潮風に導かれ…… 〜くろえの旅行記〜

小説のような旅行記を。

茨城・福島・山形旅行

 上野は東京の北の玄関口と言われるが、東京から見れば北関東・東北への玄関口でもあると思う。ここから水戸・宇都宮・高崎へと路線が伸びているからだ。厳密には常磐線の起点は日暮里、宇都宮線東北本線で起点は東京、高崎線の起点は大宮であるが、運転系統上はやはり上野中心であると思う。今回も上野が出発点だ。

 上野から常磐線に乗って水戸へ行った。水戸は宇都宮・高崎には劣るものの大きな駅だ。ここから水郡線に乗る。水郡線は水戸と郡山を結ぶ山間の路線で、2021年春に台風による損傷を修復し全線再開した。そして水郡線に乗って、上菅谷で乗り換え、まずは常陸太田駅に行った。太田支線の乗り潰しである。

 

 

 折り返して上菅谷から袋田に向かう予定だったが、水郡線が遅延して袋田駅から袋田の滝に行くバスに間に合わなくなってしまった。これは悔しかったが、仕方ない。結局、袋田で降りることはなく、そのまま水郡線で郡山まで行った。茨城観光がなしになってしまった。悔しいので、タイトルにはさも茨城も観光したかのように書いておく。

 さて、郡山から磐越東線に乗っていわきを目指す。水戸から常磐線で行けばいいものを、とんだ遠回りをしたものである。まずは小野新町行に乗って、そこで1時間くらい待ってようやくいわき行が来た。いわきに着いた頃には完全に夜だった。一日移動だけで終わってしまった。いわきのネカフェに泊まって、2日目以降の旅の成功を祈った。

 

 

 

 2日目はいわき駅から常磐線に乗って、泉駅で降りた。泉駅は小名浜地区の最寄駅であり、土日祝に限ってイオンモールいわき小名浜へ行く無料のシャトルバスが走っている。その無料シャトルバスに乗り、小名浜を目指す。シャトルバスは高速バスのような造りだった。

 

 

 イオンモールの前で降ろされると、アクアマリンふくしまに向かって歩いた。アクアマリンふくしまは大きな水族館で、多種多様な魚に加えて陸上の動物も展示されており、釣りが体験できるエリアや子供が遊べる遊具のあるエリアまであり、複合的な施設だった。

 

 

 チケットを買って順路に沿っていくと、最初は水族館ではなくわくわく里山・縄文の里に通され、ネズミやタヌキや昆虫などの展示と、滝などの写真展が開かれていた。

 

 

 その後、水族館本館に入り、最初は生命の進化を辿るエリアがあった。それからエレベーターで上に行き、福島の川と潮目の海のエリアに着いた。潮目の海というのはアクアマリンふくしまのテーマで、黒潮親潮が流れ込む潮目をイメージしたものらしい。ここでは世界でここでしか見られないというバショウカジキも展示されていた。

 

 

 

 

 その次は北の海の海獣・海鳥のエリアで、トドやアザラシ、エトピリカウミガラスへの給餌が行われていた。特にトドの給餌は迫力があった。ウミガラスはペンギンとよく間違えられるとのことだった。

 

 

 

 次はクジラの骨や捕鯨の歴史を展示するエリアがあり、化石の展示やプラスチックごみに関する展示もあった。

 

 

 その先には熱帯アジアの展示があり、熱帯雨林を模した空間の中に魚だけでなく爬虫類の展示もあった。世界で初めてヤエヤマノコギリハゼの繁殖に成功したらしい。

 

 

 その奥にはサンゴ礁の海が再現されており、カラフルな熱帯魚やチンアナゴなどが泳いでいた。やはり熱帯魚の鮮やかさには目を瞠るものがあった。

 

 

 

 段々下へと下りていって、潮目の海の下側に来た。そこには寿司屋があり、水族館の魚を見ながら寿司を食べられるようだった。これは面白い企画だと思った。潮目の海の下には三角柱の通り道があり、優雅に泳ぐ様々な魚を下からも横からも見ることができた。

 

 

 

 その奥には親潮アイスボックスというエリアがあり、北方のクジラやヤドカリやエビなどが展示されていた。知床から取ってきたものが多く、希少な種類も多いらしかった。

 

 

 アクアマリンふくしまには初繁殖認定された魚も多いらしく、たくさんの表彰を受けていた。

 

 

 ここまで来てようやく本館の常設展示は終わり、食堂やショップのある場所に着いた。その外には釣り場や遊具などがあり、展望台もあった。展望台で屋上に上がると、小名浜港一帯や太平洋、マリンタワーを臨むことができた。

 

 

 

 蛇の目ビーチという子供が水辺で遊べるエリアをぐるっと回ると入口に戻ってきた。そこには絵本すいぞくかんなる展示があり、「スイミー」に因んだクラゲや小魚がいた。それを見終わると、ようやく本館のすべての展示を見終えたことになる。思ったより長く充実した展示で、楽しむことができた。

 

 

 外に出ると、更に金魚館があって、流石に疲れてきていたが様々な模様や形態の金魚を観察した。その外では鯉の餌やりもできるようだった。

 

 

 アクアマリンふくしまを出ると、小名浜港の遊歩道沿いを歩いた。釣りをしている人が多くいた。ここで一休憩して、海を眺めていた。

 

 

 その後はお土産が売られているといういわき・ら・ら・ミュウに行って少しお土産を眺めた。この頃には乗りたい帰りのバスの時間が近づいていた。いそいそとバス停に戻り、シャトルバスで泉駅まで戻って、しばらくして来た常磐線いわき駅まで戻った。

 

 

 いわき駅前のラトブでお土産を物色した後、磐越東線に乗って郡山へ。そこから更に東北本線で福島に行った。福島に着くと、福島交通飯坂線の改札へ向かった。飯坂温泉に行くのだ。

 

 

 JRの1番線ホームから続く改札口へ向かって、いい電1日フリーきっぷを買った。ホームは福島交通阿武隈急行の共同ホームとなっていて、反対側に先に阿武隈急行の車両が来た。それを見送ると、次は飯坂線の車両が入線してきた。ちょうど夜の帰宅の時間で利用者は双方ともそこそこいた。私は飯坂線の車両に乗り込んだ。因みに、飯坂線にも泉駅があった。

 

 

 飯坂温泉駅に着くと、駅近の温泉を目指して歩く。飯坂温泉は熱いのが売りらしいが、あまり熱い温泉は得意ではないので、温めの温泉があるところを選んだ。いい電1日フリーきっぷには飯坂温泉共同浴場9ヶ所のどれか一つに入れるチケットが付いている。それを使って入浴した。因みに、切符を使い終わった後は栞として使うよう書かれてあり、なかなか粋な企画だと思った。

 

 

 浴槽は2つあり、熱い方は源泉で45℃、温い方は加水で42℃であった。この45℃でも熱すぎるのに、飯坂では熱い方ではないというのが驚きである。私は温い方に浸かってのぼせないように注意した。後で脱衣所の貼り紙を見ると、60℃超えの温泉まであるようで、それは最早死人が出るレベルなのではないかと思った。

 

 

 温泉を出ると、周囲を少し散策する。紅葉が始まりつつあった。あまり時間がなかったので旧堀切邸とかには行けなかった。再訪したい温泉街である。

 

 

 飯坂線で折り返して福島駅に戻ると、そこから奥羽本線山形線)米沢行に乗り込んだ。次の日は朝早くから米沢で活動するので、前日入りだ。米沢に着いたら、ネカフェまでの長い道を歩き続けた。途中でふと空を見上げると、いつもより星が多く、輝いて見えた。

 

 

 

 3日目は5時台から動き出して、上杉神社に向けて歩き続けた。かなり長い距離を歩いて、上杉神社の表参道に辿り着く。上杉神社は米沢城跡に建つ、上杉謙信を祭神とする神社だ。その手前には摂社の松岬神社もある。また、元は城なので堀もある。大鳥居の前で礼をして境内に入ると、立派な社殿が顔を出す。とりあえず参拝。復路で小さな池を発見した。これも庭園なのだろうか。

 

 

 

 

 ここから米沢駅に戻るのだが、時間がギリギリだった。駅は思ったより遠く、かなり歩かなければならない。早足で歩いていると、汗をかいてきた。何とか間に合って、奥羽本線山形行に乗った。

 山形駅でしばしの待ち時間があったので、お土産でも見ようかと思ったが、朝早すぎてエスパルは開いてなかった。改札前にも土産物コーナーはあるので、そこを少し冷やかした。

 次は新庄行に乗って、大石田駅で降りた。尾花沢市銀山温泉への玄関口だ。ここからはながさバス銀山線に乗り、銀山温泉を目指す。バスは運賃前払い制、高速バスのような4列シートで、満席になるくらい人が乗っていた。

 

 

 30分強くらいで銀山温泉に到着。バス停から畝った坂道を少し下って、大正浪漫溢れる銀山川沿いの温泉街が顔を出した。

 

 

 まずは温泉街を散策して、奥にある白銀の滝まで行った。滝は勢いよく流れ落ちており、迫力があった。その後は銀山川沿いに設置されている足湯に浸かった。また、古山閣には鏝絵なるものが飾られており、季節ごとの風情ある風景が描かれていた。

 

 

 

 その後はいよいよ入浴。隈研吾が建築したという共同浴場に足を運んだ。中は狭く、定員は3名でこぢんまりとしていたが、硫黄臭のする温泉は適度に熱くて心地よかった。

 

 

 温泉から上がると、雨が降り始めていた。近くの土産物屋で雨宿りがてらお土産を物色し、ここで買うことに決めた。お土産を買い終えても雨が止む様子はないので、傘を差してバス停まで戻った。

 バス停には簡易な待合室があり、そこに座って煙草を吹かしていると、少しずつ人が集まってきた。結局、1時間くらい待って、ようやく来た大石田駅行のバスに乗り込めた。

 大石田でまた待ち時間があって、山形行の列車がやってきた。それに乗り山形に着くと、また長い待ち時間。適当にエスパルを冷やかして、米沢行の列車に乗った。

 来た道を完全に戻っているが、これには時間的な都合があってこうなっている。移動距離が無駄に伸びて非効率だが仕方ない。流石に米沢まで戻ることはなく、次は赤湯で降りた。南陽市の中心駅である。

 

 

 赤湯はラーメンと温泉が有名だ。まずは赤湯ラーメンを食べに行った。日が暮れてきた頃に店に着くと、数組の客が待っていた。幸いすぐに店内には入れ、ベンチソファーに座って待った。先に注文を取られ、しばらくして席に通される。

 注文した赤湯からみそラーメンがテーブルに置かれた。ラーメンの上に乗っている辛味噌の塊が印象的で、これをスープに溶かしながら食べていく。油も多めのスープは程よい辛さで美味しかった。中太の縮れ麺も私好みであった。

 

 

 ラーメンを食べ終わると、次は温泉へ。何だか温泉ばかり入っている気がするが、たまたまである。温泉街に着くと、観光案内所に足湯が設置されており、それに隣接する形で共同浴場があった。

 

 

 共同浴場では2つの湯が楽しめた。浴場には仄かな硫黄臭が漂い、雰囲気がいい。一方の湯は熱くて私は一瞬しか入れなかったが、もう一方の湯はさほど熱くなくゆっくり浸かることができた。極楽である。

 

 

 温泉を出ると、真っ直ぐ赤湯駅に戻った。駅の待合室にはワインなどの特産品が並べられていた。やがてやってきた山形行に乗り、また来た道を折り返した。

 山形駅に着くと、仙山線仙台行がもう既に待機していた。出発までまだかなり時間があったが、とりあえず乗り込んでおく。旅の思い出を振り返りながら待っていると、発射時刻が来て、仙台へ向けて走り出した。

