潮騒、某、暮れ泥み

小説のような旅行記を。鉄道旅を主として全国を旅しています。

会津・上越旅行

 冬になると雪を見たくなる。私は雪の降らない土地で育ったので、雪が積もったことが滅多にないし、積もっても数cmもあるかどうかですぐ溶けてしまうものだった。雪だるまを作れるほどの雪は私の生活圏では経験したことがない。それで冬の18きっぷは降雪量の多い東北や日本海側に行きたくなる。

 当初の旅程では、会津の観光をした後、只見線に乗って新潟県入りし、そのまま上越方面まで行こうというものであった。しかしこれは後述する大雪のせいで叶わなかった。そのため、まとまった一つの旅行かのように一つの記事に書いているが、実は不幸にも分割されてしまった二つの小旅行の話になる。

 さて、会津を観光するのにまずは移動拠点となる会津若松駅まで向かうのだが、どうやら会津若松まで着いた後に会津の山奥の方まで観光して戻ってくるという行程を一日に収めるのは無理があるようだ。初日は、退屈だが会津若松への前日入りということで、のんびり東北本線を北上していく。

 この日は特に観光らしい観光をしないので逆に時間は余っており、乗り潰しのために烏山線に乗ったりしてみた。烏山を観光すればよかったのかもしれないが、この日は出発が遅かったのもあり、それをすると今度は時間がなくなるというジレンマに陥り、結局はすぐにそのまま折り返した。

 引き続き北上して黒磯まで着くと、乗継に時間があったので少し駅前を散歩した。旅をするときは地元のスーパーなどを見ると地域性・文化がわかったりお土産が安く買えたりするので、特に何も買わずスーパーをうろうろしたりしていた。駅前にある図書館は非常におしゃれで内装も美しい場所で、市立の図書館というよりも蔦屋書店のような落ち着いていながらも襟を正したくなるような高級感を提供していた。

 

 

 この先は私のように鉄道旅をする人にとってはきっと煩わしいであろう白河越えである。もう何度もやらされた、新白河での同一ホーム上の前後移動による乗継をして、郡山に着いた。

 

 

 郡山は東北で二番目の経済規模を誇る都市であるが、仙台一強で人口50万前後の中規模都市がない東北での序列というところが悲しい。それでも駅ビルや百貨店もあり、高層ビルもあり、商店街も人はいて、決して寂れているといった様子ではない。

 駅前はイルミネーションで飾られ冬らしい装いで、更に小ぶりなステージも用意されていた。何かバンドのミニライブでもするのだろうか。私が見た時は、誰も登壇していないにもかかわらず、ステージには人が群がっていた。

 

 

 郡山ではもう日が暮れていたので、何か夕飯を食べようとご当地の名物グルメを検索してみるも、あまりその日の気分に合う料理がなく、結局まぜそばの店に入った。店内は小洒落ており、まぜそばを頼むと、待ち時間に温かいスープを提供してくれた。寒い冬の東北では特にありがたいサービスで感激した。やがて着丼したまぜそばは魚介系でしっかりと味があり、チャーシューも分厚く美味しかった。郡山にこんないい店があったのかと満たされた気分で店を後にして、磐越西線に乗りに行った。この日は郡山で麺を食べただけの日となった。

 

 

 会津若松駅に着くと、只見線の開通を祝う階段アートなどがあり、翌日只見線に乗るのが楽しみになった(しかし結局、翌日には大雪で只見線は運休することになるのだが……)。会津若松駅周辺の観光は以前にしたことがあるので、今回は会津鉄道の起点になる西若松駅まで行ってそこで降りた。実はここで只見線に乗っているが、あまりに短い区間しか乗っていないので乗った気はせず、実はまったく乗れなかったわけではないという事実をつい忘れてしまう。

