潮騒、某、暮れ泥み

小説のような旅行記を。鉄道旅を主として全国を旅しています。

北陸新幹線敦賀延伸前旅行

 北陸新幹線敦賀延伸が実現する直前のことである。北陸は新幹線の金沢延伸の頃から18きっぱー泣かせな場所だと思っていて、かつては私もJR西日本の企画きっぷである北陸おでかけパス(現在は廃止、代わりとなるきっぷあり)で各地を回っていたものだった。それが敦賀まで延伸するとなると、ましてや在来線は悲惨なことになり、三セクだらけとなって、JRの管轄する北陸本線敦賀米原のみとなる。最早ほとんど滋賀県なので、路線名ごと変えてしまえとすら思った。

 ともかくその前に、金沢〜敦賀間だけでも18きっぷで旅しようと思い、敦賀延伸直前に滑り込みで行くことにした。あくまで延伸前の状況を書いているという情報をタイトルに含めようとしたら、ハッピーウェディング前ソングみたいなタイトルになってしまった。それはさておき、北陸へ向けていつも通り夜明け前に東京を出発し、ほとんど眠りながらまずは米原を目指した。

 米原に入ると、ここからJR西日本となり、北陸本線で北東方面へとやや逆走する形となる。まずは滋賀県最北端の近江塩津まで行く列車に乗り、近江塩津でかなりの乗換待ちを強いられた後、敦賀に到着した。

 JR在来線縛りとなると、関東方面からはこのルートしかなかった。信越本線など最早ないに等しいくらいに三セク化と分断が進んでいる。北陸本線も同じ運命を辿ることになった。

 敦賀駅北陸新幹線の開業を間近に控え、小綺麗な駅舎へと様変わりして湧いていた。とはいえ敦賀は以前観光したことがある上、境界駅としてぎりぎりJRのまま残るので、今回はそれより東側のJR区間を旅していくことにした。

 まずは金沢を目指して、敦賀から福井行に乗り、福井でまた乗換待ちをした後金沢駅に到着した。

 

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 福井県内の様子は後述するとして、まずは金沢から石川県西部を観光していくことにする。とはいえども、東京から在来線のみで金沢まで来るとかなりの時間がかかるため、既に日没の時刻であり、この日に観光らしき観光をするのは最早不可能であった。

 というわけで、初日は金沢駅周辺をぶらつくだけとなった。まず行ってみたかったのは、駅前にある商業施設である金沢フォーラスであった。金沢はラブライブの最新ブランドである蓮ノ空女学院の聖地ということもあって、沼津にあるゲーマーズ(通称ヌーマーズ)と似たような感じで、蓮ノ空ゲーマーズなるポップアップストアが施設内の一角に構えていた。

 

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 そこには蓮ノ空のキャラクター全員の等身大パネルと、ラブライブの各ブランドのグッズがあり、能登半島地震に関する支援も行っているようであった。店内にはライブ会場販売だけだったと思われるパンフレットなども販売されていて、品揃えが非常によい。私は蓮ノ空についてあまり知らないのでここではグッズを買ったりしなかったが、楽曲をSpotifyで聴いてみると、「みらくらぱーく!」が一番好きになりそうな気がした。その中でも個人的に好きな曲を一つ。

 

 

 ゲーマーズを一通り見て回ると、上階のレストラン街で寿司を食べることにした。金沢で回らない寿司などに行こうものなら万単位の予算が必要になることがわかったので、回転寿司である。

 いざ行ってみると、店内は満席で、店外に待ち客が数組ベンチに座って待っているという状況であった。順番待ちは入口の端末に人数などを入力する仕組みで、発券された番号札を持って外のベンチに座った。

 それなりに待っている人はいたが、回転も遅くないのでそこまで長くは待たずに入店できた。通されたのはカウンター席。一人で飲食店に入る場合は、まあ大抵はそうである。

 カウンター席には回転レーンがなかったので、事実上は回らない寿司であった。タッチパネルで注文すると、程なくして板前がカウンター越しに注文の品を渡してくれる。がす海老やこのわた、寒鰤などの北陸にしかないネタの寿司や珍味の乗った軍艦などを食した。この時は私にしては珍しく酒類を頼むこともなく、冷水とお茶だけを飲みながら金沢の美味しい寿司を満喫した。これが能登の復興に少しでも役立てば二重の意味で幸いである。

 

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 その後は金沢最大の繁華街である香林坊・片町の方へ向かった。そこに宿泊予定のネカフェがあるから向かったのだが、この道の途中で金沢おでんなるものがあることを知った。それで二軒目へと洒落込もうと思って片町付近のいくつかの店を調べながら訪れてみたものの、既に時間が遅くて営業終了していたり品切れで閉店していたり、はたまた満席だったりとなかなか厳しい状況であった。

 

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 その中でやっと空きのある店を見つけて、カウンター席に座ることになった。後ろのテーブルでは賑やかな飲み会が開かれていて活気があった。夜の片町を彷徨う内にますます遅い時間になっていたので、品切れのおでんの具も多いらしく、金沢おでん特有の具をいくつか頼もうとしても、赤巻きやバイ貝などは品切れで、蟹の甲羅と蟹味噌の上に蟹の身を盛った香箱蟹はシーズンではないのでそもそもなさそうだった。そんな中でも車麩だけは注文することができた。その他にはよくあるおでんの具をいくつかとビール一杯で軽く飲み食いすることにした。

 車麩はドーナツのような形をした麩で、非常によく出汁を吸うので、一口ごとに染みに染みた出汁の味が口の中に広がった。鰹節などの旨みが利いた優しい味わいの出汁は、これだけをずっと飲み続けたいと思うほどであった。

 

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 店を出ると、最後にコンビニだけ寄ってネカフェに入ることにした。コンビニで缶の酒を物色していると、石川県限定でゴーゴーカレーによく合うビールなるものが売られてあるのに気づいた。私は地域限定ものに弱いので、そのビールとゴーゴーカレー味のスナック菓子とを合わせて購入してネカフェに入った。ビールは柑橘系の風味がするようなもので、カレーに合うかはわからないがさっぱりした美味しいビールではあった。

 

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 翌日は北鉄に乗るために野町駅に向かって歩き始めた。途中には古い町並みの残るにし茶屋街がある。金沢の定番観光スポットとして有名なひがし茶屋街に対して、こちらの方まで来る人は少なくこぢんまりとしているが、風情のあるいい所であった。

 

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 野町に着くと、北鉄石川線に乗って終点の鶴来まで乗って行った。まだまだ寒い季節で、特に朝はよく冷えていた。少しだけ歩いて軽く駅前の風景を見てみた後は、バスに乗って目的地である神社に向かった。

 

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 バスを降りて山中の階段を上っていった先にあるのは、加賀国一宮である白山比咩神社だ。立派な神社の建築群は、豪雪に耐えられるような急傾斜の屋根をしているらしいが、そこまで明らかに急になっている印象は受けなかった。静謐そうな風景の中で落ち葉などを掃除している機械の音だけがけたたましかったので、参拝はさっと済ませて退散することにした。

 

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 バス停まで戻ってくると、そこには旧加賀一の宮駅があり、駅舎やホームなどがそのまま残されていた。かつてはここまで北鉄が伸びていたようだが、廃線になったらしい。そしてその一帯は公園になっており、梅の花がよく咲いていた。次のバスまでの待ち時間が長く、また突っ立ったり座ったりしているだけだと寒かったので、公園内をうろうろして少しでも寒さを和らげようとしたりしていた。

 

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 ついに鶴来駅行のバスがやって来ると、それに揺られてすぐに駅前に到着。そこから野町行の列車に乗って、北鉄石川線の駅で唯一JRに乗り換えられる西金沢(北鉄側の駅名は新西金沢)で降りた。ここからはJRで少しずつ福井・敦賀方面へと向かっていくのであるが、この日は福井駅までしか行かない予定であったので、18きっぷを使わずに普通のICカードで改札を通った。18きっぷはまた大移動をする時に取っておくべきだ。

 次にやってきたのは小松。ここは延伸区間の新幹線駅の一つで、新幹線開業までのカウントダウンをしているパネルがあった。これは少なくとも新幹線新駅にはすべて同じようなものが置かれていると思われ、福井駅などにもあったものだった。

 駅を出ると、正面には煉瓦造りの建物が並ぶお洒落な通りがあった。少し駅前をうろうろすると、そんなに時間もないので駅舎の方に戻ってきて、うどん屋に入った。小松うどんといううどんがあり、細めの麺で白山の水を使って魚や昆布で出汁を取ったうどんのことであるらしい。つるつるとした麺は喉越しがよく、出汁のレベルもやはり北陸は高い感じがした。次の列車の出発前に、金沢駅で有名らしい駅そばの小松駅の店舗で蕎麦も食べてみたが、個人的な好みとしてはやはりうどんの方が美味しかった。

 

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 続いて次の新幹線駅にもなる加賀温泉駅へ。駅舎は工事中の様子であったが、新駅舎も大方できている様子で、新幹線停車駅になるにあたって新築で現代的なデザインになるようだった。

 駅前からバスに乗ってまずは山中温泉へと向かった。加賀温泉駅周辺は加賀温泉郷と呼ばれるように複数の温泉地からなっている。山中温泉は文字通り少し山の方にだいぶ入ったところの平地にあり、バス停から降りてしばらくは普通の住宅街のような感じだったが、突如総湯が現れて、そこから奥の方はかなり温泉街らしい風情ある町並みになっていた。

 

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 まずは総湯の温泉に入ることにした。入母屋造の屋根に唐破風の入口という寺社仏閣のような建築の中に温泉があって、まだ旅の2日目ではあるが、前日にずっと鉄道に乗り続けて却って溜まっていた疲労に効くような心地がした。

 温泉を出ると、より温泉街らしい奥の方の町並みを歩いていった。町並みの途切れるところまで行くと蟋蟀橋なる木造の綺麗な橋があった。本当はそこから沢の方へ階段を下って見上げる形で橋を見るのがいいようだったが、時間がなかったのでそこまでは行かずに次のバスに乗ることにした。

 

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 さっきと逆向きの駅方面へ向かうバスに乗って、途中にある山代温泉に降り立った。加賀温泉駅から見ればより手前にある温泉街を後の方で行くことにしたということになる。

 山代温泉もバス停周辺は住宅街といった感じであったが、広場に出ると中央に堂々と古総湯の建物があった。道はこの建物の周りを囲むロータリーのようになっていて、「湯の曲輪」と呼ばれている。

 

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 古総湯とは洗い場などのない明治期の公衆浴場を再現した場所で、それと別に現代のスタイルの総湯も一つ道を挟んで隣に存在している。古総湯は加賀以外ではなかなか体験できない貴重な場所ではあったのだろうが、気分的に普通の温泉の方に入りたくなったのでそちら側に入った。両方に入れるお得なセット券も存在したが、そんなに何回も湯船に浸かるとのぼせそうな気がしたので今回は見送ることにした。

 

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 二つの温泉に入って身体も温まったところで、風呂上がりには定番のコーヒー牛乳を飲んで一服。そして周辺の町並みをもう少し見ようと思って辺りをうろうろしたりしながら帰りのバスを待った。

 

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 バスで加賀温泉駅に戻ってきた頃には空が暗くなり始めており、福井駅に着いた頃には完全に夜になっていた。途中の芦原温泉などは以前に訪れたことがあるので今回は飛ばすことにした。福井駅前では出張牡蠣小屋などという面白そうな催しも行われていたが、三陸産の牡蠣はまた三陸に行った時に食べたいと思って、駅からすぐの海鮮居酒屋に入って刺身盛り合わせなど少しだけ飲み食いするだけに留めた。ちなみに寿司屋に入ろうとも考えていたのだが、有名なところをいくつかあたってもどこも満席で入れない状態であった。

 

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 福井では友人の家に行く約束をしていたので、バスに乗ってその近くまで行き、久々の再会を果たした。コンビニで適当に缶チューハイを買って、家に上がらせてもらった。色々会話したりアニメを見たりなど楽しい時間を過ごして、やがて眠りに就いた。

 

 翌日は目覚ましもかけず、二人して昼頃に起床して、まただらだらとアニメの続きを見ていた。『葬送のフリーレン』を見ていたのだが、私はすっかりはまってしまってずっと見続けていた。友人はいつからかCreepy Nutsのように鼾かいで二度寝をしていた。やがて夜になって、普段あまり買わないRTDの酒だけを買いに近くのコンビニまで向かおうとすると、どしゃぶりの雨は夜更けを過ぎてもいないのに霰のようになってアスファルトに打ちつけていた。早足で帰って、またアニメの続きを見ながら缶のハイボールを呷った。やはり自宅で好きなウイスキーを炭酸水で割る方が美味しいと思いながら二人で軽食みたいな夕食を食べると、友人が先に寝て、私もフリーレンの最新話まで追いついたところで寝た。

 

 たまにはそんなだらけた日々があってもいいと思うが、お互い連日それを続けるわけにはいかない。朝を迎えると、友人は仕事へ向かい、私は福井駅の方へ向かった。

 

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 ところで、そう言えば福井市内を今までろくに観光していないような気がして、駅からも比較的近い養浩館庭園を訪れた。

 

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 その屋敷や庭園は有名観光地と比べると規模は劣るが、一通り要素が揃っているといった感じのコンパクトな施設であった。順路に従うと、最初は館の中と、障子窓の向こうには池泉回遊式庭園が見えた。天気がいまいちだったので、快晴ならもっと綺麗に見えるだろうと少し惜しい気がした。

 

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 建物を出ると、ぐるっと池沿いを歩きながら一周して出入口に戻ってきた。少し急ぎ気味に福井駅まで戻ると、次は武生へ向かった。

 武生には新幹線駅が設置されるといっても間違いはないかもしれないが、在来線武生駅付近の中心市街地からは数km離れた辺鄙なところにえちぜん武生駅の名で新幹線単独駅として開業することになっていた。在来線の駅の方は北陸本線福井鉄道の2路線が通っていて、武生を中心として合併した越前市の中心である。北陸本線の駅舎は現在は三セク化され、ハピラインふくいの駅となっている。

 福井にはおろしそばと呼ばれる蕎麦がある。名前の通り大根おろしを薬味に使用する蕎麦なのだが、それらを薬味に出汁をぶっかけるタイプの蕎麦の他に、もりそばタイプの蕎麦でつけ汁に大根おろしの辛い汁を使ったものがあり、そちらの方が私の興味を引いた。おろしそばは越前そばとも言われ、少なくとも嶺北のどこかでは食べられるだろうと思っていたが、後の旅程との兼ね合いもあって武生で昼食として食べるのがちょうどいいということになった。

 武生で有名なおろしそばの店まで歩いていくと、木造でなかなか雰囲気のある外観の建物があったが、中はより一層古民家的テイストで、苔生した庭まである心が躍る建物であった。

 

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 畳敷だがテーブルと椅子のある珍しい席の一つに案内されると、早速目当ての蕎麦と鯖の押し寿司のセットを注文した。福井では鯖の寿司やへしこなど、鯖をよく食べる文化のようである。そして出てきたものは、緑がかった色の蕎麦と鯖寿司で、まずは蕎麦からと蕎麦と薬味を汁に入れて啜ると、ぴりっとした大根おろしの辛みがいいアクセントになった、独特で美味しい蕎麦であった。寿司の方もちょうどいい塩加減の焼き鯖が美味しかった。するするとあっという間に蕎麦を食べ終わってしまい、これはぜひまた食べに来たいと思いながら店を出た。

 

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 武生駅に戻って、敦賀行の列車で終点の敦賀まで戻ってきた。JR西日本北陸本線としての金沢〜敦賀間はこれで見納めとなる。もっとも、既にあちこちの駅で新しいロゴマークや標識などが設置されており、JRのロゴマークが完全に剥がされている気の早い駅もあったが……。

 数日前に乗り換えた時には敦賀駅をあまりちゃんと見ていなかったが、改札の外に出てちゃんと見てみると、黒を基調とした落ち着きが感じられるお洒落な駅舎と駅前広場が完成しており、工事中の姿しか知らなかった私は、随分と立派な駅になったものだと感心した。もういくつ寝るとここまで新幹線が乗り入れるのだという実感が強く押し寄せたが、18きっぷも使えなくなるし、新大阪延伸もまだかなり先のことかと思うと複雑な気分であった。果たして私が生きている間に北陸新幹線は全通するのであろうか。東日本から金沢〜敦賀間に訪れる人が少しでも増えたら嬉しく思う。

 

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西伊豆・沼津淡島旅行

 今年の1月のこと、静岡県沼津市にある水族館「あわしまマリンパーク」が閉館するという情報が突如発表された。同地を含む内浦地区は、アニメ『ラブライブ!サンシャイン‼︎』(以下、作中キャラクターのユニットであるAqoursと呼ぶ)の舞台となった地であり、沼津市とは大々的にコラボして沼津のよさをアピールして盛り上げている。その水族館の閉館の情報を知り、前々から行きたかった西伊豆(一部中伊豆)の観光の一部に組み込むことにして出かけることにした。なお、東伊豆については過去の記事を参照されたい。

