潮騒、某、暮れ泥み

小説のような旅行記を。鉄道旅を主として全国を旅しています。

徳島・高知旅行

 大晦日と聞いて理解できない日本人はまずいないと思われるが、小晦日と聞いて理解できる人はどのくらいいるのだろうか。これは「こつごもり」と読み、大晦日の前日を指す言葉である。こんな言葉を口に出す人が滅多にいないものだから、私にとっても馴染みのない単語である。今回はそんな微妙に中途半端で、帰省ラッシュだけがピークを迎えていそうな日に出発して、四国で年明けを迎えた時のことである。

 出発日の前日、寝付けなかった私は、徹夜で始発電車で東京を出発し、最初に向かったのは静岡市清水区にある由比であった。由比は江戸時代の東海道の宿場町として栄え、今でも桜えびで知られる港町である。いつも通り18きっぷを使用して、きっと平時なら人々が各々の活動を開始しているであろう時間帯に由比駅に着くと、まずは宿場町跡に向かって歩き始めた。

 

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 由比宿は、往時の宿場の面影もほとんど残しておらず、また由比本陣公園も年末年始で休業しており、街並みとしてはどちらかといえば所々にある桜えびなどを売っている商店の方が気になったくらいであった。

 

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 ともかくそんなわけで駅から宿場町の端の方まで2km程度の距離を往復して、それからはいよいよ今回ここに来た一番の目的である桜えびの海鮮丼を食べようと店舗へ向かった。しかし、自分がうかうかと開店時間を過ぎた頃まで散策をしていたせいで、それなりの行列に並ぶことを覚悟せねばならなかった。幸い店の前にはベンチや椅子、それから灰皿まであったので、まだかまだかと逸る気持ちを抑えつつ大人しく並んでいた。数十分後、ようやく店内のカウンター席に通されると、桜えびの生と釜揚げにしらすの釜揚げも付いた丼を注文した。しらすもやはりほとんど静岡で水揚げされる魚で、駿河湾の他には江ノ島を擁する相模湾くらいでないとなかなかありつけぬものである。余談だが、生しらす丼は江ノ島で食べたことがある。

 さて、しばらくして海鮮丼が届くと、醤油を回しかけ山葵も溶かして食べる。これは美味しい。私は醤油なども多めにかけてしまう方なのでお世辞にも舌が鋭いとは言えぬが、生桜えびの甘みくらいなら流石にわかったと思っている。ともあれ非常に美味なる海鮮丼をいただき、旅の幸先はよかった。

 

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 その後は、同じ静岡県島田駅の隣、金谷駅で降りた。金谷はJR東海道線と、SL車輌で知られる大井川鐵道との乗換駅となっており、自治体を代表するような駅ではないにしろそれなりに重要な駅だと私は思っている。

 

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 金谷駅で降りた目的は、江戸時代の東海道において難所の一つであった金谷坂に敷かれた石の道を見ることであった。ただし、それは決して削って水平に並べたようなものではないので、アスファルトで舗装された道に慣れた今世紀を生きる人間には結局歩きにくいままであった。

 

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 その両脇を木々に囲まれ静謐とした微妙に足場の悪い坂を上り切ると、牧之原台地一面に広がる茶畑があった。どこまでも茶畑が広がり、流石に日本一広大な茶畑であることがわかって、正直坂より感動したくらいであった。

 

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 この後名古屋で友人と会う約束があったので、名古屋まですっ飛ばして、本場の台湾まぜそばを食べたり、名駅西口のビックカメラにあるラブライブに力を入れているコーナーを見たり、忘年会ということで飲みながらアイマスラブライブの話をしたりした。終電の時間になって別れると、私は大須のネカフェに向かったが、満席のため入れず結局カラオケの深夜フリーで一夜を明かすことになってしまった。二徹であった。

 

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 不思議と体調を崩すことなく、まだ日の昇らぬ暗い早朝に金山駅に向かった。金山から乗ると名駅で人が入れ替わるタイミングで確実に座れるので都合がいい。始発の東海道線は各停であったが、米原行で乗換が一つ減ったのでよしとすることにした。

