潮風に導かれ…… 〜くろえの旅行記〜

小説のような旅行記を。

知床旅行

 知床。それは日本の一つの果てと言っていいだろう。複雑な食物連鎖が維持され、ダイナミックな自然の運動を見ることができる最果ての秘境である。2005年に世界自然遺産に登録された。そんな魅力的な場所に行かない手はないだろう。上野駅から遠く北海道を想った。

 なお、知床が登場するのはこの記事の後半だ。それを期待して閲覧してくれた読者は前半を読み飛ばしていただいても構わない。今回の旅の主役はあくまで知床なのだから。

「ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく」という詩がある。これは岩手出身の石川啄木が東北方面からの東京の玄関口である上野駅で東北の方言を聞いて郷愁に浸っている詩とされる。だが、今や上野駅で東北の言葉を聞くこともない。それならば、聞きに行くまでだ。

 北海道&東日本パスを使い、宇都宮線に乗って宇都宮まで行き、黒磯行に乗り換える。更に黒磯から新白河へ。そして一駅進んで白河駅に辿り着いた。

 

 

 白河駅は風情のある駅舎だった。そこから左へ行ったところにこみね・ふれあい通りという地下道がある。ここを潜れば白河小峰城は目の前だ。それ以前に駅のホームから見えると言ってしまえばそれまでだが。

 城山公園に入り、白河小峰城の三重櫓を目指す。平山城なので、多少の階段を上らねばならない。それを上っていくと、立派な櫓門と三重櫓(実質的な天守)がある。東日本には三重櫓などが実質的な天守の役割を果たしていた例が多いらしい。

 

 

 三重櫓は正方形を成しており、上の階に行くごとに狭くなっていく。最上階は狭く、展望台もないのでいい景色を写真に収めることも難しかった。だが、白河小峰城は木造建築で、後に木造で天守を復元する運動の先駆けとなった重要な建築物だ。戊辰戦争の弾痕が残る柱や急勾配の階段などはより忠実に復元しようとした思いの強さを感じ取れる。

 城を後にすると、本丸の石垣の周りを一周した。東日本大震災で崩落した石垣の修復工事の様子が展示されていた。白河市は内陸にあるので津波の影響はないだろうが、それでも震災の衝撃は大きかったであろう。無事復元された姿を見ることができたのは僥倖だった。

 

 

 その後は小峰城歴史館に向かった。歴史などの展示は城郭内にはあまりなく、主にここで行っているようだ。特別企画展では、松平定信渋沢栄一に纏わる展示がされてあった。松平定信白河小峰城と関わりが深く、渋沢栄一は彼を尊敬していたようだった。

 

 

 歴史館を見終わると、駅前に戻った。煙草を吹かしていると、次の郡山行の車両の発車時刻が迫ってきた。それに乗って郡山に着くと、間もなく福島行の発車となる。それで終点の福島まで乗っていった。

 

 

 福島駅に着くと、街は多くの人で賑わっていた。その中を抜けて、福島名物らしい餃子を頂く。餃子と言えば宇都宮と浜松が有名だが、福島もそれなりに名が通っているらしい。せっかくなので名物の円盤餃子を食べたかったが、少食なので半皿にした。

 

 

 餃子は皮がパリッとしていて美味しかった。あっという間に平らげると、会計を済ませ、店を出る。次は福島の街中を散歩しようと適当に歩き出した。閉店した百貨店である中合(再開発計画はある)を初めとして、様々な店舗が軒を連ねる。その中を進んでいくと、福島稲荷神社に辿り着いた。

 

 

 福島稲荷神社も歴史の古い神社らしく、檜の鳥居が目を引いた。願いを込めて参拝し、周辺を散策する。絵馬には色んな願いが込められていた。私はそんな絵馬を読むのが好きだ。

 稲荷神社を後にして引き返すと、文化通りなる小洒落た通りに入った。そこを進んで真っ直ぐ駅へ戻る。中心市街地のある東口から西口へと連絡通路を通り抜けて、西口のバスターミナルに来た。次の車両はここから発車する。

 

 

