潮騒、某、暮れ泥み

小説のような旅行記を。鉄道旅を主として全国を旅しています。

岐阜・でらます・湖北旅行

「でらます」とは、アイドルマスター(以下アイマス)と名鉄観光がコラボして、主に名古屋市内の色んな観光施設や飲食店などにアイドルの等身大パネルが設置されたりコラボ商品が販売されたりするイベントのことである。そのために名古屋に向かって、ついでに行き帰りの道中のいつもの一人旅を足した、あるいは名阪間旅行のついでにでらますを足したとも言えそうな旅は、早朝の東海道本線で岐阜へ向かうところから始まる。

 東海道本線を乗り継いで、岐阜駅で高山本線太多線直通の多治見行に乗る。多治見で乗換待ちが発生したので軽く駅前だけでも見ようと改札を出ると、想像以上にお洒落で立派なショッピングモールがあり、都会的に見えたが、そこはまだできたてでテナントも埋まってないという。今後の多治見の発展に期待しながら中央本線中津川行に乗った。快速と書いてあるが、ちょうど多治見以降各停になるのだから最早快速ではなく少しもやもやした。

 

 

 中津川駅で降りると、バスに乗って、向かうは馬籠宿。隣の妻籠宿と共に、中山道の宿場町で往年の古い町並みの残る場所である。この二宿の間に今の岐阜・長野県境があり、馬籠は岐阜側である。日本に来る外国人観光客がまた増えてきているので、馬籠宿にも多くの外国人観光客の姿が見られた。

 

 

 馬籠宿は石畳の坂に沿って木造建築が並んでおり、バス停のある入口側から一番奥の恵那山展望台まで坂を上っていきながら町並みを眺めるようになっている。まずは一番上まで行こうと、物色はせずに坂を上っていった。町並みは非常に統一的で美しいが、中でもやはり外敵を阻むための桝形のところの水車は風情があった。

 

 

 

 馬籠宿の上側の出口に着くと、そこからすぐのところに恵那山展望台がある。よく晴れた日で、大きな恵那山が堂々と聳え木曽路の街道を見守っているようだ。そこにある東屋で少し休憩して汗を拭うと、次は宿場の色んな店舗を見ていこうと坂を下り始めた。

 

 

 

 

 昼時だったので、ふらっと蕎麦屋に入り、結構注文を迷いつつも最終的に山菜そばをオーダーした。しばらくして、かけそばに多種の山菜が乗せられた丼鉢が出てきた。蕎麦を啜ると、麺のいい歯応えと出汁の旨みが伝わる。山菜もどれも美味しく、つゆまで全部飲み干して店を出た。

 

 

 石畳を下りながら土産屋などを物色していると、岐阜のものと長野のものが両方あることに気づく。それは単に県境が近く文化的に近接しているからだろうかと初めは思ったが、恐らくそれだけではないだろう。というのも、馬籠は昔は長野県であり、隣の岐阜県中津川市が周りの町村を吸収合併する際に越県合併されて岐阜県に変わったのだ。それで長野への帰属意識も一定以上残っているのだろうかと思ったりした。

 

 

 その後は、中津川が発祥の栗きんとんの味のソフトクリームを食べながらしばらく休憩し、そしてバス停まで戻った。次はまだ新しい県境を跨いで妻籠宿へ。こちらは長野県南木曽町になる。

 

 

 妻籠宿に着くと、今度は平坦なアスファルトの道沿いに木造建築がずっと遠くまで綺麗に並んでいる。その街道を歩いていくと、飲食か土産かの店舗らしき建物はいくつもあるもののほとんどが閉まってしまっていた。もう夕方ではあったが、かなり早い時間に店仕舞いしてしまうようだった。観光客も疎らになって寂しい。街道を一往復した後は暇になってしまった。次のバスまで時間はあるのでもう一往復くらいしたりしてからバス停でじっと座っていた。

 

 

 

 

 

 数十分待ってようやくやってきたバスに乗って、終点の南木曽駅まで乗った。南木曽駅中央本線の駅で、中津川駅と共にこの駅もまた運行系統上の境界になっているようであり、ここから塩尻方面へは一気に本数が減る。今回はそっち方面には行かないので、中津川行に乗った後、快速の名古屋行に乗り継いで名古屋駅に着いた。

 カップラーメンの「辛辛魚」で知られる井の庄は東京の石神井公園に店舗があるのだが、どうやら名駅の中の驛麺通りにも店舗があるらしい。ずっと実店舗で食べてみたいと思っていたので、そこに入ることにした。店での辛辛魚は、唐辛子と魚粉が山盛りに乗せられており、絶妙な魚介系の旨みと唐辛子の辛さで非常に美味しかった。私は辛い食べ物が好きなので、更に少し卓上の唐辛子を足したりしつつスープまで飲み干して、店を出た。その後は、翌日の旅程に合わせて、また多治見まで折り返した後、太多線可児駅に行って、可児のネカフェで眠りに就いた。