 この日はほとんど徳島までの移動だけの日だったので、何か観光らしい観光はしていないが、暇潰しに少しは途中下車をした。最初は高槻駅で降りて、アイマスPの間では聖地とされているやよい軒高槻店の前まで行ってみた。高槻やよい役の仁後真耶子氏のサインがついに飾られることになったという情報を見てのことである。長らく聖地とされつつもそれはファンの間でのみ知られていることであり、やよい軒側も察しつつ黙っている状態であったが、最近はやよい軒どころか高槻市自体と積極的にコラボするようになった。サインはその証のようなものであろう。

 

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 その後は大阪駅で降りたが、まだ昼食には早い時間であったので、うめきた2期の進捗などを見ながら梅田を散策することにした。大阪出身の私にとって梅田は非常に縁の深い街であるので、再開発の状況は定期的にチェックしているのである。

 

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 やがて駅ビルであるルクアの地下の飲食店街のランチタイムの営業が開始されたので、この日はカレーを食べに行った。東南アジアとも縁の深い私は色々なスパイスの風味や唐辛子の辛さなどに慣れているので、日本のカレーはどうも物足りない。しかし、大阪はスパイスカレーの店舗が多くあり、予てあちこち巡ってみたいとは思っていたので、その一環としてのことであった。あいがけカレーと言われる、複数の味のカレーを同じプレートに盛る形式のカレーは、単体で食べても組み合わせて食べても美味しく、得した気分になれる料理であって、辛さというものとも違うそれぞれのスパイスや具材の風味がよく舌に馴染んだ。激辛料理というものに散々挑んで勝利し続けた私は、今となっては単なる辛さを求めるより、絶妙なスパイスの配合がなされた料理の方を食べていきたいと思っている。

 

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 その後はひたすら電車に乗り続けて、瀬戸大橋を越えて高松に着いた後、高徳線徳島駅に到着した。とっくに日は暮れていた。久々に来た徳島の駅前は、そう大きく変わったわけではないが、閉店したそごうが別のショッピングモールとして開業していた。

 

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 大晦日の夜、人々が色々な年越し番組を見ていたであろう中、私は徳島ラーメンを食べに繁華街を歩いた。徳島ラーメンとは豚骨で出汁をとったものに色々なかえしのかけられた何種類かのラーメンがあるが、焼豚ではなく豚バラ肉をトッピングし、更に生卵を落とすことが多いのが特徴である。久々にその味を食べると、卵が絡むすき焼きにも似たラーメンは、にんにくの味もきいていて美味しかった。最初は食べ切れるか不安で頼まなかった白米を追加で頼み、最後に卵かけご飯を食べたが、これも非常に美味である。色々食べ歩いてきたご当地ラーメンの中でも、個人的に好きなものの一つである。

 

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 これを年越しそばならぬ年越しラーメンとすると、ネカフェのブースのテレビで紅白の終盤だけを見て、そのまま年を越した。なんだかあまり実感の湧かぬ年越しであった。その後は、次の日から三日間に亘る、メインの四国旅行の旅程を確認して、眠りに就いた。

 

 元旦、とは厳密には元日の朝のみを指すが、日の出前は元旦に含まれるのだろうか。そんな時間に徳島城の堀に沿って徳島駅に着いた私は、今回の旅を成立させるに欠かせないきっぷである「四国みぎした55フリーきっぷ」を購入した。このきっぷは、平面地図上の四国の「みぎした」、すなわち四国南東部の指定の鉄道、バス、及びDMV(後述)が乗り放題になるきっぷである。55という数字は、国道55号沿いを通るからである。有効期限は3日間なので、ちょうど三が日の間使えることになる。このきっぷで改札を抜けると、徳島駅から南に伸びる牟岐線に乗って本格的な四国旅行を開始した。

 初日の出が差す元旦、この年の最初の観光をするために私は日和佐駅で降りた。日和佐は徳島駅南東部の美波町にあり、駅舎は道の駅と一体となっている。美波というと、私はデレマスの新田美波を担当アイドルの一人としているので、運命らしきものを感じた。

