傷心旅行、彼方まで

小説のような旅行記を。

北陸・北アルプス旅 三セク区間の回りかた 後編

 前編はこちら。

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 北陸旅も4日目となった。ここまで比較的海側を多く回ってきて、山側は精々大野盆地くらいまでだったが、ここからは北アルプスの山中へ入っていこうと思う。しかし、その前に、寄り道としてまずは朝早くに氷見に向かった。言った側から山とは真逆の港町である。

 高岡駅で乗り換えて氷見線に乗っていくと、高岡市氷見市の境界付近で海沿いに出て、雨晴海岸が車窓に広がる。ヨルシカの『ただ君に晴れ』のMVの聖地としても知られている美麗な海岸は、まさに夏にこそ映える。ヨルシカのファンとして、降りて散策したこともあるが、車窓から眺めるにしても、ここは何度見ても美しい。そして、富山湾の向こうには北アルプスの一角をなす立山連峰が見えることでも知られている。

 

 

 さて、氷見に着くと、漁港を目指して歩き始めた。まだ朝早く、日差しは既に強いものの気温はまだ上がりきっていないといったところだった。日傘を差してのんびり氷見の市街地を通り過ぎると、氷見漁港の魚市場があり、そこに鮮魚を食べていける食堂がある。前日も金沢の魚市場で海鮮丼を食べていたような……とにかく、私は北陸の魚介に目がないのであった。

 

 

 

 魚市場に着くと、2階の食堂には既に長蛇の列ができていた。店先にあるEPARKの端末で予約して順番待ちをすることになっていたが、家族連れできている人が多くて人数が多く見えただけで実際の待ち順はそんなに後ろではないらしかった。これなら午後に宇奈月の方へ向かうまでの時間潰しとしてもちょうどよい時間だろうと思い、1階の漁港での仕事ぶりを眺めたりしながら数十分ほど待った。

 席に着くと、どの席にも予めガスコンロが設置されていた。ここの海鮮丼にはただの味噌汁ではなく土鍋の漁師汁がつくため、それを熱するためのものであるようだ。わくわくしながら注文のタッチパネルを操作し、漁師汁のついた氷見浜丼と、ついでにビールを一つ。何となく気分がいい時にそうできるのが車に頼らない旅の唯一に近い利点である。

 

 

 朝からビールを呷る胡乱なおひとりさまになっていると、まずは漁師汁が運ばれてきて、コンロが点火される。土鍋がぐつぐつ煮えてきた頃に海鮮丼がお盆に乗って運ばれてきた。

 海鮮丼は氷見の旬の魚などが乗っており、寒ぶりのような冬の味覚がない代わりに、ある意味で裏方のような富山湾の夏の旨みが一つ一つの身にぎゅっと詰まっていた。漁師汁は出汁の旨味が効いており、つみれは今まであまり食べたことがないくらい美味しかった。冬の方が主役で、もっと混雑するかもしれないと思うと、前日の金沢といい、氷見といい、夏の北陸もいいものである。

 

 

 食堂と漁港を後にすると、折り返して氷見線へ戻り、高岡行に乗った。時間的にちょうどよい感じであり、待ち時間も含めてうまいこと計画通りになったことが密かに嬉しかった。

 

 

 高岡に着くと、またあいの風に乗って黒部・宇奈月方面を目指す。この日も北陸三セクの2日フリーきっぷが有効なので、JRと三セクの両方を自由に行き来しても何の問題もない。北陸本線の三セク化により他のJR各線が散り散りになっている今の北陸の新しい鉄道旅は、こういう形にならざるを得ないだろう。

 富山駅で乗り継いで黒部行に乗って、途中で富山地鉄に乗り換えるために魚津で降りた。あいの風と地鉄は富山東部でかなり並走しているが、その中でも魚津と新魚津が一番乗り換えに適している。電鉄黒部はあいの風から些か遠いのだ。だからここで多くの人が新魚津に乗り換え、宇奈月温泉行の地鉄に乗る。

 

 

 

 途中の新黒部駅で新幹線の黒部宇奈月温泉駅に着いた観光客たちを拾いながら、地鉄は法学者の聖地としても知られる宇奈月温泉に着いた。宇奈月温泉駅は駅舎からしてドイツの古い木組みの建築のようであり、和洋折衷の異国建築が流行った時代を感じさせるものだった。駅前には温泉の噴水があり、すぐそばに温泉街が広がっている。反対側に向かうと、黒部峡谷を走るトロッコの駅舎があり、時間的な問題から先にそちらへ向かった。

 

 

 

 トロッコには壁のある車両もあるが、やはり壁や窓で仕切られず開放されている昔ながらのものの方が風情がある上に安いので、そちらに乗った。多くの人がそれを期待してここに来ているようだった。

 

 

 トロッコが動き出すと、黒部川を上流の方へ進みながら、いくつものダムや水力発電所が顔を出す。観光アナウンスを聞きながら、誰もがエメラルドグリーンの清流が陽を浴びて煌めくのを鑑賞していた。

 

 

 

 

 

 

 途中には一般客が降りられる駅と、発電所を管理する関西電力の関係者以外は降りられない駅があるが、能登半島地震の影響で上流が不通になっている来訪時点では、その関電関係者専用駅の猫又駅が終点となっており、そこで一時的に降車することが可能となっていた。上まで行けないのは悲しいが、ある意味では貴重な体験で、急造された臨時の展望台や観光案内所などがある簡素なホーム前広場でしばし景色を楽しむことができた。長く留まることはできず、そのまま同じ車両で折り返すことが義務付けられているので、そのまま大体同じ場所に乗って下っていった。

 

 

 

 

 トロッコ宇奈月駅まで戻ってくると、お土産を買って、温泉街の方へ向かっていった。温泉街の総湯に入ると、中途半端な夕方の時間帯なのでさほど人は多くなく、寛いで温泉に浸かることができた。夏で外が暑いので、あまり長湯はせず上せないうちに温泉から出ると、畳の休憩スペースでゆっくり休憩して、それから最後に少し温泉街を散策して地鉄で来た道を戻った。

 

 

 

 

 

 また魚津で乗り換えて富山駅に着くと、富山の料理と地酒を楽しもうと駅ビル内の店舗を適当に探した。疲れていたのであまり色々探す余裕はなかったが、幸い静かで落ち着いた居酒屋が空いていたので、そこの暖簾を潜った。富山湾名物の白えびの天ぷらなどをいただきながらビールと地酒を飲んで、最後に氷見では食べられなかった氷見うどんをいただいた。さほどお腹が空いていなかったのでそんなに色々食べることはできなかったが、酒のあてにちょうどいいような魚介類につるっとしたうどんまで食べられて満足した。

 

 

 

 食べ終わると、バスで郊外のネカフェまで行って、そこで翌日の旅程を考えた。アルペンルートを貫通することも考えたが、体力的に今回はきつい気がしたので、結局信濃大町まで回ってから黒部ダムにだけ行くことにした。せっかく富山側にいるのにもったいない気はしたが、どのみち長野方面には向かうのだから、それもいいと思った。

 

 

 次の日は朝から信濃大町へ向けてぐるっと北アルプスこと飛騨山脈を迂回するような経路で鉄道を乗り継いでいった。この日はもう三セク区間を乗れるフリーきっぷはないし、いずれにしろ一度新潟県に出るので富山から福井の三県限定だったそのきっぷは使えない。ICも対応していないので、普通の紙のきっぷで糸魚川まで乗って、そこからはJRで大糸線を南に乗っていく。

 

 

 南小谷で乗り継ぎ待ちがしばしあった。ここはJR西日本JR東日本が接する点の一つである。JR東海が間にあって接していないと思われがちだが、それは太平洋側の話で、日本海側ではそうではないのだ。時間があるので改札を出ると、駅前を走る姫川を中心とした長閑な山間の風景が広がる。それを軽く眺めてから待合室に入り、次の列車で信濃大町に向かった。

 

 

 

 白馬辺りから少しずつ登山などの行楽客が増えてくる中で、大糸線の中心的な駅の一つである信濃大町駅に到着した。列車を降りると、長野県や山梨県に多い、木の色を前面に出した木造の駅舎があった。駅前のバス停には既にバスが停まっており、黒部ダムに行く関電バスの麓側の駅となる扇沢駅まで行くバスに関しては事前にきっぷを購入するシステムになっていた。

 

 

 窓口できっぷを買って、大型の観光バスに乗り込むと、バスは少しずつ市街地を離れて山の方へ向かい、蛇行する山道を登るとコンクリートが印象的な扇沢駅に着いた。扇沢駅では黒部ダムまでのきっぷの他、その先の立山黒部アルペンルート立山までの各地点までのきっぷが販売されており、有効期限も数日あるようなものばかりであった。今回は黒部ダムだけを見ていく私はダムまで行く関電の電気バスだけのきっぷを購入した。

 

 

 乗車予定のバスの改札まで駅舎の周辺をうろうろしていると、飲める水として破砕帯から湧き出る水が水道から垂れ流しになっていた。生水に抵抗はあったが、その水を飲んでいる人や汲んでいる人が何人もいたので、掲示を信じてそこから水を少し汲ませてもらった。やがて改札の時間となり、バス乗り場に向かった。

 

 

 黒部ダムへ行く関電トンネルでは、かつてはトロリーバスが営業されていたが、それは完全に廃止され、今は電気バスとなっている。その電気バスに乗って、トンネルを抜けていく。途中に長野県と富山県の県境があって数時間ぶりにまた富山県に入ることになり、またトンネル工事の難所であった破砕帯も標識で示されており車窓から少し見ることができた。

 黒部ダム駅に着くと、少しひんやりとした高山の空気に迎えられた。いよいよかの有名なダムを見られると沸き立ちながら、ダム展望台に続く長い階段を上っていった。一番上まで上ると、開けた展望台から黒部ダムの上流側の黒部湖と、下流黒部川への観光放水が目に飛び込んできた。

 

 

 圧巻の黒部ダムの放水と、上流側の湖や下流側の渓谷の美しさにしばし見惚れた後、下の売店でおやきを買って食べた。黒部ダムの名物としてダムカレーなるものがあるらしいが、時間が遅かったのでそのレストハウスは閉まっていたので、その代わりのような軽食である。位置的には富山県にいるが、長野県側から来たので長野にいる気分になっていた。

 

 

 

 

 

 その後は下へと続く別の展望台へ向かって階段を降りていき、もう少し低い位置から放水を見たり、黒部ダムの歴史の展示をしている簡易的な建物に入って映像を見たりしていた。関電や工事を請け負う様々な会社の苦労や苦難、特に関電トンネルの破砕帯から湧き出す膨大な地下水との戦いは壮絶なものがあった。それらを経てこの巨大な水力発電所ができたという歴史をよく知ることができたように思う。

 

 

 

 最後にダムの真上の通路から湖や放水を見て、関電バスの方へ引き返した。通路の先にはケーブルカーがあって、アルペンルートはそこから先へ長く続いていくが、それはまたの機会に来ることにしよう。意外としんどくない道程だったので、また来ることもあるはずである。

 

 

 

 扇沢駅に戻ると、そのまま大町駅まで戻り、松本を経由して長野駅まで向かった。今晩の宿泊地は長野駅付近にして、翌日はその周辺を観光することにした。この日で18きっぷが切れるので、次の日は北陸新幹線の延伸時に信越本線から経営分離されて三セクとなっている長野県側の区間であるしなの鉄道の沿線を観光するのである。こうしてJRと三セク区間をうまく分けることにかなり成功したと思う。

 しかし、不穏なことに、風邪でも引いたのか喉が痛み始めていたので、長野駅前で少し薬を調達して、それらを飲んでから寝ることにした。いずれにしろもうその日中に帰るルートはなかったので、翌日帰るしかなかった。すぐに治るとよかったのだが……。

 翌朝、起きてみても風邪は治っていなかったが、疲れは少し取れたようで動けそうだったので、夕方のバスで東京に戻ることにして、喉を庇いながら動き始めることにした。

 しなの鉄道北しなの線を端から端まで行くことにしたのだが、朝が早すぎてまだ窓口が開いておらず、窓口でしか買えないフリーきっぷを買えなかったのは誤算であった。仕方がないので通常のきっぷで終点の妙高高原駅まで向かった。次はまた新潟県に戻ることになる。

