潮騒、某、暮れ泥み

小説のような旅行記を。世界遺産検定1級。鉄道旅を主として全国を旅しています。

近鉄沿線旅行

 近鉄は日本一路線長の長い私鉄として知られる。大阪から名古屋までを結び、とりわけ奈良県三重県では存在感が大きい。その近鉄には近鉄週末フリーパスがある。これは4200円で金土日または土日月の3日間近鉄が乗り放題になる切符だ(細かい規定はさておき)。今回はそれを使った近鉄沿線の旅である。なお、一時期あった3000円で3日間乗り放題の切符はもうない。

 鶴橋駅には焼肉の臭いが漂うと言われるが、朝っぱらからそんなに臭うことはない。あるいは私の鼻が鈍感なだけかもしれないが。そして、ここがこの旅のスタートでありゴールだ。しばらくホームで待っていると、大阪線急行五十鈴川行がやってきた。

 大阪線に乗ってまずは伊勢志摩に向かう。五十鈴川で普通鳥羽行に乗り換えようとすると、ポケモンミジュマルのラッピング車がやってきた。山田線・鳥羽線志摩線の間を走っているラッピング車のようだ。車内まで隈なくラッピングされたその車両に乗り込み、鳥羽に向かう。

 

 

 鳥羽に着くと、駅のホームにもミジュマルがたくさんいた。それらに癒されながら、伊勢湾フェリーの乗り場を目指す。何かがおかしい。これは近鉄沿線旅行じゃなかったのか? 正直に言えば、「ほぼ近鉄沿線旅行」である。ここでいきなり近鉄沿線を外れて、伊勢湾フェリー伊良湖に向かう。

 

 

 伊良湖は愛知県の渥美半島の先端に位置する。田原市に属し、愛知県の最南端だ。伊良湖に降り立つと、小高い山を囲むように整備された遊歩道を歩いていく。

 しばらく歩くと伊良湖岬灯台が見えた。何の変哲もない灯台だが、海岸線に佇むそれにはそこはかとない趣がある。

 

 

 更に歩いていくと、恋路ヶ浜と駐車場、そして飲食店が並んでいるのが見えた。恋路ヶ浜は綺麗な弓形の海岸線だ。名前も素敵で、恋人の聖地とされているようだ。私は一人旅だし、そもそも恋人もいないのでお呼びでないかもしれないが、その綺麗な海をしばらく眺めていた。

 

 

 伊良湖を後にすると、鳥羽に戻り志摩線で賢島へ向かう。賢島で下車すると、目と鼻の先に英虞湾クルーズの切符売り場があった。賢島エスパーニャクルーズといって、大航海時代のカラック船をモデルにした船「エスペランサ」に乗って英虞湾を周遊するのだ。1700円という値段は少々高く感じたが、せっかくなので乗ることにした。

 

 

 賢島港を出港すると、複雑に入り組んだリアス式海岸である英虞湾をゆっくりと進んでいく。所々で英虞湾内の島や産業などについての解説がアナウンスされる。英虞湾の島々の大半は無人島で、主要産業は真珠養殖のようだ。

 

 

 英虞湾をぐるっと回った後、10分間の真珠養殖見学の時間が設けられる。船を降りて工房に入ると、おばちゃんが真珠の作り方を実演しながら解説してくれた。また、真珠のお土産も多く売られてあった。安いものから高いものまで様々な真珠があるようだった。

 

 

 工房見学を終えると、すぐに賢島港に到着してクルーズは終わりを迎える。船を降りて次の鳥羽方面の電車を待つが、ここで時間が空く。すると、賢島駅内に伊勢志摩サミットに関する展示室である伊勢志摩サミット記念館サミエールがあることに気づいたので入ってみた。

 そこでは三重県のサミット誘致活動や三重県の特産品などが展示されており、故・安倍元首相が演説をしている映像も流されていた。あまり時間がなかったのでじっくりとは見られなかったが、待合室でただぼーっとしているよりは余程有意義な時間を過ごせた。

 

 

 賢島を発つと、次は志摩横山駅で降りた。志摩市の中心・鵜方駅の隣の、信用乗車方式のICカード改札機が置いてあるだけの無人駅だ。ここが一応、英虞湾を見渡せることで有名な横山展望台の最寄駅となる。しかし、ここからはかなり歩く上にきつい階段も待っている。

 

 

 最初はなだらかな坂道を登っていく。歩いている人はほとんど見当たらない。退屈な山道を数十分ほど歩くと、横山ビジターセンターに着いた。ここからが地獄だ。

 

 

 徒歩で来た人のために階段の道が用意されているが、その段数がまた多い。延々と続く階段に息切れしてへたり込みながらようやく横山展望台へと辿り着いた。しかし、空は曇っていた。

 晴れた英虞湾を見たかったのにという思いと、晴れていたらあの階段はもっときついものになっていただろうという思いが綯い交ぜになり、複雑な心境だったが、展望台からの景色は曇っていても目を瞠るほど美しいものだった。先程クルージングしてきた英虞湾の景色が一面に広がっていた。