 そこからは宿泊地まで真っ直ぐ歩いていった。雪は多少積もっていたが、気になるほどではなかった。しかし、今思えば磐越西線の途中で酷く雪の降っている場所があったので、その時点で翌日の大雪もさもありなんといった感じであったのかもしれない。次の日に大雪に振り回されるとも知らず、この日は本当に何も観光しないまま就寝した。

 

 翌日は大雪であった。まだ踏み固められていない柔らかい雪道の上を歩いて西若松駅に向かった。駅に着くと、改札前に運休情報があり、只見線は運休とのことであった。新潟に行く方法は他にもあったが、只見線で終点の小出まで行けない時点で旅程が完全に破綻したのでへこんだ。しかし、幸い会津鉄道の方は動いていたので、それに乗って会津の山奥へと向かう。こちらは旅程通りに行動することができた。

 

 

 かわいらしいラッピングが施された車両に乗って南下していき、湯野上温泉駅で降りる。この駅がまた趣深く、外観は木造で屋根の勾配が急な雪国らしい建築で、中の待合室には囲炉裏まで存在して暖をとれるようになっていた。土産屋も併設されていた。

 

 

 

 駅から少し歩いたところに駐車場があって、そこにバスが停まっていた。このバスは湯野上温泉駅と大内宿の間を走るバスである。大内宿こそが今回の旅のメインとも言ってよく、雪国の古い街並みが化粧をした絶景を期待しながらバスに乗り込んだ。

 一面雪で覆われた何もない道をしばらく走ると、やがて宿場から少しだけ離れた場所にあるバス停で降ろされる。会津盆地以上に雪は激しく、新雪に足が埋まってしまう。そんな中で少し歩けば宿場の入口があり、そこを通り抜けて曲がると、少し晴れ間を覗かせた空の下、概念としての冬とでも言うべき光景が広がっていた。

 

 

 大通りがあってその両側に茅葺屋根の木造家屋が立ち並んでおり、郷土料理など様々な飲食店もあったりした。とりあえずはその景色を見回しながら奥の方へと歩いていく。雪はいつの間にか止んでいたが、風が吹くと屋根に積もった雪が巻き上げられ、さながら吹雪のように流されたり舞い上がったりしていた。白川郷五箇山などもそうだが、こういう土地で生きていくのはさぞ大変だろうと余所者の傲慢で月並みな感想が浮かんだ。

 

 

 道の終わり辺りまで行くと、階段と坂とがあって、そのどちらかを使って上に行くと、子安観音堂と見晴らし台があるが、階段はただでさえ急な上に雪が積もって滑りやすくなっている状態なので、細心の注意を払って慎重に上った。階段が怖いという声も周りから聞こえてきた。

 

 

 上まで行くと、観音堂に一礼し、横の空き地に行った。そこから下を見ると、木々の間にいい感じに大内宿の大部分が収まる形で先程歩いてきた街並みが見えた。上から見た銀世界は筆舌に尽くし難い美しさであり、数ある宿場町の街並みの中でも大内宿がとりわけ人気な場所の一つであることも頷ける。それは秘境に存在する豪雪地帯を描いた絵画のようであった。

 

 

 

 一頻りその景色を堪能すると、階段を下り、来た道を引き返していく。到着時は朝早くまだ開店していない店も多かったが、この頃になると開店し始めていたので、大内宿名物であるねぎそばを食べるために店の引き戸を開けた。

 中は畳の座敷になっており、適当な席に座ると、ねぎそばをオーダーした。到着したのは、情報としては知っていてもなお驚くほど長い白葱が一本そのまま蕎麦の器に凭れかかっているインパクトのある料理であった。伝統的にはその葱で蕎麦を掬って食べるようなのだが、一本しかない葱になかなかうまく蕎麦が引っかからない。周りの客も、試しに一口だけ挑戦してみて後は普通に箸で食べていたので、私もそれに倣った。

 

 

