潮騒、某、暮れ泥み

小説のような旅行記を。鉄道旅を主として全国を旅しています。

八重山旅行

 成田は肌寒かった。こちらは南国に行く準備をしているというのに、成田はそれを許さない。寒さに震えながら足早にネカフェに向かう。朝早くに飛行機が出るので、前日入りをしているのだ。

 ネカフェで温かいものを飲んで寝た。翌日、日の出とともに出発した。京成に乗って成田空港へ。チェックインを済ませ、保安検査場を問題なく通り、待合室に出た。LCCなので手荷物に7kgの制限があるが、それも難なくクリアしていた。そのように準備してきたからだ。

 煙草をふかしていると、あっという間に搭乗の時間がやってきた。送迎バスに揺られて飛行機まで向かい、飛行機に乗り込む。いよいよ待ちに待った3泊4日八重山の旅である。

 飛行機で爆睡してコンディションを整え、小説を読んでいると、飛行機は無事石垣に着陸した。石垣空港には活気があった。人の声で満ち溢れていて、これからの旅への気持ちを高めてくれた。

 しばらくバス待ちがあって、コンセントコーナーで充電したりお土産を見たりした。お土産はまだ買わない。荷物が多くなってしまうのが嫌だったから。お土産は追い追い買うことにしよう。

 バスがやってきて、川平湾に向かう。川平湾は石垣でも随一のビーチである。海を俯瞰して、それからグラスボートに乗るつもりで予約をした。

 川平湾に着いて、とりあえず上から見下ろすと、エメラルドグリーンの湾が広がっていた。その日は干潮で天気も芳しくなく、海の透明度は低いと言われたが、それでも十分綺麗に見えた。本当にこんな色の海があるのかと感動した。

 

 

 グラスボートの乗船手続きをする。しばらくビーチのベンチで待っていると、グラスボートが到着して、乗船。私の他に数グループを乗せ、船は出港した。

 海の底には珊瑚礁と様々な魚たちがいた。「今日は透明度が低いのでこれで乗った気にならないでください」というようなことを言われて、笑いが起こった。それでも私には十分美しく見えた。海を泳ぐ魚たちに愛おしささえ覚えた。

 

 

 あっという間に30分ほど経ち、グラスボートはビーチに帰ってきた。グラスボートを降りると、近くのお店で八重山そばを食べた。太麺が私好みの食感と味付けでとても美味しかった。石垣島の形をした蒲鉾が愛らしかった。

 

 

 その後はひたすらバス待ちである。次のバスまでまだ2時間ほどもあった。途方に暮れた私は、再びビーチに降り立ってみたり、煙草を吸ってみたり、とにかく何とかして暇を潰した。植物の写真も撮った。植物には昏いが、植生が本州と違うことはわかった。特徴的な赤い屋根瓦もカメラに収めた。そうしてようやくやってきたバスに足早に飛び乗った。

 石垣バスターミナルはどことなく殺風景な感じがした。古そうなコンクリートの建物が一つ。多くのバスが停車していたが、人は疎らだった。

 明日に備えて離島バスターミナルの場所を確認して、私は民宿に向かった。石垣には24時間営業のネカフェがない。日頃ネカフェ泊をしている私としては衝撃だったが、ともかく安く泊らねばお金がない。そういうわけで初めての民宿を予約したのだった。

 民宿に通されると、簡単な施設案内の後、ベッドにダイブ。コンセントの位置を確認してモバイルバッテリーの充電を始めた。手持ち無沙汰になったので、夕食にしようと近所の居酒屋に伺った。店内は活気に溢れ、流行っているようだった。

 石垣牛の寿司とイカスミチャーハン、それから泡盛をいただいた。上手な食レポなどできないが、どれも美味しかった。イカスミで歯や舌は真っ黒になった。マスクをしなければならないご時世で助かった。

 

 

 その後は民宿に帰って、誰と喋ることもなく読書をして寝た。フリースペースでは会話が盛り上がっていたが、そこに割って入る勇気はなかった。今思えば、そこに飛び込んでいけば貴重な話が聞けたかもしれないのに、とも思う。結局、この民宿ではほとんど口を開かなかった。

 

 翌朝、私は離島ターミナルに向かった。そこで昼便の波照間行のチケットを買う。目的はもちろん、最南端の碑であった。最北端と最東端には訪れたので、今回の旅では最南端と最西端に行くつもりだった。

 

 

 波照間行の船は無事出港した。揺れは大きかったが、酔い止めを飲んでいたので読書をしても平気だった。1時間ちょっとの航路であった。

 波照間港に着くと、「んぎしたおーりょー」の文字に迎えられた。「ん」から始まる日本語があるのかと驚いたが、八重山の方言は島ごとに異なり多様なので不思議ではなかった。ちなみに石垣島では「おーりとーり」、沖縄本島ではご存知「めんそーれ」という。

 波照間島は見渡す限り何もない島であった。いよいよ本当の離島、本当の田舎に来たかと胸を躍らせた。私はレンタサイクルをした。4時間と書き込むと、600円だった。

 自転車を島一周道路沿いにえっちらおっちら漕いで最南端を目指す。途中、いくつかの標識はあったが、それも頼りなくGoogleマップを見ながら慎重に進んだ。

 そうして私は最南端の碑に到達した。達成感を伴ったいい汗が額を流れていった。びしょびしょに濡れた下着のシャツを脱いで、鞄の中にしまった。波照間ではこんなものは必要なかった。

 

 

 断崖絶壁に打ち付ける荒波を暫く眺めていた。暑い夏の波照間に気持ちいい風が吹いた。風に当たって汗が乾くのを待って、また自転車に跨った。

 その後は島一周道路を北上し、下田原城やコート盛を見た。地味な石垣だけの建造物だったが、見晴らしは素晴らしかった。

 