 

 

 流石に疲れ果てて展望台のベンチに座り込んだ。汗を拭い、水分補給をし、しばらく佇んでいた。空が晴れる様子はない。それでも歩いてこの景色に辿り着いた私は、車で楽して来た人たちより感慨深いものを見ているに違いないと信じて止まないと負け惜しみのような気持ちを抱く。別に車の免許を持っていないわけでもないのに鉄道旅に拘っている自分のせいなのに。

 日が暮れ始めた頃、下山し始めた。階段はあっという間に下りてしまえたが、緩やかな下り坂は距離が長いのでやっぱり時間がかかる。ここで街灯のないことに気づき、真っ暗になったらどうしようと一抹の不安を抱えながら、完全に闇に呑まれる前に何とか志摩横山駅に辿り着いた。そして伊勢中川行に乗り込んだ。

 五十鈴川で降りると、上本町行の急行と接続するらしい。そして伊勢中川で名古屋線急行とも接続する。この接続のよさは素晴らしい。乗換案内に言われるがままそのルートで四日市まで向かった。この日の宿泊地だ。

 

 

 四日市に着くと、たくさんの人が夜の街を歩いていて、久々に都会に来たような気分になった。もっと都会からやってきたにもかかわらず。その足で私は四日市名物・トンテキを食べに行った。

 お店は繁盛しているようだった。「空いている席にどうぞ」と言われ、一人旅なのに4人席を陣取ってしまった。お店はトンテキの他にラーメンも提供しているようで、両方食べている人もいた。よく胃に入るものだと思った。

 私はダイエット中なので分量の少ないトンテキコマギレを注文する。しばらくして、山盛りのキャベツの千切りが添えられたトンテキが到着した。味はにんにくの効いた秘伝のたれでたいへん美味しかった。この分量でも私は十分お腹いっぱいになった。

 

 

 店を出ると、ネカフェに向かう。四日市の快活クラブは駅からそう遠くないところがありがたい。ネカフェに到着すると、疲れ果ててそのまま倒れ込んだ。薬だけは忘れずに飲んで、そのまま眠りに落ちた。

 

 2日目はいきなり温泉から始まる。四日市から伸びている盲腸線である湯の山線に始発に近い時間に乗って、湯の山温泉を目指す。湯の山温泉駅で降りると、アクアイグニスの案内があった。アクアイグニスは湯の山温泉内の複合的なリゾート施設で、日帰り入浴は6時から24時までと長時間休まずやっている。しばらく歩いて温泉に着くと、まだ朝早いのに既にそれなりの人と車があった。

 

 

 温泉は100%源泉掛け流しで、泉質はアルカリ性のようだった。肌がすべすべになることから「美人の湯」と呼ばれているらしい。内風呂からは竹林が見え、露天風呂や寝湯もあり、贅沢な温泉だった。流石小綺麗なリゾート施設だと感じた。

 

 

 温泉を出ると、少しだけ土産物屋を物色し、結局何も買わずに湯の山温泉駅へ。そこから四日市に戻ると、ちょうど松阪行の急行がやってきた。これで次は松阪に行く。

 松阪駅はJR紀勢本線近鉄山田線が内部で繋がっており、完全に共同駅となっているようだった。JR側の改札機に近鉄の切符を通して大丈夫か不安だったが、通すことができた。そして松坂城を目指して歩き始めた。この日はこれ以降、お城ばかりを見ていく。

 松坂城日本100名城に選ばれている。天守は現存せず、復元もされていない。平山城なので階段を上っていく。本丸には天守台だけが残されていた。

 

 

 城を出ると、目の前に御城番屋敷があった。黒い瓦が葺かれた古い家々が並んでおり、その一つは見学することができた。他の家には今も人が住んでいて生活しているという。例えば白川郷などがそうだが、自分の家が観光地というのはどういう気分なのだろうか。

 

 

 御城番屋敷を後にすると、松阪駅に戻り、伊勢中川へ。伊勢中川から上本町行急行に乗って伊賀神戸を目指す。寝過ごして名張まで行くというミスも犯したが、折り返して何とか伊賀神戸に到着。

 

 

 ここで近鉄沿線を離れて伊賀鉄道に乗り換える。伊賀鉄道近鉄大阪線伊賀神戸駅からJR関西本線伊賀上野駅までを結んでいる。伊賀市の中心は上野市駅なので、上野市駅で下車すると、上野市駅より大きな文字で忍者市駅と書いてあり、伊賀流忍者を強く推していることが窺い知れた。そして駅と伊賀上野城は目と鼻の先だ。

 

 

 伊賀上野城日本100名城に指定されており、こちらは復元された立派な天守がある。築城名人として知られる藤堂高虎が大改修した城郭だ。中に入ると、兜や鎧や刀剣などが展示されている。忍者と関係が深いからか、子供が多かった。中には忍者の恰好をした子供もいた。しかし私には時間がなかったので、忍者のことまで詳しく知ることはできなかったのが悔やまれる。

 

 