 妙高高原に着くと、真夏にしては少し空気がひんやりしているような気がした。実際、標高が高いだけでなく朝方ということもあり、気温は低かった。しかし日差しは強いので、妙高山を見渡せるいもり池に行くバスを待つ間に少しずつ気温は上がっていった。

 

 

 バスは市営のはずだがマイクロバスで、運転手にも行先を聞かれて運賃を前払いという、路線バスというよりは専用の送迎バスのような感じであった。それで早朝の人の少ないいもり池に着いた。

 

 

 バスが通る道路沿いをランニングしている中高生くらいの子が時折いて、後に知ることになるがこの辺りは部活の合宿などでよく利用されているらしい。ともかく公園の中へ入っていくと、蓮の葉が繁茂した池とその向こうの雄大な山が見えてきた。

 

 

 

 展望スポットから見る妙高山は、いもり池を通して逆さ富士のような線対称的な景観を見せていた。美しい山岳地帯の景色に感動しながら、池を一周する長くない散策コースを歩いていく。自然に溢れている、と言いたいところだが、妙高山の斜面は一部人工的に刈り取られたような斜面があり、冬はスキー場になるのだろうと思った。しかしそれも含めて、スキーリゾートとして知られる妙高高原のこれまた裏の顔を知れた気がして、嬉しく思った。この旅を通して全体的に、冬のイメージの方が強い場所の夏の姿に多く触れることができた。

 

 

 

 

 

 その後はすぐそばにある池の平温泉を源泉とする施設で温泉に入ることにした。スキーなどの団体客も想定していると思われる大きな施設だが、夏の朝など静かで温泉も空いておりリラックスできる。しかしそれでも、夕方頃には合宿の団体で混雑することがあるとの掲示があり、ここでランニングしている中高生たちのことを思い出したのであった。

 

 

 その後は折り返し長野駅まで戻って、次は長野から篠ノ井までのJRのままの区間を経由して、長野新幹線と呼ばれていた頃に先に三セク化していた区間へ向かった。温泉や温泉街が好きなので、もう一つだけ温泉街を回ろうと、戸倉上山田温泉を目指して、千曲市の中心駅である屋代駅で下車した。

 

 

 千曲市は『Turkey!』というボウリングのアニメの舞台となっているらしく、屋代駅はそれらのポスターやグッズ売り場などが多くあったが、時間帯的にもそこにいるのは地元の高校生たちが多そうな感じであった。待合室が駅舎の中にあるというだけで仕切られた室内ではないので、冷房が効いておらず暑かった。そこでしばらくバスを待って、温泉街に行くバスに乗った。こちらもマイクロバスのような趣であった。

 

 

 千曲川の左岸にある上山田温泉で降りて、すぐ近くにある共同浴場に向かった。昼中になると標高の高いはずの長野でも非常に暑く、連日晴れだったこともあり完全に夏バテ状態であった。気温というより日差しが痛い、と思いながら、少しでも日差しを避けつつ温泉に入った。

 

 

 

 温泉の建物は非常に古く、浴室の中も外も昔ながらの風情のある温泉だった。暑いのであまり長くは入れなかったが、露天風呂の庇の下で湯船の縁に座り、足湯のように入るのも悪くはない。時間もあったので、そうしてゆっくり休憩した後に風呂から上がった。

 

 

 建物のエントランス兼休憩所のようなところでコーヒー牛乳を飲みながらぼうっとテレビを見たりしながら、旅の最後の一時はゆったりと過ぎていった。日差しのためか体調は午後に入ってから悪化してきており、そろそろ高速バスに乗れるのでもう一踏ん張りと思いながら少しだけ温泉街を歩いて回って、バスで戸倉駅まで行った。

 

 

 温泉街の中にはフランク・ロイド・ライトに師事したという建築家の建てた、和洋折衷の観光旅館の雛形のような高級旅館もあった。そんなことを調べながら少しだけ列車に乗り、高速バスの発着する上田駅に着いた。

 

 

 まだかなり時間は余っていたので、その長い待ち時間を苦痛に思いながら上田駅のベンチで座っていた。眠くて寝てしまうほど長い時間の後に高速バスが来て、風邪気味なことを申し訳なく思いながらそれに飛び乗ると、いつもの薬である眠剤などを飲んで改めて眠りについた。ゆっくり身体を休める風邪気味の旅人を乗せたバスは上田駅を出発し、軽井沢などで観光客を拾いながら東京へ向かっていった。

 

 

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北陸・北アルプス旅 三セク区間の回りかた 前編

 気づけば最後の記事投稿日から1年以上経っており、その間にした旅について何も書いていないことに気がついた。今年だけでもいくつか行っているが、まずはこの夏に訪れた北陸・信越の旅について綴ろうと思う。

 発端は福井にいる友人に会いに行くことであった。彼が休みで会える日に遊びに行こうということになり、私は遥々東京から福井を目指して、今やその名声を落とした18きっぷを使って東海道本線をひたすら神戸方面へと乗り継いでいった。見慣れた東海道の乗り継ぎの間は安心してゲームをしたりしていられる。

 途中で、東海地方で一切下車せず通過してしまうのはもったいないと思い、昨年大ヒットしたアニメ「マケイン」こと『負けヒロインが多すぎる!』のことを思い出して、その聖地である豊橋を少し散策することにした。豊橋自体も乗換に使ったり降りたりしたことはあるが、駅ビルのカルミアを少し見たくらいで市街地を散策したことがなかったので、ちょうどいい機会だった。

 

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 豊橋駅に着くと、背を伸ばして凝り固まった身体を解し、街中へ繰り出す。豊橋には様々な名物があるが、マケインのポスターや幟、果ては壁画のように壁に大きく貼られたイラストのあるビルまであるほどだ。豊橋市も全面的に協力している形だ。

 まずは「浮気だよ!」の台詞で知られる駅近の老舗の喫茶店に向かった。行ってみると、喫茶店兼パン屋という趣で、店構えもカウンター席もテーブル席も老舗の風格があるが、マケインのポスターやグッズ、サインなどは当然日焼けしていない新しいものなので、決して終わったものとして消費されるだけのレトロではない。

 

 

 メロンソーダなどを頼むことも考えたが、結局シンプルなコーヒーとカステラを注文して席に着く。しばらく店内を眺めながら、他の客の話し声にふと耳を傾けたりしていた。中国語らしき言語で話す数人の観光客と、地元の常連と思しきおじさんが一人。常連のおじさんは切り盛りしている店員と、『マツコの知らない世界』で豊橋が紹介されたので、マケインオタクの観光客が増えそうだといったことを話していて、日頃テレビを見ない私はその時初めてそのような特集が組まれた回があったことを知った。

 

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 美味しいコーヒーにカステラ、それからモーニングでついてくるカップケーキまでいただいて、甘味を味わうと、次はまさに水路の上に長く連なる水上ビルの方へ向かった。そこには壁にでかでかとマケインのポスターが貼られていて、さながら壁画である。さほど時間がないのであまりちゃんと見ることはできなかったが、アニメのポスターや八奈見杏菜の等身大パネルなどが見られたのでこれでよしとした。

 

 

 

 

 次は歩いて市役所方面へ向かう。市役所付近には城跡や、ロマネスク様式の建築である公会堂など立派な施設が隣接する中心部だ。また、市役所には高層階に展望台があり、豊橋市豊川市の方などを見渡せるようになっている。それから、市役所にも「豊橋で負けて輝け、マケインたち!」という嘘みたいな垂れ幕がかかっていて面白い。

 

 

 

 

 

 最後は市電に乗って豊橋駅に戻った。市電というものはやはり風情がある。現存するものとしては、愛知県では豊橋市内にのみあるもので、歴史ある都市としての風格が感じられた。

 

 

 豊橋を後にすると、福井へ向かって、まずは米原までまた東海道を乗り継いでいく。米原からは北陸本線に入るが、ここがボトルネックで、湖東側からだと近江塩津湖西線から来る新快速を待たされることが多く、それでやっと敦賀に行けたと思えば、ここからはハピラインふくいとなり北陸の長い三セク区間が始まる。三セク化は仕方ないとしても、せめて米原敦賀間の在来線の改善と、北陸新幹線の早期全通が実現されればいいのにと思わずにはいられない。

 しかし、ハピラインふくいは、新幹線に対抗できるかもしれないほどに頑張っており、かなりの速度で敦賀から福井まで駆け抜けてくれるので、すんなりと福井駅まで到達できた。それにしても、ここまでかなりの時間がかかっており、やはり在来線縛りで一度に異常な距離を移動されるとJRとしては大赤字なのだろうと、18きっぷの仕様変更にも同情を禁じ得ないところもある。

 

 

 ともかく、敦賀〜福井のきっぷを改札機に通して、綺麗になった福井駅の駅舎で友人と合流した。友人にはあまり時間がないようだったが、カラオケをしたりしてその日の夕方は遊んで過ごし、夜はいつものようにネカフェのブースで寝ることにした。福井は駅前に快活クラブがあるので便利でいい。翌日は福井観光である。

 最後に少しだけ外に出て、駅の近くで福井名物のおろしそばを食べた。大根おろしの辛味で蕎麦を味わうもので、そこに鯖の塩焼きの乗ったメニューがあったのでそれを注文。鯖は脂が乗っていて、蕎麦も大根おろしがよく絡んでいて美味しい夜食となった。

 

 

 2日目の朝は、少しゆったりと始まった。というのも、九頭竜線の本数の少なさに起因している。この日はその沿線を見て回ろうとしたが、九頭竜線の始発があまりに遅いので、それより早い時間からあるバスで一乗谷に向かった。

 直接一乗谷の中心部に行くバスを乗り過ごしたので、その北の安波賀という川沿いの集落に降り立ち、そこから歩いていく。すぐに虎口が見え、城下町がもう始まっていることがわかるが、朝倉氏遺跡までは徒歩20分ほどあるので、かつての城下町をのんびり歩いて朝倉家の当主が居住した朝倉館跡に着いた。

 

 

 

 

 日本史の教科書にも載っているような唐門を抜けると、中は建物の礎石などの発掘記録を示すものと庭園、それから朝倉氏を弔う墓などがある。少し山を登ったところにも別の庭園があり、広大な豪邸であったことが窺える。礎石の上にガラス張りの床を設置して、真上を歩けるようになっている区画もあった。

 

 

 

 そこから道路を渡ったところには復原町並があり、かなり多くの家が建てられ、多くの道具が寄贈されており、色んな人々の協力によって復原されていることが伝わった。町並や各建物内、礎石の残る場所など広い城下町を隅々まで見ることができ、往年の一乗谷の繁栄をひしひしと感じられた。この山城とその城下町も、かつてはかなり栄えていたのが、織田信長による焼き打ちで灰燼に帰し、今の福井市街にある福井城へと都市機能が移ってからは寒村と化してしまったのであった。諸行無常の悲哀を感じさせる遺構であった。

 

 

 

 その後もまだ次の九頭竜線まで時間があったので、バスで駅の近くの博物館に寄った。一乗谷の歴史や様々な出土品などの展示と、川沿いに商売をしていた安波賀の遺構、それから朝倉館の内部の再現などの展示があった。それらを興味深く見て回ってもなお時間が余るほどだったが、よく言えば一乗谷をしっかり見物することができたので、そこはよかったと言えよう。

 

 

 

 

 JRの一乗谷駅はホームと小さな待合室以外は何もない過疎で閑散とした駅である。駅舎と呼べるものはない。18きっぷが有効ではあるが、そうでなければ整理券を取って降りる駅で精算しないといけない駅である。そこから九頭竜湖方面に乗って、何度もトンネルを越えた先に、開けた盆地が出現する。越前と美濃を繋ぐ位置にある大野盆地である。

 

 

 越前大野駅で降りると、ランチに大野市で有名な醤油カツ丼を食べようと店に向かった。混んではいたが多少待てば入れる感じで、何十分かで座席に案内された。醤油カツ丼とおろしそばのセットがあったので、それを注文。醤油カツ丼は、一風変わった味付けながら存外かつとよく合っており、またおろしそばも大根おろしの辛みが効いていて、どちらも美味しかった。本来蕎麦の店なので、やはり蕎麦はよくできていると感じた。

 

 

 ご馳走様を告げて店を後にすると、越前大野城を目指して、日傘を差しながら市街地を歩いていった。大野城一乗谷とは逆に、越前一向一揆を平定した恩賞として与えられた土地に築かれた山城で、今も福井県の東部で中心的な位置を占めており、対象的だ。