 新宿から始発の小田急急行小田原行に乗って、まずは早朝の小田原に踏み入れた。そこからは普通の紙のきっぷで三島まで東海道本線に乗った。鉄道旅をよくする人々には周知の事実だが、JR同士で別会社の管轄エリアを跨ぐ場合はICカードが使えないので注意されたい。

 三島に着くと、東海バスフリーきっぷの3日券と、伊豆箱根鉄道駿豆線の1日乗り放題乗車券を購入して、何年ぶりかの駿豆線に乗って終点の修善寺へ。修善寺駅は木の香りのするお洒落な駅舎で、Aqoursのスピンオフ的な存在である『幻日のヨハネ』の等身大パネルや、温泉むすめのパネルなどもあって美少女パネルに溢れていた。車両自体もAqoursとコラボしたラッピングカーがいくつかあるようで、沼津に限らず伊豆全体にAqoursが愛され根付いているのを感じた。

 

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 温泉むすめがあることから明らかなように、修善寺には修善寺温泉があるが、そこは後日に回してとりあえずは東海バスで南西方面へと向かった。長い間バスに揺られて、終点の松崎に着いた。

 松崎町伊豆半島のかなり先端の方にある町で、伊豆の地学的特徴から非常に豊富である温泉がある他に、海鼠壁の町並みが知られている。海鼠壁とは、主に黒い瓦の上に斜めに直交するように漆喰の塗られた壁で、豪商の建造物や城などの建築で見ることができるので、一度くらい見たことのある人も多かろう。最初にその町並みを散策して、それから逆走する形で他の場所に行くためにバスターミナルへと戻った。

 

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 次に向かったのは西伊豆町堂ヶ島である。堂ヶ島はトンボロがあることでも知られる美しい海岸沿いの景色が魅力である。トンボロとは、波によって運ばれた砂が障害物に溜まっていくことによって、近くの離島と陸続きになった地形のことである。堂ヶ島の場合は干潮時にのみ歩いていけるということであったが、あまり悠長にはしていられなかったので展望台から眺める程度で十分楽しめた。余談だが、堂ヶ島の洞窟などを巡る遊覧船は、強風のために運休となっていた。確かにかなり風が強かったので、これにも乗りたかったが致し方ないと思い断念した。

 

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 その後は昼食を取るために食堂の方へ。この辺りは『ゆるキャン△』の聖地になったので、あちこちにそのキャラクターの等身大パネルやらポスターやらフィギュアやらが飾られており、つくづく伊豆は人気アニメの舞台に選ばれていて羨ましい限りであった。

 

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 食堂では、伊豆名物のアジフライの定食を頼んだが、烏賊墨の焼きそばに豚トロを乗せた「三四郎島のとんぼろ」というゆるキャン△とのコラボメニューがあったのでそれも追加で注文した。普段は一日一食の日が多く昼食自体取らないことが多いような少食なので、食べ切れなかったらどうしようと不安であったが、ここは勢いよく頼んで結果的によかった。

 アジフライは、西伊豆が養殖マアジの日本一の出荷量を誇るらしく、サクサクした衣にぎっしり鯵の旨みが詰まった身で、伊豆の味覚を堪能することができた。この記事を書いている途中で、赤身・白身は身の色ではなくミオグロビン・ヘモグロビンの含有率で決まっていて、鯵などの身は見た目は白いが赤身に分類されることを知った。

 

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 そしてコラボメニューの焼きそばであるが、烏賊墨のまろやかな味わいが麺に練り込まれていてこれまた大変美味であった。西伊豆では烏賊墨焼きそばが海賊焼と呼ばれ、B級グルメとして人気が高いようで、ゆるキャン△の方がそれを参考にして作中で描いたと思われる。また、トンボロに掛けたと思われるトッピングの豚トロもジューシーで、非常に満足感の高いランチタイムとなった。

 

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 堂ヶ島を後にすると、次は黄金崎へ降り立った。ここには様々なガラス製の工芸品や芸術品を展示する黄金崎クリスタルパークと、そこから坂を上った先にある、起伏の激しいごつごつした岩肌とそこに打ち寄せる波の荒々しさを眺められる黄金崎公園がある。まずはクリスタルパークに展示されている作品を眺めて、それから公園の方へと向かった。

 

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 公園の先の崖には、馬ロックと呼ばれる奇岩を始めとして様々な形状の岩肌が波を受け止めていた。ジオパークに選ばれたのに相応しい壮大な景観であった。風が強かったので、砕けた波の飛沫が舞い上がって、数十mくらい上にあるはずの展望台付近まで舞い上がってくるほどであった。なかなかじっと目を開けて見ていられる状態でもなかったので、いくつかの展望台とそれらを繋ぐ通路を移動しながらその雄大なるを眺めていた。

 

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 やがて陽が傾き黄金崎を去ると、後はバスで修善寺まで行き、電車で沼津へと向かった。数年ぶりに降り立った沼津は、以前にもましてコラボしているような気がした。静岡県でも有数の立派な駅舎の真正面にAqoursのイラストが貼られていたのがその最たる例であろう。

 

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 アニメグッズ店の一つであるゲーマーズの出張所として、通称ヌーマーズと呼ばれる店舗があり、そこにも数年ぶりに訪れてみた。お団子の髪型がかわいらしいいわゆる厨二病キャラの津島善子(自称ヨハネ)が看板娘となっているこの店舗は、狭い店舗ではあるが、店内の半分以上をラブライブのグッズが占めているという事実上のラブライブグッズ売り場と化している。そこでせっかくなので何かグッズを買って行こうという誘惑に負け、Aqoursではないが別ブランドの虹ヶ咲の近江彼方のグッズを購入し、能登半島地震への募金をすることで貰えるカードも受け取った。能登ではないが、同じ県内の金沢がラブライブの最新ブランドである蓮ノ空の舞台であるということもあって、蓮ノ空を中心として能登の復興を応援しようという企画のようであった。私も能登にはまだ行けてなくて行きたかった場所がいくつもあるので、私のような貧乏人の微々たる募金でも塵が積もって少しでも早く復興することを願ってやまない。

 

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 駅の方へ戻ると、駅の隣にある建物に入居している回転寿司屋に入った。回転寿司とはいえども、私も通されたカウンターには全部板前から直接提供される形となっていたので、実質回らない寿司である。握りの盛り合わせに追加で少しだけ握りなどを注文し、地ビールを味わいながら寿司を頂いた。ネタはどれも肉厚で、全国チェーンの安い寿司屋とは全然違う本場の新鮮な魚の旨みが口の中に溢れ出した。地ビールはラガーではあるがエールにも近い風味があり、絶妙なバランスで成り立っていると思われる味わいだった。私は非常に満ち足りた気分になった。

 

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 宿泊地は三島のつもりであったので、東海道本線で三島へ戻り、少しだけ駿豆線に乗って南下した。途中で、サッポロビールが静岡限定で販売している静岡麦種を購入し、気分よく飲みながらネットカフェへと向かった。上々たる初日であった。

 

 翌日は、快活の近くにある清水町の柿田川公園を訪れるところから始まった。ここは富士山の雪解け水に由来する柿田川の湧水で知られ、街中でありながら、水底まで見えるような澄んだ水が公園の木々と合わせて優美な庭園のような風景を作り出していた。

 

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 そこからバスで一旦三島駅に行くと、みしまコロッケを買って、それを食べながらまた駿豆線で南下していく。最初に降りたのは伊豆長岡駅で、ここから伊豆箱根バスなら内浦地区へ行けることから駅全体がAqoursでラッピングされているが、今回は東海バスフリーきっぷ縛りなのでそちら側にはまた別の経路で行く。

 

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 この日伊豆長岡を訪れたのは、韮山反射炉に行くためであった。韮山反射炉は製鉄などを行う反射炉の一つで、世界文化遺産の「明治日本の産業革命遺産」の構成遺産にも含まれている歴史的に重要な遺構である。駅から2kmくらいの田舎道を歩くと、白い建造物が伸びているのが見えてきた。

 

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 現地には小さな博物館が併設されており、そこで料金を払うと、館内をぐるっと見て回ってから外の反射炉の間近に行けるという順路になっていた。館内の展示は19世紀の国際社会において、開国させられた日本が反射炉で作ってきた大砲に纏わるものが主であった。モルチール砲の展示もあった。

 

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 外に出ると、反射炉の実物の側まで行くことができて、鋳鉄の投入口を覗くこともできた。復元されたカノン砲や館内のものと近いモルチール砲も展示されており、韮山が軍事的に重要な場所であったことがわかる。近くには池に石が並べられた小さな庭園もあった。

 

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 反射炉を出てまた田舎道を引き返し駅に戻ると、また修善寺駅まで乗った。二日連続の修善寺である。しかし、今回はちゃんと修善寺を観光するために来た。

 修善寺の辺りでは、『伊豆の踊子』などで知られる天城で栽培されている山葵を使った山葵丼が名物のようで、駅の近くにもいくつか店舗があった。そのうちの一つに入ってみて、山葵丼を注文する。しばらくすると、白米には刻み海苔と鰹節だけが乗っており、山葵や漬物が小鉢に盛られたお盆が運ばれてきた。

 山葵はかなりの量があったが、このくらいの量が地元で食されている量なのかと思って全部を乗せ、醤油を回しかけて頂いた。さながら刺身のない海鮮丼のような見た目であった。私は唐辛子や芥子や山葵など、大抵の薬味や香辛料の辛さに強い方であるが、流石に山葵が多すぎて、つーんと鼻に来るのを久々に体験した。山葵も米も美味しかったが、流石に全部は入れずに少し控えめにした方がよかったかと思いつつ、もう混ぜてしまっていたのでそのまま完食した。山奥や寒冷地などに伝わる味の濃い刺激的な料理は、なかなか現地以外では食べられないので、貴重な経験であった。

 

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 昼食を終えると、少しだけバスに乗って修善寺温泉に向かった。伊豆には温泉が多く湧いているが、その中でも修善寺はそれなりの規模を誇り、しっかりと温泉街が築かれている様子であった。

 

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 到着して少し散策しているうちに公衆浴場が開店したので、まずは温泉に入ることにした。外湯でこぢんまりとしてはいたが、外観もよく温泉も源泉掛け流しのようで、冬の冷えた身体がほぐれるように温まった。

 

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 湯から上がると、温泉街の更に奥地へと散策に出かけることにした。川沿いに並ぶ風情のある旅館の町並みもいいが、竹林の小径が風光明媚で有名であろう。竹林の方へ歩いていくと、石畳の道の両端に竹が高く伸びていて、嵐山を思わせるような景色であった。道の真ん中あたりにある竹を組んでできた丸いベンチに座って、四方を竹に囲まれながらしばらくその静寂さに浸る。入浴後の温まった身体なら冷えることもなく、のんびりと散策をすることができた。

 

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 最後には温泉街の中に位置する修禅寺に参拝して、無料の足湯に浸かりながら次のバスを待った。バスの来る時間が近づくとバス停に戻り、一旦修善寺駅まで戻った後、前日と同じ松崎行のバスに乗り換えて、土肥温泉で下車した。

 

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 土肥温泉の方は温泉街というほどの町並みは形成されておらず、旅館が点在するばかりで外湯はかなり少なかった。その中の一つに向かうと、非常に簡素な建物で、入浴券の券売機が屋外にあるという初めて見る形式の浴場であった。こちらの温泉は加水されているものだったが、冬に温泉はいくつ入ってもいい。再び身体を温め熱を補給して、浴場を出た。

 

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 次に向かったのは土肥金山である。ここではかつて金が豊富に取れ、売店かつ食堂となっている玄関口の施設の向こうにはかなり広めの庭園が広がっており、その中に金山の坑内への入口があった。

 

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 坑内には解説や道具の展示などがあったり、奥の方には神社があったりもした。所々には等身大の人間の模型が仕事をしていたり休憩したりしている日常風景を再現した展示もあり、臨場感も伴った坑夫の営みを学ぶことができた。

 

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 帰り道の方には金に関する資料館もあり、中でも250kgの巨大金塊は世界一のものとしてギネスにも登録されているほどの名物のようだった。その金塊を中心に金が歴史的にどう扱われてきたかなどの展示を見て、最後に土産を少し見てから退館した。余談だが、ここにもゆるキャン△コラボグッズと温泉むすめのパネルがあった。昨今はアニメとのコラボや美少女キャラクターが客引きに一役買っている事例を伊豆では多く見かけた。

 

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 少しずつ陽が沈もうとし始めた頃、すぐ近くのスーパーで地ビールを購入して、松原公園まで歩いた。海岸沿いの公園で、松原と付くくらいだから松の木が多く生えているのであるが、この季節の土肥といえば桜である。土肥桜は国内最速の1月に満開を迎える桜なのである。園内の展望台から木の下から、色んな角度で桜を観察した後、ベンチに座って先程の地ビールを飲むことにした。なんと1月のうちに花見ができてしまったのである。途轍もなく早咲きの桜を眺めながら飲むビールは格別に美味しかった。

 

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 帰りのバスを待っている間に、すっかり陽が暮れて夕焼けから宵の口へと入ったので、ついでに夜桜まで楽しむことができ、満足してバスに乗った。

 

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 三島駅まで帰ってくると、前日に沼津で飲んだことと、流石に海鮮ばかりに飽きつつあったということがあって、今度は三島で飲むことにした。翌日沼津に行く日に三島で飲み、三島に行った日には沼津で飲むいう何とも非効率な旅程となってしまった。

 駅の近くの餃子が名物の居酒屋に入ると、小さな店舗ながら地元の人と思われる人々で賑わっていた。最近の私は典型的な観光地向けの飲食店にも行きはするものの、そうではないローカルな居酒屋にふらりとお邪魔するのも旅の醍醐味だと思っている。とはいえ一人客だしジョッキの数杯程度では酔いもしないので、常連客や店員と会話することなどないに等しいのであるが……。

 ともかく、その居酒屋には定番から風変わりなものまで様々な味の餃子があり、また他のおつまみメニューも揃っていた。私は一番の名物の餃子はもちろんとして、砂肝や酢もつ、ピクルスなども注文した。その中には言わずもがなお酒も入っていた。料理はどれも美味しく、その中でも梅肉が乗って紫蘇の敷かれた餃子や低温調理で殺菌されつつも生っぽい見た目も残した砂肝は非常によかった。酒も進んで、楽しい三島の夜を過ごすことができた。

 

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 三日目はいよいよ最初に言及して今回の旅の直接のきっかけともなった内浦の淡島へと行く日となった。どうやら主役は遅れてやってくるらしい。冗談はさておき、バスでネカフェから沼津駅に向かい、そこから乗り換えて沼津市街から南に向かった所にあるあわしまマリンパークへと向かった。

 

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 あわしまマリンパークは内浦地区北部の無人島である淡島に作られた、魚類や両生類などを展示している水族館である。淡島の各所がAqoursの聖地となっているが、この記事の執筆時点では水族館は閉館となり、聖地の一つであるホテルに宿泊する人だけが船で渡れる状況となっているようである。水族館側としては、施設の老朽化を原因とする閉館としており、営業再開を目指しているということなので、その日が訪れれば再訪したいと思う。

 さて、バス停に着くと、そこから少し歩いた所に乗船場がある。近くのチケット売場でチケットを購入して船に乗るという普通のシステムであるが、その売場の簡素な建物の内外にAqoursのポスターなどが所狭しと貼られており、外の屋根下のスピーカーからは常時Aqoursの楽曲が流れているという状態であった。更に淡島行の船に乗る時間になって船を見ると、それもまたAqoursのラッピングで覆われており、船内の壁には声優のサインが書かれているという徹底ぶりであった。

 

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 短い航路を経て船が淡島に着くと、細い桟橋を通って島へ上陸した。到着した頃にちょうどイルカショーが始まるようだったので、適当な席に座った。間もなくショーは開始され、イルカと飼育員で輪投げをしたり、高くジャンプしたりするなどの芸を見ることができた。

 

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 その後はメインであると思われる水族館の建物内を見て回った。小さな水族館ではあったが、手書きのポップがたくさんあったり、飼育員が大水槽の前で子供も楽しめるような解説をしていたりと、幅広い世代に愛されそうな工夫が凝らしてあって好感が持てた。

 

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 その北側には売店や、カメなどがいる屋外展示があった。売店前や店内には、水族館らしいグッズの他にもAqours等身大パネルやグッズなどが豊富に置いてあり、特に1月生まれの黒澤ダイヤに関しては祭壇とも呼ぶべきものが形成されていて誕生を祝福されていた。私はAqoursの中では桜内梨子が一番の推しなので、ここ限定の彼女のアクリルスタンドを購入した。

 いい感じに昼時になってきたので、ここで桟橋の先にあるレストランに入った。当然ここにもAqoursのポスターなどが大量に貼られている。また、コラボメニューとしてAqours丼なる海鮮丼があったので、それを注文することにした。