 上野市から伊賀神戸に戻って、また西に進む。大和八木で乗り換えて橿原線急行京都行に乗る。次に降りたのは郡山駅だ。

 大和郡山城は続日本100名城の一つであり、天守はないが本丸に天守台が残っている。天守台からは街を見下ろすことができた。また、追手門と追手向櫓は復元されており、見応えがあった。

 

 

 郡山駅に戻ってくると、更に北へ。この日最後に向かうのは伏見桃山城だ。橿原線急行京都行は大和西大寺から京都線に入り、そのまま北進していく。丹波橋駅では多くの人が降りていった。

 丹波橋近鉄京都線京阪本線の2路線が乗り入れ、乗換客は多いが、繁華街などは一切形成されておらず乗換に特化した駅だった。ただの住宅街を、これで道が合っているのかもよくわからずに歩いていく。日の入りは既に過ぎ、空が暗くなり始めていた。急がねば。

 何とか真っ暗になる前に伏見桃山城に到着し、写真を撮る。伏見桃山城は立派な模擬天守が建っているが、往時のものとは違うらしく、内部も公開されていない。伏見桃山城キャッスルランドという遊園地があった頃は人も多く訪れていたようだが、今は寂れた公園となっていた。日本100名城にも続日本100名城にも指定されていない。それでも豊臣秀吉と関わりの深い伏見桃山城模擬天守は迫力があった。

 

 

 丹波橋に戻ってきた頃には日が暮れていた。また近鉄に乗って北進を続け、いよいよ京都駅へ。京都駅はいつも通り人でごった返していた。そこから地下鉄烏丸線阪急京都線を乗り継いで大宮駅で降りた。ここがこの日の宿泊地だ。

 

 

 せっかく四条大宮まで来たので、つけ麺を食べていこうと少し歩く。到着したラーメン屋で期間限定のつけ麺を注文して着丼を待つ。しばらくしてやってきたつけ麺は濃厚でとても美味しかった。〆のご飯も美味しかった。

 

 

 空腹を満たすと今度こそネカフェに向かった。この日は多くの場所に行ったので本当に疲れていた。シャワーを浴びるのは明日の朝でもいいと思った。そのまま倒れ込んで就寝した。シャワーは深夜に中途覚醒した時に浴びた。

 

 3日目は四条大宮からバスで高山寺へ。西日本JRバスの高雄・京北線に乗って栂ノ尾で下車する。しばらく道なりに歩くと高山寺表参道があった。

 

 

 高山寺世界遺産古都京都の文化財」の構成遺産の一つで、鳥獣戯画を所蔵していることで知られる。ややマイナーなお寺だが、主要な京都の神社仏閣は粗方行き尽くしているので今回はここに来た。

 表参道には少しの階段や坂があったが、まだ午前中でさほど暑くもなく、森の中で日陰になっているので苦ではなかった。金堂に参拝し、高山寺を中興した明恵上人の御廟や開山堂も巡っていく。その後、鳥獣戯画が保管されている石水院に赴いた。

 

 

 石水院は国宝に指定されている庭園及び学問所である。ここは入館料が要る。少々高いが中に入って見学した。内部は撮影禁止なので外観の写真しかない。

 

 

 高山寺を後にすると、京都駅に戻り、近鉄沿線旅行の続きを始める。まずは京都線大和西大寺へ。そして奈良線で生駒に行った。

 生駒駅近鉄百貨店が駅前に建っており発展した駅だ。それと反対側の出口のショッピングモール・アントレいこま内を突き抜けていくと鳥居前駅があった。これは生駒ケーブルの起点となる駅だ。週末フリーパスはケーブルも乗れるのでここから生駒山を登っていく。

 

 

 ケーブルカーは生駒山上遊園地に子供を呼び込むためか動物を模したかわいらしい外観をしている。5分程度の間、そのキャラクターの声でアナウンスが入る。犬のブルと猫のミケがいるらしいが、私が乗ったのはミケだった。あっという間に宝山寺駅に着くと、生駒山上遊園地方面への乗換案内がなされた。

 しかし、流石にこの歳で一人で遊園地というのもつまらない。それより私の目的は宝山寺(正確には寶山寺)にあった。宝山寺は生駒聖天さんとして親しまれ、多くの参拝客を集める寺社である。宝山寺に行くにも階段を上らねばならなかった。しかし横山を思えばこれしきのこと、何てことないと自分に言い聞かせながら階段を上る。

 

 

 お寺なのに鳥居があるのも変な感じだが、鳥居を潜って階段を上っていくとようやく本堂に着いた。本堂や宝塔などで構成される寺院の中心部は目を瞠るものがあった。圧倒的な規模に驚きながら、雄大な山の中腹にある寺院に参拝。奥の院までは行く体力がなかったので、その後はしばらく近くのベンチで休んでいた。

 

 

