潮騒、某、暮れ泥み

小説のような旅行記を。鉄道旅を主として全国を旅しています。

沖縄本島旅行

 梅雨が明けた。蒸し暑い中を、日焼け対策の長袖長ズボンで羽田へと向かう。京急の車内は涼しい。羽田に着くと、いよいよ旅の始まりだ。

 那覇空港に着いた頃には、日もとっぷりくれた夜。一番安い飛行機が夜便だったので、この日は前日入りのようなものだ。ゆいレールに乗り、ネカフェへと向かう。日本全国どこに行っても変わらないネカフェは身体に馴染んで落ち着く。その日は何もせずそのまま眠りに就いた。

 

 

 次の日から本格的な観光の始まりである。那覇バスターミナルまで歩くだけで汗をかく。ところで、私は運転免許を持っているが、ペーパードライバーだし、沖縄のレンタカーは供給が足りず逼迫しているという。那覇バスターミナルに着くと、バスの3日間周遊パスのゆいレールプラスを買った。5500円也。3日間沖縄本島のほとんどのバスが乗り放題になる上に、1日分のゆいレール乗り放題券が付くたいへんお得な切符である。これからの旅ではこの周遊パスを運転手に見せ続けることになる。

 初めに向かうのは何と言っても美ら海水族館であろうと息巻いていたが、バスで寝過ごし乗換を失敗し、終点の名護バスターミナルまで……。計画を変更して、今帰仁城から行くことにした。

 ここでこの旅の趣旨を書いておくと、それは世界遺産琉球王国のグスク及び関連遺産群」を全部回ることである。今帰仁城はその一ヶ所目となる。ここは三山時代に北山の拠点であったグスクで、規模も大きく、観光客もそこそこいた。暑い中ご苦労なことである。石門を潜り、階段を上っていくと、見晴らしのいい一の郭に出る。壮大な石垣と建物の遺構が残されたグスクからは、遠くに海を臨めた。沖縄では少し小高いところに出ると大体海が見える(後述する識名園を除く)。

 

 

 今帰仁城を後にすると、いよいよ沖縄一の観光地と言ってもいいであろう美ら海水族館に向かう。隣町なのでバスに乗れば少しの距離だ。事前調査が足りず知らなかったのだが、美ら海水族館の周りは海洋博公園として整備されており、思ったよりも広い。結果から書けば、全部は回りきれなかった。

 

 

 ここについては詳しく語るまでもないであろう。巨大なジンベイザメの泳ぐ水槽を初めとして、様々な生き物が展示されており、我々を楽しませてくれる。個人的にはサメに関する展示が興味深かったのを覚えている。本館の他にマナフィ館などもあるが時間切れで行けなかったのだけが心残りだ。

 

 

 この日は更にもう一ヶ所、恩納村にある万座毛に行った。断崖絶壁が象の鼻のような形をしており、自然の神秘を感じられる。ちょうど日の入り頃に行けて時間的にもちょうどよかったと思う。非常に短い滞在だったが、ここもいい景観であった。

 

 

 これで2日目の観光は終わり、ネカフェへ。元々沖縄本島のかなり北部まで来ていたことと、次の日の行程を考慮して、この日はコザに泊まった。美味しい沖縄そばを探してコザ周辺を少しうろついたが、時間が遅いこともありありつけず。結局、コンビニでお酒と沖縄そばを買ってネカフェに入った。

 

 3日目は最も疲れる一日となった。コザを朝早くに出発し、まず向かったのは座喜味城。座喜味城は築城名人としても名高い護佐丸の手によるもの。入場料がなく自由に開放されているのがありがたい。24時間開放されているグスクに入城すると、小規模だが立派な石垣の郭が待っている。ここも見晴らしがよく、読谷村の海が一望できる。他に、入館料のいる資料館があったが、その日は定休日であった。残念。

 

 

 次に向かったのは勝連城……のはずが寝過ごして屋慶名バスターミナルまで……。気を取り直して折り返し、勝連城に到着。城の入口の手前でバスが停まってくれるのが後述する中城城などと比べてありがたいが、入場券は少し離れたあまわりパークで購入しなければならない。そこの資料館とのセットで入場券を購入することになる。

 

 

 勝連城は護佐丸・阿麻和利の乱で知られる阿麻和利の居城であった。阿麻和利は琉球王府を脅かす反抗勢力であり、歴史的に悪役とされてきたが、うるま市は彼の英雄的な側面も紹介しようとしている。