 福島駅では在来線と新幹線を繋ぐアプローチを建設するための工事が行われており、その影響で3月頃から福島〜庭坂間が日中代行バスになっている。西口バスターミナルに来ると、奥羽本線代行バスの札を掲げた駅員が立っていたので、乗るべきバスはすぐにわかった。代行バスに乗り込むと、間もなく発車し、庭坂駅に向かっていった。

 庭坂駅までは本来の鉄道による所要時間よりもかなり長い時間をかけて到着した。庭坂駅も風情のある駅舎だった。ここからは普通に列車に乗る。米沢行の車両が待ち構えていた。

 米沢に着くと、少しお土産を物色して、結局何も買わずに山形行に乗る。その時にふと思いついたことだが、JR乗り潰しの一環として左沢線に乗ろうと思い立った。「左沢」と書いて「あてらざわ」と読む。まさに難読地名だ。

 

 

 山形駅に着くと、すぐに左沢線左沢行に乗り込んだ。車両は部活帰りか予備校帰りかの高校生たちを多く乗せて左沢に向かう。左沢に着くと、駅名標や駅舎の写真だけをさっと撮って、引き返すためにまたすぐに車両に乗り込んだ。

 

 

 

 山形駅に戻ってきて、旅の続きだ。奥羽本線に復帰して、新庄行に乗る。これもまた高校生の群れを積んで走った。新庄に着く頃にはそんな彼ら彼女らもいなくなり、私は一人その次の秋田行に乗る。

 この日は秋田駅までは行かない。横手駅で下車する。なぜ横手か。それはネカフェが駅近だからの一点に尽きる。ネカフェで宿泊代を浮かしている私にとって、横手はとてもありがたい街なのだ。夜も更けてきた頃、横手駅から少し歩いて、この日の宿泊地に辿り着いた。まだ北海道は遠い。この日はここで眠りに就いた。

 

 2日目、横手を朝早くに発つと、秋田駅に向かった。秋田に着くと、駅前の目抜き通りを歩いていく。西武百貨店の横を通って更に進むと青々とした蓮が浮かんでいる堀が見えた。千秋公園だ。

 

 

 千秋公園の中に入って、平山城の緩い坂道を上っていくと、久保田城の二の丸に着く。そこから階段を上り、表門を通って本丸に入った。本丸には本丸御殿の礎石などが残るだけで、天守はない。天守はそもそも元々なかったそうだ。更に、石垣もほとんどないという珍しい城だ。

 

 

 本丸から更に奥へ進むと、御隅櫓に辿り着いた。御隅櫓は4階建の建物で、天守ではないものの立派な出立ちだ。遠足か何かだろうか、小学生の集団がいた。

 

 

 御隅櫓の中には久保田城に関する展示があった。それを100円で見られるのだからありがたい。歴史が書かれたパネルやジオラマなど、通常天守内によく置いてあるようなものが置いてあった。最上階の展望台からは秋田市内や男鹿半島日本海までを見渡すことができた。

 

 

 城を去ると、もう少し千秋公園を散策した。噴水の綺麗な池などがあった。春には桜も咲き乱れるという。またそんな季節に来てみたいものである。

 

 

 秋田駅に戻ると、奥羽本線を引き返して大曲へ。大曲で田沢湖線に乗り換える。角館行が待ち構えていた。それに乗って今度は角館へ。

 

 

 角館は「みちのくの小京都」と呼ばれ、武家屋敷が多く残る全国的にも珍しい場所だ。そのうちの何軒かは見学することもできる。そして、今なおそこに居住している人もいるというのだから驚きだ。食事処なども軒を連ね、生きた武家屋敷通りを形成している。

 

 

 駅から少し歩いて郵便局のところを右折すると、武家屋敷通りに入った。これには圧倒された。漆黒の垣がどこまでも伸び、伝統的な武家屋敷がいくつも並んでいた。まずは武家屋敷通りを端から端まで歩いてみた。そしてコンビニ前で煙草を吸いながら昼食を取る場所を探した。