 階段も下りは楽で、すぐに宝山寺駅に着いた。折り返して鳥居前駅に到着すると、生駒駅に戻る。生駒からは奈良線急行に乗って一駅、次は石切で下車した。

 石切駅を出るとすぐに鳥居が見える。ここからもう石切剱箭神社の参道が始まっているのだ。ふと家々の間を覗くと、大阪市内の高層ビル群のスカイラインが見えた。これも石切名物だ。

 

 

 神社に着くとお百度参りをしようと境内をぐるぐる歩いている人が何人もいた。ここはお百度参りで有名で、そのための石が置いてあるのだ。お百度参りとは、その名の通り100回神社に参って願いを叶えようというものだ。だが、私にはそんな体力も時間もない。普通に参拝して、少し境内を散歩した。

 

 

 神社を後にすると、新石切駅に向かった。新石切はけいはんな線の駅で、石切とは対照的に山の麓にある。さっき下ってきた急な坂道を上りたくないので、こちら側に来たのだ。そしてけいはんな線で再び生駒へ。

 すると、三宮行の快速急行がやってきた。これは生駒を出ると鶴橋までノンストップだ。途中、石切を過ぎた辺りでまた大阪市の聳え立つビル群が見えた。そしてそのまま電車に乗って鶴橋に到着した。

 最後に生野コリアタウン(御幸通商店街)に寄った。鶴橋駅から南東に向かってアーケード街(鶴橋商店街で、ここもコリアタウン)を通り抜けていく。

 

 

 アーケードが終わってからもしばらく歩いていると、生野コリアタウンへの入口が見えた。鶴橋が最寄駅とされるが、住所的には桃谷だ。その一角を折れると、多くの女性客で賑わうコリアタウンがあった。

 

 

 生野コリアタウンは元々在日韓国・朝鮮人が多く住んでいた地域で、日本最大の巨大なコリアタウンであり、近年の韓流ブームに乗ってとりわけ女性からの関心を強く集めている地域である。この日も多くの人がいて、結局今回の旅で一番混んでいたのはここだった。

 

 

 商店街は多くの飲食店やコスメ店などが犇めいていた。キムチや、最初に言及した焼肉なども朝鮮半島からもたらされたものだ。街中にハングルが溢れ返っているのはやはりテンションが上がった。何かを買いに来たわけでもないが、その商店街をK-POPを聴きながら端から端まで歩いていった。BLACKPINKのPink Venomだ。韓国料理に明るくないので、街は私の知らない料理で溢れていた。

 

 

 商店街を出ると、また鶴橋駅に戻った。旅のスタート地点に戻ってきて、旅が終わる。近鉄沿線は広く、沿線には色んな観光地があることがわかった。また、旅の道中で新たに行きたいところも増えてしまった。近鉄週末フリーパスはいい切符だ。また近鉄沿線を旅しようと心に決めながら大阪環状線に乗り込んだ。

淡路島旅行

 三宮駅でどっと乗客が降りていく。その波に乗って三宮バスターミナルに向かった。ミント神戸1Fにあるチケット売り場で北淡路バス乗り放題きっぷ高速バス大磯号版を購入する。これでまずは淡路市内を回るのだ。

 高速バス大磯号が4番乗り場に到着する。切符を見せて乗り込むと、乗客はさほどいなかった。空いている車内で悠々と寝ているといつの間にか明石海峡大橋を渡っていたらしい。私は淡路夢舞台で下車した。

 

 

 最初の目的地は国営明石海峡公園である。ここは広大な公園で、様々な花々が咲き誇っている。きっと季節によって色々な顔を見せるのだろう。ホームページでは一週間ごとに見頃の花が紹介されていた。

 

 

 東浦口から入園し、日傘を差して公園内をのんびり歩いていく。時折ベンチに座って水分補給も忘れない。園内は大きな池や川、それに木々も生い茂っており、丁寧に手入れされていることがわかった。子供向けの遊具も豊富だった。また、公園は海に面しているので、大阪湾を臨むこともできた。

 

 

 

 

 公園を後にしてバス停に戻ってくると、あわ神あわ姫バスに乗り込む。淡路市と言っても広い。1時間半かけて伊弉諾神を目指す。

 伊弉諾神宮は淡路一宮であるだけでなく、国生みの地である淡路島において国を作ったイザナギイザナミ夫婦の祀られる歴史ある神社だ。国生みの地として淡路島自体も日本遺産に指定されている。そんな格式高い神社の大鳥居を潜って参道を歩いていくと、立派な拝殿が現れる。

 

 

 

 まずは拝殿で参拝。その後、周囲の散策を始める。境内は広く、摂末社も多く存在する。とりわけ夫婦にまつわる神社はそれなりの規模があり、樹齢900年ほどという夫婦大楠が屹立している。

 

 

 境内を一通り見終わると、次のバスが来るまでしばらく一休み。ベンチに腰掛けてバスの時間を待った。バスは予定より1分早く発車した。乗り遅れなかったからよかったものの、これには流石に驚いた。

 そしてまた1時間半ほどかけて、次は東浦バスターミナルで降りる。帰りはここから高速バスに乗るのだ。途中、車窓から綺麗な海が見えた。行きは寝過ごして見られなかったので、帰路で初めて見ることができたのだった。