 

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 道の駅はそこそこ賑わっていて、その先には四国八十八ヶ所の一つでもある薬王寺がある。薬王寺は厄除けの寺として知られており、山門を潜った先の階段には一円玉が大量に落ちているのが特徴的であった。これは歳の数だけ一円玉を一段ずつ置いていくことで厄除けをするというものであるとその場で調べて知った。生憎そんなに多くの一円玉がたまたまあるなんてことはないので、階段を上った先の拝殿で参拝した。初詣である。

 

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 それから、更に上にある瑜祇塔と呼ばれる多宝塔に向かった。そこからは日和佐の町並みとその先の太平洋が綺麗に見渡せ、高くなってゆく太陽が海面を煌めかせていた。

 

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 しばらくその展望を眺めていると、瑜祇塔の門が開き、中に入れるようになった。中では様々な展示物を見られるとともに戒壇巡りをすることができる。階段を下りて真っ暗な地階の細い通路を壁伝いにぐるっと回ると、順路は展示室へと続き、絵画や掛け軸などが展示されているのを見た。

 一階部分に戻ると、今度は塔の上の方に伸びる螺旋階段があり、上に行くと円筒形の建物の外に方形部分の屋上があり、先程より更に少し高い位置から町並みと海を眺めることができた。

 

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 薬王寺は厄除けうどんでも知られるが、まだ朝早く開いている店もなかったので、土産物屋で物色しながら時間を潰した。かなりの時間うろうろしてやっと一つお土産を購入し、iQOSの宣伝も兼ねて設置されていた喫煙所で紙巻き煙草を一服したりなどしていると、ようやく開店の時間となった。そこはうどんなどが食べられる食堂と温泉からなっているが、温泉の方はまだ開始していなかったので、今回の旅ではうどんだけを頂いた。素朴なうどんではあるが、讃岐うどんのような麺と出汁の味が美味しく、軽いランチにちょうどいいものであった。厄除けはできただろうか。

 

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 その後は牟岐線の終点、阿波海南駅まで乗って、ここでDMVに乗換である。DMVとはDual Mode Vehicleの略で、鉄道の線路を走るための車輪と、車道を走るためのタイヤを持ち、列車とバスの両方の機能を備えた乗り物である。各国で開発や実用化が検討されていたもので、日本ではJR北海道が開発していたものだが、それを阿佐海岸鉄道が世界で初めて導入したものである。執筆時点で、世界でここでしか走っていない非常に貴重な乗り物である。

 

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 阿佐海岸鉄道DMVは基本的に徳島県海陽町高知県東洋町の間だけを走る。室戸まで走る便も存在するが、今回のみぎしたきっぷではそれは利用できないので、まずはDMVで海の駅東洋町まで行く。その間に阿波海南と甲浦で二回車輪を交代する。その様子は車内のモニターにも映し出され、内装はバスなのにさながら観光列車のような趣である。

 海の駅東洋町からは高知東部交通のバスへと乗換となり、それで室戸を目指す。バス路線は一旦室戸世界ジオパークセンターで終点となり、室戸岬を経由して安芸方面へ向かうバスに乗り継ぐことになるが、ここでかなり待ち時間があるので、バス停の名の通りの、ジオパークの展示や観光案内を行う施設に入った。

 

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 中には全国のジオパークの紹介や地層の展示などがあり、室戸はもちろん四国の地層などの概要を知ることができるようになっている。二階部分には映像展示や体験型のコーナーなどもあるが、全体的に閑散とした印象であった。カフェも併設されており、ジオソフトなる真っ黒なソフトクリームが名物のようだったので、それを一つ注文した。室戸の土佐備長炭と海洋深海水を配合した少し塩気のある炭の色のソフトクリームは甘さと塩辛さのバランスがよく好みの味であった。

 

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 やがて次のバスが来て、室戸の海岸沿いを直線的に南下して室戸岬に着いた。室戸岬は黒い石の海岸にタービダイトと呼ばれる縞々の地層が隆起しやものがたくさんある海岸で、ジオパークに選定されるに相応しい独特の地学的環境を見ることができる。