 仙台駅に着くと、東口から出て夜行バスの乗り場に向かった。そう、この旅は3日に収まり切っていないのである。最後は夜行バスに乗って東京に帰ることになっていたし、その分の運賃もかかっているので、実質的には3泊4日のようなものである。

 しばし待っていると、乗る予定の夜行バスがやってきて、それに乗り込んだ。疲れていたからか、夜行バスでもぐっすり眠ることができた。目覚めたら、新宿に着いていた。バスから降りて、新宿駅の方へと歩いていった。

甲信・常総・群馬旅行

 秋の乗り放題パスを使って、東京を中心に右往左往していちいち家に帰ってくることで宿泊費を浮かせる旅を計画したのは、出発の前日だった。突発的な思いつきで旅を始めてしまうのが旅人の性である。旅は自由奔放でなければならないと思っている。だからこれは独立した三つの旅の日記である。

 中央特快で高尾まで行くと、次は大月行に乗って、更に小淵沢行に乗った。小淵沢が初日の旅の出発地と言っていい。小海線が主役の旅だ。

 

 

 小海線は日本一標高の高い路線である。長野県南牧村野辺山駅が日本一標高の高い駅で、山梨県北杜市にある二番目に標高の高い清里駅との間に最高地点(1375m)がある。その上を観光列車である快速HIGH RAIL 1375が走っている。小海線の終点・小諸駅に向けて、私はそれに乗ることにした。

 HIGH RAIL 1375は快速で全席指定席なので、今回の秋の乗り放題パス18きっぷなどに指定席券だけを足せば乗ることができる。えきねっとで指定席を予約し、大月駅で乗換待ちの間に発券しておいたものを駅員に提示して、車両に乗り込んだ。

 

 

 標高が高い、すなわち空に近いことから星空をテーマにしている小海線なので、車内には天体に関する書籍やプラネタリウムなどがあった。また、車内販売もあり、車内に土産物屋があるような感じだった。

 

 

 

 やがて2時間ちょっとの観光列車の旅が始まった。列車は快速なので途中駅をどんどん飛ばし、しばらくして清里駅に着いた。ここで一旦降りて写真を撮ったりする時間が与えられる。標高は1274m、最高地点より100m程低い位置にある。それでも標高が高いので涼しく感じられた。そして列車は次の野辺山駅へ向けて発車した。

 

 

 ここからいよいよ最高地点を通る。最高地点が近づくと、それを示す柱が見えるとのアナウンスがなされた。一瞬だったが確かにそれを見ることができた。今まで東西南北の果てまで行ってきたが、上への果てにも到達したことになる。

 やがて野辺山駅に着くと、ここでも写真を撮る時間が与えられる。ここでは駅員が記念撮影をするサービスを行っていた。標高は1345m。日本一高い駅であることがアピールされていた。

 

 

 

 野辺山を過ぎると、後は普通の快速として走り続ける。小諸駅に着いて、観光列車の旅は終わった。ところで、旅程では小諸に滞在できる時間が長くない。急いで小諸城址・懐古園に向かった。

 

 

 懐古園は城跡と博物館や美術館、動物園まで併設した複合的な施設である。まずは天守台を目指し階段を上っていく。本丸には懐古神社があり、そこに参拝した。その後、神社の裏から天守台に上った。天守台からは庭園の一部を見下ろすことができるが、特別眺望のいい場所という程ではない。天守台を下りると、次は動物園の方へと向かった。

 

 

 

 動物園は小規模ながら様々な動物がいて、我々を楽しませてくれる。急ぎ足でそれらを見ていった。ポニーやペンギンはとりわけ人気が高いように見受けられた。

 

 

 

 動物園を後にすると、最後に本陣主屋と大手門を見に行った。時間がなくて本陣主屋の中を見学できなかったのが悔やまれるが、旅程に少し無理があるので仕方がない。早足で小諸駅へと戻った。そしてしなの鉄道上田駅に行くために切符を買った。

 

 

 

 ちなみに小諸はアニメ「あの夏で待ってる」の聖地である。もう放送から10年も経過しているのに、未だにポスターがあちこちに貼られており、タペストリーもあり、地元民の作品への愛が感じられた。こういう町おこしはやはりいいものである。

 

 

 しなの鉄道は元々は信越本線だったものが三セクに移管されたものである。それに乗り上田駅で降りると、次は上田名物らしい馬肉うどんを食べに行った。馬肉が乗っているだけでなく、出汁も馬肉から取っているらしい。上田に馬肉の文化が根付いていることが窺える。こしのある美味しいうどんだった。

 

 

 

 店を出て、次は上田城に向かった。上田城は真田氏と関わりの深い城で、天守などは再建されてないが、二つの櫓と一つの櫓門が再建されている。櫓への入場券を購入し、眞田神社に参拝した後、櫓の内部を見学した。

 

 

 

 二つの櫓は二階建て、その間を櫓門が繋いでいる。順路に沿って甲冑や瓦や写真などを見て回った。時間がなかったので、上映されていた城の紹介映像はろくに見ることができなかった。やはり旅程に無理があった。

 最後に旧北国街道の柳町を見ていくことにした。城の出口からは10分ほど歩いたところにある。柳町は往時の宿場町の風景を保ったような風情のある町並みだった。そこを通りつつ駅へと向かう。

 

 

 時間がなくて、最後は上田駅まで走る羽目になってしまった。気温も下がりつつあるというのに、夏の時のように汗をかきながら何とかしなの鉄道小諸行に乗った。ここからは来た道をそのまま引き返すだけである。帰りの小海線普通列車に乗った。

 

 2日目は始発に近い程の早朝から中央・総武緩行線に乗って千葉へ向かい、そこから総武本線銚子行に乗り込んだ。

 寝ているうちに銚子に着いて、次は銚子電鉄に乗る。一日乗車券を購入し、レトロな車両に乗り込むと、車内はピンク色でたくさんの風船やぬいぐるみなどが置いてあった。これには度肝を抜かれた。車内の広告を見ると、「アイドルマスターSideM」と岩下の新生姜銚子電鉄のコラボということだった。S.E.Mともふもふえんのキャラクターが描かれていた。

 

 

 

 列車に乗っていると、随所に観光案内のアナウンスが入る。緑のトンネルや髪毛黒生駅(笠上黒生駅)など見所がいっぱいだ。そして犬吠駅で降りた。

 

 

 犬吠駅犬吠埼灯台の最寄駅で、駅舎には土産物屋も入っている。ここにもS.E.Mのパネルや、「はたらく魔王さま!」のキャラクターのパネルがあった(テレビアニメ2期で銚子が出てきたため)。いかに銚子電鉄が観光に力を入れているかがよくわかった。

 

 

 

 ぬれ煎餅を買い、犬吠埼灯台に向けて歩き出した。しばらくすると、灯台と壮大な太平洋の荒波が見えてきた。一帯は銚子ジオパークであり、白亜紀の地層も見られた。海風が強く吹いていた。

 

 

 灯台の中に入ると、螺旋階段が続いていた。狭い階段を人とのすれ違いに注意しながら上っていくと、やがて展望台に着いた。あまりに海風が強く吹きつけるので参ったが、展望台から見える太平洋沿岸の景色は絶景だった。展望台をぐるっと一周して存分に海を楽しんだ。

 

 

 灯台を下りると、併設されている資料館に行った。歴史を解説したパネルや、巨大なレンズなどが展示されていた。また別の建物には、濃霧の時に道標となる音を鳴らす機械も置かれてあった。灯台というものをここまでじっくり見たのは初めてだった。流石世界灯台100選に選ばれているだけのことはある。

 

 

 灯台を後にすると、犬吠駅に戻り、外川まで一駅乗った。外川駅は木造でレトロな風情のある駅舎だ。一頻り写真を撮ると、折り返し銚子行に乗った。これで銚子電鉄は完乗、銚子電鉄の旅を十二分に楽しめた。

 銚子に戻ると成田線で佐原へ向かう。これは偶然なのだが、この日佐原では祭りが開催されていた。佐原駅前には多くの人がいたし、チーバくんもいた。少し時間があったので観光案内所で香取市コミュニティバスの一日フリー乗車券を購入した。しかし、これで香取神宮に行くのは後の話。

 

 

 佐原駅に戻って、鹿島線に乗り込んだ。鹿島神宮駅で降りると、坂を上って鹿島神宮を目指す。鹿島神宮常陸国一宮だ。少し行くと表参道に店舗が軒を連ねているのが見えた。その中を進んで神宮の境内に入った。

 

 

 森の中の参道を進むと、朱色の総門が顔を見せた。それを潜ると社殿があるのだが、残念ながら工事中のようだった。それでも参拝はできるようになっているので、行列に並び、二礼二拍手一礼する。その後、奥宮の方へ進んだが、そこにも行列ができていて、時間がなかったので参ることはできなかった。

 

 

 

 奥宮を見終わると、鹿が飼われているのを見たりしてから駅へと戻った。何とか間に合って、鹿島線佐原行に乗った。佐原に戻ってくると、次は香取神宮だ。先程買った切符を使ってコミュニティバスに乗った。

 

 

 香取神宮下総国一宮である。バス停に着くと、歓迎の文字が目に入った。参道には同様にたくさんの店が出ており、団子などを売っていた。奥へ進むと、鳥居があって、一礼して中に入るとまた森の中を進んだ。

 

 

 

 こちらにも鳥居と朱色の総門があり、その先に拝殿があった。こちらは工事中とかではなくてほっとした。行列に並んで、参拝。その後は摂末社を見て回り、要石などを見た。そして再びコミュニティバスに乗って、佐原駅に戻った。

 

 

 佐原駅からすぐのところから多くの出店が並んでおり、祭りを見にきた人でごった返していた。佐原の大祭は関東三大祭りの一つに数えられ、世界無形文化遺産にも登録されているという。その中を進むと、山車とその上に乗る大人形が見えてきた。山車がのの字に回るのがこの祭りの見せ場らしい。それを運よく見ることができた。

 

 

 その後は今夏食べることのなかったかき氷を夏のやり残しとして食べ、小江戸・佐原の風景、小野川の両岸に木造建築が並ぶ町並みを見に行った。見事な木造建築の並びと、川を進む小舟、柳の木が調和して、さながらタイムスリップしたような景色があった。その中に伊能忠敬旧宅があったので、そこも見学した。

 

 

 

 伊能忠敬は佐原で酒造業を営んでいたという。その後、測量の旅に出て日本地図を作り上げたようだ。佐原の偉人として、駅前にも像があったことを思い出した。

 小野川沿いに踏切の辺りまで歩いて行き、そこから駅に戻った。北総・鹿行エリアの旅はこれで終わりである。成田線成田行に乗って成田まで行き、成田線から横須賀・総武快速線久里浜行に直通する電車に乗って、帰路に就いた。

 

 3日目は群馬を目指す。群馬と言えば名湯が多く存在することで知られる。群馬の名湯巡りの旅だ。

 始発の高崎線に乗って、北進する。大宮辺りから意外と乗客が多くなってきた。そのまま座ってゲームをしていると、高崎駅に着いた。

 最初に向かうのはかの有名な草津温泉吾妻線長野原草津口駅からバスに乗って行くことができる。高崎から上越線経由吾妻線直通長野原草津口駅行に乗った。4両編成だったが、そんなにいるだろうかと思う程空いていた。

 長野原草津口に着くと、すぐにバスに乗り換える。JRバス関東草津温泉行だ。バス代は710円と少し高いが仕方がない。ICカードをタッチしてバスに乗った。内部は高速バスのような造りだった。

 

 

 

 草津温泉に着くと、まずは有名な湯畑を見に行くことにした。湯畑からは湯気が立ち込めており、草津温泉の顔とも言える光景に見惚れた。

 

 