 ここにも色んな町の栄枯盛衰を感じながら、頂上に天守のある亀山を登っていく。幸い、比較的なだらかな道が整備されており、木陰も相俟って、暑さから想像されるほどしんどくはならずに登頂できた。

 

 

 大野城竹田城などと並んで雲海に浮かぶ天空の城として知られているが、真夏の快晴の日に来ているのでそんなものはない。その代わり、天守の展望台からは城下町も、反対側の農地や山々もよく見渡せた。コンパクトながら収蔵品も揃っており、あまり予備知識を持たずに来たがなかなか楽しめた。山頂に吹く風が汗を少し拭ってくれた。

 

 

 

 来た道を折り返して山を下り、駅の方へ歩いていく。折り返しの福井行に乗るのにちょうどいいくらいの時間で、大野も満足に観光できたと思う。

 

 

 折り返しの列車で福井まで乗って、ハピラインに移管された越前花堂〜福井の一駅分の区間の運賃だけ精算すると、その日は疲れていたのでそのままネカフェに行って休むことにした。『崩壊:スターレイル』の最新エピソードを進めながら、途中で強い眠気を感じてそのまま寝ることにした。

 次の日は早朝から電車に乗って、金沢に向かった。ここからはJRではない区間が増えるので、あいの風とやま、IRいしかわ、ハピラインふくいの3社に2日間乗り放題となる北陸3県2Dayパスを利用した。この区間だけを移動するのであればこれはかなりお得なきっぷである。

 金沢駅に着くと、しばらく待った後、海側に行くバスに乗った。金沢の海側には金石と大野という北前船の寄港地として栄えた2つの港町がある。今回はその中でも大野地区の方へ行くことにし、終点までバスに乗って、海の近くの小さな公園の前にあるバス停で降りた。

 

 

 そこから少し歩いたところに金沢港いきいき魚市という魚市場がある。金沢の中心市街地にあって連日観光客でごった返す近江町市場などと比べると、地元民と思しき人が多く知る人ぞ知るといった趣のある魚市場である。10分ほどの徒歩の道だが、日差しが痛いほど照りつけて肌を刺すので、片時も日傘を手放せなかった。

 

 

 

 魚市場に着くと、いくつかの商店が連なって地のものを始めとする様々な魚介類を売っている。丸ごと一匹売っているものから、刺身、漬物、干物、海鮮丼など様々である。自分で捌く技術もなければクーラーボックスなどもない私はいつも通り現地で海鮮丼などを食べるだけであった。多くの人が群がって物色している商店で海鮮丼を購入し、イートインスペースとして開放されている場所で食べることにした。

 

 

 海鮮丼はかなり多くのネタが載って豪奢であり、その量や質を考えれば相当に安いもので、流石港のそばかつ観光地値段を設けるような場所ではないだけある穴場の美食であった。夏の北陸の味覚に舌鼓を打ちながら、市場の中でもとりわけ人集りができていて気になっていた岩牡蠣のことを思い浮かべる。

 牡蠣は英語やフランス語などでRのつかない月には食べるななどと言われるが、それは真牡蠣の話で、岩牡蠣は夏の日本海でこそ輝く牡蠣である。それゆえに、生岩牡蠣は相当な人気があった。海鮮丼を食べ終えた後に、それだけ追加で食べようと思って買いに行った。その場で殻を開けて食べられるようにしてもらえるとのことだったので、そうしてもらうようお願いした。

 岩牡蠣の身はふっくらと大振りで、旨味と苦味が濃厚な旬の逸品であった。この牡蠣も、生かつこの大きさはなかなか産地じゃない太平洋側では食べることができないだろう。日本海の夏の魚介類を存分に堪能することができた。

 

 

 その後は大野のより先端の離島のようになっているところに向かった。そこには醤油の蔵が多く並んでいて今も操業している古い町並みがある。離島のようになっているのは、港の拡張に伴って川の付け替えをしたりしているうちにそうなったものらしい。その中でもとりわけ大きいヤマト醤油味噌のヤマト糀パークに入って、醤油や味噌の製品を物色したりした後、名物らしい醤油ソフトクリームを食べた。醤油の塩気とソフトクリームの甘さのバランスがちょうどよく、汗の伝う身体に沁みた。

 

 

 

 

 

 その後は最初のバス停に戻ってバスに乗り、金沢駅へ戻って、七尾線に乗り込んだ。

 七尾線を終点の七尾駅までずっと乗っていく。管轄として、金沢〜津幡はIRで津幡〜七尾はJRとなるが、この日は北陸3県パスと18きっぷは両方有効なのでこの区間をそのまま乗り通しても何の問題もないというわけだ。これこそ三セク区間とJR区間が入り混じる今の北陸に最も適したやり方の一つではないかと思う。なお、1日や2日の旅行の場合は割高な代わりにその両方に跨って乗れる北陸おでかけtabiwaパスの方が遥かにいいので、これはあくまで5日程度は北陸にいることを前提としたきっぷの買い方として提示するものである。

 

 

 こうして改札を入る時と出る時で提示するフリーきっぷを切り替えながら七尾駅を出て、駅前のショッピングモール沿いの少しわかりにくい場所にあるバス停に向かった。ここからのとじま水族館に向かう。バスは和倉温泉街などを経由しながら、橋を渡って七尾市の離島として湾内に浮かぶ能登島に入っていく。電波の悪い区間を何度も通って島の北側にあるのとじま水族館に着いた。

 

 

 のとじま水族館には子供連れの家族が多く訪れており、入口には能登半島地震の被害から水族館が復興したことを祝う横断幕が大きく掲げられていた。心の中でおめでとうと思いながら、チケットを買って館内に入った。

 一番最初に大水槽があり、そこをジンベエザメが悠々と泳いでいく。他にも様々な魚が泳ぐ、日本海側有数の巨大な水槽のようだった。上から少しずつ下っていく順路で最後は下から潜ったりして通る動線になっており、その先には鏡の反射を利用したカラフルな展示があったりして、現代美術の作品のようでもあった。クラゲが色とりどりの光を発するのも壁中を鏡にして大きな空間に広がっているように見せるなどの工夫がされており、さながらチームラボのインスタレーションのような感じだった。

 

 

 

 

 外に出ると、この日最後のイルカとアシカのショーが始まっており、イルカが元気に高くジャンプするなどの様々な芸をして楽しませてくれた。

 

 

 

 他には被災から復興までの様々な苦難を記録した展示もあり、設備の維持や生物を飼うことの難しさを改めて痛感させられるものとなっていた。また、ここを含めて日本全国の動物園や水族館などと『けものフレンズ』がコラボしているらしかったが、来る時間が遅かったためか配布物などはなくなっていた。そこだけは少し残念だった。

 

 

 

 水族館が閉館する頃には能登島が夕焼けに照らされていた。来た時と逆向きのバスに乗って、七尾駅へと戻る。そしてそのまま金沢駅まで戻る頃にはとっくに日が暮れていた。

 

 

 金沢駅で晩ご飯を食べようと居酒屋を探したが、駅ビル内の店舗はどこも混雑しており入れそうにない状況であった。やはりこういうところは観光客でごった返すから厳しいなと思い、少し路地裏に入ったところのひっそりとした金沢おでんの店に入ってみる。

 幸い席はあったので、おでんや刺身などを食べながらビールや地酒を飲む。金沢のおでんといえば車麩などはシンプルだがよく出汁が染みて美味しい。バイ貝などが入っていることも特徴的で、コリコリした食感を楽しめる。メニューを見て目に留まったガスエビを食べたかったが、刺しは終わっているということだったので揚げを貰い、それと別に甘エビの刺しを頂いた。これらのエビは太平洋側ではなんとなく影が薄い気がするが、石川や富山では主役を張れるような抜群の甘みと旨みを誇るものである。

 

 

 

 

 しばらく経った頃、隣の空席に常連らしき女性が一人で飲みに来て、少しのつまみとともに地酒を飲みながら店員と親しげに会話をしていた。観光地はもちろん、居住地でも通い詰めるほど行った店がない私は、そういう姿を粋だと感じるし、密かに憧れがあるので、かっこいい人だなと思いながら、異郷の地で一人、ちびちびとおでんやエビなどを食べていた。私には決まったホームのような店がない代わりに、こうして日本中、そしていずれは世界中の居酒屋やパブといった場所に現れるだろう。憧れはあるが、恐らく私自身はそれにはならず、私は私の道を歩むだけだと思った。

 私とその人が最後の客で、会計をする頃には私一人になっており、店仕舞いとなった。この日はもう疲れていたし、そのまま金沢に泊まろうと思って、適当に駅前で泊まることにした。そうしてネカフェに着くと、翌日以降の旅程を考えた。ここまでは北陸の城や港町を見て海の幸を堪能してきたが、ここからは少し山がちになっていく予定である。富山の山の方、北アルプスへ向かう予定を立てて、目を閉じた。

 

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四国八十八ヶ所原付遍路 終章 高野山奥之院

 四国八十八ヶ所原付遍路4部作はこちら。

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 大窪寺で結願した日の夜、南海フェリー和歌山港飲み帰ってくると、少しだけ南海に乗って和歌山市駅で降りた。

 

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 市駅はJRの和歌山駅ほどではないが、近年は綺麗な駅ビルとなりお洒落な雰囲気がある。そこから徒歩数分の、和歌山の魚介などを取り扱う居酒屋が気になって、お遍路を完走して煩悩を払えた気がした自分を労うという名目で暖簾を潜った。

 市駅の近くの海鮮居酒屋は地元客で賑わっており、店長も店員もカウンターに座っている客と親しげに話していた。こういう場所には入りにくいと以前は思っていたが、一人旅で色んな店に一人で入るようになった今や、気にすることはなくなっていた。

 カウンターの端の席に案内されて、ビールと突き出しや生牡蠣で一人己を労う祝杯をあげた。それらの味も当然美味しく、店長や店員も気さくな方々であったので、私自身から話し出すようなことはなくとも少しずつ場の雰囲気に馴染んでいった。

 

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 しばらくして、地酒を飲もうと思ってメニューとは別にあるおすすめの地酒の貼り紙を見ていると、注文を取りにきてくれたので、おすすめを聞いてみて、求めている味の傾向にあった和歌山の地酒を提供してくれた。その間に店長から話を振られ、出張か何かですかと言うので、旅をしているんですと伝え、お遍路に行ってきたと告げた。すると店長が徳島の出身であることを明かし、お遍路もいつか行ってみたいけど仕事があるから難しいのだと話してくれた。四国にはお遍路をしたがっている人が多そうなことはお遍路の道中でも常々感じていたが、やはり自分の店を持っているとなると店を空けられないのだろう。それでも店長の捌く魚介類が美味しいので、それを客に提供することもまた功徳を積んでいるように感じられた。

 

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 終電と閉店の時間が迫ってきて、会計を済ませてお礼を告げて店を出ると、最終の紀勢本線に乗って紀三井寺まで帰ってきた。お遍路をするために徳島に渡った前日に泊まっていたところである。ネカフェに着くと、翌日の高野山へのお礼参りに備えて、日付を跨ぐ頃に就寝した。

 

 翌日、9時頃に和歌山駅に着いて、そこからまずは和歌山線で橋本まで向かった。橋本で南海高野線に乗り換えて、高野山ケーブルカーと接続する極楽橋駅まで行って、ケーブルカーで高野山駅に着いた。

 

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 道中は外国人観光客が多く、単に高野山だけを観光に来ている人も多い中で、なんとなく私は白衣と輪袈裟を着て高野山にいた。何年も前に単に観光で来た時とは違って、今はお遍路を終わらせてきたのだという矜持があったことは否めない。ただ、お遍路の経験をここまで持ってきたという気分になりたかったのだ。

 お遍路を終えてお礼参りに行くのは高野山奥之院である。奥之院は弘法大師こと空海の御廟であり、ここに入定して今も衆生を救っているとされている。それとは別に金剛峯寺もあるが、今回は奥之院にだけ行って満願することだけを考えた。どちらも観光で来たことがあるが、その時とは意味合いも心持ちもまるで違っていた。

 途中で精進料理を食べようと、奥之院に近い食堂に入った。精進料理というのは質素で味が薄そうな気がしていたが、多くの小鉢が並んでいる姿はむしろ豪華に見えたし、味付けもしっかりされていて自分の中の勝手な先入観はひっくり返った。修行の日々を思い出しながらありがたくいただいた。

