傷心旅行、彼方まで

小説のような旅行記を。世界遺産検定1級。鉄道旅を主として全国を旅しています。

四国八十八ヶ所原付遍路 終章 高野山奥之院

 四国八十八ヶ所原付遍路4部作はこちら。

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 大窪寺で結願した日の夜、南海フェリー和歌山港飲み帰ってくると、少しだけ南海に乗って和歌山市駅で降りた。

 

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 市駅はJRの和歌山駅ほどではないが、近年は綺麗な駅ビルとなりお洒落な雰囲気がある。そこから徒歩数分の、和歌山の魚介などを取り扱う居酒屋が気になって、お遍路を完走して煩悩を払えた気がした自分を労うという名目で暖簾を潜った。

 市駅の近くの海鮮居酒屋は地元客で賑わっており、店長も店員もカウンターに座っている客と親しげに話していた。こういう場所には入りにくいと以前は思っていたが、一人旅で色んな店に一人で入るようになった今や、気にすることはなくなっていた。

 カウンターの端の席に案内されて、ビールと突き出しや生牡蠣で一人己を労う祝杯をあげた。それらの味も当然美味しく、店長や店員も気さくな方々であったので、私自身から話し出すようなことはなくとも少しずつ場の雰囲気に馴染んでいった。

 

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 しばらくして、地酒を飲もうと思ってメニューとは別にあるおすすめの地酒の貼り紙を見ていると、注文を取りにきてくれたので、おすすめを聞いてみて、求めている味の傾向にあった和歌山の地酒を提供してくれた。その間に店長から話を振られ、出張か何かですかと言うので、旅をしているんですと伝え、お遍路に行ってきたと告げた。すると店長が徳島の出身であることを明かし、お遍路もいつか行ってみたいけど仕事があるから難しいのだと話してくれた。四国にはお遍路をしたがっている人が多そうなことはお遍路の道中でも常々感じていたが、やはり自分の店を持っているとなると店を空けられないのだろう。それでも店長の捌く魚介類が美味しいので、それを客に提供することもまた功徳を積んでいるように感じられた。

 

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 終電と閉店の時間が迫ってきて、会計を済ませてお礼を告げて店を出ると、最終の紀勢本線に乗って紀三井寺まで帰ってきた。お遍路をするために徳島に渡った前日に泊まっていたところである。ネカフェに着くと、翌日の高野山へのお礼参りに備えて、日付を跨ぐ頃に就寝した。

 

 翌日、9時頃に和歌山駅に着いて、そこからまずは和歌山線で橋本まで向かった。橋本で南海高野線に乗り換えて、高野山ケーブルカーと接続する極楽橋駅まで行って、ケーブルカーで高野山駅に着いた。

 

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 道中は外国人観光客が多く、単に高野山だけを観光に来ている人も多い中で、なんとなく私は白衣と輪袈裟を着て高野山にいた。何年も前に単に観光で来た時とは違って、今はお遍路を終わらせてきたのだという矜持があったことは否めない。ただ、お遍路の経験をここまで持ってきたという気分になりたかったのだ。

 お遍路を終えてお礼参りに行くのは高野山奥之院である。奥之院は弘法大師こと空海の御廟であり、ここに入定して今も衆生を救っているとされている。それとは別に金剛峯寺もあるが、今回は奥之院にだけ行って満願することだけを考えた。どちらも観光で来たことがあるが、その時とは意味合いも心持ちもまるで違っていた。

 途中で精進料理を食べようと、奥之院に近い食堂に入った。精進料理というのは質素で味が薄そうな気がしていたが、多くの小鉢が並んでいる姿はむしろ豪華に見えたし、味付けもしっかりされていて自分の中の勝手な先入観はひっくり返った。修行の日々を思い出しながらありがたくいただいた。

 

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 食べ終わると、奥之院に参るために参道を歩いていった。ツアーで来ている観光客なども多く、静謐さがないのが場に似つかわしくなく思われて少し嫌な気がしたが、そのような感情も恥ずべきものなのだろうと思い直しながら、奥之院の入口にあたる御廟橋に着いた。

 

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 この先は撮影禁止なので写真はないが、橋を渡った先には燈籠堂、そしてその奥に御廟があり、御廟の中には入れないので、その手前で線香や蝋燭を捧げ、賽銭や納め札も入れることになる。

 立派な燈籠堂をぐるりと回ると地下へと続く階段があり、地下には多くの燈籠や、身代わり大師という小さな大師像がある。そこまでで奥之院の参拝は終わりとなる。

 御廟橋を渡って戻ってきたところのすぐ近くには御供所があり、ここで納経帳の最初のページである奥之院のページに納経してもらうことになる。納経をお願いして、御影も買った。納経帳に文字を書き終えスタンプを押すと、最後に満願を証明する日付印が押され、「満願おめでとうございます」と納経帳を渡してくれた。これにて長い原付遍路の旅は終わった。

 

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 納経帳にはそれぞれの寺ごとの詠歌が初めから印刷されてある。ページの埋まった納経帳の最初の奥之院のページにはこうある。

「ありがたや高野の山の岩かげに大師はいまだおわしますなる」

 

四国八十八ヶ所原付遍路 香川編

 前回の記事はこちら。

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 午前中に愛媛県内の寺を回り切ってから、正午頃に県境を越えて香川県に入った。順打ちのお遍路で最後となる香川は「涅槃の道場」であり、結願へ至る最後の道である。また、そもそもの県域の狭さと平野部の割合の高さから、四国の中で最も札所が密集している県でもある。ここまで聞けば後は楽そうに感じたが、実際には天候のせいで結果的になかなか思い通りに動けない遍路道となった。

 香川に入って最初の寺は第六十六番の雲辺寺ということになっているが、ここは実は住所的には徳島県三好市になる。香川の観音寺市側から四国ケーブル雲辺寺ロープウェイが延びているが、寺自体は山頂の県境を越えた向こう側にあるためである。

 

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 観音寺市に入ってロープウェイ乗り場に原付を停めると、雲辺寺ロープウェイでかなりの高さまで上っていく。雲辺寺四国八十八ヶ所の中で最も標高が高く、標高927mの雲辺寺山の頂上付近にある。ロープウェイで山頂まで辿り着いて外に出ると、境内へ続く道の最初のところに香川県徳島県の県境を示す線が引かれていた。

 

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 雲辺寺にお参りすることで、厳密に徳島県の寺をコンプリートしたことになる。これで4県中の3県の寺のすべてに訪れたことになり、真の意味で残るは香川県だけとなった。雲辺寺は広い寺で色々と面白いオブジェもあったが、早く次の寺に行きたかったので、彷徨くのも程々にロープウェイで駐車場まで戻った。

 

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 雲辺寺を去ると、一度三豊市に入って大興寺に寄った後、再び観音寺市に入って琴弾公園の方へ向かうことになる。

 

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 琴弾公園は色々と見所のある観光地だが、銭形砂絵展望台などは以前に行ったことがあるので、今回はさらっと参拝だけをしに来た。琴弾公園を含む観音寺市の見所については以下の記事も参照されたい。

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 ところで、この琴弾公園内には札所が神恵院と観音寺の2ヶ所あり、それらが同じ境内にある唯一の場所である。番号的には神恵院が先であるが、こちらは本堂への入口が直方体のコンクリートの打放しとなっており、その中の階段を登った先に本堂の寺院があるという名前も見た目も風変わりな場所である。もう一つは市名にもなっている観音寺であり、こちらは普通の寺である。納経所では、倍額を払って2ヶ所の納経を纏めてやってくれるようになっていた。

 

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 その後はまた三豊市に戻って、本山寺を訪れた後、弥谷寺へ向かった。山の上にある弥谷寺へ向かって山道を走っていると、霧が立ち込めていて視界が悪かった。濃霧は標高が高くなるとますます濃くなっていき、寺の展望台からの景色も真っ白で何も見えないほどであった。この濃霧は今後もしばらく続くようであった。

 

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 弥谷寺まででタイムリミットとなったので、この日のお遍路はここで終了して、宿泊するネカフェを求めて丸亀まで来た。丸亀に来るまでにかなりの寺を通り過ぎたことになるので、翌日以降は逆走するところから始まることになる。

 丸亀で今宵の晩酌をと思って居酒屋を検索して、丸亀名物である骨付鳥の食べられる店に入った。骨付鳥とは下味を付けた鶏もも肉をそのまま焼いたもので、そのままの豪快な姿で提供されるが、鋏で肉を切り離して食べるのが一般的なようである。この骨付鳥をメインに、他にもいくつか料理を頼んで、それらとお酒とで香川入りを祝した。

 

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 ネカフェに入って天気を調べると、翌日以降も雨や霧など悪天候が続く模様なので、すっかり辟易してしまって、晴れるまで待ちたいと思ったが、原付の返却期限も迫っているのでそう悠長にもしていられず、不安になってきた。とはいえ無理は禁物だと思って、明日の予定は明日の天気次第ということにして寝ることにした。

 

 翌日は少し遅い出発で次の第七十二番に向かおうと思ったが、空は厚い雲で覆われて予報通りに雨が降っており、あまり原付で動き回りたいとは思えぬ天気であった。それでも少しでもお遍路を進めようと思って西へと逆走し、善通寺市に入って曼荼羅寺に着いた。

 

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 曼荼羅寺でも雨は降り続いており、参拝後は今日中にどこまで行こうかと考えながら駐車場の喫煙所で煙草を吸いながら考えた。正直なところ、こんな雨の中でびしょ濡れになりながらお遍路をするのは、レインコートを着ていてもうんざりすることであった。しばらく雨は弱まる気配もなかったので、傘を差して歩いて次の出釈迦寺へ行った。この2つの寺は本当に近いところにある。

 

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 出釈迦寺でのお参りを終え、曼荼羅寺の駐車場に戻るタイミングで、雨が弱まった。ここから数十分程度はかなり弱い雨で、その後はまた強まるということだったので、悪天候に心を乱され苛々していた私は、もうこの日のお遍路を終えて丸亀に戻ることにした。こんな気分で旅をしたくもないし、それで功徳を積めそうな気もしなかったからである。

 雨の弱まっている間に原付を飛ばして丸亀まで戻ると、その少し後から雨が強まったので、本当にいいタイミングで戻ってくることができた。ネカフェで雨宿りをしてそのまま泊まろうと考え、昼から飲酒しながら快活のうどんを食べたりしながら過ごしていた。どうしてうどんの聖地である香川に来ているのに、讃岐うどんの名店とかではなく全国チェーンの普通のうどんを食べているんだろうと悲しくなってきた。後はゲームをしたりしながら、だらっと香川2日目が終わってしまった。

 

 次の日は、どんよりと曇ってはいるものの、雨は小雨か止んでいるかという程度だったので、この日は一気に動いた。

 出発はかなり遅くなってしまったが、とりあえずまた善通寺市に戻って、まずは甲山寺へ。その次は市名にもなっている善通寺を訪れた。

 

