潮騒、某、暮れ泥み

小説のような旅行記を。鉄道旅を主として全国を旅しています。

北海道旅行 1

 まだ雪の残る春の北海道に行ってきた。今回からはそのことについて記そうと思う。

 

 東京を朝早くに出発し、仙台までは真っ直ぐ電車に乗り続けた。宇都宮あたりで通勤ラッシュと重なり、寝不足の中立たされてつらかったことを覚えている。その後は眠り続けて、気がつけば仙台であった。

 仙台には友人がいたので、彼女らと会っていた。詳細はプライバシーの観点から割愛しようと思う。一緒に仙台を観光したりして楽しい時間を過ごすことができた。

 酔い潰れて一日無駄にした後、再び旅立った。盛岡まで着いた後、山田線に乗って宮古へ。そこから三陸鉄道に乗った。三陸鉄道から見る海は本当に綺麗なものであった。

 

f:id:imtabi:20220409163054j:plain

 

 久慈に着くと、八戸線に乗り換え。八戸線に乗った頃には夜になっていて、再び綺麗な海を拝むことは叶わなくなっていた。もっとも、三陸鉄道でそれは十分堪能できたわけだが。そして本八戸に着いた。

 ここから八戸苫小牧フェリーに乗るわけだが、バスがいかんせんわかりにくい。何度も路線図を確認したが、フェリーターミナルに直接行く路線がないので、その近くの何もないところで降りる羽目になった。バスに乗っていると、フェリー利用者はここで降りろとのことだったので、やはりこれが限界らしかった。

 そこからしばらく歩いて、何とかかんとかフェリーターミナルに到着した。途中の道には全然人がいなかったのに、どこから湧いたのか乗り場には意外と人がいる。きっと車か何かで来たのであろう。

 

f:id:imtabi:20220409164043p:plain

 

 そしていよいよフェリーに乗り込む時が来た。運賃は高いが、距離を考えると妥当なのだろう。屋外を見渡せるお風呂までついており豪華な船であった。しかし、深夜なので何かが見えるわけではないのだが。

 お風呂から上がると、すぐ眠りについた。翌朝辿り着く北海道を夢見て……。

 

 苫小牧は雪化粧をしていた。雪に馴染みのないところで育った私は、雪を見るだけでテンションが上がった。これ以降、うんざりするほど雪や路面凍結を見ることになるのだが、この時点ではそんなことまで考えが及ぶはずもない。何しろ雪景色なのだから。

 

f:id:imtabi:20220409164502j:plain

 

 慣れない雪に足を滑らせそうになりながら苫小牧駅に着いた。今回の旅の本当の始まりの地である。何しろ今回の主役は北海道なのだから。それまでの間はいわば前菜のようなものである。ここから本当の旅が始まるのだと胸を高鳴らせた。

 苫小牧駅で北海道フリーパスを購入した。北海道フリーパスはJR北海道内の特急を含む在来線が乗り放題になる切符である。特急に乗れるだけあって、高い。ここは北東パスとかなり悩んだが、7日間という旅程の制限の中で行きたいところを行き切るには特急を使わないと不可能だと知ったので、仕方なく高い切符を買ったのである。財政難のJR北海道へのお布施のようなものだと思った。

 最初に向かったのは帯広。今回の旅は道東と道北がメインである。札幌・小樽・旭川・函館は以前に行っているので、全部スルーした。いわば未回収の北海道を埋める旅であった。

 

f:id:imtabi:20220409165815p:plain

 

 車窓から見える景色はずっとこんな調子であった。これではとても道東に大きな都市があるとは思えないが……と思いかけたが、その予想は覆されることになる。

 

f:id:imtabi:20220409170518p:plain

 

 帯広は意外に栄えていた。こう言うと失礼かもしれないが、道東も意外に栄えているのだなあと感動した覚えがある。帯広を適度に歩き回った後、名物という豚丼をいただいた。

 

f:id:imtabi:20220409165920p:plain

 

 その後、フォロワーの薦めでスイートポテトを購入した。想像以上に大きく、その中で小さめのサイズをいただいた。これもまたたいへん美味しかった。

 

f:id:imtabi:20220409170222p:plain

 