 

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 食べ終わると、奥之院に参るために参道を歩いていった。ツアーで来ている観光客なども多く、静謐さがないのが場に似つかわしくなく思われて少し嫌な気がしたが、そのような感情も恥ずべきものなのだろうと思い直しながら、奥之院の入口にあたる御廟橋に着いた。

 

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 この先は撮影禁止なので写真はないが、橋を渡った先には燈籠堂、そしてその奥に御廟があり、御廟の中には入れないので、その手前で線香や蝋燭を捧げ、賽銭や納め札も入れることになる。

 立派な燈籠堂をぐるりと回ると地下へと続く階段があり、地下には多くの燈籠や、身代わり大師という小さな大師像がある。そこまでで奥之院の参拝は終わりとなる。

 御廟橋を渡って戻ってきたところのすぐ近くには御供所があり、ここで納経帳の最初のページである奥之院のページに納経してもらうことになる。納経をお願いして、御影も買った。納経帳に文字を書き終えスタンプを押すと、最後に満願を証明する日付印が押され、「満願おめでとうございます」と納経帳を渡してくれた。これにて長い原付遍路の旅は終わった。

 

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 納経帳にはそれぞれの寺ごとの詠歌が初めから印刷されてある。ページの埋まった納経帳の最初の奥之院のページにはこうある。

「ありがたや高野の山の岩かげに大師はいまだおわしますなる」

 

四国八十八ヶ所原付遍路 香川編

 前回の記事はこちら。

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 午前中に愛媛県内の寺を回り切ってから、正午頃に県境を越えて香川県に入った。順打ちのお遍路で最後となる香川は「涅槃の道場」であり、結願へ至る最後の道である。また、そもそもの県域の狭さと平野部の割合の高さから、四国の中で最も札所が密集している県でもある。ここまで聞けば後は楽そうに感じたが、実際には天候のせいで結果的になかなか思い通りに動けない遍路道となった。

 香川に入って最初の寺は第六十六番の雲辺寺ということになっているが、ここは実は住所的には徳島県三好市になる。香川の観音寺市側から四国ケーブル雲辺寺ロープウェイが延びているが、寺自体は山頂の県境を越えた向こう側にあるためである。

 

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 観音寺市に入ってロープウェイ乗り場に原付を停めると、雲辺寺ロープウェイでかなりの高さまで上っていく。雲辺寺四国八十八ヶ所の中で最も標高が高く、標高927mの雲辺寺山の頂上付近にある。ロープウェイで山頂まで辿り着いて外に出ると、境内へ続く道の最初のところに香川県徳島県の県境を示す線が引かれていた。

 

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 雲辺寺にお参りすることで、厳密に徳島県の寺をコンプリートしたことになる。これで4県中の3県の寺のすべてに訪れたことになり、真の意味で残るは香川県だけとなった。雲辺寺は広い寺で色々と面白いオブジェもあったが、早く次の寺に行きたかったので、彷徨くのも程々にロープウェイで駐車場まで戻った。

 

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 雲辺寺を去ると、一度三豊市に入って大興寺に寄った後、再び観音寺市に入って琴弾公園の方へ向かうことになる。

 

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 琴弾公園は色々と見所のある観光地だが、銭形砂絵展望台などは以前に行ったことがあるので、今回はさらっと参拝だけをしに来た。琴弾公園を含む観音寺市の見所については以下の記事も参照されたい。

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 ところで、この琴弾公園内には札所が神恵院と観音寺の2ヶ所あり、それらが同じ境内にある唯一の場所である。番号的には神恵院が先であるが、こちらは本堂への入口が直方体のコンクリートの打放しとなっており、その中の階段を登った先に本堂の寺院があるという名前も見た目も風変わりな場所である。もう一つは市名にもなっている観音寺であり、こちらは普通の寺である。納経所では、倍額を払って2ヶ所の納経を纏めてやってくれるようになっていた。

 

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 その後はまた三豊市に戻って、本山寺を訪れた後、弥谷寺へ向かった。山の上にある弥谷寺へ向かって山道を走っていると、霧が立ち込めていて視界が悪かった。濃霧は標高が高くなるとますます濃くなっていき、寺の展望台からの景色も真っ白で何も見えないほどであった。この濃霧は今後もしばらく続くようであった。

 

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 弥谷寺まででタイムリミットとなったので、この日のお遍路はここで終了して、宿泊するネカフェを求めて丸亀まで来た。丸亀に来るまでにかなりの寺を通り過ぎたことになるので、翌日以降は逆走するところから始まることになる。

 丸亀で今宵の晩酌をと思って居酒屋を検索して、丸亀名物である骨付鳥の食べられる店に入った。骨付鳥とは下味を付けた鶏もも肉をそのまま焼いたもので、そのままの豪快な姿で提供されるが、鋏で肉を切り離して食べるのが一般的なようである。この骨付鳥をメインに、他にもいくつか料理を頼んで、それらとお酒とで香川入りを祝した。

 

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 ネカフェに入って天気を調べると、翌日以降も雨や霧など悪天候が続く模様なので、すっかり辟易してしまって、晴れるまで待ちたいと思ったが、原付の返却期限も迫っているのでそう悠長にもしていられず、不安になってきた。とはいえ無理は禁物だと思って、明日の予定は明日の天気次第ということにして寝ることにした。

 

 翌日は少し遅い出発で次の第七十二番に向かおうと思ったが、空は厚い雲で覆われて予報通りに雨が降っており、あまり原付で動き回りたいとは思えぬ天気であった。それでも少しでもお遍路を進めようと思って西へと逆走し、善通寺市に入って曼荼羅寺に着いた。

 

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 曼荼羅寺でも雨は降り続いており、参拝後は今日中にどこまで行こうかと考えながら駐車場の喫煙所で煙草を吸いながら考えた。正直なところ、こんな雨の中でびしょ濡れになりながらお遍路をするのは、レインコートを着ていてもうんざりすることであった。しばらく雨は弱まる気配もなかったので、傘を差して歩いて次の出釈迦寺へ行った。この2つの寺は本当に近いところにある。

 

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 出釈迦寺でのお参りを終え、曼荼羅寺の駐車場に戻るタイミングで、雨が弱まった。ここから数十分程度はかなり弱い雨で、その後はまた強まるということだったので、悪天候に心を乱され苛々していた私は、もうこの日のお遍路を終えて丸亀に戻ることにした。こんな気分で旅をしたくもないし、それで功徳を積めそうな気もしなかったからである。

 雨の弱まっている間に原付を飛ばして丸亀まで戻ると、その少し後から雨が強まったので、本当にいいタイミングで戻ってくることができた。ネカフェで雨宿りをしてそのまま泊まろうと考え、昼から飲酒しながら快活のうどんを食べたりしながら過ごしていた。どうしてうどんの聖地である香川に来ているのに、讃岐うどんの名店とかではなく全国チェーンの普通のうどんを食べているんだろうと悲しくなってきた。後はゲームをしたりしながら、だらっと香川2日目が終わってしまった。

 

 次の日は、どんよりと曇ってはいるものの、雨は小雨か止んでいるかという程度だったので、この日は一気に動いた。

 出発はかなり遅くなってしまったが、とりあえずまた善通寺市に戻って、まずは甲山寺へ。その次は市名にもなっている善通寺を訪れた。

 

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 善通寺市弘法大師空海の出身地であり、善通寺は広い境内を有する大きな寺であった。観光客も多く、賑やかな趣の善通寺を順に回りつつその規模に圧倒された。また、ここは空海の生誕地であるため、大師堂にあたる建物は御影堂となっており、ユニークな場所であり八十八ヶ所の中でも特に重要な地であることが窺える。また、線香を寝かせて置くなどのここだけのしきたりもあった。忙しい遍路旅で悠長にしている時間はもうないが、ここはちゃんと見たくて少しだけ長めに滞在した。

 

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 その次の金倉寺までが善通寺市内にあり、続く道隆寺多度津町郷照寺は宇多津町にある。多度津と宇多津は地名が似ていてごっちゃになりやすそうだが、多度津土讃線の起点で琴平やその先の高知へと繋がっており、宇多津は本四備讃線も通る岡山から見た四国の玄関口にあるということは区別して覚えておきたいところである——と、鉄道や地理のオタクとしては語らずにいられなかった。

 

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 その次の坂出市天皇寺まで巡礼すると、次はいよいよ高松市入りとなる。高松市内で最初の寺となる国分寺を訪れると、まだ市街地でもないのに最後の県庁所在地まで到達できたことに一安心した。

 

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 しかし、この油断がすぐ後に悲劇を招くことになる。坂出市に少し戻って次の白峯寺に向かう途中で、盛大に道を間違えて行ったり来たりした末に、濃霧で視界が甚だ悪く、また路面が濡れて滑りやすい山道の途中で転倒してしまった。原付は無事であったが、私は右肩を負傷して、これから数週間は右腕が上がらなくなった。

 それでも進むしかないのだが、濃霧には本当にはらわたを煮え繰り返しながら何とか白峯寺に辿り着くことができた。同じ山中にある根香寺やそこまでの山道は更に霧が濃く、本当に乗り物に乗るべきでない状況であることを思い知らされたが、もう日がないので仕方がない。

 

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 ともかく、ここまでで地理的にも時間的にも区切りがいいので、この日はこのまま高松側へ山を下りて、そのまま高松市内のネカフェに着いた。無事とは言い難いかもしれないが、とりあえずちゃんとゆっくりできるところまで来られたことにまずは安堵した。

 この後は例によって居酒屋を探したのだが、なかなか近くにいい感じのところがなかったり、満席で断られたりして、かなり放浪した後に入ったのは地元の常連ばかりいるような居酒屋であった。

 カウンター席に通されると、両隣に別々の常連客がいるようで、大将や他の店員とも親しげに話し続けていた。それでもこちらも客として入ったからには、主に魚介系の一品ものなどを注文して、香川の地酒と共にそれらに舌鼓を打った。

 

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 居酒屋での飲食を終えると、ネカフェへの帰り道の途中にあるショッピングモールでお酒やおつまみを買って、ブース内でそれらに口を付けながら翌日のことを考えた。翌日は午後から天気がよくなっていき、翌々日には綺麗に晴れるらしい。2日後に原付を返却しなければならなかったので、翌日は高松でのんびりして、翌々日に確実に八十八ヶ所全部回って結願した後原付を返却することに決めた。

 

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 前日に決めた通りの旅程で行くなら一日休養日になるので、次の日は前日の夜更かしの後に昼頃に起き、ようやく雨の止んだ高松で少しだけ移動して、15時台に一宮寺を訪れた。この日はこんな時間に出発しているので、札所は元々ここだけ訪れる予定だった。

 

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 その後は暇になったが、気紛れに近くのスーパー銭湯に寄ることにした。負傷した右肩に対する湯治ではないけれども、何となくそんな気分で入ってみた。

 

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 天然温泉ではあるらしいが、加水はしていると思われる温泉は、温度差のある複数の浴槽にジャグジーや電気風呂、露天風呂やサウナなど風呂の種類の多さで勝負している感じだった。私は程々熱いくらいの湯が好きなので、主にその湯の浴槽に浸かって疲れを癒した。他の客はほとんど地元の老人のように見えたが、施設の入口にはお遍路さんからも愛されていることをアピールするような多言語表記の立て看板もあったので、一人くらいは私の他にもそういう人がいたのかもしれない。

 湯から上がると、フロントの近くの休憩所で、定番のコーヒー牛乳を飲みながらゆったりした。徐々に雲も薄れて晴れてきて、強い西日が差し込んできた。これでようやくお遍路を終えられると確信できる天気になって、気分が持ち上がった。

 

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 この日の夕食は何にしようかと考えたが、どうせこの辺りにはあまり店がないし、うどん屋は大抵昼しか営業していないので、結局近くのスーパーでまた珍味を買ってネカフェのブース内で食べることになった。そしてこの日は、いよいよ結願を迎える翌日に備えて、早めに眠りに就いた。

 

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 そして、いよいよ結願の日が来た。天気は見事に晴れ、雲一つない青空がどこまでも広がっていた。これを待っていたのだとばかりに、安堵と高揚感の中、原付に乗った。これに乗るのも今日が最後かと思うと少し寂しかったが、ここまで累計1500km以上を走ってきた相棒にも、最後はいい景色を見せに行くのだ。