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 善通寺市弘法大師空海の出身地であり、善通寺は広い境内を有する大きな寺であった。観光客も多く、賑やかな趣の善通寺を順に回りつつその規模に圧倒された。また、ここは空海の生誕地であるため、大師堂にあたる建物は御影堂となっており、ユニークな場所であり八十八ヶ所の中でも特に重要な地であることが窺える。また、線香を寝かせて置くなどのここだけのしきたりもあった。忙しい遍路旅で悠長にしている時間はもうないが、ここはちゃんと見たくて少しだけ長めに滞在した。

 

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 その次の金倉寺までが善通寺市内にあり、続く道隆寺多度津町郷照寺は宇多津町にある。多度津と宇多津は地名が似ていてごっちゃになりやすそうだが、多度津土讃線の起点で琴平やその先の高知へと繋がっており、宇多津は本四備讃線も通る岡山から見た四国の玄関口にあるということは区別して覚えておきたいところである——と、鉄道や地理のオタクとしては語らずにいられなかった。

 

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 その次の坂出市天皇寺まで巡礼すると、次はいよいよ高松市入りとなる。高松市内で最初の寺となる国分寺を訪れると、まだ市街地でもないのに最後の県庁所在地まで到達できたことに一安心した。

 

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 しかし、この油断がすぐ後に悲劇を招くことになる。坂出市に少し戻って次の白峯寺に向かう途中で、盛大に道を間違えて行ったり来たりした末に、濃霧で視界が甚だ悪く、また路面が濡れて滑りやすい山道の途中で転倒してしまった。原付は無事であったが、私は右肩を負傷して、これから数週間は右腕が上がらなくなった。

 それでも進むしかないのだが、濃霧には本当にはらわたを煮え繰り返しながら何とか白峯寺に辿り着くことができた。同じ山中にある根香寺やそこまでの山道は更に霧が濃く、本当に乗り物に乗るべきでない状況であることを思い知らされたが、もう日がないので仕方がない。

 

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 ともかく、ここまでで地理的にも時間的にも区切りがいいので、この日はこのまま高松側へ山を下りて、そのまま高松市内のネカフェに着いた。無事とは言い難いかもしれないが、とりあえずちゃんとゆっくりできるところまで来られたことにまずは安堵した。

 この後は例によって居酒屋を探したのだが、なかなか近くにいい感じのところがなかったり、満席で断られたりして、かなり放浪した後に入ったのは地元の常連ばかりいるような居酒屋であった。

 カウンター席に通されると、両隣に別々の常連客がいるようで、大将や他の店員とも親しげに話し続けていた。それでもこちらも客として入ったからには、主に魚介系の一品ものなどを注文して、香川の地酒と共にそれらに舌鼓を打った。

 

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 居酒屋での飲食を終えると、ネカフェへの帰り道の途中にあるショッピングモールでお酒やおつまみを買って、ブース内でそれらに口を付けながら翌日のことを考えた。翌日は午後から天気がよくなっていき、翌々日には綺麗に晴れるらしい。2日後に原付を返却しなければならなかったので、翌日は高松でのんびりして、翌々日に確実に八十八ヶ所全部回って結願した後原付を返却することに決めた。

 

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 前日に決めた通りの旅程で行くなら一日休養日になるので、次の日は前日の夜更かしの後に昼頃に起き、ようやく雨の止んだ高松で少しだけ移動して、15時台に一宮寺を訪れた。この日はこんな時間に出発しているので、札所は元々ここだけ訪れる予定だった。

 

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 その後は暇になったが、気紛れに近くのスーパー銭湯に寄ることにした。負傷した右肩に対する湯治ではないけれども、何となくそんな気分で入ってみた。

 

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 天然温泉ではあるらしいが、加水はしていると思われる温泉は、温度差のある複数の浴槽にジャグジーや電気風呂、露天風呂やサウナなど風呂の種類の多さで勝負している感じだった。私は程々熱いくらいの湯が好きなので、主にその湯の浴槽に浸かって疲れを癒した。他の客はほとんど地元の老人のように見えたが、施設の入口にはお遍路さんからも愛されていることをアピールするような多言語表記の立て看板もあったので、一人くらいは私の他にもそういう人がいたのかもしれない。

 湯から上がると、フロントの近くの休憩所で、定番のコーヒー牛乳を飲みながらゆったりした。徐々に雲も薄れて晴れてきて、強い西日が差し込んできた。これでようやくお遍路を終えられると確信できる天気になって、気分が持ち上がった。

 

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 この日の夕食は何にしようかと考えたが、どうせこの辺りにはあまり店がないし、うどん屋は大抵昼しか営業していないので、結局近くのスーパーでまた珍味を買ってネカフェのブース内で食べることになった。そしてこの日は、いよいよ結願を迎える翌日に備えて、早めに眠りに就いた。

 

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 そして、いよいよ結願の日が来た。天気は見事に晴れ、雲一つない青空がどこまでも広がっていた。これを待っていたのだとばかりに、安堵と高揚感の中、原付に乗った。これに乗るのも今日が最後かと思うと少し寂しかったが、ここまで累計1500km以上を走ってきた相棒にも、最後はいい景色を見せに行くのだ。

 最初に向かうのは高松市北東部の屋島。海に迫り出した小高い山の上には広々とした駐車場があり、屋島寺の他にも水族館や瀬戸内海を臨む展望台などがある観光地である。今回は例によって時間がないので水族館や古戦場跡などは無視して、屋島寺を参るだけ参って、駐車場の側の展望台から瀬戸内海の多島美を見た。やはり瀬戸内には晴れが似合う。ぐずついた雨や霧なんてらしくもない天気が続いていたので、ここが瀬戸内であることを忘れそうになるところだった。

 

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 屋島の山を下りると次はすぐ東にある山の上の八栗寺へ向かった。八栗寺へは四国ケーブルの運営する八栗ケーブルがあり、今まで乗ってきた太龍寺ロープウェイ、雲辺寺ロープウェイと合わせて3路線を運営しているが、八栗は他の二つと比べれば標高も規模も小さなケーブルである。これに乗って山上まで行ったところに八栗寺がある。

 

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 八栗は屋島ほど観光地化されているわけではないのでもう少し静かでいい場所であった。高松市内にある寺はこれですべてである。残るは3つだけで、これらはさぬき市にある。原付で更に少し東に進んで、ついに最後の地であるさぬき市に入った。

 最初にあるのは、琴電志度線の終点でもある志度にある志度寺である。平賀源内の出身地であるらしくその記念館などもあるが、それもスルーして真っ直ぐ寺へ。五重塔もある綺麗な寺だったが、工事中の箇所があったり、なぜかぽつんと『すずめの戸締まり』みたいな水色の扉だけが置いてあったり、不思議なところであった。

 

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 その次は同市内を南下して、今度は琴電長尾線の終点である長尾に着いた。長尾寺は街中にある寺だが、ここまで来るとどことなく終わりが近いことが感じられ、他のお遍路さんの様子も少し違って見えた。順打ちの人からすれば最後の第八十八番札所・大窪寺へ向かう旅路の最後が近く、逆打ちの人からすればまだ始まったばかりの場所で、両方の人がいて独特の空気感があった。

 

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 長尾寺を後にすると、ついに最後の地・大窪寺へ向かうことになる。同市内を南下して山間部へと入っていき、徳島県との県境に近い国道377号に入って、少し東に進んだところにそれはあった。

 駐車場に原付を停めてヘルメットを脱ぐと、ようやく巡礼路を走り切ったのだという感慨で、少し休憩してから境内の方へと向かった。門の前には「四国霊場結願所」と書いてある。2週間、様々な苦労も乗り越えて、ついに結願できることのありがたみと自分への労いを感じながら、門を潜って本堂へ歩いていった。

 

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 本堂までの道にも最後の地に相応しい色々なものがあった。その中でも特筆すべきは、やはり金剛杖を奉納してある寳杖堂であろう。今回私は杖を買わずにお遍路をしたが、徒歩遍路などで杖をついてきた人たちは、最後にここで杖を奉納し、毎年供養されるのである。堂内に大量に立てられた杖の一つ一つに人々の想いが詰まっているのだろうと思うと、非常に感慨深かった。

 

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 本堂と大師堂で最後の参拝を済ませると、納経所へ行って納経してもらった。納経帳の最後のページに梵字などが書き込まれると、「結願おめでとうございます」と納経帳を渡してくれた。雨に苛立ったり霧の中で転倒したり色々あったが、すべてはこの瞬間に繋がっていて、私はついに結願を果たしたのである。ここまでの苦労はすべて報われたのであった。

 

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 晴れやかな気持ちで境内を出ると、昼時の門前街には活気があった。順打ちでお遍路を終えた人、逆打ちでここからお遍路を始める人、お遍路ではないけど観光しにきたように見える人など色んな人が見受けられた。

 

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 一番賑わいのありそうな土産屋兼食堂では、香川名物の打ち込みうどんが食べられるようだった。「打ち込みうどん」とは、打ち立てのうどんを茹でないまま鍋に入れ、野菜などと一緒に煮込むという形式の讃岐うどんの一つの形態である。その店舗では他に「満願いなり」なる赤飯で作った稲荷寿司も名物らしく縁起もよさそうなので、打ち込みうどんと一緒に注文して、畳の座敷でしばらく待った。

 やがてうどんといなりが到着し、今回のお遍路の中で初めて本場の打ち立てのうどんを食べることができた。やはり本場のこしのあるうどんは食感や喉越しもよく出汁も美味しくて、旅の疲れも吹き飛んでいった気がした。稲荷寿司の方も赤飯が意外と油揚げとの相性がよく、美味しい寿司であった。

 

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 さて、これでお遍路は終わったが、この日はもう一つミッションがある。それは、丁度この日が返却期限なので、夕方までに鳴門市内のバイク屋まで戻らないといけないということである。大窪寺も名残惜しいが、あまりのんびりもしていられないと思って、14時頃に大窪寺を後にして、鳴門へ向かって走り出した。途中、香川の東端に近い引田で休憩を取りつつ、国道11号沿いに徳島県入りをして、海沿いの道をずっと走り続けた。国道11号は徳島市まで続いているので、バイク屋にかなり近いところまで一直線に走って、最後にバイク屋の近くのガソリンスタンドで満タンまで給油して、無事返却期限に間に合う時間に出発地のバイク屋に帰ってきた。

 最終的に累計1700km以上も走った原付は流石に傷一つないとは行かずに少し修理代を取られたが、原付に一切乗ったことがない人間が、突然そんな長距離の知らない道を走って、大きな事故もなく無事に帰ってこられたので、きっと店長も及第点くらいには思ってくれているはずだと勝手に思いながら、近くのバス停に向かって、2週間ぶりのバスで徳島駅まで戻ってきた。

 

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 そこからはまた少しの待ち時間の後に徳島港へ行くバスに乗り換えて南海フェリー乗り場で降り、帰りのきっぷを買ってあっという間に乗船時間となり、これにて2週間の四国八十八ヶ所遍路は終わりを告げた。お遍路を終えてその日中に和歌山まで戻るだなんて随分あっさりとした別れにも感じられるかもしれないが、私は旅人で、命ある限りはどうせまた近いうちに四国を訪れることもあるだろう。だから、晴々とした気持ちで四国を後にした。別れはあっさりでいい。そうでないと、