 結局、悩んだ末に比内地鶏の親子丼を食べにいくことにした。店舗は武家屋敷通りの中にある。店内は賑わっていた。私は比内地鶏の親子丼をオーダーした。

 しばらくして、親子丼と、お吸い物やいぶりがっこなどがセットになった定食が届いた。親子丼は絶品だった。比内地鶏は柔らかく、半熟の卵も甘くて美味しかった。いぶりがっこは初めて食べたが、こちらも美味しい漬物だった。最後にデザートの梨を食べた。

 

 

 店を出ると、各武家屋敷に入っていくことにした。規模も様々、入館料も取るところと取らないところがある。とりわけ河原田家、青柳家、石黒家は規模が大きく、入館料が必要だった。この武家屋敷の維持に繋がるだろうと考えてそれを払った。

 

 

 一番規模の大きい青柳家は展示も豊富で、武器や生活用品、祭りの山車、人形、蓄音機や写真機や時計に至るまで実に多様な展示品があった。敷地も広大で、これが一つの邸宅とは信じ難い広さだった。

 

 

 それに次ぐ規模の石黒家は、敷地面積は青柳家ほどではないものの格式としては一番高い邸宅のようだった。欄間が美しく、囲炉裏もそのまま残されていた。ここには今も人が住んでいるということで、主屋は公開していないようだった。久保田城の縄張り図なども置いてあった。

 

 

 見学できる家を大体見終わると、角館駅に戻った。角館には長く滞在することになったので、何かお土産が欲しいと思って駅前で購入した。私は角館をたいへん気に入った。桜の季節や紅葉の季節、雪の季節に来てもきっとそれぞれに美しい顔を見せるのだろうと思った。みちのくの小京都に私は魅力された。

 そうしているうちに盛岡行がやってきた。これは角館(というか大曲)から盛岡まで行く終電だ。この日は新青森の近くのネカフェまで行かねばならなかった。田沢湖線盛岡行に乗り込むと、ほっと一息。何とか無事観光を終えることができた。

 

 

 その後は新青森までひたすら列車に揺られ続ける。盛岡駅に着くと、一旦外に出てIGRいわて銀河鉄道花輪線用の改札に乗り換えることになる。ちなみに盛岡駅には啄木の自筆による「もりおか」の文字や歌碑もある。

 

 

 IGRに乗って、そのまま目時で青い森鉄道に乗り入れる。八戸で降りると、更に青い森鉄道に乗って青森へ。青森駅でしばらく待って、奥羽本線弘前行に乗る。ここまで来れば新青森までは一駅だ。

 新青森駅北海道新幹線が乗り入れ、JR北海道最南端の駅となっている。まだ北海道の外ではあるが、ここまで来ると北海道が近いことを感じられる。だが、今回は新幹線で北海道に行くわけではない。次の日に八戸に戻ることになる。それが3日目の旅程だ。

 新青森のネカフェに着く頃には日付が変わっていた。だからさっさと寝ることにする。次の日の朝は少しゆっくりだ。お陰でぐっすり眠ることができた。

 

 3日目の朝はゆっくり朝食を摂り、ネカフェの近くのバス停に向かった。三内丸山遺跡に行くのだ。バス停についてしばらく経つと、三内丸山遺跡前行のバスがやってきた。

 三内丸山遺跡に開館より少し早く到着。既に開館を待っている人たちが何組かいた。手頃なベンチがあったのでそこに座ってゲームでもして暇を潰した。そうしているうちに開館時間がやってきて、遺跡の中に入った。

 三内丸山遺跡は日本史の教科書にも載っている通り縄文時代の巨大集落跡である。2021年に「北海道・北東北の縄文遺跡群」の構成遺産の一つとして世界文化遺産に登録された。それがどのくらい観光客を呼び込んでいるかわからないが、人はそれなりにいた。

 遺跡内は復元された縄文時代の竪穴式住居や掘立柱建物、墓地、ゴミ捨て場などが点在している。住居の中には地元の小学生が作ったものもあるようだ。どうやって技術のないであろう子供がこんな立派な住居を作ったのだろうか。

 

 

 

 墓地は大人と子供で分けられ、大人は道の両脇に並べて埋葬し、子供は土器の中に入れて置いておくようだ。中には現代の建物で覆われ、湿度管理がなされている場所もあった。石器や土器などが捨てられ積み上がった盛り土もあった。一番大きな掘立柱建物の屋根や大型竪穴建物の用途はまだわかっていないらしい。これからも発掘調査は続くのだろう。

