昨今、「夜」がつくアーティストが流行っている。ヨルシカ、ずとまよ、YOASOBI……。今回はそんな「夜」がつくアーティストの曲を通してメンヘラの気持ちを綴っていこうと思う。以前書いた記事も参考にしてほしい。
目次
三者の違い
よく「似ているから違いがわからない」と言われる三者。でもどれもよく聞く自分からすると全然違う。それぞれに主題やモチーフが違うからである。音楽のことはよくわからないので、歌詞の観点から違いを述べる。
ヨルシカ
ヨルシカの歌詞は全体的に鬱っぽい。それから夏がよく登場する。この辺は「感傷マゾ」の概念を想起させる。どこか遠くへ行きたいけど行けないもどかしさが歌われていると思う。
ずっと真夜中でいいのに。
ずとまよの歌詞は愛が重いという意味でメンヘラっぽい。また、科学的なモチーフがよく登場する。無機質なものにたとえることで機械的に漫然と生きている様を表していると思う。
YOASOBI
YOASOBIは正直メンヘラ感は薄い。もうちょっと王道寄りのポップスである。しかし、その中で一番のヒット曲の「夜に駆ける」がメンヘラっぽいゆえにメンヘラっぽく感じられることもあるのだろうと思う。
楽曲
だから僕は音楽を辞めた/ヨルシカ
「将来何してるだろうって
大人になったらわかったよ
何もしてないさ」
の部分が刺さる。そう、大人になっても何もせずにいる自分がいる。何かを成し遂げたわけでもなく、ただ呆然と生きている自分が。
「僕だって信念があった
今じゃ塵みたいな想いだ
何度でも君を書いた
売れることこそがどうでもよかったんだ」
昔は信念があったかもしれないのに、それももう忘れてしまった。今は何もせずぼうっとしている自分だけがいる。精神を病んでいる。それはもう修復できないほどに。
藍二乗/ヨルシカ
「人生は妥協の連続なんだ
そんなこと疾うにわかってたんだ」
人生は妥協の連続である。妥協して、妥協して、残るものは何もない。悲しいけれど、そういうふうにできている。妥協せずに生きていけるほど強くなかったのだ。
「人生の価値は、終わり方だろうから」
人生の終わり方を自分で決められたらどんなにいいだろう。そんなことを常日頃思う。私は死に場所を探している。死ねない自分を呪う。
爆弾魔/ヨルシカ
「死んだ眼で爆弾片手に口を開く
さよならだ人類、みんな吹き飛んじまえ」
本当にその通りだと思う。人類も地球も全部吹き飛んでしまえばいいのに。跡形もなくなって、世界がなくなってしまえばいいのに。そうすればこの苦しみからも解放されるのに。
「今日も出来ませんでした
今日もやれませんでした」
今日も何もできずにいる自分がいる。そう、本当に何もしていない。人生に意味を見出せない。生産的なことが何もできない。こんな人生に意味はあるのだろうか?
レプリカント/ヨルシカ
「あんたの価値観なんて偽物だ
思い出だって偽物だ
心は脳の信号なんだから
愛も皆レプリカだ」
心は脳の信号である。だからすべては物理法則に従った電気信号の集合体でしかなく、そこに意味なんてない。
「人を呪う歌が描きたい
それで誰かを殺せればいいぜ
夏の匂いに胸が詰まっていた」
私の文章も誰かを殺すだろうか。私は人を呪って生きてきた。全部吹き飛べばいいのにと思って生きてきた。刺し違えたい相手もいる。本当は私の心が殺されたのかもしれない。
詩書きとコーヒー/ヨルシカ
「幸せの色は準透明
なら見えない方が良かった
何も出来ないのに今日が終わる」
ああ、今日が終わる。何もできないまま。そうやって鬱病の一日は過ぎていく。これを読んでいる読者はどうだろうか。生産的な一日を送っているだろうか。
「わかんないよ わかんないよ
わかんないよ わかんないよ
わかんないね
人は歩けるんだとか
それが当たり前だとかわかんないさ
わかんないよ」
もう何もわからない。人は歩けるんだろうか。私にはもう歩く元気がない。家でじっと、何もせず、一日が終わるのを待っている。そして今日も思う。ああ、何もできなかったな、と。
冬眠/ヨルシカ
「神様なんていないから
夢は叶うなんて嘘だから
仕事も学校も全部辞めにしよう」
そうだ、全部やめにしよう。やめてしまえばいいんだ。自暴自棄だろうか。それでもいい。全部やめてしまいたい。もう疲れた。もう頑張れない。だから全部やめにしよう。それがいい。