 湯畑を少し眺めた後、その目の前にある共同浴場へ。脱衣所と風呂場に仕切りがない構造で、洗い場もないが、無料で入れるというありがたい温泉だ。二つの湯船があり、一つは熱すぎて入れたものではなかったが、もう一つは何とか入ることができた。それでもすぐのぼせそうになったので、早々に温泉から出た。硫黄臭の強い泉質だった。

 

 

 温泉から上がると、温泉街を散策した。湯畑には常時熱湯が流れ続けており、滝になっている場所も見所の一つだった。土産物屋や食べ歩きのできる店も多く、多くの観光客がいた。そこでお土産を買い、最後に湯もみと踊りのショーを見ることにした。

 

 

 

 建物内に小さな湯畑があり、そこで木の板を使って湯を冷ますショーと、草津に伝わる踊りを披露してくれた。「ちょいな、ちょいな」という掛け声が印象的だった。ショーの値段は少々高かったが、見られてよかったと思った。

 

 

 帰りのバスは混んでいた。長野原草津口行のバスにずらりと行列ができており、同じ時間に何台ものバスが出た。最初の一つに乗れなくて少し焦ったが、次に来た奴にすぐ乗れたので事なきを得た。

 長野原草津口に着くと、列車が来るまでの待ち時間にお土産を物色したりして過ごした。吾妻線新前橋行が来て、吾妻線の起点である渋川駅で降りた。ここから伊香保温泉に向かうのである。

 

 

 バスは既に止まっていて、乗り込むとすぐに発車した。関越交通のバスで、ICカードも使えるので便利だ。そして、伊香保温泉の景観として有名な石段の下で下車した。

 

 

 365段あるらしい石段を見上げると、こちらも多くの観光客がいた。石段を少し上って、温泉に入った。伊香保温泉の泉質は普通で、温度も程よく入りやすかった。こちらは有料だが洗い場もあるので設備としては優れている。

 

 

 温泉から出ると、更に石段街を上へ上へと進んでいく。石段街にはたくさんの店が軒を連ね、食べ歩きしている人も多くいた。途中で振り返ると、伊香保から渋川に続く街並みが見えて美しかった。賑々しい温泉街の雰囲気に浸りながら、石段を最上段まで上ると、伊香保神社に着いた。

 

 

 

 

 

 伊香保神社に参拝し、頂上のベンチで一休み。その後は往路とは違う頂上側のバス停に向かった。しばらくバスを待って、渋川駅行のバスに乗った。渋川に着くと、すぐに上越線高崎行が来て、高崎ですぐに高崎線に乗り換える。温泉で体も心もリフレッシュされた満足感を覚えながら、東京へと帰った。3日間で普段通過することのない盲腸線を行き帰りすることができたので、ずっと行ってみたかったところを無事回収できた。忙しないが楽しい旅が終わった。

知床旅行

 知床。それは日本の一つの果てと言っていいだろう。複雑な食物連鎖が維持され、ダイナミックな自然の運動を見ることができる最果ての秘境である。2005年に世界自然遺産に登録された。そんな魅力的な場所に行かない手はないだろう。上野駅から遠く北海道を想った。

 なお、知床が登場するのはこの記事の後半だ。それを期待して閲覧してくれた読者は前半を読み飛ばしていただいても構わない。今回の旅の主役はあくまで知床なのだから。

「ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく」という詩がある。これは岩手出身の石川啄木が東北方面からの東京の玄関口である上野駅で東北の方言を聞いて郷愁に浸っている詩とされる。だが、今や上野駅で東北の言葉を聞くこともない。それならば、聞きに行くまでだ。

 北海道&東日本パスを使い、宇都宮線に乗って宇都宮まで行き、黒磯行に乗り換える。更に黒磯から新白河へ。そして一駅進んで白河駅に辿り着いた。

 

 

 白河駅は風情のある駅舎だった。そこから左へ行ったところにこみね・ふれあい通りという地下道がある。ここを潜れば白河小峰城は目の前だ。それ以前に駅のホームから見えると言ってしまえばそれまでだが。

 城山公園に入り、白河小峰城の三重櫓を目指す。平山城なので、多少の階段を上らねばならない。それを上っていくと、立派な櫓門と三重櫓(実質的な天守)がある。東日本には三重櫓などが実質的な天守の役割を果たしていた例が多いらしい。

 

 

 三重櫓は正方形を成しており、上の階に行くごとに狭くなっていく。最上階は狭く、展望台もないのでいい景色を写真に収めることも難しかった。だが、白河小峰城は木造建築で、後に木造で天守を復元する運動の先駆けとなった重要な建築物だ。戊辰戦争の弾痕が残る柱や急勾配の階段などはより忠実に復元しようとした思いの強さを感じ取れる。

 城を後にすると、本丸の石垣の周りを一周した。東日本大震災で崩落した石垣の修復工事の様子が展示されていた。白河市は内陸にあるので津波の影響はないだろうが、それでも震災の衝撃は大きかったであろう。無事復元された姿を見ることができたのは僥倖だった。

 

 

 その後は小峰城歴史館に向かった。歴史などの展示は城郭内にはあまりなく、主にここで行っているようだ。特別企画展では、松平定信渋沢栄一に纏わる展示がされてあった。松平定信白河小峰城と関わりが深く、渋沢栄一は彼を尊敬していたようだった。

 

 

 歴史館を見終わると、駅前に戻った。煙草を吹かしていると、次の郡山行の車両の発車時刻が迫ってきた。それに乗って郡山に着くと、間もなく福島行の発車となる。それで終点の福島まで乗っていった。

 

 

 福島駅に着くと、街は多くの人で賑わっていた。その中を抜けて、福島名物らしい餃子を頂く。餃子と言えば宇都宮と浜松が有名だが、福島もそれなりに名が通っているらしい。せっかくなので名物の円盤餃子を食べたかったが、少食なので半皿にした。

 

 

 餃子は皮がパリッとしていて美味しかった。あっという間に平らげると、会計を済ませ、店を出る。次は福島の街中を散歩しようと適当に歩き出した。閉店した百貨店である中合(再開発計画はある)を初めとして、様々な店舗が軒を連ねる。その中を進んでいくと、福島稲荷神社に辿り着いた。

 

 

 福島稲荷神社も歴史の古い神社らしく、檜の鳥居が目を引いた。願いを込めて参拝し、周辺を散策する。絵馬には色んな願いが込められていた。私はそんな絵馬を読むのが好きだ。

 稲荷神社を後にして引き返すと、文化通りなる小洒落た通りに入った。そこを進んで真っ直ぐ駅へ戻る。中心市街地のある東口から西口へと連絡通路を通り抜けて、西口のバスターミナルに来た。次の車両はここから発車する。

 

 

 福島駅では在来線と新幹線を繋ぐアプローチを建設するための工事が行われており、その影響で3月頃から福島〜庭坂間が日中代行バスになっている。西口バスターミナルに来ると、奥羽本線代行バスの札を掲げた駅員が立っていたので、乗るべきバスはすぐにわかった。代行バスに乗り込むと、間もなく発車し、庭坂駅に向かっていった。

 庭坂駅までは本来の鉄道による所要時間よりもかなり長い時間をかけて到着した。庭坂駅も風情のある駅舎だった。ここからは普通に列車に乗る。米沢行の車両が待ち構えていた。

 米沢に着くと、少しお土産を物色して、結局何も買わずに山形行に乗る。その時にふと思いついたことだが、JR乗り潰しの一環として左沢線に乗ろうと思い立った。「左沢」と書いて「あてらざわ」と読む。まさに難読地名だ。

 

 

 山形駅に着くと、すぐに左沢線左沢行に乗り込んだ。車両は部活帰りか予備校帰りかの高校生たちを多く乗せて左沢に向かう。左沢に着くと、駅名標や駅舎の写真だけをさっと撮って、引き返すためにまたすぐに車両に乗り込んだ。

 

 

 

 山形駅に戻ってきて、旅の続きだ。奥羽本線に復帰して、新庄行に乗る。これもまた高校生の群れを積んで走った。新庄に着く頃にはそんな彼ら彼女らもいなくなり、私は一人その次の秋田行に乗る。

 この日は秋田駅までは行かない。横手駅で下車する。なぜ横手か。それはネカフェが駅近だからの一点に尽きる。ネカフェで宿泊代を浮かしている私にとって、横手はとてもありがたい街なのだ。夜も更けてきた頃、横手駅から少し歩いて、この日の宿泊地に辿り着いた。まだ北海道は遠い。この日はここで眠りに就いた。

 

 2日目、横手を朝早くに発つと、秋田駅に向かった。秋田に着くと、駅前の目抜き通りを歩いていく。西武百貨店の横を通って更に進むと青々とした蓮が浮かんでいる堀が見えた。千秋公園だ。

 

 

 千秋公園の中に入って、平山城の緩い坂道を上っていくと、久保田城の二の丸に着く。そこから階段を上り、表門を通って本丸に入った。本丸には本丸御殿の礎石などが残るだけで、天守はない。天守はそもそも元々なかったそうだ。更に、石垣もほとんどないという珍しい城だ。

 

 

 本丸から更に奥へ進むと、御隅櫓に辿り着いた。御隅櫓は4階建の建物で、天守ではないものの立派な出立ちだ。遠足か何かだろうか、小学生の集団がいた。

 

 

 御隅櫓の中には久保田城に関する展示があった。それを100円で見られるのだからありがたい。歴史が書かれたパネルやジオラマなど、通常天守内によく置いてあるようなものが置いてあった。最上階の展望台からは秋田市内や男鹿半島日本海までを見渡すことができた。

 

 

 城を去ると、もう少し千秋公園を散策した。噴水の綺麗な池などがあった。春には桜も咲き乱れるという。またそんな季節に来てみたいものである。

 

 

 秋田駅に戻ると、奥羽本線を引き返して大曲へ。大曲で田沢湖線に乗り換える。角館行が待ち構えていた。それに乗って今度は角館へ。

 

 

 角館は「みちのくの小京都」と呼ばれ、武家屋敷が多く残る全国的にも珍しい場所だ。そのうちの何軒かは見学することもできる。そして、今なおそこに居住している人もいるというのだから驚きだ。食事処なども軒を連ね、生きた武家屋敷通りを形成している。

 

 

 駅から少し歩いて郵便局のところを右折すると、武家屋敷通りに入った。これには圧倒された。漆黒の垣がどこまでも伸び、伝統的な武家屋敷がいくつも並んでいた。まずは武家屋敷通りを端から端まで歩いてみた。そしてコンビニ前で煙草を吸いながら昼食を取る場所を探した。

 結局、悩んだ末に比内地鶏の親子丼を食べにいくことにした。店舗は武家屋敷通りの中にある。店内は賑わっていた。私は比内地鶏の親子丼をオーダーした。

 しばらくして、親子丼と、お吸い物やいぶりがっこなどがセットになった定食が届いた。親子丼は絶品だった。比内地鶏は柔らかく、半熟の卵も甘くて美味しかった。いぶりがっこは初めて食べたが、こちらも美味しい漬物だった。最後にデザートの梨を食べた。

 

 

 店を出ると、各武家屋敷に入っていくことにした。規模も様々、入館料も取るところと取らないところがある。とりわけ河原田家、青柳家、石黒家は規模が大きく、入館料が必要だった。この武家屋敷の維持に繋がるだろうと考えてそれを払った。

 

 

 一番規模の大きい青柳家は展示も豊富で、武器や生活用品、祭りの山車、人形、蓄音機や写真機や時計に至るまで実に多様な展示品があった。敷地も広大で、これが一つの邸宅とは信じ難い広さだった。

 

 

 それに次ぐ規模の石黒家は、敷地面積は青柳家ほどではないものの格式としては一番高い邸宅のようだった。欄間が美しく、囲炉裏もそのまま残されていた。ここには今も人が住んでいるということで、主屋は公開していないようだった。久保田城の縄張り図なども置いてあった。

 

 

