潮騒、某、暮れ泥み

小説のような旅行記を。

岐阜・でらます・湖北旅行

「でらます」とは、アイドルマスター(以下アイマス)と名鉄観光がコラボして、主に名古屋市内の色んな観光施設や飲食店などにアイドルの等身大パネルが設置されたりコラボ商品が販売されたりするイベントのことである。そのために名古屋に向かって、ついでに行き帰りの道中のいつもの一人旅を足した、あるいは名阪間旅行のついでにでらますを足したとも言えそうな旅は、早朝の東海道本線で岐阜へ向かうところから始まる。

 東海道本線を乗り継いで、岐阜駅で高山本線太多線直通の多治見行に乗る。多治見で乗換待ちが発生したので軽く駅前だけでも見ようと改札を出ると、想像以上にお洒落で立派なショッピングモールがあり、都会的に見えたが、そこはまだできたてでテナントも埋まってないという。今後の多治見の発展に期待しながら中央本線中津川行に乗った。快速と書いてあるが、ちょうど多治見以降各停になるのだから最早快速ではなく少しもやもやした。

 

 

 中津川駅で降りると、バスに乗って、向かうは馬籠宿。隣の妻籠宿と共に、中山道の宿場町で往年の古い町並みの残る場所である。この二宿の間に今の岐阜・長野県境があり、馬籠は岐阜側である。日本に来る外国人観光客がまた増えてきているので、馬籠宿にも多くの外国人観光客の姿が見られた。

 

 

 馬籠宿は石畳の坂に沿って木造建築が並んでおり、バス停のある入口側から一番奥の恵那山展望台まで坂を上っていきながら町並みを眺めるようになっている。まずは一番上まで行こうと、物色はせずに坂を上っていった。町並みは非常に統一的で美しいが、中でもやはり外敵を阻むための桝形のところの水車は風情があった。

 

 

 

 馬籠宿の上側の出口に着くと、そこからすぐのところに恵那山展望台がある。よく晴れた日で、大きな恵那山が堂々と聳え木曽路の街道を見守っているようだ。そこにある東屋で少し休憩して汗を拭うと、次は宿場の色んな店舗を見ていこうと坂を下り始めた。

 

 

 

 

 昼時だったので、ふらっと蕎麦屋に入り、結構注文を迷いつつも最終的に山菜そばをオーダーした。しばらくして、かけそばに多種の山菜が乗せられた丼鉢が出てきた。蕎麦を啜ると、麺のいい歯応えと出汁の旨みが伝わる。山菜もどれも美味しく、つゆまで全部飲み干して店を出た。

 

 

 石畳を下りながら土産屋などを物色していると、岐阜のものと長野のものが両方あることに気づく。それは単に県境が近く文化的に近接しているからだろうかと初めは思ったが、恐らくそれだけではないだろう。というのも、馬籠は昔は長野県であり、隣の岐阜県中津川市が周りの町村を吸収合併する際に越県合併されて岐阜県に変わったのだ。それで長野への帰属意識も一定以上残っているのだろうかと思ったりした。

 

 

 その後は、中津川が発祥の栗きんとんの味のソフトクリームを食べながらしばらく休憩し、そしてバス停まで戻った。次はまだ新しい県境を跨いで妻籠宿へ。こちらは長野県南木曽町になる。

 

 

 妻籠宿に着くと、今度は平坦なアスファルトの道沿いに木造建築がずっと遠くまで綺麗に並んでいる。その街道を歩いていくと、飲食か土産かの店舗らしき建物はいくつもあるもののほとんどが閉まってしまっていた。もう夕方ではあったが、かなり早い時間に店仕舞いしてしまうようだった。観光客も疎らになって寂しい。街道を一往復した後は暇になってしまった。次のバスまで時間はあるのでもう一往復くらいしたりしてからバス停でじっと座っていた。

 

 

 

 

 

 数十分待ってようやくやってきたバスに乗って、終点の南木曽駅まで乗った。南木曽駅中央本線の駅で、中津川駅と共にこの駅もまた運行系統上の境界になっているようであり、ここから塩尻方面へは一気に本数が減る。今回はそっち方面には行かないので、中津川行に乗った後、快速の名古屋行に乗り継いで名古屋駅に着いた。

 カップラーメンの「辛辛魚」で知られる井の庄は東京の石神井公園に店舗があるのだが、どうやら名駅の中の驛麺通りにも店舗があるらしい。ずっと実店舗で食べてみたいと思っていたので、そこに入ることにした。店での辛辛魚は、唐辛子と魚粉が山盛りに乗せられており、絶妙な魚介系の旨みと唐辛子の辛さで非常に美味しかった。私は辛い食べ物が好きなので、更に少し卓上の唐辛子を足したりしつつスープまで飲み干して、店を出た。その後は、翌日の旅程に合わせて、また多治見まで折り返した後、太多線可児駅に行って、可児のネカフェで眠りに就いた。

 

 

 

 翌日と翌々日は18きっぷを使用しない。一日は長良川鉄道越美南線沿線だけを観光し、その次の日はほとんど名古屋市内にいて地下鉄で移動するからである。そのために長良川鉄道の起点駅である美濃太田になるべく近い可児まで来ておいたのだ。太多線であっという間に美濃太田に到着。

 長良川鉄道1日フリー乗車券は駅で紙のきっぷとして買うこともできるが、QUICK RIDEなるアプリを使って購入して、そのアプリの画面を見せることで使えるきっぷというものもある。それで電子チケットとしてフリー乗車券を購入し、長良川鉄道沿線観光は始まった。

 

 

 まずは関駅で降りる。関市は人口重心の町として知られている。人口重心は東京一極集中の影響で、岐阜県内を徐々に南東へと移動している。また、私が10年以上好きなシンガーであるLiSAの出身地でもあるので、別に特に彼女に関する観光名所などがあるわけでもないが、一度来てみたかった場所ではあった。

 滂沱と雨が降りしきっていたので、傘を差して駅からすぐ近くの関善光寺(宗休寺)まで歩いていった。善光寺と言えば長野にあるものが有名であるが、関には日本唯一の卍戒壇なるものがあるという。しかし、雨が強く、また時間が早すぎてまだ入れないこともあり、ここは断念して、軽く建築だけを見て駅に戻った。駅前の町並みは少し城下町の風情も感じられた。

 

 

 

 

 次の列車に乗って、隣町の美濃市駅で下車した。美濃市はうだつの上がる町並みや和紙で有名な土地である。改札を抜けると早速その町並みの方へと向かって歩き始めた。

 うだつとは、漢字では梲または卯建と書くが、要するに家屋の両端の外壁及び屋根瓦が少し高くなっている部分のことである。これは防火のためであり、これを上げるには費用がかかったことから、逆に出世できず裕福になれない状態を指す「うだつが上がらない」という慣用句ができた。

 その町並みに着くと、木造建築の古い町並みが続く中に、所々屋根の両端が少し上げられているところがある。これが本物のうだつかと高鳴る気のまま町並みを散策した。

 

 

 その後、うだつの上がっている建築の一つであり、史料館となっている旧今井家住宅を訪ねた。館内は美濃市の豪商の邸宅を展示してあるのであるが、そこの館長が非常に口の回る方で、そこに居合わせた老夫婦と私の三人に対して、美濃市の和紙が京都の迎賓館などでも使用された格式高いものであることや、邸宅の庭にある水琴窟に惹かれて上皇上皇后やかの米国のロックフェラー氏までもが訪れたことを話してくれた。

 

 

 その後は建物内部の様々な部屋について館長に説明されながら回り、それが終わると中庭の件の水琴窟などを見学した。水琴窟とは石で覆われているところに水を垂らすと、その下で音が響いて美しい音を奏でるというものである。これが世界のVIPも感動したという日本の音かと、しばらくその高く響く楽器のような音に浸っていた。

 

 

 

 いつの間にやら案外と時間は経っていて、歩速を速めて訪れたのは美濃和紙あかりアート館。美濃市の名産である和紙を用い、その内側から灯りを照らした芸術品の数々が展示されている美術館のような場所である。展示を見て行くと、主に岐阜県の地元の人が多いものの、関東や関西の人もその和紙アートに応募し、受賞作として展示されている作品があった。それらはぼんぼりのようでありながら、独創性のある伝統と現代アートの融合であるように見えた。その美しい展示品の数々を見て回って、あかりアート館を出た。

 

 

 

 

 

 再び美濃市駅から越美南線に乗って更に北へ、いよいよ郡上八幡へと至る。郡上八幡城の立派な天守と城下町を見てみたいと常々思っていたが18きっぷだとJR縛りであるがゆえに行けなかったところに、ついに辿り着いた。まずは城下町の方へ向かわんと駅から歩を進める。

 

 

 城下町の中心部までは数十分の徒歩移動を要するが、少しずつ木造建築などが増えていき城下町然としてゆく郡上八幡の町並みに心が躍った。やがて吉田川を渡った橋の向こうに城下町の中心部が広がる光景を見ると、ぱっとしない空模様ながらも非常に風情を感じられた。

 

 

 

 

 ここで本日の食事を取ろうと、土産屋と併設された食堂に入っていく。時間の問題か天気の問題か、広大な店内に私以外はほぼいないという殺風景な食堂を前にして、店員が注文を聞いてくれるので、食べたいものを素直に注文する。しばらくお冷やを啜っていたところに到着したのは、岐阜県でも郡上市下呂市などを中心に食べられてきた鶏ちゃん(けいちゃん)と、飛騨牛の乗せられた蕎麦や郡上名物のハムなどからなる定食である。それらを白米や味噌汁と共に頂くと、ハムの塩気や飛騨牛のほろほろとした食感、鶏とキャベツに絡んだ大蒜の旨みなど、どれも満足できる美味であった。食堂を出て向かうはいよいよ城の本丸である。

 

 

 循環バスのバス停でもあり土産屋でもある城下町プラザの角を曲がると、城下町から天守本体へと至る長い坂道が蛇行しながら伸びている。これを上るのはなかなかに大変だ。蛇行した車道を突っ切るように、近道と記された階段上の歩道があるのだが、それが非常に足場の悪い道であり、上り切った頃には汗が額や胸を激しく滴っていた。

 

 

 

 本丸に至り入城すると、天守の内部には観光地としての城によくある、この城に纏わる城主や戦などの歴史解説パネルや発掘物などがあり、いつものようにそれを眺めながら簡単にざっくり歴史を頭に入れていく。畿内中心のメインストリームの日本史に対して各地方にこのような歴史があることを学びながら階段を上っていくと、やがて屋上展望台に辿り着く。空模様こそ暗いものの、美しい城下町とその奥の山並みを見ることができた。同時にその遠景として見える山で行われた戦の解説などを見て歴史を学んだ後、天守を出た。

 

 

 

 いつの間にか帰りの鉄道に乗る時間が迫っていたので、本丸から市街地へと坂を下ってゆく。上りより遥かに楽で、あっという間に城下町プラザまで戻ってくることができたので、却って時間が余ったくらいであり、胸を撫で下ろした。やがてやってきたバスで郡上八幡駅に戻ると、美濃太田方面の車両に乗って南下を始め、帰路に就く。その途中で降りたのが、郡上市美並町にある、みなみ子宝温泉駅である。

 

 

 みなみ子宝温泉駅は非常に変わった構造の駅で、駅のホームから温泉へ改札も介さず直結している駅である。この駅で降りる時に運転手から温泉に入る際の割引券を受け取ることができ、それを使うと入浴が安くなるというシステムになっている。そのチケットを渡して割安の値段で温泉に浸かると、必ずしも長良川鉄道の乗客ではない客と共に湯に浸かる愉悦を縦にする。露天風呂もあり、そこにも学生のような風貌の集団から老人まで幅広い客層が癒されていた。私も湯に癒されて堪能したところで上がると、次の列車までの間に関市に本社があるらしい関牛乳のコーヒー牛乳を飲んで更なる癒しを得た。そして、やがてやってきた列車に乗って、美濃太田駅まで戻ってきた。長良川鉄道のフリー乗車券で通常運賃よりも安い運賃で観光できたことを確認すると、鵜沼乗換を経て名鉄犬山線沿線に宿泊し、翌日の名古屋周遊へと備えた。

 

 

 

 

 翌日も予定通り18きっぷを消費することなき旅程となった。名鉄犬山線名駅に着けど、時刻はまだ6時台。ろくに観光もできないので、カフェなどで適当に時間を潰しながら様々な施設の開店時間を待った。寝不足でうとうとしつつ待っていると、ようやく街が活気づく時間帯になったので、名古屋の地下鉄全線24時間券を購入し、栄へと向かった。

 ここからがでらますの開始である。まずは栄で何ヶ所かを回り、各地のアイドルの等身大パネルなどを写真に収めた。次は金山へ向かい、更に周辺のスポットを回る。その後、また名駅へと戻って駅周辺のいくつか営業開始したコラボ店を回った。その三つの繁華街にそれなりのスポットが集まっていたので、これで一段落ということにし、この日ちょうど昼頃からTwitterのフォロワーと会う約束になっていたので、銀時計で待ち合わせして相手の行きたい場所を案内することとなった。ここまでのでらますの記録をここに写真として残す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、私がでらますの一環として行きたかった中部電力MIRAI TOWER(以下ミライタワー)へ向かうため再び栄に降り立った。ミライタワーも、他のいくつかの場所と同じく、7月末からコラボしていたミリマスと9月上旬にコラボを始めたデレマスの両方のキャラが迎えてくれる。1階の受付と3階のショップを抜けた先のエレベーターで、地上90m付近の屋内展望台及び階段を上ったところにある屋外展望台へと至る。ハート型の南京錠と、ありがちな「恋人の聖地」なる看板に苦笑しながら名古屋市内を隈なく見下ろしてミライタワーを後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 その後は私もフォロワーも明確な目的地を持っていなかったが、途中で寄った書店で知った豊田市美術館の展示を見に行ってみようという話になり、鶴舞線名鉄豊田線経由で豊田市駅へ向かった。豊田市内にはJRがないので、ずっと18きっぷでは行きにくく飛ばしてきた場所であったが、偶然訪れる機会を得た。豊田市駅に着くと、駅前のペデストリアンデッキとその両側に聳える大きなショッピングモール群に都市規模の大きさを感じ取りながら、駅前から続く青色の案内に従って美術館まで歩いて行った。駅前の広い道、愛知環状鉄道の高架を潜って坂を上るとそれはある。

 

 

『吹けば風』と題された企画展に入ると、最初は大きな坂の他には風景画が展示されている空間であったが、途中からがらりと雰囲気が変わり、色んな方向にプロジェクターが向けられ、光路に垂れ下がる物体や鑑賞者に遮られながら様々な映像が様々な角度で表示されるようなインスタレーションが中心の展示に変わり、その後もプロジェクターとそれによる映像を中心として、室内に散りばめられたオブジェなども一体となった空間全体の展示へと変貌していく。最後に屋外に出ると、あちこちに長方形の鏡が配置された広場と池などがあり、どこまで展示の意図を理解できたかはわからないが、興味深いインスタレーションを体験できたと感じた。