 最初に向かうのは高松市北東部の屋島。海に迫り出した小高い山の上には広々とした駐車場があり、屋島寺の他にも水族館や瀬戸内海を臨む展望台などがある観光地である。今回は例によって時間がないので水族館や古戦場跡などは無視して、屋島寺を参るだけ参って、駐車場の側の展望台から瀬戸内海の多島美を見た。やはり瀬戸内には晴れが似合う。ぐずついた雨や霧なんてらしくもない天気が続いていたので、ここが瀬戸内であることを忘れそうになるところだった。

 

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 屋島の山を下りると次はすぐ東にある山の上の八栗寺へ向かった。八栗寺へは四国ケーブルの運営する八栗ケーブルがあり、今まで乗ってきた太龍寺ロープウェイ、雲辺寺ロープウェイと合わせて3路線を運営しているが、八栗は他の二つと比べれば標高も規模も小さなケーブルである。これに乗って山上まで行ったところに八栗寺がある。

 

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 八栗は屋島ほど観光地化されているわけではないのでもう少し静かでいい場所であった。高松市内にある寺はこれですべてである。残るは3つだけで、これらはさぬき市にある。原付で更に少し東に進んで、ついに最後の地であるさぬき市に入った。

 最初にあるのは、琴電志度線の終点でもある志度にある志度寺である。平賀源内の出身地であるらしくその記念館などもあるが、それもスルーして真っ直ぐ寺へ。五重塔もある綺麗な寺だったが、工事中の箇所があったり、なぜかぽつんと『すずめの戸締まり』みたいな水色の扉だけが置いてあったり、不思議なところであった。

 

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 その次は同市内を南下して、今度は琴電長尾線の終点である長尾に着いた。長尾寺は街中にある寺だが、ここまで来るとどことなく終わりが近いことが感じられ、他のお遍路さんの様子も少し違って見えた。順打ちの人からすれば最後の第八十八番札所・大窪寺へ向かう旅路の最後が近く、逆打ちの人からすればまだ始まったばかりの場所で、両方の人がいて独特の空気感があった。

 

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 長尾寺を後にすると、ついに最後の地・大窪寺へ向かうことになる。同市内を南下して山間部へと入っていき、徳島県との県境に近い国道377号に入って、少し東に進んだところにそれはあった。

 駐車場に原付を停めてヘルメットを脱ぐと、ようやく巡礼路を走り切ったのだという感慨で、少し休憩してから境内の方へと向かった。門の前には「四国霊場結願所」と書いてある。2週間、様々な苦労も乗り越えて、ついに結願できることのありがたみと自分への労いを感じながら、門を潜って本堂へ歩いていった。

 

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 本堂までの道にも最後の地に相応しい色々なものがあった。その中でも特筆すべきは、やはり金剛杖を奉納してある寳杖堂であろう。今回私は杖を買わずにお遍路をしたが、徒歩遍路などで杖をついてきた人たちは、最後にここで杖を奉納し、毎年供養されるのである。堂内に大量に立てられた杖の一つ一つに人々の想いが詰まっているのだろうと思うと、非常に感慨深かった。

 

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 本堂と大師堂で最後の参拝を済ませると、納経所へ行って納経してもらった。納経帳の最後のページに梵字などが書き込まれると、「結願おめでとうございます」と納経帳を渡してくれた。雨に苛立ったり霧の中で転倒したり色々あったが、すべてはこの瞬間に繋がっていて、私はついに結願を果たしたのである。ここまでの苦労はすべて報われたのであった。

 

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 晴れやかな気持ちで境内を出ると、昼時の門前街には活気があった。順打ちでお遍路を終えた人、逆打ちでここからお遍路を始める人、お遍路ではないけど観光しにきたように見える人など色んな人が見受けられた。

 

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 一番賑わいのありそうな土産屋兼食堂では、香川名物の打ち込みうどんが食べられるようだった。「打ち込みうどん」とは、打ち立てのうどんを茹でないまま鍋に入れ、野菜などと一緒に煮込むという形式の讃岐うどんの一つの形態である。その店舗では他に「満願いなり」なる赤飯で作った稲荷寿司も名物らしく縁起もよさそうなので、打ち込みうどんと一緒に注文して、畳の座敷でしばらく待った。

 やがてうどんといなりが到着し、今回のお遍路の中で初めて本場の打ち立てのうどんを食べることができた。やはり本場のこしのあるうどんは食感や喉越しもよく出汁も美味しくて、旅の疲れも吹き飛んでいった気がした。稲荷寿司の方も赤飯が意外と油揚げとの相性がよく、美味しい寿司であった。

 

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 さて、これでお遍路は終わったが、この日はもう一つミッションがある。それは、丁度この日が返却期限なので、夕方までに鳴門市内のバイク屋まで戻らないといけないということである。大窪寺も名残惜しいが、あまりのんびりもしていられないと思って、14時頃に大窪寺を後にして、鳴門へ向かって走り出した。途中、香川の東端に近い引田で休憩を取りつつ、国道11号沿いに徳島県入りをして、海沿いの道をずっと走り続けた。国道11号は徳島市まで続いているので、バイク屋にかなり近いところまで一直線に走って、最後にバイク屋の近くのガソリンスタンドで満タンまで給油して、無事返却期限に間に合う時間に出発地のバイク屋に帰ってきた。

 最終的に累計1700km以上も走った原付は流石に傷一つないとは行かずに少し修理代を取られたが、原付に一切乗ったことがない人間が、突然そんな長距離の知らない道を走って、大きな事故もなく無事に帰ってこられたので、きっと店長も及第点くらいには思ってくれているはずだと勝手に思いながら、近くのバス停に向かって、2週間ぶりのバスで徳島駅まで戻ってきた。

 

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 そこからはまた少しの待ち時間の後に徳島港へ行くバスに乗り換えて南海フェリー乗り場で降り、帰りのきっぷを買ってあっという間に乗船時間となり、これにて2週間の四国八十八ヶ所遍路は終わりを告げた。お遍路を終えてその日中に和歌山まで戻るだなんて随分あっさりとした別れにも感じられるかもしれないが、私は旅人で、命ある限りはどうせまた近いうちに四国を訪れることもあるだろう。だから、晴々とした気持ちで四国を後にした。別れはあっさりでいい。そうでないと、

「また会ったときに恥ずかしいからね」

 

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 高野山へ続く。

 

四国八十八ヶ所原付遍路 愛媛編

 前回の記事はこちら。

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 宿毛の宿を出て高知県最後の延光寺を訪れた後、高知県を西に出て愛媛県愛南町に入った。3県目となる愛媛は「菩提の道場」であるらしい。愛媛南部は高知西部と同じように広さに対して札所の数が少ないので、一つ一つ進むのに時間がかかる。そうして長い道を走っていると、かなりの強風が吹き始め、国道56号を通って海側の市街地へ出るとそれはますます強まった気がした。

 愛媛県最初の寺となる観自在寺に着くと、お参りと納経を済ませた後、一旦休憩しながら天気を調べた。すると愛媛県南予エリアには暴風警報と波浪警報が発令されており、それを裏付けるかのように境内の木々が傾きながらざわざわと音を立てていた。手水用の柄杓も風に流され、おまけに空模様も怪しくなり、さっきまで晴れていた空が不穏な雲に覆われ始めていた。

 

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 これはまずいと思い、この日のお遍路を継続するのは危険なので中止しようかとも思ったが、それにしてもまだ朝なので、時間を潰すのには長すぎる。本当に危なかったらいつでも中断していいと思いながら、引き続き国道を走って宇和島の方へと向かうことにした。

 風はますます強まり、度々ハンドルを取られそうになるし、その上小雨が降り始め、ますます天気は荒れる一方であった。海沿いの道では高波が岸に打ち付けて、砕けた波の飛沫が塀を越えて道路側まで飛んでくることもあるくらいだった。とはいえそんな何もないところで止まっても避難できる場所も宿泊できる場所もないので、少なくとも宇和島の市街地まではと思って必死でアクセルをかけ続けた。そんな状況でも法定速度を超えてまで原付を追い越していく車は何台もあって、怖いもの知らずかと慄いた。原付などより遥かに重量があるのでハンドルを取られることもさほどなかったのかもしれなかったが……。

 宇和島中心市街を通り抜け、50kmほどの道を走り抜けてやっと次の第四十一番にあたる龍光寺に辿り着いた。ここまで死線を潜り抜けてこられたのも、偏に私が自分の命を軽んじているからであった。雨は止んで少しはましな天気になったが、暴風は吹き続けていた。

 

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 次の仏木寺までが宇和島市内にあって、その次は西予市に入る。宇和島には現存天守宇和島城や、名物料理の鯛めしなど魅力的なものが多くあるが、それらは以前訪れた時に行ったので、今回は名残惜しくもお遍路に集中して西予市明石寺に着いた。この時点で時刻は既に14時台であり、しかも次の第四十四番へは80km近くもあるという。これは流石に間に合わなそうな気がして、無理に次へ行くことはせず、明石寺駐車場の側にあるお土産や巡礼用品などを売っている店を物色でもしながら休憩することにした。ここにこのような店があるのも、きっと次の寺までが遠すぎるからに違いなかった。

 

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 春は近づけど風も強くまだ寒い日なので、温かい甘酒どうですかと表で宣伝していた。気まぐれにそれを一ついただくことにすると、店の奥の食堂スペースの一角に座って待った。やがて出してくれた甘酒をゆっくり啜ったら身体が温まって寒さが和らいだ。飲みながらごそごそと荷物の整理をして態勢を整えると、代金を払って礼を述べて駐車場に戻った。

 

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 団体バスのいなくなった駐車場にぽつんと佇んでいた原付の方へ向かって、もうこの日は次の寺まで間に合わないので一旦松山の方まで行こうと、また長い経路を調べていると、雨の代わりに霰が降り始めた。山間部の標高の高いところとはいえ、春になろうとしている四国で霰が降るのは流石に面食らった。幸いすぐに降り止んだので、 その隙に出発して、松山を目指して原付で走り続けた。

 

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 数時間してようやく松山のネカフェに辿り着いた。普段の電車旅なら大街道のアーケードの方にでも行っただろうが、今回は駐輪スペースが必要なので、東温市との境界にある郊外店に来た。国道沿いで周辺にはロードサイド型のチェーン店やショッピングモールが立地しているばかりの場所だったので、特に愛媛の名物とかではないが快活クラブの隣に入居している焼肉屋に入った。とにかく一日中暴風の中を駆け抜けてきたので、もうどこかへ行くという元気がなかった。

 ファミリー層の多い焼肉屋に一人入って、ホルモンが好きな私はホルモンの盛り合わせを頼んでひたすらホルモンだけを焼いて食べた。最後に冷麺を食べて店を出ると、ネカフェの自分のブースに戻ってさっさと寝ることにした。次の日もまた過酷な山道を行くところから始まるので。

 

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 翌日もぱっとしない空模様であったが、何よりも寒かった。朝6時頃に出発しようと外に出ると、松山の平地でさえ氷点下で、原付に降りた霜が一部凍っていたほどであった。これから目指す大寳寺と岩屋寺は、松山から南へ、峠を越えた先の久万高原町にある。標高が上がるのでここからまだ寒いところに行くことを覚悟して、懐炉を貼って熱気を蓄えておいた。

 段々山の方へ走っていくと少しずつ交通量は少なくなり、完全に山の中に入ると、しんと静まり返った道の脇には薄く雪が積もっており、更に粉雪も降り始めて、景色は完全に冬であった。

 やがて峠を越えて久万高原町の市街地に入ると、大寳寺はもうすぐである。幹線道路から少し外れて寺に到着する頃には7時をかなり過ぎており、一番乗りというわけにはいかなかったようだ。それでも境内には他にお遍路さんがいる感じでもなく、一人粛々と参拝を済ませた。

 

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 次の岩屋寺はそこから更にまた山道に入ったところにあり、駐車場までの道はわかりやすいが、そこから徒歩の長い坂と階段が待っている八十八ヶ所有数の難所である。駐車場に原付を停めて、境内へと坂道を上っていくと、巡礼道具や接待の飲み物などがあるらしい小さな門前街の一角には、「まだ/\これからじゃ岩屋の坂と人生は」と書かれた看板があった。門前の店舗はまだ朝早いからか大方閉まっているようであった。

