潮騒、某、暮れ泥み

小説のような旅行記を。鉄道旅を主として全国を旅しています。

島根・山口・広島旅行

 鉄道開業150年記念として、いつもの青春18きっぷなど以外にも色々なきっぷが販売されていた時期の話である。その一つとして、JR西日本が販売する「西日本どこまで4DAYS」というものがあった。これはJR西日本圏内の在来線が連続する4日間乗り放題になるというもので、18きっぷ4日分より僅かに高いが、智頭急行にも乗れたり、特急券を購入すれば在来線特急にも乗れたりするというのが18きっぷとの相違点である。今回はこのきっぷを使い、昨年夏の記事にある鳥取・岡山・香川旅行と対になるような、中国地方西部の旅をすることにした。

 とはいえ、旅程の都合上、松江・出雲周辺だけを観光する初日はそのきっぷを使う必要がないという結論に至った。4日間のきっぷの1日分の運賃にも満たないので元が取れないという考えによるものである。それでは松江まではどうやって行くのか、という話になるが、松江まで行く道をすべて在来線縛りにするとそれだけで一日潰れてしまうくらいには時間がかかる。そして旅程も一日長くなり、宿泊費も一日分増える。それよりは安いだろうと考えて、初手から高速バスでショートカットして初日から十分に観光できるようにしたわけである。

 早朝に梅田に着くと、グランフロントから工事中のうめきたに設けられた通路を通って梅田スカイビルのバスターミナルへと向かう。スカイビルの北側に数台のバスが並んで待機しており、そのうちの米子・松江・出雲へと向かうバスに乗り込むと、バスはまだ朝も早い梅田を出発して西へ走り出した。

 

 

 

 松江には5時間くらいで到着する。途中、加西と蒜山高原のサービスエリアで休憩が入り、煙草でも吸おうかとバスを降りた。蒜山高原ではまだ雪が残っており、涼しい気候であった。その後、米子付近まで来ると、まだ雪を被った美しい大山が見えた。大山は旧国名をとって伯耆大山伯耆富士などとも呼ばれ、山陰本線伯備線の合流するところには伯耆大山駅がある。その後は米子で降りる客を何人か降ろして、間もなく松江に辿り着いた。

 

 

 山陰はICOCAエリアが非常に狭いが、この日はそのエリア内をうろうろするだけなので、松江駅の自動改札を通ってまずは安来へと向かった。安来駅は本当は米子駅からの方が近く、バスも米子で降りてまったく問題なかったのであるが、何となく島根縛りにしたいという個人的で無意味な拘りから少し運賃が上がっても松江側からギリギリ島根県の東端にあたる安来に来たのである。

 安来駅は木組の美しい風情のある駅舎であった。駅前に停まっているバスは、これから行く足立美術館行のバスであるが、これが何と無料シャトルバスなのである。普通の路線バスに乗る必要がなく無料で安来駅との往復を乗せてくれるのはとてもありがたい。

 

 

 足立美術館安来駅から少し山手に向かったところにある、島根きっての美しい日本庭園と、横山大観を主とした数々の日本画や陶芸などを鑑賞することができる美術館である。横山大観と言えば近代日本画界を牽引してきた画壇の重鎮であり、朦朧体と呼ばれる画風で知られる。館内の絵画などは撮影禁止となっているため写真を撮ってここに載せることはできないが、間違いなく一見の価値がある日本画の数々が展示されていた。また、順路に沿って進む間の所々で色んな角度から日本庭園を鑑賞することができ、こちらは撮影可能である。枯山水もあれば池庭などもあり、米国の『The Journal of Japanese Gardening』における日本庭園ランキングで20年連続で1位に選ばれているほど海外からの評価も高い。この日はよく晴れていて、一層美しく輝く木々の緑と、絶妙な配置の岩などが保つ調和に私は心を奪われた。

 

 

 

 

 

 美術館を出てシャトルバスで駅まで折り返すと、山陰本線で折り返し、松江駅を通り過ぎて玉造温泉に着いた。駅から温泉街までは徒歩20分ほどかかり、雲一つない空、傾き始めた日の光に照らされながらしばらく歩いた。

 温泉街は川を挟んだ両側に古風な旅館などが並ぶ典型的な温泉街といった趣である。無料で入れる足湯もあるが、あまり時間がなかったのでそこは通り過ぎて、日帰り温泉に入る。温泉に行けば一つくらいは温泉むすめの等身大パネルが置いてあるのは普通だが、それ以外にもやたらとグッズが置いてありサインも展示してあり、建物自体も少し変わった構造の温泉であった。ちょうどいい湯温の温泉に浸かって、初日なのでまだ大して溜まっていない旅の疲れを少し癒した。

 

 

 