 見ての通り電車に乗り込んで、釧路を目指した。釧路に着くと、これまた栄えていた。道央だけでなく、道東も活気があるものだと思わされた。

 

f:id:imtabi:20220409170615p:plain

 

 釧路も適度に歩き回って、その後海鮮居酒屋のようなところで夕食を食べた。その後は東釧路に向かい、いつものようにネカフェを目指して歩き始めた。雪道には少しずつ慣れ始めていた。

 

f:id:imtabi:20220409170915p:plain

 

 5日目の朝。残雪を踏みながら東釧路駅を目指す。東釧路駅は無人駅である。本当に列車が来るのか不安に駆られたが、それは時刻通りに到着した。根室行である。

 

f:id:imtabi:20220409182100p:plain

 

f:id:imtabi:20220409182156p:plain

 

 今回の旅の主な目的は、日本の東端と北端に辿り着くことであった。根室北方領土を除けば日本の東端である。私は納沙布岬を目指して雪原の中を揺られていった。この日は途中から雪が降り出した。

 

f:id:imtabi:20220409182236j:plain

 

 根室に着いてまず感じたことは、その強烈な寒さである。この日は風が強く、それが寒さを加速させた。しばらく駅舎から出られないほどであった。何せ私は寒さに弱いのである。

 やっとのことで一歩踏み出し、コンビニでネックウォーマーを購入した。それで寒さはかなり凌げたので、回転寿司に入った。根室の新鮮な寿司をたくさんいただけた。とりわけ蟹は絶品であった。

 

f:id:imtabi:20220409182325j:plain

 

 途中でロシア語の標識も見かけた。流石根室である。ロシア語の標識は稚内にもあるが。ロシアとの領土問題を抱えていることを身近に感じられる瞬間であった。

 

f:id:imtabi:20220409182553p:plain

 

 ところで、根室駅周辺の寒さ如きで根を上げている場合ではなかった。私はこれから納沙布岬に行くのである。そこは極寒の地であった。

 根室駅に戻ってきてバスの切符を買って、お土産を見たりしていると、バスが到着した。それに揺られて30分以上、東へ東へと向かい、終点の納沙布岬に辿り着いて、あまりの寒さに顔が痛んだ。

 

f:id:imtabi:20220409182354j:plain

 

 何しろ岬は風が強い。元々の気温の低さに加え、あまりに強風が吹くものだから、体感温度は−20℃くらいにはなっていたのではなかろうかと思う。とにかく耳が痛かった。それでも岬を写真に収めることは忘れなかったが、寒すぎて途中からは資料館に籠り切りになっていた。

 

f:id:imtabi:20220409182911j:plain

 

 資料館には北方領土にまつわる展示や、北方領土返還に関する署名などが置いてあった。暇潰しに私も署名してみた。毎年国に提出されているのだという。望遠鏡からは北方領土も見ることができた。根室にはとかく北方領土返還の掲示が多い。あちこちにあるその掲示から熱量が伝わってくる。中には全千島・樺太の返還を主張する強気な碑まであって思わず笑ってしまった。ただしここでは政治の問題には深く踏み込まないことにする。

 

f:id:imtabi:20220409182426j:plain

 

f:id:imtabi:20220409182443j:plain

 

 雪深い地面を踏みしめて何とかバス停に戻ってくると、帰りのバスに乗り込んだ。バスの暖房が暖かかった。北海道はまだ冬なのだ。冬に納沙布岬なんか行くものじゃないと思ったが、同時に貴重な経験ができたとも感じた。

 この日も再び東釧路に帰って、ネカフェに宿泊した。これで旅の目的は一つ達成された。次の日からは北を目指す。釧網本線の時刻表を調べながら眠りについた……。

 

 続く。

本州・四国・九州横断旅行 2

 18きっぷ2日目、旅の3日目。松山を朝早くに発った。向かったのは八幡浜。そこから九州行の船が出るためである。電車で眠りながら八幡浜に着いた。

 

f:id:imtabi:20220330145552j:plain

 

 八幡浜港まで数十分歩いた。フェリーターミナルに到着し、臼杵行の切符を買う。行き先は別府と臼杵の二つがあるが、臼杵の方が若干近く、安い。煙草をふかしながらフェリーへの搭乗を待った。

 

f:id:imtabi:20220330150008j:plain

 