 快晴の空からの陽射しが強く、冬服では暑いくらいの席に座って調理の完成を待つ。窓際の座席で、桟橋側からイルカショーのプールや釣り堀のようなものが見えた。

 混み合っているのでそれなりに待った後、番号札で呼ばれてお盆をカウンターに取りに行って席に着いた。海鮮丼にはAqoursの人数と同じ9種の海産物が乗っているらしい。中でも真ん中に栄螺が殻ごと乗っているのは目を引く。また、海苔や醤油入れの小皿にはキャラクターが描かれていた。偶然にも小皿に私の好きな梨子がおり、海苔の方にも梨子や善子と一緒にGuilty Kissというユニットを組んでいる小原鞠莉がいて、運に恵まれた日であった。

 

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 肝心の丼であるが、定番の鮪やサーモンが美味しいのは言わずもがな、駿河湾の名物である桜海老しらすなども美味しく、ぼったくりのコラボメニューではなくしっかりと地魚をも活かしているのがわかって、伊豆と駿河の海の幸を頬張った。

 食後にはペンギンの展示を見たり、南側にあるカエル館にて両生類を観察したりした。カラフルな肌色をしたカエルがかなりの数展示されていた。カエルをこれほどの種類展示している施設は全国でも珍しいのだという。

 

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 カエル館を出てまた南側に向かうと、今度はタイミングよくアシカショーが行われるようだったので、それを見物していくことにした。アシカもまたイルカと同じように輪投げの輪を顔から潜って首に通していくのだが、イルカと違うところとしてアシカは鰭で陸上を移動できるので、陸上でそれを実演してくれた。一方で水中を動くことにも長けているので、水面から高い位置にある球体にタッチするなどイルカと同じような芸当もできて、海で暮らす哺乳類という我々に似ているようで違うような動物の能力をよく観察できた。

 

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 その更に北側には聖地の一つであるリゾートホテルや、イルミネーションが催されている洞窟があり、その洞窟を潜った反対側にも埠頭らしきものはあったが、観光用の遊覧船などが出入りする場所ではなさそうな感じであった。そこから島を一周歩いて回ったり、山を登った上の神社に行くこともできたりするようであったが、もう夕方に近い時間になっており、流石に時間がなかったので大人しく退散して帰りの船に乗ることになった。いつかリニューアルして営業再開した時にはそちら側にも訪れたいと思いつつ、水族館自体を堪能することはできたので、後悔することなくAqoursラッピング船で本州側に戻っていった。

 

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 帰りのバスを待っている間、その日の営業を終了したチケット売場のある簡素な小屋の中にあるAqoursのグッズやポスターの展示を眺めていると、屋根下のスピーカーからこの時間にもなってまだAqoursの楽曲が流れ続けていることに気づき、スピーカーの近くの自販機には沼津産茶葉を使用していてAqoursのラッピンプが施された「ぬまっちゃ」という缶のお茶が大量に売られてあった。存在は前々から把握していたが、この機に初めて買ってみようと思い、緑茶と焙茶のどちらか迷った末に緑茶の缶を購入した。静岡といえば日本一の茶畑とされる牧之原について以前の記事で触れたが、東部の沼津の緑茶も味わい深く、この旅の間に購入した梨子や彼方のグッズを並べて記念撮影をしたりしていた。

 

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 そうして暇潰しをしているうちに、沼津駅行のバスが到着したので、ぬまっちゃの缶は土産話に使おうと持って帰りつつ、JR沼津駅まで戻ってきた。暮れ泥む夕陽が沼津駅を照らしているのが、何だか儚げにすら思われた。

 

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 沼津から小田原までのきっぷを、会社跨ぎのせいでまた紙で購入し、境界駅の熱海で乗り換えて小田原駅に着いた。小田急の改札を潜ると、当駅始発の新宿行の急行が待機していた。伊豆の景色とラブライブの思い出を大切に抱えながら乗った急行列車の扉がやがて閉じ、ゆっくりと動き始めた。進行方向と逆向きに発生する慣性力が私を伊豆に引き止めようとしている気がした。

徳島・高知旅行

 大晦日と聞いて理解できない日本人はまずいないと思われるが、小晦日と聞いて理解できる人はどのくらいいるのだろうか。これは「こつごもり」と読み、大晦日の前日を指す言葉である。こんな言葉を口に出す人が滅多にいないものだから、私にとっても馴染みのない単語である。今回はそんな微妙に中途半端で、帰省ラッシュだけがピークを迎えていそうな日に出発して、四国で年明けを迎えた時のことである。

 出発日の前日、寝付けなかった私は、徹夜で始発電車で東京を出発し、最初に向かったのは静岡市清水区にある由比であった。由比は江戸時代の東海道の宿場町として栄え、今でも桜えびで知られる港町である。いつも通り18きっぷを使用して、きっと平時なら人々が各々の活動を開始しているであろう時間帯に由比駅に着くと、まずは宿場町跡に向かって歩き始めた。

 

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 由比宿は、往時の宿場の面影もほとんど残しておらず、また由比本陣公園も年末年始で休業しており、街並みとしてはどちらかといえば所々にある桜えびなどを売っている商店の方が気になったくらいであった。

 

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 ともかくそんなわけで駅から宿場町の端の方まで2km程度の距離を往復して、それからはいよいよ今回ここに来た一番の目的である桜えびの海鮮丼を食べようと店舗へ向かった。しかし、自分がうかうかと開店時間を過ぎた頃まで散策をしていたせいで、それなりの行列に並ぶことを覚悟せねばならなかった。幸い店の前にはベンチや椅子、それから灰皿まであったので、まだかまだかと逸る気持ちを抑えつつ大人しく並んでいた。数十分後、ようやく店内のカウンター席に通されると、桜えびの生と釜揚げにしらすの釜揚げも付いた丼を注文した。しらすもやはりほとんど静岡で水揚げされる魚で、駿河湾の他には江ノ島を擁する相模湾くらいでないとなかなかありつけぬものである。余談だが、生しらす丼は江ノ島で食べたことがある。

 さて、しばらくして海鮮丼が届くと、醤油を回しかけ山葵も溶かして食べる。これは美味しい。私は醤油なども多めにかけてしまう方なのでお世辞にも舌が鋭いとは言えぬが、生桜えびの甘みくらいなら流石にわかったと思っている。ともあれ非常に美味なる海鮮丼をいただき、旅の幸先はよかった。

 

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 その後は、同じ静岡県島田駅の隣、金谷駅で降りた。金谷はJR東海道線と、SL車輌で知られる大井川鐵道との乗換駅となっており、自治体を代表するような駅ではないにしろそれなりに重要な駅だと私は思っている。

 

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 金谷駅で降りた目的は、江戸時代の東海道において難所の一つであった金谷坂に敷かれた石の道を見ることであった。ただし、それは決して削って水平に並べたようなものではないので、アスファルトで舗装された道に慣れた今世紀を生きる人間には結局歩きにくいままであった。

 

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 その両脇を木々に囲まれ静謐とした微妙に足場の悪い坂を上り切ると、牧之原台地一面に広がる茶畑があった。どこまでも茶畑が広がり、流石に日本一広大な茶畑であることがわかって、正直坂より感動したくらいであった。

 

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 この後名古屋で友人と会う約束があったので、名古屋まですっ飛ばして、本場の台湾まぜそばを食べたり、名駅西口のビックカメラにあるラブライブに力を入れているコーナーを見たり、忘年会ということで飲みながらアイマスラブライブの話をしたりした。終電の時間になって別れると、私は大須のネカフェに向かったが、満席のため入れず結局カラオケの深夜フリーで一夜を明かすことになってしまった。二徹であった。

 

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 不思議と体調を崩すことなく、まだ日の昇らぬ暗い早朝に金山駅に向かった。金山から乗ると名駅で人が入れ替わるタイミングで確実に座れるので都合がいい。始発の東海道線は各停であったが、米原行で乗換が一つ減ったのでよしとすることにした。

 この日はほとんど徳島までの移動だけの日だったので、何か観光らしい観光はしていないが、暇潰しに少しは途中下車をした。最初は高槻駅で降りて、アイマスPの間では聖地とされているやよい軒高槻店の前まで行ってみた。高槻やよい役の仁後真耶子氏のサインがついに飾られることになったという情報を見てのことである。長らく聖地とされつつもそれはファンの間でのみ知られていることであり、やよい軒側も察しつつ黙っている状態であったが、最近はやよい軒どころか高槻市自体と積極的にコラボするようになった。サインはその証のようなものであろう。

 

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 その後は大阪駅で降りたが、まだ昼食には早い時間であったので、うめきた2期の進捗などを見ながら梅田を散策することにした。大阪出身の私にとって梅田は非常に縁の深い街であるので、再開発の状況は定期的にチェックしているのである。

 

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 やがて駅ビルであるルクアの地下の飲食店街のランチタイムの営業が開始されたので、この日はカレーを食べに行った。東南アジアとも縁の深い私は色々なスパイスの風味や唐辛子の辛さなどに慣れているので、日本のカレーはどうも物足りない。しかし、大阪はスパイスカレーの店舗が多くあり、予てあちこち巡ってみたいとは思っていたので、その一環としてのことであった。あいがけカレーと言われる、複数の味のカレーを同じプレートに盛る形式のカレーは、単体で食べても組み合わせて食べても美味しく、得した気分になれる料理であって、辛さというものとも違うそれぞれのスパイスや具材の風味がよく舌に馴染んだ。激辛料理というものに散々挑んで勝利し続けた私は、今となっては単なる辛さを求めるより、絶妙なスパイスの配合がなされた料理の方を食べていきたいと思っている。

 

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 その後はひたすら電車に乗り続けて、瀬戸大橋を越えて高松に着いた後、高徳線徳島駅に到着した。とっくに日は暮れていた。久々に来た徳島の駅前は、そう大きく変わったわけではないが、閉店したそごうが別のショッピングモールとして開業していた。

 

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 大晦日の夜、人々が色々な年越し番組を見ていたであろう中、私は徳島ラーメンを食べに繁華街を歩いた。徳島ラーメンとは豚骨で出汁をとったものに色々なかえしのかけられた何種類かのラーメンがあるが、焼豚ではなく豚バラ肉をトッピングし、更に生卵を落とすことが多いのが特徴である。久々にその味を食べると、卵が絡むすき焼きにも似たラーメンは、にんにくの味もきいていて美味しかった。最初は食べ切れるか不安で頼まなかった白米を追加で頼み、最後に卵かけご飯を食べたが、これも非常に美味である。色々食べ歩いてきたご当地ラーメンの中でも、個人的に好きなものの一つである。

 

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 これを年越しそばならぬ年越しラーメンとすると、ネカフェのブースのテレビで紅白の終盤だけを見て、そのまま年を越した。なんだかあまり実感の湧かぬ年越しであった。その後は、次の日から三日間に亘る、メインの四国旅行の旅程を確認して、眠りに就いた。

 

 元旦、とは厳密には元日の朝のみを指すが、日の出前は元旦に含まれるのだろうか。そんな時間に徳島城の堀に沿って徳島駅に着いた私は、今回の旅を成立させるに欠かせないきっぷである「四国みぎした55フリーきっぷ」を購入した。このきっぷは、平面地図上の四国の「みぎした」、すなわち四国南東部の指定の鉄道、バス、及びDMV(後述)が乗り放題になるきっぷである。55という数字は、国道55号沿いを通るからである。有効期限は3日間なので、ちょうど三が日の間使えることになる。このきっぷで改札を抜けると、徳島駅から南に伸びる牟岐線に乗って本格的な四国旅行を開始した。

 初日の出が差す元旦、この年の最初の観光をするために私は日和佐駅で降りた。日和佐は徳島駅南東部の美波町にあり、駅舎は道の駅と一体となっている。美波というと、私はデレマスの新田美波を担当アイドルの一人としているので、運命らしきものを感じた。

 

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 道の駅はそこそこ賑わっていて、その先には四国八十八ヶ所の一つでもある薬王寺がある。薬王寺は厄除けの寺として知られており、山門を潜った先の階段には一円玉が大量に落ちているのが特徴的であった。これは歳の数だけ一円玉を一段ずつ置いていくことで厄除けをするというものであるとその場で調べて知った。生憎そんなに多くの一円玉がたまたまあるなんてことはないので、階段を上った先の拝殿で参拝した。初詣である。

 

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 それから、更に上にある瑜祇塔と呼ばれる多宝塔に向かった。そこからは日和佐の町並みとその先の太平洋が綺麗に見渡せ、高くなってゆく太陽が海面を煌めかせていた。

 

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 しばらくその展望を眺めていると、瑜祇塔の門が開き、中に入れるようになった。中では様々な展示物を見られるとともに戒壇巡りをすることができる。階段を下りて真っ暗な地階の細い通路を壁伝いにぐるっと回ると、順路は展示室へと続き、絵画や掛け軸などが展示されているのを見た。

 一階部分に戻ると、今度は塔の上の方に伸びる螺旋階段があり、上に行くと円筒形の建物の外に方形部分の屋上があり、先程より更に少し高い位置から町並みと海を眺めることができた。

 

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 薬王寺は厄除けうどんでも知られるが、まだ朝早く開いている店もなかったので、土産物屋で物色しながら時間を潰した。かなりの時間うろうろしてやっと一つお土産を購入し、iQOSの宣伝も兼ねて設置されていた喫煙所で紙巻き煙草を一服したりなどしていると、ようやく開店の時間となった。そこはうどんなどが食べられる食堂と温泉からなっているが、温泉の方はまだ開始していなかったので、今回の旅ではうどんだけを頂いた。素朴なうどんではあるが、讃岐うどんのような麺と出汁の味が美味しく、軽いランチにちょうどいいものであった。厄除けはできただろうか。

 

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 その後は牟岐線の終点、阿波海南駅まで乗って、ここでDMVに乗換である。DMVとはDual Mode Vehicleの略で、鉄道の線路を走るための車輪と、車道を走るためのタイヤを持ち、列車とバスの両方の機能を備えた乗り物である。各国で開発や実用化が検討されていたもので、日本ではJR北海道が開発していたものだが、それを阿佐海岸鉄道が世界で初めて導入したものである。執筆時点で、世界でここでしか走っていない非常に貴重な乗り物である。

 

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 阿佐海岸鉄道DMVは基本的に徳島県海陽町高知県東洋町の間だけを走る。室戸まで走る便も存在するが、今回のみぎしたきっぷではそれは利用できないので、まずはDMVで海の駅東洋町まで行く。その間に阿波海南と甲浦で二回車輪を交代する。その様子は車内のモニターにも映し出され、内装はバスなのにさながら観光列車のような趣である。

 海の駅東洋町からは高知東部交通のバスへと乗換となり、それで室戸を目指す。バス路線は一旦室戸世界ジオパークセンターで終点となり、室戸岬を経由して安芸方面へ向かうバスに乗り継ぐことになるが、ここでかなり待ち時間があるので、バス停の名の通りの、ジオパークの展示や観光案内を行う施設に入った。

 

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 中には全国のジオパークの紹介や地層の展示などがあり、室戸はもちろん四国の地層などの概要を知ることができるようになっている。二階部分には映像展示や体験型のコーナーなどもあるが、全体的に閑散とした印象であった。カフェも併設されており、ジオソフトなる真っ黒なソフトクリームが名物のようだったので、それを一つ注文した。室戸の土佐備長炭と海洋深海水を配合した少し塩気のある炭の色のソフトクリームは甘さと塩辛さのバランスがよく好みの味であった。

 

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 やがて次のバスが来て、室戸の海岸沿いを直線的に南下して室戸岬に着いた。室戸岬は黒い石の海岸にタービダイトと呼ばれる縞々の地層が隆起しやものがたくさんある海岸で、ジオパークに選定されるに相応しい独特の地学的環境を見ることができる。

 

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 その近くには水掛け地蔵や御厨人窟など仏教的な施設が点在しており、巨大な弘法大師像なども鎮座していた。また、国道55号を挟んで海岸のすぐ近くから急勾配で隆起している山の上には灯台と寺があるのだが、時間的にも体力的にも厳しかったので、また来ることにして再びバスに乗り込んだ。

 

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 バス内で寝落ちして、起きたら安芸に着いていた。土佐くろしお鉄道の安芸駅より少し先まで乗り過ごしてしまったので、安芸市の街並みを見ながら駅まで歩いた。駅には安芸駅ぢばさん市場なる地元の市場が併設されているようだったが、流石に正月は臨時休業していたので、次の列車が来るまで駅の待合室で時間を潰した。

 

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 タイミングが悪く随分と待たされることになったが、ようやく快速の高知行が来たので、それに乗り込んだ。土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線からJR四国土讃線に直通して高知駅まで行く運行系統であった。夕日が沈んで車窓が暗くなっていく中、私はついに高知駅まで辿り着いた。これでみぎしたきっぷで移動できる範囲を端から端まで一通り通ったことになる。

 高知駅に着くと、変わらず走る市電にノスタルジーを覚えながら、中心繁華街の方へと向かった。高知市中心市街といえば、はりまや橋などが有名であるが、その少し北側の商店街を抜けていって、正月の静かなシャッター街を散歩してみた。きっと正月は親戚の集まりがあって家でお節料理などを食べている人が多いであろうから、繁華街は空いているのであろう。その分休業している店舗もかなり多かったのではあるが。

 

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 散歩しつつも夕食をとる店を探して、藁焼きの鰹で有名な居酒屋に入る。普段は賑わっていて混雑しているような場所のはずだが、やはり正月は客が少なめに感じた。私が通されたのも和室の個室で8人席であり、そこにぽつんと独りで座るのはなんだか広すぎて落ち着かない感じがした。