 

 

 

 

 駅前まで戻ってきてそこでフォロワーと別れ解散すると、この日の最後に私は豊田の駅前でふらっと居酒屋に入って一人飲みに興じた。だらだら飲み食いするうちに数時間も経っていたので、頃合いを見計らって店を出て、この日の満足に観光できたことを感じながら上前津まで戻り、そこで泊まった。

 

 最終日、一通り今回東海エリアでやりたかった目的をすべて果たした私は、金山から18きっぷを使って長浜へ向かった。長浜は駅から琵琶湖側には長浜城、反対側には黒壁スクエアを中心とした城下町の古い町並みが残り、駅周辺だけでも十分観光しがいのある風情ある都市であるが、以前行ったことのある黒壁スクエア方面は飛ばして、この日のメインの前に道中の長浜城を観光した。

 

 

 長浜城は館内に歴史を開設するパネルもあるが、子供向けの体験コーナーやゲームコーナーの多い施設で、私はさっさと屋上展望台まで上がってしまった。屋上展望台からは、片や琵琶湖畔の自然、片や城下町と山々が見渡せ、吹き荒ぶ風に涼みながら景色を堪能すると、天守を後にして周りの公園を港へ向かって歩き始めた。

 

 

 

 今回の長浜観光のメインは竹生島である。竹生島長浜市に属し、琵琶湖に浮かぶ離島の一つで、定住人口は0人であるが立派な寺社仏閣があり観光客で賑わうパワースポットとして知られている。船は長浜港から出ているものと、琵琶湖の対岸の高島市にある今津港から出ているものがあり、行きと帰りを往復にせず片道切符で長浜から今津(またはその逆)へ向かうチケットも存在する。今回は私はそれを購入し、竹生島を観光した後今津港へ行くことにした。一応彦根港からも行けるが、これは今回は割愛する。

 

 

 短いクルーズを終えあっという間に竹生島に着くと、最初は天気が芳しくなかったが、とりあえずは拝観券を購入して、朱色の鳥居に挟まれた橋を渡って竹生島神社(都久夫須麻神社)へと向かった。重要文化財竹生島神社は紫の幕がかかった立派な建築で、拝殿の反対側の建物からは琵琶湖に向かってかわらけ投げができるようだった。

 

 

 

 その後、神社横から木造建築の廊下を渡って戻ると、宝厳寺の国宝・唐門に着く。カラフルで豪華絢爛ながら黒を基調とする重量感も感じさせる唐門とその中の観音堂を見学すると、更に階段を上っていよいよ一番上の宝厳寺の本尊や三重塔のあるエリアに辿り着いた。それらを見て回りながら、タオルで滲む汗を拭う。しばらく休憩したら階段を下りていって、境内を出た。

 

 

 

 港から境内までの小さな門前町には食べ歩きできるような軽食が色々と売ってある。この夏まだかき氷を食べていないことに気づいた私はかき氷を注文して店の向かいのベンチで食べた。暑い夏に冷たい氷ほど美味しいものはないかもしれない。しかしもうあまり時間がなくゆっくり味わっている暇はなかったので、勢いよく掻き込んで食べ終え、最後に近江牛まんを持ち帰って今津行の船に飛び乗った。

 

 

 

 日の傾きつつある近江今津には賑わいはなく、閑散とした中を港から駅まで歩き、そこで一時間近く後の電車をじっと待っていた。今回の旅はここまでである。今から大阪に帰るにはまだ少し早いというくらいの半端な時間ではあったが、もう帰ってゆっくり休もうと思ってこれ以上はどこにも行かないことにした。やがていつもと少し違う湖西線の新快速がやってくる。いつも通り新快速に乗って、大阪へと帰っていくのであった。

 

九州北部旅行

 九州は大阪からも距離があるし、ましてや東京からはかなり遠い。だから今まで何度か訪れてはいるものの、さほど行きたいところに行けていないことに気づいた。というわけでこの夏と、恐らくまた近いうちにも九州に行くことになるであろう。この記事はとりあえず先日行ってきた九州北部の旅行に、おまけとして帰路の山陽本線沿いの観光を加えた記録である。

 もう幾度となく往復してきた山陽本線をまたも全線に亘って往復するのは流石にしんどくなってきたので、往路は九州まで一気にショートカットすることにした。ということで夜行バスを予約した私は、博多行の夜行バスに乗るべく難波にやってきた。難波からは四国方面などの中距離程度の所要時間数時間程度のバスと、東京や福岡などの長距離を行く夜行バスとが次々にやってくる。その中で、予約していた通りに博多行のバスに乗ると、座席が初めからある程度傾けられており、ゆったりと座れるようになっていた。間もなく出発し、一通りアナウンスが流れると消灯する。私はちゃんと眠れるか不安だったが、意外とあっさりと寝ることができ、早朝の博多に着くまでに十分な睡眠時間を確保することができた。

 

 

 朝になり、博多駅に着くと、空は晴れ渡っていて旅日和であった。駅前はまだ人通りが少なめだが、これから一日を始めようとする様々な人々が行き交い始めていた。そんな中を18きっぷを使って構内に入り、鹿児島本線に乗って香椎駅で降りた。

 香椎線に乗り換えて、今回は南へと向かうが、一駅乗っただけの香椎神宮駅で降りて、香椎神宮まで向かう。香椎線に乗ったのは乗り潰しという目的もあったが、まだ早朝なのでその時間帯から行ける場所を探した結果こういう旅程になったという事情もある。ともあれ香椎神宮に着くと、大きな正面の鳥居の向こうにはまず池とその真ん中にある末社に続く朱色の鳥居が目についた。そこには後で訪れることにして、とりあえず奥へと進むと、立派な木造の門や朱色の拝殿など神社の中核部分に着く。その拝殿に参って、それから奥を見ると、本殿の建物は工事中のようだった。景観としては少し惜しい時期に来てしまったとも思ったが、ここまでで十分にその静謐な空気感を味わうことができた。

 

 

 

 

 駅に戻ると、ホームには高校生やサラリーマンが多くいて、ちょうど通学・通勤の時間帯であった。彼らの多くは先に来た香椎・西戸崎方面の列車に乗って行った。私はその後に来た宇美行の列車に乗ったが、次の駅に止まるごとに多くの高校生などが乗ってきた。香椎線にそんなに需要があるのかと不思議に思っていると、大半の乗客が長者原で降りたので、なるほどやはりそこで乗り換えて博多方面に向かうのだろうと納得し、乗客の減った列車は終点の宇美まで走って行った。

 宇美駅は香椎線の南側の終点の駅である。駅前には大きなUの字のモニュメントがある、宇美町の代表駅である。私はその音でアイマス高坂海美を思い浮かべていたのだが、Swarmでチェックインするとラブライブ園田海未を思い浮かべた人が出てきたので、もう既に異次元フェスが始まっているのかと思った。

 

 

 冗談はさておき、宇美八幡宮を目指して小さな商店街や住宅街の間を抜けていく。細い道を通っていると本当にこれで合っているのかと不安になるが、看板は確かにその方角を指している。やがて大きな道に出て右折すると、宇美八幡宮の鳥居が見えた。参道は真っ直ぐ拝殿まで伸びており、重厚な門を潜って神を拝む。この神社は安産祈願で知られているようで、裏手に回ると生まれた子の誕生日や名前などが書かれた石がたくさん積み上がっている場所があった。解脱できずに輪廻転生し四苦を味わわされる人生の羅列だ、などと異教の信仰を思い浮かべながら宇美八幡宮を後にした。

 

 

 

 少し筑豊地域の乗り潰しでもしようかと思って、香椎線で折り返す途中、長者原福北ゆたか線篠栗線)に乗り換え、桂川原田線筑豊本線)に乗り換える。原田線は1両編成で本数もかなり少なく、筑豊本線というのは運行系統上は完全に分断されていて旅客案内上でも表示されないとはいえ、桂川以北と比べてこれほど格差があるのかと流石に少し驚いた。原田線の終点である原田駅まで乗ると、鹿児島本線に乗り換えられるので、それで鳥栖駅まで行った。ここから佐賀旅行が始まる。

 

 

 まずは長崎本線に乗って佐賀駅まで。久しぶりに来た佐賀駅は開発が進んでいて、数年前の記憶よりかなりお洒落な駅に変貌していた。新しくできた商業施設を少しぶらついて、それから駅前のラーメン屋に入った。

 

 

 佐賀ラーメンは久留米などと同様に豚骨スープであるが、それよりはマイルドに仕立て上げられたスープで、とはいえ味が薄いということはなく飲み干したくなるスープだった。それから、生卵の卵黄を乗せるのが佐賀流らしく、ある程度麺を食べ進めた後に卵黄を割って細麺に絡ませると、それもまた美味であった。

 

 

 店を出ると、次の列車までまだ時間があるので、手持ち無沙汰ながら喫煙所に行ったりして時間を潰した。やがてやってきたのは長崎本線から佐世保線に直通する早岐行。2路線が分岐する駅は以前は肥前山口という駅名であったが、西九州新幹線の開業に合わせて江北駅へと名前を変えており、まだ聞き慣れない。その江北駅から佐世保線に直通して、西九州新幹線の起点駅でもある武雄温泉駅で下車した。

 

 

 

 武雄温泉駅は在来線側は赤煉瓦で新幹線側は黒壁のシックな雰囲気で、また焼き物を展示・販売するスペースがあったり、西九州の玄関口を謳った幕があったりと、お洒落かつ交通の要衝として出世した感があった。温泉街は在来線側の出口から北西側に行ったところにあるので、案内の通りに歩いていく。日傘を差さずにはいられないほど日光が強く差してくる中を10分程度歩くと、奥に旅館がある温泉街の通りに入った。その道を進んでいくと、やがて両側には旅館、奥には武雄温泉のシンボルである楼門が見えた。楼門は辰野金吾の設計であるというから、武雄温泉の歴史の厚みを感じざるを得ない。

 

 

 楼門を潜ると、公衆浴場があるので、そこで日帰り入浴をした。私が入ったのは元湯で、温泉は源泉に近い熱い湯と、少し温くした湯とがあったが、温い方でもそれなりに熱くて満足であり、熱い方は私には熱すぎた。のぼせない程度に温泉から上がって脱衣所を出ると、休憩スペースになっているところにいくつか自販機があって、そこで定番のコーヒー牛乳を買って飲んだ。湯上がりにこの冷たくて甘い飲み物が本当によく染みる。牛乳瓶を専用の箱に入れると、私は武雄温泉を後にした。

 

 

 

 それで駅に戻ってきたのだが、この日はもう一ヶ所行きたい温泉があった。西九州新幹線の駅名にもなっている嬉野温泉である。嬉野市には在来線がなく新幹線駅が嬉野温泉駅一つあるだけである。しかしその駅も街外れに作られ温泉街から遠いので、新幹線が開通したといえども結局武雄温泉からバスに乗って嬉野温泉街の傍にあるバスセンターまで行くのが適切なアクセス方法であろう。

 バスに揺られること数十分、嬉野バスセンターで降りて通りに出ると、もうちらほら温泉が見える温泉街の中である。その中で、嬉野のシンボル的存在なのが公衆浴場のシーボルトの湯である。それは温泉街の中でも特別な存在で、そこへの案内看板が多く立っているので、それに従っていくと足湯のある湯宿広場があり、そこから反対側の細い道に入っていくと旅館の並ぶ街並みの温泉街らしさが強まっていく。その通りをしばらく歩いた先に蛇行した道路があり、その先に建っているのが赤い屋根の古い洋館のようなシーボルトの湯である。

 

 

 中に入って入浴券を買うと、温泉に入る。湯温は武雄で入った温泉の温い方と同じくらいか、個人的には適温といったところで心地よかった。また、美肌の湯と謳っていた通り、肌がすべすべになった感触があった。温泉の出入口と反対側は窓になっていて、川が流れ橋が架り、その向こうにも木造の建造物が連なる風情ある景色が広がっていた。ここは後で橋の方へと実際に行って、逆に対岸から洋館を眺めもした。

 湯から上がると、2階に展示があるようなので行ってみた。吹き抜けになっていてエメラルドグリーンの手摺りで仕切られた空間を囲むように外側の壁沿いに通路があり、かつては古湯温泉と呼ばれていたこの建物の昔の写真などの展示と、シーボルトと嬉野の間にどういう縁があるのかというようなことを記した展示などがあった。他にも貸切風呂や食堂のような部屋もあったが、誰かいそうな雰囲気はなかった。

 

 

 洋館を後にすると、その近くに同じような朱色の屋根の下にシーボルトの足湯もあった。先客がいたので、軽く手を入れてみることしかしなかったが、無料の足湯が同じ温泉街に二つもあるのはなかなか珍しい気もした。

 

 

 

 バスセンターに戻ると、次はこのバス路線の終点の大村線彼杵駅まで乗っていくことにした。夕暮のバス停から彼杵行に乗る人は私しかいなかった。山の中を抜けて、大村湾の海沿いまで出て、終点の彼杵駅に着く。彼杵は一応快速シーサイドライナーの停車駅にもなっているが、本当に小屋のような田舎の駅舎で、当然のように無人駅である。誰もいないホームでしばらく待っていると、佐世保行の快速がやってきて、意外にもそれなりにいた降りる乗客と入れ替わりに乗り込んだ。大村線の終点の早岐まで行って、佐世保線に乗り入れてやがて終点の佐世保駅に着いた。これまた久々に来た佐世保は、駅こそあまり変わっていないものの、海側のフェリー乗り場や五番街などのイルミネーションがかなり増えたような気がして、真夏ながらきらきらした駅前はさながらクリスマスシーズンのようであった。

 

 

 

 佐世保の食の名物はいくつかあるが、佐世保バーガーは以前食べたことがあるのに対して、レモンステーキはまだ食べたことがなかったので、夕食はレモンステーキにした。賑やかな佐世保の繁華街の一角にある店舗に入って、レモンステーキと、レモンビールなるものを注文した。先に瓶ビールがやってきて、それをちびちび飲んでいると、やがて片面だけが焼けた牛肉の乗った鉄板が到着した。もう片面は鉄板の熱いうちに自分でひっくり返して焼き、肉の上に乗ってきたレモンスライスを絞って食べるというスタイルである。ステーキは、一般的なステーキより薄い肉だったので分量としては多くなく割高な気もしたが、さっぱりとしたレモンで食べるステーキは美味しく、贅沢な夕食となった。

 

 

 店を出て、コンビニで追加のお酒を買うと、アーケード商店街の中にあるネカフェに入った。買ってきたお酒を飲みながら、やがて眠りに就いて初日が終わった。

 