 

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 長い岩屋の雪山の階段をずっと上っていくと、やがて山門が見えたが、そこから更にかなり進んだところまで行ってようやく本堂などがある頂上部に着いた。やっと辿り着いた一番上の少し迫り出した展望スペースからは、木々や建物の屋根に雪が積もっているのが見え、また丁度そのタイミングで少し日光が差したにも拘らず粉雪も降っていて、疲れた目にはその景色が幻想的にすら見えた。

 

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 参拝を終えて納経所に行くと、納経してもらったついでにお接待としてクッキーの入った袋を貰った。番号的にもここがおよそ真ん中にあたるので、折り返しを祝う意図もあるのかと思ってそれをありがたく受け取って鞄に入れると、納経所を去った。納経を終えると、さもこの日のお遍路が終わったかのような気持ちになって、しばらく小屋の隅で煙草を吸いながら、鎖樋を伝い落ちる雪解け水を眺めていた。少なくともこの日一番の難所は越えたので、まだ9時台だったが既に半分以上は目標まで辿り着いたと言っても過言ではなかった。気温がようやく正の値になったのを感じながら長い坂と階段を折り返して駐車場まで戻り、岩屋寺を後にした。

 そこからは松山の市街地に近いところに密集しているので楽だった。松山市内に戻ると、市内東部にある浄瑠璃寺八坂寺西林寺浄土寺繁多寺石手寺の6つを淡々と回った。

 

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 残りの太山寺円明寺は市内北部にあってやや離れており、経路的にも松山の中心市街地を突っ切る形となるので、ど真ん中の大街道まで乗り入れて少し休憩がてら久々の都会的な街並みを散歩することにした。

 

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 時刻は昼過ぎ、松山名物の鍋焼きうどんでも食べられたらいいなと思い大街道や銀天街のアーケード周辺を散策するも、その辺りにある有名店は既に売り切れでその日の営業を終了しており、結局何も食べることはできなかった。日ごとに売り切れ次第終了としているような人気店は大抵昼過ぎにはもう閉まっているものである。少し残念に思いながらふらっと三越に入ってみると、イルミネーションの綺麗で都会的な高級感のある店内に落ち着きを覚えたが、奥の方のフードコートは閑散としており、そこでも何か食べようというほどの気分にはなれなかった。

 

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 そうこうしているうちに時間が経っていて、松山市内にある残る2つの寺に行けるかどうかという時間になってきたので、市内をずっと北上して、太山寺円明寺を訪れた。ここまでが松山市内で、次の数ヶ所は少し離れて今治市内に集中しているので、丁度いい切れ目となった。ここでこの日のお遍路を終え、また同じネカフェに宿泊するべく帰路に就いた。

 

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 ところで随分海寄りに来ていたので、途中で何か海鮮でも食べようと検索してみた。離島への航路も多い港町の三津の辺りには多くあるようだったが、その辺りは電車で行けるし、その先の離島を旅する際に訪れることがありそうなので、今後あまり訪れることがなさそうな松山空港の近くまで行ったところの海鮮丼屋と海鮮市場を訪れた。

 

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 愛媛県は海での魚類の養殖量が日本一で、様々な魚介を楽しめる場所であるが、その店ではWブリ丼を食べることにした。生の刺身と藁焼きの2種類の鰤が載った丼である。鰤の身はどちらも肉厚で、特に藁焼きの方は香ばしく旨みが詰まっていて美味しかった。醤油と山葵だけではなく生卵を溶かしてかける宇和島の鯛めしみたいなスタイルの海鮮丼であったが、卵と鰤の相性もまたよかった。鍋焼きうどんの代わりにまた独特の美味しい海鮮丼を食べることができたので、食欲も満たされた。

 

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 その後は隣の市場に行って、色んな海鮮や愛媛県産の肉類、野菜などが売られているのを見た。その中にはやはり加熱などの調理が必要なものが多いので、旅の道中に買っても食べる手段がないものが多かったが、おつまみ的なもので生食できるものがあったら少し買っていきたいと思い、帆立のチャンジャとスモークタンを購入して帰ることにした。

 

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 市場で何を買うか結構悩んでいたので、外に出るといつの間にか日が暮れそうになっていた。次第に暗くなっていく夜の松山をひたすら東へ走って出発地に戻っていく。この東西移動には同じ市内でも結構距離があったので、何だかんだで時間がかかった。

 戻ってくると、隣の大きなショッピングモールのスーパーでお酒を買って、先程のおつまみと共にネカフェで一人の晩酌をした。おつまみとして買ってきたチャンジャとスモークタンはどちらも美味しく、特にスモークタンは西予の山奥の牧場で飼育された県産の豚肉で、香辛料の香ばしい風味が堪らないものであった。こうして愛媛2日目の夜は過ぎていった。

 

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 次の日は7時頃に出発して、今治市延命寺を目指した。東温市側からは山の中を突っ切っていくルートが最短だったが、途中から道に自信が持てないまま何となく走っていると、山の中にしては人の多い市街地に戻ってきていて、地図を見ると前日と同じ松山市の海側まで来てしまっていた。こうなっては仕方がないので、ずっと海沿いに松山と今治の間の交通量の多い国道を通って、かなりのタイムロスを抱えながら延命寺に着いた。

 

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 そこからしばらくは今治市内の寺を巡っていくことになる。次は南光坊という、名前に「寺」の付かない珍しい寺を訪れた。今治市中心市街地にも程近く、発展した街並みの中にあった。単独でこのような立地にあるこんな名前の寺は非常に珍しいので、寺として特に目立ったものがあるわけでもないがやはり印象深い。

 

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 その次は立て続けに泰山寺永福寺仙遊寺国分寺今治市内の残りの寺をすべて回った。この時点で時刻はまだ12時台であり、ここから更にいくらか行けそうな感じがする時間帯であったが、次に行く寺こそが個人的に原付遍路の最大の難所となった場所であった。

 

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 その最大の難所は、西条市に入って最初の横峰寺という寺である。その寺はその標高から考えても非常に険しく、徒歩や自転車の場合は言うまでもなく最難所の一つであろうが、原付にとってもまた最難所と言える場所であった。というのは、車道で境内まで行こうとすると有料林道を経由することになり、50ccの原付ではその道路を通ることすらできないからであった。

 原付かつ無料で行ける道路としては、境内より500mくらい標高が低いところの休憩所までで、そこに駐車場が用意されてはいるものの、車でそこまで来た人は、間違えたと思って悉く引き返していった。そんな場所に原付を停めて初めて、こんな低いところまでしか道がないことを気付いた私は、そこから長く続く徒歩の登山道を見上げて愕然としていた。

 

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 すると、その近くに停まっていた車からお爺さんが出てきた。

「これからここ登るんか。ここから上まではしんどいで」

 どうやらこの辺りに住んでいるのか、このお爺さんはいつもこの辺りにいるらしく、私に話しかけてきたのも、ここから山道を登っていく人に対して接待をするためということだった。

 四国には、お遍路さんにはお接待をするという文化が根付いており、他の寺でもそのようなお接待として果物や菓子などを提供している場所はいくつかあった。しかし、このような形で個人的に接待をしていただくのは初めての経験であった。徒歩遍路ならまだしも、原付含むバイクや車のような乗り物に乗っていると、徒歩や車の住民からお接待の品物を貰うということはまずないので、個人間でのお接待はこれが最初で最後のことであった。

 その老人が抱えていた箱の蓋を開けると、何かの花を象ったようなバッジと飴玉の入った袋がいくつかあった。私はこういう局面で迷ってしまうタイプなので、どれか一つ貰おうと内心かなり焦りながら一つ受け取った。そのお礼としてしきたり通りに納め札を渡すと、老人は満足げに私を励まして自分の車へと戻っていった。ここからの道はあまりにも過酷だが、彼のおかげで少し元気づけられて、私は登山を開始した。

 登山道は2km強程度のものであるらしいが、その看板には恨みの籠った体感距離が落書きされていたりして、何とも治安が悪いというか、ここを通った巡礼者たちの嘆きの温度を感じた。登山道の序盤は川のせせらぎの聞こえるまだ緩やかな道であったが、やがて川の上流よりも上の過酷な山道へと変わり、何度も途中で休憩を挟みながら、1時間以上かけて何とか登り切った。

 

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 山門を潜って境内に入っていくと、ようやく人々の声が聞こえてきて、車で来た巡礼者と合流するような形となった。駐車場は山門とは反対側にあるらしく、参拝を終えてからそちらを見に行く人たちとすれ違いながら、やっと本堂に辿り着いた私は、息を整えて合掌した。

 

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 納経を終えると、山門の近くの小屋で少し休んだ。想像以上に過酷な登山道であったので、次の寺まで行く時間も体力も最早残っていなそうだったし、もう下山した後にまた同じネカフェへと帰る経路を検索した。ほとんど東温市側にあるそこまで帰るには、西条市からだと西に一直線に山を越えて比較的すぐに辿り着ける経路であった。これがまさにこの場所に宿泊することにしていたメリットであった。

 そうしてまた出発地へと戻ってくると、近くの回転寿司屋に行くことにした。愛媛最後の夜になるだろうとは思ったが、疲れ切っていたのであまり動く気力もなかった。回転寿司は地元のファミリー層で賑わい、既に何組も待ちが発生していたので、名前を書いて結構長い時間待ってようやく席に案内された。

 回転寿司といっても全国チェーンとかではなく瀬戸内にいくつか出店しているローカルチェーンである。瀬戸内の愛媛や香川の魚介類の寿司がおすすめに多くあがっていたので、それらを中心に寿司を食べていった。疲れていたからか、普段と違ってお酒を飲むこともなく、次から次へと素早く寿司を取っては食べていき、私にしては珍しいハイペースになっていた。

 

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 美味しい寿司を少食なりに結構食べて満足すると、会計をして店を出た。こんなふうに一人で来ている客など他に見当たらなかったが、愛媛や高知の他に、これから向かう香川の魚介類も食べられたので、悪くない店であった。ネカフェに戻ると少しだけお酒を飲みながら横峰寺で貰った飾りを見てみた。名前はわからなかったが、花びらが螺髪のようになっていて、これで私もあの老人も一つ功徳を積めていたらいいなあと思った。

 

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 同じネカフェに3連泊もして世話になったが、次の日はいよいよ愛媛を抜けて最後の1県、「涅槃の道場」である香川に向かう。

 この日から数日雨が続くらしく、暗雲立ち込める中、山道を東に抜けて西条市に戻ってきた。最初に訪れた香園寺は変わった寺で、本堂が近代的な建築の講堂になっていて、1階部分を参った後に2階部分へ上がると、灯りを抑えめにした広い室内には立派な本尊が安置されており、それに向かって数百席くらいの座席が備え付けられていた。中ではツアー客が住職の話を聞いていて、それを邪魔しないように本尊を拝んでから外に出た。

 

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 続く宝寿寺、吉祥寺、前神寺は同じ西条市内にあって寄り集まっているので、さらっと巡って、いよいよ愛媛県最後の寺である三角寺を目指して国道11号を東へと走り続けた。

 

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 愛媛県で一番東にある四国中央市にある三角寺に着いてお参りすると、愛媛県内はコンプリートである。これでついに3県が埋まって、残りは香川だけとなった。香川はそもそもの県域が狭いので、全体的に寺が密集しており巡りやすそうで、後は楽かと思われたが、天気が芳しくないので一抹の不安を残した。とはいえもうお遍路も終盤、最後の地となる香川でも頑張ろうと気合を入れ直して、香川県に入った。

 

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 続きはこちら。

imtabi.hatenablog.com

 

四国八十八ヶ所原付遍路 高知編

 前回の記事はこちら。

imtabi.hatenablog.com

 

 高知県は四国の中で最も広いにも拘らず、寺の数は一番少なく、寺同士の間隔が相当大きいところもあるので、一番過酷な「修行の道場」と言われる。実際、徳島の巡礼よりかなり骨の折れる巡礼路であった。

「朝4時に何してるんだい?」旅支度をして、まだ寝静まっている民宿を物音立てぬようにチェックアウトし、原付のエンジンをかけた。日和佐から出発して7時頃に高知最初の寺となる第二十四番に着くには、4時台のまだ真っ暗な深夜のうちに原付で走り出して何とか間に合うというほどに距離があるので、こんな時間から国道55号をひたすら南下し始めた。「朝の4時よ! これから走りに出るんでしょ?」

