潮騒、某、暮れ泥み

小説のような旅行記を。鉄道旅を主として全国を旅しています。

箱根・伊豆旅行

 昔、確かに伊豆急と南伊豆のバス路線が2日間乗り放題になるフリーきっぷがあったはずなのだが、先延ばしにしていたらいつの間にか廃止されてしまっていた。同じく先延ばしにしていた著名な観光地として、箱根があった。2ヶ所とも、東京から行きやすく、かつJR沿線ではないので18きっぷで行けないという点で共通しており、このままでは一生先延ばしにしてしまう気がしたので、18きっぷのシーズンではない時に、普通運賃であっても行こうと重い腰を上げたのであった。

 小田急の急行に乗って、まずは小田原まで。小田原駅は箱根観光の拠点として複数の路線が乗り入れており、駅の近くには小田原城などの観光地があるが、小田原駅周辺の観光は以前にしたことがあるので今回の旅では割愛し、小田急のホームから繋がっている箱根登山鉄道のホームへと向かう。

 

 

 箱根登山鉄道小田急グループの鉄道会社なので、駅名標やら車両やらも小田急に似ているし、小田急の特急ロマンスカー箱根湯本駅まで直通することもある。小田原〜強羅までの路線だが、運転系統としては箱根湯本で一旦途切れているといった感じだ。私はまず箱根湯本まで行って、周辺を散策することにした。

 

 

 箱根湯本駅は流石有名観光地と言うべき立派な駅舎で、駅前の商店街も栄えており多くの観光客が行き交っている。とりあえず私も商店街を往復して湯本の街並みを楽しんだ。その後、駅からすぐ近くのところにある温泉に向かって坂を上っていった。

 

 

 公衆浴場らしく簡素な造りで、入浴料を払うと細い道を通って脱衣所で服を脱ぐ。温泉にはたまたまその時先客がおらず、しばらく一人でゆったり浸かることができた。浴場はごつごつとした岩に囲まれていてそこそこの面積があり、後から人が入ってきてもまだまだスペースにはかなり余裕がある感じであった。いつかは旅館の温泉にも入って泊まってみたいものだが、私はこういうレトロな香りの漂う公衆浴場もかなり気に入っている。

 温泉を後にすると、続けて箱根登山鉄道で更に箱根の奥へと進んでいく。終点は強羅駅で、ロープウェイと繋がっているので一応乗換駅のようなものだ。箱根湯本には及ばないが多少は土産物屋などがあり、ロープウェイに乗り換えるのであろう観光客も多くいた。

 

 

 しかし、私はロープウェイには乗らなかった。というのは、実はバスに乗った方が運賃が安く、金欠の私はなるべく出費を抑えたかったから、という何とも情けない理由である。バスはロープウェイの終点と同じく桃源台に向かって走っていく。やがて到着し、バスを降りると、目の前には箱根駅伝の折り返しポイントとしても有名な芦ノ湖が広がっていた。

 

 

 

 芦ノ湖周辺にはさほど人はいなかったので、のんびりと湖畔を歩く。スワンボートなども多く繋留されていたが、実際に乗っている人は見当たらなかった。少し寂しいが、落ち着く散歩道だった。

 芦ノ湖からバスに乗って、今度は標高が低い方へと向かっていく。降りたバス停は、箱根観光では外せない大涌谷である。こちらは多くの観光客で賑わっていたが、恐らくほとんどは強羅からロープウェイで訪れた客で、私のようにバスで来た人はほぼいないだろう。

 

 

 

 大涌谷から湧き出る蒸気は一目見る価値のある壮大さを誇っており、見入っている観光客が多くいた。私もその壮大な自然の営みに目を奪われて、しばらく眺めながら写真に収めた。すぐそばには黒たまごを始めとした様々な土産を売っている施設があり、そちらも物色はしてみたものの、お財布事情が気になって結局何も買うことはなかった。最後、バス停に戻る道で、晴れ渡る青空を背景としてはっきりと富士山が大きく見えた。

 

 

 

 再びバスに乗って、次は彫刻の森美術館へと向かう。近くのバス停を降りて少し歩くと、それはあった。事前に買っていたウェブチケットを見せてスムーズに中に入ると、いきなり美しい彫刻が現れた。全体的に現代アートの多い美術館で、恥ずかしながら美術に昏く作者を知らない場合も多いのだが、流石にブールデルくらいは知っていた。

 

 

 そこから公園のようになっている施設内を歩いていくのだが、その所々に様々なコンセプトの現代アートがあり、錯覚を起こさせるようなものもあった。その中でも、やはりステンドグラスの敷き詰められた壁面を螺旋階段を上りながら鑑賞することができる塔は美しく、私を含む素人でもかなり心躍るものがあった。

 

 

 

 その先にはピカソ館があり、ピカソの様々な作品が展示されていた。そこは屋外の吹き曝しの彫刻群とは違い、建物の中に絵画が展示されている、美術館と聞いてイメージするような空間そのものである。撮影は禁止されていたので屋外の彫刻のように写真として残せるわけではないが、その長い生涯の中で様々に画風を変えながら20世紀の美術界を牽引してきた偉大な画家の作品群は大変よいものであった。

 

 