「また会ったときに恥ずかしいからね」

 

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 高野山へ続く。

 

四国八十八ヶ所原付遍路 愛媛編

 前回の記事はこちら。

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 宿毛の宿を出て高知県最後の延光寺を訪れた後、高知県を西に出て愛媛県愛南町に入った。3県目となる愛媛は「菩提の道場」であるらしい。愛媛南部は高知西部と同じように広さに対して札所の数が少ないので、一つ一つ進むのに時間がかかる。そうして長い道を走っていると、かなりの強風が吹き始め、国道56号を通って海側の市街地へ出るとそれはますます強まった気がした。

 愛媛県最初の寺となる観自在寺に着くと、お参りと納経を済ませた後、一旦休憩しながら天気を調べた。すると愛媛県南予エリアには暴風警報と波浪警報が発令されており、それを裏付けるかのように境内の木々が傾きながらざわざわと音を立てていた。手水用の柄杓も風に流され、おまけに空模様も怪しくなり、さっきまで晴れていた空が不穏な雲に覆われ始めていた。

 

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 これはまずいと思い、この日のお遍路を継続するのは危険なので中止しようかとも思ったが、それにしてもまだ朝なので、時間を潰すのには長すぎる。本当に危なかったらいつでも中断していいと思いながら、引き続き国道を走って宇和島の方へと向かうことにした。

 風はますます強まり、度々ハンドルを取られそうになるし、その上小雨が降り始め、ますます天気は荒れる一方であった。海沿いの道では高波が岸に打ち付けて、砕けた波の飛沫が塀を越えて道路側まで飛んでくることもあるくらいだった。とはいえそんな何もないところで止まっても避難できる場所も宿泊できる場所もないので、少なくとも宇和島の市街地まではと思って必死でアクセルをかけ続けた。そんな状況でも法定速度を超えてまで原付を追い越していく車は何台もあって、怖いもの知らずかと慄いた。原付などより遥かに重量があるのでハンドルを取られることもさほどなかったのかもしれなかったが……。

 宇和島中心市街を通り抜け、50kmほどの道を走り抜けてやっと次の第四十一番にあたる龍光寺に辿り着いた。ここまで死線を潜り抜けてこられたのも、偏に私が自分の命を軽んじているからであった。雨は止んで少しはましな天気になったが、暴風は吹き続けていた。

 

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 次の仏木寺までが宇和島市内にあって、その次は西予市に入る。宇和島には現存天守宇和島城や、名物料理の鯛めしなど魅力的なものが多くあるが、それらは以前訪れた時に行ったので、今回は名残惜しくもお遍路に集中して西予市明石寺に着いた。この時点で時刻は既に14時台であり、しかも次の第四十四番へは80km近くもあるという。これは流石に間に合わなそうな気がして、無理に次へ行くことはせず、明石寺駐車場の側にあるお土産や巡礼用品などを売っている店を物色でもしながら休憩することにした。ここにこのような店があるのも、きっと次の寺までが遠すぎるからに違いなかった。

 

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 春は近づけど風も強くまだ寒い日なので、温かい甘酒どうですかと表で宣伝していた。気まぐれにそれを一ついただくことにすると、店の奥の食堂スペースの一角に座って待った。やがて出してくれた甘酒をゆっくり啜ったら身体が温まって寒さが和らいだ。飲みながらごそごそと荷物の整理をして態勢を整えると、代金を払って礼を述べて駐車場に戻った。

 

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 団体バスのいなくなった駐車場にぽつんと佇んでいた原付の方へ向かって、もうこの日は次の寺まで間に合わないので一旦松山の方まで行こうと、また長い経路を調べていると、雨の代わりに霰が降り始めた。山間部の標高の高いところとはいえ、春になろうとしている四国で霰が降るのは流石に面食らった。幸いすぐに降り止んだので、 その隙に出発して、松山を目指して原付で走り続けた。

 

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 数時間してようやく松山のネカフェに辿り着いた。普段の電車旅なら大街道のアーケードの方にでも行っただろうが、今回は駐輪スペースが必要なので、東温市との境界にある郊外店に来た。国道沿いで周辺にはロードサイド型のチェーン店やショッピングモールが立地しているばかりの場所だったので、特に愛媛の名物とかではないが快活クラブの隣に入居している焼肉屋に入った。とにかく一日中暴風の中を駆け抜けてきたので、もうどこかへ行くという元気がなかった。

 ファミリー層の多い焼肉屋に一人入って、ホルモンが好きな私はホルモンの盛り合わせを頼んでひたすらホルモンだけを焼いて食べた。最後に冷麺を食べて店を出ると、ネカフェの自分のブースに戻ってさっさと寝ることにした。次の日もまた過酷な山道を行くところから始まるので。

 

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 翌日もぱっとしない空模様であったが、何よりも寒かった。朝6時頃に出発しようと外に出ると、松山の平地でさえ氷点下で、原付に降りた霜が一部凍っていたほどであった。これから目指す大寳寺と岩屋寺は、松山から南へ、峠を越えた先の久万高原町にある。標高が上がるのでここからまだ寒いところに行くことを覚悟して、懐炉を貼って熱気を蓄えておいた。

 段々山の方へ走っていくと少しずつ交通量は少なくなり、完全に山の中に入ると、しんと静まり返った道の脇には薄く雪が積もっており、更に粉雪も降り始めて、景色は完全に冬であった。

 やがて峠を越えて久万高原町の市街地に入ると、大寳寺はもうすぐである。幹線道路から少し外れて寺に到着する頃には7時をかなり過ぎており、一番乗りというわけにはいかなかったようだ。それでも境内には他にお遍路さんがいる感じでもなく、一人粛々と参拝を済ませた。

 

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 次の岩屋寺はそこから更にまた山道に入ったところにあり、駐車場までの道はわかりやすいが、そこから徒歩の長い坂と階段が待っている八十八ヶ所有数の難所である。駐車場に原付を停めて、境内へと坂道を上っていくと、巡礼道具や接待の飲み物などがあるらしい小さな門前街の一角には、「まだ/\これからじゃ岩屋の坂と人生は」と書かれた看板があった。門前の店舗はまだ朝早いからか大方閉まっているようであった。

 

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 長い岩屋の雪山の階段をずっと上っていくと、やがて山門が見えたが、そこから更にかなり進んだところまで行ってようやく本堂などがある頂上部に着いた。やっと辿り着いた一番上の少し迫り出した展望スペースからは、木々や建物の屋根に雪が積もっているのが見え、また丁度そのタイミングで少し日光が差したにも拘らず粉雪も降っていて、疲れた目にはその景色が幻想的にすら見えた。

 

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 参拝を終えて納経所に行くと、納経してもらったついでにお接待としてクッキーの入った袋を貰った。番号的にもここがおよそ真ん中にあたるので、折り返しを祝う意図もあるのかと思ってそれをありがたく受け取って鞄に入れると、納経所を去った。納経を終えると、さもこの日のお遍路が終わったかのような気持ちになって、しばらく小屋の隅で煙草を吸いながら、鎖樋を伝い落ちる雪解け水を眺めていた。少なくともこの日一番の難所は越えたので、まだ9時台だったが既に半分以上は目標まで辿り着いたと言っても過言ではなかった。気温がようやく正の値になったのを感じながら長い坂と階段を折り返して駐車場まで戻り、岩屋寺を後にした。

 そこからは松山の市街地に近いところに密集しているので楽だった。松山市内に戻ると、市内東部にある浄瑠璃寺八坂寺西林寺浄土寺繁多寺石手寺の6つを淡々と回った。

 

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 残りの太山寺円明寺は市内北部にあってやや離れており、経路的にも松山の中心市街地を突っ切る形となるので、ど真ん中の大街道まで乗り入れて少し休憩がてら久々の都会的な街並みを散歩することにした。

 

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 時刻は昼過ぎ、松山名物の鍋焼きうどんでも食べられたらいいなと思い大街道や銀天街のアーケード周辺を散策するも、その辺りにある有名店は既に売り切れでその日の営業を終了しており、結局何も食べることはできなかった。日ごとに売り切れ次第終了としているような人気店は大抵昼過ぎにはもう閉まっているものである。少し残念に思いながらふらっと三越に入ってみると、イルミネーションの綺麗で都会的な高級感のある店内に落ち着きを覚えたが、奥の方のフードコートは閑散としており、そこでも何か食べようというほどの気分にはなれなかった。

 

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 そうこうしているうちに時間が経っていて、松山市内にある残る2つの寺に行けるかどうかという時間になってきたので、市内をずっと北上して、太山寺円明寺を訪れた。ここまでが松山市内で、次の数ヶ所は少し離れて今治市内に集中しているので、丁度いい切れ目となった。ここでこの日のお遍路を終え、また同じネカフェに宿泊するべく帰路に就いた。

 

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 ところで随分海寄りに来ていたので、途中で何か海鮮でも食べようと検索してみた。離島への航路も多い港町の三津の辺りには多くあるようだったが、その辺りは電車で行けるし、その先の離島を旅する際に訪れることがありそうなので、今後あまり訪れることがなさそうな松山空港の近くまで行ったところの海鮮丼屋と海鮮市場を訪れた。

 

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 愛媛県は海での魚類の養殖量が日本一で、様々な魚介を楽しめる場所であるが、その店ではWブリ丼を食べることにした。生の刺身と藁焼きの2種類の鰤が載った丼である。鰤の身はどちらも肉厚で、特に藁焼きの方は香ばしく旨みが詰まっていて美味しかった。醤油と山葵だけではなく生卵を溶かしてかける宇和島の鯛めしみたいなスタイルの海鮮丼であったが、卵と鰤の相性もまたよかった。鍋焼きうどんの代わりにまた独特の美味しい海鮮丼を食べることができたので、食欲も満たされた。

 

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 その後は隣の市場に行って、色んな海鮮や愛媛県産の肉類、野菜などが売られているのを見た。その中にはやはり加熱などの調理が必要なものが多いので、旅の道中に買っても食べる手段がないものが多かったが、おつまみ的なもので生食できるものがあったら少し買っていきたいと思い、帆立のチャンジャとスモークタンを購入して帰ることにした。

 

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 市場で何を買うか結構悩んでいたので、外に出るといつの間にか日が暮れそうになっていた。次第に暗くなっていく夜の松山をひたすら東へ走って出発地に戻っていく。この東西移動には同じ市内でも結構距離があったので、何だかんだで時間がかかった。

 戻ってくると、隣の大きなショッピングモールのスーパーでお酒を買って、先程のおつまみと共にネカフェで一人の晩酌をした。おつまみとして買ってきたチャンジャとスモークタンはどちらも美味しく、特にスモークタンは西予の山奥の牧場で飼育された県産の豚肉で、香辛料の香ばしい風味が堪らないものであった。こうして愛媛2日目の夜は過ぎていった。

 