 葱は箸代わりでありながらそれ自体も食べるものなので、葱を豪快に齧りながら蕎麦を啜るが、流石に生の葱だけをそのまま齧ると辛くて食べにくい。持ち帰りもできるらしいのでそうしようか少し迷ったが、しかしこの空間で食べてこそ価値のあるものだと思ったので、蕎麦だけでなく葱もしっかり完食した。ただ、正直葱は食べにくいので、次に来ることがあれば普通の蕎麦の方を頼もうと思った。

 蕎麦屋でゆったり暖をとった後外に出ると、湯野上温泉駅に向かうバスの発車時刻が近づいていたので、初めのバス停があった場所まで戻ってバスに乗り、湯野上温泉駅に到着。ここから会津若松まで行く列車は来るにはまだ時間があり、寒い中多くの人が駅の待合室で待機していた。寒さに数十分ほど震えていると、ようやく列車が来て、会津線から只見線に直通して終点の会津若松駅まで乗った。

 

 

 さて、ここからどうやって新潟方面に向かおうかと思案し、只見線ルート以外に磐越西線ルート、かなり遠回りして米坂線ルートなども考えたが、結局どこも運休で、東京まで帰るルートさえ怪しいくらいの状況になってきた。よって、郡山まで戻って、比較的降雪量が少なくちゃんと動いている東北本線に乗って東京まで帰ることとなった。冬の18きっぷ旅ではこういうことはよくある。冬らしい雪景色を見たいが雪が降りすぎても鉄道が運休して困るというジレンマを抱えて、天候に翻弄される旅人側の敗北となった。

 

 後日、リベンジということで直江津に向かうことにした。直江津はJR信越本線えちごトキめき鉄道日本海ひすいライン妙高はねうまラインの3路線が通る交通の要衝となっている。かつてはすべてJRだったものが、北陸新幹線の開業によって三セク化されたためにこのような状況になっている。また、かつてはJR東日本JR西日本の境界駅でもあったため、文化的にも直江津を境に東西に分かれるところがあるのではないだろうか。いや、直江津くらいだとまだまだ東の雰囲気があると思うが。

 直江津までJRで行くなら高崎から上越線で長岡(正確には隣の宮内)まで行った後信越本線直江津に向かうというルートになるが、この日も上越線が一部運休しており長岡には行けないようになっていた。仕方がないので18きっぷだけで直江津に行くことを諦め、六日町〜犀潟に路線を持つ北越急行ほくほく線に乗ることにした。こちらの方が距離的にもショートカットできるし、ちょうどタイミングよく超快速スノーラビットに乗ることができたので速達性はJR縛りよりも遥かに高かった。北越急行内は18きっぷで乗降することも通過することもできないので、その分のきっぷは六日町で購入した。そのきっぷと18きっぷを両方見せて直江津駅の改札を出た。雪でどこもかしこも交通が麻痺している中、よくもまあここまで辿り着けたものである。

 

 

 直江津のあたりは海側で、会津のような山の中と比べれば雪はまだましだったようだ。それでもそれなりには雪が積もっていたが、除雪は済んで車道には雪がない。問題は、除雪車は雪を歩道寄りに集めるので、歩行者は普通に雪の上を歩いていかないという点であるが……。駅に近い一部の通りには雁木造の建物が連なっていて、そこは雪もなく歩きやすいのでなるべくその下を通りながら水族館まで歩いていった。

 

 

 

 雪の絨毯の向こうにある一階部分がガラス張りでおしゃれな建物は上越市立水族博物館うみがたりである。うみがたりは大きすぎず小さすぎずちょうどいい大きさの水族館だと思う。入館すると、3階に行くよう案内される。上層階から下っていきつつ魚類などを観察する形式の水族館である。順路が上の階から下の階へと向かうようになっているタイプの水族館や博物館などは時々見かけるが、やはり鑑賞を終えた時に出入口と同じ階にいる方がスムーズという理由なのだろうか。

