釧路を発つと、摩周湖に向かった。日本で一番透明度の高い湖だそうである。世界でもバイカル湖に続く2位だとか。俄然楽しみになりながら、釧網本線に乗り込んだ。
所々氷の膜が張った、コバルトブルーの湖。それと積もる雪との組み合わせが至高であった。私は感動して何枚も何枚も写真を撮ったのを覚えている。
その後はお土産屋を見つつ帰りのバスを待った。これも一日一便しかない。乗り遅れたら終わりだ。
無事バスに乗って摩周駅に戻ってくると、足湯で一休み。その後、駅前のお店でご飯を食べた。
その後、またバスに乗り、次は川湯温泉を目指した。日帰りの浴場があると言うが、入っても人がおらず、間違えただろうかと右往左往しながら待っていると、ようやく受付の人が来て入浴が叶った。
その日立ち寄った温泉には、室内浴場の他に露天風呂があった。雪に囲まれながらの露天風呂ほど贅沢なものはないと思った。外は冷えるけれど、温泉は暖かくて、心も和んだ。
その後、川湯温泉駅に向かうと、そこにも足湯があった。入ったかどうかは思い出せない。多分入っただろう。そして次の電車を待った。
もしかすると川湯温泉駅は今まで利用した駅の中で最も利用者の少ない駅だったかもしれないなどと思いつつ電車に乗り込み、次は北見を目指した。この日の宿泊地は北見だ。
途中、知床斜里駅を通過する。本当は知床にも行きたかった。しかし冬季の知床に行くのは難しく、高いツアーに申し込まなければならなかった。貧乏な私は泣く泣く諦め、途中網走で乗り換えしつつ、北見に辿り着いたのであった。次は夏の知床に来よう、うん、それがいい。
遠くに見えるのが知床のはずである。悔し泣き(無論、誇張表現だが)しながら写真を撮った。
北見駅では北見はカーリングの街と宣伝されていた。「そだねー」で有名になった北見である。平昌オリンピックでは銅メダルを取ったという。
北見で一泊した次の日は、逆走して網走へ赴いた。
網走駅からバスに乗り、網走監獄に着いた。網走監獄は扇形に5方向に広がる建築が特徴的で、随所に囚人を厳重に監視する工夫が施されてあった。それ以外にも様々な展示があり、とても広い施設であった。
この日は途中から雪が降り出した。雪の網走、まさに極寒の地である。ここに収容された囚人はさぞ苦しい思いをしたことだろう。展示にもそのようなことが書いてあった。
網走監獄を後にすると、更にバスに乗り、オホーツク流氷館に行った。
施設はさほど大きくないながら、実物の流氷や水族館のようなエリアもあり、十分楽しめる場所であった。展望台もあったが、生憎の悪天候で遠くはよく見えなかった。
売店でソフトクリームをいただいた。ベンチでのんびり座りながら食べていると、『ゴールデンカムイ』のパネルがあることに気づく。流石北海道である。北海道を代表する漫画として推されているらしかった。
その後、北方民族博物館に向かったのだが、その日は休館日であった。なんと間抜けなことをしてしまったのだろう。後悔しつつ流氷館に戻り、バスで網走駅まで戻った。
その後、流氷が万に一つ見えるかと思って港まで赴いてみたが、残念ながら流氷を拝むことはできなかった。自然現象を観光の短期間のうちに観測するのはなかなかどうして難しい。諦めて網走駅に帰り、そして北見へ帰った。
ところで、北見は焼肉が有名らしいということで焼肉屋に向かった。これがとてつもなく安い店で、確か酒代込みで1000円強くらいであった。ホルモンが売りのお店で、私は大量に盛られたホルモンをひたすら食べていた。
次の日は増毛を目指した。東から西へ一気に移動するのである。その日、北見では-15℃を観測し、湿った髪の毛が凍りつく体験を人生で初めてした。特急に乗り込み、途中、深川でコインランドリーに寄るなどしながら、昼頃に留萌に着く。そこからはバスだ。
バスは海岸線沿いを走り、海が綺麗に見えた。ぼんやり海を眺めていると、増毛に到着。留萌〜増毛間はこの前廃線になったが、増毛駅はまだ残っており、写真がたくさん飾られてあった。
増毛で海鮮丼をいただいた後、酒造へ向かった。酒造では何と無料で試飲をさせてもらえた。それなのに何も買わずに店を出たのを申し訳なく思ったのを覚えている。増毛は古い街並みが残るいい町であった。
旭川に戻った頃には夜だった。旭川ラーメンを食べ、街を散策した。
ジュンク堂があったので立ち寄ってみたりした。その後、少し電車に乗って無人駅で降りた。駅名は覚えていない。ただ、そこの近くにネカフェがあったというだけのことであった。
さて、ここまでで北海道をかなり観光できたと思う。西へ東へ奔走した。早くも東京を出てから一週間が経過していた。残る場所といえば、当然北である。北海道の最北へ向かうのだ。旭川のネカフェで宗谷本線の時刻表を見ていた。次の日はいよいよ稚内である。今回の旅の、一種の最終到達地点であった。
続く。