 来た道をまた徒歩で折り返し、山陰本線を更に少し西へ乗って出雲市駅で降りた。日が暮れた夜の出雲市を少し歩いて出雲そばを食べに行く。出雲そばは戸隠そば、わんこそばと並び日本三大蕎麦の一つに数えられ、割子と呼ばれる漆器が何段にも重ねられて提供されるのが特徴的である。三段重ねの出雲そばが届くと、まずは一番上の割子に出汁と薬味を入れて蕎麦を啜り、なくなると下段の割子の蕎麦に上段の割子に残った出汁を移して食べていくという食べ方をする。無事閉店する前に美味しい蕎麦を食べることができて満足したところで、1日目は幕を閉じた。

 

 

 

 翌朝、まだ日の出前に出雲市駅まで行って、日が昇り始める車窓を眺めながら大田市駅に着いた。大田市と言えば、あの世界遺産にも登録された石見銀山がある市である。駅から路線バスに乗って、まずは石見銀山で鉱夫たちが生活していた大森の古風な街並みを散策する。着いたのがあまりに早すぎて観光客はまったくいなかった。大森には黒い瓦の建物も多かったが、所々に赤褐色の石州瓦を葺いた建物もあった。石州瓦は石見では現在でもよく使われており、山陰本線から見える街並みにも赤い屋根瓦を多く見ることができる。

 

 

 

 

 静かな街並みをかなりの距離歩くと、それはやがて途切れて、木々の間に車道が一筋伸びている。この道を2kmほど歩くと、間歩と呼ばれる坑道の中で、石見銀山では唯一間歩の中が常時公開されている龍源寺間歩に辿り着く。間歩の中は本当に鉱山の中を掘り進めただけの狭く低い道がずっと続いており、所々に道の左右の壁を少し掘った空間があるが、それらは立入禁止となっていて、進路は一方通行の一本だけである。途中に竪坑と呼ばれる排水坑もあり、ここから間歩に溜まった水を下へと流していたようである。奥へ奥へと進んでいくと、やがて岩盤で塞がれた坑道の端に到達し、その奥には更に狭い坑道が続いていたらしいが立ち入ることはできない。左手には、苔むした岩壁をしてはいるが現代的な手摺りがつけられた、出口に続く新坑道が伸びている。これは観光用に昭和末期に掘られた通路のようだった。

 

 

 

 

 

 

 入口より少し手前の出口から出て大森の街並みまで戻ると、観光客はかなり増えてきていた。流石に私が早く来すぎただけで、観光地としての人気がないというわけではないようで安心した。アクセスが多少難しかろうとも、世界遺産を一目見たい人は大勢いるに違いない。最初のバス停まで戻ってくると、大田市駅へと引き返した。

 ところで、石見銀山世界遺産としての登録範囲は、山奥の坑道や街並みだけでなく、銀を各地に輸送するための港も含まれているのである。その一つの温泉津港には、まさにその名の通り温泉も湧いており、温泉津温泉として知られている。ちなみに、「温泉津」と書いて「ゆのつ」と読む。

 大田市駅から数駅乗ると温泉津駅に着く。駅前には大したものはないが、温泉津温泉とその街並み保存地区への案内が書かれており、道なりに港沿いの道を上っていくと、温泉街に至る。温泉街としての知名度はあまり高くない場所かもしれないが、世界遺産の温泉であることを売りにしており、かつては石見銀山に従事した鉱夫たちが仕事の疲れを癒した温泉街である。その中の日帰り温泉に立ち寄って、二日連続で温泉を堪能した。

 

 

 

 

 一日を通して天気が優れなかった石見銀山についに雨が降り出し、傘を差して温泉津駅まで戻り、石見銀山を後にした。そこからは一気に西走し、島根県の市として最西端の益田市にあり、山陰本線山口線との乗換駅でもあり、山陰本線の運行系統上の境界にもなっている益田駅までやってきた。

 時間はそろそろ宵に入る頃、益田には日本一の居酒屋とも称され、食べログの居酒屋百名店にも選出されている有名な海鮮居酒屋があるという。駅からしばらくあると、その居酒屋はあった。木造のあまり大きくない建物で、都会の居酒屋のように店の前の通りを人々が行き交ったりしているわけでもなく、はっきり営業中と書いているわけでもないので少し不安だったが、恐る恐る木の引き戸を開けてみると、下に行く階段があって、それを下ると普通に接客してもらってカウンター席を案内されたので、一安心した。

 

 