 3階に行くと、まずクリスマスツリーが飾ってあって、そういえばそんな時期だったなあなどと思ったりしながら順路を進んでいく。日本海沿いの新潟らしく基本的に日本海の生物の水槽と地理的解説などを見ていく。少し暗めの空間の先には大量の魚が群れをなして動いている大水槽が見える。マイワシのダイナミックな運動と、のんびり泳いでいる様々な魚が見られ、下の階に行ってもまた別の角度から見られるので、十分なスケールで日本海の様子を再現できているのだろうと思う。下の階の他の小さな水槽にはそれぞれまた別の生物が展示されていて、その先には照明を落とした暗い水槽の中を泳ぐ深海魚のコーナーがある。最後の方にはゴマフアザラシの泳ぐ水槽やイルカの泳ぐ水槽などがあって、イルカショーもやっているようだったが、タイミングが合わなかったのでそれは見送った。

 

 

 

 

 

 

 明るい空間に出ると、マゼランペンギンの展示があるはずなのだが、鳥インフルエンザの影響で展示を中止しており残念ながらお目にかかることはできなかった。ニシキゴイが泳いでいて餌やりもできる池に行くと、餌がなくても大量の鯉が群がってきた。水族館や動物園の餌やり体験ができるコーナーで必ず見られるように、人間を認識すると餌をくれると思うのだろう。私は餌をやらずにそこを去って、ミュージアムショップに入って軽く物色し、うみがたりを出た。私は懐が寂しいので入館料を払うので精一杯だ。

 

 

 

 直江津駅に戻ると、駅にも小さな水槽があって魚が展示されていることに気づいた。水族館で有名な場所の駅にはいくつかこういう駅があるが、安房鴨川駅など撤去された駅もあるので、維持するのはそれなりに大変そうだ。

 

 

 さて、次は高田城を見に行くべく妙高はねうまラインに乗る。高田までは2駅しかないから到着はすぐである。しかし高田で降りると、駅舎は黒い屋根瓦の立派なもので、雁木造の商店街も存在していて、まるで別の町に来たみたいだった。というのは、直江津と高田は今でこそ合併して同じ上越市になっているが、元は別の町で、直江津は港町として、高田は城下町としてそれぞれ発展したからである。

 

 

 高田城は天守はないが、三重櫓がある。東日本では徳川家に遠慮して天守を建てず、三重櫓などを天守代わりとして使っていた城が多く、高田城もその一つである。現存天守にしろ復興天守にしろ、天守のある城跡は西日本に多い。また、高田城には石垣もなく、縄張りは堀に水が張られているだけで、後は土と芝生の土台しかない。城内には学校や陸上競技場などもあるようだった。

 

 

 雪に覆われた斜面の上に三重櫓が建っている。天守ではないというだけで十分立派な建築である。中は大抵の城がそうであるように城にまつわる歴史の展示があって、最上階は展望台になっている。さほど広くないので軽く展示を見て、展望台から城内を眺めて、外に出た。城内に入った時とは別の、部分的に雪が積もった橋を渡って、駅の方へ戻った。

 

 

 直江津方面の列車に乗るのだが、ネカフェがあるのが直江津と高田の間あたりで春日山駅が近かったのでそこで降りる。港町に来たら魚が食べたくなるので、寿司の店に入って、12貫の寿司に味噌汁のついたセットとハイボールを注文し、寿司に舌鼓を打ちながら軽く一杯ハイボールを呷った。普通に単品の2貫の寿司もあるので最後にそれをちょっと注文して食べてから店を後にした。コンビニでたまたま見つけた新潟限定の缶ビールを限定の文字に釣られて買って、それをネカフェで飲みながらこの日の旅程は終わった。

 

 

 

 

 翌日、直江津駅に着くと、今度は日本海ひすいラインに乗って糸魚川に向かった。この路線もJRではないので18きっぷは使えず、普通のきっぷを購入。糸魚川に着くと、雨が降ったり止んだりの不安定な天気で、私はなるべく雁木の下を歩いた。雪は積もっていなかった。