 初めは真っ暗だった国道も、少しずつ日が昇ってきて、高知県に入った頃には朝焼けの綺麗な海を臨みながら走れる爽快なツーリングになっていった。

 

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 宿を早く出たおかげで7時ちょうどくらいに室戸岬まで到達した。そこから山道を少し登ったところに高知県最初の寺である最御崎寺室戸岬展望台がある。ちなみに「最御崎寺」と書いて「ほつみさきじ」と読む。これは流石に読み方がわからなかった。

 

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 まずは最御崎寺をお参りして納経をしてもらった。それから展望台の方に行くと、快晴の室戸の海を展望することができた。灯台にはかなり高くなってきた朝日が差している。まだ一日が始まったばかりなのに、もうクライマックスみたいな絶景だった。前回室戸に来た時に行けなかった山の上をちゃんと観光できて、その意味でも非常によかった。

 

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 前回高知を訪れた時の話は下記を参照されたい。

imtabi.hatenablog.com

 

 坂道を下ると、今度は土佐湾に沿って海沿いの道を高知市方面へと走っていった。まずは室戸市の市街地に近いところにある津照寺金剛頂寺に行って、その次は安田町の神峯寺へ向かった。

 

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 ところが、神峯寺に至る急な坂道の途中でエンストしてしまった。給油ランプが点き始めていたからそろそろ給油しなければとは思っていたもののまだ平地なら問題なく走れるくらいのガソリンは残っていたので油断した。坂道をこれ以上登れないので、一旦麓まで下りることに……。完全なガス欠ではないので、自由落下で坂道を下って、すぐ近くにあったガソリンスタンドで給油して事なきを得た。この日以降、毎日給油を欠かさず朝出発する時に確実に満タンにするようになった。

 気を取り直して山道を登っていって神峯寺に到着した。神峯寺の広い境内を見て回りながら休憩を挟んだ。

 

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 参拝と納経を済ませると、次は香南市大日寺と南国市の国分寺へ。「大日寺」とか「国分寺」とかみたいな名前の寺はたくさんあるので八十八ヶ所の中にも何個かずつあるが、全部別物である。


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 流石の立派さを誇る国分寺の次は、いよいよ高知市内に入って、第三十番の善楽寺に着いた。高知市まで来ればネカフェなどもあって宿泊に困ることもないので、めちゃくちゃに早起きしてまでずっと原付を走らせてきたのが報われた。

 

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 ここからの数ヶ所は、少なくとも現代の道路状況から考えると最短ルートに見えずやや逆走しているようにも感じられる立地の寺だが、順打ちのルールに沿って一応順番通りに行くことにした。

 次の竹林寺高知市南部の五台山の上にあって、そこには他にも展望台など色んな施設があって一気に俗っぽい観光地に来た気分になった。五台山展望台からは高知市の街並みが見渡せ、時間的にもうあまり余裕がなくなっていたにも拘らずしばらく眺めていた。

 

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 次の禅師峰寺は南国市にあって、ここがどうも逆走しているような感じがしてもやもやしたが、一応順番通りに参拝。その次の雪蹊寺はまた高知市に入って、有名観光地の桂浜のすぐ側を通り過ぎてしばらく行ったところにある。時刻は既に16時台であったが、平地にあって行きやすいところなので何とか納経に間に合う時間に到着することができた。高知巡礼の1日目はここまでとなった。

 

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 そこからは土讃線の線路より北側にあるネカフェまで、市内を結構南北に移動して、原付を停めるとすぐ近くの居酒屋に入った。日本は海に囲まれているし、その中でも高知の魚は美味しいので、刺身盛りなどを注文して、ビールや地酒を飲んだ。また、鰹の叩きで有名な高知には、それを巻いた土佐巻きなる巻き寿司も存在し、それも気になったので食べてみた。

 

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 こうして満足のいく高知の夜を過ごせたので、できれば次の日に高知をコンプリートしたいと思いつつ荷物整理をして、お遍路全体でも最も過酷と言っていい高知県西部の巡礼に備えた。

 

 次の日は曇りの中、6時台にネカフェを出発し、7時より少し前に同じ高知市内の種間寺に着いた。高知県西部は本当に一つ一つの寺と寺の間が開いているので、なるべく早く回ろうと思って一番乗りという感じで来た。それでも既に不安なくらい西部は長い。

 

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 その次の清瀧寺と青龍寺土佐市にあって、名前が似ているので紛らわしいというのに加え、青龍寺の方は土佐市から隣の須崎市にかけて広がる細長く狭い浦ノ内湾の、湾を超えて太平洋に面する半島側にあって立地的にも印象深い。また、桜が咲いているのも見ることができ、春が近づいてきていたことが感じられた。

 

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 青龍寺からはその半島をずっと西へ行って須崎市に入る。次の第三十七番にあたる岩本寺までは結構な距離があるので、須崎市内のショッピングセンターに立ち寄って休憩をすることにした。店内の一角にある百均で緩んでいたサイドミラーのねじを締めるための六角スパナを探していると、幅を自由に調整できるという便利なスパナが見つかった。そして小銭入れなどのあるコーナーを見ていた時に、賽銭や納め札を取り出しやすいようにそれだけを入れておくための袋として便利ではないかと思って、ついでにそれも買うことにした。日本の百均には本当に色々あるものである。

 

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 それで須崎に感謝しながら再び西進して、四万十町にある岩本寺まで到着。ここもつい数ヶ月前に高知に来た時に訪れた窪川エリアにあるので、近づいてくると何となく薄ら見覚えのある景色のようなそうでもないような気がしながら寺をお参りすることができた。

 

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 さて、この次が距離的な意味での最大の難所だろうと思っている、足摺岬にある金剛福寺である。足摺半島は結構広く、高知西部の中心都市である四万十市中村からもかなりの距離があった。窪川からは実に3時間ほどかけて向かうことになった。更に悪いことに、雨が降り出したので、レインコートを来たものの、下半身は防げずに濡れ、風も吹いて寒く、途中で少し眠気を感じてコンビニで休憩したりなどして、かなり過酷な道を走ってやっとこさ夕方に金剛福寺に辿り着くことができた。

 

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 金剛福寺を参拝して、立派な庭園も一通り見て回った後は、流石に疲れて雨の凌げる場所のベンチに座って休憩した。足摺岬にはもっと天気のいい時に来たことがあったので、天気も悪く、原付で200kmも移動した後の状態では見に行こうという気も起きなかった。

 

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 次が高知県最後の寺となる宿毛市延光寺だが、納経してもらえる時間内でそこまで移動するのは厳しい時間帯だったので、中途半端な感じではあるがここでこの日のお遍路は終わりということにして、しばらくベンチに座りっぱなしでいた。

 その間に宿毛の方の民宿を探すと、何とか一つこの時間からでも予約して宿泊できるところが見つかったので、そこに向かおうとまた原付に跨った。傘を差すかどうか迷うくらいの微妙な強さの雨がずっと顔や手にあたるのが本当に鬱陶しかった。足摺岬がかなり南に突き出しているような形なので、土佐清水市の中心部まで戻るのにも時間がかかり、そこから宿毛の市街地に近い宿までは更にかなりの距離があった。この日が距離としては一番長く走った日となった。ただでさえ広い高知県で更に寺が室戸岬足摺岬みたいな端っこに位置していることを本当に恨めしく思った。

 何とか完全に日が暮れて夜になるより少し前に宿まで辿り着くと、オーナーは歓迎してくれ、宿でのルールや設備の説明をする間にお茶も出してくれた。原付で来たことを伝えると、少し離れたところの車庫のような場所も案内してくれて、そこに格納してもらった。

 その後は自由な時間なので、例によって宿毛駅に近いところまで行ってふらりと居酒屋に入った。いくら高知にいるといえども毎回鰹では流石に飽きるので、この日は別の魚を食べようと思って、きびなごなどを注文した。地酒も楽しみたいところだったが、普通の日本酒ばかりも飽きるので、日本酒に柚子果汁を入れた風変わりな日本酒や、高知県西部で栽培されている柑橘類である直七のサワーなどを飲んで、柑橘系のフレーバーを楽しんだ。広いだけで寺の数は少ない高知は意外と早く去ることになったので、高知最後の夜をしっぽりと過ごした。

 

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 帰り道に近くの大きなスーパーで少し買い物をして宿に戻ると、もう既に共同スペースは消灯していて、静かに部屋に戻った。そこで翌日の用意をしようと納め札を書いたりしていたのだが、中途半端なところで眠気が来て寝落ちしてしまい、更にまた変な時間に目が覚めてしまって、深夜をほとんど起きっぱなしで過ごすことになってしまった。

 納め札などの準備を整えて賽銭などと纏めて新品の小さい財布の方に入れ、車庫に行ってサイドミラーのねじをスパナで固く締める整備をした。ねじをしっかり締めるのに意外とてこずってしまって、車庫の中に電気がなくスマホのライトしか明かりがなかったのもあって整備にかなりの時間がかかってしまった。出発する前から疲れていて、しかもほとんど徹夜の状態で出発するのは流石にしんどかったので、部屋に戻った後は少しでも睡眠時間を確保しようと布団に入って仮眠を取った。

 

 仮眠だけでもだいぶ体調がましになったので、朝になると延光寺へ向けて出発した。延光寺までの道はわかりやすく、何となく達成感を覚えにくいような感じで高知県の寺をコンプリートした。

 

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 これで4県のうち2県の巡礼路をすべて通ったことになるが、数字的にはまだ折り返していないので、あまり悠長にはしていられず、次の第四十番から始まる愛媛巡礼に向かって来た道を折り返していった。妙に風の強い日で、嫌な予感を覚えながら、高知県を抜けて愛媛県に入った。

 

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四国八十八ヶ所原付遍路 徳島編

 空海は、今の香川県善通寺市に生まれ、唐で密教を学んだ後、和歌山の高野山にて真言宗の寺院を建立し、真言宗の開祖となった。その途中で空海が実践したとされるのが、四国にある八十八ヶ所の寺を巡礼するという、後に「お遍路」と呼ばれ、様々な人がその跡を辿ることになる修行道である。私の中には様々の煩悩があり、それを払うのに必要な修行だと考え、ずっと昔から実行したいと思っていたが、それがこの度ようやく実現したというものである。詳細は後述するが、移動手段としては原付を使うことにして、レンタルの予約をしてあった。

 和歌山港から南海フェリーを使って徳島港に辿り着くと、バスに乗ってまずは徳島駅に到着した。徳島駅に着いた頃にはもう時間が遅く陽が傾きかけていたので、一応眉山ロープウェイの方へ向かってみるも、営業を終了していそうな雰囲気で、阿波おどりミュージアムも営業終了していたので、大人しく徳島駅へと引き返すことになった。

 

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 駅まで戻ってきた後、駅近の居酒屋を探して、一つの大衆酒場に辿り着いた。そこは海鮮がメインの老舗で、地元のサラリーマンや常連客で賑わっていた。

 徳島の居酒屋だが、鰹や鱓など高知を思わせる料理が人気の、四国の様々な味覚が詰まったようなメニューだった。とりあえず生ビールに山水母、鱓の叩きを注文して、ビールを呷りながら鱓を待つ。しばらくしてやってきた鱓叩きは白くてぷりっとした身に薬味も多く盛られていて、新鮮で美味しく、四国以外でほとんど食べられていないのが不思議なくらいだった。その後も鯨ユッケや海鼠ぽん酢といった珍味を食べながら、徳島の地酒をちびちびと啜って、お遍路を始める前にまずは四国の海鮮を堪能した。

 

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 その翌日から2週間の予定で原付をレンタルしていたので、この日はそのまま宿泊するネカフェに向かって、すぐ側のスーパーで酒とつまみを買ってから入店した。決起会の二次会のようなつもりで、一人旅ながらそれなりに飲んでいたら、いつの間にか夜が更けてきて、深夜に就寝することになり、翌日目覚めた頃には昼であった。

 

 真昼間にネカフェを一度退店して原付を受け取りに行こうと思うが、その後に一ヶ所さえ巡礼できるか怪しいくらいの時間であった。乗り潰しも兼ねて、鳴門線に乗って鳴門駅まで行き、まずはそこからバスで少し行ったところにあるバイク屋を訪れた。