 メニューを見て、定番の鰹の叩きと、酒盗や地酒などを注文した。高知では鰹の叩きをぽん酢や生姜ではなく塩で食べるのが一般的なようだ。岩塩の振り掛けられた鰹に、薬味のねぎ、みょうが、にんにくを乗せて食べると、肉厚で塩や薬味の味もマッチしていていい塩梅で非常に美味しかった。また、日本酒のお供として酒盗は非常に優れており、互いに味わいを引き立たせるような素晴らしいコンビネーションを体験した。

 

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 ちなみに酒盗とは鰹の内蔵の塩辛のことであり、高知ではおつまみとして一般的な珍味であり、他に鮪などを用いた場合も酒盗と呼ぶことがある。私は塩辛くて食感がぐにゃぐにゃしたような系統の珍味が好物なので、この度で食べたものの中で何よりも気に入った。

 正月なので奮発して色々飲み食いして店を後にすると、ネカフェへ向かって歩き始めた。私の記憶が確かならば、数年前には高知県にのみ快活CLUBが存在しておらず、スタバにおける鳥取県のように、最後の県としてここ数年の間に高知県へと出店したようだ。正月休みを取っているひろめ市場などを横切りながら、土讃線の北側にある店舗へと向かって、そこで宿泊することにした。普段は実家や祖父母家で過ごす三が日を、縁もゆかりもない四国の地で一人過ごすのは不思議な感じがした。

 

 次の日も、まだ太陽が顔を出す前に土讃線に乗って、高知県西部へと向かった。窪川行の列車に揺られながら日の昇ってゆくのを車窓越しに眺めているうちに、窪川に着いた。この日もよく晴れた空模様であった。

 

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 窪川からは土佐くろしお鉄道に乗り換えることができる。土佐東部を走るごめん・なはり線に対して、西部には中村線宿毛線が走っている。西部の2路線が乗り放題になる衝撃的な安さのきっぷが存在するので、それを購入して中村線のホームで列車を待った。

 

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 やがて中村行の列車がやってくると、それに揺られて1時間弱程度、中村駅へ着いた。中村は高知西部の中心である四万十市の中心部にあたるが、中心市街地は駅から少し離れているので、そこまでは行かずに駅の近くだけを散歩した。ちなみに窪川四万十町の中心であり、非常に紛らわしいので、高知を観光する際には注意されたい。

 中村駅の待合室には本棚が置いてあったが、そこには中村出身の井上淳哉氏の漫画も置いてあった。『BTOOOM!』は放送当時アニメを見て、面白かったと思った記憶がうっすらと残っている。

 

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 そこからは、宿毛線に入って宿毛行の列車に乗って、高知県の鉄道の最西端である宿毛駅に辿り着いた。とはいえ、これといった目的地はこの日はなかったので、ある種の地理への好奇心かあるいは乗り鉄的な興味として端まで乗ってみたという感じで、呑気に煙草を吸ったりした後、海岸の方へと歩いていった。

 海岸からは美しい太平洋を臨むことができた。雲も僅かしかない快晴には海がよく似合う。季節は冬真っ盛りであるが、強い日差しが水面に反射して、暖かみを感じた。

 

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 その後は元来た道を折り返して高知駅の方へと向かった。途中、乗換となる中村駅でもう一度うろうろと駅前を散歩していると、小さなたこ焼き屋を見つけた。驚いたのはその店名で、私が担当アイドルの一人としているミリマスの北沢志保と漢字も含めて同じ「志保」を冠していたのだ。何か運命的なものを勝手に感じた私は、車やバイクで路駐して買っていく地元の人たちに紛れてそこのたこ焼きを買って窪川行の車内で食べた。たこ焼きは外も中もふわふわした大阪風のもので、値段も安かったので、少し地元を懐かしく思ったりした。懐かしいも何も、その2日前に梅田や高槻に降り立って地元・大阪を訪れているではないか、という指摘は甘んじて受け入れるとして……。

 

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 それはさておき、高知駅に辿り着くと、辺りはすっかり暗くなっていた。同じ県内の西半分を往復しただけで日の出から日没までの時間を要する高知県の広さを改めて思い知らされるばかりであった。この日は新年初営業日のひろめ市場を訪問することにしたが、前日の静寂さが嘘みたいな盛況振りであり、市場内のフードコート的な座席にも空きは見当たらず、とても落ち着いて一人飲みできるような環境ではなかった。そういうわけで、市場内で営業している珍味が中心の店舗で鯨のさえずりやあん肝などを購入して、前日と同じネカフェへと向かうことにした。

 ネカフェでいつものフラットルームに入ると、市場で購入した珍味たちを広げ、コンビニで購入した発泡酒と一緒に孤独な晩酌と洒落込みことにした。この日の目玉は鯨のさえずりである。さえずりとは要するに舌のことであり、人生で初めて食べるものであった。元々「さえずり」という意味を持つTwitterが、Xなどというセンスのない名前に変わってしまったことを惜しんでいるのも兼ねて食べた鯨のさえずりは、ぬた(饅)と呼ばれるものの中でも酢や味噌などを葉にんにくと合わせた高知特有のたれを付けて食べると、舌の上でとろける脂身に葉にんにくの風味が絡んで今までに食べたことのないような独特な味がした。高知ではうつぼを食べたりする文化もあり、珍しい魚を色々食べることができて満足できた高知の夜であった。

 

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 次の日もまだ日の昇らぬ深夜と早朝の間のような時間帯から高知駅へ向かい、高知東部から徳島へと至る記録に就いた。高知駅から出ている土佐山田行の車両に乗って後免駅で乗り換えると、みぎしたきっぷが使えるルートを辿れることになる。そのまま土佐くろしお鉄道を乗り通す奈半利行に乗り換えて、早朝の奈半利駅に着いた。

 

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 曇りの奈半利は寒く凍えていたが、程なくしてバスがやってきたので救われた。

 悲しみはバスに乗ってジオパークセンターへと向かう。室戸周辺のバスはここを基準に運転系統が分かれているようだ。終点のジオパークセンターで降ろされて、暫しの待ち時間が発生した。2日前に訪れたばかりの施設なので改めて見て回りたいところは流石になかったが、深海を水中ドローンで映した映像などを見ながら次のバスをのんびり待っていた。しばらくそうしていると、北上するバスがやってきて、それに少しだけ乗ってむろと廃校水族館へ降り立った。

 

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 むろと廃校水族館は、廃校となった小学校の建物を利用して海の生き物を飼育しているユニークな水族館である。施設内に出入りすることも登下校と呼ばれ、ナマコなどを素手で触れるタッチプールなる展示の手洗い場にも公立小学校によくあるような手洗い場がそのまま利用されていた。

 

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 他にも様々な魚類の展示や、多数の標本の展示もあった。学校の理科室のような教室や、図書室をそのまま魚類や地球に関わるような書籍を本棚に置いた施設があったりと、元々学校であるというルーツを惜しみなく活用した非常に独特かつ興味深い施設であった。ミュージアムショップの名は「過疎の駅」となっていて、非常に哀愁漂う自虐に思えて切ない思いがした。

 

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 その後はバスで海の駅東洋町まで戻った。ここでDMVに乗り換えるまでしばらく時間があったので、建物内の特産物を眺めつつ、食堂の方へと向かって、ここで食事を摂ることにした。地元の鮮魚を使った日替お刺身定食を注文して席に着くと、程なくして定食が提供された。定食は三種の刺身にご飯と味噌汁と漬物、それからぽんかんと思われる柑橘類が添えられていた。刺身はどれも新鮮で肉厚で美味しく、白米ともよく合っていてあっという間に食べ終わってしまうほどであった。セルフサービスの緑茶で締めると、大変充実したランチとなった。

 

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 やがてやってきたDMVに乗り込むと、徳島県最南端の海陽町に位置する道の駅宍喰温泉に着いた。道の駅内には土産物を売っていたりDMVが走る鉄道ジオラマがあったりして、また、駅名の通り隣接するホテルの温泉も日帰りで利用することができた。道の駅と同じく洋風建築のホテル内に入ると、日帰り温泉の料金を払って浴場へ入る。寒い冬の中で冷やされた身体には温泉の温かさが身に沁みた。

 

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 その後はDMV阿波海南駅まで戻り、牟岐線に乗って徳島駅に帰っていった。3日間の四国の「みぎした」の観光はここで終わりとなった。私は徳島市の繁華街へと再度赴き、徳島の地鶏である阿波尾鶏を食べることができる居酒屋を訪れた。すだちを搾りわさびなどと共に頂く鶏の炙りや叩きを摘みながら、白州のハイボールを飲むと、三が日の旅の〆に相応しい感じがした。高知で気に入った酒盗も頼んで、四国最後の夜をいい感じに締めることができたと思う。そのまま徳島のネカフェに宿泊した。

 

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 ここからは帰路ということで、翌日は夜明け前から始発の高徳線に乗って高松に向かった。高松に着いた頃はちょうど通勤の時間帯であった。乗換の間の時間でうどんでも食べていこうと思って駅の近くのセルフのうどん屋に向かうと、多くのサラリーマンが行列を作っていた。しかしうどんは非常に回転が速いので、あっという間に列は進んでいき、比較的すぐにうどんにありつくことができた。シンプルな素うどんに無料トッピングをかけただけのものだが、麺も出汁もレベルが高く、流石本場のクオリティだと思いながらあっという間に食べ終わった。返却口にお盆を置いて退店すると、すぐ駅に戻ってマリンライナーに乗った。

 

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 晴れの瀬戸内海に点在する島々の見せる景色は、私にとっては国内でも特に好きな景色だ。瀬戸大橋を列車が走る間の車窓は何度見ても飽きることのない美しさであった。

 

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 岡山でまた乗換待ちの時間があって暇を持て余していたが、そこからは順調に大阪駅まで辿り着き、駅ビルで天麩羅の店に入った。博多発祥で天麩羅を揚げたてで提供してくれて明太子も食べ放題という、かなり前に博多で訪れて感動した店の梅田店である。天麩羅ももちろん美味しいが、明太子をいくらでも食べられるというシステムが好きで、そちらの方もかなり食べてしまった。決して安くはないはずの食品をおかわりし放題で提供してくれるのは本当にありがたい。

 

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 その後は名古屋に行って、そこでまた友人と会い、ラーメン屋に行った。年始の営業でそれなりの列ができていたので、並びながら色々と話していた。ここもかなり昔に一度来たことがある店で、名古屋在住の友人のおすすめでもあったので、心を躍らせて店内に入った。名駅で人気の高い泡系のラーメンで、まろやかで出汁の味も効いているスープに舌鼓を打った。

 

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 店を出ると、名駅周辺をぶらつきながら、ゲームセンターに入って音ゲーなどで遊んでいた。やがて終電の時間となって解散した後、宿泊地を探すことになったが、名古屋都心の中で安い快活大須店は度々満席になった経験があるので、今回はそのまま名駅のカラオケで一夜を明かすことにした。

 

 最終日はほとんど電車に乗り続けるだけであった。5時にカラオケから放り出されるも、始発までまだ時間があったので、西区にあたる四間道や円頓寺商店街の古い町並みを散歩した。時間的に真っ暗で通行人も営業中の店舗もないものだから、本当に歩いて眺めるくらいしかできなかったが、静かな時間帯に町並みを散策できたのはよかった。

 

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 始発の時間には名駅に戻り、中央本線に乗って関東・甲信方面へと向かっていった。JR東日本JR東海の境界駅である塩尻までは順調に進んだが、塩尻からの高尾行で盛大に寝過ごしてしまい、寄り道する予定だった場所までかなりのタイムロスをしながら逆走することになった。

 結果的に予定より数時間遅れて勝沼ぶどう郷駅に降り立った。おしゃれなステンドグラスの駅舎を出ると、眼下に広がるは一面の葡萄畑であった。もっとも、季節的には枯れた蔦ばかりであったが、その数たるや夥しく、ここが国産ワインの聖地と呼ぶに相応しい場所であることが一目でわかった。

 

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 葡萄畑の中をしばらく歩いていくと、勝沼ぶどうの丘という施設に辿り着いた。ここは豊富な山梨ワインの販売や試飲を行いつつ、コース料理を提供するレストランや温泉なども併設されている施設である。私は休肝日もなしに週7でお酒を飲むほどの辛党であり、ここにやってきた目的は言わずもがなワインの試飲と購入であった。ここには地下に寝かせたワインと試飲用ワインの置いてあるワインカーヴがあり、試飲をするにはタートヴァンなるものを購入する必要がある。タートヴァンとはフランスでワインの利き酒をする時に用いられる、金属製で凹凸があり、その形状で乱反射を起こしてワインの色合いを様々な角度から観察することのできる道具である。もっとも、フランス語的にはtastevinと書けばタストヴァンに近い発音になりそうなものなので、なぜsの音が抜けているのかは最後まで謎のままであったが。

 

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 ところで、タートヴァンはコロナ禍の中でかなり値上がりしたらしく、私が訪れた時の2200円という価格は数年前の倍くらいの額だったようだ。一方、地下のカーヴで温度などを管理されているワインたちは大体が2000円台だったので、一瓶分飲めば元が取れると考え、実際にそのくらいの量を試飲した。甲州ワインは白ワインが中心だが、ロゼや赤もある程度あったが、私はワインの中では白が好きなので、辛口から甘口まで様々な白ワインの味を楽しめて満足のいく体験であった。

 

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 最後にワインを一瓶購入してカーヴと売店を後にした。日が暮れた宵の口、丘の上から甲府盆地の夜景を見下ろせる展望台ではイルミネーションも催されており、山梨の夜景だけでなくこの施設自体の輝きも楽しめるような場所となっていた。それをしばらく眺めた後は、すっかり暗くなった夜道を歩いて駅まで戻り、中央本線で再び東へ向かって東京都内に入った。土産の甲州ワインを友人に振る舞うのを楽しみにしながら。

 

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岐阜・でらます・湖北旅行

「でらます」とは、アイドルマスター(以下アイマス)と名鉄観光がコラボして、主に名古屋市内の色んな観光施設や飲食店などにアイドルの等身大パネルが設置されたりコラボ商品が販売されたりするイベントのことである。そのために名古屋に向かって、ついでに行き帰りの道中のいつもの一人旅を足した、あるいは名阪間旅行のついでにでらますを足したとも言えそうな旅は、早朝の東海道本線で岐阜へ向かうところから始まる。

 東海道本線を乗り継いで、岐阜駅で高山本線太多線直通の多治見行に乗る。多治見で乗換待ちが発生したので軽く駅前だけでも見ようと改札を出ると、想像以上にお洒落で立派なショッピングモールがあり、都会的に見えたが、そこはまだできたてでテナントも埋まってないという。今後の多治見の発展に期待しながら中央本線中津川行に乗った。快速と書いてあるが、ちょうど多治見以降各停になるのだから最早快速ではなく少しもやもやした。

 

 

 中津川駅で降りると、バスに乗って、向かうは馬籠宿。隣の妻籠宿と共に、中山道の宿場町で往年の古い町並みの残る場所である。この二宿の間に今の岐阜・長野県境があり、馬籠は岐阜側である。日本に来る外国人観光客がまた増えてきているので、馬籠宿にも多くの外国人観光客の姿が見られた。

 

 

 馬籠宿は石畳の坂に沿って木造建築が並んでおり、バス停のある入口側から一番奥の恵那山展望台まで坂を上っていきながら町並みを眺めるようになっている。まずは一番上まで行こうと、物色はせずに坂を上っていった。町並みは非常に統一的で美しいが、中でもやはり外敵を阻むための桝形のところの水車は風情があった。

 

 

 

 馬籠宿の上側の出口に着くと、そこからすぐのところに恵那山展望台がある。よく晴れた日で、大きな恵那山が堂々と聳え木曽路の街道を見守っているようだ。そこにある東屋で少し休憩して汗を拭うと、次は宿場の色んな店舗を見ていこうと坂を下り始めた。

 

 

 

 

 昼時だったので、ふらっと蕎麦屋に入り、結構注文を迷いつつも最終的に山菜そばをオーダーした。しばらくして、かけそばに多種の山菜が乗せられた丼鉢が出てきた。蕎麦を啜ると、麺のいい歯応えと出汁の旨みが伝わる。山菜もどれも美味しく、つゆまで全部飲み干して店を出た。

 

 

 石畳を下りながら土産屋などを物色していると、岐阜のものと長野のものが両方あることに気づく。それは単に県境が近く文化的に近接しているからだろうかと初めは思ったが、恐らくそれだけではないだろう。というのも、馬籠は昔は長野県であり、隣の岐阜県中津川市が周りの町村を吸収合併する際に越県合併されて岐阜県に変わったのだ。それで長野への帰属意識も一定以上残っているのだろうかと思ったりした。

 

 

 その後は、中津川が発祥の栗きんとんの味のソフトクリームを食べながらしばらく休憩し、そしてバス停まで戻った。次はまだ新しい県境を跨いで妻籠宿へ。こちらは長野県南木曽町になる。

 

 