 あまわりパークを出ると、4人くらい乗れる小さな車が待機しており、グスクの石垣までの急勾配を上って連れて行ってくれたのがありがたかった。窓も扉もないので風が気持ちいい。勝連城は立派な石垣をしており、眺望も抜群。阿麻和利の勢力の大きさを窺わせる。

 

 

 そしてお次は中城城へ。しかし、これがまあ大変であった。世界遺産だというのに、バス停はグスクから遠く、30分くらいの山登りを強いられた。これには堪えた。

 汗だくになりながら必死で坂を登りきって平地になると、ようやく中城城の看板が。ほっとして入場券を購入する。そこから城まで更に少し坂があるが、そこは勝連城にもあったような車で送ってくれた。しかしそれなら山の麓から送ってほしいものだ。

 中城城は護佐丸の居城として知られ、勝連城と同様に規模が大きい。立派な城郭と美しい眺望はもう見慣れたものになっていたが、やはり似て非なるものである。違いを楽しみながらグスク観光を終えて山を下った。

 

 

 

 この日は既にくたくたになっていたが、もう一ヶ所行きたいところがあった。これは空港に貼ってあった広告を見て急遽どこか旅程の中に組み込めないか悩んだ場所だった。DMMかりゆし水族館である。

 那覇バスターミナルに戻ると、煙草で一服して、次のバスに乗った。終点まで乗ると、豊見城市の臨港地帯にあるイーアス豊崎に着く。その中に水族館はあった。

 

 

 水族館の入館料は高く、施設自体も広くないが、映像や音とリンクした新感覚の水族館が待っていた。爬虫類などの展示もあり、普通の水族館とは違うことが入った瞬間にわかる。熱帯魚の展示も煌びやかで、見る者を魅了する。雰囲気作りが見事で、それだけで来た甲斐があったと思った。

 

 

 

 水族館を出ると、バスまで少し時間があったので、海岸の方まで歩いていった。日もとっぷりくれた夜の海は人っ子一人おらず寂しげだった。でもそれが心地よく、しばらく感傷に浸っていた。

 やがてバスが来て、豊見城を後にする。ネカフェの最寄りのバス停に戻ってくると、ネカフェまでの道を歩いた。この日は本当に疲れた。さっさとシャワーを浴びて、眠りに就いた。

 

 4日目は南部を攻略することにした。那覇バスターミナルまで歩き、斎場御嶽行のバスに乗る。途中で奥武山公園の沖宮に寄った。

 

 

 斎場御嶽前のバス停に着くと、チケット売場があり、購入。土産物屋があったので入ってみた。ここ斎場御嶽のある南城市は、アニメ『白い砂のアクアトープ』の聖地だ。だからそのグッズやパネルも合わせて置いてあった。誘惑に負けて私はそのグッズを買ってしまった。ちなみに私は風花が好きだ。

 

 

 土産物屋を出ると、わかりにくい道を辿って世界遺産斎場御嶽を目指した。中は森のようになっていて、そこに参道が架けられている。一番有名な三角形の隙間の空いた岩の前にも、拝所や見晴らしのいい場所がある。ニライカナイに通じるとされる久高島への遥拝所もあった。そして斎場御嶽の最奥に着いた。岩は見事で、パワースポットといった趣だ。三角形の空洞のある岩の奥には、本来なら入れるようだが、この時は入れなくなっていた。残念。それでも満足感を覚えながら帰路に就いた。

 

 

 

 斎場御嶽を出ると、次はおきなわワールドを目指した。鍾乳洞である玉泉洞を始めとして、沖縄に纏わる様々な施設や催し物がある。まずは玉泉洞に入ったが、中は涼しく、一年中その気温が保たれるそうだ。鍾乳洞は見事で、規模も大きく、魅了された。

 

  

 

 

 その他には、沖縄の伝統的な街並みを再現したようなエリアや、南国のフルーツなどを栽培しているエリア、それから沖縄特有のハブに関する展示などがあった。どれも興味深く、楽しく見て回ることができた。また、沖縄の伝統的な街並みを再現したエリアの一角では創作エイサーが催されており、それもたいへん見応えがあった。太鼓の音に合わせて踊る様が勇ましかった。

 

 

 

 

 この日最後に向かったのはひめゆりの塔だ。沖縄ではあちらこちらで沖縄戦の苦い記憶が保存されている。その中でも代表的なひめゆりの塔に一度は行ってちゃんと勉強してみたかった。