 

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 その近くには水掛け地蔵や御厨人窟など仏教的な施設が点在しており、巨大な弘法大師像なども鎮座していた。また、国道55号を挟んで海岸のすぐ近くから急勾配で隆起している山の上には灯台と寺があるのだが、時間的にも体力的にも厳しかったので、また来ることにして再びバスに乗り込んだ。

 

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 バス内で寝落ちして、起きたら安芸に着いていた。土佐くろしお鉄道の安芸駅より少し先まで乗り過ごしてしまったので、安芸市の街並みを見ながら駅まで歩いた。駅には安芸駅ぢばさん市場なる地元の市場が併設されているようだったが、流石に正月は臨時休業していたので、次の列車が来るまで駅の待合室で時間を潰した。

 

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 タイミングが悪く随分と待たされることになったが、ようやく快速の高知行が来たので、それに乗り込んだ。土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線からJR四国土讃線に直通して高知駅まで行く運行系統であった。夕日が沈んで車窓が暗くなっていく中、私はついに高知駅まで辿り着いた。これでみぎしたきっぷで移動できる範囲を端から端まで一通り通ったことになる。

 高知駅に着くと、変わらず走る市電にノスタルジーを覚えながら、中心繁華街の方へと向かった。高知市中心市街といえば、はりまや橋などが有名であるが、その少し北側の商店街を抜けていって、正月の静かなシャッター街を散歩してみた。きっと正月は親戚の集まりがあって家でお節料理などを食べている人が多いであろうから、繁華街は空いているのであろう。その分休業している店舗もかなり多かったのではあるが。

 

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 散歩しつつも夕食をとる店を探して、藁焼きの鰹で有名な居酒屋に入る。普段は賑わっていて混雑しているような場所のはずだが、やはり正月は客が少なめに感じた。私が通されたのも和室の個室で8人席であり、そこにぽつんと独りで座るのはなんだか広すぎて落ち着かない感じがした。

 メニューを見て、定番の鰹の叩きと、酒盗や地酒などを注文した。高知では鰹の叩きをぽん酢や生姜ではなく塩で食べるのが一般的なようだ。岩塩の振り掛けられた鰹に、薬味のねぎ、みょうが、にんにくを乗せて食べると、肉厚で塩や薬味の味もマッチしていていい塩梅で非常に美味しかった。また、日本酒のお供として酒盗は非常に優れており、互いに味わいを引き立たせるような素晴らしいコンビネーションを体験した。

 

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 ちなみに酒盗とは鰹の内蔵の塩辛のことであり、高知ではおつまみとして一般的な珍味であり、他に鮪などを用いた場合も酒盗と呼ぶことがある。私は塩辛くて食感がぐにゃぐにゃしたような系統の珍味が好物なので、この度で食べたものの中で何よりも気に入った。

 正月なので奮発して色々飲み食いして店を後にすると、ネカフェへ向かって歩き始めた。私の記憶が確かならば、数年前には高知県にのみ快活CLUBが存在しておらず、スタバにおける鳥取県のように、最後の県としてここ数年の間に高知県へと出店したようだ。正月休みを取っているひろめ市場などを横切りながら、土讃線の北側にある店舗へと向かって、そこで宿泊することにした。普段は実家や祖父母家で過ごす三が日を、縁もゆかりもない四国の地で一人過ごすのは不思議な感じがした。

 

 次の日も、まだ太陽が顔を出す前に土讃線に乗って、高知県西部へと向かった。窪川行の列車に揺られながら日の昇ってゆくのを車窓越しに眺めているうちに、窪川に着いた。この日もよく晴れた空模様であった。

 

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 窪川からは土佐くろしお鉄道に乗り換えることができる。土佐東部を走るごめん・なはり線に対して、西部には中村線宿毛線が走っている。西部の2路線が乗り放題になる衝撃的な安さのきっぷが存在するので、それを購入して中村線のホームで列車を待った。

 