 翌日は寝坊してしまった。朝から九十九島の方へ行こうと考えていたのに、後の旅程との関係でそんな時間はなくなってしまった。泣く泣く昼頃にネカフェを出て、近くのバス停から乗ったのは、平戸桟橋行のバスである。九州の本土の島という意味での最西端から更に橋を渡った向こうの離島である平戸港まで、長い間バスに乗り続ける。松浦鉄道と近い経路で進むので、時々市街地に入ったり、山の中を走ったりしながら、平戸桟橋のバスターミナルに到着した。

 

 

 平戸は16~17世紀にかけて、鎖国以前はポルトガル船やオランダ船などが来航する国際貿易港であった。長崎市の出島の方が知名度は高いのだろうが、かのザビエルも来航し、平戸にもオランダ商館やイギリス商館などが置かれた。一方、城下町でもあって和洋折衷の街並みが今なお残されている。また、天草や五島列島などと共に、江戸時代の潜伏キリシタンや明治以降のかくれキリシタンの生活していた集落跡などが世界遺産に登録されているが、それら構成遺産はどこもアクセスの悪い場所にあるので、今回はまず平戸の中心市街だけを堪能することにした。

 まずは平戸城を目指して歩き出す。平戸城平山城で、港からも天守が見えていた。その方向へと進む途中、石造のアーチ形の橋と、黒い屋根瓦の門や白い壁に空いた狭間、石垣などがあって、そこが市役所であるようだった。イギリス商館の跡地でもあるらしく、目立つ場所以外にも随所に歴史を見出すことができるのが平戸らしいところである。

 

 

 

 その裏手には平戸城の入口がある。亀岡神社という神社と一体になっているようで、鳥居を潜って石階段を上っていく。すると、途中で参道が途切れて、城の本丸へと繋がる階段に変わった。そのまま上るとまずは天守の前に着いて、入城して中の展示を見て回る。展示はさほど多くなく、それも映像だったり子供向けのゲームだったりがかなりの割合を占めているので、文字で解説していたり発掘したものを展示していたりするようなエリアはあまりなかった。それゆえにさくさくと展示を見ていって、あっという間に最上階の展望台に到達した。窓を開けて外をぐるっと一周すると、平戸の街並みや、対岸の本土側の田平の街並み、それからその先の的山大島に続く海が見渡せ、涼しい風が汗を少し乾かした。

 

 

 

 天守を出て裏側に行くと、そちら側にいくつか櫓があり、その先に亀岡神社の表参道と拝殿・本殿を見つけた。なるほど市役所側の入口は神社からすれば裏側だったのかと思いつつ参拝し、階段を下って入ったところとは別の出口に出た。

 

 

 次に向かうのは平戸ザビエル記念教会である。城とは別の方角の小高いところにこれまたエメラルドグリーンの立派な教会が建っているのが下からでも見えるので、その方角に歩いていくと、寺院と教会の見える風景と書かれた案内看板があった。その看板に従い、通っていいのか不安になるような細道を進むと、石の坂が長く続いていて、その途中で案内通り寺と記念教会とが同時に見える場所があった。寺院と教会と坂、まるで概念としての「長崎らしさ」を圧縮したような風景であった。

 

 

 その坂道を上り切って回り込んだところに教会の正面があり、近くで見ると改めてその大きさを実感した。教会の敷地内には、普通に人の住んでいる家も建っていて、そちら側には入らないように規制されていた。教会の内部も、本当に入ってすぐの狭いスペースだけ立ち入ることができ、その柵の向こうに礼拝所本体があるが、そこは写真撮影すら許可されていない。それでも荘厳な教会内部を公開して見せてくれるだけでもありがたかった。

 

 

 

 教会を出ると最初の平戸港の方へと道を下っていく。平戸には他にも見るべきものがたくさんあるが、もう時間がない。海沿いの平地まで戻ってくると、最後にオランダ商館の建物だけ見に行くことにした。本当は中に展示もあるのだが、それを見物するほどの時間が残っていなかったのが惜しい。外観だけを撮影すると、バスターミナルに戻った。

 

 

 

 バスに乗って平戸口駅で降りる。田平地区にあるたびら平戸口駅松浦鉄道の駅で、沖縄のゆいレールを除いて日本最西端の駅である。駅構内には鉄道博物館があり、東西南北の最端同士の繋がりがアピールされ、松浦鉄道国鉄だった時代のものの展示などがあった。それらをしばらく眺めて、後は待合室でのんびり座っていると、伊万里行の列車が来た。

 

 

 

 この日の観光はここまでで、伊万里まで松浦鉄道に乗った後、JRに乗り換えて、筑肥線唐津線長崎本線を経由して鳥栖まで戻ってきた。次の日は久大本線に乗る予定であったが、久留米より鳥栖の方が駅からネカフェへのアクセスがいいので、鳥栖で一夜を明かした。

 

 次は寝過ごすことなくちゃんと時間通りに鳥栖駅へ。たまたま鳥栖発で久大本線に直通する日田行の列車があったので、久留米で下車することなくそのまま日田まで乗っていくことができた。

 

 

 日田駅は黒を基調とした駅舎で柱などにはそのまま木材が使われており、これまた雰囲気のいい駅である。待合室もフローリングに木の扉で、高級感のあるソファーがあったり本棚があったりして綺麗だった。また、日田は『進撃の巨人』の諫山創の出身地であるらしく、進撃のパネルやら、そのキャラクターであるリヴァイの銅像があったりと、一つの町おこしの手段として利用されていた。

 

 

 

 日田は江戸時代に天領として栄えた街で、その中心である豆田町は古い街並みと区割りが残り、重伝建にも指定されている。他に温泉街などもあるが、駅から歩ける距離に日帰り入浴のできる温泉がなさそうだったので、そちらは断念することにして、豆田町の方へと歩いていった。

 豆田町には伝統的な日田の名産を売る店などが軒を連ねており、それぞれの建物は杉下駄の店や雑貨の店、鰻料理の日田まぶしや雛人形の展示など様々であり、往年の繁栄ぶりを思わせる。また、ユネスコ無形文化遺産に登録された日田祇園祭なども有名である。その中でも日田醤油の店内で、雛人形が多く展示されている雛御殿が気になって、入ってみることにした。

 

 

 

 

 日田の雛人形は、天領として栄えた時代に豪商が京や大阪から買い求めたコレクションであるらしく、様々な時代の豪華絢爛な雛人形や雛道具が展示されている。その中でもおきあげ雛や10段飾りの雛飾りは圧巻である。他にも小さな人形や掛け軸、祇園祭の山鉾を何分の一かにした模型など、小さいものまで含めれば本当に数え切れないほどの展示があった。また、ゴシック調の雛人形など現代的なアレンジがなされたものも展示されており、伝統がここまで守られ続けているだけでなく、更なる進化を遂げている様子も垣間見ることができた。

 

 

 

 

 そうしてじっくり眺めているうちに意外と時間が経っていたので、他の店を少し覗いたりはしつつも豆田町の街並み自体を再度楽しみながら抜けていって、久大本線に対して反対側まで歩いていった。昼時なので昼食を取ろうと思うのだが、日田まぶしなどは高くて貧乏人には食べられないので、庶民的でリーズナブルな日田焼きそばを食べに行くことにした。

 日田焼きそばの特徴は、硬くなるくらいまで焼いてパリパリした食感にした麺と、大量のもやしが入れられていることである。それから、豚骨ラーメンのスープだけがついてくる店がいくつかあるようで、それも日田流なのかもしれない。先に豚骨スープが提供され、それをちょっとずつ啜っていると、やがて焼きそばが到着した。食感は確かに硬めの部分もあるが、普通の焼きそばとそんなに変わらないくらいの食感の部分もあり、また大量のもやしにもソースがよく絡んでいて美味しかった。途中で卓上の紅生姜を入れてみたりしながら焼きそばを完食してスープも飲み干すと、思いの外満腹感があったので、白米などは頼まずこのくらいがちょうどいい量だった。

 

 

 店を出ると、まだ少し時間があったが、温泉に入れもしないのに温泉街だけ見に行って時間ギリギリに駅に戻るというのは炎天下の中では耐えられないと思ったので、素直に日田駅に戻った。次は日田彦山線を乗り通そうと思うのだが、添田〜夜明間はもうずっと被災して運休したままで、(久大本線夜明〜日田間への直通も含め)添田〜日田間を代行バスが走っているという状況だったので、駅前に停車している添田行の代行バスに乗り込んだ。ちなみに日田彦山線のこの区間は鉄道としては廃止され、現在はBRTの路線として新たに開業している。私が乗った代行バスは本当に廃止される直前だったというわけだ。

 

 

 大分と福岡の県境付近の山を越えて添田に着くと、BRT専用の道路が既にできあがっており、実際にBRTが試験運転したりもしていて、若干盛り上がってそうな感じであった。そこからはまた鉄道に戻り、田川後藤寺行に乗り、あっという間に着いて小倉行に乗り継いだ。筑豊を抜けて南から北九州市内に入っていき、城野駅より先は日豊本線西小倉駅からは鹿児島本線に直通して小倉に到着した。これですべてではないものの筑豊エリアのJRの乗り潰しがかなり進んだ。

 しかし、次の目的地は博多方面であって、また鹿児島本線に乗って博多駅まで向かう。博多駅に着くと、地下鉄に乗り換えるために歩いていくが、最後に来た時にはまだ開通していなかった七隈線天神南〜博多間が開通しており、七隈線の案内があるのに未だ慣れないまま空港線に乗って福岡空港に着いた。

 

 

 では福岡空港が目的地なのかといえばそうではなく、飛行機に乗る予定はまったくなく、空港沿いに南へ歩いて、ある飲食店へと向かった。それは牧のうどんである。牧のうどんは福岡県西部を中心にチェーン展開しているうどん屋で、今まで何度か食べたことがあるが、いずれも博多バスターミナル店であった。そこは食券制になっていて、食券にあるメニューしか選べない。しかし、牧のうどんにはある種の裏メニュー(トッピングを覚えていれば博多でも再現できるものだが)のようなものがある。それが、牧のうどんを溺愛する声優・麻倉ももがいつも頼むメニューということで、「ももちゃんセット」と通称されているものである。それが通じるのか一度試したくてわざわざ空港店の方に来て、それをオーダーすると、店員はすぐに理解して注文を取ってくれた。しばらくして着丼したものは、トッピングも多くてかしわ飯まである贅沢さで、かなり量が多い。卓上の葱を大量に乗せて勢いよく麺を啜っていき、何とか食べ切ることができた。

 

 

 

 これで今回の九州旅行は終わりで、残りは帰路の山陽本線での観光である。地下鉄で博多駅まで戻った後は、また鹿児島本線を逆走して門司へ行き、そこから関門海峡の向こうである本州の下関との間だけを往復している運転系統に毎回納得いかないと思いつつも下関へ。そこから山陽本線に乗って、この日は防府で降りてそこで泊まることにした。

 

 翌朝、早くから防府市街を歩き始めた。萩往還の歴史を感じる街並みを抜けていって大きな交差点に出ると、防府天満宮の鳥居があった。防府天満宮は北野、太宰府と並び日本三大天神と称される神社で、その歴史は非常に古い。朝早い参道に参拝者らしき人はいないが、多くの人が何やら商品を並べているようであり、バザーか何かが開かれるのかもしれない。そこを通り過ぎて階段を上ると、いつものように拝殿で拝んで、それから周囲の色々な建物や石碑などを見て回った。とりわけ地元の子供たちの書いた習字が周囲の壁沿いに多く展示されているのが目立った。

 

 

 

 天満宮を後にすると、防府駅から再び山陽本線に乗って東へと向かう。まずは山口県の東端である岩国まで行き、しばらく待って次は糸崎行の車両に乗る。そのまま広島駅を通り過ぎて降りたのは、東広島市の西条である。

 

 

 西条は日本酒の酒蔵が狭い範囲に密集している酒蔵通りで知られ、酒都とも称される街である。また、灘や伏見と並んで三大酒処とも称されるが、広島県内には他にも有名な観光地が多くあるせいか、イメージのない人も多いようである。

 着いた頃はちょうど昼時で、昼休憩を挟んでいる酒蔵が多かったので、まずはぐるっと街並みを眺めてみた。風情のある赤褐色の屋根瓦の並ぶ建物と、遠くからでもよく見える背の高い煙突が並ぶ。一通り街並みを眺めてから、いくつか酒蔵に入ってみることにした。

 

 

 

 まず入った賀茂鶴は、西条でも代表的なメーカーで、かつてオバマ大統領にも振る舞われたという。酒造りのプロセスに対する解説を見て、その後ショップのカウンターで試飲を注文した。おすすめされている三種飲み比べを順に飲んでいくと、どれも華やかな香りと飲み口で、細かい違いがわかるほど舌が肥えていないのが残念だが、やはり安酒と違い、いいところのお酒は美味しいと思えたのでひとまず満足した。

 

 

 

 その後もいくつか回ったが、店が開放されているのに店員がいなかったり、その日は試飲がやってなかったりして、右往左往しているうちに時間が過ぎたが、最後にもう一ヶ所、亀齢酒造で試飲をすることができた。こちらは無料で、量もその分少なかったとは思うが、先程ともまた違うきりっとしたお酒をいただくことができた。

 

 

 この辺で予定していた電車に乗る時刻が迫ってきたので、西条を後にして、再び糸崎行に乗り込んだ。しばらく待っていると、珍しい糸崎発姫路行の車両がやってきて、岡山駅で乗り継ぎをすることなく姫路まで行ってくれるので、ゆっくり座り続けることができて助かった。姫路に着くといつもの新快速に乗って大阪方面へ向かったが、途中、三宮で下車して、気になっていたラーメン屋に入ってみた。

 

 

 そこは鯖を売りにしているラーメン屋で、ストロングを注文すると、鯖の身までが混ざっているドロドロの濃厚なラーメンが来て、スープは鯖の旨味だけでなく酸味もあるような独特の味わいで、初めて食べる味だった。麺を食べ尽くしスープも飲み干し、最後に懐石料理などについてくるような薑を食べて、なお味の衝撃を忘れられぬまま店を後にした。そしてまた新快速に乗って今度こそ大阪へ向かった。

岐阜・愛知・長野旅行

 大阪と東京の間をJRで移動する経路は、細かな支線を除いてほぼ乗車済であったが、最後にもう一つ長い路線が残っていた。それが飯田線であった。飯田線豊橋駅から辰野駅までを結ぶ長大な路線で、各停で乗り通すと7時間程もかかる。そこに少し沿線観光を加えながら東京に向かおうというのが今回の旅の発端である。

 ただ、単に飯田線に乗るだけなら大阪から東京まで1日で足るが、沿線観光を含めると2日はどうしてもかかる。また、飯田線の途中駅には大して大きな駅もなく、沿線でいつも通りネットカフェに泊まるということもできない。というわけで1日目は愛知までしか行けないので、前日入りを兼ねての東海観光をすることにした。

 新快速で米原まで行くと、東海道本線の中でも面倒な乗継区間の一つである米原〜大垣間の車両に乗る。随分な日数を国内旅行に費やしてきたが、実はこの数駅だけの県境越え区間に、下車すらしたことがないが非常に有名な土地があった。言うまでもなく、天下分け目の関ヶ原である。