 

 

 

 翌日と翌々日は18きっぷを使用しない。一日は長良川鉄道越美南線沿線だけを観光し、その次の日はほとんど名古屋市内にいて地下鉄で移動するからである。そのために長良川鉄道の起点駅である美濃太田になるべく近い可児まで来ておいたのだ。太多線であっという間に美濃太田に到着。

 長良川鉄道1日フリー乗車券は駅で紙のきっぷとして買うこともできるが、QUICK RIDEなるアプリを使って購入して、そのアプリの画面を見せることで使えるきっぷというものもある。それで電子チケットとしてフリー乗車券を購入し、長良川鉄道沿線観光は始まった。

 

 

 まずは関駅で降りる。関市は人口重心の町として知られている。人口重心は東京一極集中の影響で、岐阜県内を徐々に南東へと移動している。また、私が10年以上好きなシンガーであるLiSAの出身地でもあるので、別に特に彼女に関する観光名所などがあるわけでもないが、一度来てみたかった場所ではあった。

 滂沱と雨が降りしきっていたので、傘を差して駅からすぐ近くの関善光寺(宗休寺)まで歩いていった。善光寺と言えば長野にあるものが有名であるが、関には日本唯一の卍戒壇なるものがあるという。しかし、雨が強く、また時間が早すぎてまだ入れないこともあり、ここは断念して、軽く建築だけを見て駅に戻った。駅前の町並みは少し城下町の風情も感じられた。

 

 

 

 

 次の列車に乗って、隣町の美濃市駅で下車した。美濃市はうだつの上がる町並みや和紙で有名な土地である。改札を抜けると早速その町並みの方へと向かって歩き始めた。

 うだつとは、漢字では梲または卯建と書くが、要するに家屋の両端の外壁及び屋根瓦が少し高くなっている部分のことである。これは防火のためであり、これを上げるには費用がかかったことから、逆に出世できず裕福になれない状態を指す「うだつが上がらない」という慣用句ができた。

 その町並みに着くと、木造建築の古い町並みが続く中に、所々屋根の両端が少し上げられているところがある。これが本物のうだつかと高鳴る気のまま町並みを散策した。

 

 

 その後、うだつの上がっている建築の一つであり、史料館となっている旧今井家住宅を訪ねた。館内は美濃市の豪商の邸宅を展示してあるのであるが、そこの館長が非常に口の回る方で、そこに居合わせた老夫婦と私の三人に対して、美濃市の和紙が京都の迎賓館などでも使用された格式高いものであることや、邸宅の庭にある水琴窟に惹かれて上皇上皇后やかの米国のロックフェラー氏までもが訪れたことを話してくれた。

 

 

 その後は建物内部の様々な部屋について館長に説明されながら回り、それが終わると中庭の件の水琴窟などを見学した。水琴窟とは石で覆われているところに水を垂らすと、その下で音が響いて美しい音を奏でるというものである。これが世界のVIPも感動したという日本の音かと、しばらくその高く響く楽器のような音に浸っていた。

 

 

 

 いつの間にやら案外と時間は経っていて、歩速を速めて訪れたのは美濃和紙あかりアート館。美濃市の名産である和紙を用い、その内側から灯りを照らした芸術品の数々が展示されている美術館のような場所である。展示を見て行くと、主に岐阜県の地元の人が多いものの、関東や関西の人もその和紙アートに応募し、受賞作として展示されている作品があった。それらはぼんぼりのようでありながら、独創性のある伝統と現代アートの融合であるように見えた。その美しい展示品の数々を見て回って、あかりアート館を出た。

 

 

 

 

 

 再び美濃市駅から越美南線に乗って更に北へ、いよいよ郡上八幡へと至る。郡上八幡城の立派な天守と城下町を見てみたいと常々思っていたが18きっぷだとJR縛りであるがゆえに行けなかったところに、ついに辿り着いた。まずは城下町の方へ向かわんと駅から歩を進める。

 

 

 城下町の中心部までは数十分の徒歩移動を要するが、少しずつ木造建築などが増えていき城下町然としてゆく郡上八幡の町並みに心が躍った。やがて吉田川を渡った橋の向こうに城下町の中心部が広がる光景を見ると、ぱっとしない空模様ながらも非常に風情を感じられた。

 

 

 

 