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 次の日は7時頃に出発して、今治市延命寺を目指した。東温市側からは山の中を突っ切っていくルートが最短だったが、途中から道に自信が持てないまま何となく走っていると、山の中にしては人の多い市街地に戻ってきていて、地図を見ると前日と同じ松山市の海側まで来てしまっていた。こうなっては仕方がないので、ずっと海沿いに松山と今治の間の交通量の多い国道を通って、かなりのタイムロスを抱えながら延命寺に着いた。

 

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 そこからしばらくは今治市内の寺を巡っていくことになる。次は南光坊という、名前に「寺」の付かない珍しい寺を訪れた。今治市中心市街地にも程近く、発展した街並みの中にあった。単独でこのような立地にあるこんな名前の寺は非常に珍しいので、寺として特に目立ったものがあるわけでもないがやはり印象深い。

 

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 その次は立て続けに泰山寺永福寺仙遊寺国分寺今治市内の残りの寺をすべて回った。この時点で時刻はまだ12時台であり、ここから更にいくらか行けそうな感じがする時間帯であったが、次に行く寺こそが個人的に原付遍路の最大の難所となった場所であった。

 

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 その最大の難所は、西条市に入って最初の横峰寺という寺である。その寺はその標高から考えても非常に険しく、徒歩や自転車の場合は言うまでもなく最難所の一つであろうが、原付にとってもまた最難所と言える場所であった。というのは、車道で境内まで行こうとすると有料林道を経由することになり、50ccの原付ではその道路を通ることすらできないからであった。

 原付かつ無料で行ける道路としては、境内より500mくらい標高が低いところの休憩所までで、そこに駐車場が用意されてはいるものの、車でそこまで来た人は、間違えたと思って悉く引き返していった。そんな場所に原付を停めて初めて、こんな低いところまでしか道がないことを気付いた私は、そこから長く続く徒歩の登山道を見上げて愕然としていた。

 

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 すると、その近くに停まっていた車からお爺さんが出てきた。

「これからここ登るんか。ここから上まではしんどいで」

 どうやらこの辺りに住んでいるのか、このお爺さんはいつもこの辺りにいるらしく、私に話しかけてきたのも、ここから山道を登っていく人に対して接待をするためということだった。

 四国には、お遍路さんにはお接待をするという文化が根付いており、他の寺でもそのようなお接待として果物や菓子などを提供している場所はいくつかあった。しかし、このような形で個人的に接待をしていただくのは初めての経験であった。徒歩遍路ならまだしも、原付含むバイクや車のような乗り物に乗っていると、徒歩や車の住民からお接待の品物を貰うということはまずないので、個人間でのお接待はこれが最初で最後のことであった。

 その老人が抱えていた箱の蓋を開けると、何かの花を象ったようなバッジと飴玉の入った袋がいくつかあった。私はこういう局面で迷ってしまうタイプなので、どれか一つ貰おうと内心かなり焦りながら一つ受け取った。そのお礼としてしきたり通りに納め札を渡すと、老人は満足げに私を励まして自分の車へと戻っていった。ここからの道はあまりにも過酷だが、彼のおかげで少し元気づけられて、私は登山を開始した。

 登山道は2km強程度のものであるらしいが、その看板には恨みの籠った体感距離が落書きされていたりして、何とも治安が悪いというか、ここを通った巡礼者たちの嘆きの温度を感じた。登山道の序盤は川のせせらぎの聞こえるまだ緩やかな道であったが、やがて川の上流よりも上の過酷な山道へと変わり、何度も途中で休憩を挟みながら、1時間以上かけて何とか登り切った。

 

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 山門を潜って境内に入っていくと、ようやく人々の声が聞こえてきて、車で来た巡礼者と合流するような形となった。駐車場は山門とは反対側にあるらしく、参拝を終えてからそちらを見に行く人たちとすれ違いながら、やっと本堂に辿り着いた私は、息を整えて合掌した。

 

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 納経を終えると、山門の近くの小屋で少し休んだ。想像以上に過酷な登山道であったので、次の寺まで行く時間も体力も最早残っていなそうだったし、もう下山した後にまた同じネカフェへと帰る経路を検索した。ほとんど東温市側にあるそこまで帰るには、西条市からだと西に一直線に山を越えて比較的すぐに辿り着ける経路であった。これがまさにこの場所に宿泊することにしていたメリットであった。

 そうしてまた出発地へと戻ってくると、近くの回転寿司屋に行くことにした。愛媛最後の夜になるだろうとは思ったが、疲れ切っていたのであまり動く気力もなかった。回転寿司は地元のファミリー層で賑わい、既に何組も待ちが発生していたので、名前を書いて結構長い時間待ってようやく席に案内された。

 回転寿司といっても全国チェーンとかではなく瀬戸内にいくつか出店しているローカルチェーンである。瀬戸内の愛媛や香川の魚介類の寿司がおすすめに多くあがっていたので、それらを中心に寿司を食べていった。疲れていたからか、普段と違ってお酒を飲むこともなく、次から次へと素早く寿司を取っては食べていき、私にしては珍しいハイペースになっていた。

 

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 美味しい寿司を少食なりに結構食べて満足すると、会計をして店を出た。こんなふうに一人で来ている客など他に見当たらなかったが、愛媛や高知の他に、これから向かう香川の魚介類も食べられたので、悪くない店であった。ネカフェに戻ると少しだけお酒を飲みながら横峰寺で貰った飾りを見てみた。名前はわからなかったが、花びらが螺髪のようになっていて、これで私もあの老人も一つ功徳を積めていたらいいなあと思った。

 

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 同じネカフェに3連泊もして世話になったが、次の日はいよいよ愛媛を抜けて最後の1県、「涅槃の道場」である香川に向かう。

 この日から数日雨が続くらしく、暗雲立ち込める中、山道を東に抜けて西条市に戻ってきた。最初に訪れた香園寺は変わった寺で、本堂が近代的な建築の講堂になっていて、1階部分を参った後に2階部分へ上がると、灯りを抑えめにした広い室内には立派な本尊が安置されており、それに向かって数百席くらいの座席が備え付けられていた。中ではツアー客が住職の話を聞いていて、それを邪魔しないように本尊を拝んでから外に出た。

 

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 続く宝寿寺、吉祥寺、前神寺は同じ西条市内にあって寄り集まっているので、さらっと巡って、いよいよ愛媛県最後の寺である三角寺を目指して国道11号を東へと走り続けた。

 

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 愛媛県で一番東にある四国中央市にある三角寺に着いてお参りすると、愛媛県内はコンプリートである。これでついに3県が埋まって、残りは香川だけとなった。香川はそもそもの県域が狭いので、全体的に寺が密集しており巡りやすそうで、後は楽かと思われたが、天気が芳しくないので一抹の不安を残した。とはいえもうお遍路も終盤、最後の地となる香川でも頑張ろうと気合を入れ直して、香川県に入った。

 

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 続きはこちら。

imtabi.hatenablog.com

 

四国八十八ヶ所原付遍路 高知編

 前回の記事はこちら。

imtabi.hatenablog.com

 

 高知県は四国の中で最も広いにも拘らず、寺の数は一番少なく、寺同士の間隔が相当大きいところもあるので、一番過酷な「修行の道場」と言われる。実際、徳島の巡礼よりかなり骨の折れる巡礼路であった。

「朝4時に何してるんだい?」旅支度をして、まだ寝静まっている民宿を物音立てぬようにチェックアウトし、原付のエンジンをかけた。日和佐から出発して7時頃に高知最初の寺となる第二十四番に着くには、4時台のまだ真っ暗な深夜のうちに原付で走り出して何とか間に合うというほどに距離があるので、こんな時間から国道55号をひたすら南下し始めた。「朝の4時よ! これから走りに出るんでしょ?」

 初めは真っ暗だった国道も、少しずつ日が昇ってきて、高知県に入った頃には朝焼けの綺麗な海を臨みながら走れる爽快なツーリングになっていった。

 

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 宿を早く出たおかげで7時ちょうどくらいに室戸岬まで到達した。そこから山道を少し登ったところに高知県最初の寺である最御崎寺室戸岬展望台がある。ちなみに「最御崎寺」と書いて「ほつみさきじ」と読む。これは流石に読み方がわからなかった。

 

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 まずは最御崎寺をお参りして納経をしてもらった。それから展望台の方に行くと、快晴の室戸の海を展望することができた。灯台にはかなり高くなってきた朝日が差している。まだ一日が始まったばかりなのに、もうクライマックスみたいな絶景だった。前回室戸に来た時に行けなかった山の上をちゃんと観光できて、その意味でも非常によかった。

 

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 前回高知を訪れた時の話は下記を参照されたい。

imtabi.hatenablog.com

 

 坂道を下ると、今度は土佐湾に沿って海沿いの道を高知市方面へと走っていった。まずは室戸市の市街地に近いところにある津照寺金剛頂寺に行って、その次は安田町の神峯寺へ向かった。

 

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 ところが、神峯寺に至る急な坂道の途中でエンストしてしまった。給油ランプが点き始めていたからそろそろ給油しなければとは思っていたもののまだ平地なら問題なく走れるくらいのガソリンは残っていたので油断した。坂道をこれ以上登れないので、一旦麓まで下りることに……。完全なガス欠ではないので、自由落下で坂道を下って、すぐ近くにあったガソリンスタンドで給油して事なきを得た。この日以降、毎日給油を欠かさず朝出発する時に確実に満タンにするようになった。

 気を取り直して山道を登っていって神峯寺に到着した。神峯寺の広い境内を見て回りながら休憩を挟んだ。

 

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 参拝と納経を済ませると、次は香南市大日寺と南国市の国分寺へ。「大日寺」とか「国分寺」とかみたいな名前の寺はたくさんあるので八十八ヶ所の中にも何個かずつあるが、全部別物である。


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 流石の立派さを誇る国分寺の次は、いよいよ高知市内に入って、第三十番の善楽寺に着いた。高知市まで来ればネカフェなどもあって宿泊に困ることもないので、めちゃくちゃに早起きしてまでずっと原付を走らせてきたのが報われた。

 

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 ここからの数ヶ所は、少なくとも現代の道路状況から考えると最短ルートに見えずやや逆走しているようにも感じられる立地の寺だが、順打ちのルールに沿って一応順番通りに行くことにした。

 次の竹林寺高知市南部の五台山の上にあって、そこには他にも展望台など色んな施設があって一気に俗っぽい観光地に来た気分になった。五台山展望台からは高知市の街並みが見渡せ、時間的にもうあまり余裕がなくなっていたにも拘らずしばらく眺めていた。

 

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 次の禅師峰寺は南国市にあって、ここがどうも逆走しているような感じがしてもやもやしたが、一応順番通りに参拝。その次の雪蹊寺はまた高知市に入って、有名観光地の桂浜のすぐ側を通り過ぎてしばらく行ったところにある。時刻は既に16時台であったが、平地にあって行きやすいところなので何とか納経に間に合う時間に到着することができた。高知巡礼の1日目はここまでとなった。

 