 見学できる家を大体見終わると、角館駅に戻った。角館には長く滞在することになったので、何かお土産が欲しいと思って駅前で購入した。私は角館をたいへん気に入った。桜の季節や紅葉の季節、雪の季節に来てもきっとそれぞれに美しい顔を見せるのだろうと思った。みちのくの小京都に私は魅力された。

 そうしているうちに盛岡行がやってきた。これは角館(というか大曲)から盛岡まで行く終電だ。この日は新青森の近くのネカフェまで行かねばならなかった。田沢湖線盛岡行に乗り込むと、ほっと一息。何とか無事観光を終えることができた。

 

 

 その後は新青森までひたすら列車に揺られ続ける。盛岡駅に着くと、一旦外に出てIGRいわて銀河鉄道花輪線用の改札に乗り換えることになる。ちなみに盛岡駅には啄木の自筆による「もりおか」の文字や歌碑もある。

 

 

 IGRに乗って、そのまま目時で青い森鉄道に乗り入れる。八戸で降りると、更に青い森鉄道に乗って青森へ。青森駅でしばらく待って、奥羽本線弘前行に乗る。ここまで来れば新青森までは一駅だ。

 新青森駅北海道新幹線が乗り入れ、JR北海道最南端の駅となっている。まだ北海道の外ではあるが、ここまで来ると北海道が近いことを感じられる。だが、今回は新幹線で北海道に行くわけではない。次の日に八戸に戻ることになる。それが3日目の旅程だ。

 新青森のネカフェに着く頃には日付が変わっていた。だからさっさと寝ることにする。次の日の朝は少しゆっくりだ。お陰でぐっすり眠ることができた。

 

 3日目の朝はゆっくり朝食を摂り、ネカフェの近くのバス停に向かった。三内丸山遺跡に行くのだ。バス停についてしばらく経つと、三内丸山遺跡前行のバスがやってきた。

 三内丸山遺跡に開館より少し早く到着。既に開館を待っている人たちが何組かいた。手頃なベンチがあったのでそこに座ってゲームでもして暇を潰した。そうしているうちに開館時間がやってきて、遺跡の中に入った。

 三内丸山遺跡は日本史の教科書にも載っている通り縄文時代の巨大集落跡である。2021年に「北海道・北東北の縄文遺跡群」の構成遺産の一つとして世界文化遺産に登録された。それがどのくらい観光客を呼び込んでいるかわからないが、人はそれなりにいた。

 遺跡内は復元された縄文時代の竪穴式住居や掘立柱建物、墓地、ゴミ捨て場などが点在している。住居の中には地元の小学生が作ったものもあるようだ。どうやって技術のないであろう子供がこんな立派な住居を作ったのだろうか。

 

 

 

 墓地は大人と子供で分けられ、大人は道の両脇に並べて埋葬し、子供は土器の中に入れて置いておくようだ。中には現代の建物で覆われ、湿度管理がなされている場所もあった。石器や土器などが捨てられ積み上がった盛り土もあった。一番大きな掘立柱建物の屋根や大型竪穴建物の用途はまだわかっていないらしい。これからも発掘調査は続くのだろう。

 

 

 

 遺跡を粗方見終わると、次はさんまるミュージアム(常設展示)を見に行く。そこには膨大な土器や石器、土偶、動物の骨などが展示されていた。実物大に作られた縄文人の人形も点在している。そこでは土器の模様の変遷や、北海道・北東北の交易ネットワークなどを窺い知ることができた。

 

 

 特別展は見る時間がなかった。最後に出口の土産物屋でお土産を買い、バス停に戻る。ここからは少し急いで旅程をこなさなければならない。まずは青森駅に戻った。

 そこから次の青い森鉄道八戸行が来るまでに「味の札幌」で青森名物の味噌カレー牛乳ラーメンを食べに行くことにした。これは時間がギリギリで、何とか間に合いそうな時間に着丼すると急いでラーメンを啜った。本当はもう少しゆっくり味わいたかったけど、本当に時間がなかったのだ。それでも味噌カレー牛乳ラーメンは食べたことのない新しい味がして麺によく合い美味しかった。

 

 

 その後、走って青森駅に戻るとすんでのところで八戸行に乗り込む。汗を拭きながら東進し、野辺地駅大湊線に乗り換える。そして下北駅で下車した。

 

 

 下北駅は本州最北端の駅だ。大湊線に乗っていた乗客のほとんどがこの駅で降りたように思う。駅舎の撮影をする人が多くいた。私も写真を撮って、恐山行のバスに乗る。

 

 

 恐山行のバスは途中から鬱蒼とした山道の中を進んでいき、スマホの電波は圏外になってしまったくらいだった。くねくねとバスが走っていくと、冷水というバス停で一時停車する。そこには竹から水が出ている手水と思われる場所があり、参拝者はここで身を清めるべしということのようだった。私もそれに倣い、手と口を清める。そしてバスが再出発すると、三途の川を越えて恐山バス停に到着した。

 

 

 バスを降りると、いやバスに乗っていた間から、強烈な硫黄臭がしていた。辺りは苔も生えない不毛の地で、所々に水溜まりがあった。その中を進んで入山する。

 恐山菩提寺比叡山高野山と共に日本三大霊場に数えられ、全国から信仰を集める場所だ。死者の言葉を伝達できるというイタコがいることでも知られている。いかにも恐ろしげなところに感じられるが、普通に参拝できるところなので安心してほしい。

 

 

 総門を潜って境内に入ると、山門を潜り、本尊を安置する地蔵殿を参拝した。そして奥の院に向かって階段を上り、奥の院不動明王にも参拝。

 

 

 その後は境内のあちらこちらから湧く湯煙(地獄)の中を進んでいく。途中の順路には八角堂などもあり、また色んなところに風車が置いてあった。風車がからからと立てる音を聞きながら順路を進んでいくと、極楽浜に辿り着く。そこからは宇曽利湖を一望することができた。

 

 

 

 

 そこまで見たら後は出口に続いている。最初に潜った総門前に戻ってきた。この頃には帰りのバスの発車時刻が迫っていた。自販機で飲み物だけを買い、バスに乗り込む。バスは発車予定時刻よりもなぜか少し遅れて出発した。

 帰りは冷水に寄ることもなく真っ直ぐ下北駅へ向かう。下北駅に着くと、大湊行を待った。せっかくここまで来たのだから、大湊線を乗り切ってしまいたかったのだ。そして快速しもきた大湊行に乗り、すぐに大湊駅に着いた。

 

 

 大湊駅の駅舎や駅名標などの写真を撮ると、すぐにまた列車に戻った。間もなく野辺地行が発車し、そのまま野辺地へ。途中でCLANNADの聖地である陸奥横浜駅が見えた。いつかあの菜の花畑を見に行きたいものである。野辺地ではすぐの接続で八戸行が来た。それに乗って八戸に向かう。

 

 

 八戸で少しの待ちがあった後、八戸線鮫行がやってきた。これで本八戸まで行く。八戸は新幹線があるだけの駅で、本八戸の方が八戸の中心市街だ。本八戸で降りると、バスを待っていると思われる人が何人かいた。またしばしの待ちの後、多賀台団地行のバスがやってくる。これに乗って上浜名谷地というバス停で降りる。工場以外何もないような場所だ。

 

 

 本当にこんな場所にフェリーターミナルはあるのだろうかと疑ってしまうが、あるのである。八戸港フェリーターミナルに直接行くシャトルバスがないではないが、それは時間が微妙にずれていて使い物にならない。市営バスでこの何もない場所で降りてしばらく歩くのが正解なのだ。これはシルバーフェリー(八戸苫小牧フェリー)に徒歩で乗るにあたって最大の難所だろう。何せバスの路線図は旅行者にはわかりにくいからだ。

 ともかく、そこから少し歩いてフェリーターミナルに到着した。シルバーフェリーは徒歩利用でも出港60分前までに乗船手続きを済ませなければならない。それを済ませると、1時間も暇な時間ができる。幸いベンチは豊富にあるので、座って船の出港を待つ。ちなみに八戸港フェリーターミナルには食堂や充電スペースもある。

 

 

 すると、1時間以上前から乗船の案内が入る。私はフェリーに乗り込んだ。今回乗るのはシルバーエイトだ。フェリーの中は広く小綺麗だ。海が見える展望風呂もあり、贅沢な船旅である。港を眺めながら風呂に入って汗を流すと、薬を飲んで眠りに就く。

 

 

 

 お待たせした。ここからが知床を目指す北海道の旅だ。3日間で色々寄り道しつつも何とか関東・東北を通り抜けて北海道に上陸した私は気合いを入れ直した。ここからが今回の旅の本編だ。すなわち、知床旅行である。

 

 

 苫小牧西港フェリーターミナルに入港すると、船を降りていく。苫小牧の方はフェリーターミナルまでバスが乗り入れてくれる。そのバスに乗って、苫小牧駅に向かう……前に少し寄り道。途中のバス停で降りて南へ歩く。辿り着いたのはかの有名な「マルトマ食堂」。しかし、あまりにも有名すぎて店の前には大行列ができていた。しばらく並んでいたが、列の進みは遅く、列車の時間も近づいてきたので、撤退することにした。残念。次は開店時間頃に来ようと心に決めた。

 

 

 傘が壊れそうなほどの風が吹く雨の中、苫小牧駅を目指して歩く。私は雨の日の風が何よりも嫌いだ。鞄もズボンも靴もびしょ濡れになって、傘は何度もひっくり返った。ようやく苫小牧駅に着くと、そろそろ室蘭本線が発車する時間だった。北東パスを自動改札機に通して室蘭本線岩見沢行に乗った。

 

 

 緑と青のラインが入った北海道カラーの車両が懐かしい。何もない一面緑の中を列車が走っていく。80分ほど乗って岩見沢に着くと、次の函館本線旭川行までは長い待ち時間。こちらも雨風が強く、散策する気にもならない。昼ご飯には早い時間で食べることもできない。煙草の煙を燻らせながら次の列車を待った。

 

 

 そしてようやく函館本線旭川行がやってきた。乗り込み、座る。旭川まではまた80分ほど。ゲームしたり寝たりしながら適当に過ごした。

 

 

 旭川に着く頃はお昼時だ。雨が上がっていたので、旭川ラーメンを食べに行こうと決めて歩き出す。人気店に行こうとすると早仕舞いだったり長蛇の列だったりして右往左往したが、最終的にはラーメン屋に入ることができた。

 旭川ラーメン、醤油でラード濃いめをオーダー。しばらくして着丼し、スープを啜ると豚骨の出汁が効いていて美味しかった。それから、特にチャーシューが美味しかった印象だ。

 

 

 店を後にすると、ぼちぼち駅へと戻り始める。旭川駅に着くと、既に石北本線特別快速きたみ号北見行が停車していた。これが北見行の終電だ。田舎の終電の早さと北海道の広さには毎度驚かされる。間に合ってよかったと安堵した。

 

 

 列車に揺られること約3時間半、ようやく北見に到着。ここがこの日の宿泊地だ。ここに知床に一番近いネカフェがあるというわけである。

 北見では雨は止み曇っていたが、北見の中心市街地は以前に散策したことがあるので、真っ直ぐネカフェに向かう。普段ならナイト8時間を狙うが、北見では12時間パックになっても仕方がない。その分ネカフェではゆっくり過ごすことができた。

 

 いよいよ知床に行く日がやってきた。朝早くに北見を出て、石北本線網走行に乗った。そして網走でまた長い待ち時間。北海道を特急なしで旅するとこういうことになるからなかなかつらい。

 そしてようやくやってきた釧網本線快速しれとこ摩周号釧路行に乗った。快速と言ってもほとんど各停なのだが……。そして、知床斜里駅で降りた。ここが知床の北側にあたる斜里町の中心駅、知床への玄関口だ。

 

 

 しばし待ってここから知床五湖行のバスに乗った。知床五湖までの運賃は片道2000円。なかなか高いが、晴れた知床を見られるなら運賃を払うことも惜しまない。

 