 

 

 東浦バスターミナルは小さいが、近くに道の駅があり、土産物も充実していた。それを買うでもなく眺めていると、そろそろ高速バスが着く時間となった。バスターミナルに戻り、新神戸行の高速バスに乗り込む。

 そして明石海峡大橋を再び渡り、三宮バスターミナルへ到着する。これにて淡路市内の観光は終わりである。しかし、淡路島の魅力はこれだけではない。後日、もう一度淡路島に上陸することになる。二度目の上陸の計画を考えながら淡路島旅行前編は幕を閉じた。

 

 淡路島に上陸する方法は、自家用車や高速バスなどで明石海峡大橋大鳴門橋を渡る方法、明石港から高速船で上陸する方法の他に、もう一つある。それが深日洲本ライナーである。深日〜洲本の航路は一度廃止されたが、最近は土日祝に限って復活しているのだ。ただし、まだ社会実験中の段階らしい。次はこれで洲本市を目指す。淡路島旅行後編の始まりだ。

 

 

 南海に乗ってみさき公園駅で乗り換え、多奈川線へ。深日港駅に着くと、フェリーターミナルはすぐ近くにあった。

 チケット売り場で乗船券を買う。学割が効いて、2割引の片道1200円。そしてすでに停泊している船に乗り込む。船内は些かレトロな雰囲気で、淡路島や泉州の観光案内のパンフレットが並んでいた。乗客はさほど多くなかった。まだまだ知名度の低い航路だと思うが、応援したい。

 

 

 船は定刻通りに発進し、きっちり定刻通りに洲本に着いた。洲本のフェリーターミナルの方が大きく、城下町を意識したと思われる風情のある建物だった。ボートピアも併設されている。そちらは賑わっているようだった。

 

 

 船を降りると、洲本城跡を目指す。洲本城は山城で、三熊山の頂上約130mに位置する。大浜公園の横を通って登山道に入ると、虫の鳴き声しか聞こえなくなり、ひたすらしんどい坂道が続いた。

 

 

 運動不足で体力がないので所々で休憩しながら必死で登っていると、やがて武者溜に着く。そこで初めて視界が開けて洲本市街と大阪湾を臨むことができた。汗で貼り付いたTシャツに微かに風が当たる。本丸までは後少しだ。

 更に奥に進み階段を上っていくと、いよいよ本丸に到着した。その頃には完全に息が上がっていた。天守は1階部分が中空になっており、ベンチが設置されている独特の構造だ。天守台に上って下から覗き込むと、天守の内部が少しだけ見えた。立ち入ることはできない。内部はどのくらい再現されているのであろうか。

 

 

 

 城を見終わると、次は洲本温泉に向かった。温泉街のようなものが形成されているわけではなく、ぽつぽつと温泉旅館や銭湯があるようだった。安い日帰り銭湯を目指して山を下り始める。下りは下りでそれなりにしんどかった。

 山を下りて平地に戻ると後は楽だ。汗だくになった身体をタオルで拭きながら銭湯を目指す。住宅街を進んでいくと、その一角にレトロな銭湯があった。中に入って入浴料を払い、汗まみれの服を脱ぎ捨てる。

 

 

 温泉は狭かったが、人はそれなりにいて密度が高かった。身体を洗って湯船に浸かる。登山で疲れた身体が癒されていく。

 風呂から上がって身体を拭いていると、帰りの船の時刻が近づいていることに気づいた。乾き切らない身体を無視して着替えを終え、番台に礼を言って銭湯を出た。そして真っ直ぐフェリーターミナルへと向かった。

 帰りの便は最終便だった。これを逃すと、高速バスで帰ることになる。今回はこの船に乗りたくて来たのだからそれは避けたかった。船の出港には無事間に合い、行きより更に乗客の少ない船内の座席に座る。

 これで淡路市洲本市を観光することができた。きっと南あわじ市にもいい所があると思うが、本州側から行きにくいために行けなかったのは残念だ。いつか機会があったら訪れてみたい。淡路島をもっと知りたいと思った。

 深日港に着く頃には、辺りは真っ暗になっていた。深日洲本ライナーの旅に終わりを告げ、多奈川線に乗る。みさき公園駅に着くと、しばらくして特急サザンがやってきた。

鳥取・岡山・香川旅行

 新快速に乗って姫路で降りると、姫新線播但線ホームのある改札へ向かう。姫新線播但線ホームと山陽本線ホームの間にも改札があるのだ。18きっぷを見せて通過すると、1泊2日の短い旅が始まる。私は播但線寺前行に乗り込んだ。

 寺前で乗り継いで和田山へ、更に山陰本線城崎温泉、そこから乗り継いでようやく鳥取行に乗れる。広い兵庫県を通過し切って鳥取県内に入ると鳥取駅はもうすぐだ。そうして鳥取駅に到着した。

 

 

 鳥取で降りてみると、後述する砂の美術館の割引券が売っているのが目に付いた。行く予定なので先に割引券を買っておく。少し得をしたことを嬉しく思いながら砂丘会館行のバスに乗って鳥取砂丘に向かった。

