傷心旅行、彼方まで

小説のような旅行記を。世界遺産検定1級。鉄道旅を主として全国を旅しています。

四国八十八ヶ所原付遍路 終章 高野山奥之院

 四国八十八ヶ所原付遍路4部作はこちら。

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 大窪寺で結願した日の夜、南海フェリー和歌山港飲み帰ってくると、少しだけ南海に乗って和歌山市駅で降りた。

 

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 市駅はJRの和歌山駅ほどではないが、近年は綺麗な駅ビルとなりお洒落な雰囲気がある。そこから徒歩数分の、和歌山の魚介などを取り扱う居酒屋が気になって、お遍路を完走して煩悩を払えた気がした自分を労うという名目で暖簾を潜った。

 市駅の近くの海鮮居酒屋は地元客で賑わっており、店長も店員もカウンターに座っている客と親しげに話していた。こういう場所には入りにくいと以前は思っていたが、一人旅で色んな店に一人で入るようになった今や、気にすることはなくなっていた。

 カウンターの端の席に案内されて、ビールと突き出しや生牡蠣で一人己を労う祝杯をあげた。それらの味も当然美味しく、店長や店員も気さくな方々であったので、私自身から話し出すようなことはなくとも少しずつ場の雰囲気に馴染んでいった。

 

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 しばらくして、地酒を飲もうと思ってメニューとは別にあるおすすめの地酒の貼り紙を見ていると、注文を取りにきてくれたので、おすすめを聞いてみて、求めている味の傾向にあった和歌山の地酒を提供してくれた。その間に店長から話を振られ、出張か何かですかと言うので、旅をしているんですと伝え、お遍路に行ってきたと告げた。すると店長が徳島の出身であることを明かし、お遍路もいつか行ってみたいけど仕事があるから難しいのだと話してくれた。四国にはお遍路をしたがっている人が多そうなことはお遍路の道中でも常々感じていたが、やはり自分の店を持っているとなると店を空けられないのだろう。それでも店長の捌く魚介類が美味しいので、それを客に提供することもまた功徳を積んでいるように感じられた。

 

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 終電と閉店の時間が迫ってきて、会計を済ませてお礼を告げて店を出ると、最終の紀勢本線に乗って紀三井寺まで帰ってきた。お遍路をするために徳島に渡った前日に泊まっていたところである。ネカフェに着くと、翌日の高野山へのお礼参りに備えて、日付を跨ぐ頃に就寝した。

 

 翌日、9時頃に和歌山駅に着いて、そこからまずは和歌山線で橋本まで向かった。橋本で南海高野線に乗り換えて、高野山ケーブルカーと接続する極楽橋駅まで行って、ケーブルカーで高野山駅に着いた。

 

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 道中は外国人観光客が多く、単に高野山だけを観光に来ている人も多い中で、なんとなく私は白衣と輪袈裟を着て高野山にいた。何年も前に単に観光で来た時とは違って、今はお遍路を終わらせてきたのだという矜持があったことは否めない。ただ、お遍路の経験をここまで持ってきたという気分になりたかったのだ。

 お遍路を終えてお礼参りに行くのは高野山奥之院である。奥之院は弘法大師こと空海の御廟であり、ここに入定して今も衆生を救っているとされている。それとは別に金剛峯寺もあるが、今回は奥之院にだけ行って満願することだけを考えた。どちらも観光で来たことがあるが、その時とは意味合いも心持ちもまるで違っていた。

 途中で精進料理を食べようと、奥之院に近い食堂に入った。精進料理というのは質素で味が薄そうな気がしていたが、多くの小鉢が並んでいる姿はむしろ豪華に見えたし、味付けもしっかりされていて自分の中の勝手な先入観はひっくり返った。修行の日々を思い出しながらありがたくいただいた。

 

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 食べ終わると、奥之院に参るために参道を歩いていった。ツアーで来ている観光客なども多く、静謐さがないのが場に似つかわしくなく思われて少し嫌な気がしたが、そのような感情も恥ずべきものなのだろうと思い直しながら、奥之院の入口にあたる御廟橋に着いた。

 

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 この先は撮影禁止なので写真はないが、橋を渡った先には燈籠堂、そしてその奥に御廟があり、御廟の中には入れないので、その手前で線香や蝋燭を捧げ、賽銭や納め札も入れることになる。

 立派な燈籠堂をぐるりと回ると地下へと続く階段があり、地下には多くの燈籠や、身代わり大師という小さな大師像がある。そこまでで奥之院の参拝は終わりとなる。

 御廟橋を渡って戻ってきたところのすぐ近くには御供所があり、ここで納経帳の最初のページである奥之院のページに納経してもらうことになる。納経をお願いして、御影も買った。納経帳に文字を書き終えスタンプを押すと、最後に満願を証明する日付印が押され、「満願おめでとうございます」と納経帳を渡してくれた。これにて長い原付遍路の旅は終わった。

 

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 納経帳にはそれぞれの寺ごとの詠歌が初めから印刷されてある。ページの埋まった納経帳の最初の奥之院のページにはこうある。

「ありがたや高野の山の岩かげに大師はいまだおわしますなる」