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 やがて中村行の列車がやってくると、それに揺られて1時間弱程度、中村駅へ着いた。中村は高知西部の中心である四万十市の中心部にあたるが、中心市街地は駅から少し離れているので、そこまでは行かずに駅の近くだけを散歩した。ちなみに窪川四万十町の中心であり、非常に紛らわしいので、高知を観光する際には注意されたい。

 中村駅の待合室には本棚が置いてあったが、そこには中村出身の井上淳哉氏の漫画も置いてあった。『BTOOOM!』は放送当時アニメを見て、面白かったと思った記憶がうっすらと残っている。

 

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 そこからは、宿毛線に入って宿毛行の列車に乗って、高知県の鉄道の最西端である宿毛駅に辿り着いた。とはいえ、これといった目的地はこの日はなかったので、ある種の地理への好奇心かあるいは乗り鉄的な興味として端まで乗ってみたという感じで、呑気に煙草を吸ったりした後、海岸の方へと歩いていった。

 海岸からは美しい太平洋を臨むことができた。雲も僅かしかない快晴には海がよく似合う。季節は冬真っ盛りであるが、強い日差しが水面に反射して、暖かみを感じた。

 

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 その後は元来た道を折り返して高知駅の方へと向かった。途中、乗換となる中村駅でもう一度うろうろと駅前を散歩していると、小さなたこ焼き屋を見つけた。驚いたのはその店名で、私が担当アイドルの一人としているミリマスの北沢志保と漢字も含めて同じ「志保」を冠していたのだ。何か運命的なものを勝手に感じた私は、車やバイクで路駐して買っていく地元の人たちに紛れてそこのたこ焼きを買って窪川行の車内で食べた。たこ焼きは外も中もふわふわした大阪風のもので、値段も安かったので、少し地元を懐かしく思ったりした。懐かしいも何も、その2日前に梅田や高槻に降り立って地元・大阪を訪れているではないか、という指摘は甘んじて受け入れるとして……。

 

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 それはさておき、高知駅に辿り着くと、辺りはすっかり暗くなっていた。同じ県内の西半分を往復しただけで日の出から日没までの時間を要する高知県の広さを改めて思い知らされるばかりであった。この日は新年初営業日のひろめ市場を訪問することにしたが、前日の静寂さが嘘みたいな盛況振りであり、市場内のフードコート的な座席にも空きは見当たらず、とても落ち着いて一人飲みできるような環境ではなかった。そういうわけで、市場内で営業している珍味が中心の店舗で鯨のさえずりやあん肝などを購入して、前日と同じネカフェへと向かうことにした。

 ネカフェでいつものフラットルームに入ると、市場で購入した珍味たちを広げ、コンビニで購入した発泡酒と一緒に孤独な晩酌と洒落込みことにした。この日の目玉は鯨のさえずりである。さえずりとは要するに舌のことであり、人生で初めて食べるものであった。元々「さえずり」という意味を持つTwitterが、Xなどというセンスのない名前に変わってしまったことを惜しんでいるのも兼ねて食べた鯨のさえずりは、ぬた(饅)と呼ばれるものの中でも酢や味噌などを葉にんにくと合わせた高知特有のたれを付けて食べると、舌の上でとろける脂身に葉にんにくの風味が絡んで今までに食べたことのないような独特な味がした。高知ではうつぼを食べたりする文化もあり、珍しい魚を色々食べることができて満足できた高知の夜であった。

 

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 次の日もまだ日の昇らぬ深夜と早朝の間のような時間帯から高知駅へ向かい、高知東部から徳島へと至る記録に就いた。高知駅から出ている土佐山田行の車両に乗って後免駅で乗り換えると、みぎしたきっぷが使えるルートを辿れることになる。そのまま土佐くろしお鉄道を乗り通す奈半利行に乗り換えて、早朝の奈半利駅に着いた。

 

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 曇りの奈半利は寒く凍えていたが、程なくしてバスがやってきたので救われた。