 

 1時間半ほどバスに揺られ、ようやく知床五湖に辿り着いた。知床五湖は知床八景と呼ばれる絶景の中でも特に有名で代表的なものであろう。バス旅ではバスの本数が少ないため今回は知床五湖ウトロ温泉しか行けないが、それらを存分に楽しもうと思う(いずれはレンタカーもしたい)。

 

 

 知床五湖には高架木道と地上遊歩道小ループ・大ループの合計3つの回り方がある。知床五湖のそれぞれの湖は一湖、二湖、三湖、四湖、五湖と名付けられているが、高架木道からは一湖しか見えない。その代わり、この道は安全に舗装され電気柵に囲まれており、レクチャーなしで入ることができる。一方、地上遊歩道の方は、ヒグマが出るおそれがあることなどから事前にレクチャーを受けることが義務付けられている。しかし、それさえ受ければ(行く時期によるが)自由に地上遊歩道を歩き、五湖すべてを見ることができる。その上、帰り道に高架木道も通れる。ちなみに、レクチャーは10分置きに行われる。私は迷わず後者を選ぶつもりだった。

 しかし、知床五湖に着いた頃にはヒグマが出ていたようで地上遊歩道は閉鎖されていた。ヒグマは最近頻出しているらしい。仕方がないのでしばらく知床五湖パークサービスセンターでお土産を眺め、名物のこけももソフトを食べた。その後、高架木道へと向かった。

 

 

 高架木道は歩きやすく、そこからでも知床連山や一湖は見ることができるので、それだけでも十分楽しむことはできた。でもやはり五湖すべてを見たい。そう思っていたところに朗報が入る。安全確認が取れ、地上遊歩道が再度開放されたのだ。

 

 

 

 私はすぐに地上遊歩道入口に戻り、券売機で入場券を買い、利用調整地区内への立ち入り申請書を書いた。名前や住所、入場日などを書くだけの簡単なものだ。その後例のレクチャーを受けた。レクチャーは主にヒグマ対策についてだった。熊鈴や手を叩くことなどで音を立てながら進むことを念押しされた。

 レクチャーが終わると、いよいよ地上遊歩道への立ち入りが許可された。私は絶景を独り占めするため、大ループの先頭をずんずんと進んでいった。前日の雨の影響もあり所々泥濘んだ地上遊歩道は歩きにくい。それでも歩を進めると、五湖が見えた。最初に見える湖が五湖だ。

 五湖は一番小さい湖だ。それでも結構大きく見え、感動した。結局どの湖にも感動することになるので、陳腐な表現はこのくらいにしておこう。ともかく、最初に見た地上からの湖だったので感動も一入だったのだ。

 

 

 

 次に見えるのは四湖。四湖は中くらいの大きさの湖だ。五湖からそう遠くないところに展望台があった。

 

 

 

 その次に見えるのは三湖。三湖は大きく、湖畔に沿うように遊歩道が敷設されていて、展望台以外からでも垣間見ることができた。

 

 

 

 三湖を存分に堪能した後は二湖だ。二湖も大きく、またこれですべての湖を制覇したという感慨もあり、一層美しく見えた。ここで小ループと合流することになる。残りは高架木道からも見た一湖だ。

 

 

 

 一湖を見るのは2回目になるが、高架から見るのと地上から見るのではまた違った趣があった。これは大ループにしろ小ループにしろ地上遊歩道を頑張って歩いた人たちへのご褒美だ。一湖を堪能すると、高架木道に合流した。一湖の展望台にあるベンチで少し休憩した。

 

 

 

 高架木道を歩いて出発地点に戻っていく。その頃には少し太陽に雲がかかり始めていた。早く回っておいてよかったと思っているうちに出発地に着いた。そしてウトロ温泉バスターミナル行のバスに乗った。

 

 

 ウトロ温泉バスターミナルに着くと、丘の上にある日帰り入浴ができる温泉を目指した。ウトロ温泉に入るのだ。坂道はなかなかきつかったが、それを上り切ると、林の中に銭湯が佇んでいた。中に入って、あまり時間がなかったので急いで入浴した。中には内湯と露天風呂があり、露天風呂からはオホーツク海も臨むことができた。

 

 

 急いで着替えて坂道を下っていくと、何とかバスの時間には間に合った。斜里バスターミナル行のバスに乗って知床斜里駅に戻る。バスからは日の入りが見え、知床斜里駅に着く頃には完全に日が暮れていた。やはり随分東にいるので日没が早いと感じた。

 その後はまた1時間くらいの待ち時間。何をするでもなく適当に散歩したりして時間を潰した。そうしているうちに釧網本線網走行がやってきた。これで知床の旅は終わりだ。最低限行きたかったところにはとりあえず行くことができたので、私は満足した。後は東京まで帰るだけだ。とりあえずこの日は北見に帰った。

 北見に着くと、ネカフェに向かって歩き出した。市バスはもう終電を過ぎていた。長い距離を歩いていると、途中に安い焼肉屋がある。焼肉は北見の名物だ。最後にこれを食べていこうと店に入った。

 

 

 安いホルモンをたらふく食べ、店を出ると、ネカフェまではもう少しだ。ネカフェに着くと、ほっと一息吐いた。今回の旅の目的を果たせた喜びを噛み締めた。ソフトクリームが一層美味しく感じられた。

 

 ここからは後日譚。後は帰るだけだ。2日かけて北見から東京まで帰る。北東パスの残り日数は2日なのでちょうど使い切るというわけだ。まずは1日目、北見→旭川岩見沢→札幌→苫小牧と移動した。途中、旭川でラーメンを食べた。そして苫小牧西港フェリーターミナルまで歩く。

 

 

 市バスのフェリー線はもう終電を過ぎており、フェリーターミナルまで歩くしかないが、これがまた遠い。途中まではバスに乗って行けたけど、多少距離が縮まっただけで依然として遠い。少しずつ工場地帯に入り大型車ばかりになっていく道の中を歩き続けた。そしてようやくフェリーターミナルに到着。乗船手続きを済ませて乗船時刻を待った。

 行きは前述の通りシルバーエイトという船だったが、帰りはシルバーティアラ。後者の方が多少豪奢な雰囲気があるように感じられた。時間が来てそのフェリーに乗り込むと、疲れ果てていたのでそのまま眠りに落ちてしまった。朝目が覚めると、そろそろ八戸港に着く模様。急いで展望風呂に入り、身支度をしてフェリーを降りた。

 

 

 

 八戸港フェリーターミナルに着くと、歩いてバス停に向かい、本八戸まで行った。ここからはずっと鉄道に乗り続ける。列挙すると、本八戸→八戸→盛岡→一ノ関→小牛田→仙台→福島→郡山→新白河→黒磯→宇都宮→上野。ようやく東京に辿り着いた私は、ただ座って列車に乗っていただけにもかかわらず疲れ果てていた。何せ16時間近くもかかったのだから。JR北海道と違い、新白河を除いて乗り継ぎが比較的いいのだけが救いだった。

 そして上野から家に帰る。上野まで来れば後もう少しだ。何とか1日で八戸から東京まで帰り着いた。旅は家に帰り着くまで続く。でも、ここから先は、薔薇の下で。

近鉄沿線旅行

 近鉄は日本一路線長の長い私鉄として知られる。大阪から名古屋までを結び、とりわけ奈良県三重県では存在感が大きい。その近鉄には近鉄週末フリーパスがある。これは4200円で金土日または土日月の3日間近鉄が乗り放題になる切符だ(細かい規定はさておき)。今回はそれを使った近鉄沿線の旅である。なお、一時期あった3000円で3日間乗り放題の切符はもうない。

 鶴橋駅には焼肉の臭いが漂うと言われるが、朝っぱらからそんなに臭うことはない。あるいは私の鼻が鈍感なだけかもしれないが。そして、ここがこの旅のスタートでありゴールだ。しばらくホームで待っていると、大阪線急行五十鈴川行がやってきた。

 大阪線に乗ってまずは伊勢志摩に向かう。五十鈴川で普通鳥羽行に乗り換えようとすると、ポケモンミジュマルのラッピング車がやってきた。山田線・鳥羽線志摩線の間を走っているラッピング車のようだ。車内まで隈なくラッピングされたその車両に乗り込み、鳥羽に向かう。

 

 

 鳥羽に着くと、駅のホームにもミジュマルがたくさんいた。それらに癒されながら、伊勢湾フェリーの乗り場を目指す。何かがおかしい。これは近鉄沿線旅行じゃなかったのか? 正直に言えば、「ほぼ近鉄沿線旅行」である。ここでいきなり近鉄沿線を外れて、伊勢湾フェリー伊良湖に向かう。

 

 

 伊良湖は愛知県の渥美半島の先端に位置する。田原市に属し、愛知県の最南端だ。伊良湖に降り立つと、小高い山を囲むように整備された遊歩道を歩いていく。

 しばらく歩くと伊良湖岬灯台が見えた。何の変哲もない灯台だが、海岸線に佇むそれにはそこはかとない趣がある。

 

 

 更に歩いていくと、恋路ヶ浜と駐車場、そして飲食店が並んでいるのが見えた。恋路ヶ浜は綺麗な弓形の海岸線だ。名前も素敵で、恋人の聖地とされているようだ。私は一人旅だし、そもそも恋人もいないのでお呼びでないかもしれないが、その綺麗な海をしばらく眺めていた。

 

 

 伊良湖を後にすると、鳥羽に戻り志摩線で賢島へ向かう。賢島で下車すると、目と鼻の先に英虞湾クルーズの切符売り場があった。賢島エスパーニャクルーズといって、大航海時代のカラック船をモデルにした船「エスペランサ」に乗って英虞湾を周遊するのだ。1700円という値段は少々高く感じたが、せっかくなので乗ることにした。

 

 

 賢島港を出港すると、複雑に入り組んだリアス式海岸である英虞湾をゆっくりと進んでいく。所々で英虞湾内の島や産業などについての解説がアナウンスされる。英虞湾の島々の大半は無人島で、主要産業は真珠養殖のようだ。

 

 

 英虞湾をぐるっと回った後、10分間の真珠養殖見学の時間が設けられる。船を降りて工房に入ると、おばちゃんが真珠の作り方を実演しながら解説してくれた。また、真珠のお土産も多く売られてあった。安いものから高いものまで様々な真珠があるようだった。

 

 

 工房見学を終えると、すぐに賢島港に到着してクルーズは終わりを迎える。船を降りて次の鳥羽方面の電車を待つが、ここで時間が空く。すると、賢島駅内に伊勢志摩サミットに関する展示室である伊勢志摩サミット記念館サミエールがあることに気づいたので入ってみた。

 そこでは三重県のサミット誘致活動や三重県の特産品などが展示されており、故・安倍元首相が演説をしている映像も流されていた。あまり時間がなかったのでじっくりとは見られなかったが、待合室でただぼーっとしているよりは余程有意義な時間を過ごせた。

 

 

 賢島を発つと、次は志摩横山駅で降りた。志摩市の中心・鵜方駅の隣の、信用乗車方式のICカード改札機が置いてあるだけの無人駅だ。ここが一応、英虞湾を見渡せることで有名な横山展望台の最寄駅となる。しかし、ここからはかなり歩く上にきつい階段も待っている。

 

 

 最初はなだらかな坂道を登っていく。歩いている人はほとんど見当たらない。退屈な山道を数十分ほど歩くと、横山ビジターセンターに着いた。ここからが地獄だ。

 

 

 徒歩で来た人のために階段の道が用意されているが、その段数がまた多い。延々と続く階段に息切れしてへたり込みながらようやく横山展望台へと辿り着いた。しかし、空は曇っていた。