 

 

 

 遺跡を粗方見終わると、次はさんまるミュージアム(常設展示)を見に行く。そこには膨大な土器や石器、土偶、動物の骨などが展示されていた。実物大に作られた縄文人の人形も点在している。そこでは土器の模様の変遷や、北海道・北東北の交易ネットワークなどを窺い知ることができた。

 

 

 特別展は見る時間がなかった。最後に出口の土産物屋でお土産を買い、バス停に戻る。ここからは少し急いで旅程をこなさなければならない。まずは青森駅に戻った。

 そこから次の青い森鉄道八戸行が来るまでに「味の札幌」で青森名物の味噌カレー牛乳ラーメンを食べに行くことにした。これは時間がギリギリで、何とか間に合いそうな時間に着丼すると急いでラーメンを啜った。本当はもう少しゆっくり味わいたかったけど、本当に時間がなかったのだ。それでも味噌カレー牛乳ラーメンは食べたことのない新しい味がして麺によく合い美味しかった。

 

 

 その後、走って青森駅に戻るとすんでのところで八戸行に乗り込む。汗を拭きながら東進し、野辺地駅大湊線に乗り換える。そして下北駅で下車した。

 

 

 下北駅は本州最北端の駅だ。大湊線に乗っていた乗客のほとんどがこの駅で降りたように思う。駅舎の撮影をする人が多くいた。私も写真を撮って、恐山行のバスに乗る。

 

 

 恐山行のバスは途中から鬱蒼とした山道の中を進んでいき、スマホの電波は圏外になってしまったくらいだった。くねくねとバスが走っていくと、冷水というバス停で一時停車する。そこには竹から水が出ている手水と思われる場所があり、参拝者はここで身を清めるべしということのようだった。私もそれに倣い、手と口を清める。そしてバスが再出発すると、三途の川を越えて恐山バス停に到着した。

 

 

 バスを降りると、いやバスに乗っていた間から、強烈な硫黄臭がしていた。辺りは苔も生えない不毛の地で、所々に水溜まりがあった。その中を進んで入山する。

 恐山菩提寺比叡山高野山と共に日本三大霊場に数えられ、全国から信仰を集める場所だ。死者の言葉を伝達できるというイタコがいることでも知られている。いかにも恐ろしげなところに感じられるが、普通に参拝できるところなので安心してほしい。

 

 

 総門を潜って境内に入ると、山門を潜り、本尊を安置する地蔵殿を参拝した。そして奥の院に向かって階段を上り、奥の院不動明王にも参拝。

 

 

 その後は境内のあちらこちらから湧く湯煙(地獄)の中を進んでいく。途中の順路には八角堂などもあり、また色んなところに風車が置いてあった。風車がからからと立てる音を聞きながら順路を進んでいくと、極楽浜に辿り着く。そこからは宇曽利湖を一望することができた。

 

 

 

 

 そこまで見たら後は出口に続いている。最初に潜った総門前に戻ってきた。この頃には帰りのバスの発車時刻が迫っていた。自販機で飲み物だけを買い、バスに乗り込む。バスは発車予定時刻よりもなぜか少し遅れて出発した。

 帰りは冷水に寄ることもなく真っ直ぐ下北駅へ向かう。下北駅に着くと、大湊行を待った。せっかくここまで来たのだから、大湊線を乗り切ってしまいたかったのだ。そして快速しもきた大湊行に乗り、すぐに大湊駅に着いた。

 

 

 大湊駅の駅舎や駅名標などの写真を撮ると、すぐにまた列車に戻った。間もなく野辺地行が発車し、そのまま野辺地へ。途中でCLANNADの聖地である陸奥横浜駅が見えた。いつかあの菜の花畑を見に行きたいものである。野辺地ではすぐの接続で八戸行が来た。それに乗って八戸に向かう。

 

 