 妻籠宿に着くと、今度は平坦なアスファルトの道沿いに木造建築がずっと遠くまで綺麗に並んでいる。その街道を歩いていくと、飲食か土産かの店舗らしき建物はいくつもあるもののほとんどが閉まってしまっていた。もう夕方ではあったが、かなり早い時間に店仕舞いしてしまうようだった。観光客も疎らになって寂しい。街道を一往復した後は暇になってしまった。次のバスまで時間はあるのでもう一往復くらいしたりしてからバス停でじっと座っていた。

 

 

 

 

 

 数十分待ってようやくやってきたバスに乗って、終点の南木曽駅まで乗った。南木曽駅中央本線の駅で、中津川駅と共にこの駅もまた運行系統上の境界になっているようであり、ここから塩尻方面へは一気に本数が減る。今回はそっち方面には行かないので、中津川行に乗った後、快速の名古屋行に乗り継いで名古屋駅に着いた。

 カップラーメンの「辛辛魚」で知られる井の庄は東京の石神井公園に店舗があるのだが、どうやら名駅の中の驛麺通りにも店舗があるらしい。ずっと実店舗で食べてみたいと思っていたので、そこに入ることにした。店での辛辛魚は、唐辛子と魚粉が山盛りに乗せられており、絶妙な魚介系の旨みと唐辛子の辛さで非常に美味しかった。私は辛い食べ物が好きなので、更に少し卓上の唐辛子を足したりしつつスープまで飲み干して、店を出た。その後は、翌日の旅程に合わせて、また多治見まで折り返した後、太多線可児駅に行って、可児のネカフェで眠りに就いた。

 

 

 

 翌日と翌々日は18きっぷを使用しない。一日は長良川鉄道越美南線沿線だけを観光し、その次の日はほとんど名古屋市内にいて地下鉄で移動するからである。そのために長良川鉄道の起点駅である美濃太田になるべく近い可児まで来ておいたのだ。太多線であっという間に美濃太田に到着。

 長良川鉄道1日フリー乗車券は駅で紙のきっぷとして買うこともできるが、QUICK RIDEなるアプリを使って購入して、そのアプリの画面を見せることで使えるきっぷというものもある。それで電子チケットとしてフリー乗車券を購入し、長良川鉄道沿線観光は始まった。

 

 

 まずは関駅で降りる。関市は人口重心の町として知られている。人口重心は東京一極集中の影響で、岐阜県内を徐々に南東へと移動している。また、私が10年以上好きなシンガーであるLiSAの出身地でもあるので、別に特に彼女に関する観光名所などがあるわけでもないが、一度来てみたかった場所ではあった。

 滂沱と雨が降りしきっていたので、傘を差して駅からすぐ近くの関善光寺(宗休寺)まで歩いていった。善光寺と言えば長野にあるものが有名であるが、関には日本唯一の卍戒壇なるものがあるという。しかし、雨が強く、また時間が早すぎてまだ入れないこともあり、ここは断念して、軽く建築だけを見て駅に戻った。駅前の町並みは少し城下町の風情も感じられた。

 

 

 

 

 次の列車に乗って、隣町の美濃市駅で下車した。美濃市はうだつの上がる町並みや和紙で有名な土地である。改札を抜けると早速その町並みの方へと向かって歩き始めた。

 うだつとは、漢字では梲または卯建と書くが、要するに家屋の両端の外壁及び屋根瓦が少し高くなっている部分のことである。これは防火のためであり、これを上げるには費用がかかったことから、逆に出世できず裕福になれない状態を指す「うだつが上がらない」という慣用句ができた。

 その町並みに着くと、木造建築の古い町並みが続く中に、所々屋根の両端が少し上げられているところがある。これが本物のうだつかと高鳴る気のまま町並みを散策した。

 

 

 その後、うだつの上がっている建築の一つであり、史料館となっている旧今井家住宅を訪ねた。館内は美濃市の豪商の邸宅を展示してあるのであるが、そこの館長が非常に口の回る方で、そこに居合わせた老夫婦と私の三人に対して、美濃市の和紙が京都の迎賓館などでも使用された格式高いものであることや、邸宅の庭にある水琴窟に惹かれて上皇上皇后やかの米国のロックフェラー氏までもが訪れたことを話してくれた。

 

 

 その後は建物内部の様々な部屋について館長に説明されながら回り、それが終わると中庭の件の水琴窟などを見学した。水琴窟とは石で覆われているところに水を垂らすと、その下で音が響いて美しい音を奏でるというものである。これが世界のVIPも感動したという日本の音かと、しばらくその高く響く楽器のような音に浸っていた。

 

 

 

 いつの間にやら案外と時間は経っていて、歩速を速めて訪れたのは美濃和紙あかりアート館。美濃市の名産である和紙を用い、その内側から灯りを照らした芸術品の数々が展示されている美術館のような場所である。展示を見て行くと、主に岐阜県の地元の人が多いものの、関東や関西の人もその和紙アートに応募し、受賞作として展示されている作品があった。それらはぼんぼりのようでありながら、独創性のある伝統と現代アートの融合であるように見えた。その美しい展示品の数々を見て回って、あかりアート館を出た。

 

 

 

 

 

 再び美濃市駅から越美南線に乗って更に北へ、いよいよ郡上八幡へと至る。郡上八幡城の立派な天守と城下町を見てみたいと常々思っていたが18きっぷだとJR縛りであるがゆえに行けなかったところに、ついに辿り着いた。まずは城下町の方へ向かわんと駅から歩を進める。

 

 

 城下町の中心部までは数十分の徒歩移動を要するが、少しずつ木造建築などが増えていき城下町然としてゆく郡上八幡の町並みに心が躍った。やがて吉田川を渡った橋の向こうに城下町の中心部が広がる光景を見ると、ぱっとしない空模様ながらも非常に風情を感じられた。

 

 

 

 

 ここで本日の食事を取ろうと、土産屋と併設された食堂に入っていく。時間の問題か天気の問題か、広大な店内に私以外はほぼいないという殺風景な食堂を前にして、店員が注文を聞いてくれるので、食べたいものを素直に注文する。しばらくお冷やを啜っていたところに到着したのは、岐阜県でも郡上市下呂市などを中心に食べられてきた鶏ちゃん(けいちゃん)と、飛騨牛の乗せられた蕎麦や郡上名物のハムなどからなる定食である。それらを白米や味噌汁と共に頂くと、ハムの塩気や飛騨牛のほろほろとした食感、鶏とキャベツに絡んだ大蒜の旨みなど、どれも満足できる美味であった。食堂を出て向かうはいよいよ城の本丸である。

 

 

 循環バスのバス停でもあり土産屋でもある城下町プラザの角を曲がると、城下町から天守本体へと至る長い坂道が蛇行しながら伸びている。これを上るのはなかなかに大変だ。蛇行した車道を突っ切るように、近道と記された階段上の歩道があるのだが、それが非常に足場の悪い道であり、上り切った頃には汗が額や胸を激しく滴っていた。

 

 

 

 本丸に至り入城すると、天守の内部には観光地としての城によくある、この城に纏わる城主や戦などの歴史解説パネルや発掘物などがあり、いつものようにそれを眺めながら簡単にざっくり歴史を頭に入れていく。畿内中心のメインストリームの日本史に対して各地方にこのような歴史があることを学びながら階段を上っていくと、やがて屋上展望台に辿り着く。空模様こそ暗いものの、美しい城下町とその奥の山並みを見ることができた。同時にその遠景として見える山で行われた戦の解説などを見て歴史を学んだ後、天守を出た。

 

 

 

 いつの間にか帰りの鉄道に乗る時間が迫っていたので、本丸から市街地へと坂を下ってゆく。上りより遥かに楽で、あっという間に城下町プラザまで戻ってくることができたので、却って時間が余ったくらいであり、胸を撫で下ろした。やがてやってきたバスで郡上八幡駅に戻ると、美濃太田方面の車両に乗って南下を始め、帰路に就く。その途中で降りたのが、郡上市美並町にある、みなみ子宝温泉駅である。

 

 

 みなみ子宝温泉駅は非常に変わった構造の駅で、駅のホームから温泉へ改札も介さず直結している駅である。この駅で降りる時に運転手から温泉に入る際の割引券を受け取ることができ、それを使うと入浴が安くなるというシステムになっている。そのチケットを渡して割安の値段で温泉に浸かると、必ずしも長良川鉄道の乗客ではない客と共に湯に浸かる愉悦を縦にする。露天風呂もあり、そこにも学生のような風貌の集団から老人まで幅広い客層が癒されていた。私も湯に癒されて堪能したところで上がると、次の列車までの間に関市に本社があるらしい関牛乳のコーヒー牛乳を飲んで更なる癒しを得た。そして、やがてやってきた列車に乗って、美濃太田駅まで戻ってきた。長良川鉄道のフリー乗車券で通常運賃よりも安い運賃で観光できたことを確認すると、鵜沼乗換を経て名鉄犬山線沿線に宿泊し、翌日の名古屋周遊へと備えた。

 

 

 

 

 翌日も予定通り18きっぷを消費することなき旅程となった。名鉄犬山線名駅に着けど、時刻はまだ6時台。ろくに観光もできないので、カフェなどで適当に時間を潰しながら様々な施設の開店時間を待った。寝不足でうとうとしつつ待っていると、ようやく街が活気づく時間帯になったので、名古屋の地下鉄全線24時間券を購入し、栄へと向かった。

 ここからがでらますの開始である。まずは栄で何ヶ所かを回り、各地のアイドルの等身大パネルなどを写真に収めた。次は金山へ向かい、更に周辺のスポットを回る。その後、また名駅へと戻って駅周辺のいくつか営業開始したコラボ店を回った。その三つの繁華街にそれなりのスポットが集まっていたので、これで一段落ということにし、この日ちょうど昼頃からTwitterのフォロワーと会う約束になっていたので、銀時計で待ち合わせして相手の行きたい場所を案内することとなった。ここまでのでらますの記録をここに写真として残す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、私がでらますの一環として行きたかった中部電力MIRAI TOWER(以下ミライタワー)へ向かうため再び栄に降り立った。ミライタワーも、他のいくつかの場所と同じく、7月末からコラボしていたミリマスと9月上旬にコラボを始めたデレマスの両方のキャラが迎えてくれる。1階の受付と3階のショップを抜けた先のエレベーターで、地上90m付近の屋内展望台及び階段を上ったところにある屋外展望台へと至る。ハート型の南京錠と、ありがちな「恋人の聖地」なる看板に苦笑しながら名古屋市内を隈なく見下ろしてミライタワーを後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 その後は私もフォロワーも明確な目的地を持っていなかったが、途中で寄った書店で知った豊田市美術館の展示を見に行ってみようという話になり、鶴舞線名鉄豊田線経由で豊田市駅へ向かった。豊田市内にはJRがないので、ずっと18きっぷでは行きにくく飛ばしてきた場所であったが、偶然訪れる機会を得た。豊田市駅に着くと、駅前のペデストリアンデッキとその両側に聳える大きなショッピングモール群に都市規模の大きさを感じ取りながら、駅前から続く青色の案内に従って美術館まで歩いて行った。駅前の広い道、愛知環状鉄道の高架を潜って坂を上るとそれはある。

 

 

『吹けば風』と題された企画展に入ると、最初は大きな坂の他には風景画が展示されている空間であったが、途中からがらりと雰囲気が変わり、色んな方向にプロジェクターが向けられ、光路に垂れ下がる物体や鑑賞者に遮られながら様々な映像が様々な角度で表示されるようなインスタレーションが中心の展示に変わり、その後もプロジェクターとそれによる映像を中心として、室内に散りばめられたオブジェなども一体となった空間全体の展示へと変貌していく。最後に屋外に出ると、あちこちに長方形の鏡が配置された広場と池などがあり、どこまで展示の意図を理解できたかはわからないが、興味深いインスタレーションを体験できたと感じた。

 

 

 

 

 駅前まで戻ってきてそこでフォロワーと別れ解散すると、この日の最後に私は豊田の駅前でふらっと居酒屋に入って一人飲みに興じた。だらだら飲み食いするうちに数時間も経っていたので、頃合いを見計らって店を出て、この日の満足に観光できたことを感じながら上前津まで戻り、そこで泊まった。

 

 最終日、一通り今回東海エリアでやりたかった目的をすべて果たした私は、金山から18きっぷを使って長浜へ向かった。長浜は駅から琵琶湖側には長浜城、反対側には黒壁スクエアを中心とした城下町の古い町並みが残り、駅周辺だけでも十分観光しがいのある風情ある都市であるが、以前行ったことのある黒壁スクエア方面は飛ばして、この日のメインの前に道中の長浜城を観光した。

 

 

 長浜城は館内に歴史を開設するパネルもあるが、子供向けの体験コーナーやゲームコーナーの多い施設で、私はさっさと屋上展望台まで上がってしまった。屋上展望台からは、片や琵琶湖畔の自然、片や城下町と山々が見渡せ、吹き荒ぶ風に涼みながら景色を堪能すると、天守を後にして周りの公園を港へ向かって歩き始めた。

 

 

 

 今回の長浜観光のメインは竹生島である。竹生島長浜市に属し、琵琶湖に浮かぶ離島の一つで、定住人口は0人であるが立派な寺社仏閣があり観光客で賑わうパワースポットとして知られている。船は長浜港から出ているものと、琵琶湖の対岸の高島市にある今津港から出ているものがあり、行きと帰りを往復にせず片道切符で長浜から今津(またはその逆)へ向かうチケットも存在する。今回は私はそれを購入し、竹生島を観光した後今津港へ行くことにした。一応彦根港からも行けるが、これは今回は割愛する。

 

 

 短いクルーズを終えあっという間に竹生島に着くと、最初は天気が芳しくなかったが、とりあえずは拝観券を購入して、朱色の鳥居に挟まれた橋を渡って竹生島神社(都久夫須麻神社)へと向かった。重要文化財竹生島神社は紫の幕がかかった立派な建築で、拝殿の反対側の建物からは琵琶湖に向かってかわらけ投げができるようだった。

 

 

 

 その後、神社横から木造建築の廊下を渡って戻ると、宝厳寺の国宝・唐門に着く。カラフルで豪華絢爛ながら黒を基調とする重量感も感じさせる唐門とその中の観音堂を見学すると、更に階段を上っていよいよ一番上の宝厳寺の本尊や三重塔のあるエリアに辿り着いた。それらを見て回りながら、タオルで滲む汗を拭う。しばらく休憩したら階段を下りていって、境内を出た。

 

 

 

 港から境内までの小さな門前町には食べ歩きできるような軽食が色々と売ってある。この夏まだかき氷を食べていないことに気づいた私はかき氷を注文して店の向かいのベンチで食べた。暑い夏に冷たい氷ほど美味しいものはないかもしれない。しかしもうあまり時間がなくゆっくり味わっている暇はなかったので、勢いよく掻き込んで食べ終え、最後に近江牛まんを持ち帰って今津行の船に飛び乗った。

 

 

 

 日の傾きつつある近江今津には賑わいはなく、閑散とした中を港から駅まで歩き、そこで一時間近く後の電車をじっと待っていた。今回の旅はここまでである。今から大阪に帰るにはまだ少し早いというくらいの半端な時間ではあったが、もう帰ってゆっくり休もうと思ってこれ以上はどこにも行かないことにした。やがていつもと少し違う湖西線の新快速がやってくる。いつも通り新快速に乗って、大阪へと帰っていくのであった。

 

九州北部旅行

 九州は大阪からも距離があるし、ましてや東京からはかなり遠い。だから今まで何度か訪れてはいるものの、さほど行きたいところに行けていないことに気づいた。というわけでこの夏と、恐らくまた近いうちにも九州に行くことになるであろう。この記事はとりあえず先日行ってきた九州北部の旅行に、おまけとして帰路の山陽本線沿いの観光を加えた記録である。

 もう幾度となく往復してきた山陽本線をまたも全線に亘って往復するのは流石にしんどくなってきたので、往路は九州まで一気にショートカットすることにした。ということで夜行バスを予約した私は、博多行の夜行バスに乗るべく難波にやってきた。難波からは四国方面などの中距離程度の所要時間数時間程度のバスと、東京や福岡などの長距離を行く夜行バスとが次々にやってくる。その中で、予約していた通りに博多行のバスに乗ると、座席が初めからある程度傾けられており、ゆったりと座れるようになっていた。間もなく出発し、一通りアナウンスが流れると消灯する。私はちゃんと眠れるか不安だったが、意外とあっさりと寝ることができ、早朝の博多に着くまでに十分な睡眠時間を確保することができた。

 

 

 朝になり、博多駅に着くと、空は晴れ渡っていて旅日和であった。駅前はまだ人通りが少なめだが、これから一日を始めようとする様々な人々が行き交い始めていた。そんな中を18きっぷを使って構内に入り、鹿児島本線に乗って香椎駅で降りた。