 悲しみはバスに乗ってジオパークセンターへと向かう。室戸周辺のバスはここを基準に運転系統が分かれているようだ。終点のジオパークセンターで降ろされて、暫しの待ち時間が発生した。2日前に訪れたばかりの施設なので改めて見て回りたいところは流石になかったが、深海を水中ドローンで映した映像などを見ながら次のバスをのんびり待っていた。しばらくそうしていると、北上するバスがやってきて、それに少しだけ乗ってむろと廃校水族館へ降り立った。

 

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 むろと廃校水族館は、廃校となった小学校の建物を利用して海の生き物を飼育しているユニークな水族館である。施設内に出入りすることも登下校と呼ばれ、ナマコなどを素手で触れるタッチプールなる展示の手洗い場にも公立小学校によくあるような手洗い場がそのまま利用されていた。

 

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 他にも様々な魚類の展示や、多数の標本の展示もあった。学校の理科室のような教室や、図書室をそのまま魚類や地球に関わるような書籍を本棚に置いた施設があったりと、元々学校であるというルーツを惜しみなく活用した非常に独特かつ興味深い施設であった。ミュージアムショップの名は「過疎の駅」となっていて、非常に哀愁漂う自虐に思えて切ない思いがした。

 

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 その後はバスで海の駅東洋町まで戻った。ここでDMVに乗り換えるまでしばらく時間があったので、建物内の特産物を眺めつつ、食堂の方へと向かって、ここで食事を摂ることにした。地元の鮮魚を使った日替お刺身定食を注文して席に着くと、程なくして定食が提供された。定食は三種の刺身にご飯と味噌汁と漬物、それからぽんかんと思われる柑橘類が添えられていた。刺身はどれも新鮮で肉厚で美味しく、白米ともよく合っていてあっという間に食べ終わってしまうほどであった。セルフサービスの緑茶で締めると、大変充実したランチとなった。

 

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 やがてやってきたDMVに乗り込むと、徳島県最南端の海陽町に位置する道の駅宍喰温泉に着いた。道の駅内には土産物を売っていたりDMVが走る鉄道ジオラマがあったりして、また、駅名の通り隣接するホテルの温泉も日帰りで利用することができた。道の駅と同じく洋風建築のホテル内に入ると、日帰り温泉の料金を払って浴場へ入る。寒い冬の中で冷やされた身体には温泉の温かさが身に沁みた。

 

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 その後はDMV阿波海南駅まで戻り、牟岐線に乗って徳島駅に帰っていった。3日間の四国の「みぎした」の観光はここで終わりとなった。私は徳島市の繁華街へと再度赴き、徳島の地鶏である阿波尾鶏を食べることができる居酒屋を訪れた。すだちを搾りわさびなどと共に頂く鶏の炙りや叩きを摘みながら、白州のハイボールを飲むと、三が日の旅の〆に相応しい感じがした。高知で気に入った酒盗も頼んで、四国最後の夜をいい感じに締めることができたと思う。そのまま徳島のネカフェに宿泊した。

 

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 ここからは帰路ということで、翌日は夜明け前から始発の高徳線に乗って高松に向かった。高松に着いた頃はちょうど通勤の時間帯であった。乗換の間の時間でうどんでも食べていこうと思って駅の近くのセルフのうどん屋に向かうと、多くのサラリーマンが行列を作っていた。しかしうどんは非常に回転が速いので、あっという間に列は進んでいき、比較的すぐにうどんにありつくことができた。シンプルな素うどんに無料トッピングをかけただけのものだが、麺も出汁もレベルが高く、流石本場のクオリティだと思いながらあっという間に食べ終わった。返却口にお盆を置いて退店すると、すぐ駅に戻ってマリンライナーに乗った。

 

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 晴れの瀬戸内海に点在する島々の見せる景色は、私にとっては国内でも特に好きな景色だ。瀬戸大橋を列車が走る間の車窓は何度見ても飽きることのない美しさであった。

 

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 岡山でまた乗換待ちの時間があって暇を持て余していたが、そこからは順調に大阪駅まで辿り着き、駅ビルで天麩羅の店に入った。博多発祥で天麩羅を揚げたてで提供してくれて明太子も食べ放題という、かなり前に博多で訪れて感動した店の梅田店である。天麩羅ももちろん美味しいが、明太子をいくらでも食べられるというシステムが好きで、そちらの方もかなり食べてしまった。決して安くはないはずの食品をおかわりし放題で提供してくれるのは本当にありがたい。