 

 

 駅からさほど遠くないところにもう日本海があり、小さな展望台も設置されていた。雨も風も強く傘を持っていても大変だったが、展望台には屋根があって雨を凌ぎながら、どんよりした日本海テトラポッドを見ていた。晴れの日ならもっと綺麗に見えるのだろう。天気を操作する異能を習得したいと常々思う。

 

 

 

 展望台を下りて駅の方に向かって歩き始めるが、せっかくなのでご当地B級グルメを食べようと思って、昼食には少し早い時間に中華の店に入った。注文したのは糸魚川ブラック焼きそば。いかすみで真っ黒な焼きそばの上に玉子が被せられていて、そこにマヨネーズがかけられている。いかすみと言えば石垣島でも真っ黒なチャーハンを食べたことがあったが、糸魚川イカがよく取れるらしい。焼きそばにはしっかりといかすみの味があって非常に美味しかったし、いかすみ自体日常的には食べないので珍しいものを食べた満足感もあった。

 

 

 黒くなっているであろう口の中のことを少し気にしながら糸魚川駅に戻ると、次はバスに乗る。バスは駅から山側に向かって走っていき、小高いところにあるフォッサマグナミュージアムで降りた。この頃には雨は止んでいて、青空も見えたが、館内に入れば恩恵もないのでやはり展望台で晴れの海を見たかったなあ、とかぼんやり思う。

 

 

 フォッサマグナは地理の授業などで習って知っている人も多いであろうが、日本列島を東西に分割するようにして存在している地溝帯である。その中でも、特に西端の境界線にあたる糸魚川静岡構造線は文化的にも東西に分ける基準の一つとして言及されることも多い。実際、直江津や同じ上越市上越妙高駅JR東日本が持っているが、上越妙高を境界として北陸新幹線JR東日本から西日本に切り替わり、その隣駅の糸魚川も西日本の駅である。

 館内の展示はとにかく翡翠が多い。翡翠糸魚川あたりでよく見つかるようで、大小様々な翡翠が大量に展示されていた。他にも種々の化石やカラフルな鉱物が多く展示されており、『恋する小惑星』(小惑星はアステロイドと読む)という地学をテーマにしたアニメで博物館に鉱物を見に行く回を思い出したりした(面白いアニメなのでぜひ見てほしい)。

 

 

 

 

 

 

 展示を見終えて出入口の方に向かう時に、クリスマスツリーが何個か置かれていることに今更気づいて、これらが置いてあるのはこの時期だけかと思うと少しラッキーな気もした。

 ミュージアムの近くには長者ケ原考古館という小さな博物館があり、縄文時代の土器など様々な当時の生活用品が展示されていた。この場所になぜこのような施設があるかというと、どうもこのあたりが縄文時代の遺跡であるらしいことに気づいた。帰りのバスの時間に間に合うように歩速を上げて林の中を通ると、その先には一面を雪で覆われた竪穴式住居があった。どこにも足跡がなく誰か来た形跡もないような地味な場所だったが、私だけの靴底のスタンプを残しながら、建物の中も少し覗き見た。しかしバスの時間が近づいておりもうあまりゆっくりできない状況だったので、また早歩きでバス停まで戻り、何とか間に合って糸魚川駅に戻ることができた。

 

 

 

 

 糸魚川駅前にもヒスイ王国館という建物があり、巨大な翡翠が置いてあったりお土産売られたりしていた。ここにもクリスマスツリーがあり、かなり背が高かった。そこで適当に物色して時間を潰してホームに行くと、大糸線南小谷行の列車が停まっている。大糸線は松本〜糸魚川を結ぶ路線で、一部は篠ノ井線中央本線にまで直通する。ここからはJRだけを使って東京に帰るので、18きっぷ以上の運賃は必要ない。夕方の糸魚川を背に、列車は長野の山間部へと走り出した。