 

 

 東海道本線の沿線には、灯台下暗しのように見逃し続けてきた場所がいくつもあったが、その一つであった関ヶ原に訪れることが今回叶った。知名度の割にさして観光客は多くなく、閑散とした駅前から決戦の地へと歩を進める。途中に現代的な建築のミュージアムがあるが、一旦は通り過ぎて、田舎道を辿っていくと、真っ直ぐ伸びる道の左側に決戦地の幟が掲げられた場所に着いた。

 

 

 決戦地には幟と石碑、それから解説の看板以外には何もない。ただ、その雑草のみ生える空間で、日本の近現代史の方向性が決まったのかと思うと、不思議とオーラのような非科学的な何かを感じ取らずにはいられない気がした。歴史にifはないと言うように、ここで石田三成陣営が勝っていたらどうなっただろうかなどと考えても、私程度の日本史の知識量ではパラレルワールドを整合的に考えることすら難しい。道の更に奥を見遣れば、山の中に色んな陣営の陣取った跡地があるのだが、そこまでを巡るほどの体力も時間もなく、引き返してミュージアムの方へと向かった。

 ミュージアムと呼んできた場所、正式には関ヶ原古戦場記念館という場所は、かなり最近できたもので、歴史的に重要な場所であるのに観光客を惹きつける要素が弱かったためにようやく造られたもののようだった。周辺には徳川陣営の跡地があり、ミュージアムの1階の受付兼ロビーのような空間には、来訪当時に放送されていた大河ドラマ『どうする家康』の等身大パネルなどが置いてあった。

 

 

 館内は上層に展示がある構造で、関ヶ原の戦いにまつわる歴史や兵糧などの解説があり、また戦場跡を上から見渡せる展望エリアもあった。晴れの関ヶ原を見下ろすと、山の中に点々とそれぞれの陣営の幟が立っているのが見える。展示をすべて見終えると、最初にちらと見えた大河ドラマとコラボしているパネルの並ぶエリアに出て、そこから出口とミュージアムショップに続いていた。

 

 

 記念館を後にすると、駅に戻って大垣行の列車に乗る。大垣まで来れば名古屋近郊を走るJR東海の新快速に乗ることができる。岐阜駅から快速になって飛ばしていく中、名駅を少し過ぎて、大府駅で降りた。大府は東海道本線が通る他、武豊線の起点でもある。次はこの武豊線に乗り、そこから更に南へと知多半島の観光をするのである。

 武豊線に乗って武豊駅まで行くと、知多半島を通るJRはここまでなので、ここからは普通運賃で名鉄に乗るしかない。名鉄知多武豊駅まで歩いて名鉄河和線に乗り換え、3駅乗れば終点の河和駅に到着する。河和は知多半島を鉄道で訪れる場合の一つの南限ではある(知多新線の方が更に南まで行くが)ので、ここからは船に乗って離島を目指す。

 

 

 知多半島渥美半島の間の三河湾に浮かぶ離島がいくつかあるが、それを全部訪れる時間的余裕はないので、今回は日間賀島を訪れることにした。他には篠島や、渥美半島の先端である伊良湖に行く船があるが、伊良湖には三重の鳥羽から船で行ったことがある。調べてみれば色んな航路があるものである。

 河和港で日間賀島との往復乗船券を購入し、高速船乗り場に向かうと、多くの旅行者が並んで船に乗り込んでいる列に入る。乗船すると、30分弱ほど半島の東側を通って、夕方の日間賀島西港に着いた。よく晴れた日で、三河湾が煌めいていた。

 

 

 日間賀島は蛸で有名である。蛸とそれが乗っている蛸壺に歓迎と書かれたモニュメントが港に降り立った旅の人を迎えてくれる。島に降り立ってしばらくは港周辺をうろうろしていたが、最初に行こうとしていた店が営業していなかったところ、より港に近いところにいい感じのバルを見つけたので入ってみることにした。たこ唐串とクラフトビールを注文して、それだけでも日間賀島の美味しい蛸を十分味わえたのだが、看板メニューと思しきうちの一つのたことしらすのアヒージョがどうしても気になって、追加注文してしまった。少し高かったが、それも非常にガーリックな味わいで美味しく、クラフトビールと合わせると最高にいい気分になれるちょい飲みを楽しめた。

 

 

 

 

 店を出ると、もう帰路へと戻っていく。もう少し早く来ていれば色々ゆっくり島内を回ることもできたのであろうが、着いた時点で夕方で、店もどんどん閉まっていったので、仕方がない。同じ航路で河和港まで戻ると、少しお土産を物色した後、名鉄河和駅から名鉄特急に乗ったにもかかわらず、少しでも18きっぷで安くするために武豊で乗り換えて、武豊線区間快速名古屋行に乗った。寝て起きると名駅に着いていて、時刻はとっくに夜であった。

 その後は名駅で友達と会い、飲みに行ったが、だらだらと飲んでいるうちに終電がなくなり、豊橋に前日入りするという当初の計画が崩れて結局は名駅付近で一夜を明かした。多少計画はずれるが、それでも別に翌日飯田線沿線を観光するのに問題はなさそうだったので、軽傷だと気にせずに寝落ちした。

 

 翌日、早朝から各停の東海道本線で寝ながらのんびり豊橋まで向かった。豊橋に着いても、長野県内まで抜けていく飯田線の始発は過ぎてしまってかなり待ち時間が発生していたので、まだ少し冷える朝を耐え凌ぎながらようやくやってきた飯田線天竜峡行に乗った。飯田線は過去に豊川まで乗って豊川稲荷に参拝したことがあるが、その先は未踏の地で、間の秘境駅として有名な駅のあるような山奥の区間を通り抜けて、4時間もかけて天竜峡にまで到達した。

 天竜峡で乗り継ぐのに20分ほどの待ち時間があったので、駅を出てすぐの橋まで行き、天竜川とその両岸を彩る桜の織りなす春の絶景をしばらく眺めていた。ごつごつとした岩肌の上に伸びる木々は四季折々に表情を変えるのだろう。駅のすぐ近くのさらっと見に行ける距離にこの景色があることをありがたく思った。

 

 

 

 

 駅に戻ると次は中央本線まで直通する茅野行の列車が来ていた。天竜峡から北は伊那盆地の細い市街地を縫うように走っていくが、沿線には町村も多い田舎である。車で来ればもっと色々と楽しめるスポットがあるのだろうと思いながら更に2時間半ほど列車に乗って、伊那市駅で降りた。

 伊那市駅は名の通り伊那市の中心駅である。伊那市と言えば最近ではKing Gnuでダブルボーカルを務める常田大希と井口理の出身地としても知られる。その東の方には青森の弘前公園、奈良の吉野山と並んで日本三大桜の名所とされる高遠城がある。バスで高遠駅まで向かって、そこからしばらく歩いて、平山城に至るまで坂を上っていくと、ちょうど桜が満開に近く咲き誇っている城門に着き、縄張の内側へ入ると多くの桜と共に祭りの屋台が建っていたり、顔出しパネルがあったりとお祭りムードを感じさせる様子で、夕方でも多くの人々が桜咲く城跡に魅了されていた。私も桜の舞う城内や、そこから見下ろせる城下町などをしばらく眺めて感に入っていた。

 

 

 

 

 

 夕日の差す高遠城を下っていって、同じバス停からまた駅まで戻る。ちょうど日も暮れてきて夕飯時になったので、伊那名物のローメンを食べにいった。ローメンとは基本的には中華麺に羊肉と野菜を乗せた焼きそばのような料理であり、他にも色々なアレンジがあるようだが、私は駅近の恐らくオーソドックスなタイプのローメンをいただいた。太麺も私好みで、マトンやシャキシャキしたキャベツも美味しく、個人的にもかなり高評価のご当地料理となった。

 

 

 流石にそろそろ伊那を発たないと東京まで辿り着けないので、辰野から中央本線辰野支線を経由する岡谷行に乗って飯田線を完乗し、中央本線で東京を目指した。夜の中央本線が山梨・東京方面へと向かっていく。長い飯田線に乗る壮大な遠回りが幕を閉じた。

宮崎・鹿児島旅行

 青春18きっぷなどを使った鉄道旅も、JRの在来線の大半に乗ってしまった今となっては、行く場所が居住地から遠いところばかりであったり、行きたい場所が分散していたりして、列車の本数などの問題も相俟ってなかなか厳しい状況になってきた。段々と纏まった旅がしにくくなる中、今回はついに、沖縄以外では初めての、JR縛りでも行ける宮崎までの道をLCC往復でショートカットすることにした。そろそろ鉄道旅なのか怪しくなってきているが、宮崎・鹿児島の2県だけを18きっぷで回るという、幾分か丸くなったような緩い旅程を立てた。

 この旅は4泊5日ではあるが、最初の1日はほとんど宮崎への現地入りだけを目的としている。昼過ぎに関西空港に着いた私は、peachの搭乗券を発行し、手荷物の7kg制限もちゃんと対策して問題なく保安検査を通過した。搭乗開始までの暇な時間を、煙草を吸ったり、売店缶チューハイを買ったりして潰した。やがて搭乗の案内が始まると、自分の席番号を確認して、人々の流れについていくように飛行機に乗り込んだ。

 

 

 

 飛行機が滑走路を移動し始め、離陸すると、私はすぐに眠ってしまった。起きた頃にはそろそろシートベルトをして着陸態勢に入ろうかという時間になっていて、機内で飲もうと思っていた缶チューハイを取り出すと、既に温くなってしまっていた。その上、ストロング系ではない度数の低いものなので、物足りなさを感じながら宮崎空港に着いた。

 

 

 宮崎空港は、愛称を宮崎ブーゲンビリア空港という。無関係だが、ブーゲンビリアという花の名を聞くと、京都アニメーション制作の『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』というテレビアニメ及び映画を思い出して、心の中でアニメの名場面に涙ぐみ意識を空想に飛ばしながら宮崎空港内をうろうろしていた。ポケモンのナッシーのアローラのすがたを模した、恐らく等身大に近い巨大なモニュメントがあったり、一時間ごとに日本神話の場面をからくり人形が再現するからくり時計があったりと、宮崎の特徴を端的に表現するようなものが多くあった。大都市の国際空港とは違う、訪れた者に地域性を感じさせる空港には、いい意味で田舎でしか味わえない風情がある。

 

 

 

 そうして空港自体を見て回っているうちに、宮崎空港駅から宮崎駅の方へ向かう宮崎空港線日南線日豊本線を直通する延岡行の列車がやってきた。空港駅のホーム、線路の向こうのガラス壁にもブーゲンビリアがあしらわれ、高架下からホームの高さまで多くのヤシの木が伸びている。ある種のテンプレートのような南国情緒を感じさせる駅舎から列車は発車し、数駅で宮崎駅に到着した。中心駅と空港駅が近いのは、陸の孤島とも呼ばれる宮崎の空路面での利点である。

 夕方の宮崎駅に降り立つと、以前宮崎を訪れた時にはまだ工事中であった駅舎と駅前が完成しており、綺麗で垢抜けた宮崎駅にテンションが上がる。それはいいのだが、着いた時間が微妙すぎて、これから観光することもできないが繁華街で夕飯を食べたりするには早すぎるという状態のまま、宮崎駅から少し歩いた所にある市内の中心繁華街の細い路地裏などを行ったり来たりして日が暮れるのを待った。

 

 

 ようやく夜の帳が下りた頃、辛い料理が好きな私は、まず真っ先に宮崎辛麺の店へ入った。辛さは何段階にも細かく分かれているが、その店で最大の30辛を注文した。麺は中華麺もあるのだが、こんにゃく麺が宮崎辛麺では標準的であるということで、それを試してみることにした。やがてかなり大きな器になみなみと真っ赤なスープが注がれた辛麺が到着した。こんにゃく麺は名前通り中華麺より灰色がかって食感も慣れない不思議な感じがした。スープの辛さは私にとっては程よい感じで、ピリ辛感を楽しみながら、かなりの量があったスープまで飲み干して店を出た。

 

 

 その日はそれだけで、後は駅から離れていつも通りのネカフェ泊。翌日以降の本格的な観光に備えて早めに就寝した。

 

 翌朝、まだ空が明るみ始めたかどうかというくらいの時刻に宮崎駅に着いて、18きっぷを使用して日豊本線延岡行に乗った。ちなみにこの旅程の中では18きっぷを3日分消費する予定になっている。早起きをした反動で列車内で眠りこけていると、いつの間にか延岡に着いていた。

 

 

 延岡は以前に大分は佐伯側からいわゆる宗太郎越えをして訪れたことがある。その時と変わらずお洒落な駅舎だ。駅前にはエンクロスという施設があり、一定の地域拠点性があるとはいえ、この立地で蔦屋書店やスターバックスが入居し、図書館のような施設もあって、ずっと居座っていたくなる。

 とはいえ、わざわざここまで来たのには当然理由があるわけで、しばらくエンクロスで待った後、やってきた路線バスに乗り込んで、ずっと山奥へ。宮崎交通路線バスの1日乗り放題乗車券のおかげでかなり割引かれてはいるものの、それでもそれなりの運賃とかなりの時間をかけて、隣県・熊本の阿蘇にまで迫る神話の地・高千穂峡へとやってきた。

 バス停から高千穂峡まではそれなりに距離があり、道中で先に高千穂神社に辿り着く。大きな鳥居を潜って、高木に挟まれた静謐な参道の石階段を上ると、わざとそう造ったかのような派手な色のない落ち着いた拝殿と、根本から二手に分かれて伸びた夫婦杉などがあった。高千穂は神話上初代天皇とされている神武天皇ゆかりの地であり、宮崎空港のからくり時計が見せる神話の舞台でもある。その後、神武天皇日向国から大和国へと渡ってそこに都を作ったとされているので、日本史上大半の間は後に畿内と呼ばれる範囲に都が置かれてきたのであるが……。そのような神話上の天皇家の黎明に思いを馳せながら、他にもいくつかの建築物があるのを見て回って、神社を後にすると、坂道を下って峡谷の方へ向かう。

 

 

 

 すると、次第に深い谷とその下を流れる清流、そしてその高低差を流れ落ちていく真名井の滝という滝が見えてきた。高千穂峡の代表的な景観で、自然の雄大さを感じられる絶景であろう。付近には他にもチョウザメなどがいるらしい池や、水族館などもあったが、水族館にまで立ち寄る時間的余裕はなく、滝の轟々と落ちる様と、峡谷に浮かぶボートに乗る観光客などを眺めていた。

 

 

 

 色んな角度から滝と峡谷を眺望して満足すると、バス停へとまたやや長い道を歩いて行った。天岩戸などは距離があり徒歩で行くことは厳しいので、少し名残惜しさを感じながらも、再び長い時間をかけて延岡駅まで戻ってきた。その後は乗り潰しに時間を割くこととし、日豊本線都城駅まで行くと、わざと吉都線に乗って遠回りして吉松へ、それから肥薩線で終点の隼人まで乗って、日豊本線に復帰して鹿児島中央駅に着いた。ちなみに、肥薩線の八代〜吉松間は、2020年夏の豪雨の影響で、この記事を執筆している現在でも未だ不通のままである。JR在来線による熊本県から鹿児島県への移動が断たれて久しいので、一刻も早い全線開通を願うばかりである。