 いよいよフェリーの到着である。私は九州上陸への期待に胸を膨らませながら船に乗り込んだ。

 

 臼杵に着くと、まずは臼杵城に向かった。こちらも天守はない。一見すると普通の公園のようであり、実際そのように利用されているようだった。しかし所々に石垣などが残っている。

 

f:id:imtabi:20220330150723j:plain

 

 梅林では梅が綺麗な花をつけていた。梅や桜を見ると春を感じるものである。この日は暖かく、上着を脱ぐほどであった。

 

f:id:imtabi:20220330150851j:plain

 

 臼杵城を後にすると、のんびりと臼杵駅へ向かい、次の電車を待った。

 日豊本線に乗り込んで、次に向かったのは別府。言わずと知れた温泉街である。別府地獄めぐりをしたかったのだが、想定外に広く、また料金も高かったので、今回は海地獄を中心に二ヶ所に立ち寄るに留まった。

 海地獄は恐らく別府観光の中心であろう。熱湯が湧き出し、湯煙が遥か高くまで立ち込めていた。

 

f:id:imtabi:20220330151708j:plain

 

 もう一ヶ所は鬼石坊主地獄である。こちらはついでに立ち寄ったに過ぎなかったが、個性的で存外面白いものが見られたと思った。灰色の泥のように見えるところから湯煙が立っている。

 

f:id:imtabi:20220330151949j:plain

 

 以上二ヶ所を周り、それぞれで足湯にも浸かったが、この辺で時間がなくなり、別府を去ることにした。この日はもう一ヶ所寄りたいとことがあったからだ。それが由布院である。大分に来て温泉に入らないという手はあるまい。

 

f:id:imtabi:20220330152335j:plain

 

 由布院で老舗の公衆浴場に浸かった。旅の疲れを癒す温泉は格別なものである。いいお湯をいただけた。

この日の行程はこれで終わりである。私は再び別府へ向かった。泊まるのは悲しいことに温泉旅館などではなくネカフェである。途中の道で別府タワーも見ることができた。

 

f:id:imtabi:20220330152957j:plain

 

 4日目。18きっぷ3日目。別府から出発し、大分から豊肥本線に乗る。しかしここで寝過ごしをやらかしてしまい、予定が総崩れになった。大分駅前のカフェに入って旅程を何とか立て直す。そして気を取り直し、阿蘇へと向かった。

 宮地で降り、阿蘇神社を目指す。しかし、阿蘇神社は未だ熊本地震の影響で修復中であり、楼門は工事中で写真が貼られてあった。本殿はしっかりあったので、参拝。

 

f:id:imtabi:20220331005540j:plain

 

 宮地駅でのんびり電車を待って、熊本に向かった。熊本に着くと食べたくなるのはやはり熊本ラーメンマー油の味わいがたまらなく美味しい。というわけで熊本ラーメンをいただいた。

 

f:id:imtabi:20220331005912j:plain

 

 4日目は大幅な旅程の修正を迫られたが、それらは5日目に無事回収されることとなる。

 

 5日目。18きっぷ4日目。まず向かったのは三角。まだ暗い時間に熊本駅に着いて、三角線に乗り込む。

 三角に着くと、豪奢な駅舎に迎えられた。三角西港には明治時代の建物がそのまま残る。それを意識してのことだろう。

 

f:id:imtabi:20220331105504j:plain

 

 三角西港までは徒歩30分くらいあった。ひたすら歩いていくと、ようやく到着。

 三角西港世界遺産明治日本の産業革命遺産」の一部である。明治時代に開かれた港には、今も数多くの洋館が残る。日本の重工業の発展を示す名所の一つであると言えよう。余談だが、私は世界遺産検定1級を持っている。

 

f:id:imtabi:20220331221053j:plain

 

 

 

 

f:id:imtabi:20220331221221j:plain

 

 帰りはバスに飛び乗り、三角駅へ。そこから熊本駅へ戻り、次に水前寺に向かった。

 新水前寺駅で下車し、しばらく歩くと、美しい庭園が待ち構えていた。典型的な池泉回遊式庭園である。時間があったので、私は暫しベンチに座って鳥を眺めていた。

 

f:id:imtabi:20220331221533j:plain

 