 八戸で少しの待ちがあった後、八戸線鮫行がやってきた。これで本八戸まで行く。八戸は新幹線があるだけの駅で、本八戸の方が八戸の中心市街だ。本八戸で降りると、バスを待っていると思われる人が何人かいた。またしばしの待ちの後、多賀台団地行のバスがやってくる。これに乗って上浜名谷地というバス停で降りる。工場以外何もないような場所だ。

 

 

 本当にこんな場所にフェリーターミナルはあるのだろうかと疑ってしまうが、あるのである。八戸港フェリーターミナルに直接行くシャトルバスがないではないが、それは時間が微妙にずれていて使い物にならない。市営バスでこの何もない場所で降りてしばらく歩くのが正解なのだ。これはシルバーフェリー(八戸苫小牧フェリー)に徒歩で乗るにあたって最大の難所だろう。何せバスの路線図は旅行者にはわかりにくいからだ。

 ともかく、そこから少し歩いてフェリーターミナルに到着した。シルバーフェリーは徒歩利用でも出港60分前までに乗船手続きを済ませなければならない。それを済ませると、1時間も暇な時間ができる。幸いベンチは豊富にあるので、座って船の出港を待つ。ちなみに八戸港フェリーターミナルには食堂や充電スペースもある。

 

 

 すると、1時間以上前から乗船の案内が入る。私はフェリーに乗り込んだ。今回乗るのはシルバーエイトだ。フェリーの中は広く小綺麗だ。海が見える展望風呂もあり、贅沢な船旅である。港を眺めながら風呂に入って汗を流すと、薬を飲んで眠りに就く。

 

 

 

 お待たせした。ここからが知床を目指す北海道の旅だ。3日間で色々寄り道しつつも何とか関東・東北を通り抜けて北海道に上陸した私は気合いを入れ直した。ここからが今回の旅の本編だ。すなわち、知床旅行である。

 

 

 苫小牧西港フェリーターミナルに入港すると、船を降りていく。苫小牧の方はフェリーターミナルまでバスが乗り入れてくれる。そのバスに乗って、苫小牧駅に向かう……前に少し寄り道。途中のバス停で降りて南へ歩く。辿り着いたのはかの有名な「マルトマ食堂」。しかし、あまりにも有名すぎて店の前には大行列ができていた。しばらく並んでいたが、列の進みは遅く、列車の時間も近づいてきたので、撤退することにした。残念。次は開店時間頃に来ようと心に決めた。

 

 

 傘が壊れそうなほどの風が吹く雨の中、苫小牧駅を目指して歩く。私は雨の日の風が何よりも嫌いだ。鞄もズボンも靴もびしょ濡れになって、傘は何度もひっくり返った。ようやく苫小牧駅に着くと、そろそろ室蘭本線が発車する時間だった。北東パスを自動改札機に通して室蘭本線岩見沢行に乗った。

 

 

 緑と青のラインが入った北海道カラーの車両が懐かしい。何もない一面緑の中を列車が走っていく。80分ほど乗って岩見沢に着くと、次の函館本線旭川行までは長い待ち時間。こちらも雨風が強く、散策する気にもならない。昼ご飯には早い時間で食べることもできない。煙草の煙を燻らせながら次の列車を待った。

 

 

 そしてようやく函館本線旭川行がやってきた。乗り込み、座る。旭川まではまた80分ほど。ゲームしたり寝たりしながら適当に過ごした。

 

 

 旭川に着く頃はお昼時だ。雨が上がっていたので、旭川ラーメンを食べに行こうと決めて歩き出す。人気店に行こうとすると早仕舞いだったり長蛇の列だったりして右往左往したが、最終的にはラーメン屋に入ることができた。

 旭川ラーメン、醤油でラード濃いめをオーダー。しばらくして着丼し、スープを啜ると豚骨の出汁が効いていて美味しかった。それから、特にチャーシューが美味しかった印象だ。

 

 

 店を後にすると、ぼちぼち駅へと戻り始める。旭川駅に着くと、既に石北本線特別快速きたみ号北見行が停車していた。これが北見行の終電だ。田舎の終電の早さと北海道の広さには毎度驚かされる。間に合ってよかったと安堵した。

 

 