 

 

 到着した頃はすっかり夜であった。鹿児島中央駅からは歩いて、鹿児島市の中心繁華街である天文館へと向かう。鹿児島ラーメンを食べて行こうと目当ての店に向かうが、行列ができていたので一旦ネカフェに入って休憩し、しばらく待った後にブースに荷物を置いたままもう一度その店を訪れると、今度は行列がなくなっておりすんなり店に入ることができた。

 鹿児島ラーメンは豚骨ベースのラーメンで、一見同じ九州にある博多ラーメンや久留米ラーメンの系譜かと思いそうになるが、どうやらそういうわけでもないらしい。地理的に沖縄の豚食文化の影響を受けているらしく、博多や久留米のようなスープの白濁は見られず、また大根などの漬物がついてくる店舗が多いらしい。私の訪れた店でも、まず大根の漬物が提供されて、その後しばらくしてから豚骨ラーメンが提供された。ラーメンの上には大きなチャーシューや葱が乗っており、漬物もあることを考えると非常にコスパがいいと感じながら麺を啜り始めた。深夜なので飲み会の〆に来ていると思しき客も多く賑やかな店内で、鹿児島の味を堪能して、また元いたネカフェに戻った頃には日付が変わっていた。翌日の旅程のことも考えて、短めの睡眠をとった。

 

 

 

 日が昇り始め白んできた空の中、天文館から中央駅まで市電に乗る。西日本は市電が残っている都市が多く、この独特の少しレトロな風情が旅情を掻き立てる。鹿児島中央に着くと、3番のりばへ。今日の主役は指宿枕崎線、これを端まで乗って往復し、沿線を観光しようというわけである。

 

 

 指宿枕崎線山川行が発車すると、寝不足を補うような、暇を潰すような眠りに落ちた。目覚めた頃には太陽がすっかり昇って澄み渡る青空が広がっていた。終点より少し手前の、路線名にも含まれるこの路線の主要駅・指宿駅で降りる。指宿駅の駅前には足湯があったり指宿温泉のパネルがあったりと、温泉を積極的にアピールしていることがわかる。また、同路線にあるJR最南端の駅である西大山駅の記念きっぷが買えたりもする。

 

 

 指宿は温泉で知られるが、普通の温泉とは違う珍しい温泉がある。それは砂むし温泉というもので、地熱で温められた海岸の砂を全身にかけてもらって、湯ではなく砂の温かさで癒しを得るというものである。海が陽光を眩く照り返す海沿いの道をしばらく歩くと、それは見えてきた。

 

 

 流れとしてはこうである。まずは専用の浴衣だけを羽織って、タオルを持参して建物外の海岸の方に出る。すると日除けの屋根の下に専用の温泉エリアがあり、係員が対応してくれて、タオルを頭の下に敷いて仰向けに寝転んだら全身に温かい砂をかけてくれて、そのまましばらくじっと砂に蒸されるように地熱を楽しむ。感覚的には弱めのサウナのような感じであろうか。そしてある程度浸ったら後は自分のタイミングで砂から出て、館内に戻って浴衣を脱ぎ、シャワーで砂を落とした後に普通の温泉に入る、というものである。砂の温泉という全国でも類を見ないものは、新鮮な体験であることはもちろん、意外なほど心地よい砂の温もりに包まれて非常に愉快な体験であった。

 

 

 温泉を出ると、鹿児島湾に面した海岸を眺めながら来た道を駅まで戻る。駅の待合室でしばらく座っていると、いよいよ指宿枕崎線の終点である枕崎駅まで行く車両がやってきた。山川より先に行く列車は本数が少なく、また距離もあるので一日がかりの旅になる。

 しばらく乗ると、最南端の駅である西大山駅に停車した。西大山駅では観光客向けにしばらく停車して駅の撮影をしてもいい時間が設けられ、私を含む多くの乗客が一旦下車して最南端の碑や駅名標などを撮影していた。また、車などで西大山駅を目当てに来ている人もおり、何もない無人駅が一瞬とても賑わった。

 

 

 撮影時間はすぐに終わり、乗客が車内に戻ると、また枕崎を向けて列車が走り始める。開聞岳や池田湖など複雑で起伏の激しい指宿市内に、それらの間を縫うように線路が敷かれており、西大山から若干北に進んでから、南九州市を経由して枕崎市に至る。終点の枕崎駅に着くと、今度は最南端の始発・終着駅という看板があり、最北の稚内駅とは線路の長さとして約3100kmも離れているそうだ。この南に更に奄美や沖縄があることを考えると日本は実は広く長いということを痛感せざるを得ない。稚内市枕崎市は最端同士で友好都市の締結をしているらしい。

 

 

 

 枕崎の名物は鰹である。鮮魚を売ったり海鮮丼を食べたりできる枕崎お魚センターまで歩いていくと、昼営業終了ギリギリの時間で施設内の食堂に入り、鰹丼に茶碗蒸しや沢庵のついた定食を注文した。新鮮な枕崎の鰹は、その立地もあってそう頻繁に訪れて食べられるものでもないので、一口ごとにじっくり味わって鰹の旨味を堪能した。

 

 

 その後は建物外に広がる枕崎漁港や、近くの橋を渡った所にもある鰹の直売所などを見て回って、鮮魚や削り節などが並ぶ店内を物色したりしはしたが、これからも旅が続くのに鮮魚を購入して雑に鞄に突っ込んでおくというのは躊躇われるので、特に土産を買うこともなく駅に戻った。駅の待合室をよく見ると、訪れた人が記録を残していく交換ノートが置いてあり、全国各地からここまで訪れた旅人たちの軌跡が記録されている。それを眺めたりしながら時間を潰していると、枕崎からは貴重な、全線を駆け抜ける鹿児島中央行の車両がやってきて、それに乗り込むとまた長い道を鹿児島市内まで引き返していった。

 

 

 

 鹿児島中央に着いた時点で既に夜であったが、次の日の旅程のためにこの日はまた宮崎まで戻らねばならなかった。日豊本線に乗って、都城での乗継を挟んで宮崎駅に到着した。そのまま宮崎に泊まって、翌日もまた朝早く出発するつもりをしていた。

 

 ところが翌日は寝坊して旅程が狂ってしまった。嘆いても仕方がないので、行く場所を泣く泣く削って日南線に乗った。日南線はほとんど宮崎県内を走っているが、終点付近の数駅だけ鹿児島県内に入る。鹿児島県の東側、大隅半島の鉄道はほとんど廃止されてしまったので、今ではこれが鉄路で大隅に行く唯一の手段となっている。その終点、志布志駅に着くと、ひっそりした道を歩いて、志布志で有名な鹿児島ラーメンの店に入った。

 

 

 志布志のラーメンも鹿児島市内と同じように、豚骨スープのラーメンに漬物がついてくるというものである。まずはスープを啜って豚骨の旨味を味わい、卓上調味料のにんにくを足して更に自分好みの味にしていく。中途半端な時間のため店内にろくに人もいない中、落ち着いてゆっくりをラーメンを食べることができた。

 

 

 志布志駅から徒歩で行ける観光地というのも特になさそうだったので、ラーメンを食べた後は、駅前の鉄道記念公園にある蒸気機関車などを見て、日南線を折り返し始めた。

 

 

 行き先は南宮崎であったが、途中の飫肥駅で下車する。飫肥日南線沿線では屈指の城下町で、黒い屋根瓦の駅舎からしてその風情を窺わせる。駅からすぐの橋を渡って、中心市街を歩いて行き、城跡に近づくにつれ古風な黒い瓦と壁の家屋が立ち並ぶ街並みに入って行き、日の暮れ泥んでいるうちに何とか城門に辿り着いた。

 

 

 

 飫肥城天守は残っておらず、その辺りは高木が林立し地面は苔で覆われたような状態だったが、美しい城門や城壁、石垣などは残っており、十分城内の観光を楽しむことができる。時間が遅く資料館などは既に営業を終了していて、空が段々暗くなってきたので、まだ完全に日が落ちる前に何とか観光を終えて、城を出た。市街地を折り返しているうちに日は完全に沈み、待合室でかなりの時間待って、ようやくやってきた宮崎行の列車に乗り、前日と同じ宿泊地に行って、何とか最低限の日南線沿線観光を堪能することができたことに安堵した。

 

 

 

 

 

 最終日は宮崎市内だけを観光して、18きっぷを消費しないことにしていた。どの道夕方には空港に行かないといけないので、あまり遠出せず臨機応変に動きやすくするためである。そのために宮崎市内の観光はあえて後回しにした。

 宮崎といえばチキン南蛮が有名なので、それを食べに行こうと考えていたが、開店まで時間があるので、朝のうちは駅前のアミュプラザをうろうろして、上にある展望台まで階段を上っていった。一番上ではガラス壁越しに宮崎市街を見下ろせる他、交通神社なる小さな神社があって、ちゃんと鳥居もあった。そこでしばらく街並みを眺めながら休憩して、ちょうどいい頃合いに中心繁華街のニシタチの方へ向かった。

 

 

 

 チキン南蛮で有名な人気店に開店時間より少し前に行くと、既に並んでいる人がいたが、開店するとすぐに席に通してくれたので、あまり待たずに済んだ。名物のチキン南蛮を注文すると、タルタルソースのかかったチキン南蛮の皿と、白米の皿が提供され、チキンを食べながらご飯も食べているとそれなりの量があった。チキンは柔らかくて食べやすく、ソースの甘味とよく調和していた。完食するとかなりお腹が膨れた。店を出ると、自分が着いた時より長い行列が形成されていたので、開店前に来て正解だったとつくづく思った。

 

 

 駅まで戻ると、次は一駅隣の南宮崎で降りた。南宮崎駅の近くには宮交シティというショッピングモールがあり、また多くのバスがここを経由してあちこちへと行けるようになっている。宮交シティに入ると、今度はカレーを食べた。元々少食なので、食べ過ぎだとは思いながらも、宮崎空港で名物とされているそのカレーを、宮崎空港ではない店舗でもいいから食べてみたかったのである。あまり食べられないと思って普通のカレーを頼むと、味としては特徴のない普通のカレーだったが、そこにチキン南蛮が入っているカレーが名物らしい。カレーというよりはやはりチキン南蛮が宮崎の顔なのだなあと思いながら完食し、ちょっともったいないことをしたかなと思いつつもバス停に向かった。

 

 

 

 夕方頃に青島に着いた。青島は海岸から橋で結ばれた小さな島で、縁結びのご利益があるという青島神社が島内の中心に位置し、島全体がパワースポットとなっている。島の周りには鬼の洗濯板と呼ばれる帯状の岩層があり、これも一見の価値がある。読みは訓読みで、中国のチンタオ(青岛)とは関係がない。近くに宮交ボタニックガーデン青島という熱帯の植物などを無料で見られる植物園も近くにあり、そこの営業終了時刻が迫っていたので、まずはそちらを軽く見て回った。

 

 

 

 その後に橋を渡って青島神社に行くと、朱色の門と拝殿があり、ヤシの木が周りに生えていて、南国風の趣がある。神社に参拝した後、周りを見てみると、脇に両側と天井に絵馬が吊るされてそれらに囲まれている道があり、その先はひっそりした森であるが、そこにも小さな神社などがあった。そこで行き止まりなので、引き返してバス停まで戻ってきた。

 

 

 

 

 

 これで宮崎の旅も終わりである。寝坊して行けなかった場所を少し心残りに思いながらも、バスに乗って宮交シティ経由で宮崎空港に行った。時間的余裕があまりなく、素早く搭乗券を発行して保安検査を通り、売店で宮崎限定らしきお茶を買い、関空行の搭乗口前の待合席に座って一安心した。今回の寝坊などのやらかしはあったものの、十分に観光をして、飛行機の時間にも遅れずに済んで本当によかったと胸を撫で下ろした。まもなく関空行のpeachの搭乗案内が始まった。

島根・山口・広島旅行

 鉄道開業150年記念として、いつもの青春18きっぷなど以外にも色々なきっぷが販売されていた時期の話である。その一つとして、JR西日本が販売する「西日本どこまで4DAYS」というものがあった。これはJR西日本圏内の在来線が連続する4日間乗り放題になるというもので、18きっぷ4日分より僅かに高いが、智頭急行にも乗れたり、特急券を購入すれば在来線特急にも乗れたりするというのが18きっぷとの相違点である。今回はこのきっぷを使い、昨年夏の記事にある鳥取・岡山・香川旅行と対になるような、中国地方西部の旅をすることにした。

 とはいえ、旅程の都合上、松江・出雲周辺だけを観光する初日はそのきっぷを使う必要がないという結論に至った。4日間のきっぷの1日分の運賃にも満たないので元が取れないという考えによるものである。それでは松江まではどうやって行くのか、という話になるが、松江まで行く道をすべて在来線縛りにするとそれだけで一日潰れてしまうくらいには時間がかかる。そして旅程も一日長くなり、宿泊費も一日分増える。それよりは安いだろうと考えて、初手から高速バスでショートカットして初日から十分に観光できるようにしたわけである。

 早朝に梅田に着くと、グランフロントから工事中のうめきたに設けられた通路を通って梅田スカイビルのバスターミナルへと向かう。スカイビルの北側に数台のバスが並んで待機しており、そのうちの米子・松江・出雲へと向かうバスに乗り込むと、バスはまだ朝も早い梅田を出発して西へ走り出した。

 

 

 

 松江には5時間くらいで到着する。途中、加西と蒜山高原のサービスエリアで休憩が入り、煙草でも吸おうかとバスを降りた。蒜山高原ではまだ雪が残っており、涼しい気候であった。その後、米子付近まで来ると、まだ雪を被った美しい大山が見えた。大山は旧国名をとって伯耆大山伯耆富士などとも呼ばれ、山陰本線伯備線の合流するところには伯耆大山駅がある。その後は米子で降りる客を何人か降ろして、間もなく松江に辿り着いた。

 

 

 山陰はICOCAエリアが非常に狭いが、この日はそのエリア内をうろうろするだけなので、松江駅の自動改札を通ってまずは安来へと向かった。安来駅は本当は米子駅からの方が近く、バスも米子で降りてまったく問題なかったのであるが、何となく島根縛りにしたいという個人的で無意味な拘りから少し運賃が上がっても松江側からギリギリ島根県の東端にあたる安来に来たのである。

 安来駅は木組の美しい風情のある駅舎であった。駅前に停まっているバスは、これから行く足立美術館行のバスであるが、これが何と無料シャトルバスなのである。普通の路線バスに乗る必要がなく無料で安来駅との往復を乗せてくれるのはとてもありがたい。

 

 