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 そこからは土讃線の線路より北側にあるネカフェまで、市内を結構南北に移動して、原付を停めるとすぐ近くの居酒屋に入った。日本は海に囲まれているし、その中でも高知の魚は美味しいので、刺身盛りなどを注文して、ビールや地酒を飲んだ。また、鰹の叩きで有名な高知には、それを巻いた土佐巻きなる巻き寿司も存在し、それも気になったので食べてみた。

 

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 こうして満足のいく高知の夜を過ごせたので、できれば次の日に高知をコンプリートしたいと思いつつ荷物整理をして、お遍路全体でも最も過酷と言っていい高知県西部の巡礼に備えた。

 

 次の日は曇りの中、6時台にネカフェを出発し、7時より少し前に同じ高知市内の種間寺に着いた。高知県西部は本当に一つ一つの寺と寺の間が開いているので、なるべく早く回ろうと思って一番乗りという感じで来た。それでも既に不安なくらい西部は長い。

 

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 その次の清瀧寺と青龍寺土佐市にあって、名前が似ているので紛らわしいというのに加え、青龍寺の方は土佐市から隣の須崎市にかけて広がる細長く狭い浦ノ内湾の、湾を超えて太平洋に面する半島側にあって立地的にも印象深い。また、桜が咲いているのも見ることができ、春が近づいてきていたことが感じられた。

 

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 青龍寺からはその半島をずっと西へ行って須崎市に入る。次の第三十七番にあたる岩本寺までは結構な距離があるので、須崎市内のショッピングセンターに立ち寄って休憩をすることにした。店内の一角にある百均で緩んでいたサイドミラーのねじを締めるための六角スパナを探していると、幅を自由に調整できるという便利なスパナが見つかった。そして小銭入れなどのあるコーナーを見ていた時に、賽銭や納め札を取り出しやすいようにそれだけを入れておくための袋として便利ではないかと思って、ついでにそれも買うことにした。日本の百均には本当に色々あるものである。

 

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 それで須崎に感謝しながら再び西進して、四万十町にある岩本寺まで到着。ここもつい数ヶ月前に高知に来た時に訪れた窪川エリアにあるので、近づいてくると何となく薄ら見覚えのある景色のようなそうでもないような気がしながら寺をお参りすることができた。

 

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 さて、この次が距離的な意味での最大の難所だろうと思っている、足摺岬にある金剛福寺である。足摺半島は結構広く、高知西部の中心都市である四万十市中村からもかなりの距離があった。窪川からは実に3時間ほどかけて向かうことになった。更に悪いことに、雨が降り出したので、レインコートを来たものの、下半身は防げずに濡れ、風も吹いて寒く、途中で少し眠気を感じてコンビニで休憩したりなどして、かなり過酷な道を走ってやっとこさ夕方に金剛福寺に辿り着くことができた。

 

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 金剛福寺を参拝して、立派な庭園も一通り見て回った後は、流石に疲れて雨の凌げる場所のベンチに座って休憩した。足摺岬にはもっと天気のいい時に来たことがあったので、天気も悪く、原付で200kmも移動した後の状態では見に行こうという気も起きなかった。

 

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 次が高知県最後の寺となる宿毛市延光寺だが、納経してもらえる時間内でそこまで移動するのは厳しい時間帯だったので、中途半端な感じではあるがここでこの日のお遍路は終わりということにして、しばらくベンチに座りっぱなしでいた。

 その間に宿毛の方の民宿を探すと、何とか一つこの時間からでも予約して宿泊できるところが見つかったので、そこに向かおうとまた原付に跨った。傘を差すかどうか迷うくらいの微妙な強さの雨がずっと顔や手にあたるのが本当に鬱陶しかった。足摺岬がかなり南に突き出しているような形なので、土佐清水市の中心部まで戻るのにも時間がかかり、そこから宿毛の市街地に近い宿までは更にかなりの距離があった。この日が距離としては一番長く走った日となった。ただでさえ広い高知県で更に寺が室戸岬足摺岬みたいな端っこに位置していることを本当に恨めしく思った。

 何とか完全に日が暮れて夜になるより少し前に宿まで辿り着くと、オーナーは歓迎してくれ、宿でのルールや設備の説明をする間にお茶も出してくれた。原付で来たことを伝えると、少し離れたところの車庫のような場所も案内してくれて、そこに格納してもらった。

 その後は自由な時間なので、例によって宿毛駅に近いところまで行ってふらりと居酒屋に入った。いくら高知にいるといえども毎回鰹では流石に飽きるので、この日は別の魚を食べようと思って、きびなごなどを注文した。地酒も楽しみたいところだったが、普通の日本酒ばかりも飽きるので、日本酒に柚子果汁を入れた風変わりな日本酒や、高知県西部で栽培されている柑橘類である直七のサワーなどを飲んで、柑橘系のフレーバーを楽しんだ。広いだけで寺の数は少ない高知は意外と早く去ることになったので、高知最後の夜をしっぽりと過ごした。

 

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 帰り道に近くの大きなスーパーで少し買い物をして宿に戻ると、もう既に共同スペースは消灯していて、静かに部屋に戻った。そこで翌日の用意をしようと納め札を書いたりしていたのだが、中途半端なところで眠気が来て寝落ちしてしまい、更にまた変な時間に目が覚めてしまって、深夜をほとんど起きっぱなしで過ごすことになってしまった。

 納め札などの準備を整えて賽銭などと纏めて新品の小さい財布の方に入れ、車庫に行ってサイドミラーのねじをスパナで固く締める整備をした。ねじをしっかり締めるのに意外とてこずってしまって、車庫の中に電気がなくスマホのライトしか明かりがなかったのもあって整備にかなりの時間がかかってしまった。出発する前から疲れていて、しかもほとんど徹夜の状態で出発するのは流石にしんどかったので、部屋に戻った後は少しでも睡眠時間を確保しようと布団に入って仮眠を取った。

 

 仮眠だけでもだいぶ体調がましになったので、朝になると延光寺へ向けて出発した。延光寺までの道はわかりやすく、何となく達成感を覚えにくいような感じで高知県の寺をコンプリートした。

 

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 これで4県のうち2県の巡礼路をすべて通ったことになるが、数字的にはまだ折り返していないので、あまり悠長にはしていられず、次の第四十番から始まる愛媛巡礼に向かって来た道を折り返していった。妙に風の強い日で、嫌な予感を覚えながら、高知県を抜けて愛媛県に入った。

 

 続きはこちら。

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四国八十八ヶ所原付遍路 徳島編

 空海は、今の香川県善通寺市に生まれ、唐で密教を学んだ後、和歌山の高野山にて真言宗の寺院を建立し、真言宗の開祖となった。その途中で空海が実践したとされるのが、四国にある八十八ヶ所の寺を巡礼するという、後に「お遍路」と呼ばれ、様々な人がその跡を辿ることになる修行道である。私の中には様々の煩悩があり、それを払うのに必要な修行だと考え、ずっと昔から実行したいと思っていたが、それがこの度ようやく実現したというものである。詳細は後述するが、移動手段としては原付を使うことにして、レンタルの予約をしてあった。

 和歌山港から南海フェリーを使って徳島港に辿り着くと、バスに乗ってまずは徳島駅に到着した。徳島駅に着いた頃にはもう時間が遅く陽が傾きかけていたので、一応眉山ロープウェイの方へ向かってみるも、営業を終了していそうな雰囲気で、阿波おどりミュージアムも営業終了していたので、大人しく徳島駅へと引き返すことになった。

 

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 駅まで戻ってきた後、駅近の居酒屋を探して、一つの大衆酒場に辿り着いた。そこは海鮮がメインの老舗で、地元のサラリーマンや常連客で賑わっていた。

 徳島の居酒屋だが、鰹や鱓など高知を思わせる料理が人気の、四国の様々な味覚が詰まったようなメニューだった。とりあえず生ビールに山水母、鱓の叩きを注文して、ビールを呷りながら鱓を待つ。しばらくしてやってきた鱓叩きは白くてぷりっとした身に薬味も多く盛られていて、新鮮で美味しく、四国以外でほとんど食べられていないのが不思議なくらいだった。その後も鯨ユッケや海鼠ぽん酢といった珍味を食べながら、徳島の地酒をちびちびと啜って、お遍路を始める前にまずは四国の海鮮を堪能した。

 

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 その翌日から2週間の予定で原付をレンタルしていたので、この日はそのまま宿泊するネカフェに向かって、すぐ側のスーパーで酒とつまみを買ってから入店した。決起会の二次会のようなつもりで、一人旅ながらそれなりに飲んでいたら、いつの間にか夜が更けてきて、深夜に就寝することになり、翌日目覚めた頃には昼であった。

 

 真昼間にネカフェを一度退店して原付を受け取りに行こうと思うが、その後に一ヶ所さえ巡礼できるか怪しいくらいの時間であった。乗り潰しも兼ねて、鳴門線に乗って鳴門駅まで行き、まずはそこからバスで少し行ったところにあるバイク屋を訪れた。

 

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 店員にレンタルしに来た旨と氏名などを伝えると、予約してあった50ccのスーパーカブを出してきてくれた。これがこれから2週間の旅を共にする相棒かと初めはテンションが上がったが、原付に乗ったことはあるか、原付講習は受けたかを聞かれ、正直に乗ったことがないと伝えると、店長の表情が険しくなり、場が一気に不穏な空気に包まれた。

 

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 自動車の普通免許のために教習所に通っていた頃は真冬だったためにタイミングが悪いことに原付講習が休講になっており、そのまま原付講習すら受けられないまま普通免許を取得してペーパードライバーになっていたのであった。

 店長が車体の各部位や操作方法などを手早く説明してくれるのを聞いた上でまずは試乗することになったが、なかなかどうして勝手がわからずうまく運転できない。一応原付の各部位と操作方法自体は一通り調べてから来たし、何より公的な免許があるのだからと甘く見ていたことをその時は後悔した。「そんなんやったらあかん、貸されへん、事故んで」などと何度も言われながら店の前の狭いスペースを往復しながらそれなりに長い時間練習をして、ようやくアクセルの捻り具合が少しわかって右左折、転回などが一応できるようになった。それで、いよいよ路上に出て出発することとなったが、最後まで店長には不安そうな顔をされながら送り出されることとなった。

 ところが路上に出てみると、これが意外とすぐに慣れて思い通りに動かせるようになった。やはり狭いスペースでの練習というのが運転をしにくくしているのであって、広い路上に出れば意外と怖くないという、教習所で初めて路上に出た時と同じようなことを思った。

 そんなこんなで何とか普通に乗れるようにはなったが、その頃にはもう時間が遅く、第一番札所の霊山寺にすら間に合わなそうだったので、そのまま国道を南下して数時間前までいたネカフェに戻ってくることとなった。この日は原付講習だけで一日潰れたといった感じか。一抹の不安を覚えながら、また駅前の繁華街の居酒屋に入って、大して何もしてないのに一人で自らを労って、更にまたネカフェの側にあるスーパーで買ったものを飲み食いしたりして、とてもこれから仏道で修行する身とは思えぬ頽廃的な有様であった。お遍路はその翌日に開始されることとなった。

 

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 そして結局翌日も寝坊し、とっくに正午を回って陽が傾いてきた頃に、原付で霊山寺に乗り付けた。