 砂丘会館から鳥取砂丘は目の前だ。階段を上って砂丘の入口に踏み込むと、さらさらした砂に足を取られる感触がある。これは靴に砂が入るなあと少し疎ましく思ったが、そんなことも忘れるくらいの絶景が目に飛び込んできた。砂丘で一番盛り上がっている部分である馬の背と、その先の日本海。オアシスには植物が茂っている。それは今まで見たこともないほど巨大な「砂場」だった。

 

 

 馬の背を目指して砂丘の中を歩いていく。途中までは下り坂で、馬の背は急勾配の上り坂だ。汗を流しながら馬の背を必死で上っていくと、頂上に着く。そこから見る景色もまた絶景だった。来た道を振り返っても、向こう側の日本海を見ても、飽きることがない。しばらくその景観を眺めて、馬の背を下り、砂丘会館の方まで戻っていった。靴には大量の砂が入り込み、息は上がった。

 

 

 ビジターセンター横で足を洗う。砂を大体落とし切ったところでビジターセンターの展示室へ。砂丘の構造や歴史、各地の砂の展示などがあった。砂丘はかつて日本に多くあったが、失われつつあるということをそこで初めて知った。

 次は砂の美術館へ向かうべく歩き出す。美術館もそう遠くないところにあるので大したことではない。美術館に到着すると、先程の割引券を提示して中に入った。

 砂の美術館は1、2年程度の周期で展示替えをし、砂の彫像を作っては壊しを繰り返しているらしい。海外から一流のアーティストがやってきて制作をしているようだ。各国の名所などを再現しているようで、今期はエジプト編。エジプトには砂のイメージが強いのでちょうどいい時に来たと思った。

 展示物には圧倒された。ルクソール神殿に始まり、様々なエジプトの風景が歴史の順に沿って並んでいる。細部まで細かく彫られており、それも砂と水だけで作るというのだから凄い。終始驚かされながら展示を見て回った。

 

 

 

 

 

 

 美術館を出ると、近くで名産の梨ソフトを食べてバスを待つ。やってきたのはポケモンのサンドとコラボしたバス。運がいい。サンドのかわいさに癒されながらバスに乗り込んだ。

 鳥取駅に戻ってくると、お土産を買って、喫煙所で一服。因美線智頭行を待った。この日は岡山で泊まる予定だった。まだ夕方だが、津山線岡山行の終電に間に合わせるにはこの時間帯に因美線に乗る必要があった。

 因美線で智頭まで乗り、またしばらく待ちぼうけ。その後、1日1本しか設定されていない因美線快速津山行が来た。乗客はほとんどいない。暗い夜の中を列車が進み、津山に着いた。津山でもまただいぶ待たされて、ようやく岡山行の列車が来た。岡山に着いた頃には23時を回っていた。疲れていたので駅前のネカフェに泊まる。明日の朝も早い。シャワーを浴びて、さっさと寝ることにした。

 

 2日目の朝、走って岡山駅に向かい、始発の吉備線総社行に乗る。まずは吉備津で降りた。備中国一宮・吉備津神社までの松並木沿いを歩いていく。

 

 

 吉備津神社は広く、国宝の本殿及び拝殿は吉備津造りと呼ばれる特徴的な建築様式だ。他にも様々な小規模の摂社があった。時間があまりないので慌てて参拝していく。汗がひたすら流れていく。一遍に服に汗染みが広がる。

 

 

 続いて一駅折り返し備前一宮で降りる。ここには備前国一宮・吉備津彦神社がある。両方とも岡山市内なので、岡山市内に備前国備中国の境界があることになる。吉備津神社吉備津彦神社も桃太郎伝説との関連が深い神社である。吉備津彦神社の方が規模は小さく、参拝後に少し息をつく暇ができた。

 

 

 更に折り返し、吉備線を総社まで乗り切ると、そのまま岡山駅へと戻っていく。これは単に端から端まで乗りたかっただけだ。岡山に着くとマリンライナーに乗り、香川を目指す。今回の目的地は観音寺だ。

 観音寺はアニメ『結城友奈は勇者である』(以下、『ゆゆゆ』と呼ぶ)の聖地だ。今回はその聖地巡礼に行く。マリンライナーを坂出で降りると、乗換待ちがまた発生した。駅前にある坂出のイオンも聖地らしいので写真を撮っておく。駅の周りをぶらぶらと散歩して、サンポート南風リレー号観音寺行に乗り込んだ。

 

 

 まず、観音寺駅が聖地だ。聖地巡礼というものは駅舎一つでも感動するものである。次はこれまた聖地のうどん屋である「つるや」に向かう。肉ぶっかけをいただいた。香川のうどんはやはり絶品である。「うどんは女子力を上げるのよ!」

 

 

 

 

 

 

 うどんを食べ終わると、琴弾公園へと歩き始める。徒歩30分程度あり少々長い道程をのんびりと行く。三架橋を渡ると琴弾八幡宮の鳥居が見えた。ところで、ここからが地獄である。