 香椎線に乗り換えて、今回は南へと向かうが、一駅乗っただけの香椎神宮駅で降りて、香椎神宮まで向かう。香椎線に乗ったのは乗り潰しという目的もあったが、まだ早朝なのでその時間帯から行ける場所を探した結果こういう旅程になったという事情もある。ともあれ香椎神宮に着くと、大きな正面の鳥居の向こうにはまず池とその真ん中にある末社に続く朱色の鳥居が目についた。そこには後で訪れることにして、とりあえず奥へと進むと、立派な木造の門や朱色の拝殿など神社の中核部分に着く。その拝殿に参って、それから奥を見ると、本殿の建物は工事中のようだった。景観としては少し惜しい時期に来てしまったとも思ったが、ここまでで十分にその静謐な空気感を味わうことができた。

 

 

 

 

 駅に戻ると、ホームには高校生やサラリーマンが多くいて、ちょうど通学・通勤の時間帯であった。彼らの多くは先に来た香椎・西戸崎方面の列車に乗って行った。私はその後に来た宇美行の列車に乗ったが、次の駅に止まるごとに多くの高校生などが乗ってきた。香椎線にそんなに需要があるのかと不思議に思っていると、大半の乗客が長者原で降りたので、なるほどやはりそこで乗り換えて博多方面に向かうのだろうと納得し、乗客の減った列車は終点の宇美まで走って行った。

 宇美駅は香椎線の南側の終点の駅である。駅前には大きなUの字のモニュメントがある、宇美町の代表駅である。私はその音でアイマス高坂海美を思い浮かべていたのだが、Swarmでチェックインするとラブライブ園田海未を思い浮かべた人が出てきたので、もう既に異次元フェスが始まっているのかと思った。

 

 

 冗談はさておき、宇美八幡宮を目指して小さな商店街や住宅街の間を抜けていく。細い道を通っていると本当にこれで合っているのかと不安になるが、看板は確かにその方角を指している。やがて大きな道に出て右折すると、宇美八幡宮の鳥居が見えた。参道は真っ直ぐ拝殿まで伸びており、重厚な門を潜って神を拝む。この神社は安産祈願で知られているようで、裏手に回ると生まれた子の誕生日や名前などが書かれた石がたくさん積み上がっている場所があった。解脱できずに輪廻転生し四苦を味わわされる人生の羅列だ、などと異教の信仰を思い浮かべながら宇美八幡宮を後にした。

 

 

 

 少し筑豊地域の乗り潰しでもしようかと思って、香椎線で折り返す途中、長者原福北ゆたか線篠栗線)に乗り換え、桂川原田線筑豊本線)に乗り換える。原田線は1両編成で本数もかなり少なく、筑豊本線というのは運行系統上は完全に分断されていて旅客案内上でも表示されないとはいえ、桂川以北と比べてこれほど格差があるのかと流石に少し驚いた。原田線の終点である原田駅まで乗ると、鹿児島本線に乗り換えられるので、それで鳥栖駅まで行った。ここから佐賀旅行が始まる。

 

 

 まずは長崎本線に乗って佐賀駅まで。久しぶりに来た佐賀駅は開発が進んでいて、数年前の記憶よりかなりお洒落な駅に変貌していた。新しくできた商業施設を少しぶらついて、それから駅前のラーメン屋に入った。

 

 

 佐賀ラーメンは久留米などと同様に豚骨スープであるが、それよりはマイルドに仕立て上げられたスープで、とはいえ味が薄いということはなく飲み干したくなるスープだった。それから、生卵の卵黄を乗せるのが佐賀流らしく、ある程度麺を食べ進めた後に卵黄を割って細麺に絡ませると、それもまた美味であった。

 

 

 店を出ると、次の列車までまだ時間があるので、手持ち無沙汰ながら喫煙所に行ったりして時間を潰した。やがてやってきたのは長崎本線から佐世保線に直通する早岐行。2路線が分岐する駅は以前は肥前山口という駅名であったが、西九州新幹線の開業に合わせて江北駅へと名前を変えており、まだ聞き慣れない。その江北駅から佐世保線に直通して、西九州新幹線の起点駅でもある武雄温泉駅で下車した。

 

 

 

 武雄温泉駅は在来線側は赤煉瓦で新幹線側は黒壁のシックな雰囲気で、また焼き物を展示・販売するスペースがあったり、西九州の玄関口を謳った幕があったりと、お洒落かつ交通の要衝として出世した感があった。温泉街は在来線側の出口から北西側に行ったところにあるので、案内の通りに歩いていく。日傘を差さずにはいられないほど日光が強く差してくる中を10分程度歩くと、奥に旅館がある温泉街の通りに入った。その道を進んでいくと、やがて両側には旅館、奥には武雄温泉のシンボルである楼門が見えた。楼門は辰野金吾の設計であるというから、武雄温泉の歴史の厚みを感じざるを得ない。

 

 

 楼門を潜ると、公衆浴場があるので、そこで日帰り入浴をした。私が入ったのは元湯で、温泉は源泉に近い熱い湯と、少し温くした湯とがあったが、温い方でもそれなりに熱くて満足であり、熱い方は私には熱すぎた。のぼせない程度に温泉から上がって脱衣所を出ると、休憩スペースになっているところにいくつか自販機があって、そこで定番のコーヒー牛乳を買って飲んだ。湯上がりにこの冷たくて甘い飲み物が本当によく染みる。牛乳瓶を専用の箱に入れると、私は武雄温泉を後にした。

 

 

 

 それで駅に戻ってきたのだが、この日はもう一ヶ所行きたい温泉があった。西九州新幹線の駅名にもなっている嬉野温泉である。嬉野市には在来線がなく新幹線駅が嬉野温泉駅一つあるだけである。しかしその駅も街外れに作られ温泉街から遠いので、新幹線が開通したといえども結局武雄温泉からバスに乗って嬉野温泉街の傍にあるバスセンターまで行くのが適切なアクセス方法であろう。

 バスに揺られること数十分、嬉野バスセンターで降りて通りに出ると、もうちらほら温泉が見える温泉街の中である。その中で、嬉野のシンボル的存在なのが公衆浴場のシーボルトの湯である。それは温泉街の中でも特別な存在で、そこへの案内看板が多く立っているので、それに従っていくと足湯のある湯宿広場があり、そこから反対側の細い道に入っていくと旅館の並ぶ街並みの温泉街らしさが強まっていく。その通りをしばらく歩いた先に蛇行した道路があり、その先に建っているのが赤い屋根の古い洋館のようなシーボルトの湯である。

 

 

 中に入って入浴券を買うと、温泉に入る。湯温は武雄で入った温泉の温い方と同じくらいか、個人的には適温といったところで心地よかった。また、美肌の湯と謳っていた通り、肌がすべすべになった感触があった。温泉の出入口と反対側は窓になっていて、川が流れ橋が架り、その向こうにも木造の建造物が連なる風情ある景色が広がっていた。ここは後で橋の方へと実際に行って、逆に対岸から洋館を眺めもした。

 湯から上がると、2階に展示があるようなので行ってみた。吹き抜けになっていてエメラルドグリーンの手摺りで仕切られた空間を囲むように外側の壁沿いに通路があり、かつては古湯温泉と呼ばれていたこの建物の昔の写真などの展示と、シーボルトと嬉野の間にどういう縁があるのかというようなことを記した展示などがあった。他にも貸切風呂や食堂のような部屋もあったが、誰かいそうな雰囲気はなかった。

 

 

 洋館を後にすると、その近くに同じような朱色の屋根の下にシーボルトの足湯もあった。先客がいたので、軽く手を入れてみることしかしなかったが、無料の足湯が同じ温泉街に二つもあるのはなかなか珍しい気もした。

 

 

 

 バスセンターに戻ると、次はこのバス路線の終点の大村線彼杵駅まで乗っていくことにした。夕暮のバス停から彼杵行に乗る人は私しかいなかった。山の中を抜けて、大村湾の海沿いまで出て、終点の彼杵駅に着く。彼杵は一応快速シーサイドライナーの停車駅にもなっているが、本当に小屋のような田舎の駅舎で、当然のように無人駅である。誰もいないホームでしばらく待っていると、佐世保行の快速がやってきて、意外にもそれなりにいた降りる乗客と入れ替わりに乗り込んだ。大村線の終点の早岐まで行って、佐世保線に乗り入れてやがて終点の佐世保駅に着いた。これまた久々に来た佐世保は、駅こそあまり変わっていないものの、海側のフェリー乗り場や五番街などのイルミネーションがかなり増えたような気がして、真夏ながらきらきらした駅前はさながらクリスマスシーズンのようであった。

 

 

 

 佐世保の食の名物はいくつかあるが、佐世保バーガーは以前食べたことがあるのに対して、レモンステーキはまだ食べたことがなかったので、夕食はレモンステーキにした。賑やかな佐世保の繁華街の一角にある店舗に入って、レモンステーキと、レモンビールなるものを注文した。先に瓶ビールがやってきて、それをちびちび飲んでいると、やがて片面だけが焼けた牛肉の乗った鉄板が到着した。もう片面は鉄板の熱いうちに自分でひっくり返して焼き、肉の上に乗ってきたレモンスライスを絞って食べるというスタイルである。ステーキは、一般的なステーキより薄い肉だったので分量としては多くなく割高な気もしたが、さっぱりとしたレモンで食べるステーキは美味しく、贅沢な夕食となった。

 

 

 店を出て、コンビニで追加のお酒を買うと、アーケード商店街の中にあるネカフェに入った。買ってきたお酒を飲みながら、やがて眠りに就いて初日が終わった。

 

 翌日は寝坊してしまった。朝から九十九島の方へ行こうと考えていたのに、後の旅程との関係でそんな時間はなくなってしまった。泣く泣く昼頃にネカフェを出て、近くのバス停から乗ったのは、平戸桟橋行のバスである。九州の本土の島という意味での最西端から更に橋を渡った向こうの離島である平戸港まで、長い間バスに乗り続ける。松浦鉄道と近い経路で進むので、時々市街地に入ったり、山の中を走ったりしながら、平戸桟橋のバスターミナルに到着した。

 

 

 平戸は16~17世紀にかけて、鎖国以前はポルトガル船やオランダ船などが来航する国際貿易港であった。長崎市の出島の方が知名度は高いのだろうが、かのザビエルも来航し、平戸にもオランダ商館やイギリス商館などが置かれた。一方、城下町でもあって和洋折衷の街並みが今なお残されている。また、天草や五島列島などと共に、江戸時代の潜伏キリシタンや明治以降のかくれキリシタンの生活していた集落跡などが世界遺産に登録されているが、それら構成遺産はどこもアクセスの悪い場所にあるので、今回はまず平戸の中心市街だけを堪能することにした。

 まずは平戸城を目指して歩き出す。平戸城平山城で、港からも天守が見えていた。その方向へと進む途中、石造のアーチ形の橋と、黒い屋根瓦の門や白い壁に空いた狭間、石垣などがあって、そこが市役所であるようだった。イギリス商館の跡地でもあるらしく、目立つ場所以外にも随所に歴史を見出すことができるのが平戸らしいところである。

 

 

 

 その裏手には平戸城の入口がある。亀岡神社という神社と一体になっているようで、鳥居を潜って石階段を上っていく。すると、途中で参道が途切れて、城の本丸へと繋がる階段に変わった。そのまま上るとまずは天守の前に着いて、入城して中の展示を見て回る。展示はさほど多くなく、それも映像だったり子供向けのゲームだったりがかなりの割合を占めているので、文字で解説していたり発掘したものを展示していたりするようなエリアはあまりなかった。それゆえにさくさくと展示を見ていって、あっという間に最上階の展望台に到達した。窓を開けて外をぐるっと一周すると、平戸の街並みや、対岸の本土側の田平の街並み、それからその先の的山大島に続く海が見渡せ、涼しい風が汗を少し乾かした。

 

 

 

 天守を出て裏側に行くと、そちら側にいくつか櫓があり、その先に亀岡神社の表参道と拝殿・本殿を見つけた。なるほど市役所側の入口は神社からすれば裏側だったのかと思いつつ参拝し、階段を下って入ったところとは別の出口に出た。

 

 

 次に向かうのは平戸ザビエル記念教会である。城とは別の方角の小高いところにこれまたエメラルドグリーンの立派な教会が建っているのが下からでも見えるので、その方角に歩いていくと、寺院と教会の見える風景と書かれた案内看板があった。その看板に従い、通っていいのか不安になるような細道を進むと、石の坂が長く続いていて、その途中で案内通り寺と記念教会とが同時に見える場所があった。寺院と教会と坂、まるで概念としての「長崎らしさ」を圧縮したような風景であった。

 

 

 その坂道を上り切って回り込んだところに教会の正面があり、近くで見ると改めてその大きさを実感した。教会の敷地内には、普通に人の住んでいる家も建っていて、そちら側には入らないように規制されていた。教会の内部も、本当に入ってすぐの狭いスペースだけ立ち入ることができ、その柵の向こうに礼拝所本体があるが、そこは写真撮影すら許可されていない。それでも荘厳な教会内部を公開して見せてくれるだけでもありがたかった。

 

 

 

 教会を出ると最初の平戸港の方へと道を下っていく。平戸には他にも見るべきものがたくさんあるが、もう時間がない。海沿いの平地まで戻ってくると、最後にオランダ商館の建物だけ見に行くことにした。本当は中に展示もあるのだが、それを見物するほどの時間が残っていなかったのが惜しい。外観だけを撮影すると、バスターミナルに戻った。

 

 

 

 バスに乗って平戸口駅で降りる。田平地区にあるたびら平戸口駅松浦鉄道の駅で、沖縄のゆいレールを除いて日本最西端の駅である。駅構内には鉄道博物館があり、東西南北の最端同士の繋がりがアピールされ、松浦鉄道国鉄だった時代のものの展示などがあった。それらをしばらく眺めて、後は待合室でのんびり座っていると、伊万里行の列車が来た。

 

 

 

 この日の観光はここまでで、伊万里まで松浦鉄道に乗った後、JRに乗り換えて、筑肥線唐津線長崎本線を経由して鳥栖まで戻ってきた。次の日は久大本線に乗る予定であったが、久留米より鳥栖の方が駅からネカフェへのアクセスがいいので、鳥栖で一夜を明かした。

 

 次は寝過ごすことなくちゃんと時間通りに鳥栖駅へ。たまたま鳥栖発で久大本線に直通する日田行の列車があったので、久留米で下車することなくそのまま日田まで乗っていくことができた。

 

 

 日田駅は黒を基調とした駅舎で柱などにはそのまま木材が使われており、これまた雰囲気のいい駅である。待合室もフローリングに木の扉で、高級感のあるソファーがあったり本棚があったりして綺麗だった。また、日田は『進撃の巨人』の諫山創の出身地であるらしく、進撃のパネルやら、そのキャラクターであるリヴァイの銅像があったりと、一つの町おこしの手段として利用されていた。

 

 

 

 日田は江戸時代に天領として栄えた街で、その中心である豆田町は古い街並みと区割りが残り、重伝建にも指定されている。他に温泉街などもあるが、駅から歩ける距離に日帰り入浴のできる温泉がなさそうだったので、そちらは断念することにして、豆田町の方へと歩いていった。

 豆田町には伝統的な日田の名産を売る店などが軒を連ねており、それぞれの建物は杉下駄の店や雑貨の店、鰻料理の日田まぶしや雛人形の展示など様々であり、往年の繁栄ぶりを思わせる。また、ユネスコ無形文化遺産に登録された日田祇園祭なども有名である。その中でも日田醤油の店内で、雛人形が多く展示されている雛御殿が気になって、入ってみることにした。

 

 

 

 

 日田の雛人形は、天領として栄えた時代に豪商が京や大阪から買い求めたコレクションであるらしく、様々な時代の豪華絢爛な雛人形や雛道具が展示されている。その中でもおきあげ雛や10段飾りの雛飾りは圧巻である。他にも小さな人形や掛け軸、祇園祭の山鉾を何分の一かにした模型など、小さいものまで含めれば本当に数え切れないほどの展示があった。また、ゴシック調の雛人形など現代的なアレンジがなされたものも展示されており、伝統がここまで守られ続けているだけでなく、更なる進化を遂げている様子も垣間見ることができた。

 

 

 

 

 そうしてじっくり眺めているうちに意外と時間が経っていたので、他の店を少し覗いたりはしつつも豆田町の街並み自体を再度楽しみながら抜けていって、久大本線に対して反対側まで歩いていった。昼時なので昼食を取ろうと思うのだが、日田まぶしなどは高くて貧乏人には食べられないので、庶民的でリーズナブルな日田焼きそばを食べに行くことにした。

 日田焼きそばの特徴は、硬くなるくらいまで焼いてパリパリした食感にした麺と、大量のもやしが入れられていることである。それから、豚骨ラーメンのスープだけがついてくる店がいくつかあるようで、それも日田流なのかもしれない。先に豚骨スープが提供され、それをちょっとずつ啜っていると、やがて焼きそばが到着した。食感は確かに硬めの部分もあるが、普通の焼きそばとそんなに変わらないくらいの食感の部分もあり、また大量のもやしにもソースがよく絡んでいて美味しかった。途中で卓上の紅生姜を入れてみたりしながら焼きそばを完食してスープも飲み干すと、思いの外満腹感があったので、白米などは頼まずこのくらいがちょうどいい量だった。

 

 