 有名店だと聞いていたが、この日は他に人もほぼおらず空いていた。天気が雨だからなのか、時間がまだ早いからなのかはわからない。メニューはいかの生き造りなどが名物で、他にも色々な魚の刺身などを新鮮なままいただけるようであったが、あまりお金も持ち合わせていなかったので、海鮮丼にいくつかの小皿がついたセットと、サワーを一杯だけ注文し、それを飲みながら料理の到着を待った。明らかに旅人の出立ちをしていた私に、どこから来たのかとカウンターの向こうから板前が尋ねたので、大阪からと伝えた。きっとこの店には全国から客が訪れるのだろう。

 やがて来た海鮮丼は新鮮な刺身を敷き詰めたもので、ちょうどいい価格で美味しい魚介をいただくことができた。味噌汁や漬物など他についてきた料理も美味しく、隣に誰もいないカウンター席で一人舌鼓を打った。落ち着いた居心地のよい空間で日本海の魚を楽しんで会計をした後、階段を上ろうとした時に、店内の生け簀に気がついた。こうやって鮮度が保たれているのだなあ。全国の居酒屋を多くは知らないので日本一なのかどうかは判断しかねるが、また訪れたいと思うようないい店ではあった。

 

 

 益田駅に戻ると、山陽側へ向かうために山口線に乗り、終点の新山口から更に宇部線に乗って宇部新川に着いた。この日はここに泊まった。宇部に着いた頃には深夜であった。

 

 宇部新川駅宇部市の中心であるとともに、宇部線及び小野田線の中では大きな駅である。厳密には小野田線は隣駅の居能駅からであるが、運行系統上は宇部新川から出発する。そこから小野田線に乗って終点の小野田駅まで行き、山陽本線に乗って、山陽本線美祢線山陽新幹線の3路線が通る厚狭駅まで行った。そこから更に美祢線へと短距離で乗換を繰り返して、ようやく美祢駅に着いた

 美祢駅からバスに乗って向かったのは秋芳洞秋芳洞は日本有数の鍾乳洞で、その上には地理の教科書にも載っているように日本最大のカルスト台地秋吉台が広がる。バス停から秋芳洞の入口まで土産物屋の並ぶ細い通りを歩いて、秋吉台ジオパークの一部を構成する巨大な鍾乳洞へと入っていった。

 

 

 

 秋芳洞の中は、広いのはもちろん、様々な形をした鍾乳石が複雑な地形をなしており、棚田のようになっていたり、特徴的な形のために色々なものに喩えた名前のつけられた石があったりと、見所が多すぎて書き切れないほどである。観光用に公開されているエリアの真ん中くらいに、上の秋吉台展望台に行けるエレベーターがあるが、まずは鍾乳洞の立ち入れる範囲での一番奥まで行ってみることにした。

 

 

 

 

 最奥まで行くとそこには別の出口があったが、ここから出ても正面入口やバス停に戻れず、秋吉台を見るのも難しいということで、鍾乳洞内を引き返してエレベーターのところまで戻ってきた。エレベーターは80mもあるらしく、上まで行ってエレベーターを降りて地上に出た後も、更に坂道が続いていた。急勾配の坂をしばらく歩いてようやく展望台に辿り着くと、そこからはごつごつとした岩が突き出しドリーネが形成されている広大なカルスト台地を見ることができた。それは遠くの方までずっと続いていて、見渡す限りそんな様子であった。円形の展望台の建物の上から、そして地上の一番前まで行ったところから、色んな角度からその景観を観察した。自然が悠久の時を経て作り出す地形というのは本当に感嘆するしかない。

 

 

 

 

 一通り見終えると、またエレベーターに乗って秋芳洞に戻り、そのままバス停まで引き返して、バスで美祢駅に戻った。そこからは長い時間をかけ、途中岩徳線を乗り潰したりしながら広島駅まで駆け抜けた。もう時間はすっかり夜である。駅ビルのエキエに入って、夕食をとることにした。

 向かったのは広島つけ麺の店。広島つけ麺とは中華麺と一緒にキャベツなどが盛られていて、たれはラー油などで辛くした広島のご当地ラーメンならぬご当地つけ麺である。つけだれの辛さは選ぶことができ、店内にはそこまで書いてないが100倍もあるそうなのでそれを注文すると普通にオーダーが通った。しばらくして着丼すると、ラー油と胡麻が大量に浮いた赤いつけだれに食欲をそそられ、つけ麺を食べていく。流石に100倍ということもあって辛くはあるのだが、元が普通の唐辛子やラー油なのでそれをいくら入れても限りがあるようで、ピリ辛くらいの感覚で食べ進めることができた。追加で麺を注文し、少食の私にしては珍しくかなりの量を完食して、会計を済ませた。

 

 

 

 広島市内の観光は昔したことがあるので、つけ麺を食べただけで去って更に東進し、三原駅で降りた。ここに泊まるのには理由があったが、すぐに後述するように結局は無意味な移動となってしまった。ともかくその日は三原に泊まった。

 