 足立美術館安来駅から少し山手に向かったところにある、島根きっての美しい日本庭園と、横山大観を主とした数々の日本画や陶芸などを鑑賞することができる美術館である。横山大観と言えば近代日本画界を牽引してきた画壇の重鎮であり、朦朧体と呼ばれる画風で知られる。館内の絵画などは撮影禁止となっているため写真を撮ってここに載せることはできないが、間違いなく一見の価値がある日本画の数々が展示されていた。また、順路に沿って進む間の所々で色んな角度から日本庭園を鑑賞することができ、こちらは撮影可能である。枯山水もあれば池庭などもあり、米国の『The Journal of Japanese Gardening』における日本庭園ランキングで20年連続で1位に選ばれているほど海外からの評価も高い。この日はよく晴れていて、一層美しく輝く木々の緑と、絶妙な配置の岩などが保つ調和に私は心を奪われた。

 

 

 

 

 

 美術館を出てシャトルバスで駅まで折り返すと、山陰本線で折り返し、松江駅を通り過ぎて玉造温泉に着いた。駅から温泉街までは徒歩20分ほどかかり、雲一つない空、傾き始めた日の光に照らされながらしばらく歩いた。

 温泉街は川を挟んだ両側に古風な旅館などが並ぶ典型的な温泉街といった趣である。無料で入れる足湯もあるが、あまり時間がなかったのでそこは通り過ぎて、日帰り温泉に入る。温泉に行けば一つくらいは温泉むすめの等身大パネルが置いてあるのは普通だが、それ以外にもやたらとグッズが置いてありサインも展示してあり、建物自体も少し変わった構造の温泉であった。ちょうどいい湯温の温泉に浸かって、初日なのでまだ大して溜まっていない旅の疲れを少し癒した。

 

 

 

 来た道をまた徒歩で折り返し、山陰本線を更に少し西へ乗って出雲市駅で降りた。日が暮れた夜の出雲市を少し歩いて出雲そばを食べに行く。出雲そばは戸隠そば、わんこそばと並び日本三大蕎麦の一つに数えられ、割子と呼ばれる漆器が何段にも重ねられて提供されるのが特徴的である。三段重ねの出雲そばが届くと、まずは一番上の割子に出汁と薬味を入れて蕎麦を啜り、なくなると下段の割子の蕎麦に上段の割子に残った出汁を移して食べていくという食べ方をする。無事閉店する前に美味しい蕎麦を食べることができて満足したところで、1日目は幕を閉じた。

 

 

 

 翌朝、まだ日の出前に出雲市駅まで行って、日が昇り始める車窓を眺めながら大田市駅に着いた。大田市と言えば、あの世界遺産にも登録された石見銀山がある市である。駅から路線バスに乗って、まずは石見銀山で鉱夫たちが生活していた大森の古風な街並みを散策する。着いたのがあまりに早すぎて観光客はまったくいなかった。大森には黒い瓦の建物も多かったが、所々に赤褐色の石州瓦を葺いた建物もあった。石州瓦は石見では現在でもよく使われており、山陰本線から見える街並みにも赤い屋根瓦を多く見ることができる。

 

 

 

 

 静かな街並みをかなりの距離歩くと、それはやがて途切れて、木々の間に車道が一筋伸びている。この道を2kmほど歩くと、間歩と呼ばれる坑道の中で、石見銀山では唯一間歩の中が常時公開されている龍源寺間歩に辿り着く。間歩の中は本当に鉱山の中を掘り進めただけの狭く低い道がずっと続いており、所々に道の左右の壁を少し掘った空間があるが、それらは立入禁止となっていて、進路は一方通行の一本だけである。途中に竪坑と呼ばれる排水坑もあり、ここから間歩に溜まった水を下へと流していたようである。奥へ奥へと進んでいくと、やがて岩盤で塞がれた坑道の端に到達し、その奥には更に狭い坑道が続いていたらしいが立ち入ることはできない。左手には、苔むした岩壁をしてはいるが現代的な手摺りがつけられた、出口に続く新坑道が伸びている。これは観光用に昭和末期に掘られた通路のようだった。

 

 

 

 

 

 

 入口より少し手前の出口から出て大森の街並みまで戻ると、観光客はかなり増えてきていた。流石に私が早く来すぎただけで、観光地としての人気がないというわけではないようで安心した。アクセスが多少難しかろうとも、世界遺産を一目見たい人は大勢いるに違いない。最初のバス停まで戻ってくると、大田市駅へと引き返した。

 ところで、石見銀山世界遺産としての登録範囲は、山奥の坑道や街並みだけでなく、銀を各地に輸送するための港も含まれているのである。その一つの温泉津港には、まさにその名の通り温泉も湧いており、温泉津温泉として知られている。ちなみに、「温泉津」と書いて「ゆのつ」と読む。

 大田市駅から数駅乗ると温泉津駅に着く。駅前には大したものはないが、温泉津温泉とその街並み保存地区への案内が書かれており、道なりに港沿いの道を上っていくと、温泉街に至る。温泉街としての知名度はあまり高くない場所かもしれないが、世界遺産の温泉であることを売りにしており、かつては石見銀山に従事した鉱夫たちが仕事の疲れを癒した温泉街である。その中の日帰り温泉に立ち寄って、二日連続で温泉を堪能した。

 

 

 

 

 一日を通して天気が優れなかった石見銀山についに雨が降り出し、傘を差して温泉津駅まで戻り、石見銀山を後にした。そこからは一気に西走し、島根県の市として最西端の益田市にあり、山陰本線山口線との乗換駅でもあり、山陰本線の運行系統上の境界にもなっている益田駅までやってきた。

 時間はそろそろ宵に入る頃、益田には日本一の居酒屋とも称され、食べログの居酒屋百名店にも選出されている有名な海鮮居酒屋があるという。駅からしばらくあると、その居酒屋はあった。木造のあまり大きくない建物で、都会の居酒屋のように店の前の通りを人々が行き交ったりしているわけでもなく、はっきり営業中と書いているわけでもないので少し不安だったが、恐る恐る木の引き戸を開けてみると、下に行く階段があって、それを下ると普通に接客してもらってカウンター席を案内されたので、一安心した。

 

 

 有名店だと聞いていたが、この日は他に人もほぼおらず空いていた。天気が雨だからなのか、時間がまだ早いからなのかはわからない。メニューはいかの生き造りなどが名物で、他にも色々な魚の刺身などを新鮮なままいただけるようであったが、あまりお金も持ち合わせていなかったので、海鮮丼にいくつかの小皿がついたセットと、サワーを一杯だけ注文し、それを飲みながら料理の到着を待った。明らかに旅人の出立ちをしていた私に、どこから来たのかとカウンターの向こうから板前が尋ねたので、大阪からと伝えた。きっとこの店には全国から客が訪れるのだろう。

 やがて来た海鮮丼は新鮮な刺身を敷き詰めたもので、ちょうどいい価格で美味しい魚介をいただくことができた。味噌汁や漬物など他についてきた料理も美味しく、隣に誰もいないカウンター席で一人舌鼓を打った。落ち着いた居心地のよい空間で日本海の魚を楽しんで会計をした後、階段を上ろうとした時に、店内の生け簀に気がついた。こうやって鮮度が保たれているのだなあ。全国の居酒屋を多くは知らないので日本一なのかどうかは判断しかねるが、また訪れたいと思うようないい店ではあった。

 

 

 益田駅に戻ると、山陽側へ向かうために山口線に乗り、終点の新山口から更に宇部線に乗って宇部新川に着いた。この日はここに泊まった。宇部に着いた頃には深夜であった。

 

 宇部新川駅宇部市の中心であるとともに、宇部線及び小野田線の中では大きな駅である。厳密には小野田線は隣駅の居能駅からであるが、運行系統上は宇部新川から出発する。そこから小野田線に乗って終点の小野田駅まで行き、山陽本線に乗って、山陽本線美祢線山陽新幹線の3路線が通る厚狭駅まで行った。そこから更に美祢線へと短距離で乗換を繰り返して、ようやく美祢駅に着いた

 美祢駅からバスに乗って向かったのは秋芳洞秋芳洞は日本有数の鍾乳洞で、その上には地理の教科書にも載っているように日本最大のカルスト台地秋吉台が広がる。バス停から秋芳洞の入口まで土産物屋の並ぶ細い通りを歩いて、秋吉台ジオパークの一部を構成する巨大な鍾乳洞へと入っていった。

 

 

 

 秋芳洞の中は、広いのはもちろん、様々な形をした鍾乳石が複雑な地形をなしており、棚田のようになっていたり、特徴的な形のために色々なものに喩えた名前のつけられた石があったりと、見所が多すぎて書き切れないほどである。観光用に公開されているエリアの真ん中くらいに、上の秋吉台展望台に行けるエレベーターがあるが、まずは鍾乳洞の立ち入れる範囲での一番奥まで行ってみることにした。

 

 

 

 

 最奥まで行くとそこには別の出口があったが、ここから出ても正面入口やバス停に戻れず、秋吉台を見るのも難しいということで、鍾乳洞内を引き返してエレベーターのところまで戻ってきた。エレベーターは80mもあるらしく、上まで行ってエレベーターを降りて地上に出た後も、更に坂道が続いていた。急勾配の坂をしばらく歩いてようやく展望台に辿り着くと、そこからはごつごつとした岩が突き出しドリーネが形成されている広大なカルスト台地を見ることができた。それは遠くの方までずっと続いていて、見渡す限りそんな様子であった。円形の展望台の建物の上から、そして地上の一番前まで行ったところから、色んな角度からその景観を観察した。自然が悠久の時を経て作り出す地形というのは本当に感嘆するしかない。

 

 

 

 

 一通り見終えると、またエレベーターに乗って秋芳洞に戻り、そのままバス停まで引き返して、バスで美祢駅に戻った。そこからは長い時間をかけ、途中岩徳線を乗り潰したりしながら広島駅まで駆け抜けた。もう時間はすっかり夜である。駅ビルのエキエに入って、夕食をとることにした。

 向かったのは広島つけ麺の店。広島つけ麺とは中華麺と一緒にキャベツなどが盛られていて、たれはラー油などで辛くした広島のご当地ラーメンならぬご当地つけ麺である。つけだれの辛さは選ぶことができ、店内にはそこまで書いてないが100倍もあるそうなのでそれを注文すると普通にオーダーが通った。しばらくして着丼すると、ラー油と胡麻が大量に浮いた赤いつけだれに食欲をそそられ、つけ麺を食べていく。流石に100倍ということもあって辛くはあるのだが、元が普通の唐辛子やラー油なのでそれをいくら入れても限りがあるようで、ピリ辛くらいの感覚で食べ進めることができた。追加で麺を注文し、少食の私にしては珍しくかなりの量を完食して、会計を済ませた。

 

 

 

 広島市内の観光は昔したことがあるので、つけ麺を食べただけで去って更に東進し、三原駅で降りた。ここに泊まるのには理由があったが、すぐに後述するように結局は無意味な移動となってしまった。ともかくその日は三原に泊まった。

 

 予定では大崎下島に行くつもりで三原に滞在していた。三原駅呉線の起点であり、途中の竹原で降りて竹原港まで歩いて大崎下島行の船に乗るはずだった。しかし、乗る予定だった時間の呉線に乗り損ねて、この日の予定が一気に潰れた。というのは、大崎下島の中でも重要伝統的建造物群保存地区に指定されており、また『たまゆら』というアニメにも登場する御手洗地区に停泊する便が少なすぎる上に、御手洗から歩けるところの大長に停泊する便を含めてもやはり便数が少なくてめちゃくちゃ時間が空いてしまうからである。やはり離島や山奥などアクセスの難しい場所へ行くのは、少しでも時間が狂うと一気に破綻してしまう。私は三原駅でしばらく立ち尽くしていた。

結局、その日広島県内で行きたい場所が大して思い浮かばなかったので、乗り潰しをすることにした。三原まで行った甲斐なく広島駅まで戻り、芸備線の快速みよしライナーで三次まで行き、福塩線に乗り換えて、府中で乗り継ぎをした後、終点の福山に着いた。

 

 

 福山には行きたい場所があった。福山の中心からずっと南へ行ったところにある、伝統的な街並みの残る港町・鞆の浦である。そこまで行くバスとの乗り継ぎが悪かったのでしばらく福山駅前をうろうろして時間を潰した後、バスに乗って鞆の浦に着いた。

 

 

 バス停からしばらく海沿いの道を歩いていくと、伝統的な日本家屋の並ぶエリアに入った。海沿いには鞆の浦のシンボルである常夜灯があり、多くの漁船が停泊していて、瀬戸内海が日光を照り返し輝いて見える。一方で一本筋を入ると隘路が入り組んでおり、所狭しと木造家屋が立ち並ぶ古い街並みがあった。それら伝統的な家屋の他に、寺も多くあり、かつては城もあったようで、少し階段や坂を上った小高い丘には鞆城跡の石垣が残っている。それらを自由気儘に歩き回り、日が傾いてきた頃にバスに乗って福山駅まで戻った。

 

 

 

 

 

 

 夜の福山の繁華街に入って、尾道ラーメンの店に入った。尾道ラーメンは当然尾道のご当地ラーメンであるが、尾道の隣の市であって備後で一番栄えている福山にも店舗が多い。醤油ベースのスープに背脂が浮かんでおり、麺は細麺だった。ずっと前に尾道でラーメンを食べた時より美味しく感じたので、尾道では自分好みの店に入れず福山では当たりの店に入れたのだろう。スープまで飲み切って店を出ると、商店街を抜けて少し駅から離れたネカフェに行って、時間が余ったのでゆっくりと一夜を過ごした。

 

 

 

 次の日が4日連続で使えるこのきっぷの最終日である。この日は元から大して観光する予定などなく、乗り潰しをしながら大阪に帰るつもりだった。ところが、乗る予定だった福塩線の時間に間に合わず、次に府中より北に行く列車を待っていては大阪まで帰り着かないので、山陽本線で広島まで行き、芸備線で三次に着いた。前日から同じ路線を行ったり来たりして非常に無駄な時間を過ごした気分になった。

 三次から備後落合に行く列車まで乗り継ぎ待ちがかなり長いので、昼食に広島風お好み焼きを食べることにした。三次では麺に唐辛子を練り込んだ唐麺を使ったお好み焼きが名物のようだったのでそれを注文して食べた。実際、私が辛さに強く舌が鈍感になっているせいか麺の辛みは感じなかったが、お好み焼き自体は美味しく、三次の味かどうかわかりかねたのが悔しいものの広島の味を感じることができた。

 

 

 

 ここからはひたすら芸備線姫新線を乗り継いで、内陸の中国山地を突っ切っていくルートで帰った。途中の備後落合には雪が残っており、実際、備後落合から松江市内の宍道に至る木次線の方は雪の影響で運休していた。木次線もいつかは乗りたいと思いながら芸備線で新見まで行き、ここから姫新線となって、津山で乗り継ぎ、佐用まで行った。

 

 