秒針を噛む/ずっと真夜中でいいのに。
「このまま奪って 隠して 忘れたい
分かり合う◯1つもなくても
会って『ごめん。』って返さないでね
形のない言葉はいらないから」
「『僕っているのかな?』
本当はわかってるんだ
見放されても信じてしまうよ」
見放されても相手を追いかけてしまう主人公。メンヘラは愛が重く、愛想を尽かされやすい。それを的確に捉えた表現だと思う。また、恋愛絡みじゃなくとも「僕っているのかな?」という問いは私に付き纏う。私はこの世界に、誰かに必要とされているんだろうか。きっと必要とされていないけど、必要とされていると信じたくなってしまう。
脳裏上のクラッカー/ずっと真夜中でいいのに。
「なりたい自分となれない自分
どうせどうせが安心をくれたような」
理想像に追いつけない自分。私も理想像が遥か遠くにあって、永久に追いつける気がしない。それが歯痒く、もどかしい。
「なんで? 隣にいなくても
いいよ いいよ いいよ いいよ
って言わせないでよ」
本当は隣にいてほしいのに隣にいてくれない。愛の重さが伝わってくる。これもメンヘラの空回りなのかなと想像する。愛の重さを受け止めてくれる人はなかなか現れないものである。私の愛も、受け止めてくれる人がおらず迷子である。
Dear My 「F」/ずっと真夜中でいいのに。
「きみ無しじゃ生きていけないって
依存しそう で厄介さ」
ずとまよの歌詞の引用は難しいが、ここは明らかにメンヘラポイントである。「きみ」に依存しそうなほど愛している愛の重さがメンヘラを感じさせる。
「あぁ、なんかわからなくなりました
自分って誰 あれ 何故なれないの」
自分という存在がよくわからなくなる時も多い。人を愛するという過程の中でもそういうことはあるだろう。私も自分がわからない。何ができるのか、誰が好きなのか……。歌詞を通して陰鬱さが感じられる。
サターン/ずっと真夜中でいいのに。
「私といるより楽しまないで
心に傷を負った君がいい」
はメンヘラらしさが非常によく表れている。嫉妬心が表出しており、共依存になりそうな関係性も予感させる。
「言わなきゃ でもやっぱやだ
それじゃ何も始まらないのだから
言わなきゃ なんかこのまま
気づかないふりしないっこでいいのかな」
自然消滅しそうな関係性を繋ぎ止めようとする必死さが伝わってくる。得てして関係性は自然消滅する。それが怖くて、何としても繋ぎ止めようとする気持ちは痛いほどわかる。それでも躊躇ってしまうところまで。だから遠くの惑星「サターン」なのだ。
夜に駆ける/YOASOBI
これは心中を歌った曲である。
「変わらない日々に泣いていた僕を
君は優しく終わりへと誘う」
の部分で心中が暗示され
「二人今、夜に駆け出していく」
で飛び降りてしまう。しかしこの曲は心中、自殺を決してネガティブに捉えてはいない。むしろポジティブに死を捉え、心中によって永遠の愛が歌われているように思われるのである。私も誰か愛し合える人と心中したい。それは決してネガティブな選択ではなく、ポジティブなこの世への別れであろう。
もしも命が描けたら/YOASOBI
この曲のストーリーは複雑だが、「君」が死んで自殺しようとしていた「僕」が月から「自分の命を削って絵に描いたものに命を分け与える力」を貰い、「あなた」の彼氏にそれを使って死んでいくという構成になっている。
「恋に落ちた
愛を知った
幸せだと思えたのに
どうして大切ばものばかりが消えていく
この世界とさよならしよう」
と自殺を決意するが、前述のようにストーリーが進み、最後は
「そしてひとり
あなたのこと母のこと
君のこと想い目を瞑った
長い長い旅の終わり
やっとまた会えたね」
と締められる。寿命を全うして「君」に会いにいくところでストーリーは終わる。命の価値について考えさせられる名作だと思う。
以上、三者三様の「夜」の世界を覗けたと思う。興味を持ったら他の曲も色々聞いてみてほしい。きっと新たな発見があることであろう。
また、今回は「夜」をテーマにしたが、他にもメンヘラソングはたくさんある。是非お気に入りのメンヘラソングを見つけていただければ幸いである。