 

 

 381段あるらしい石段を一段ずつ上っていく。また汗がひどく流れ出す。汗拭きタオルは湿って使い物にならなくなっていく。それでも上って上って上っていると、ようやく琴弾八幡宮の拝殿に着いた。

 

 

 

 

 参拝した後は少し休憩し、観音寺のシンボルである銭形砂絵寛永通宝)を見に少し歩く。森に囲まれている銭形砂絵は立派で、その向こうには瀬戸内海が見える。この砂絵は定期的にボランティアで整備をしているという。また、砂絵の展望台には、『ゆゆゆ』の主人公・結城友奈の声による観光案内もあった。しっかりとアニメの聖地として認められ、愛されていることがわかり嬉しくなった。

 

 

 本当はお遍路の四国八十八ヶ所のうちの2つである神恵院と観音寺にも行ってみたかったが、ここで時間も体力も尽きた。またいずれ訪れることを誓い、石段を下って観音寺駅を目指す。下りはだいぶ楽だ。そして観音寺駅でお土産を買うと、再びサンポート南風リレー号の高松行に乗り込んだ。

 旅の最後に、倉敷で桃のパフェが食べたかった。倉敷美観地区には3回目の来訪となる。私は倉敷が好きなのだ。そしてラストオーダーに間に合うように急ぎ足でパフェを食べに行った。

 岡山県産の桃を使ったパフェは絶品だった。パフェにも色々あるが、これには桃が詰まっている。その甘さを旅の終わりのご褒美のようなものとし、倉敷を去った。

 

 

 走って乗り込んだ山陽本線は姫路行。岡山より西から姫路まで乗り継ぎなしで行けるのは珍しいのでありがたく思った。ゆっくり椅子に座ると、冷房が汗を乾かしていく。そして眠りに就いた。

 姫路で降りると、帰ってきた感が湧いてくる。新快速にはすぐに乗り継げた。親の顔より見たというほどに見た225系が大阪へ向かって走り出す。徐々に都会じみていく車窓に、田舎旅の思い出を抱いて。

信越旅行

 早朝の中央線はまだ人が少ない。18きっぷで都心を出発し、八王子、小淵沢で乗り換えて塩尻から篠ノ井線に入る。松本は以前に松本城などを観光しているので飛ばして、長野駅に着いたのは昼頃だった。綺麗な駅舎だった。

 

 

 善光寺に向かうのだが、長野電鉄をタッチの差で逃した。しかし善光寺まではバスも多く出ているので心配は無用だった。多少運賃が上がってしまったが、無事善光寺大門に到着。

 参道の途中に喫煙所があったので一服し、再び参道を歩いていく。

 すると、立派な山門がお出迎え。二階に人がいて、上れることに気づく。しかし、財布も寂しいし、それほど眺望がよさそうな高さにも見えなかったので、遠慮しておいた。山門を潜る。

 

 

 山門に負けず劣らず本堂も立派で、参拝客も多くいた。流石に有名な信州善光寺だけあると感心した。これは後から得た知識だが、本堂を上から見ると丁字形をしており、撞木造りと呼ばれるらしい。神社仏閣の建築様式は多様で、長いこと旅をして勉強をしていてもなかなかわからないものである。

 

 

 帰りは善光寺の参道から長野駅まで真っ直ぐ歩いていった。なるべくビルの陰に入って歩いていると、涼しい風が吹き抜けて気持ちいい。東京や大阪よりもやや涼しい長野の街並みを上機嫌で抜けていく。

 駅まで戻ってくると、駅ビルのMIDORIでお土産を見繕う。林檎の入ったかわいらしいケーキを買って、次は切符売り場へ。

 飯山線に乗りたいのだが、長野〜豊野間はしなの鉄道の管轄で18きっぷでは通れないことになっている。なので念のため豊野までの切符を買っておいた。結果的には確認などされなかったのでキセルし放題だと思うのだが……。

 飯山線に乗って、十日町で降りた。十日町は着物とへぎそばの町だ。寂れたシャッター街を抜けて蕎麦屋に入った。蕎麦は昼に食べるものということなのか、夕方の客足は少なかった。先客は一人しかいなかった。

 へぎそば一人前を注文して食べる。布海苔で繋いだ蕎麦は仄かに海苔の香りがして美味しい。本来のへぎそばは辛子で食べるものらしいが、物流網が発達した今では山葵で食べられているようだ。私も山葵を溶かして食べた。

 

 

 残りの飯山線を乗り切って、越後川口駅で降りる。乗り継ぎがよく、長岡行の上越線はすぐに来た。長岡で乗り換えて、更に信越本線に乗って新潟へ向かう。到着した頃には23時を回っていた。