 列車に揺られること約3時間半、ようやく北見に到着。ここがこの日の宿泊地だ。ここに知床に一番近いネカフェがあるというわけである。

 北見では雨は止み曇っていたが、北見の中心市街地は以前に散策したことがあるので、真っ直ぐネカフェに向かう。普段ならナイト8時間を狙うが、北見では12時間パックになっても仕方がない。その分ネカフェではゆっくり過ごすことができた。

 

 いよいよ知床に行く日がやってきた。朝早くに北見を出て、石北本線網走行に乗った。そして網走でまた長い待ち時間。北海道を特急なしで旅するとこういうことになるからなかなかつらい。

 そしてようやくやってきた釧網本線快速しれとこ摩周号釧路行に乗った。快速と言ってもほとんど各停なのだが……。そして、知床斜里駅で降りた。ここが知床の北側にあたる斜里町の中心駅、知床への玄関口だ。

 

 

 しばし待ってここから知床五湖行のバスに乗った。知床五湖までの運賃は片道2000円。なかなか高いが、晴れた知床を見られるなら運賃を払うことも惜しまない。

 

 

 1時間半ほどバスに揺られ、ようやく知床五湖に辿り着いた。知床五湖は知床八景と呼ばれる絶景の中でも特に有名で代表的なものであろう。バス旅ではバスの本数が少ないため今回は知床五湖ウトロ温泉しか行けないが、それらを存分に楽しもうと思う(いずれはレンタカーもしたい)。

 

 

 知床五湖には高架木道と地上遊歩道小ループ・大ループの合計3つの回り方がある。知床五湖のそれぞれの湖は一湖、二湖、三湖、四湖、五湖と名付けられているが、高架木道からは一湖しか見えない。その代わり、この道は安全に舗装され電気柵に囲まれており、レクチャーなしで入ることができる。一方、地上遊歩道の方は、ヒグマが出るおそれがあることなどから事前にレクチャーを受けることが義務付けられている。しかし、それさえ受ければ(行く時期によるが)自由に地上遊歩道を歩き、五湖すべてを見ることができる。その上、帰り道に高架木道も通れる。ちなみに、レクチャーは10分置きに行われる。私は迷わず後者を選ぶつもりだった。

 しかし、知床五湖に着いた頃にはヒグマが出ていたようで地上遊歩道は閉鎖されていた。ヒグマは最近頻出しているらしい。仕方がないのでしばらく知床五湖パークサービスセンターでお土産を眺め、名物のこけももソフトを食べた。その後、高架木道へと向かった。

 

 

 高架木道は歩きやすく、そこからでも知床連山や一湖は見ることができるので、それだけでも十分楽しむことはできた。でもやはり五湖すべてを見たい。そう思っていたところに朗報が入る。安全確認が取れ、地上遊歩道が再度開放されたのだ。

 

 

 

 私はすぐに地上遊歩道入口に戻り、券売機で入場券を買い、利用調整地区内への立ち入り申請書を書いた。名前や住所、入場日などを書くだけの簡単なものだ。その後例のレクチャーを受けた。レクチャーは主にヒグマ対策についてだった。熊鈴や手を叩くことなどで音を立てながら進むことを念押しされた。

 レクチャーが終わると、いよいよ地上遊歩道への立ち入りが許可された。私は絶景を独り占めするため、大ループの先頭をずんずんと進んでいった。前日の雨の影響もあり所々泥濘んだ地上遊歩道は歩きにくい。それでも歩を進めると、五湖が見えた。最初に見える湖が五湖だ。

 五湖は一番小さい湖だ。それでも結構大きく見え、感動した。結局どの湖にも感動することになるので、陳腐な表現はこのくらいにしておこう。ともかく、最初に見た地上からの湖だったので感動も一入だったのだ。

 

 

 

 次に見えるのは四湖。四湖は中くらいの大きさの湖だ。五湖からそう遠くないところに展望台があった。

 

 

 

 その次に見えるのは三湖。三湖は大きく、湖畔に沿うように遊歩道が敷設されていて、展望台以外からでも垣間見ることができた。

 

 

 

 三湖を存分に堪能した後は二湖だ。二湖も大きく、またこれですべての湖を制覇したという感慨もあり、一層美しく見えた。ここで小ループと合流することになる。残りは高架木道からも見た一湖だ。