 ひめゆりの塔は塔というより慰霊碑だった。犠牲者の名前が書き連ねられ、献花がしてあった。近くの資料館に立ち寄ると、そこには大量の千羽鶴が飾られてあった。

 

 

 

 資料館の中に入ると、沖縄戦の凄惨な事実に言葉を呑んだ。写真撮影は禁止だったので写真はないが、沖縄戦の歴史や、生き残った方々の証言に息が詰まる。犠牲者は全員が展示されており、当時の作文のようなものも置いてあった。改めて戦争の悲惨さを痛感するいい機会となった。

 

 

 ひめゆりの塔を後にすると、今日の旅程は終わりなので、那覇バスターミナルに戻る。そこでふと、まだ沖縄料理をちゃんと食べていないことに気付いた。まだ早い時間だったので、適当に沖縄料理の居酒屋に入る。泡盛といくつかの沖縄料理を注文して、3000円ほど。そこで食べた島らっきょうとラフテーは忘れられない味になった。

 

 最終日、寝坊した。それはともかく、バスの3日券は切れていたので、もう自由にバスには乗れない。その代わり、この日はゆいレールプラスを使ってゆいレールが乗り放題だ。まずは首里城に向かう。那覇観光が最後になってしまった形だ。

 首里城は雨だった。傘を差しながら一つ一つの城門を潜っていく。立派な朱色の城門だった。とりわけ守礼門2000円札の絵にもなったことがあるほど著名で、写真撮影している観光客も多かった。余談だが、沖縄のATMでお金を下ろすと2000円札が出てきて驚いた。

 

 

 

 肝心の中心部である御庭には、城がない。以前焼失してしまったのは記憶に新しい者も多かろう。工事中という趣でグレーのシートや組まれた足場があり、小さな土産物屋だけが営業している状態だった。せっかくなのでマグネットを購入した。少しでも修繕費に当ててくれれば嬉しいが、どうだろうか。

 首里城の近くには、他の世界遺産として園比屋武御嶽石門と玉陵もある。それらにも立ち寄った。園比屋武御嶽石門は本当にただの石門で、玉陵はある程度広い空間に立派な石垣と建造物がある。しかし、それらに見向きする人は少なかった。

 

 

 

 玉陵を出ると、牧志に向かった。国際通りを県庁前側から行ったことは以前にあるのだが、牧志側から行ったことはなかったからだ。そこで沖縄一安いというソーキそばをいただいた。味変のコーレーグス島とうがらし泡盛に漬けたもの)も美味しかった。その後は第一牧志公設市場を見学し、イラブチャーなる青々とした魚が売られているのを見たりした。

 

 

 

 そして、那覇新都心であるおもろまちにも寄ってみた。おもろそうだから、というのは冗談で、おもろさうしから取られた名前だ。そこそこ発展していた。

 

 

 その後は識名園に向かった。識名園は立地が悪く、バスを使わざるを得ない。しかし、その時のバスの運転手の応対が悪かったので、二度とバスに乗るかと誓って帰りは首里駅まで必死に歩いた。

 識名園はそれほど広くないものの立派な庭園である。池泉回遊式庭園で、池も見事だし、御殿なども立派であった。また、識名園は中国からの冊封使琉球王国を広く見せるため、海が見えないようにできている。沖縄ではちょっと小高いところに行くとすぐ海が見えるが、識名園はそれが見えず山と街しか見えないのだから、やはり意味のある立地選びなのだ。

 

 

 

 えっちらおっちら首里駅まで歩くと、もういい時間になっていた。本当はてだこ浦西まで乗ってゆいレールを完乗し、浦添ようどれなどを見たいと思っていたが、寝坊したせいでそれは叶わなかった。それが少し心残りではあったが、沖縄旅行は十分楽しめた。世界遺産も制覇した。私は満ち足りた気分で那覇空港へ向かった。

 帰りの飛行機は行きと違って成田に着く。航空会社が違うのだ。成田までのフライトを待つ間、さんぴん茶を買った。やはり沖縄の味といえばこれである。やがて搭乗案内がなされ、私は飛行機に乗り込んだ。さらば、沖縄。

 

 成田に着いても蒸し暑さは続いた。各停しか来ない京成にやや苛立ちつつも、京成の車両に乗り込む。西船橋で乗換をして、東京メトロに乗った。沖縄気分はまだ抜けないまま、私はさんぴん茶を呷った。