 

 そして一周すると、ニシ浜に着いた。マリンブルーの海が陽光に煌めいていた。これまた見たことないほど透き通った海で、風に当たりながら暫く目を奪われていた。海水浴をしている観光客が大勢いた。

 

 

 自転車を返却すると、港に向かった。また「んぎしたおーりょー」の文字が気になった。八重山の方言のことを調べながら待っていると、乗船できるようになっていた。これで最南端の旅は終わった。次は、最西端。

 与那国行のフェリーは月一くらいで欠航になるという。この頃から、私は運行状況が気になって何度も何度もウェブサイトを更新していた。欠航する時だけ情報が掲載されるのだ。しかし、結局は何も掲載されなかった。私はフェリーが動くことを確信した。これは僥倖であった。

 波照間航路の船は帰りもよく揺れた。読書をしながら乗っていると、頭が痛くなってきた。船酔いかもしれないし熱中症かもしれない。この日は安静にしようと思って、早めに民宿に戻り、さっと汗を流して、早めに寝ることにした。誰とも会話はしなかった。

 

 さて、次は最西端への旅である。まだ少し頭痛がした。酔い止めを飲んで、フェリーターミナルへ向かう。与那国行のフェリーターミナルは他の島へ行く離島ターミナルとは離れた場所にぽつんとあった。運営会社も違う。何しろ与那国は遠い。約4時間半の航路なのだ。それゆえに特別扱いされているのであろう。場所は前日に確認しておいた。

 朝早くに辿り着き、往復切符を買う。煙草をふかして待っていると、他の乗客が疎らに乗り込んでいくのが見えた。随分と前から乗り込んでいいのだと理解し、私も乗り込む。フェリーには等級もないのに、椅子だけでなく座敷や二段ベッドまで使える贅沢なものだった。

 

 

 航路は長かったので眠って体調を整え、またも読書をして過ごした。何せ離島旅は暇である。暇潰しに読む本くらいは持っておいた方がいい。

 そうこうしているうちに与那国に着いた。早く最西端の碑を見に行きたかったが、先に民宿に向かうことにした。バス待ちの間、観光客のおじいさんに話しかけられた。とりとめもない話をしていると暇も潰れた。余談だが、与那国のバスは無料で乗れる。これはすごくありがたいことだと思った。

 民宿に着くと、オーナーはいなかった。電話で呼び出すと、程なく来てくれて、簡単に施設の案内をしてくれた。二段ベッドの上の方で暫し休んでから、出直した。いよいよ最西端の碑に向かうのである。

 最西端の碑は西崎の断崖絶壁の上にあった。久部良港から歩いていくと、急な上り坂の連続で、なかなか堪えた。西崎に着くと、突風に襲われた。もう夏に近い沖縄にいるはずなのに、寒さを感じた。

 最西端の碑はそこにこじんまりと鎮座していた。私は日本の最果てを東西南北制覇したことに感激していた。これでようやく旅人を名乗れる、とかそんなことを思った。チュートリアルが終わって、真の旅人になった気がしたのだ。

 

 

 突風に吹かれながら、海を眺めていた。この旅で何度も眺めた海。それでもこの瞬間は特別だった気がした。

 

 

 本当はここから沈む夕日を見たかったが、生憎の曇りだった。後から聞いた話だが、与那国が晴れることは滅多にないという。残念だったが、仕方ない。私はまたあの長い坂道を下っていった。

 バス待ちをしていると雨が降り出した。今思うと、雨は数十分で止んだので、熱帯特有のスコールだったのかもしれない。風で傘が折れそうだった。

 民宿に戻って煙草を吸っていると、お姉さんに話しかけられた。そこから民宿の旅人の会話の輪に入れてもらい、この日は旅人同士たくさん語らいあった。各々が色々な目的を持って与那国に来ていた。与那国名物の花酒を飲み、酒のあてをつまみながら、貴重な話をいっぱい聞くことができた。流石に強者の旅人が多く、皆個性的で、楽しい夜になった。普段はネカフェ泊で寡黙な私だが、たまにはこんな夜も悪くない。

 次の日はまた朝早く出発した。名残惜しそうに民宿の旅人に見送られた。バスに乗って久部良港に着く。ああ、旅が終わってしまう。そんな一抹の寂しさを抱きながら、フェリーに乗り込んだ。

 

 ところで、石垣にもう一ヶ所行き残しがあった。石垣島鍾乳洞である。フェリーが石垣のフェリーターミナルに着くと、バスターミナルから鍾乳洞へ向かった。鍾乳洞は郊外の田園地帯の中にぽつんとあった。ネットで予約していたチケットを見せて、中に入る。

 

 

 鍾乳洞の中は涼しいのかと思ったが、意外と蒸し暑かった。上着を着たまま入ると、少し暑苦しくなった。しかし、そんなことを忘れさせるくらい、鍾乳洞は美しかった。自然の作り出す何とも不思議な空間に私は感嘆した。

 

 

 鍾乳洞を出ると、お土産を買った。そろそろ買っても荷物の嵩張りが気にならないだろう。脱いだ上着とお土産を鞄に詰め、バス停まで歩いた。

 これで八重山の旅は終わりである。私は石垣空港に向かった。空港でもお土産を購入した。そして飛行機に搭乗する。

 飛行機は定刻より少し遅れて出発した。窓から見える石垣島のビーチが綺麗だった。しかし、あっという間に雲に覆われ、島は見えなくなった。飛行機が雲の上に出ると、暮れ泥む西日が差した。

 成田に着くと、やっぱり少し肌寒かった。もうここは南国じゃない。遠く八重山を懐かしみながら、京成に乗り込んだ。