒に溺れていく。それでも、酒を飲んでも忘れられないと歌われている。やはり失恋をすると人は酒に逃げるものなのだ。私も失恋ではないもののつらいことがあってずっと酒に逃げてきた。酒は不安のすべてを取り除くわけではないけれど、幾らかは軽くしてくれるだろう。それは麻酔薬のようなものなのかもしれない(Novocaineは麻酔薬のこと)。

 

XO Tour Llif3/Lil Uzi Vert

 

 

 こちらでは

”Push me to the edge

All my friends are dead"

 というフレーズが繰り返される。友人の死の悲しみとそれによって追い詰められていく様が描かれている。そして

”Xanny help the pain, yeah

Please, Xanny make it go away"

 と薬物に頼っていく姿が描かれる(Xannyは抗不安薬)。つらいことを経験した時に頼るのは、やはり薬物なのだ。酒も煙草も似たようなもの。そうした依存性のあるものに頼って生きていくしかない。私も抗不安薬を飲んで何とか理由のない不安を抑えているところである。

 
 

WITHOUT YOU/The Kid LAROI

 

 

”You cut out a piece of me, and now I bleed internally

Left here without you(No, no, no), without you(Ooh, ooh)

And it hurts for me to think about what life could possibly be like"

「君」によってバラバラにされてしまった様子。そして、この先の人生を考えると胸が痛む。「君」を罵りながらも、一人になるのが怖いと歌っている。私もそうだ。失恋ではないけれど、今後のことを考えると不安で不安で仕方がない。だから今日も向精神薬を飲む。一人でも前向きに生きていける道を探して。

 
 

Heavy/Linkin Park(feat. Kiiara)

 

 

“I’m holding on

Why is everything so heavy”

 私も疑問に思う。なぜこの世のあらゆることはこんなに重く私にのしかかるのだろうか。逃げ出すことは許されないのか。生きて耐え続けるしか道はないのか。何度も自問した。だが、未だに答えは出ていない。

“I don’t like my mind right now”

 本当にその通りだ。自分が嫌いで嫌いで仕方がない。うじうじ悩んで、何も行動を起こせず、部屋で蹲っているだけの私が、嫌いで……。

 
 

when the party’s over/Billie Eilish

 

 

 何度も繰り返される

”Quiet when I'm comin' home and I'm on my own

I could lie say I like it like that like it like that

I could lie say I like it like that like it like that"

 というフレーズから、独りぼっちでも大丈夫って強がっている(けど本当はつらい)様子がわかる。私も一人旅をしたり何かと一人でいるのは好きだが、独りが寂しい日も多い。恋をして失恋をすると人間強度が下がる。だから余計につらいだろう。強がらずに泣いてもいいのに、と声をかけてあげたくなる。

 
 

Life Goes On/BTS

 

 

 私はK-POPもちょっと聴くのでK-POPにも触れておこう。韓国語は私にもわからないが(もっとも、英語も決して得意ではないが)、引用句のニュアンスくらいは書いていくつもりである。

끝이 보이지 않아

출구가 있긴 할까

발이 떼지질 않아 않아”

 鬱にも出口が見えない。終わりの見えない闘病生活に幾度となく苦しみ喘いできた。次の一歩を踏み出すこともできない。それでも

아무 일도 없단 듯이

Yeah life goes on”

 と歌われている。果たしてこれはバッドエンドであるように聞こえてならない。これは捻くれた見方だろうか。だって死を待ち望む者にとって、人生が続いていくことは苦痛でしかないから。

 

 

Blue & Grey/BTS

 

 

 BTSからもう一曲。

I just wanna be happier”

 に主題が詰まっていると思う。ただ幸せになりたいだけ。本当にそうだ。だけどそれはとても遠くにあって、とても手が届きそうにない。あるいは身近にあるのか? だとしたらどうやって見つけたらいいのだろうか。

“괜찮다고 하지 마괜찮지 않으니까제발 혼자 두지 말아 줘 너무 아파” 大丈夫じゃないから大丈夫って言うなという歌詞にはすごく共感できる。大丈夫じゃない人に限って「まだ大丈夫」だと言う。また、何も知らない人が勝手に「大丈夫だ」と言ってくることもあるだろう。もうとっくに限界を超えているのに。だから一人にしないでと願う。その気持ちはよくわかる。

 

Yonaguni/Bad Bunny 

 

 私はスペイン語の曲もちょっと聴くので(スペイン語もわからないが)、一つだけ掲載してみようと思う。 この曲は与那国島を題に取っており、歌詞にも登場する。また、最後に日本語で歌うことでも話題になった。

「今日はセックスしたい

でもあなたとだけ

どこにいますか?