 

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 霊山寺は鳴門市にある八十八ヶ所の第一番の寺であり、多くの人にとってスタート地点となる。ここから第二十三番までが四国の一国目として、「発心の道場」とされる阿波の巡礼路となる。その中でも八十八ヶ所全体の出発地となるここには、お遍路道具が一式揃う門前一番街なる施設が名前の通り門前にある。

 

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 そこでお遍路道具を買おうと物色を始める。まずは納経帳や納め札、線香、蝋燭などを手に取って、見た目で明らかにお遍路さんであるとわかった方がいいかと白衣や輪袈裟を手に取って、笠は流石に嵩張るし邪魔になりそうだとか思いながら自分のスタイルに合った道具を一通り買い物かごに入れた。レジに持っていくと、1万円余ほどした。念珠は略式のものだが持参してきたもので済ませることにしたとはいえ、やはりそれなりの額ではあった。

 

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 それらを整理して鞄に入れようと外のベンチで整理し始めた。元からそこまで大きな鞄ではなくて、そこに既に着替えなどが詰められていたので空きは多くはなかったが、何とか入りそうで安心した。

 それを確認すると、お線香と蝋燭をあげ、納め札と賽銭を入れ、仏前で拝み、納経帳に納経してもらうという一連の流れを念のため確認してから、霊山寺の本堂と大師堂で手を合わせた。お経は長くて読んでいる時間がないと思って省略することになってしまったが、せめて宿泊地で読もうとは思った

 

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 そして納経所で行き、まだ真新しい納経帳を差し出した。筆に染み込ませた墨で鮮やかに梵字などを書いてもらい、いくつかの朱印を押してもらう納経の様子を初めて見ながら、いよいよ遍路修行の旅が始まったのだと気を引き締めた。最後に、弘法大師御誕生1250年記念事業ということで令和6年末まで押される予定の青いスタンプが押され、更に本尊の描かれた御影の他にその事業の期間中だけと思われるカラーイラストで弘法大師の生涯のワンシーンを切り取ったカードまで貰えた。これで一連の流れを経たので、第一番での参拝が終わった。

 その頃には既に納経所の受付が終わる17時が近く、第二番にすら間に合わなそうな時間帯だったので、また原付を走らせて徳島市まで戻った。しかしこの日は徳島駅に近いところではなく、そこから数kmほど西側の店舗に原付を停め、翌日の走行距離を少しでも少なくしようとした。

 そこは郊外なので近くに飲食店もあまりなく、また前日までの放蕩を反省する気持ちもあって、近くのスーパーで軽い夕食を買うだけに留めた。早めに就寝し、翌日からはペースよく寺々を巡っていこうとコンディションを整えた。

 

 次の日は早朝の6時台に出発した。まだ微妙に慣れぬ原付に跨って、朝焼けを浴びながらまた鳴門市内へ、第二番札所極楽寺へと辿り着いた。

 

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 そこからはとんとん拍子で板野町にある金泉寺大日寺地蔵寺、上板町にある安楽寺阿波市にある十楽寺熊谷寺法輪寺までを一気に回った。ここまでは狭い区間に密集しており、地形的にも平坦だったので、お遍路は思ったより楽なものなのかもしれないと勘違いしそうになった。途中からは白衣と輪袈裟も羽織り、本格的にお遍路さんといった見た目になり、すれ違うお遍路さんに挨拶されることが増えたので、挨拶を返して旅の安全を願った。大抵の人は車で来ていた。

 

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 その次にある第十番の切幡寺は少し険しそうな道であった。第九番法輪寺で休憩した後、切幡寺の駐車場に原付を停めると、厄除けの階段を上っていった。上り切ったところの本堂と大師堂が最奥かと思えば、その奥を更に上ったところに切幡寺大塔があり、上からの眺望も素晴らしいという。体力的に少し迷ったが、この辺りに詳しそうなおじさんが是非上まで行ってみてほしいというので、その人と一緒に階段を上った。

 

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 上に辿り着くと、立派な塔が聳えており、反対側を見ると徳島平野を一望できた。「綺麗でしょう」とおじさんが笑う。そして平野の真ん中を通る吉野川の向こうにある「遍路ころがし」と呼ばれる難所・焼山寺へ至る道について教えてくれた。

 

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 階段を下りて、感謝を述べて切幡寺を去ると、吉野川を渡った先の吉野川市にある第十一番の藤井寺に参拝し、そしていよいよ八十八ヶ所中でも有数の難所とされる第十二番札所焼山寺へと向かうこととなった。

 

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 それは吉野川市より南の神山町の山中にあり、境内までは長い葛折りの山道が続く。寺のある山道に至るまでの間にも1時間ほど山道をずっと南下していき、途中、集落を通過しながらようやく細く急な山道の入口に辿り着いた。そこからもまだ4kmほどの道をくねくねと曲がり続けながら少しずつ上っていく必要がある。駐車場に到着した頃には16時を回っていた。

 

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 駐車場からも10分程度徒歩の山道があり、最後まで険しい道を上り切って、ようやく本堂や大師堂のある境内まで辿り着いた。ここで一連の流れを終えて納経していただいた頃には、次の寺に行くにはあまりに遅い時間であった。遍路ころがしの名に恥じぬ、一ヶ所だけ極端に遠い寺であった。

 

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 そこからまた長い間山道を下って前日と同じネカフェに辿り着くと、近くのスーパーで酒とつまみを買って、まだ慣れない中一日中動き回った自分を労いながら晩酌を傾けた。翌日は徳島県内の最南の寺まで辿り着くことを目標にしながら、早めに就寝した。

 

 翌日は早起きして、納経所が開く7時より前に第十三番の大日寺に到着した。それでも既にお遍路さんが何人かいて、巡礼を開始しているようであった。随分と早い時間から活動している人は他にもたくさんいるものだと思いつつ、私も7時になる前にお参りを済ませて、7時になるとすぐに納経をしてもらった。

 

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 そこから第十七番までは徳島市内にあるので、常楽寺国分寺、観音寺、井戸寺までテンポよく回った。その次は南下して小松島市にある恩山寺立江寺を巡礼。ここまでは平地にあって比較的訪れやすい寺社であるが、その次の二つは山奥にあって、難所と呼んでいいだろう。

 

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 小松島市から西へ、山間部へと入っていく。1時間近くかけて、勝浦町にある鶴林寺へと辿り着いた。ここはまた集落からも離れて山の上へと行かねばならないところであった。駐車場から階段を上った先の本道は、両側に青銅の鶴の像があり、まさに名前の通りである。第二十番なので何となく切りのいい数字に感じられるが、遍路道としては中途半端な位置であった。

 

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 次の太龍寺こそ八十八ヶ所の中でも有数の難所と言われる寺である。難所であるがゆえに、ここにはロープウェイが存在する。四国ケーブルは香川・徳島に3つの路線を持っており、太龍寺ロープウェイはその一つである。

 ロープウェイの山麓駅は那賀町の道の駅鷲の里に併設されている。そこを目指して那賀川沿いの眺めのいい県道を南下していく。山麓駅に着いた頃くらいから雨が降り始めたので、足早に道の駅に入ってロープウェイの往復チケットを買い、次の便を待った。

 

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 やがてロープウェイの改札が開始され、ロープウェイに乗り込んだ。ロープウェイが動き出すと、ずっと高いところまで上っていって、2つの山を越えていくという。2つの山頂の間で少し弛んでいるような形になっているロープ区間で反対側の車両とすれ違うと、次の山頂を越えた後、斜め下に進んで太龍寺に着いた。

 

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 太龍寺では雨が降っていたので、ロープウェイ駅で傘の貸出があった。そこで傘を借りて、差しながら階段を上っていった。上りきった所で本堂と大師堂を参拝して納経を済ませると、次の寺へ行こうとすぐにロープウェイで折り返した。

 

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 次に向かうは阿南市平等寺である。太龍寺も寺自体は阿南市にあるが、こちらはもう少し人の住んでいるところまで東に行ったところにある。平等寺の参拝を済ませると、次はいよいよ(雲辺寺を除き)徳島県最後の寺となる第二十三番、美波町薬王寺である。

 

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 何とか間に合いそうだったので薬王寺まで原付で乗り付け、16時半頃に参拝と納経を済ませた。天気は再び雨になったので、薬王寺の側にある薬王寺温泉に入って、室内でゆっくりしながら服が乾くのを待った。

 

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 ところで、この日の宿をまだ決めていなかったのであったが、外は雨が強まっており、これ以上移動する気も起きなかったので、この日和佐地区で宿を探すことにした。かなりぎりぎりの時間であったが、何とか一つ民宿を見つけ、そこまで向かった。

 木造建築で畳の情緒溢れる宿に着くと、直前に予約したにもかかわらず好意的に迎えてくれてほっとした。一人で泊まるには広すぎるような和室を一つ与えられ、そこに荷物を置いて、濡れた衣類をハンガーにかけて翌日までに乾くようにすると、一息吐いた。

 しばらく休むと、徳島走破記念に居酒屋に行こうと日和佐のより中心に近いところまで少し歩いて、地元の居酒屋に入店した。店内には常連客の他に、白人のお遍路さん二人組がカウンターに座っていた。私はテーブルに通してもらえ、一人ながら広い席でゆったりできた。

 美味しそうな地物を食べようと、鶏の生レバ刺や魚介の刺身盛り合わせなどを注文して、それらを摘みながらビールを飲んだ。生ものが好きなので、それらを堪能できて非常に満たされた晩酌であった。

 

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 最後にコンビニで酒などを少し追加で買って、宿で翌日の納め札を書くなどの準備をしながら新ジャンルの発泡酒を飲んで、日付の変わらないうちに布団に入った。次の第二十四番からは高知県に入るが、それがある室戸岬まではかなりの距離がある。7時にそこまで辿り着こうと思うとかなり朝早く、日の出前に出発する必要があった。次の高知県は一番広いのに一番寺の数が少なく、過酷な修行道である。距離にすればまだ1/4すら行けておらず、先は長いということを肝に銘じて就寝した。

 

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嶺南・丹後旅行

 滋賀県内で『けいおん!』の聖地巡礼をするなどした後、彦根に泊まっていた私は、翌朝早々にまた敦賀を目指して北上していった。

 敦賀に着くと、小浜線に乗り換える。小浜線は若狭を走る唯一の鉄道路線であり、越前だが嶺南という境界線上のややこしい位置にある敦賀から、嶺南に隣接する東舞鶴へと向かう。早朝の乗換は接続がよく、東舞鶴行の列車に乗ると、目的地の小浜駅まで車内でぐっすりと眠ってしまった。

 小浜駅に着くと、下車してそこで18きっぷのスタンプを押してもらった。駅員や周りの人々の言葉は完全に京阪アクセントであり、同じ福井県内でも嶺北とはかなり異なる。嶺南が広義の近畿地方に含まれるのも納得といった感じの、いわゆる関西弁の一種に聞こえた。私自身も大阪の人間なので、非常に親近感があった。

 