 

 

 

 一湖を見るのは2回目になるが、高架から見るのと地上から見るのではまた違った趣があった。これは大ループにしろ小ループにしろ地上遊歩道を頑張って歩いた人たちへのご褒美だ。一湖を堪能すると、高架木道に合流した。一湖の展望台にあるベンチで少し休憩した。

 

 

 

 高架木道を歩いて出発地点に戻っていく。その頃には少し太陽に雲がかかり始めていた。早く回っておいてよかったと思っているうちに出発地に着いた。そしてウトロ温泉バスターミナル行のバスに乗った。

 

 

 ウトロ温泉バスターミナルに着くと、丘の上にある日帰り入浴ができる温泉を目指した。ウトロ温泉に入るのだ。坂道はなかなかきつかったが、それを上り切ると、林の中に銭湯が佇んでいた。中に入って、あまり時間がなかったので急いで入浴した。中には内湯と露天風呂があり、露天風呂からはオホーツク海も臨むことができた。

 

 

 急いで着替えて坂道を下っていくと、何とかバスの時間には間に合った。斜里バスターミナル行のバスに乗って知床斜里駅に戻る。バスからは日の入りが見え、知床斜里駅に着く頃には完全に日が暮れていた。やはり随分東にいるので日没が早いと感じた。

 その後はまた1時間くらいの待ち時間。何をするでもなく適当に散歩したりして時間を潰した。そうしているうちに釧網本線網走行がやってきた。これで知床の旅は終わりだ。最低限行きたかったところにはとりあえず行くことができたので、私は満足した。後は東京まで帰るだけだ。とりあえずこの日は北見に帰った。

 北見に着くと、ネカフェに向かって歩き出した。市バスはもう終電を過ぎていた。長い距離を歩いていると、途中に安い焼肉屋がある。焼肉は北見の名物だ。最後にこれを食べていこうと店に入った。

 

 

 安いホルモンをたらふく食べ、店を出ると、ネカフェまではもう少しだ。ネカフェに着くと、ほっと一息吐いた。今回の旅の目的を果たせた喜びを噛み締めた。ソフトクリームが一層美味しく感じられた。

 

 ここからは後日譚。後は帰るだけだ。2日かけて北見から東京まで帰る。北東パスの残り日数は2日なのでちょうど使い切るというわけだ。まずは1日目、北見→旭川岩見沢→札幌→苫小牧と移動した。途中、旭川でラーメンを食べた。そして苫小牧西港フェリーターミナルまで歩く。

 

 

 市バスのフェリー線はもう終電を過ぎており、フェリーターミナルまで歩くしかないが、これがまた遠い。途中まではバスに乗って行けたけど、多少距離が縮まっただけで依然として遠い。少しずつ工場地帯に入り大型車ばかりになっていく道の中を歩き続けた。そしてようやくフェリーターミナルに到着。乗船手続きを済ませて乗船時刻を待った。

 行きは前述の通りシルバーエイトという船だったが、帰りはシルバーティアラ。後者の方が多少豪奢な雰囲気があるように感じられた。時間が来てそのフェリーに乗り込むと、疲れ果てていたのでそのまま眠りに落ちてしまった。朝目が覚めると、そろそろ八戸港に着く模様。急いで展望風呂に入り、身支度をしてフェリーを降りた。

 

 

 

 八戸港フェリーターミナルに着くと、歩いてバス停に向かい、本八戸まで行った。ここからはずっと鉄道に乗り続ける。列挙すると、本八戸→八戸→盛岡→一ノ関→小牛田→仙台→福島→郡山→新白河→黒磯→宇都宮→上野。ようやく東京に辿り着いた私は、ただ座って列車に乗っていただけにもかかわらず疲れ果てていた。何せ16時間近くもかかったのだから。JR北海道と違い、新白河を除いて乗り継ぎが比較的いいのだけが救いだった。

 そして上野から家に帰る。上野まで来れば後もう少しだ。何とか1日で八戸から東京まで帰り着いた。旅は家に帰り着くまで続く。でも、ここから先は、薔薇の下で。