 再び熊本駅へ戻り、暫くお土産などを眺めた後、バスに乗り込んだ。熊本港へ向かうためである。バスでは寝てしまい、いつの間にか到着していた。

 ここで島原行の切符を購入。3回目の船である。今回はどうも船旅が多い。私は酔い止めを飲んだ。

 煙草をふかして待っていると、島原行の船のお出ましである。島原までは1時間ほどの航路であった。

 

f:id:imtabi:20220331222243j:plain

 

 島原港に着くと、島原鉄道に向かう。島原港駅は無人駅であった。島原駅で降りると、すぐ目の前にお城が見えた。

 案内に従っていくと、駅と反対側に正面入口はあるようだった。坂道を上って、島原城に至る。立派な層塔型の天守に迎えられた。

 

f:id:imtabi:20220331222801j:plain

 

 高層なだけあって内部の展示も充実している。潜伏キリシタンの歴史が詳細に記述されていた。また、上からの眺望も素晴らしいものであった。

 

f:id:imtabi:20220331223052j:plain

 

 本当ならアイマスPの間で密かに聖地扱いされているエレナ島原店(エレナは長崎・佐賀に展開するスーパーマーケット)にも寄りたいところであったが、時間がなかった。城を降りると、駅のベンチで諫早行を待った。

 島原鉄道は海沿いを走る鉄道である。時折車窓に映り込む海は綺麗というほかなかった。海の際に位置する駅もあった。利用者は果たしているのだろうか……。

 諫早に着くと、JRに乗り換え、18きっぷの復活である。その足で博多を目指した。この道程は長く、暇を持て余した。

 博多駅に着いた頃には夜も深まっていた。開いているラーメン屋も少ない。そんな中で、博多に来ると必ず訪れる店があった。声優の麻倉ももさんが推している牧のうどんである。

 

f:id:imtabi:20220331223902j:plain

 

 美味しいうどんを頂いたあとは、そのままネカフェに向かった。この日は特別疲労が溜まっていた。いつものフラットシートに寝転んだ時の快感は忘れられない。この日はお酒も飲まずに眠りについた。

 

 最終日。ちょうど18きっぷ最後の日である。そうなるように調整しているのだから当然ではあるが。

 またしても朝早くに飛び出し、宗像大社を訪れた。宗像大社世界遺産「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」の構成遺産で、九州本土にあるものは辺津宮と呼ばれる。東郷駅からバスで訪れた。静謐な拝殿の前で、参拝。

 

f:id:imtabi:20220331224618p:plain

 

 今回の旅はこれでおしまいである。後はひたすら、半日以上電車に揺られながらひたすら家を目指した。暇で仕方がないし相当精神を削られたが、仕方のないことであった。途中、乗り換えの待ち時間に広島駅でお土産を買った。他にも何ヶ所かでお土産を買っていたが、今回の旅における広島は私の中で特別な意味を持っていた。しまなみ海道が一番の憧れであったからである。

 

 以上で今回の旅は終わりである。また旅をすればそのことについてこのようにブログに記そうと思う。拙い文章で恐縮だが、旅日記が誰かの記憶に残ったり、旅行欲をそそるようなものになったりすれば幸いである。

 

本州・四国・九州横断旅行 1

 本州・四国・九州を自転車と船で横断する旅行をしてきた。今回から数回はそのことについて書いていこうと思う。

 

 18きっぷ1日目。大阪を朝早くに出発した。まず向かった場所は津山。美作エリアに行くのは初めてのことだった。姫路から姫新線に乗る。
 

 

 お昼頃、津山に着いた。津山は岡山の県北、美作の中心。岡山の県北と聞くと何かを思い出すような気がするが、言及しないでおこう。

 津山城に向かう。徒歩20分くらいだっただろうか。最初、入口がわからず迷ってしまったが、無事入館することができた。

 

 

 天守はない。備中櫓などが再建されている。石垣が見事なお城のようで、見応えのあるものだった。そして、お城の上からの眺望は大抵素晴らしいものである。

 

 

 津山城から折り返し、再び津山駅へ。そこから津山まなびの鉄道館に向かった。鉄道館と聞くと京都や大宮のようなものを連想したが、想像より小さい施設で、案内もわかりにくいので、もう少し何とかならないものかと思ったが……ともかく到着。