どこにいますか?」

 Pensar en ti, bebé, pero cuando bebo

Me viene tu nombre, tu cara, tu risa y tu pelo, ey” 

切ない失恋の思いが伝わってくる。酒を飲むと彼女のことが思い出されていくのだ。酒は楽しい気分にさせることもあるが、嫌な思い出や後悔などが浮かんでくることもある。酒はどちらにでも作用するのだ。

 

生きてることが辛いなら/森山直太朗

 

 最後はこの曲で締めよう。これは初めから決めていたことだった。

「生きてることが辛いならいっそ小さく死ねばいい」

 衝撃的なフレーズで始まるこの曲は、生きていることのつらさを決して否定せず、素直に肯定してくれる。メンヘラはそういう歌詞に惹かれるのだ。何よりも自分の感情を肯定されたいから。私はこの曲を聴いて、誇張抜きに大泣きした。

 最後は

「生きてることが辛いならくたばる喜びとっておけ」

 と締められる。くたばる瞬間はさぞ喜ばしいことであろう。私もその日を心待ちにしている。でも今は、まだ死ぬ時ではないらしい。世界が私に、死ぬことを許さない。だからちらつく現実から目を背けずに、一歩ずつ着実に、歩いていくしかないのだろうと思う。悲しいけれど、世界はそういうふうにできている。

 

 以上、私の好きな曲を引用しつつ鬱病目線の感想を述べるだけの文章でした。

北海道旅行 3

 旭川を朝早くに発った。思い出した。出発地は南永山駅であった。無人駅だが、朝は通勤・通学客がそれなりにいたことを思い出す。

 特急に乗り込んで、稚内を目指す。途中、音威子府で降りることも少しだけ考えたが、やめた。真っ直ぐ稚内に向かった方がいい。その日は曇りで、今にも雪が降り出しそうだったが、確か雪は降らなかった。

 稚内に着いて一頻り写真を撮ると、ノシャップ岬に向かった。納沙布岬とは音が似ているが別物である。

 ノシャップ岬に着くと、またも岬の強風に煽られた。岬では大抵強い海風が吹いているものである。寒さに震えて建物の陰に隠れながら何とか歩を進めた。

 ノシャップ岬には水族館があった。ノシャップ岬寒流水族館である。小さな水族館で、営業してるのかさえ怪しかったが、入ることにした。この日は日没までノシャップ岬にいるつもりだったので、それまでの暇潰しであった。

 薄暗い水族館であった(もっとも、明るい水族館などあまり見たことがない)が、北海道の魚が色々展示されており、長居してしまった。寒さを凌ぐためでもあった。接客は素っ気なかった。

 併設されている科学館にも立ち寄った。展示をのんびり見る時間もないままに閉館時間が訪れたので、展示の記憶があまりない。南極に関する展示が多かった気がする。

 それが終わると、いよいよ日没の時間が近づいていた。その日は曇っていたが、夕焼けははっきりと見えていた。最北に準ずる地で見る日没は絶景であった。思わず目を奪われ、神妙な面持ちで陽が沈むのを眺めていた。

 

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 帰りのバスに飛び乗ると、稚内駅に帰った。夕食はお鍋をいただいた。その後、街を少し散策した。もっとも、稚内中心市街は稚内駅付近ではないようだったが。

 ところで稚内にはネカフェがない。この日は仕方なく普通のビジネスホテルに泊まった。ところがそこは広い和室で、一人で泊まるには広すぎるくらいであった。ゆっくり寛ぎたかったが、あまり時間もない。早めに寝て、明日に備えることにした。

 