 店を出ると、まだ少し時間があったが、温泉に入れもしないのに温泉街だけ見に行って時間ギリギリに駅に戻るというのは炎天下の中では耐えられないと思ったので、素直に日田駅に戻った。次は日田彦山線を乗り通そうと思うのだが、添田〜夜明間はもうずっと被災して運休したままで、(久大本線夜明〜日田間への直通も含め)添田〜日田間を代行バスが走っているという状況だったので、駅前に停車している添田行の代行バスに乗り込んだ。ちなみに日田彦山線のこの区間は鉄道としては廃止され、現在はBRTの路線として新たに開業している。私が乗った代行バスは本当に廃止される直前だったというわけだ。

 

 

 大分と福岡の県境付近の山を越えて添田に着くと、BRT専用の道路が既にできあがっており、実際にBRTが試験運転したりもしていて、若干盛り上がってそうな感じであった。そこからはまた鉄道に戻り、田川後藤寺行に乗り、あっという間に着いて小倉行に乗り継いだ。筑豊を抜けて南から北九州市内に入っていき、城野駅より先は日豊本線西小倉駅からは鹿児島本線に直通して小倉に到着した。これですべてではないものの筑豊エリアのJRの乗り潰しがかなり進んだ。

 しかし、次の目的地は博多方面であって、また鹿児島本線に乗って博多駅まで向かう。博多駅に着くと、地下鉄に乗り換えるために歩いていくが、最後に来た時にはまだ開通していなかった七隈線天神南〜博多間が開通しており、七隈線の案内があるのに未だ慣れないまま空港線に乗って福岡空港に着いた。

 

 

 では福岡空港が目的地なのかといえばそうではなく、飛行機に乗る予定はまったくなく、空港沿いに南へ歩いて、ある飲食店へと向かった。それは牧のうどんである。牧のうどんは福岡県西部を中心にチェーン展開しているうどん屋で、今まで何度か食べたことがあるが、いずれも博多バスターミナル店であった。そこは食券制になっていて、食券にあるメニューしか選べない。しかし、牧のうどんにはある種の裏メニュー(トッピングを覚えていれば博多でも再現できるものだが)のようなものがある。それが、牧のうどんを溺愛する声優・麻倉ももがいつも頼むメニューということで、「ももちゃんセット」と通称されているものである。それが通じるのか一度試したくてわざわざ空港店の方に来て、それをオーダーすると、店員はすぐに理解して注文を取ってくれた。しばらくして着丼したものは、トッピングも多くてかしわ飯まである贅沢さで、かなり量が多い。卓上の葱を大量に乗せて勢いよく麺を啜っていき、何とか食べ切ることができた。

 

 

 

 これで今回の九州旅行は終わりで、残りは帰路の山陽本線での観光である。地下鉄で博多駅まで戻った後は、また鹿児島本線を逆走して門司へ行き、そこから関門海峡の向こうである本州の下関との間だけを往復している運転系統に毎回納得いかないと思いつつも下関へ。そこから山陽本線に乗って、この日は防府で降りてそこで泊まることにした。

 

 翌朝、早くから防府市街を歩き始めた。萩往還の歴史を感じる街並みを抜けていって大きな交差点に出ると、防府天満宮の鳥居があった。防府天満宮は北野、太宰府と並び日本三大天神と称される神社で、その歴史は非常に古い。朝早い参道に参拝者らしき人はいないが、多くの人が何やら商品を並べているようであり、バザーか何かが開かれるのかもしれない。そこを通り過ぎて階段を上ると、いつものように拝殿で拝んで、それから周囲の色々な建物や石碑などを見て回った。とりわけ地元の子供たちの書いた習字が周囲の壁沿いに多く展示されているのが目立った。

 

 

 

 天満宮を後にすると、防府駅から再び山陽本線に乗って東へと向かう。まずは山口県の東端である岩国まで行き、しばらく待って次は糸崎行の車両に乗る。そのまま広島駅を通り過ぎて降りたのは、東広島市の西条である。

 

 

 西条は日本酒の酒蔵が狭い範囲に密集している酒蔵通りで知られ、酒都とも称される街である。また、灘や伏見と並んで三大酒処とも称されるが、広島県内には他にも有名な観光地が多くあるせいか、イメージのない人も多いようである。

 着いた頃はちょうど昼時で、昼休憩を挟んでいる酒蔵が多かったので、まずはぐるっと街並みを眺めてみた。風情のある赤褐色の屋根瓦の並ぶ建物と、遠くからでもよく見える背の高い煙突が並ぶ。一通り街並みを眺めてから、いくつか酒蔵に入ってみることにした。

 

 

 

 まず入った賀茂鶴は、西条でも代表的なメーカーで、かつてオバマ大統領にも振る舞われたという。酒造りのプロセスに対する解説を見て、その後ショップのカウンターで試飲を注文した。おすすめされている三種飲み比べを順に飲んでいくと、どれも華やかな香りと飲み口で、細かい違いがわかるほど舌が肥えていないのが残念だが、やはり安酒と違い、いいところのお酒は美味しいと思えたのでひとまず満足した。

 

 

 

 その後もいくつか回ったが、店が開放されているのに店員がいなかったり、その日は試飲がやってなかったりして、右往左往しているうちに時間が過ぎたが、最後にもう一ヶ所、亀齢酒造で試飲をすることができた。こちらは無料で、量もその分少なかったとは思うが、先程ともまた違うきりっとしたお酒をいただくことができた。

 

 

 この辺で予定していた電車に乗る時刻が迫ってきたので、西条を後にして、再び糸崎行に乗り込んだ。しばらく待っていると、珍しい糸崎発姫路行の車両がやってきて、岡山駅で乗り継ぎをすることなく姫路まで行ってくれるので、ゆっくり座り続けることができて助かった。姫路に着くといつもの新快速に乗って大阪方面へ向かったが、途中、三宮で下車して、気になっていたラーメン屋に入ってみた。

 

 

 そこは鯖を売りにしているラーメン屋で、ストロングを注文すると、鯖の身までが混ざっているドロドロの濃厚なラーメンが来て、スープは鯖の旨味だけでなく酸味もあるような独特の味わいで、初めて食べる味だった。麺を食べ尽くしスープも飲み干し、最後に懐石料理などについてくるような薑を食べて、なお味の衝撃を忘れられぬまま店を後にした。そしてまた新快速に乗って今度こそ大阪へ向かった。

岐阜・愛知・長野旅行

 大阪と東京の間をJRで移動する経路は、細かな支線を除いてほぼ乗車済であったが、最後にもう一つ長い路線が残っていた。それが飯田線であった。飯田線豊橋駅から辰野駅までを結ぶ長大な路線で、各停で乗り通すと7時間程もかかる。そこに少し沿線観光を加えながら東京に向かおうというのが今回の旅の発端である。

 ただ、単に飯田線に乗るだけなら大阪から東京まで1日で足るが、沿線観光を含めると2日はどうしてもかかる。また、飯田線の途中駅には大して大きな駅もなく、沿線でいつも通りネットカフェに泊まるということもできない。というわけで1日目は愛知までしか行けないので、前日入りを兼ねての東海観光をすることにした。

 新快速で米原まで行くと、東海道本線の中でも面倒な乗継区間の一つである米原〜大垣間の車両に乗る。随分な日数を国内旅行に費やしてきたが、実はこの数駅だけの県境越え区間に、下車すらしたことがないが非常に有名な土地があった。言うまでもなく、天下分け目の関ヶ原である。

 

 

 東海道本線の沿線には、灯台下暗しのように見逃し続けてきた場所がいくつもあったが、その一つであった関ヶ原に訪れることが今回叶った。知名度の割にさして観光客は多くなく、閑散とした駅前から決戦の地へと歩を進める。途中に現代的な建築のミュージアムがあるが、一旦は通り過ぎて、田舎道を辿っていくと、真っ直ぐ伸びる道の左側に決戦地の幟が掲げられた場所に着いた。

 

 

 決戦地には幟と石碑、それから解説の看板以外には何もない。ただ、その雑草のみ生える空間で、日本の近現代史の方向性が決まったのかと思うと、不思議とオーラのような非科学的な何かを感じ取らずにはいられない気がした。歴史にifはないと言うように、ここで石田三成陣営が勝っていたらどうなっただろうかなどと考えても、私程度の日本史の知識量ではパラレルワールドを整合的に考えることすら難しい。道の更に奥を見遣れば、山の中に色んな陣営の陣取った跡地があるのだが、そこまでを巡るほどの体力も時間もなく、引き返してミュージアムの方へと向かった。

 ミュージアムと呼んできた場所、正式には関ヶ原古戦場記念館という場所は、かなり最近できたもので、歴史的に重要な場所であるのに観光客を惹きつける要素が弱かったためにようやく造られたもののようだった。周辺には徳川陣営の跡地があり、ミュージアムの1階の受付兼ロビーのような空間には、来訪当時に放送されていた大河ドラマ『どうする家康』の等身大パネルなどが置いてあった。

 

 

 館内は上層に展示がある構造で、関ヶ原の戦いにまつわる歴史や兵糧などの解説があり、また戦場跡を上から見渡せる展望エリアもあった。晴れの関ヶ原を見下ろすと、山の中に点々とそれぞれの陣営の幟が立っているのが見える。展示をすべて見終えると、最初にちらと見えた大河ドラマとコラボしているパネルの並ぶエリアに出て、そこから出口とミュージアムショップに続いていた。

 

 

 記念館を後にすると、駅に戻って大垣行の列車に乗る。大垣まで来れば名古屋近郊を走るJR東海の新快速に乗ることができる。岐阜駅から快速になって飛ばしていく中、名駅を少し過ぎて、大府駅で降りた。大府は東海道本線が通る他、武豊線の起点でもある。次はこの武豊線に乗り、そこから更に南へと知多半島の観光をするのである。

 武豊線に乗って武豊駅まで行くと、知多半島を通るJRはここまでなので、ここからは普通運賃で名鉄に乗るしかない。名鉄知多武豊駅まで歩いて名鉄河和線に乗り換え、3駅乗れば終点の河和駅に到着する。河和は知多半島を鉄道で訪れる場合の一つの南限ではある(知多新線の方が更に南まで行くが)ので、ここからは船に乗って離島を目指す。

 

 

 知多半島渥美半島の間の三河湾に浮かぶ離島がいくつかあるが、それを全部訪れる時間的余裕はないので、今回は日間賀島を訪れることにした。他には篠島や、渥美半島の先端である伊良湖に行く船があるが、伊良湖には三重の鳥羽から船で行ったことがある。調べてみれば色んな航路があるものである。

 河和港で日間賀島との往復乗船券を購入し、高速船乗り場に向かうと、多くの旅行者が並んで船に乗り込んでいる列に入る。乗船すると、30分弱ほど半島の東側を通って、夕方の日間賀島西港に着いた。よく晴れた日で、三河湾が煌めいていた。

 

 

 日間賀島は蛸で有名である。蛸とそれが乗っている蛸壺に歓迎と書かれたモニュメントが港に降り立った旅の人を迎えてくれる。島に降り立ってしばらくは港周辺をうろうろしていたが、最初に行こうとしていた店が営業していなかったところ、より港に近いところにいい感じのバルを見つけたので入ってみることにした。たこ唐串とクラフトビールを注文して、それだけでも日間賀島の美味しい蛸を十分味わえたのだが、看板メニューと思しきうちの一つのたことしらすのアヒージョがどうしても気になって、追加注文してしまった。少し高かったが、それも非常にガーリックな味わいで美味しく、クラフトビールと合わせると最高にいい気分になれるちょい飲みを楽しめた。

 

 

 

 

 店を出ると、もう帰路へと戻っていく。もう少し早く来ていれば色々ゆっくり島内を回ることもできたのであろうが、着いた時点で夕方で、店もどんどん閉まっていったので、仕方がない。同じ航路で河和港まで戻ると、少しお土産を物色した後、名鉄河和駅から名鉄特急に乗ったにもかかわらず、少しでも18きっぷで安くするために武豊で乗り換えて、武豊線区間快速名古屋行に乗った。寝て起きると名駅に着いていて、時刻はとっくに夜であった。

 その後は名駅で友達と会い、飲みに行ったが、だらだらと飲んでいるうちに終電がなくなり、豊橋に前日入りするという当初の計画が崩れて結局は名駅付近で一夜を明かした。多少計画はずれるが、それでも別に翌日飯田線沿線を観光するのに問題はなさそうだったので、軽傷だと気にせずに寝落ちした。

 

 翌日、早朝から各停の東海道本線で寝ながらのんびり豊橋まで向かった。豊橋に着いても、長野県内まで抜けていく飯田線の始発は過ぎてしまってかなり待ち時間が発生していたので、まだ少し冷える朝を耐え凌ぎながらようやくやってきた飯田線天竜峡行に乗った。飯田線は過去に豊川まで乗って豊川稲荷に参拝したことがあるが、その先は未踏の地で、間の秘境駅として有名な駅のあるような山奥の区間を通り抜けて、4時間もかけて天竜峡にまで到達した。

 天竜峡で乗り継ぐのに20分ほどの待ち時間があったので、駅を出てすぐの橋まで行き、天竜川とその両岸を彩る桜の織りなす春の絶景をしばらく眺めていた。ごつごつとした岩肌の上に伸びる木々は四季折々に表情を変えるのだろう。駅のすぐ近くのさらっと見に行ける距離にこの景色があることをありがたく思った。

 

 

 

 

 駅に戻ると次は中央本線まで直通する茅野行の列車が来ていた。天竜峡から北は伊那盆地の細い市街地を縫うように走っていくが、沿線には町村も多い田舎である。車で来ればもっと色々と楽しめるスポットがあるのだろうと思いながら更に2時間半ほど列車に乗って、伊那市駅で降りた。

 伊那市駅は名の通り伊那市の中心駅である。伊那市と言えば最近ではKing Gnuでダブルボーカルを務める常田大希と井口理の出身地としても知られる。その東の方には青森の弘前公園、奈良の吉野山と並んで日本三大桜の名所とされる高遠城がある。バスで高遠駅まで向かって、そこからしばらく歩いて、平山城に至るまで坂を上っていくと、ちょうど桜が満開に近く咲き誇っている城門に着き、縄張の内側へ入ると多くの桜と共に祭りの屋台が建っていたり、顔出しパネルがあったりとお祭りムードを感じさせる様子で、夕方でも多くの人々が桜咲く城跡に魅了されていた。私も桜の舞う城内や、そこから見下ろせる城下町などをしばらく眺めて感に入っていた。

 

 

 

 

 

 夕日の差す高遠城を下っていって、同じバス停からまた駅まで戻る。ちょうど日も暮れてきて夕飯時になったので、伊那名物のローメンを食べにいった。ローメンとは基本的には中華麺に羊肉と野菜を乗せた焼きそばのような料理であり、他にも色々なアレンジがあるようだが、私は駅近の恐らくオーソドックスなタイプのローメンをいただいた。太麺も私好みで、マトンやシャキシャキしたキャベツも美味しく、個人的にもかなり高評価のご当地料理となった。

 

 

 流石にそろそろ伊那を発たないと東京まで辿り着けないので、辰野から中央本線辰野支線を経由する岡谷行に乗って飯田線を完乗し、中央本線で東京を目指した。夜の中央本線が山梨・東京方面へと向かっていく。長い飯田線に乗る壮大な遠回りが幕を閉じた。

宮崎・鹿児島旅行

 青春18きっぷなどを使った鉄道旅も、JRの在来線の大半に乗ってしまった今となっては、行く場所が居住地から遠いところばかりであったり、行きたい場所が分散していたりして、列車の本数などの問題も相俟ってなかなか厳しい状況になってきた。段々と纏まった旅がしにくくなる中、今回はついに、沖縄以外では初めての、JR縛りでも行ける宮崎までの道をLCC往復でショートカットすることにした。そろそろ鉄道旅なのか怪しくなってきているが、宮崎・鹿児島の2県だけを18きっぷで回るという、幾分か丸くなったような緩い旅程を立てた。

 この旅は4泊5日ではあるが、最初の1日はほとんど宮崎への現地入りだけを目的としている。昼過ぎに関西空港に着いた私は、peachの搭乗券を発行し、手荷物の7kg制限もちゃんと対策して問題なく保安検査を通過した。搭乗開始までの暇な時間を、煙草を吸ったり、売店缶チューハイを買ったりして潰した。やがて搭乗の案内が始まると、自分の席番号を確認して、人々の流れについていくように飛行機に乗り込んだ。

 

 

 

 飛行機が滑走路を移動し始め、離陸すると、私はすぐに眠ってしまった。起きた頃にはそろそろシートベルトをして着陸態勢に入ろうかという時間になっていて、機内で飲もうと思っていた缶チューハイを取り出すと、既に温くなってしまっていた。その上、ストロング系ではない度数の低いものなので、物足りなさを感じながら宮崎空港に着いた。

 

 