 

 

 目玉は何と言っても旧津山扇形機関車庫。京都にある梅小路機関車庫に次ぐ二番目の規模を誇るそうである。各種車両が展示されている。私は車両に明るくないのだが、価値がわかる人には垂涎ものだろうと思った。

 

 

 その他、鉄道に関する展示がいくつかあった。時間がなく、あまり詳細に見られなかったことが悔やまれるが、十分楽しむことができた。

 

 さて、津山を後にして、次に向かったのは倉敷。倉敷は訪れたことがあるので、リピーターである。倉敷美観地区は何度行ってもその美しさに惚れ惚れとするし、昼と夜でまた違った顔を見せるのもいい。私が到着した頃には日もとっぷり暮れた夜であった。

 

 

 美観地区のお店はもう閉まっていたので、この景観だけを見て倉敷は後にした。倉敷を出た後は次の日に備えてネットカフェに向かう。貧乏旅行をしている私は、宿泊するときは決まってネカフェであった(よほど辺鄙な地域を除く)。今回は福山のネカフェに宿泊した。

 

 2日目。この日は18きっぷを使わなかった。早朝から向かったのは尾道。福山とは目と鼻の先である。そのための事実上の前日入りであった。ここから今回の旅のメインとも言えるしまなみ海道を渡る。

 まずは尾道でレンタサイクルに向かい自転車を借りる。後述するが、乗り捨てをしたので3100円取られた。結構高い。だが、しまなみ海道のためなら仕方がない。

 ここでしまなみ海道について軽く触れる。言わずと知れたサイクリストの聖地であって、尾道から尾道市内の向島因島生口島今治市内の大三島伯方島、大島を経由して今治に至る自転車道である。各地に魅力があり非常に個性豊かな島嶼群であるが、後述するように今回は生口島までしか行かない。情けないことに、筆者に体力がないためである。

 話を戻そう。自転車を借りると、まずは向島までの船に乗るように案内されたので、素直に従った。向島に着くと、いよいよサイクリングの始まりである。

 

 

 私は因島の水軍城に行ってみたかったので、そこを目指した。向島をすいすいと駆け抜けて、因島大橋へ。しかし、橋は難所であった。架かっている橋に高さがあるので、そこに至るまで随分と長く上り道を強いられるのだ。体力のない私は、上り坂をすいすい漕いでいくサイクリストを横目に手押しで上っていった。橋の上に辿り着いた頃にはかなり体力を消耗していた。

 

 

 因島に着いてから水軍城までの道もわかりづらかった。しまなみ海道のルートから外れるためである。それでも何とか漕いで辿り着いた。この頃には既に相当疲れていた。やはり日頃の運動不足が祟ったか。

 

 

 

 

 因島水軍城は村上海賊が居を構えた城郭である。小さいながらも展示が充実しており、たいへん勉強になった。

 水軍城を後にした後、一目生口島を見たいと思い、また長い上り坂を上って橋を渡った。しかし、ここで私は力尽きてしまった。生口島の中心である瀬戸田まで行く体力はなかったのである。諦めて折り返し、今治行の船が出る因島の土生港へ向かった。

 土生港への道はわかりやすく助かった。土生港で自転車を返却したが、怪訝な反応をされてしまった。昼間にこんな場所で自転車を返す人はどうやら珍しいらしい。ともかく、自転車を返却して今治行の船を待った。

 

 

 船に乗り込み、一時間半ほどで今治港へ到着。今治城を目指した。港からお城までは近くて助かった。

 

 

 今治城は立派な城郭である。展示も豊富すぎて、色々見て回っていると予想外に時間がかかってしまった。歴史にまつわることだけでなく、生物の展示まであることには驚いた。立派な天守を拝むことができて満足であった。

 

 ところで、今治にはネカフェがない。というわけで、この日は松山に向かうことにした。流石に松山ほどの規模の都市ならネカフェの一つや二つあって当然である。

 

 

 松山観光は以前にしたことがあるので、今回は観光らしい観光をしなかった。ネカフェでの滞在時間を短くするため、適当にカフェで勉強したりしつつ時間を潰した。そして松山で眠りについた。明日以降向かう九州を夢見て……。

 

 続く。