 さて、いよいよ、今度こそ最北の地である。朝、宗谷岬行の切符を買ってバスを待つ。割とギリギリに行ったので、バスはすぐに来た。乗り込んで、バスに揺られていく。

 これまた海岸線を走るので、車窓からは海が見えた。綺麗な海だった。これが最北の海なのかと思いながら眺めていた。

 宗谷岬に着くと、疎らに人が降りていった。私も降りる。夢にまで見た最北の地であった。厳密には海上に浮かんでいる岩のような島が最北らしいが、行けるのはここまでだ。

 

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 宗谷岬はよく晴れていて、風は意外にもそこまで強くなかった。納沙布岬やノシャップ岬(ややこしい……)で寒さに震えた苦い記憶があるので警戒していたが、安心した。土産物屋を見物する。マグネットを購入した。

 そうこうしているうちに帰りのバスが来た。それに乗って稚内駅に戻る。次は防波堤ドームに向かった。そこまでは歩いて行けた。これまた立派な建築で、私は端から端まで歩きながらじっくり眺めた。

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 さて、最北への旅もついに終わりである。歩いて稚内駅にまた戻ってきた。ポケモンのマンホールがあることに気づき、思わず写真を撮る。これは「ポケふた」といって、全国にあるものらしかった。

 

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 稚内駅の土産物屋でもお土産を購入し、特急に乗った。この日は札幌まで向かう。目的を果たせた達成感と、ほんの少しの名残惜しさを抱えながら、長い間特急に乗っていた。稚内から札幌までは特急に乗ってもかなり遠かった。

 札幌に着いた。札幌はもう慣れたもので、余所者が我が物顔で闊歩する。札幌ラーメンが食べたかった。しばし地下鉄に乗って、店舗を目指した。

 

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 札駅近くのネカフェに泊まる。今回の旅はこれで大体果たせたように思われたが、もう一ヶ所行っておきたい場所があった。それは今は廃線となった(当時も最早線路は機能していなかったが)日高本線に乗ることである。次の日は日高本線に乗るためだけに一日を費やした。

 北海道フリーパスを7日分使い果たしたので、いつもの18きっぷでまずは苫小牧を目指す。そして鵡川へ。そこからは当時から既にバスであった。事実上はもう廃線したも同然であった。

 途中、静内で乗り換えて、更に南へ。静内にはシャクシャインの乱に関する像などもあるらしかったが、それを見ている時間はなかった。車窓を眺めていると、牧場で馬が飼われていた。日高は競馬用の馬が多く育てられている。静内駅でも競馬のパネルがあった。そうして終点、様似駅に着いた。

 ここまで来る人の目的は皆同じらしかった。廃線を惜しんで最後に見に来ているのである。私もそうだ。廃線の写真を撮って、息を引き取るのを見届けた気持ちになった。

 

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 後は来た道を引き返すだけである。札幌まで一気に帰って、ネカフェで一泊した。明日の昼には新千歳空港からLCCに乗る。北海道最後の一泊であった。

 翌日、起きると千歳に向かった。千歳駅で降りて、フォロワーに薦められたパンケーキを食べに行った。かなりの人気店らしく、並んで待つことになった。その間に売られてあるお菓子を物色したが、結局何も買わなかった。

 ようやく到着したパンケーキは、果たして絶品であった。私は普段こういうものをあまり食べないので、新鮮だった。ふわふわの食感が堪らない。

 

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 食べ終わると、やや早足で駅に戻り、新千歳空港に向かう。旅の終わりであった。今回の旅と以前の旅を合わせて、北海道のJR路線のうち9割近くに乗ることができた。これで北海道を制覇したなどとは思わないが、かなり色々行けたのではないかという自負はあった。

 搭乗手続きを済ませ、待合室で待つ。旅の終わりが名残惜しかった。旅の終わりはいつも物悲しいものである。しかし同時に、久々に住み慣れた家に帰れる安心感もあった。複雑な気持ちのまま、飛行機に乗って、空を飛んだ。

 

 成田空港に着いた。こうして、12日間の旅は幕を閉じた。京成本線に乗って、帰路に就く。もう雪は積もっていなかった。

 

 完。