 予定では大崎下島に行くつもりで三原に滞在していた。三原駅呉線の起点であり、途中の竹原で降りて竹原港まで歩いて大崎下島行の船に乗るはずだった。しかし、乗る予定だった時間の呉線に乗り損ねて、この日の予定が一気に潰れた。というのは、大崎下島の中でも重要伝統的建造物群保存地区に指定されており、また『たまゆら』というアニメにも登場する御手洗地区に停泊する便が少なすぎる上に、御手洗から歩けるところの大長に停泊する便を含めてもやはり便数が少なくてめちゃくちゃ時間が空いてしまうからである。やはり離島や山奥などアクセスの難しい場所へ行くのは、少しでも時間が狂うと一気に破綻してしまう。私は三原駅でしばらく立ち尽くしていた。

結局、その日広島県内で行きたい場所が大して思い浮かばなかったので、乗り潰しをすることにした。三原まで行った甲斐なく広島駅まで戻り、芸備線の快速みよしライナーで三次まで行き、福塩線に乗り換えて、府中で乗り継ぎをした後、終点の福山に着いた。

 

 

 福山には行きたい場所があった。福山の中心からずっと南へ行ったところにある、伝統的な街並みの残る港町・鞆の浦である。そこまで行くバスとの乗り継ぎが悪かったのでしばらく福山駅前をうろうろして時間を潰した後、バスに乗って鞆の浦に着いた。

 

 

 バス停からしばらく海沿いの道を歩いていくと、伝統的な日本家屋の並ぶエリアに入った。海沿いには鞆の浦のシンボルである常夜灯があり、多くの漁船が停泊していて、瀬戸内海が日光を照り返し輝いて見える。一方で一本筋を入ると隘路が入り組んでおり、所狭しと木造家屋が立ち並ぶ古い街並みがあった。それら伝統的な家屋の他に、寺も多くあり、かつては城もあったようで、少し階段や坂を上った小高い丘には鞆城跡の石垣が残っている。それらを自由気儘に歩き回り、日が傾いてきた頃にバスに乗って福山駅まで戻った。

 

 

 

 

 

 

 夜の福山の繁華街に入って、尾道ラーメンの店に入った。尾道ラーメンは当然尾道のご当地ラーメンであるが、尾道の隣の市であって備後で一番栄えている福山にも店舗が多い。醤油ベースのスープに背脂が浮かんでおり、麺は細麺だった。ずっと前に尾道でラーメンを食べた時より美味しく感じたので、尾道では自分好みの店に入れず福山では当たりの店に入れたのだろう。スープまで飲み切って店を出ると、商店街を抜けて少し駅から離れたネカフェに行って、時間が余ったのでゆっくりと一夜を過ごした。

 

 

 

 次の日が4日連続で使えるこのきっぷの最終日である。この日は元から大して観光する予定などなく、乗り潰しをしながら大阪に帰るつもりだった。ところが、乗る予定だった福塩線の時間に間に合わず、次に府中より北に行く列車を待っていては大阪まで帰り着かないので、山陽本線で広島まで行き、芸備線で三次に着いた。前日から同じ路線を行ったり来たりして非常に無駄な時間を過ごした気分になった。

 三次から備後落合に行く列車まで乗り継ぎ待ちがかなり長いので、昼食に広島風お好み焼きを食べることにした。三次では麺に唐辛子を練り込んだ唐麺を使ったお好み焼きが名物のようだったのでそれを注文して食べた。実際、私が辛さに強く舌が鈍感になっているせいか麺の辛みは感じなかったが、お好み焼き自体は美味しく、三次の味かどうかわかりかねたのが悔しいものの広島の味を感じることができた。

 

 

 

 ここからはひたすら芸備線姫新線を乗り継いで、内陸の中国山地を突っ切っていくルートで帰った。途中の備後落合には雪が残っており、実際、備後落合から松江市内の宍道に至る木次線の方は雪の影響で運休していた。木次線もいつかは乗りたいと思いながら芸備線で新見まで行き、ここから姫新線となって、津山で乗り継ぎ、佐用まで行った。

 

 

 ここで初めて、このきっぷと18きっぷの最大の相違点と言ってもいい特権を行使した。智頭急行に乗ってショートカットするのである。佐用姫新線智頭急行線の2路線が乗り入れる駅であり、そこから智頭急行に数駅だけ乗り、終点の上郡に行くと、ここからは山陽本線に乗ることができる。実はここで智頭急行に乗れなければその日中に大阪に着けないところだったので、この仕様は非常に助かった。

 

 

 そして山陽本線で姫路まで行くと、いつもの新快速が待ち受けており、ハプニングの多かった今回の旅を何とか丸く収めて、楽しかった余韻に浸りながらクロスシートに座った。