 晴れた英虞湾を見たかったのにという思いと、晴れていたらあの階段はもっときついものになっていただろうという思いが綯い交ぜになり、複雑な心境だったが、展望台からの景色は曇っていても目を瞠るほど美しいものだった。先程クルージングしてきた英虞湾の景色が一面に広がっていた。

 

 

 流石に疲れ果てて展望台のベンチに座り込んだ。汗を拭い、水分補給をし、しばらく佇んでいた。空が晴れる様子はない。それでも歩いてこの景色に辿り着いた私は、車で楽して来た人たちより感慨深いものを見ているに違いないと信じて止まないと負け惜しみのような気持ちを抱く。別に車の免許を持っていないわけでもないのに鉄道旅に拘っている自分のせいなのに。

 日が暮れ始めた頃、下山し始めた。階段はあっという間に下りてしまえたが、緩やかな下り坂は距離が長いのでやっぱり時間がかかる。ここで街灯のないことに気づき、真っ暗になったらどうしようと一抹の不安を抱えながら、完全に闇に呑まれる前に何とか志摩横山駅に辿り着いた。そして伊勢中川行に乗り込んだ。

 五十鈴川で降りると、上本町行の急行と接続するらしい。そして伊勢中川で名古屋線急行とも接続する。この接続のよさは素晴らしい。乗換案内に言われるがままそのルートで四日市まで向かった。この日の宿泊地だ。

 

 

 四日市に着くと、たくさんの人が夜の街を歩いていて、久々に都会に来たような気分になった。もっと都会からやってきたにもかかわらず。その足で私は四日市名物・トンテキを食べに行った。

 お店は繁盛しているようだった。「空いている席にどうぞ」と言われ、一人旅なのに4人席を陣取ってしまった。お店はトンテキの他にラーメンも提供しているようで、両方食べている人もいた。よく胃に入るものだと思った。

 私はダイエット中なので分量の少ないトンテキコマギレを注文する。しばらくして、山盛りのキャベツの千切りが添えられたトンテキが到着した。味はにんにくの効いた秘伝のたれでたいへん美味しかった。この分量でも私は十分お腹いっぱいになった。

 

 

 店を出ると、ネカフェに向かう。四日市の快活クラブは駅からそう遠くないところがありがたい。ネカフェに到着すると、疲れ果ててそのまま倒れ込んだ。薬だけは忘れずに飲んで、そのまま眠りに落ちた。

 

 2日目はいきなり温泉から始まる。四日市から伸びている盲腸線である湯の山線に始発に近い時間に乗って、湯の山温泉を目指す。湯の山温泉駅で降りると、アクアイグニスの案内があった。アクアイグニスは湯の山温泉内の複合的なリゾート施設で、日帰り入浴は6時から24時までと長時間休まずやっている。しばらく歩いて温泉に着くと、まだ朝早いのに既にそれなりの人と車があった。

 

 

 温泉は100%源泉掛け流しで、泉質はアルカリ性のようだった。肌がすべすべになることから「美人の湯」と呼ばれているらしい。内風呂からは竹林が見え、露天風呂や寝湯もあり、贅沢な温泉だった。流石小綺麗なリゾート施設だと感じた。

 

 

 温泉を出ると、少しだけ土産物屋を物色し、結局何も買わずに湯の山温泉駅へ。そこから四日市に戻ると、ちょうど松阪行の急行がやってきた。これで次は松阪に行く。

 松阪駅はJR紀勢本線近鉄山田線が内部で繋がっており、完全に共同駅となっているようだった。JR側の改札機に近鉄の切符を通して大丈夫か不安だったが、通すことができた。そして松坂城を目指して歩き始めた。この日はこれ以降、お城ばかりを見ていく。

 松坂城日本100名城に選ばれている。天守は現存せず、復元もされていない。平山城なので階段を上っていく。本丸には天守台だけが残されていた。

 

 

 城を出ると、目の前に御城番屋敷があった。黒い瓦が葺かれた古い家々が並んでおり、その一つは見学することができた。他の家には今も人が住んでいて生活しているという。例えば白川郷などがそうだが、自分の家が観光地というのはどういう気分なのだろうか。

 

 

 御城番屋敷を後にすると、松阪駅に戻り、伊勢中川へ。伊勢中川から上本町行急行に乗って伊賀神戸を目指す。寝過ごして名張まで行くというミスも犯したが、折り返して何とか伊賀神戸に到着。

 

 

 ここで近鉄沿線を離れて伊賀鉄道に乗り換える。伊賀鉄道近鉄大阪線伊賀神戸駅からJR関西本線伊賀上野駅までを結んでいる。伊賀市の中心は上野市駅なので、上野市駅で下車すると、上野市駅より大きな文字で忍者市駅と書いてあり、伊賀流忍者を強く推していることが窺い知れた。そして駅と伊賀上野城は目と鼻の先だ。

 

 

 伊賀上野城日本100名城に指定されており、こちらは復元された立派な天守がある。築城名人として知られる藤堂高虎が大改修した城郭だ。中に入ると、兜や鎧や刀剣などが展示されている。忍者と関係が深いからか、子供が多かった。中には忍者の恰好をした子供もいた。しかし私には時間がなかったので、忍者のことまで詳しく知ることはできなかったのが悔やまれる。

 

 

 上野市から伊賀神戸に戻って、また西に進む。大和八木で乗り換えて橿原線急行京都行に乗る。次に降りたのは郡山駅だ。

 大和郡山城は続日本100名城の一つであり、天守はないが本丸に天守台が残っている。天守台からは街を見下ろすことができた。また、追手門と追手向櫓は復元されており、見応えがあった。

 

 

 郡山駅に戻ってくると、更に北へ。この日最後に向かうのは伏見桃山城だ。橿原線急行京都行は大和西大寺から京都線に入り、そのまま北進していく。丹波橋駅では多くの人が降りていった。

 丹波橋近鉄京都線京阪本線の2路線が乗り入れ、乗換客は多いが、繁華街などは一切形成されておらず乗換に特化した駅だった。ただの住宅街を、これで道が合っているのかもよくわからずに歩いていく。日の入りは既に過ぎ、空が暗くなり始めていた。急がねば。

 何とか真っ暗になる前に伏見桃山城に到着し、写真を撮る。伏見桃山城は立派な模擬天守が建っているが、往時のものとは違うらしく、内部も公開されていない。伏見桃山城キャッスルランドという遊園地があった頃は人も多く訪れていたようだが、今は寂れた公園となっていた。日本100名城にも続日本100名城にも指定されていない。それでも豊臣秀吉と関わりの深い伏見桃山城模擬天守は迫力があった。

 

 

 丹波橋に戻ってきた頃には日が暮れていた。また近鉄に乗って北進を続け、いよいよ京都駅へ。京都駅はいつも通り人でごった返していた。そこから地下鉄烏丸線阪急京都線を乗り継いで大宮駅で降りた。ここがこの日の宿泊地だ。

 

 

 せっかく四条大宮まで来たので、つけ麺を食べていこうと少し歩く。到着したラーメン屋で期間限定のつけ麺を注文して着丼を待つ。しばらくしてやってきたつけ麺は濃厚でとても美味しかった。〆のご飯も美味しかった。

 

 

 空腹を満たすと今度こそネカフェに向かった。この日は多くの場所に行ったので本当に疲れていた。シャワーを浴びるのは明日の朝でもいいと思った。そのまま倒れ込んで就寝した。シャワーは深夜に中途覚醒した時に浴びた。

 

 3日目は四条大宮からバスで高山寺へ。西日本JRバスの高雄・京北線に乗って栂ノ尾で下車する。しばらく道なりに歩くと高山寺表参道があった。

 

 

 高山寺世界遺産古都京都の文化財」の構成遺産の一つで、鳥獣戯画を所蔵していることで知られる。ややマイナーなお寺だが、主要な京都の神社仏閣は粗方行き尽くしているので今回はここに来た。

 表参道には少しの階段や坂があったが、まだ午前中でさほど暑くもなく、森の中で日陰になっているので苦ではなかった。金堂に参拝し、高山寺を中興した明恵上人の御廟や開山堂も巡っていく。その後、鳥獣戯画が保管されている石水院に赴いた。

 

 

 石水院は国宝に指定されている庭園及び学問所である。ここは入館料が要る。少々高いが中に入って見学した。内部は撮影禁止なので外観の写真しかない。

 

 

 高山寺を後にすると、京都駅に戻り、近鉄沿線旅行の続きを始める。まずは京都線大和西大寺へ。そして奈良線で生駒に行った。

 生駒駅近鉄百貨店が駅前に建っており発展した駅だ。それと反対側の出口のショッピングモール・アントレいこま内を突き抜けていくと鳥居前駅があった。これは生駒ケーブルの起点となる駅だ。週末フリーパスはケーブルも乗れるのでここから生駒山を登っていく。

 

 

 ケーブルカーは生駒山上遊園地に子供を呼び込むためか動物を模したかわいらしい外観をしている。5分程度の間、そのキャラクターの声でアナウンスが入る。犬のブルと猫のミケがいるらしいが、私が乗ったのはミケだった。あっという間に宝山寺駅に着くと、生駒山上遊園地方面への乗換案内がなされた。

 しかし、流石にこの歳で一人で遊園地というのもつまらない。それより私の目的は宝山寺(正確には寶山寺)にあった。宝山寺は生駒聖天さんとして親しまれ、多くの参拝客を集める寺社である。宝山寺に行くにも階段を上らねばならなかった。しかし横山を思えばこれしきのこと、何てことないと自分に言い聞かせながら階段を上る。

 

 

 お寺なのに鳥居があるのも変な感じだが、鳥居を潜って階段を上っていくとようやく本堂に着いた。本堂や宝塔などで構成される寺院の中心部は目を瞠るものがあった。圧倒的な規模に驚きながら、雄大な山の中腹にある寺院に参拝。奥の院までは行く体力がなかったので、その後はしばらく近くのベンチで休んでいた。

 

 

 階段も下りは楽で、すぐに宝山寺駅に着いた。折り返して鳥居前駅に到着すると、生駒駅に戻る。生駒からは奈良線急行に乗って一駅、次は石切で下車した。

 石切駅を出るとすぐに鳥居が見える。ここからもう石切剱箭神社の参道が始まっているのだ。ふと家々の間を覗くと、大阪市内の高層ビル群のスカイラインが見えた。これも石切名物だ。

 

 

 神社に着くとお百度参りをしようと境内をぐるぐる歩いている人が何人もいた。ここはお百度参りで有名で、そのための石が置いてあるのだ。お百度参りとは、その名の通り100回神社に参って願いを叶えようというものだ。だが、私にはそんな体力も時間もない。普通に参拝して、少し境内を散歩した。

 

 

 神社を後にすると、新石切駅に向かった。新石切はけいはんな線の駅で、石切とは対照的に山の麓にある。さっき下ってきた急な坂道を上りたくないので、こちら側に来たのだ。そしてけいはんな線で再び生駒へ。

 すると、三宮行の快速急行がやってきた。これは生駒を出ると鶴橋までノンストップだ。途中、石切を過ぎた辺りでまた大阪市の聳え立つビル群が見えた。そしてそのまま電車に乗って鶴橋に到着した。

 最後に生野コリアタウン(御幸通商店街)に寄った。鶴橋駅から南東に向かってアーケード街(鶴橋商店街で、ここもコリアタウン)を通り抜けていく。

 

 

 アーケードが終わってからもしばらく歩いていると、生野コリアタウンへの入口が見えた。鶴橋が最寄駅とされるが、住所的には桃谷だ。その一角を折れると、多くの女性客で賑わうコリアタウンがあった。

 

 

 生野コリアタウンは元々在日韓国・朝鮮人が多く住んでいた地域で、日本最大の巨大なコリアタウンであり、近年の韓流ブームに乗ってとりわけ女性からの関心を強く集めている地域である。この日も多くの人がいて、結局今回の旅で一番混んでいたのはここだった。

 

 