 ここで本日の食事を取ろうと、土産屋と併設された食堂に入っていく。時間の問題か天気の問題か、広大な店内に私以外はほぼいないという殺風景な食堂を前にして、店員が注文を聞いてくれるので、食べたいものを素直に注文する。しばらくお冷やを啜っていたところに到着したのは、岐阜県でも郡上市下呂市などを中心に食べられてきた鶏ちゃん(けいちゃん)と、飛騨牛の乗せられた蕎麦や郡上名物のハムなどからなる定食である。それらを白米や味噌汁と共に頂くと、ハムの塩気や飛騨牛のほろほろとした食感、鶏とキャベツに絡んだ大蒜の旨みなど、どれも満足できる美味であった。食堂を出て向かうはいよいよ城の本丸である。

 

 

 循環バスのバス停でもあり土産屋でもある城下町プラザの角を曲がると、城下町から天守本体へと至る長い坂道が蛇行しながら伸びている。これを上るのはなかなかに大変だ。蛇行した車道を突っ切るように、近道と記された階段上の歩道があるのだが、それが非常に足場の悪い道であり、上り切った頃には汗が額や胸を激しく滴っていた。

 

 

 

 本丸に至り入城すると、天守の内部には観光地としての城によくある、この城に纏わる城主や戦などの歴史解説パネルや発掘物などがあり、いつものようにそれを眺めながら簡単にざっくり歴史を頭に入れていく。畿内中心のメインストリームの日本史に対して各地方にこのような歴史があることを学びながら階段を上っていくと、やがて屋上展望台に辿り着く。空模様こそ暗いものの、美しい城下町とその奥の山並みを見ることができた。同時にその遠景として見える山で行われた戦の解説などを見て歴史を学んだ後、天守を出た。

 

 

 

 いつの間にか帰りの鉄道に乗る時間が迫っていたので、本丸から市街地へと坂を下ってゆく。上りより遥かに楽で、あっという間に城下町プラザまで戻ってくることができたので、却って時間が余ったくらいであり、胸を撫で下ろした。やがてやってきたバスで郡上八幡駅に戻ると、美濃太田方面の車両に乗って南下を始め、帰路に就く。その途中で降りたのが、郡上市美並町にある、みなみ子宝温泉駅である。

 

 

 みなみ子宝温泉駅は非常に変わった構造の駅で、駅のホームから温泉へ改札も介さず直結している駅である。この駅で降りる時に運転手から温泉に入る際の割引券を受け取ることができ、それを使うと入浴が安くなるというシステムになっている。そのチケットを渡して割安の値段で温泉に浸かると、必ずしも長良川鉄道の乗客ではない客と共に湯に浸かる愉悦を縦にする。露天風呂もあり、そこにも学生のような風貌の集団から老人まで幅広い客層が癒されていた。私も湯に癒されて堪能したところで上がると、次の列車までの間に関市に本社があるらしい関牛乳のコーヒー牛乳を飲んで更なる癒しを得た。そして、やがてやってきた列車に乗って、美濃太田駅まで戻ってきた。長良川鉄道のフリー乗車券で通常運賃よりも安い運賃で観光できたことを確認すると、鵜沼乗換を経て名鉄犬山線沿線に宿泊し、翌日の名古屋周遊へと備えた。

 

 

 

 

 翌日も予定通り18きっぷを消費することなき旅程となった。名鉄犬山線名駅に着けど、時刻はまだ6時台。ろくに観光もできないので、カフェなどで適当に時間を潰しながら様々な施設の開店時間を待った。寝不足でうとうとしつつ待っていると、ようやく街が活気づく時間帯になったので、名古屋の地下鉄全線24時間券を購入し、栄へと向かった。

 ここからがでらますの開始である。まずは栄で何ヶ所かを回り、各地のアイドルの等身大パネルなどを写真に収めた。次は金山へ向かい、更に周辺のスポットを回る。その後、また名駅へと戻って駅周辺のいくつか営業開始したコラボ店を回った。その三つの繁華街にそれなりのスポットが集まっていたので、これで一段落ということにし、この日ちょうど昼頃からTwitterのフォロワーと会う約束になっていたので、銀時計で待ち合わせして相手の行きたい場所を案内することとなった。ここまでのでらますの記録をここに写真として残す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、私がでらますの一環として行きたかった中部電力MIRAI TOWER(以下ミライタワー)へ向かうため再び栄に降り立った。ミライタワーも、他のいくつかの場所と同じく、7月末からコラボしていたミリマスと9月上旬にコラボを始めたデレマスの両方のキャラが迎えてくれる。1階の受付と3階のショップを抜けた先のエレベーターで、地上90m付近の屋内展望台及び階段を上ったところにある屋外展望台へと至る。ハート型の南京錠と、ありがちな「恋人の聖地」なる看板に苦笑しながら名古屋市内を隈なく見下ろしてミライタワーを後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 その後は私もフォロワーも明確な目的地を持っていなかったが、途中で寄った書店で知った豊田市美術館の展示を見に行ってみようという話になり、鶴舞線名鉄豊田線経由で豊田市駅へ向かった。豊田市内にはJRがないので、ずっと18きっぷでは行きにくく飛ばしてきた場所であったが、偶然訪れる機会を得た。豊田市駅に着くと、駅前のペデストリアンデッキとその両側に聳える大きなショッピングモール群に都市規模の大きさを感じ取りながら、駅前から続く青色の案内に従って美術館まで歩いて行った。駅前の広い道、愛知環状鉄道の高架を潜って坂を上るとそれはある。