 宮崎空港は、愛称を宮崎ブーゲンビリア空港という。無関係だが、ブーゲンビリアという花の名を聞くと、京都アニメーション制作の『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』というテレビアニメ及び映画を思い出して、心の中でアニメの名場面に涙ぐみ意識を空想に飛ばしながら宮崎空港内をうろうろしていた。ポケモンのナッシーのアローラのすがたを模した、恐らく等身大に近い巨大なモニュメントがあったり、一時間ごとに日本神話の場面をからくり人形が再現するからくり時計があったりと、宮崎の特徴を端的に表現するようなものが多くあった。大都市の国際空港とは違う、訪れた者に地域性を感じさせる空港には、いい意味で田舎でしか味わえない風情がある。

 

 

 

 そうして空港自体を見て回っているうちに、宮崎空港駅から宮崎駅の方へ向かう宮崎空港線日南線日豊本線を直通する延岡行の列車がやってきた。空港駅のホーム、線路の向こうのガラス壁にもブーゲンビリアがあしらわれ、高架下からホームの高さまで多くのヤシの木が伸びている。ある種のテンプレートのような南国情緒を感じさせる駅舎から列車は発車し、数駅で宮崎駅に到着した。中心駅と空港駅が近いのは、陸の孤島とも呼ばれる宮崎の空路面での利点である。

 夕方の宮崎駅に降り立つと、以前宮崎を訪れた時にはまだ工事中であった駅舎と駅前が完成しており、綺麗で垢抜けた宮崎駅にテンションが上がる。それはいいのだが、着いた時間が微妙すぎて、これから観光することもできないが繁華街で夕飯を食べたりするには早すぎるという状態のまま、宮崎駅から少し歩いた所にある市内の中心繁華街の細い路地裏などを行ったり来たりして日が暮れるのを待った。

 

 

 ようやく夜の帳が下りた頃、辛い料理が好きな私は、まず真っ先に宮崎辛麺の店へ入った。辛さは何段階にも細かく分かれているが、その店で最大の30辛を注文した。麺は中華麺もあるのだが、こんにゃく麺が宮崎辛麺では標準的であるということで、それを試してみることにした。やがてかなり大きな器になみなみと真っ赤なスープが注がれた辛麺が到着した。こんにゃく麺は名前通り中華麺より灰色がかって食感も慣れない不思議な感じがした。スープの辛さは私にとっては程よい感じで、ピリ辛感を楽しみながら、かなりの量があったスープまで飲み干して店を出た。

 

 

 その日はそれだけで、後は駅から離れていつも通りのネカフェ泊。翌日以降の本格的な観光に備えて早めに就寝した。

 

 翌朝、まだ空が明るみ始めたかどうかというくらいの時刻に宮崎駅に着いて、18きっぷを使用して日豊本線延岡行に乗った。ちなみにこの旅程の中では18きっぷを3日分消費する予定になっている。早起きをした反動で列車内で眠りこけていると、いつの間にか延岡に着いていた。

 

 

 延岡は以前に大分は佐伯側からいわゆる宗太郎越えをして訪れたことがある。その時と変わらずお洒落な駅舎だ。駅前にはエンクロスという施設があり、一定の地域拠点性があるとはいえ、この立地で蔦屋書店やスターバックスが入居し、図書館のような施設もあって、ずっと居座っていたくなる。

 とはいえ、わざわざここまで来たのには当然理由があるわけで、しばらくエンクロスで待った後、やってきた路線バスに乗り込んで、ずっと山奥へ。宮崎交通路線バスの1日乗り放題乗車券のおかげでかなり割引かれてはいるものの、それでもそれなりの運賃とかなりの時間をかけて、隣県・熊本の阿蘇にまで迫る神話の地・高千穂峡へとやってきた。

 バス停から高千穂峡まではそれなりに距離があり、道中で先に高千穂神社に辿り着く。大きな鳥居を潜って、高木に挟まれた静謐な参道の石階段を上ると、わざとそう造ったかのような派手な色のない落ち着いた拝殿と、根本から二手に分かれて伸びた夫婦杉などがあった。高千穂は神話上初代天皇とされている神武天皇ゆかりの地であり、宮崎空港のからくり時計が見せる神話の舞台でもある。その後、神武天皇日向国から大和国へと渡ってそこに都を作ったとされているので、日本史上大半の間は後に畿内と呼ばれる範囲に都が置かれてきたのであるが……。そのような神話上の天皇家の黎明に思いを馳せながら、他にもいくつかの建築物があるのを見て回って、神社を後にすると、坂道を下って峡谷の方へ向かう。

 

 

 

 すると、次第に深い谷とその下を流れる清流、そしてその高低差を流れ落ちていく真名井の滝という滝が見えてきた。高千穂峡の代表的な景観で、自然の雄大さを感じられる絶景であろう。付近には他にもチョウザメなどがいるらしい池や、水族館などもあったが、水族館にまで立ち寄る時間的余裕はなく、滝の轟々と落ちる様と、峡谷に浮かぶボートに乗る観光客などを眺めていた。

 

 

 

 色んな角度から滝と峡谷を眺望して満足すると、バス停へとまたやや長い道を歩いて行った。天岩戸などは距離があり徒歩で行くことは厳しいので、少し名残惜しさを感じながらも、再び長い時間をかけて延岡駅まで戻ってきた。その後は乗り潰しに時間を割くこととし、日豊本線都城駅まで行くと、わざと吉都線に乗って遠回りして吉松へ、それから肥薩線で終点の隼人まで乗って、日豊本線に復帰して鹿児島中央駅に着いた。ちなみに、肥薩線の八代〜吉松間は、2020年夏の豪雨の影響で、この記事を執筆している現在でも未だ不通のままである。JR在来線による熊本県から鹿児島県への移動が断たれて久しいので、一刻も早い全線開通を願うばかりである。

 

 

 到着した頃はすっかり夜であった。鹿児島中央駅からは歩いて、鹿児島市の中心繁華街である天文館へと向かう。鹿児島ラーメンを食べて行こうと目当ての店に向かうが、行列ができていたので一旦ネカフェに入って休憩し、しばらく待った後にブースに荷物を置いたままもう一度その店を訪れると、今度は行列がなくなっておりすんなり店に入ることができた。

 鹿児島ラーメンは豚骨ベースのラーメンで、一見同じ九州にある博多ラーメンや久留米ラーメンの系譜かと思いそうになるが、どうやらそういうわけでもないらしい。地理的に沖縄の豚食文化の影響を受けているらしく、博多や久留米のようなスープの白濁は見られず、また大根などの漬物がついてくる店舗が多いらしい。私の訪れた店でも、まず大根の漬物が提供されて、その後しばらくしてから豚骨ラーメンが提供された。ラーメンの上には大きなチャーシューや葱が乗っており、漬物もあることを考えると非常にコスパがいいと感じながら麺を啜り始めた。深夜なので飲み会の〆に来ていると思しき客も多く賑やかな店内で、鹿児島の味を堪能して、また元いたネカフェに戻った頃には日付が変わっていた。翌日の旅程のことも考えて、短めの睡眠をとった。

 

 

 

 日が昇り始め白んできた空の中、天文館から中央駅まで市電に乗る。西日本は市電が残っている都市が多く、この独特の少しレトロな風情が旅情を掻き立てる。鹿児島中央に着くと、3番のりばへ。今日の主役は指宿枕崎線、これを端まで乗って往復し、沿線を観光しようというわけである。

 

 

 指宿枕崎線山川行が発車すると、寝不足を補うような、暇を潰すような眠りに落ちた。目覚めた頃には太陽がすっかり昇って澄み渡る青空が広がっていた。終点より少し手前の、路線名にも含まれるこの路線の主要駅・指宿駅で降りる。指宿駅の駅前には足湯があったり指宿温泉のパネルがあったりと、温泉を積極的にアピールしていることがわかる。また、同路線にあるJR最南端の駅である西大山駅の記念きっぷが買えたりもする。

 

 

 指宿は温泉で知られるが、普通の温泉とは違う珍しい温泉がある。それは砂むし温泉というもので、地熱で温められた海岸の砂を全身にかけてもらって、湯ではなく砂の温かさで癒しを得るというものである。海が陽光を眩く照り返す海沿いの道をしばらく歩くと、それは見えてきた。

 

 

 流れとしてはこうである。まずは専用の浴衣だけを羽織って、タオルを持参して建物外の海岸の方に出る。すると日除けの屋根の下に専用の温泉エリアがあり、係員が対応してくれて、タオルを頭の下に敷いて仰向けに寝転んだら全身に温かい砂をかけてくれて、そのまましばらくじっと砂に蒸されるように地熱を楽しむ。感覚的には弱めのサウナのような感じであろうか。そしてある程度浸ったら後は自分のタイミングで砂から出て、館内に戻って浴衣を脱ぎ、シャワーで砂を落とした後に普通の温泉に入る、というものである。砂の温泉という全国でも類を見ないものは、新鮮な体験であることはもちろん、意外なほど心地よい砂の温もりに包まれて非常に愉快な体験であった。

 

 

 温泉を出ると、鹿児島湾に面した海岸を眺めながら来た道を駅まで戻る。駅の待合室でしばらく座っていると、いよいよ指宿枕崎線の終点である枕崎駅まで行く車両がやってきた。山川より先に行く列車は本数が少なく、また距離もあるので一日がかりの旅になる。

 しばらく乗ると、最南端の駅である西大山駅に停車した。西大山駅では観光客向けにしばらく停車して駅の撮影をしてもいい時間が設けられ、私を含む多くの乗客が一旦下車して最南端の碑や駅名標などを撮影していた。また、車などで西大山駅を目当てに来ている人もおり、何もない無人駅が一瞬とても賑わった。

 

 

 撮影時間はすぐに終わり、乗客が車内に戻ると、また枕崎を向けて列車が走り始める。開聞岳や池田湖など複雑で起伏の激しい指宿市内に、それらの間を縫うように線路が敷かれており、西大山から若干北に進んでから、南九州市を経由して枕崎市に至る。終点の枕崎駅に着くと、今度は最南端の始発・終着駅という看板があり、最北の稚内駅とは線路の長さとして約3100kmも離れているそうだ。この南に更に奄美や沖縄があることを考えると日本は実は広く長いということを痛感せざるを得ない。稚内市枕崎市は最端同士で友好都市の締結をしているらしい。

 

 

 

 枕崎の名物は鰹である。鮮魚を売ったり海鮮丼を食べたりできる枕崎お魚センターまで歩いていくと、昼営業終了ギリギリの時間で施設内の食堂に入り、鰹丼に茶碗蒸しや沢庵のついた定食を注文した。新鮮な枕崎の鰹は、その立地もあってそう頻繁に訪れて食べられるものでもないので、一口ごとにじっくり味わって鰹の旨味を堪能した。

 

 

 その後は建物外に広がる枕崎漁港や、近くの橋を渡った所にもある鰹の直売所などを見て回って、鮮魚や削り節などが並ぶ店内を物色したりしはしたが、これからも旅が続くのに鮮魚を購入して雑に鞄に突っ込んでおくというのは躊躇われるので、特に土産を買うこともなく駅に戻った。駅の待合室をよく見ると、訪れた人が記録を残していく交換ノートが置いてあり、全国各地からここまで訪れた旅人たちの軌跡が記録されている。それを眺めたりしながら時間を潰していると、枕崎からは貴重な、全線を駆け抜ける鹿児島中央行の車両がやってきて、それに乗り込むとまた長い道を鹿児島市内まで引き返していった。

 

 

 

 鹿児島中央に着いた時点で既に夜であったが、次の日の旅程のためにこの日はまた宮崎まで戻らねばならなかった。日豊本線に乗って、都城での乗継を挟んで宮崎駅に到着した。そのまま宮崎に泊まって、翌日もまた朝早く出発するつもりをしていた。

 

 ところが翌日は寝坊して旅程が狂ってしまった。嘆いても仕方がないので、行く場所を泣く泣く削って日南線に乗った。日南線はほとんど宮崎県内を走っているが、終点付近の数駅だけ鹿児島県内に入る。鹿児島県の東側、大隅半島の鉄道はほとんど廃止されてしまったので、今ではこれが鉄路で大隅に行く唯一の手段となっている。その終点、志布志駅に着くと、ひっそりした道を歩いて、志布志で有名な鹿児島ラーメンの店に入った。

 

 

 志布志のラーメンも鹿児島市内と同じように、豚骨スープのラーメンに漬物がついてくるというものである。まずはスープを啜って豚骨の旨味を味わい、卓上調味料のにんにくを足して更に自分好みの味にしていく。中途半端な時間のため店内にろくに人もいない中、落ち着いてゆっくりをラーメンを食べることができた。

 

 

 志布志駅から徒歩で行ける観光地というのも特になさそうだったので、ラーメンを食べた後は、駅前の鉄道記念公園にある蒸気機関車などを見て、日南線を折り返し始めた。

 

 

 行き先は南宮崎であったが、途中の飫肥駅で下車する。飫肥日南線沿線では屈指の城下町で、黒い屋根瓦の駅舎からしてその風情を窺わせる。駅からすぐの橋を渡って、中心市街を歩いて行き、城跡に近づくにつれ古風な黒い瓦と壁の家屋が立ち並ぶ街並みに入って行き、日の暮れ泥んでいるうちに何とか城門に辿り着いた。

 

 

 

 飫肥城天守は残っておらず、その辺りは高木が林立し地面は苔で覆われたような状態だったが、美しい城門や城壁、石垣などは残っており、十分城内の観光を楽しむことができる。時間が遅く資料館などは既に営業を終了していて、空が段々暗くなってきたので、まだ完全に日が落ちる前に何とか観光を終えて、城を出た。市街地を折り返しているうちに日は完全に沈み、待合室でかなりの時間待って、ようやくやってきた宮崎行の列車に乗り、前日と同じ宿泊地に行って、何とか最低限の日南線沿線観光を堪能することができたことに安堵した。

 

 

 

 

 

 最終日は宮崎市内だけを観光して、18きっぷを消費しないことにしていた。どの道夕方には空港に行かないといけないので、あまり遠出せず臨機応変に動きやすくするためである。そのために宮崎市内の観光はあえて後回しにした。

 宮崎といえばチキン南蛮が有名なので、それを食べに行こうと考えていたが、開店まで時間があるので、朝のうちは駅前のアミュプラザをうろうろして、上にある展望台まで階段を上っていった。一番上ではガラス壁越しに宮崎市街を見下ろせる他、交通神社なる小さな神社があって、ちゃんと鳥居もあった。そこでしばらく街並みを眺めながら休憩して、ちょうどいい頃合いに中心繁華街のニシタチの方へ向かった。

 

 

 

 チキン南蛮で有名な人気店に開店時間より少し前に行くと、既に並んでいる人がいたが、開店するとすぐに席に通してくれたので、あまり待たずに済んだ。名物のチキン南蛮を注文すると、タルタルソースのかかったチキン南蛮の皿と、白米の皿が提供され、チキンを食べながらご飯も食べているとそれなりの量があった。チキンは柔らかくて食べやすく、ソースの甘味とよく調和していた。完食するとかなりお腹が膨れた。店を出ると、自分が着いた時より長い行列が形成されていたので、開店前に来て正解だったとつくづく思った。

 

 

 駅まで戻ると、次は一駅隣の南宮崎で降りた。南宮崎駅の近くには宮交シティというショッピングモールがあり、また多くのバスがここを経由してあちこちへと行けるようになっている。宮交シティに入ると、今度はカレーを食べた。元々少食なので、食べ過ぎだとは思いながらも、宮崎空港で名物とされているそのカレーを、宮崎空港ではない店舗でもいいから食べてみたかったのである。あまり食べられないと思って普通のカレーを頼むと、味としては特徴のない普通のカレーだったが、そこにチキン南蛮が入っているカレーが名物らしい。カレーというよりはやはりチキン南蛮が宮崎の顔なのだなあと思いながら完食し、ちょっともったいないことをしたかなと思いつつもバス停に向かった。

 

 

 

 夕方頃に青島に着いた。青島は海岸から橋で結ばれた小さな島で、縁結びのご利益があるという青島神社が島内の中心に位置し、島全体がパワースポットとなっている。島の周りには鬼の洗濯板と呼ばれる帯状の岩層があり、これも一見の価値がある。読みは訓読みで、中国のチンタオ(青岛)とは関係がない。近くに宮交ボタニックガーデン青島という熱帯の植物などを無料で見られる植物園も近くにあり、そこの営業終了時刻が迫っていたので、まずはそちらを軽く見て回った。

 

 

 

 その後に橋を渡って青島神社に行くと、朱色の門と拝殿があり、ヤシの木が周りに生えていて、南国風の趣がある。神社に参拝した後、周りを見てみると、脇に両側と天井に絵馬が吊るされてそれらに囲まれている道があり、その先はひっそりした森であるが、そこにも小さな神社などがあった。そこで行き止まりなので、引き返してバス停まで戻ってきた。

 

 

 

 

 

 これで宮崎の旅も終わりである。寝坊して行けなかった場所を少し心残りに思いながらも、バスに乗って宮交シティ経由で宮崎空港に行った。時間的余裕があまりなく、素早く搭乗券を発行して保安検査を通り、売店で宮崎限定らしきお茶を買い、関空行の搭乗口前の待合席に座って一安心した。今回の寝坊などのやらかしはあったものの、十分に観光をして、飛行機の時間にも遅れずに済んで本当によかったと胸を撫で下ろした。まもなく関空行のpeachの搭乗案内が始まった。