 ここで初めて、このきっぷと18きっぷの最大の相違点と言ってもいい特権を行使した。智頭急行に乗ってショートカットするのである。佐用姫新線智頭急行線の2路線が乗り入れる駅であり、そこから智頭急行に数駅だけ乗り、終点の上郡に行くと、ここからは山陽本線に乗ることができる。実はここで智頭急行に乗れなければその日中に大阪に着けないところだったので、この仕様は非常に助かった。

 

 

 そして山陽本線で姫路まで行くと、いつもの新快速が待ち受けており、ハプニングの多かった今回の旅を何とか丸く収めて、楽しかった余韻に浸りながらクロスシートに座った。

箱根・伊豆旅行

 昔、確かに伊豆急と南伊豆のバス路線が2日間乗り放題になるフリーきっぷがあったはずなのだが、先延ばしにしていたらいつの間にか廃止されてしまっていた。同じく先延ばしにしていた著名な観光地として、箱根があった。2ヶ所とも、東京から行きやすく、かつJR沿線ではないので18きっぷで行けないという点で共通しており、このままでは一生先延ばしにしてしまう気がしたので、18きっぷのシーズンではない時に、普通運賃であっても行こうと重い腰を上げたのであった。

 小田急の急行に乗って、まずは小田原まで。小田原駅は箱根観光の拠点として複数の路線が乗り入れており、駅の近くには小田原城などの観光地があるが、小田原駅周辺の観光は以前にしたことがあるので今回の旅では割愛し、小田急のホームから繋がっている箱根登山鉄道のホームへと向かう。

 

 

 箱根登山鉄道小田急グループの鉄道会社なので、駅名標やら車両やらも小田急に似ているし、小田急の特急ロマンスカー箱根湯本駅まで直通することもある。小田原〜強羅までの路線だが、運転系統としては箱根湯本で一旦途切れているといった感じだ。私はまず箱根湯本まで行って、周辺を散策することにした。

 

 

 箱根湯本駅は流石有名観光地と言うべき立派な駅舎で、駅前の商店街も栄えており多くの観光客が行き交っている。とりあえず私も商店街を往復して湯本の街並みを楽しんだ。その後、駅からすぐ近くのところにある温泉に向かって坂を上っていった。

 

 

 公衆浴場らしく簡素な造りで、入浴料を払うと細い道を通って脱衣所で服を脱ぐ。温泉にはたまたまその時先客がおらず、しばらく一人でゆったり浸かることができた。浴場はごつごつとした岩に囲まれていてそこそこの面積があり、後から人が入ってきてもまだまだスペースにはかなり余裕がある感じであった。いつかは旅館の温泉にも入って泊まってみたいものだが、私はこういうレトロな香りの漂う公衆浴場もかなり気に入っている。

 温泉を後にすると、続けて箱根登山鉄道で更に箱根の奥へと進んでいく。終点は強羅駅で、ロープウェイと繋がっているので一応乗換駅のようなものだ。箱根湯本には及ばないが多少は土産物屋などがあり、ロープウェイに乗り換えるのであろう観光客も多くいた。

 

 

 しかし、私はロープウェイには乗らなかった。というのは、実はバスに乗った方が運賃が安く、金欠の私はなるべく出費を抑えたかったから、という何とも情けない理由である。バスはロープウェイの終点と同じく桃源台に向かって走っていく。やがて到着し、バスを降りると、目の前には箱根駅伝の折り返しポイントとしても有名な芦ノ湖が広がっていた。

 

 

 

 芦ノ湖周辺にはさほど人はいなかったので、のんびりと湖畔を歩く。スワンボートなども多く繋留されていたが、実際に乗っている人は見当たらなかった。少し寂しいが、落ち着く散歩道だった。

 芦ノ湖からバスに乗って、今度は標高が低い方へと向かっていく。降りたバス停は、箱根観光では外せない大涌谷である。こちらは多くの観光客で賑わっていたが、恐らくほとんどは強羅からロープウェイで訪れた客で、私のようにバスで来た人はほぼいないだろう。

 

 

 

 大涌谷から湧き出る蒸気は一目見る価値のある壮大さを誇っており、見入っている観光客が多くいた。私もその壮大な自然の営みに目を奪われて、しばらく眺めながら写真に収めた。すぐそばには黒たまごを始めとした様々な土産を売っている施設があり、そちらも物色はしてみたものの、お財布事情が気になって結局何も買うことはなかった。最後、バス停に戻る道で、晴れ渡る青空を背景としてはっきりと富士山が大きく見えた。

 

 

 

 再びバスに乗って、次は彫刻の森美術館へと向かう。近くのバス停を降りて少し歩くと、それはあった。事前に買っていたウェブチケットを見せてスムーズに中に入ると、いきなり美しい彫刻が現れた。全体的に現代アートの多い美術館で、恥ずかしながら美術に昏く作者を知らない場合も多いのだが、流石にブールデルくらいは知っていた。

 

 

 そこから公園のようになっている施設内を歩いていくのだが、その所々に様々なコンセプトの現代アートがあり、錯覚を起こさせるようなものもあった。その中でも、やはりステンドグラスの敷き詰められた壁面を螺旋階段を上りながら鑑賞することができる塔は美しく、私を含む素人でもかなり心躍るものがあった。

 

 

 

 その先にはピカソ館があり、ピカソの様々な作品が展示されていた。そこは屋外の吹き曝しの彫刻群とは違い、建物の中に絵画が展示されている、美術館と聞いてイメージするような空間そのものである。撮影は禁止されていたので屋外の彫刻のように写真として残せるわけではないが、その長い生涯の中で様々に画風を変えながら20世紀の美術界を牽引してきた偉大な画家の作品群は大変よいものであった。

 

 

 その後も、また別の道を通りながら、屋外の現代アートを見て回った。閉館ぎりぎりの時間までじっくり鑑賞して、美術館を出た。最寄駅まで行って、箱根登山鉄道小田原駅まで帰る。箱根観光はこれで終わりなのだが、もう一つだけ寄りたいところがあった。それはご当地ラーメンの一つである小田原ラーメンである。

 宿泊地の都合もあり、JR東海道本線の上り方面へ一駅、鴨宮駅で下車する。ここから少し歩いて、小田原ラーメンで有名なラーメン屋に辿り着く。小田原系ラーメンは豚骨醤油のスープで、私が注文したものは葱がたくさんトッピングされたものである。普段は味が濃く脂っこいものの方が好きな私だが、時々こういう優しい味のラーメンも食べたくなるものである。

 

 

 ラーメンを食べ終わると、そのまま鴨宮駅近くに宿泊して、1日目は幕を閉じた。

 

 鴨宮で一夜を明かすと、東海道本線に乗って熱海まで行き、伊東線伊豆急行線伊豆半島をどんどん南下していく。伊豆急は今度は東急グループの会社だが、箱根登山鉄道の場合と違って東急の路線とはまるで繋がっていない。たまたま観光列車がやってきて、窓側に向かって座れる座席があり、途中、海岸沿いを走る列車が相模灘を何度も見せてくれた。

 

 

 

 終点の伊豆急下田駅は改札に入口と出口があって、その二つは別々になっている変わった駅であった。到着はまだ朝で、昼食には早い時間だったので、とりあえずペリーロードの方へと歩いていった。下田は江戸末期、鎖国が終わって初めて開港された地であり、ペリーが来航した地点から、日米和親条約の付録である下田条約が結ばれた了仙寺までの細い川沿いの道がペリーロードである。近づくにつれ少しずつ古風な建築が見られるようになり、期待が高まっていった。

 ペリーロードに着くと、そこにはやや小規模ながら水路の両岸に古風な建築が軒を連ねており、シダレヤナギが映える小洒落た道が伸びていた。その道を奥の方まで歩いていくと、ペリーロードは左に曲がっており、その先には港とペリー艦隊来航記念碑があった。ペリーの胸像は、日本史の教科書に載っているような容姿そのもので、この地が歴史の大きな転換点になったことを今に伝えている。

 

 

 

 

 最後に軽く了仙寺を見学して、駅の方へと歩き始めた。そろそろ飲食店が昼営業を始める頃であろう。下田名物である金目鯛を食べたいと思い、海鮮の食堂の暖簾をくぐる。金目鯛を含む種々の刺身の乗った海鮮丼に味噌汁やエビフライなどがついてくる定食をオーダーした。下田の鯛は新鮮で普段食べるものより当然美味しく、定食全体としてもボリュームがあって、満ち足りた気持ちで店を出た。

 

 

 伊豆急下田駅の入口の方の改札を通って列車に乗ると、今度は普通の車両だったが、伊東線内を直通する熱海行であった。そのまままた端から端まで乗って、数時間ぶりに熱海に戻ってきた。

 次は三島へ行きたいと思っていたのだが、わざと一旦熱海で改札を通って外に出た。これは鉄道で旅をする人ならよく知っていることであろうが、JR同士でも複数の会社の路線に跨ってしまうと、交通系ICでは自動改札で弾かれてしまうためである。今回で言えば、熱海駅JR東日本JR東海の境界駅であり、JR東日本伊東駅からJRに入ってJR東海三島駅で降りようとするとややこしいことになる可能性があった。というわけで改めて熱海駅の改札を通って、JR東海東海道本線に乗って三島に向かった。余談だが、この問題はあくまで交通系ICの話であり、普通のきっぷや18きっぷなどの場合は気にする必要はない。

 三島駅熱海駅と同じく東海道新幹線の停車駅でもあり、大きな駅で、駅前も栄えている。駅の近くに楽寿園という庭園があるのでそこに向かう。楽寿園は本来は有料施設だが、無料で入れる条件が色々あり、私の場合は学生証を提示することで無料で入れてもらえた。なんと学生に優しい施設であろうか。数百円のこととはいえやはり得をすると嬉しいのが庶民感情である。

 楽寿園は池泉回遊式庭園を中心としながらも、一部で動物が飼われていたり蒸気機関車が置いてあったりと独特な施設である。当初はこの後に伊豆箱根鉄道駿豆線修善寺まで行こうかと考えていたのだが、微妙に時間が狂い、開門しているうちに訪れられなくなったので、逆に時間が余り、楽寿園をじっくり回って楽しむことができた。

 

 

 

 その後は、もう少し駅から離れたところにある三嶋大社を訪れた。これまた庭園も美しい立派な神社であり、鳥居に一礼して参拝した。私が願うことはシンプルで、それはただ心の平穏のみである。常に穏やかな気持ちで趣味などを楽しめるような環境を構築するため、これまでも多くの神社でそれを願ってきた。

 

 

 

 三島駅周辺の観光を終えて駅前に戻ってくると、最後にコンビニでみしまコロッケを一つ買った。みしまコロッケは箱根西麓の三島馬鈴薯で作られたらしいコロッケで、町おこしの一環として生まれたものであるらしい。寒風の吹く駅前のベンチで、冷めないうちにコロッケを食べた。

 

 

 三島に別れを告げ、会社跨ぎの問題を解消すべく普通のきっぷを買って、小田原まで戻った。JRから小田急に乗り換えると、急行列車が新宿を目指して走り始めた。

会津・上越旅行

 冬になると雪を見たくなる。私は雪の降らない土地で育ったので、雪が積もったことが滅多にないし、積もっても数cmもあるかどうかですぐ溶けてしまうものだった。雪だるまを作れるほどの雪は私の生活圏では経験したことがない。それで冬の18きっぷは降雪量の多い東北や日本海側に行きたくなる。

 当初の旅程では、会津の観光をした後、只見線に乗って新潟県入りし、そのまま上越方面まで行こうというものであった。しかしこれは後述する大雪のせいで叶わなかった。そのため、まとまった一つの旅行かのように一つの記事に書いているが、実は不幸にも分割されてしまった二つの小旅行の話になる。

 さて、会津を観光するのにまずは移動拠点となる会津若松駅まで向かうのだが、どうやら会津若松まで着いた後に会津の山奥の方まで観光して戻ってくるという行程を一日に収めるのは無理があるようだ。初日は、退屈だが会津若松への前日入りということで、のんびり東北本線を北上していく。

 この日は特に観光らしい観光をしないので逆に時間は余っており、乗り潰しのために烏山線に乗ったりしてみた。烏山を観光すればよかったのかもしれないが、この日は出発が遅かったのもあり、それをすると今度は時間がなくなるというジレンマに陥り、結局はすぐにそのまま折り返した。

 引き続き北上して黒磯まで着くと、乗継に時間があったので少し駅前を散歩した。旅をするときは地元のスーパーなどを見ると地域性・文化がわかったりお土産が安く買えたりするので、特に何も買わずスーパーをうろうろしたりしていた。駅前にある図書館は非常におしゃれで内装も美しい場所で、市立の図書館というよりも蔦屋書店のような落ち着いていながらも襟を正したくなるような高級感を提供していた。

 

 

 この先は私のように鉄道旅をする人にとってはきっと煩わしいであろう白河越えである。もう何度もやらされた、新白河での同一ホーム上の前後移動による乗継をして、郡山に着いた。

 

 

 郡山は東北で二番目の経済規模を誇る都市であるが、仙台一強で人口50万前後の中規模都市がない東北での序列というところが悲しい。それでも駅ビルや百貨店もあり、高層ビルもあり、商店街も人はいて、決して寂れているといった様子ではない。

 駅前はイルミネーションで飾られ冬らしい装いで、更に小ぶりなステージも用意されていた。何かバンドのミニライブでもするのだろうか。私が見た時は、誰も登壇していないにもかかわらず、ステージには人が群がっていた。

 

 

 郡山ではもう日が暮れていたので、何か夕飯を食べようとご当地の名物グルメを検索してみるも、あまりその日の気分に合う料理がなく、結局まぜそばの店に入った。店内は小洒落ており、まぜそばを頼むと、待ち時間に温かいスープを提供してくれた。寒い冬の東北では特にありがたいサービスで感激した。やがて着丼したまぜそばは魚介系でしっかりと味があり、チャーシューも分厚く美味しかった。郡山にこんないい店があったのかと満たされた気分で店を後にして、磐越西線に乗りに行った。この日は郡山で麺を食べただけの日となった。

 

 

 会津若松駅に着くと、只見線の開通を祝う階段アートなどがあり、翌日只見線に乗るのが楽しみになった(しかし結局、翌日には大雪で只見線は運休することになるのだが……)。会津若松駅周辺の観光は以前にしたことがあるので、今回は会津鉄道の起点になる西若松駅まで行ってそこで降りた。実はここで只見線に乗っているが、あまりに短い区間しか乗っていないので乗った気はせず、実はまったく乗れなかったわけではないという事実をつい忘れてしまう。

 そこからは宿泊地まで真っ直ぐ歩いていった。雪は多少積もっていたが、気になるほどではなかった。しかし、今思えば磐越西線の途中で酷く雪の降っている場所があったので、その時点で翌日の大雪もさもありなんといった感じであったのかもしれない。次の日に大雪に振り回されるとも知らず、この日は本当に何も観光しないまま就寝した。