 

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 その後は名古屋に行って、そこでまた友人と会い、ラーメン屋に行った。年始の営業でそれなりの列ができていたので、並びながら色々と話していた。ここもかなり昔に一度来たことがある店で、名古屋在住の友人のおすすめでもあったので、心を躍らせて店内に入った。名駅で人気の高い泡系のラーメンで、まろやかで出汁の味も効いているスープに舌鼓を打った。

 

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 店を出ると、名駅周辺をぶらつきながら、ゲームセンターに入って音ゲーなどで遊んでいた。やがて終電の時間となって解散した後、宿泊地を探すことになったが、名古屋都心の中で安い快活大須店は度々満席になった経験があるので、今回はそのまま名駅のカラオケで一夜を明かすことにした。

 

 最終日はほとんど電車に乗り続けるだけであった。5時にカラオケから放り出されるも、始発までまだ時間があったので、西区にあたる四間道や円頓寺商店街の古い町並みを散歩した。時間的に真っ暗で通行人も営業中の店舗もないものだから、本当に歩いて眺めるくらいしかできなかったが、静かな時間帯に町並みを散策できたのはよかった。

 

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 始発の時間には名駅に戻り、中央本線に乗って関東・甲信方面へと向かっていった。JR東日本JR東海の境界駅である塩尻までは順調に進んだが、塩尻からの高尾行で盛大に寝過ごしてしまい、寄り道する予定だった場所までかなりのタイムロスをしながら逆走することになった。

 結果的に予定より数時間遅れて勝沼ぶどう郷駅に降り立った。おしゃれなステンドグラスの駅舎を出ると、眼下に広がるは一面の葡萄畑であった。もっとも、季節的には枯れた蔦ばかりであったが、その数たるや夥しく、ここが国産ワインの聖地と呼ぶに相応しい場所であることが一目でわかった。

 

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 葡萄畑の中をしばらく歩いていくと、勝沼ぶどうの丘という施設に辿り着いた。ここは豊富な山梨ワインの販売や試飲を行いつつ、コース料理を提供するレストランや温泉なども併設されている施設である。私は休肝日もなしに週7でお酒を飲むほどの辛党であり、ここにやってきた目的は言わずもがなワインの試飲と購入であった。ここには地下に寝かせたワインと試飲用ワインの置いてあるワインカーヴがあり、試飲をするにはタートヴァンなるものを購入する必要がある。タートヴァンとはフランスでワインの利き酒をする時に用いられる、金属製で凹凸があり、その形状で乱反射を起こしてワインの色合いを様々な角度から観察することのできる道具である。もっとも、フランス語的にはtastevinと書けばタストヴァンに近い発音になりそうなものなので、なぜsの音が抜けているのかは最後まで謎のままであったが。

 

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 ところで、タートヴァンはコロナ禍の中でかなり値上がりしたらしく、私が訪れた時の2200円という価格は数年前の倍くらいの額だったようだ。一方、地下のカーヴで温度などを管理されているワインたちは大体が2000円台だったので、一瓶分飲めば元が取れると考え、実際にそのくらいの量を試飲した。甲州ワインは白ワインが中心だが、ロゼや赤もある程度あったが、私はワインの中では白が好きなので、辛口から甘口まで様々な白ワインの味を楽しめて満足のいく体験であった。

 

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 最後にワインを一瓶購入してカーヴと売店を後にした。日が暮れた宵の口、丘の上から甲府盆地の夜景を見下ろせる展望台ではイルミネーションも催されており、山梨の夜景だけでなくこの施設自体の輝きも楽しめるような場所となっていた。それをしばらく眺めた後は、すっかり暗くなった夜道を歩いて駅まで戻り、中央本線で再び東へ向かって東京都内に入った。土産の甲州ワインを友人に振る舞うのを楽しみにしながら。

 

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