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 小浜駅に着いたのが早すぎたのでしばらく待合室で休んでから、街を海側へと歩き出した。埠頭にある市場を目指して歩いていると、あるホテルの自販機の横にオバマ元大統領の少しチープな塗装の像があった。偶然の名前の一致でかなり昔からあるもののようだが、果たしてオバマ側は小浜を認知しているのであろうか。

 

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 程なくして海が見えてきた。小浜湾の埠頭に打ち付ける波は、晴れているが強風のためにやや強い。海岸沿いを歩いてまずは市場の方へと向かった。天気の悪い日が続いていたので、久々に綺麗に晴れた海を見られて気分が昂った。

 

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 やがてとれたての鮮魚などを買える市場と海鮮丼の店舗が入居した若狭小浜お魚センターに着いた。中は活気があって、朝から地元の人が色々と魚を物色している姿があった。私は旅の途中で生ものを買うわけにもいかないので眺めているだけだったが、安く色んな種類の魚介類が手に入る環境を少し羨ましく思った。

 

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 次は道路を挟んで向かいの若狭フィッシャーマンズ・ワーフに入店。こちらはより観光客向けの土産物屋といった感じで、生ではなく様々に加工された魚介類の商品やお酒などが売られている。その奥には船着場があり、遊覧船が近くの蘇洞門と呼ばれる断崖絶壁のある方まで連れて行ってくれるのだが、この日は恐らく強風で波が荒れているために欠航であった。蘇洞門めぐりに乗れないとなるとかなり時間が余ってしまったので、お土産を買うでもなく眺め続けてうろうろしながら時間を潰していた。

 

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 この建物の2階にも海鮮丼の店舗があって、そこが営業開始するとすぐに入店した。海の見える窓際の席に着いて、海鮮丼と鯖のへしこを注文した。へしことは若狭・丹後あたりで作られる保存食で、魚を塩漬けにした後糠漬けにしたものらしい。日本海側はやはり越冬が大変なのであろう。

 

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 着丼した海鮮丼には様々な魚介類が乗っているが、鯖が乗っているところなどが福井らしいと感じた。押し寿司にしたりへしこにしたり、福井では様々な方法で鯖が広く食べられているようだ。海鮮丼の味は、どれも厚みのある魚の切身に、うにや帆立なども入っていて、豪華であり美味であった。へしこの方は、保存食であるために非常に塩辛く、単体で食べるようなものではない感じがした。ご飯が進みそうな感じの強烈な味であった。これも昔から受け継がれる生活の知恵であったのだろう。

 

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 その後は、近くにある御食国若狭おばま食文化館に寄ってみた。御食国とは「みけつくに」と読み、かつて朝廷に海水産物を貢いだ国のことを指し、畿内に近い幾つかの国がその役割を担っていたとされているらしい。入館料は無料である。

 

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 中では鯖街道と呼ばれる小浜から京都まで鯖を運んだ道のことや、全国の寿司の発祥と歴史、各地の雑煮など色々な伝統食にまつわる展示があった。2階では工芸品の展示及び販売、体験コーナーなどがあり、一応さらっと見て回った。そうしているうちに次の列車の時刻が近づいてきた。

 

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 小浜駅に戻ると、小浜線でまた敦賀まで戻り、敦賀から新快速で京都へと向かった。今回は東海道北陸本線側ではなく湖西線側を通りたいので、近江塩津で待たされることなく直通してくれて快適であった。

 

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 途中で各停に乗り換えて、おごと温泉駅で下車した。そこから温泉街の方へと歩いていく。雄琴はかつては廃れた温泉街で、そこにソープランドが集まって風俗街として名を馳せていたという歴史があるが、昨今は温泉街としても持ち直して、街全体のイメージも変えようと苦心しているようである。

 その温泉街エリアに来ると、高そうな温泉旅館が何棟かと、温泉リゾートのあがりゃんせなる施設があった。最初は温泉旅館の方に行って、いくつか日帰り温泉も可能な場所があるようなので、それについて聞いてみようかとも思ったが、何となく高級そうな雰囲気に押されて入る勇気が出なかったので、スーパー銭湯の方でも天然温泉ではあるのでそちらでもいいかと思ってそこに入った。

 

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 温泉街に行くと、日帰りだけの簡素な公衆浴場に入ることが多いので、ファミリー層も多く岩盤浴やらレストランやらも併設されたこのような施設に入るのは滅多にないことであった。天下一品が運営している温泉であるらしく、お土産にもその関連商品が並んでいたりして、これには驚いた。ラーメン屋が経営する温泉とは、と思いながら入口の受付で鍵を貰って、温泉に入っていく。この鍵は施設内の自販機などでも使え、支払は後払い制である。

 温泉は様々な種類の湯があって、普通の温泉の他に、特別な効能のある日替わり湯や、源泉の違う露天風呂などもあった。上せない程度に色んな温泉に少しずつ浸かって、冷えた身体を温めていった。サウナにはロウリュまであるということだったが、私は得意ではないのでそこまでは行かずに湯から上がった。

 駅まで戻ってくると、湖西線に乗って京都へ向かっていった。山科で地下鉄に乗り換えて、京都市役所前駅で降りると、地上に出て京都の夜の飲み屋街、木屋町先斗町方面へ歩き始めた。

 しばらくしてその界隈に着くと、大学生くらいに見える人たちと外国人観光客が多く集まっていた。京都の地理もある程度は歩き回ってわかっているつもりでありながら、なかなか夜にこの辺りに来る機会が今までなかったので、夜にはどんな店があるものかと先斗町の狭い通りを行ったり来たりしてみた。とはいえ、既に店仕舞いしている店も多く、おばんざいのようなテンプレート的な京都の店に入る気も何となく起きず、結局串かつがメインの大衆居酒屋に入った。

 

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 流石にそういう店では日本人が多い印象を受けたが、必ずしも関西の人という感じでもなく、また外国人もそこそこいて、こういう店もまた先斗町で一定の需要があるように見受けられた。串かつや餃子を食べながら、飲み放題のレモンサワーを何杯も飲んでいたら、旅の疲れも忘れたように段々と気分がよくなってきた。今回は大して先斗町らしい場所ではなかったかもしれないが、これもまた一興と満足して会計をし、店を出た。

 

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 さて、夜もかなり更けてきたが、もう一つ、どうしても行ってみたい場所があって、木屋町四条通りの方へと南下していった。辿り着いたのは、bar moon walk 四条木屋町店である。このバーは関西を中心として、東京などにも店舗を構えるチェーン店であるが、その中でも木屋町の店舗は特別で、森見登美彦著『夜は短し歩けよ乙女』の聖地として知られている。中に入ると、東京にある店舗とは違って、しっかり聖地と化して、店内の壁面のイラストがあったり、カウンターには「月面歩行」と書かれてあったり、店内のテレビではアニメの映像が流れ続けていたりした。カウンターに通された私が、作中に登場する偽電気ブランなどを注文すると、店員のお兄さんが話しかけてくれたりして、楽しい晩酌となった。出身を聞かれて、「大阪です」と答えると、互いに親近感が生まれて、広義の地元まで来たという一種の安心感が芽生えた。

 

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 阪急の終電に間に合うように店を後にすると、河原町から大宮まで移動して、そこのネカフェで眠りに就いた。ここは翌日、丹後方面に向かうのに都合がよかった。

 

 翌日、四条大宮の交差点から二条駅方面を通るバスに乗って、二条駅に着いた。ここから山陰本線に乗って、また日本海側へ。今度は丹後、「海の京都」などとプロモーションしている方へと向かった。

 山陰本線に乗って福知山に着くと、ここで京都丹後鉄道(丹鉄)に乗り換える。丹鉄の宮福線に乗って、福知山から更に北へ真っ直ぐ、日本三景天橋立などで知られる宮津市宮津駅まで向かった。

 ここからは丹海バスに乗って、更に北上する。途中で海沿いを走る間に天橋立が見え、丹鉄の通る天橋立南側から北側まで来ても、まだ降りることなく、丹後半島の更に北部、伊根で下車した。天橋立などは既に訪問済なので、今回は伊根の舟屋と呼ばれる伊根町の漁師町を見ることが目的であった。

 

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 初めに伊根湾めぐり遊覧船に乗ることにして、そこのバス停で降りた私は、そのまま遊覧船のチケットだけを購入して船を待った。船が着くと大量の乗客が降りてきたが、それと入れ替わりに乗る乗客は少なく、空間を持て余すほどゆったりと船に乗ることができて幸いであった。そして間もなく船は舟屋の町並みの中心部へ向かって出航した。

 

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 30分弱の航海で、船は舟屋の見える伊根の中心部に向かいながら、伊根に纏わるアナウンスを流していた。海上には鴎や鳶が多く周回しており、餌としてかっぱえびせんを持ち込んで、海へと投げ入れている乗客もいた。伊根の遊覧船ではこの餌遣りもよく行われているようだが、そのことはその時に知った。

 

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 やがて中心部に着くと、海上に迫り出すように建てられた舟屋の列に沿うように船が動いていく。舟屋とは建物の一階部分が舟を収納できるスペースになっていて海と直接繋がっており、二階部分に居住スペースがあるというものである。車庫に停まる車のように舟の収まった木造建築の町並みは圧巻で、ひたすら見惚れながら写真を撮りまくっていた。

 

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 やがて船が元の場所に戻ってくると、次の便にはまた大量の団体観光客が乗り込んでいった。どうやら私の乗った便はたまたま団体のいない静かなタイミングで、運がよかったらしい。

 

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 その後は舟屋街の方へと歩いて向かった。木造建築が多く並ぶ中に、宿があったり、今は使われていないのか舟が格納されたまま朽ちたような建物などもあったりした。中心部まで来ると家屋は密になるが、舟屋の陸側の入口は普通の家なので、そこまで特徴的には見えない。所々で、湾曲している家並みの間の場所から海側に立って眺めると、間近に本当に現役の舟が格納された舟屋の海側の玄関の連なるのが見えた。ようやく見に来ることができたこの景色に感動しながら、観光案内所などがある場所まで来た。

 

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 ここから先にもまだ舟屋や観光客用の施設があるが、そこまで行く時間がないと判断した私は、観光案内所上階にある店舗で海鮮丼をいただくことにした。やはり漁師町での昼は海鮮に限る。鰤を始めとした伊根の新鮮な魚の切身の乗った海鮮丼に舌鼓を打ちながら、窓際から伊根湾の海を眺めているこの時間は大変充実したものであった。

 

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 昼食を済ませた頃には帰りのバスの時間が迫っていて、バス停に向かってまた宮津駅まで戻っていった。宮津から丹鉄で福知山に行くと、今度は福知山線丹波路快速大阪行に乗って、終点の大阪駅に着いた。大阪環状線に乗り換えて隣駅の福島駅に、よく行くラーメン屋があるので、福島で下車してそこへ向かった。

 

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 そこは名を「三く」という。大阪におけるラーメン激戦区の一つである福島でも特に人気の高い煮干系のラーメン屋である。私自身も昔から好きで何度も訪れていて、また大阪出身でラーメン好きで知られる声優の香里有佐さんが、ここのつけ麺がきっかけでラーメンにはまったという話を度々しており、彼女の演じる『アイドルマスター』の桜守歌織というアイドルが好きな私も何か運命的なものを感じずにはいられずに、梅田に来た時にはよく一駅乗ったり西梅田界隈を歩いたりして福島に来ているのであった。