 

 翌日は大雪であった。まだ踏み固められていない柔らかい雪道の上を歩いて西若松駅に向かった。駅に着くと、改札前に運休情報があり、只見線は運休とのことであった。新潟に行く方法は他にもあったが、只見線で終点の小出まで行けない時点で旅程が完全に破綻したのでへこんだ。しかし、幸い会津鉄道の方は動いていたので、それに乗って会津の山奥へと向かう。こちらは旅程通りに行動することができた。

 

 

 かわいらしいラッピングが施された車両に乗って南下していき、湯野上温泉駅で降りる。この駅がまた趣深く、外観は木造で屋根の勾配が急な雪国らしい建築で、中の待合室には囲炉裏まで存在して暖をとれるようになっていた。土産屋も併設されていた。

 

 

 

 駅から少し歩いたところに駐車場があって、そこにバスが停まっていた。このバスは湯野上温泉駅と大内宿の間を走るバスである。大内宿こそが今回の旅のメインとも言ってよく、雪国の古い街並みが化粧をした絶景を期待しながらバスに乗り込んだ。

 一面雪で覆われた何もない道をしばらく走ると、やがて宿場から少しだけ離れた場所にあるバス停で降ろされる。会津盆地以上に雪は激しく、新雪に足が埋まってしまう。そんな中で少し歩けば宿場の入口があり、そこを通り抜けて曲がると、少し晴れ間を覗かせた空の下、概念としての冬とでも言うべき光景が広がっていた。

 

 

 大通りがあってその両側に茅葺屋根の木造家屋が立ち並んでおり、郷土料理など様々な飲食店もあったりした。とりあえずはその景色を見回しながら奥の方へと歩いていく。雪はいつの間にか止んでいたが、風が吹くと屋根に積もった雪が巻き上げられ、さながら吹雪のように流されたり舞い上がったりしていた。白川郷五箇山などもそうだが、こういう土地で生きていくのはさぞ大変だろうと余所者の傲慢で月並みな感想が浮かんだ。

 

 

 道の終わり辺りまで行くと、階段と坂とがあって、そのどちらかを使って上に行くと、子安観音堂と見晴らし台があるが、階段はただでさえ急な上に雪が積もって滑りやすくなっている状態なので、細心の注意を払って慎重に上った。階段が怖いという声も周りから聞こえてきた。

 

 

 上まで行くと、観音堂に一礼し、横の空き地に行った。そこから下を見ると、木々の間にいい感じに大内宿の大部分が収まる形で先程歩いてきた街並みが見えた。上から見た銀世界は筆舌に尽くし難い美しさであり、数ある宿場町の街並みの中でも大内宿がとりわけ人気な場所の一つであることも頷ける。それは秘境に存在する豪雪地帯を描いた絵画のようであった。

 

 

 

 一頻りその景色を堪能すると、階段を下り、来た道を引き返していく。到着時は朝早くまだ開店していない店も多かったが、この頃になると開店し始めていたので、大内宿名物であるねぎそばを食べるために店の引き戸を開けた。

 中は畳の座敷になっており、適当な席に座ると、ねぎそばをオーダーした。到着したのは、情報としては知っていてもなお驚くほど長い白葱が一本そのまま蕎麦の器に凭れかかっているインパクトのある料理であった。伝統的にはその葱で蕎麦を掬って食べるようなのだが、一本しかない葱になかなかうまく蕎麦が引っかからない。周りの客も、試しに一口だけ挑戦してみて後は普通に箸で食べていたので、私もそれに倣った。

 

 

 葱は箸代わりでありながらそれ自体も食べるものなので、葱を豪快に齧りながら蕎麦を啜るが、流石に生の葱だけをそのまま齧ると辛くて食べにくい。持ち帰りもできるらしいのでそうしようか少し迷ったが、しかしこの空間で食べてこそ価値のあるものだと思ったので、蕎麦だけでなく葱もしっかり完食した。ただ、正直葱は食べにくいので、次に来ることがあれば普通の蕎麦の方を頼もうと思った。

 蕎麦屋でゆったり暖をとった後外に出ると、湯野上温泉駅に向かうバスの発車時刻が近づいていたので、初めのバス停があった場所まで戻ってバスに乗り、湯野上温泉駅に到着。ここから会津若松まで行く列車は来るにはまだ時間があり、寒い中多くの人が駅の待合室で待機していた。寒さに数十分ほど震えていると、ようやく列車が来て、会津線から只見線に直通して終点の会津若松駅まで乗った。

 

 

 さて、ここからどうやって新潟方面に向かおうかと思案し、只見線ルート以外に磐越西線ルート、かなり遠回りして米坂線ルートなども考えたが、結局どこも運休で、東京まで帰るルートさえ怪しいくらいの状況になってきた。よって、郡山まで戻って、比較的降雪量が少なくちゃんと動いている東北本線に乗って東京まで帰ることとなった。冬の18きっぷ旅ではこういうことはよくある。冬らしい雪景色を見たいが雪が降りすぎても鉄道が運休して困るというジレンマを抱えて、天候に翻弄される旅人側の敗北となった。

 

 後日、リベンジということで直江津に向かうことにした。直江津はJR信越本線えちごトキめき鉄道日本海ひすいライン妙高はねうまラインの3路線が通る交通の要衝となっている。かつてはすべてJRだったものが、北陸新幹線の開業によって三セク化されたためにこのような状況になっている。また、かつてはJR東日本JR西日本の境界駅でもあったため、文化的にも直江津を境に東西に分かれるところがあるのではないだろうか。いや、直江津くらいだとまだまだ東の雰囲気があると思うが。

 直江津までJRで行くなら高崎から上越線で長岡(正確には隣の宮内)まで行った後信越本線直江津に向かうというルートになるが、この日も上越線が一部運休しており長岡には行けないようになっていた。仕方がないので18きっぷだけで直江津に行くことを諦め、六日町〜犀潟に路線を持つ北越急行ほくほく線に乗ることにした。こちらの方が距離的にもショートカットできるし、ちょうどタイミングよく超快速スノーラビットに乗ることができたので速達性はJR縛りよりも遥かに高かった。北越急行内は18きっぷで乗降することも通過することもできないので、その分のきっぷは六日町で購入した。そのきっぷと18きっぷを両方見せて直江津駅の改札を出た。雪でどこもかしこも交通が麻痺している中、よくもまあここまで辿り着けたものである。

 

 

 直江津のあたりは海側で、会津のような山の中と比べれば雪はまだましだったようだ。それでもそれなりには雪が積もっていたが、除雪は済んで車道には雪がない。問題は、除雪車は雪を歩道寄りに集めるので、歩行者は普通に雪の上を歩いていかないという点であるが……。駅に近い一部の通りには雁木造の建物が連なっていて、そこは雪もなく歩きやすいのでなるべくその下を通りながら水族館まで歩いていった。

 

 

 

 雪の絨毯の向こうにある一階部分がガラス張りでおしゃれな建物は上越市立水族博物館うみがたりである。うみがたりは大きすぎず小さすぎずちょうどいい大きさの水族館だと思う。入館すると、3階に行くよう案内される。上層階から下っていきつつ魚類などを観察する形式の水族館である。順路が上の階から下の階へと向かうようになっているタイプの水族館や博物館などは時々見かけるが、やはり鑑賞を終えた時に出入口と同じ階にいる方がスムーズという理由なのだろうか。

 3階に行くと、まずクリスマスツリーが飾ってあって、そういえばそんな時期だったなあなどと思ったりしながら順路を進んでいく。日本海沿いの新潟らしく基本的に日本海の生物の水槽と地理的解説などを見ていく。少し暗めの空間の先には大量の魚が群れをなして動いている大水槽が見える。マイワシのダイナミックな運動と、のんびり泳いでいる様々な魚が見られ、下の階に行ってもまた別の角度から見られるので、十分なスケールで日本海の様子を再現できているのだろうと思う。下の階の他の小さな水槽にはそれぞれまた別の生物が展示されていて、その先には照明を落とした暗い水槽の中を泳ぐ深海魚のコーナーがある。最後の方にはゴマフアザラシの泳ぐ水槽やイルカの泳ぐ水槽などがあって、イルカショーもやっているようだったが、タイミングが合わなかったのでそれは見送った。

 

 

 

 

 

 

 明るい空間に出ると、マゼランペンギンの展示があるはずなのだが、鳥インフルエンザの影響で展示を中止しており残念ながらお目にかかることはできなかった。ニシキゴイが泳いでいて餌やりもできる池に行くと、餌がなくても大量の鯉が群がってきた。水族館や動物園の餌やり体験ができるコーナーで必ず見られるように、人間を認識すると餌をくれると思うのだろう。私は餌をやらずにそこを去って、ミュージアムショップに入って軽く物色し、うみがたりを出た。私は懐が寂しいので入館料を払うので精一杯だ。

 

 

 

 直江津駅に戻ると、駅にも小さな水槽があって魚が展示されていることに気づいた。水族館で有名な場所の駅にはいくつかこういう駅があるが、安房鴨川駅など撤去された駅もあるので、維持するのはそれなりに大変そうだ。

 

 

 さて、次は高田城を見に行くべく妙高はねうまラインに乗る。高田までは2駅しかないから到着はすぐである。しかし高田で降りると、駅舎は黒い屋根瓦の立派なもので、雁木造の商店街も存在していて、まるで別の町に来たみたいだった。というのは、直江津と高田は今でこそ合併して同じ上越市になっているが、元は別の町で、直江津は港町として、高田は城下町としてそれぞれ発展したからである。

 

 

 高田城は天守はないが、三重櫓がある。東日本では徳川家に遠慮して天守を建てず、三重櫓などを天守代わりとして使っていた城が多く、高田城もその一つである。現存天守にしろ復興天守にしろ、天守のある城跡は西日本に多い。また、高田城には石垣もなく、縄張りは堀に水が張られているだけで、後は土と芝生の土台しかない。城内には学校や陸上競技場などもあるようだった。

 

 

 雪に覆われた斜面の上に三重櫓が建っている。天守ではないというだけで十分立派な建築である。中は大抵の城がそうであるように城にまつわる歴史の展示があって、最上階は展望台になっている。さほど広くないので軽く展示を見て、展望台から城内を眺めて、外に出た。城内に入った時とは別の、部分的に雪が積もった橋を渡って、駅の方へ戻った。

 

 

 直江津方面の列車に乗るのだが、ネカフェがあるのが直江津と高田の間あたりで春日山駅が近かったのでそこで降りる。港町に来たら魚が食べたくなるので、寿司の店に入って、12貫の寿司に味噌汁のついたセットとハイボールを注文し、寿司に舌鼓を打ちながら軽く一杯ハイボールを呷った。普通に単品の2貫の寿司もあるので最後にそれをちょっと注文して食べてから店を後にした。コンビニでたまたま見つけた新潟限定の缶ビールを限定の文字に釣られて買って、それをネカフェで飲みながらこの日の旅程は終わった。

 

 

 

 

 翌日、直江津駅に着くと、今度は日本海ひすいラインに乗って糸魚川に向かった。この路線もJRではないので18きっぷは使えず、普通のきっぷを購入。糸魚川に着くと、雨が降ったり止んだりの不安定な天気で、私はなるべく雁木の下を歩いた。雪は積もっていなかった。

 

 

 駅からさほど遠くないところにもう日本海があり、小さな展望台も設置されていた。雨も風も強く傘を持っていても大変だったが、展望台には屋根があって雨を凌ぎながら、どんよりした日本海テトラポッドを見ていた。晴れの日ならもっと綺麗に見えるのだろう。天気を操作する異能を習得したいと常々思う。

 

 

 

 展望台を下りて駅の方に向かって歩き始めるが、せっかくなのでご当地B級グルメを食べようと思って、昼食には少し早い時間に中華の店に入った。注文したのは糸魚川ブラック焼きそば。いかすみで真っ黒な焼きそばの上に玉子が被せられていて、そこにマヨネーズがかけられている。いかすみと言えば石垣島でも真っ黒なチャーハンを食べたことがあったが、糸魚川イカがよく取れるらしい。焼きそばにはしっかりといかすみの味があって非常に美味しかったし、いかすみ自体日常的には食べないので珍しいものを食べた満足感もあった。

 

 

 黒くなっているであろう口の中のことを少し気にしながら糸魚川駅に戻ると、次はバスに乗る。バスは駅から山側に向かって走っていき、小高いところにあるフォッサマグナミュージアムで降りた。この頃には雨は止んでいて、青空も見えたが、館内に入れば恩恵もないのでやはり展望台で晴れの海を見たかったなあ、とかぼんやり思う。

 

 

 フォッサマグナは地理の授業などで習って知っている人も多いであろうが、日本列島を東西に分割するようにして存在している地溝帯である。その中でも、特に西端の境界線にあたる糸魚川静岡構造線は文化的にも東西に分ける基準の一つとして言及されることも多い。実際、直江津や同じ上越市上越妙高駅JR東日本が持っているが、上越妙高を境界として北陸新幹線JR東日本から西日本に切り替わり、その隣駅の糸魚川も西日本の駅である。

 館内の展示はとにかく翡翠が多い。翡翠糸魚川あたりでよく見つかるようで、大小様々な翡翠が大量に展示されていた。他にも種々の化石やカラフルな鉱物が多く展示されており、『恋する小惑星』(小惑星はアステロイドと読む)という地学をテーマにしたアニメで博物館に鉱物を見に行く回を思い出したりした(面白いアニメなのでぜひ見てほしい)。

 

 

 

 

 

 

 展示を見終えて出入口の方に向かう時に、クリスマスツリーが何個か置かれていることに今更気づいて、これらが置いてあるのはこの時期だけかと思うと少しラッキーな気もした。

 ミュージアムの近くには長者ケ原考古館という小さな博物館があり、縄文時代の土器など様々な当時の生活用品が展示されていた。この場所になぜこのような施設があるかというと、どうもこのあたりが縄文時代の遺跡であるらしいことに気づいた。帰りのバスの時間に間に合うように歩速を上げて林の中を通ると、その先には一面を雪で覆われた竪穴式住居があった。どこにも足跡がなく誰か来た形跡もないような地味な場所だったが、私だけの靴底のスタンプを残しながら、建物の中も少し覗き見た。しかしバスの時間が近づいておりもうあまりゆっくりできない状況だったので、また早歩きでバス停まで戻り、何とか間に合って糸魚川駅に戻ることができた。

 

 

 

 

 糸魚川駅前にもヒスイ王国館という建物があり、巨大な翡翠が置いてあったりお土産売られたりしていた。ここにもクリスマスツリーがあり、かなり背が高かった。そこで適当に物色して時間を潰してホームに行くと、大糸線南小谷行の列車が停まっている。大糸線は松本〜糸魚川を結ぶ路線で、一部は篠ノ井線中央本線にまで直通する。ここからはJRだけを使って東京に帰るので、18きっぷ以上の運賃は必要ない。夕方の糸魚川を背に、列車は長野の山間部へと走り出した。