 

 

『吹けば風』と題された企画展に入ると、最初は大きな坂の他には風景画が展示されている空間であったが、途中からがらりと雰囲気が変わり、色んな方向にプロジェクターが向けられ、光路に垂れ下がる物体や鑑賞者に遮られながら様々な映像が様々な角度で表示されるようなインスタレーションが中心の展示に変わり、その後もプロジェクターとそれによる映像を中心として、室内に散りばめられたオブジェなども一体となった空間全体の展示へと変貌していく。最後に屋外に出ると、あちこちに長方形の鏡が配置された広場と池などがあり、どこまで展示の意図を理解できたかはわからないが、興味深いインスタレーションを体験できたと感じた。

 

 

 

 

 駅前まで戻ってきてそこでフォロワーと別れ解散すると、この日の最後に私は豊田の駅前でふらっと居酒屋に入って一人飲みに興じた。だらだら飲み食いするうちに数時間も経っていたので、頃合いを見計らって店を出て、この日の満足に観光できたことを感じながら上前津まで戻り、そこで泊まった。

 

 最終日、一通り今回東海エリアでやりたかった目的をすべて果たした私は、金山から18きっぷを使って長浜へ向かった。長浜は駅から琵琶湖側には長浜城、反対側には黒壁スクエアを中心とした城下町の古い町並みが残り、駅周辺だけでも十分観光しがいのある風情ある都市であるが、以前行ったことのある黒壁スクエア方面は飛ばして、この日のメインの前に道中の長浜城を観光した。

 

 

 長浜城は館内に歴史を開設するパネルもあるが、子供向けの体験コーナーやゲームコーナーの多い施設で、私はさっさと屋上展望台まで上がってしまった。屋上展望台からは、片や琵琶湖畔の自然、片や城下町と山々が見渡せ、吹き荒ぶ風に涼みながら景色を堪能すると、天守を後にして周りの公園を港へ向かって歩き始めた。

 

 

 

 今回の長浜観光のメインは竹生島である。竹生島長浜市に属し、琵琶湖に浮かぶ離島の一つで、定住人口は0人であるが立派な寺社仏閣があり観光客で賑わうパワースポットとして知られている。船は長浜港から出ているものと、琵琶湖の対岸の高島市にある今津港から出ているものがあり、行きと帰りを往復にせず片道切符で長浜から今津(またはその逆)へ向かうチケットも存在する。今回は私はそれを購入し、竹生島を観光した後今津港へ行くことにした。一応彦根港からも行けるが、これは今回は割愛する。

 

 

 短いクルーズを終えあっという間に竹生島に着くと、最初は天気が芳しくなかったが、とりあえずは拝観券を購入して、朱色の鳥居に挟まれた橋を渡って竹生島神社(都久夫須麻神社)へと向かった。重要文化財竹生島神社は紫の幕がかかった立派な建築で、拝殿の反対側の建物からは琵琶湖に向かってかわらけ投げができるようだった。

 

 

 

 その後、神社横から木造建築の廊下を渡って戻ると、宝厳寺の国宝・唐門に着く。カラフルで豪華絢爛ながら黒を基調とする重量感も感じさせる唐門とその中の観音堂を見学すると、更に階段を上っていよいよ一番上の宝厳寺の本尊や三重塔のあるエリアに辿り着いた。それらを見て回りながら、タオルで滲む汗を拭う。しばらく休憩したら階段を下りていって、境内を出た。

 

 

 

 港から境内までの小さな門前町には食べ歩きできるような軽食が色々と売ってある。この夏まだかき氷を食べていないことに気づいた私はかき氷を注文して店の向かいのベンチで食べた。暑い夏に冷たい氷ほど美味しいものはないかもしれない。しかしもうあまり時間がなくゆっくり味わっている暇はなかったので、勢いよく掻き込んで食べ終え、最後に近江牛まんを持ち帰って今津行の船に飛び乗った。

 

 

 

 日の傾きつつある近江今津には賑わいはなく、閑散とした中を港から駅まで歩き、そこで一時間近く後の電車をじっと待っていた。今回の旅はここまでである。今から大阪に帰るにはまだ少し早いというくらいの半端な時間ではあったが、もう帰ってゆっくり休もうと思ってこれ以上はどこにも行かないことにした。やがていつもと少し違う湖西線の新快速がやってくる。いつも通り新快速に乗って、大阪へと帰っていくのであった。