 

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 店員にレンタルしに来た旨と氏名などを伝えると、予約してあった50ccのスーパーカブを出してきてくれた。これがこれから2週間の旅を共にする相棒かと初めはテンションが上がったが、原付に乗ったことはあるか、原付講習は受けたかを聞かれ、正直に乗ったことがないと伝えると、店長の表情が険しくなり、場が一気に不穏な空気に包まれた。

 

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 自動車の普通免許のために教習所に通っていた頃は真冬だったためにタイミングが悪いことに原付講習が休講になっており、そのまま原付講習すら受けられないまま普通免許を取得してペーパードライバーになっていたのであった。

 店長が車体の各部位や操作方法などを手早く説明してくれるのを聞いた上でまずは試乗することになったが、なかなかどうして勝手がわからずうまく運転できない。一応原付の各部位と操作方法自体は一通り調べてから来たし、何より公的な免許があるのだからと甘く見ていたことをその時は後悔した。「そんなんやったらあかん、貸されへん、事故んで」などと何度も言われながら店の前の狭いスペースを往復しながらそれなりに長い時間練習をして、ようやくアクセルの捻り具合が少しわかって右左折、転回などが一応できるようになった。それで、いよいよ路上に出て出発することとなったが、最後まで店長には不安そうな顔をされながら送り出されることとなった。

 ところが路上に出てみると、これが意外とすぐに慣れて思い通りに動かせるようになった。やはり狭いスペースでの練習というのが運転をしにくくしているのであって、広い路上に出れば意外と怖くないという、教習所で初めて路上に出た時と同じようなことを思った。

 そんなこんなで何とか普通に乗れるようにはなったが、その頃にはもう時間が遅く、第一番札所の霊山寺にすら間に合わなそうだったので、そのまま国道を南下して数時間前までいたネカフェに戻ってくることとなった。この日は原付講習だけで一日潰れたといった感じか。一抹の不安を覚えながら、また駅前の繁華街の居酒屋に入って、大して何もしてないのに一人で自らを労って、更にまたネカフェの側にあるスーパーで買ったものを飲み食いしたりして、とてもこれから仏道で修行する身とは思えぬ頽廃的な有様であった。お遍路はその翌日に開始されることとなった。

 

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 そして結局翌日も寝坊し、とっくに正午を回って陽が傾いてきた頃に、原付で霊山寺に乗り付けた。

 

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 霊山寺は鳴門市にある八十八ヶ所の第一番の寺であり、多くの人にとってスタート地点となる。ここから第二十三番までが四国の一国目として、「発心の道場」とされる阿波の巡礼路となる。その中でも八十八ヶ所全体の出発地となるここには、お遍路道具が一式揃う門前一番街なる施設が名前の通り門前にある。

 

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 そこでお遍路道具を買おうと物色を始める。まずは納経帳や納め札、線香、蝋燭などを手に取って、見た目で明らかにお遍路さんであるとわかった方がいいかと白衣や輪袈裟を手に取って、笠は流石に嵩張るし邪魔になりそうだとか思いながら自分のスタイルに合った道具を一通り買い物かごに入れた。レジに持っていくと、1万円余ほどした。念珠は略式のものだが持参してきたもので済ませることにしたとはいえ、やはりそれなりの額ではあった。

 

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 それらを整理して鞄に入れようと外のベンチで整理し始めた。元からそこまで大きな鞄ではなくて、そこに既に着替えなどが詰められていたので空きは多くはなかったが、何とか入りそうで安心した。

 それを確認すると、お線香と蝋燭をあげ、納め札と賽銭を入れ、仏前で拝み、納経帳に納経してもらうという一連の流れを念のため確認してから、霊山寺の本堂と大師堂で手を合わせた。お経は長くて読んでいる時間がないと思って省略することになってしまったが、せめて宿泊地で読もうとは思った

 

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 そして納経所で行き、まだ真新しい納経帳を差し出した。筆に染み込ませた墨で鮮やかに梵字などを書いてもらい、いくつかの朱印を押してもらう納経の様子を初めて見ながら、いよいよ遍路修行の旅が始まったのだと気を引き締めた。最後に、弘法大師御誕生1250年記念事業ということで令和6年末まで押される予定の青いスタンプが押され、更に本尊の描かれた御影の他にその事業の期間中だけと思われるカラーイラストで弘法大師の生涯のワンシーンを切り取ったカードまで貰えた。これで一連の流れを経たので、第一番での参拝が終わった。

 その頃には既に納経所の受付が終わる17時が近く、第二番にすら間に合わなそうな時間帯だったので、また原付を走らせて徳島市まで戻った。しかしこの日は徳島駅に近いところではなく、そこから数kmほど西側の店舗に原付を停め、翌日の走行距離を少しでも少なくしようとした。

 そこは郊外なので近くに飲食店もあまりなく、また前日までの放蕩を反省する気持ちもあって、近くのスーパーで軽い夕食を買うだけに留めた。早めに就寝し、翌日からはペースよく寺々を巡っていこうとコンディションを整えた。

 

 次の日は早朝の6時台に出発した。まだ微妙に慣れぬ原付に跨って、朝焼けを浴びながらまた鳴門市内へ、第二番札所極楽寺へと辿り着いた。

 

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 そこからはとんとん拍子で板野町にある金泉寺大日寺地蔵寺、上板町にある安楽寺阿波市にある十楽寺熊谷寺法輪寺までを一気に回った。ここまでは狭い区間に密集しており、地形的にも平坦だったので、お遍路は思ったより楽なものなのかもしれないと勘違いしそうになった。途中からは白衣と輪袈裟も羽織り、本格的にお遍路さんといった見た目になり、すれ違うお遍路さんに挨拶されることが増えたので、挨拶を返して旅の安全を願った。大抵の人は車で来ていた。

 

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 その次にある第十番の切幡寺は少し険しそうな道であった。第九番法輪寺で休憩した後、切幡寺の駐車場に原付を停めると、厄除けの階段を上っていった。上り切ったところの本堂と大師堂が最奥かと思えば、その奥を更に上ったところに切幡寺大塔があり、上からの眺望も素晴らしいという。体力的に少し迷ったが、この辺りに詳しそうなおじさんが是非上まで行ってみてほしいというので、その人と一緒に階段を上った。

 

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 上に辿り着くと、立派な塔が聳えており、反対側を見ると徳島平野を一望できた。「綺麗でしょう」とおじさんが笑う。そして平野の真ん中を通る吉野川の向こうにある「遍路ころがし」と呼ばれる難所・焼山寺へ至る道について教えてくれた。

 

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 階段を下りて、感謝を述べて切幡寺を去ると、吉野川を渡った先の吉野川市にある第十一番の藤井寺に参拝し、そしていよいよ八十八ヶ所中でも有数の難所とされる第十二番札所焼山寺へと向かうこととなった。

 

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 それは吉野川市より南の神山町の山中にあり、境内までは長い葛折りの山道が続く。寺のある山道に至るまでの間にも1時間ほど山道をずっと南下していき、途中、集落を通過しながらようやく細く急な山道の入口に辿り着いた。そこからもまだ4kmほどの道をくねくねと曲がり続けながら少しずつ上っていく必要がある。駐車場に到着した頃には16時を回っていた。

 

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 駐車場からも10分程度徒歩の山道があり、最後まで険しい道を上り切って、ようやく本堂や大師堂のある境内まで辿り着いた。ここで一連の流れを終えて納経していただいた頃には、次の寺に行くにはあまりに遅い時間であった。遍路ころがしの名に恥じぬ、一ヶ所だけ極端に遠い寺であった。

 

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 そこからまた長い間山道を下って前日と同じネカフェに辿り着くと、近くのスーパーで酒とつまみを買って、まだ慣れない中一日中動き回った自分を労いながら晩酌を傾けた。翌日は徳島県内の最南の寺まで辿り着くことを目標にしながら、早めに就寝した。

 

 翌日は早起きして、納経所が開く7時より前に第十三番の大日寺に到着した。それでも既にお遍路さんが何人かいて、巡礼を開始しているようであった。随分と早い時間から活動している人は他にもたくさんいるものだと思いつつ、私も7時になる前にお参りを済ませて、7時になるとすぐに納経をしてもらった。

 

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 そこから第十七番までは徳島市内にあるので、常楽寺国分寺、観音寺、井戸寺までテンポよく回った。その次は南下して小松島市にある恩山寺立江寺を巡礼。ここまでは平地にあって比較的訪れやすい寺社であるが、その次の二つは山奥にあって、難所と呼んでいいだろう。

 

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 小松島市から西へ、山間部へと入っていく。1時間近くかけて、勝浦町にある鶴林寺へと辿り着いた。ここはまた集落からも離れて山の上へと行かねばならないところであった。駐車場から階段を上った先の本道は、両側に青銅の鶴の像があり、まさに名前の通りである。第二十番なので何となく切りのいい数字に感じられるが、遍路道としては中途半端な位置であった。

 

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 次の太龍寺こそ八十八ヶ所の中でも有数の難所と言われる寺である。難所であるがゆえに、ここにはロープウェイが存在する。四国ケーブルは香川・徳島に3つの路線を持っており、太龍寺ロープウェイはその一つである。

 ロープウェイの山麓駅は那賀町の道の駅鷲の里に併設されている。そこを目指して那賀川沿いの眺めのいい県道を南下していく。山麓駅に着いた頃くらいから雨が降り始めたので、足早に道の駅に入ってロープウェイの往復チケットを買い、次の便を待った。

 

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 やがてロープウェイの改札が開始され、ロープウェイに乗り込んだ。ロープウェイが動き出すと、ずっと高いところまで上っていって、2つの山を越えていくという。2つの山頂の間で少し弛んでいるような形になっているロープ区間で反対側の車両とすれ違うと、次の山頂を越えた後、斜め下に進んで太龍寺に着いた。

 

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 太龍寺では雨が降っていたので、ロープウェイ駅で傘の貸出があった。そこで傘を借りて、差しながら階段を上っていった。上りきった所で本堂と大師堂を参拝して納経を済ませると、次の寺へ行こうとすぐにロープウェイで折り返した。

 

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 次に向かうは阿南市平等寺である。太龍寺も寺自体は阿南市にあるが、こちらはもう少し人の住んでいるところまで東に行ったところにある。平等寺の参拝を済ませると、次はいよいよ(雲辺寺を除き)徳島県最後の寺となる第二十三番、美波町薬王寺である。

 

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 何とか間に合いそうだったので薬王寺まで原付で乗り付け、16時半頃に参拝と納経を済ませた。天気は再び雨になったので、薬王寺の側にある薬王寺温泉に入って、室内でゆっくりしながら服が乾くのを待った。

 

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 ところで、この日の宿をまだ決めていなかったのであったが、外は雨が強まっており、これ以上移動する気も起きなかったので、この日和佐地区で宿を探すことにした。かなりぎりぎりの時間であったが、何とか一つ民宿を見つけ、そこまで向かった。

 木造建築で畳の情緒溢れる宿に着くと、直前に予約したにもかかわらず好意的に迎えてくれてほっとした。一人で泊まるには広すぎるような和室を一つ与えられ、そこに荷物を置いて、濡れた衣類をハンガーにかけて翌日までに乾くようにすると、一息吐いた。

 しばらく休むと、徳島走破記念に居酒屋に行こうと日和佐のより中心に近いところまで少し歩いて、地元の居酒屋に入店した。店内には常連客の他に、白人のお遍路さん二人組がカウンターに座っていた。私はテーブルに通してもらえ、一人ながら広い席でゆったりできた。

 美味しそうな地物を食べようと、鶏の生レバ刺や魚介の刺身盛り合わせなどを注文して、それらを摘みながらビールを飲んだ。生ものが好きなので、それらを堪能できて非常に満たされた晩酌であった。

 

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 最後にコンビニで酒などを少し追加で買って、宿で翌日の納め札を書くなどの準備をしながら新ジャンルの発泡酒を飲んで、日付の変わらないうちに布団に入った。次の第二十四番からは高知県に入るが、それがある室戸岬まではかなりの距離がある。7時にそこまで辿り着こうと思うとかなり朝早く、日の出前に出発する必要があった。次の高知県は一番広いのに一番寺の数が少なく、過酷な修行道である。距離にすればまだ1/4すら行けておらず、先は長いということを肝に銘じて就寝した。

 

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