 商店街は多くの飲食店やコスメ店などが犇めいていた。キムチや、最初に言及した焼肉なども朝鮮半島からもたらされたものだ。街中にハングルが溢れ返っているのはやはりテンションが上がった。何かを買いに来たわけでもないが、その商店街をK-POPを聴きながら端から端まで歩いていった。BLACKPINKのPink Venomだ。韓国料理に明るくないので、街は私の知らない料理で溢れていた。

 

 

 商店街を出ると、また鶴橋駅に戻った。旅のスタート地点に戻ってきて、旅が終わる。近鉄沿線は広く、沿線には色んな観光地があることがわかった。また、旅の道中で新たに行きたいところも増えてしまった。近鉄週末フリーパスはいい切符だ。また近鉄沿線を旅しようと心に決めながら大阪環状線に乗り込んだ。

淡路島旅行

 三宮駅でどっと乗客が降りていく。その波に乗って三宮バスターミナルに向かった。ミント神戸1Fにあるチケット売り場で北淡路バス乗り放題きっぷ高速バス大磯号版を購入する。これでまずは淡路市内を回るのだ。

 高速バス大磯号が4番乗り場に到着する。切符を見せて乗り込むと、乗客はさほどいなかった。空いている車内で悠々と寝ているといつの間にか明石海峡大橋を渡っていたらしい。私は淡路夢舞台で下車した。

 

 

 最初の目的地は国営明石海峡公園である。ここは広大な公園で、様々な花々が咲き誇っている。きっと季節によって色々な顔を見せるのだろう。ホームページでは一週間ごとに見頃の花が紹介されていた。

 

 

 東浦口から入園し、日傘を差して公園内をのんびり歩いていく。時折ベンチに座って水分補給も忘れない。園内は大きな池や川、それに木々も生い茂っており、丁寧に手入れされていることがわかった。子供向けの遊具も豊富だった。また、公園は海に面しているので、大阪湾を臨むこともできた。

 

 

 

 

 公園を後にしてバス停に戻ってくると、あわ神あわ姫バスに乗り込む。淡路市と言っても広い。1時間半かけて伊弉諾神を目指す。

 伊弉諾神宮は淡路一宮であるだけでなく、国生みの地である淡路島において国を作ったイザナギイザナミ夫婦の祀られる歴史ある神社だ。国生みの地として淡路島自体も日本遺産に指定されている。そんな格式高い神社の大鳥居を潜って参道を歩いていくと、立派な拝殿が現れる。

 

 

 

 まずは拝殿で参拝。その後、周囲の散策を始める。境内は広く、摂末社も多く存在する。とりわけ夫婦にまつわる神社はそれなりの規模があり、樹齢900年ほどという夫婦大楠が屹立している。

 

 

 境内を一通り見終わると、次のバスが来るまでしばらく一休み。ベンチに腰掛けてバスの時間を待った。バスは予定より1分早く発車した。乗り遅れなかったからよかったものの、これには流石に驚いた。

 そしてまた1時間半ほどかけて、次は東浦バスターミナルで降りる。帰りはここから高速バスに乗るのだ。途中、車窓から綺麗な海が見えた。行きは寝過ごして見られなかったので、帰路で初めて見ることができたのだった。

 

 

 東浦バスターミナルは小さいが、近くに道の駅があり、土産物も充実していた。それを買うでもなく眺めていると、そろそろ高速バスが着く時間となった。バスターミナルに戻り、新神戸行の高速バスに乗り込む。

 そして明石海峡大橋を再び渡り、三宮バスターミナルへ到着する。これにて淡路市内の観光は終わりである。しかし、淡路島の魅力はこれだけではない。後日、もう一度淡路島に上陸することになる。二度目の上陸の計画を考えながら淡路島旅行前編は幕を閉じた。

 

 淡路島に上陸する方法は、自家用車や高速バスなどで明石海峡大橋大鳴門橋を渡る方法、明石港から高速船で上陸する方法の他に、もう一つある。それが深日洲本ライナーである。深日〜洲本の航路は一度廃止されたが、最近は土日祝に限って復活しているのだ。ただし、まだ社会実験中の段階らしい。次はこれで洲本市を目指す。淡路島旅行後編の始まりだ。

 

 

 南海に乗ってみさき公園駅で乗り換え、多奈川線へ。深日港駅に着くと、フェリーターミナルはすぐ近くにあった。

 チケット売り場で乗船券を買う。学割が効いて、2割引の片道1200円。そしてすでに停泊している船に乗り込む。船内は些かレトロな雰囲気で、淡路島や泉州の観光案内のパンフレットが並んでいた。乗客はさほど多くなかった。まだまだ知名度の低い航路だと思うが、応援したい。

 

 

 船は定刻通りに発進し、きっちり定刻通りに洲本に着いた。洲本のフェリーターミナルの方が大きく、城下町を意識したと思われる風情のある建物だった。ボートピアも併設されている。そちらは賑わっているようだった。

 

 

 船を降りると、洲本城跡を目指す。洲本城は山城で、三熊山の頂上約130mに位置する。大浜公園の横を通って登山道に入ると、虫の鳴き声しか聞こえなくなり、ひたすらしんどい坂道が続いた。

 

 

 運動不足で体力がないので所々で休憩しながら必死で登っていると、やがて武者溜に着く。そこで初めて視界が開けて洲本市街と大阪湾を臨むことができた。汗で貼り付いたTシャツに微かに風が当たる。本丸までは後少しだ。

 更に奥に進み階段を上っていくと、いよいよ本丸に到着した。その頃には完全に息が上がっていた。天守は1階部分が中空になっており、ベンチが設置されている独特の構造だ。天守台に上って下から覗き込むと、天守の内部が少しだけ見えた。立ち入ることはできない。内部はどのくらい再現されているのであろうか。

 

 

 

 城を見終わると、次は洲本温泉に向かった。温泉街のようなものが形成されているわけではなく、ぽつぽつと温泉旅館や銭湯があるようだった。安い日帰り銭湯を目指して山を下り始める。下りは下りでそれなりにしんどかった。

 山を下りて平地に戻ると後は楽だ。汗だくになった身体をタオルで拭きながら銭湯を目指す。住宅街を進んでいくと、その一角にレトロな銭湯があった。中に入って入浴料を払い、汗まみれの服を脱ぎ捨てる。

 

 

 温泉は狭かったが、人はそれなりにいて密度が高かった。身体を洗って湯船に浸かる。登山で疲れた身体が癒されていく。

 風呂から上がって身体を拭いていると、帰りの船の時刻が近づいていることに気づいた。乾き切らない身体を無視して着替えを終え、番台に礼を言って銭湯を出た。そして真っ直ぐフェリーターミナルへと向かった。

 帰りの便は最終便だった。これを逃すと、高速バスで帰ることになる。今回はこの船に乗りたくて来たのだからそれは避けたかった。船の出港には無事間に合い、行きより更に乗客の少ない船内の座席に座る。

 これで淡路市洲本市を観光することができた。きっと南あわじ市にもいい所があると思うが、本州側から行きにくいために行けなかったのは残念だ。いつか機会があったら訪れてみたい。淡路島をもっと知りたいと思った。

 深日港に着く頃には、辺りは真っ暗になっていた。深日洲本ライナーの旅に終わりを告げ、多奈川線に乗る。みさき公園駅に着くと、しばらくして特急サザンがやってきた。

鳥取・岡山・香川旅行

 新快速に乗って姫路で降りると、姫新線播但線ホームのある改札へ向かう。姫新線播但線ホームと山陽本線ホームの間にも改札があるのだ。18きっぷを見せて通過すると、1泊2日の短い旅が始まる。私は播但線寺前行に乗り込んだ。

 寺前で乗り継いで和田山へ、更に山陰本線城崎温泉、そこから乗り継いでようやく鳥取行に乗れる。広い兵庫県を通過し切って鳥取県内に入ると鳥取駅はもうすぐだ。そうして鳥取駅に到着した。

 

 

 鳥取で降りてみると、後述する砂の美術館の割引券が売っているのが目に付いた。行く予定なので先に割引券を買っておく。少し得をしたことを嬉しく思いながら砂丘会館行のバスに乗って鳥取砂丘に向かった。

 砂丘会館から鳥取砂丘は目の前だ。階段を上って砂丘の入口に踏み込むと、さらさらした砂に足を取られる感触がある。これは靴に砂が入るなあと少し疎ましく思ったが、そんなことも忘れるくらいの絶景が目に飛び込んできた。砂丘で一番盛り上がっている部分である馬の背と、その先の日本海。オアシスには植物が茂っている。それは今まで見たこともないほど巨大な「砂場」だった。

 

 

 馬の背を目指して砂丘の中を歩いていく。途中までは下り坂で、馬の背は急勾配の上り坂だ。汗を流しながら馬の背を必死で上っていくと、頂上に着く。そこから見る景色もまた絶景だった。来た道を振り返っても、向こう側の日本海を見ても、飽きることがない。しばらくその景観を眺めて、馬の背を下り、砂丘会館の方まで戻っていった。靴には大量の砂が入り込み、息は上がった。

 

 

 ビジターセンター横で足を洗う。砂を大体落とし切ったところでビジターセンターの展示室へ。砂丘の構造や歴史、各地の砂の展示などがあった。砂丘はかつて日本に多くあったが、失われつつあるということをそこで初めて知った。

 次は砂の美術館へ向かうべく歩き出す。美術館もそう遠くないところにあるので大したことではない。美術館に到着すると、先程の割引券を提示して中に入った。

 砂の美術館は1、2年程度の周期で展示替えをし、砂の彫像を作っては壊しを繰り返しているらしい。海外から一流のアーティストがやってきて制作をしているようだ。各国の名所などを再現しているようで、今期はエジプト編。エジプトには砂のイメージが強いのでちょうどいい時に来たと思った。

 展示物には圧倒された。ルクソール神殿に始まり、様々なエジプトの風景が歴史の順に沿って並んでいる。細部まで細かく彫られており、それも砂と水だけで作るというのだから凄い。終始驚かされながら展示を見て回った。

 

 

 

 

 

 

 美術館を出ると、近くで名産の梨ソフトを食べてバスを待つ。やってきたのはポケモンのサンドとコラボしたバス。運がいい。サンドのかわいさに癒されながらバスに乗り込んだ。

 鳥取駅に戻ってくると、お土産を買って、喫煙所で一服。因美線智頭行を待った。この日は岡山で泊まる予定だった。まだ夕方だが、津山線岡山行の終電に間に合わせるにはこの時間帯に因美線に乗る必要があった。

 因美線で智頭まで乗り、またしばらく待ちぼうけ。その後、1日1本しか設定されていない因美線快速津山行が来た。乗客はほとんどいない。暗い夜の中を列車が進み、津山に着いた。津山でもまただいぶ待たされて、ようやく岡山行の列車が来た。岡山に着いた頃には23時を回っていた。疲れていたので駅前のネカフェに泊まる。明日の朝も早い。シャワーを浴びて、さっさと寝ることにした。

 

 2日目の朝、走って岡山駅に向かい、始発の吉備線総社行に乗る。まずは吉備津で降りた。備中国一宮・吉備津神社までの松並木沿いを歩いていく。

 

 

 吉備津神社は広く、国宝の本殿及び拝殿は吉備津造りと呼ばれる特徴的な建築様式だ。他にも様々な小規模の摂社があった。時間があまりないので慌てて参拝していく。汗がひたすら流れていく。一遍に服に汗染みが広がる。

 

 

 続いて一駅折り返し備前一宮で降りる。ここには備前国一宮・吉備津彦神社がある。両方とも岡山市内なので、岡山市内に備前国備中国の境界があることになる。吉備津神社吉備津彦神社も桃太郎伝説との関連が深い神社である。吉備津彦神社の方が規模は小さく、参拝後に少し息をつく暇ができた。

 

 