 

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烈志笑魚油 麺香房 三く
大阪府大阪市福島区福島2-6-5 AKパレス 1F
https://tabelog.com/osaka/A2701/A270108/27058993/

 

 行列ができる時もある人気店だが、平日の夜ということもあってすんなり入ることができた。メニューはノーマルな煮干と、恋煮干しというセメント系のラーメンに、全粒粉の有無で二種類の麺を選べるつけ麺がある。セメント系と呼ばれるような灰色のどろっとした濃厚煮干しスープが好きでそれをよく注文する私だが、この日は久々につけ麺を。

 カウンターの座席に着くと、無料のお通しが出てくるという何とも珍しい上品なラーメン屋。記憶ではナムルのようなものだった気がしたが、この日はポテトサラダであった。それを摘みながら待っていると、つけ麺が到着した。「くすり」と頼むと七味が渡されるので、それもつけ汁に投入して、そこに太麺を潜らせて食べる。安定した美味しさに対する喜びと郷愁を感じざるを得ない。全粒粉の麺はあっという間になくなって、最後は割りスープだったと思ったが、それも追い飯に変わっていたので白米をスープと混ぜて食べると、これまた絶品であった。完食して、「ごちそうさまでした」と告げて店を出ると、店員が店の外まで来てお辞儀をしてくれるので、逆に恐縮するくらい丁寧で品のあるラーメン屋である。

 

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 その後は福島駅から関空・紀州路快速に乗った。早朝と深夜だけにある、珍しい紀勢本線直通の御坊行であった。環状線から阪和線に入ってもまだまだ帰宅途中の乗客が多いが、少しずつ人が減ってきて、和歌山駅に着いた頃にはすっかり静かになった。ここからそのまま乗車し続けて、2駅隣の紀三井寺で下車した。本日の宿泊地であった。

 

 翌朝は雨が強く、気温も低くて寒かった。まずは和歌山駅に戻って、そこからJRで和歌山市駅まで。その後は南海で和歌山港に向かう予定であったが、数時間に一本の和歌山港行を一つうっかり乗り損ねてしまったので、暇になって思いつきで加太線に乗ってみたりした。

 終点の加太は、雨のせいもあってか人もほとんど歩いておらず寂しい場所であった。駅周辺には何もないが、海側へ歩いていくと、淡嶋神社友ヶ島行の港などがある。友ヶ島にも行ってみたいが、この日は海が荒れて欠航であり、どのみち時間もなかったので、淡嶋神社にお参りするだけにした。

 

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 ここは人形供養で有名な神社で、朱塗りの拝殿の周りには夥しいほどの日本人形や焼き物の狸などで囲まれていた。加太でのんびりするほどの時間はなかったので、さっとお参りして境内を軽く見て回ると、加太線和歌山市駅まで引き返した。加太はアニメ『サマータイムレンダ』の聖地であり、市駅にもキャラクターの等身大パネルがあったので、また機会があれば寄りたいものである。腐っても大手私鉄の沿線だから、きっと機会はいくらでもあるであろう。

 

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 さて、気を取り直して和歌山港行の電車に乗って、南海和歌山港へ。南海という社名は、かつての南海道に属する紀伊・淡路と四国に由来するが、実態はほとんど畿内の和泉や河内を通るというちぐはぐな存在であるが、四国に鉄道路線こそないものの、和歌山〜徳島航路だけはずっと存続している。それに乗り込んで、2時間半ほどの航海で徳島港に辿り着いた。

 

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 四国には、念願であった四国八十八ヶ所のお遍路をしに来た。徳島港から徳島駅行のバスに乗りながら、これから始まる険しい遍路旅に思いを馳せた。私の中の醜い煩悩が少しでも消え失せれば、と期待と不安を抱えながら、徳島からの順打ち遍路は始まった。

 

 四国八十八ヶ所お遍路旅の記事はここから。

imtabi.hatenablog.com

 

『けいおん!』聖地巡礼

 北陸方面を旅してきた日の夕方、『けいおん!』(以下けいおん)の聖地とされる豊郷小学校旧校舎群を訪れた。敦賀から姫路行の新快速に乗ったが、敦賀まで来る新快速は基本的に湖西線回りである。東海道本線琵琶湖線)が走る湖東側に行くには、2駅隣の県境の駅、近江塩津で乗り換える必要がある。

 近江塩津は周りに何もない駅で、ホームは狭いわ階段しかないわで、しかも北陸本線湖西線の接続も悪く結構待たされるというかなり不親切な駅である。一応、改札外には待合室があるし、ベンチにも座布団が敷いてあったりと、多少の優しさも感じられなくはないが、やはり退屈ではあった。

 湖東側を通る新快速がやってくると、それに乗って北陸本線を経由し、米原から琵琶湖線に入って彦根まで。新快速と名乗ってはいるものの、米原までは各停で、そこから先が快速運転となるので、米原の次の停車駅である彦根で降りる身としては快速に乗っている気はまったくしない。新快速ならこの区間も停車駅は長浜くらいでいいだろうという気がしないでもないと思っていた。ちなみに、その後の北陸新幹線敦賀延伸とダイヤ改正に伴い、米原敦賀間ノンストップという特急並の快速が新たに設定されたらしい。

 彦根で降りると、近江鉄道に乗り換えてけいおんの舞台である豊郷町へ向かうのだが、また結構な待ち時間があった。橋上駅の改札外通路を中心市街地のある西側へ進むと、遠くに彦根城を臨むことができる。また東側の窓からは佐和山城が見えるようだが、国宝現存天守彦根城天守に比べるのは可哀想だがなんとも殺風景だった。

 

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 近江鉄道側のホームや改札などはすべて1階部分にあるので、階段を降りて券売機できっぷを買った。ICカードは、導入予定ではあるらしいがこの時点ではまだ使えない。多賀大社前と豊郷だけ大きな貼り紙で料金が書いてあり、簡体字やハングルでも駅名が書かれていたので、豊郷に訪れる外国人もそれなりにいるのであろう。

 改札を通ると、2両の近江八幡行がやってきた。彦根から離れると東海道新幹線の真横を走っていき、やがて豊郷駅に着いた。

 

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 豊郷駅無人の小さな駅である。駅舎の横の建築物には「ようこそ聖地へ」とだけ書いてあり、駅舎の内部にも江州音頭や雛めぐりに関する展示があるだけで、ここまではけいおんに関するグッズもポスターなども何もなかった。最早言う必要もないということだろうか、と思ったが、駅前にはあずにゃんこと中野梓やムギこと琴吹紬の飛び出し坊やがあったり、けいおんタペストリーなどのグッズを多く置いてくれているパン屋があったりするので、きっと考えすぎだろう。

 

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 平凡な住宅街をしばらく歩いていくと、豊郷小学校の現在の校舎が見えて、そこから回り込んだところに旧校舎の正門があった。その先には線対称な校庭があり、そして白亜の美しい校舎があった。この豊郷小学校旧校舎群は、関西を中心に日本で多くの教会や大学の校舎、百貨店の大丸心斎橋店など多種多様な西洋建築を手掛けたヴォーリズによるものである。「白亜の教育殿堂」「東洋一の小学校」と称されたほどの美しい校舎であった。

 

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 生憎、正面入口の一番目立つところが工事中ではあったが、それは仕方がないので気にせず中に入った。建物内は、1階に校舎に関する展示、3階にけいおんで描かれた風景を再現した展示があって、それ以外の部分は通路と施錠された元教室たちが残されている。中でも1階部分の床などは一部工事中で、塗装を新しくし直したりしているようだった。

 

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 まずは軽く校舎内をうろうろしてみる。確かに作中で描かれている風景に一致しており、階段の手摺りの兎と亀の彫刻は本当にあったんだと思いテンションが上がってきていた。そしてメインの3階の部室を再現した部屋に向かった。

 

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 3階には会議室と唱歌室があった。会議室に入ると、そこには放課後ティータイムの日常が確かにあった。彼女らが楽しそうに会話している幻覚が見えそうなくらいだった。そう思わせるほどに忠実に再現されていた。

 

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 部屋の真ん中あたりにはベンチ、その奥にテーブルと様々なお菓子やティーカップなどの小物類、左端にはアップライトピアノ、右側にはホワイトボードがある。テーブル上は少し贅沢なティーパーティといった趣で、ティーカップやクッキーなど細部まで丁寧に再現されて置かれていた。ピアノには楽譜が置いてあり、「天使にふれたよ!」のあずにゃん以外の4人のそれぞれの楽譜があり、紙面に歌い方などが書き込まれてあるのがリアリティを与えていた。その後ろのページには、あずにゃんから先輩4人へのメッセージが書かれてあって、泣きそうになるくらいに感極まりながら丁寧にそれらを読んだ。そして入口の扉の方を向くと、黒板に「けいおん」の文字。本当に愛されているんだなあと感動するばかりであった。

 

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 その後は部屋の奥にある湯沸場に入った。ここにも大量のティーカップやポットと食器棚があって、そこから唱歌室の舞台袖に繋がっているようだった。唱歌室に入って、最後にそこで曲を演奏する彼女らの姿を想像しながら階下へ戻った。

 

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 1階の展示室にはヴォーリズの紹介と彼の道具類などが展示されており、改めて彼が日本の建築界に及ぼした影響を考えた。建物を出て校庭に戻ると、右側にカフェや売店などのある記念館がある。そこの奥の方にもけいおんの展示があるので館内に入った。

 

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 こちらの展示は作中の風景の再現であった部室とは違い、夥しいほどのフィギュアなどのグッズやイラストが詰め込まれており、楽器もたくさん置いてあった。その奥の細い螺旋階段は2階部分に繋がっており、そちらにもフィギュアや楽器の展示がある他、主要キャラ全員の等身大パネルが置いてあり、壁面にはサイン入りの色紙がずらりと掲げられてあった。まさに圧巻の展示の物量で、終始温かなファンや関係者の愛を感じることができた。

 

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 豊郷小学校を後にすると、彦根に戻って、駅前で近江ちゃんぽんを食べることにした。近江ちゃんぽん彦根名物の麺料理で、長崎のものなどとは違い、野菜が多く入っているラーメンのような感じである。味の濃い料理が好きな私にはオリジナルの状態では味が薄く感じられたので、卓上調味料を色々試してみて、美味しくいただくことができた。

 

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 翌日以降も旅は続いていくので、彦根のネカフェに入って、寝る準備をしながらずっとけいおんの曲を聴いていた。懐かしい曲の数々には今も色褪せぬ魅力が詰まっていた。かわいい曲もかっこいい曲も、どれも大好きな曲たちだ。この記事中にもいくつか試聴リンクが貼ってあると思うので、ぜひ聴いてほしい。記事執筆現在は修繕が竣工しているであろうから、その白亜の美しい校舎にまた訪れる機会があれば幸いである。