 その後も、また別の道を通りながら、屋外の現代アートを見て回った。閉館ぎりぎりの時間までじっくり鑑賞して、美術館を出た。最寄駅まで行って、箱根登山鉄道小田原駅まで帰る。箱根観光はこれで終わりなのだが、もう一つだけ寄りたいところがあった。それはご当地ラーメンの一つである小田原ラーメンである。

 宿泊地の都合もあり、JR東海道本線の上り方面へ一駅、鴨宮駅で下車する。ここから少し歩いて、小田原ラーメンで有名なラーメン屋に辿り着く。小田原系ラーメンは豚骨醤油のスープで、私が注文したものは葱がたくさんトッピングされたものである。普段は味が濃く脂っこいものの方が好きな私だが、時々こういう優しい味のラーメンも食べたくなるものである。

 

 

 ラーメンを食べ終わると、そのまま鴨宮駅近くに宿泊して、1日目は幕を閉じた。

 

 鴨宮で一夜を明かすと、東海道本線に乗って熱海まで行き、伊東線伊豆急行線伊豆半島をどんどん南下していく。伊豆急は今度は東急グループの会社だが、箱根登山鉄道の場合と違って東急の路線とはまるで繋がっていない。たまたま観光列車がやってきて、窓側に向かって座れる座席があり、途中、海岸沿いを走る列車が相模灘を何度も見せてくれた。

 

 

 

 終点の伊豆急下田駅は改札に入口と出口があって、その二つは別々になっている変わった駅であった。到着はまだ朝で、昼食には早い時間だったので、とりあえずペリーロードの方へと歩いていった。下田は江戸末期、鎖国が終わって初めて開港された地であり、ペリーが来航した地点から、日米和親条約の付録である下田条約が結ばれた了仙寺までの細い川沿いの道がペリーロードである。近づくにつれ少しずつ古風な建築が見られるようになり、期待が高まっていった。

 ペリーロードに着くと、そこにはやや小規模ながら水路の両岸に古風な建築が軒を連ねており、シダレヤナギが映える小洒落た道が伸びていた。その道を奥の方まで歩いていくと、ペリーロードは左に曲がっており、その先には港とペリー艦隊来航記念碑があった。ペリーの胸像は、日本史の教科書に載っているような容姿そのもので、この地が歴史の大きな転換点になったことを今に伝えている。

 

 

 

 

 最後に軽く了仙寺を見学して、駅の方へと歩き始めた。そろそろ飲食店が昼営業を始める頃であろう。下田名物である金目鯛を食べたいと思い、海鮮の食堂の暖簾をくぐる。金目鯛を含む種々の刺身の乗った海鮮丼に味噌汁やエビフライなどがついてくる定食をオーダーした。下田の鯛は新鮮で普段食べるものより当然美味しく、定食全体としてもボリュームがあって、満ち足りた気持ちで店を出た。

 

 

 伊豆急下田駅の入口の方の改札を通って列車に乗ると、今度は普通の車両だったが、伊東線内を直通する熱海行であった。そのまままた端から端まで乗って、数時間ぶりに熱海に戻ってきた。

 次は三島へ行きたいと思っていたのだが、わざと一旦熱海で改札を通って外に出た。これは鉄道で旅をする人ならよく知っていることであろうが、JR同士でも複数の会社の路線に跨ってしまうと、交通系ICでは自動改札で弾かれてしまうためである。今回で言えば、熱海駅JR東日本JR東海の境界駅であり、JR東日本伊東駅からJRに入ってJR東海三島駅で降りようとするとややこしいことになる可能性があった。というわけで改めて熱海駅の改札を通って、JR東海東海道本線に乗って三島に向かった。余談だが、この問題はあくまで交通系ICの話であり、普通のきっぷや18きっぷなどの場合は気にする必要はない。

 三島駅熱海駅と同じく東海道新幹線の停車駅でもあり、大きな駅で、駅前も栄えている。駅の近くに楽寿園という庭園があるのでそこに向かう。楽寿園は本来は有料施設だが、無料で入れる条件が色々あり、私の場合は学生証を提示することで無料で入れてもらえた。なんと学生に優しい施設であろうか。数百円のこととはいえやはり得をすると嬉しいのが庶民感情である。

 楽寿園は池泉回遊式庭園を中心としながらも、一部で動物が飼われていたり蒸気機関車が置いてあったりと独特な施設である。当初はこの後に伊豆箱根鉄道駿豆線修善寺まで行こうかと考えていたのだが、微妙に時間が狂い、開門しているうちに訪れられなくなったので、逆に時間が余り、楽寿園をじっくり回って楽しむことができた。

 

 

 

 その後は、もう少し駅から離れたところにある三嶋大社を訪れた。これまた庭園も美しい立派な神社であり、鳥居に一礼して参拝した。私が願うことはシンプルで、それはただ心の平穏のみである。常に穏やかな気持ちで趣味などを楽しめるような環境を構築するため、これまでも多くの神社でそれを願ってきた。

 

 

 

 三島駅周辺の観光を終えて駅前に戻ってくると、最後にコンビニでみしまコロッケを一つ買った。みしまコロッケは箱根西麓の三島馬鈴薯で作られたらしいコロッケで、町おこしの一環として生まれたものであるらしい。寒風の吹く駅前のベンチで、冷めないうちにコロッケを食べた。

 

 

 三島に別れを告げ、会社跨ぎの問題を解消すべく普通のきっぷを買って、小田原まで戻った。JRから小田急に乗り換えると、急行列車が新宿を目指して走り始めた。