 更に折り返し、吉備線を総社まで乗り切ると、そのまま岡山駅へと戻っていく。これは単に端から端まで乗りたかっただけだ。岡山に着くとマリンライナーに乗り、香川を目指す。今回の目的地は観音寺だ。

 観音寺はアニメ『結城友奈は勇者である』(以下、『ゆゆゆ』と呼ぶ)の聖地だ。今回はその聖地巡礼に行く。マリンライナーを坂出で降りると、乗換待ちがまた発生した。駅前にある坂出のイオンも聖地らしいので写真を撮っておく。駅の周りをぶらぶらと散歩して、サンポート南風リレー号観音寺行に乗り込んだ。

 

 

 まず、観音寺駅が聖地だ。聖地巡礼というものは駅舎一つでも感動するものである。次はこれまた聖地のうどん屋である「つるや」に向かう。肉ぶっかけをいただいた。香川のうどんはやはり絶品である。「うどんは女子力を上げるのよ!」

 

 

 

 

 

 

 うどんを食べ終わると、琴弾公園へと歩き始める。徒歩30分程度あり少々長い道程をのんびりと行く。三架橋を渡ると琴弾八幡宮の鳥居が見えた。ところで、ここからが地獄である。

 

 

 381段あるらしい石段を一段ずつ上っていく。また汗がひどく流れ出す。汗拭きタオルは湿って使い物にならなくなっていく。それでも上って上って上っていると、ようやく琴弾八幡宮の拝殿に着いた。

 

 

 

 

 参拝した後は少し休憩し、観音寺のシンボルである銭形砂絵寛永通宝)を見に少し歩く。森に囲まれている銭形砂絵は立派で、その向こうには瀬戸内海が見える。この砂絵は定期的にボランティアで整備をしているという。また、砂絵の展望台には、『ゆゆゆ』の主人公・結城友奈の声による観光案内もあった。しっかりとアニメの聖地として認められ、愛されていることがわかり嬉しくなった。

 

 

 本当はお遍路の四国八十八ヶ所のうちの2つである神恵院と観音寺にも行ってみたかったが、ここで時間も体力も尽きた。またいずれ訪れることを誓い、石段を下って観音寺駅を目指す。下りはだいぶ楽だ。そして観音寺駅でお土産を買うと、再びサンポート南風リレー号の高松行に乗り込んだ。

 旅の最後に、倉敷で桃のパフェが食べたかった。倉敷美観地区には3回目の来訪となる。私は倉敷が好きなのだ。そしてラストオーダーに間に合うように急ぎ足でパフェを食べに行った。

 岡山県産の桃を使ったパフェは絶品だった。パフェにも色々あるが、これには桃が詰まっている。その甘さを旅の終わりのご褒美のようなものとし、倉敷を去った。

 

 

 走って乗り込んだ山陽本線は姫路行。岡山より西から姫路まで乗り継ぎなしで行けるのは珍しいのでありがたく思った。ゆっくり椅子に座ると、冷房が汗を乾かしていく。そして眠りに就いた。

 姫路で降りると、帰ってきた感が湧いてくる。新快速にはすぐに乗り継げた。親の顔より見たというほどに見た225系が大阪へ向かって走り出す。徐々に都会じみていく車窓に、田舎旅の思い出を抱いて。

信越旅行

 早朝の中央線はまだ人が少ない。18きっぷで都心を出発し、八王子、小淵沢で乗り換えて塩尻から篠ノ井線に入る。松本は以前に松本城などを観光しているので飛ばして、長野駅に着いたのは昼頃だった。綺麗な駅舎だった。

 

 

 善光寺に向かうのだが、長野電鉄をタッチの差で逃した。しかし善光寺まではバスも多く出ているので心配は無用だった。多少運賃が上がってしまったが、無事善光寺大門に到着。

 参道の途中に喫煙所があったので一服し、再び参道を歩いていく。

 すると、立派な山門がお出迎え。二階に人がいて、上れることに気づく。しかし、財布も寂しいし、それほど眺望がよさそうな高さにも見えなかったので、遠慮しておいた。山門を潜る。

 

 

 山門に負けず劣らず本堂も立派で、参拝客も多くいた。流石に有名な信州善光寺だけあると感心した。これは後から得た知識だが、本堂を上から見ると丁字形をしており、撞木造りと呼ばれるらしい。神社仏閣の建築様式は多様で、長いこと旅をして勉強をしていてもなかなかわからないものである。

 

 

 帰りは善光寺の参道から長野駅まで真っ直ぐ歩いていった。なるべくビルの陰に入って歩いていると、涼しい風が吹き抜けて気持ちいい。東京や大阪よりもやや涼しい長野の街並みを上機嫌で抜けていく。

 駅まで戻ってくると、駅ビルのMIDORIでお土産を見繕う。林檎の入ったかわいらしいケーキを買って、次は切符売り場へ。

 飯山線に乗りたいのだが、長野〜豊野間はしなの鉄道の管轄で18きっぷでは通れないことになっている。なので念のため豊野までの切符を買っておいた。結果的には確認などされなかったのでキセルし放題だと思うのだが……。

 飯山線に乗って、十日町で降りた。十日町は着物とへぎそばの町だ。寂れたシャッター街を抜けて蕎麦屋に入った。蕎麦は昼に食べるものということなのか、夕方の客足は少なかった。先客は一人しかいなかった。

 へぎそば一人前を注文して食べる。布海苔で繋いだ蕎麦は仄かに海苔の香りがして美味しい。本来のへぎそばは辛子で食べるものらしいが、物流網が発達した今では山葵で食べられているようだ。私も山葵を溶かして食べた。

 

 

 残りの飯山線を乗り切って、越後川口駅で降りる。乗り継ぎがよく、長岡行の上越線はすぐに来た。長岡で乗り換えて、更に信越本線に乗って新潟へ向かう。到着した頃には23時を回っていた。

 新潟駅は再開発中で、駅舎は以前見たことのある古臭いものではなく、小洒落た駅舎になっていた。新潟駅の完成が楽しみでならない。新潟を訪れるのは2年振りだった。

 この日は新潟〜新津間で一部運休とのことだったので不安があったが、無事新潟駅に辿り着けてよかった。新津にもネカフェはあるが、新潟駅の近くの店舗の方が道がわかりやすい。都心に近いせいかやや高いが、以前も宿泊したことがあり安心感のあるそのネカフェまで夜道をのんびり歩きながら翌日の予定を考えた。

 

 次の日は水族館に行くことにした。早朝に出発すると、ちょうど新潟駅南口行のバスがあったのでそれに乗る。慣れたこととはいえ、毎回毎回駅と大通り沿いのネカフェの間を30分も歩くのはしんどい。駅前に快活クラブがあることは、札仙広福未満の都市だと珍しいことだ。

 水族館行のバスを待っていると、バス停で少し転寝してしまった。そのまま寝惚けたままで到着したバスに慌てて飛び乗ると、鞄を置き忘れていってしまった。これは大失態だった。財布も入っていたのに……。

 新潟交通の職員に荷物を探しておいてもらいながら、私は焦りと呑気さが綯い交ぜになって、どこか落ち着かない気持ちで水族館・マリンピア日本海に入る。スマホは持っていたので入館料を払う手段はあった。

 

 

 水族館は楽しい。色とりどり、大小様々な魚たちが私たちを魅了する。クラゲコーナーは人気も高く、少々混み合っていた。

 

 

 そうこうしているうちにイルカショーが始まるとのことで、私はステージに急いだ。どこにでもあるイルカショーだが、やはり大きなハンドウイルカやカマイルカが跳び上がる様は見応えがある。また、イルカの身体の構造などについてわかりやすく解説してくれるのは一つの特色であり魅力だと思った。ここはいい水族館だ。

 

 

 水族館を出てまた新潟駅に戻ってくると、それらしき鞄が見つかったとの朗報が。急いでバスターミナルの窓口に向かうと、それはあった。お金を掏られたりもせず、すべて無事に帰ってきて本当によかった。私は胸を撫で下ろした。

 その後は長岡の生姜醤油ラーメンを食べてみようと思ったのだが、長岡でそれらのお店が集まっているのは隣の上越線宮内駅で、少々行きづらい。結局新潟市内の支店で頂くことにした。

 新潟県内以外にも秋葉原に支店のある青島食堂に行ってラーメンを食す。生姜がアクセントになっている醤油スープはたいへん美味しく、当然完飲。麺もチャーシューも美味しく、私は満足した。

 

 

 その日は新潟でもう一泊した。上越線水上行の最終を逃したのだ。磐越西線も運休していたし、私は身動きが取れなかった。こうして2日の予定だった信越旅が3日に延びた。しかしこの日は18きっぷを消費していないのでそれは2日分だ。

 まだ陽の暮れ泥む中を、前日と同じネカフェに向かって歩く。普段はナイト8時間を気にするが、寝惚けて鞄をなくしたことを反省してしっかり睡眠を取ろうと、この日は12時間覚悟で行った。そして次の日に行く場所を検索しながら12時間きっちり居座ってやった。ストロング缶を2本も開けた。

 

 

 

 3日目は新発田に行くことにした。直江津と迷ったが、あまり遠くに行くとまた上越線に乗り遅れるかもしれない。それに直江津には北陸おでかけパスでも行くことができる。というわけで白新線へ。

 新発田駅は城下町らしく海鼠壁の風情のある駅舎だった。Googleマップの指示通り新発田城まで歩いていると、いつまで経っても細い住宅街の道で不安になったが、唐突に城は現れた。

 

 

 新発田城新潟県内では唯一建造物がある城跡とのことだ。しかし一部は自衛隊駐屯地として利用されており、実質的な天守である三階櫓には入ることができない。その代わり入場料も取らないという親切な城跡だった。

 それでもいくつか見て回れる櫓があるので見学する。少々物足りないが、しっかりと櫓も公園もあって、城らしくはあった。

 

 

 門を出て堀沿いにしばらく歩いていくと、ようやく遠くに三階櫓を認めることができた。屋根は丁字形をしており、特徴的だ。幕府に遠慮して天守とは名乗らなかったとのことだが、十分立派な天守に見える。新潟にもう一日滞在した甲斐があったと思った。

 

 

 その後はオッチャホイなるものを食べた。平麺をもやしやキャベツなど混ぜ合わせたもののようだった。東南アジア風料理とのことだが、東南アジアに同じ料理は現存しないらしい。しかしかつてはシンガポールにあったということで、何とも不思議な生い立ちだった。味は美味しかったし東南アジア風ではあったが、変わった料理だと思った。

 

 

 そしてもう一件、清水園に行った。こちらは入場料が高い。しかし城でそれを払ってない分浮いているのでいいだろうと渋々払った。

 中はこぢんまりとしているが美しい池泉回遊式庭園で、屋敷や展示室もあった。新発田城には大した展示もなかったので、その代わりを成しているのかなと思った。甲冑や城下絵図など様々な展示を楽しめた。

 

 

 これで新発田観光は終わりである。羽越本線で新津に向かった。新津は鉄道の町をアピールしており、鉄道の要衝であることから「西の米原、東の新津」と呼ばれていると書いてあった。初めて知った。何かとこういう都市の比較はあるものである。

 

 

 しばらく待っていると信越本線が来て、長岡へ。ここでも待ち時間があったので、軽く長岡を散策した。その後は駅ビルのCoCoLoでお土産を買った。長岡駅CoCoLoが想像以上に大きく、都市の大きさを見せつけられた。政令指定都市もあって県下二番手もこんなに発展していて、新潟県は意外に凄いじゃないか。

 

 

 散策も暑さでギブアップし、煙草を吹かしていると、いよいよ上越線水上行の到着である。これが本数が少ない東京〜新潟間の一番の難所だ。今度は無事に乗れ、水上駅に着いた。次は高崎行に乗る。高崎まで来ればもう安心だ。私は旅愁を覚えながら高崎線に乗り込んだ。