 新潟駅は再開発中で、駅舎は以前見たことのある古臭いものではなく、小洒落た駅舎になっていた。新潟駅の完成が楽しみでならない。新潟を訪れるのは2年振りだった。

 この日は新潟〜新津間で一部運休とのことだったので不安があったが、無事新潟駅に辿り着けてよかった。新津にもネカフェはあるが、新潟駅の近くの店舗の方が道がわかりやすい。都心に近いせいかやや高いが、以前も宿泊したことがあり安心感のあるそのネカフェまで夜道をのんびり歩きながら翌日の予定を考えた。

 

 次の日は水族館に行くことにした。早朝に出発すると、ちょうど新潟駅南口行のバスがあったのでそれに乗る。慣れたこととはいえ、毎回毎回駅と大通り沿いのネカフェの間を30分も歩くのはしんどい。駅前に快活クラブがあることは、札仙広福未満の都市だと珍しいことだ。

 水族館行のバスを待っていると、バス停で少し転寝してしまった。そのまま寝惚けたままで到着したバスに慌てて飛び乗ると、鞄を置き忘れていってしまった。これは大失態だった。財布も入っていたのに……。

 新潟交通の職員に荷物を探しておいてもらいながら、私は焦りと呑気さが綯い交ぜになって、どこか落ち着かない気持ちで水族館・マリンピア日本海に入る。スマホは持っていたので入館料を払う手段はあった。

 

 

 水族館は楽しい。色とりどり、大小様々な魚たちが私たちを魅了する。クラゲコーナーは人気も高く、少々混み合っていた。

 

 

 そうこうしているうちにイルカショーが始まるとのことで、私はステージに急いだ。どこにでもあるイルカショーだが、やはり大きなハンドウイルカやカマイルカが跳び上がる様は見応えがある。また、イルカの身体の構造などについてわかりやすく解説してくれるのは一つの特色であり魅力だと思った。ここはいい水族館だ。

 

 

 水族館を出てまた新潟駅に戻ってくると、それらしき鞄が見つかったとの朗報が。急いでバスターミナルの窓口に向かうと、それはあった。お金を掏られたりもせず、すべて無事に帰ってきて本当によかった。私は胸を撫で下ろした。

 その後は長岡の生姜醤油ラーメンを食べてみようと思ったのだが、長岡でそれらのお店が集まっているのは隣の上越線宮内駅で、少々行きづらい。結局新潟市内の支店で頂くことにした。

 新潟県内以外にも秋葉原に支店のある青島食堂に行ってラーメンを食す。生姜がアクセントになっている醤油スープはたいへん美味しく、当然完飲。麺もチャーシューも美味しく、私は満足した。

 

 

 その日は新潟でもう一泊した。上越線水上行の最終を逃したのだ。磐越西線も運休していたし、私は身動きが取れなかった。こうして2日の予定だった信越旅が3日に延びた。しかしこの日は18きっぷを消費していないのでそれは2日分だ。

 まだ陽の暮れ泥む中を、前日と同じネカフェに向かって歩く。普段はナイト8時間を気にするが、寝惚けて鞄をなくしたことを反省してしっかり睡眠を取ろうと、この日は12時間覚悟で行った。そして次の日に行く場所を検索しながら12時間きっちり居座ってやった。ストロング缶を2本も開けた。

 

 

 

 3日目は新発田に行くことにした。直江津と迷ったが、あまり遠くに行くとまた上越線に乗り遅れるかもしれない。それに直江津には北陸おでかけパスでも行くことができる。というわけで白新線へ。

 新発田駅は城下町らしく海鼠壁の風情のある駅舎だった。Googleマップの指示通り新発田城まで歩いていると、いつまで経っても細い住宅街の道で不安になったが、唐突に城は現れた。

 

 

 新発田城新潟県内では唯一建造物がある城跡とのことだ。しかし一部は自衛隊駐屯地として利用されており、実質的な天守である三階櫓には入ることができない。その代わり入場料も取らないという親切な城跡だった。

 それでもいくつか見て回れる櫓があるので見学する。少々物足りないが、しっかりと櫓も公園もあって、城らしくはあった。

 

 

 門を出て堀沿いにしばらく歩いていくと、ようやく遠くに三階櫓を認めることができた。屋根は丁字形をしており、特徴的だ。幕府に遠慮して天守とは名乗らなかったとのことだが、十分立派な天守に見える。新潟にもう一日滞在した甲斐があったと思った。

 

 

 その後はオッチャホイなるものを食べた。平麺をもやしやキャベツなど混ぜ合わせたもののようだった。東南アジア風料理とのことだが、東南アジアに同じ料理は現存しないらしい。しかしかつてはシンガポールにあったということで、何とも不思議な生い立ちだった。味は美味しかったし東南アジア風ではあったが、変わった料理だと思った。

 

 

 そしてもう一件、清水園に行った。こちらは入場料が高い。しかし城でそれを払ってない分浮いているのでいいだろうと渋々払った。

 中はこぢんまりとしているが美しい池泉回遊式庭園で、屋敷や展示室もあった。新発田城には大した展示もなかったので、その代わりを成しているのかなと思った。甲冑や城下絵図など様々な展示を楽しめた。

 

 

 これで新発田観光は終わりである。羽越本線で新津に向かった。新津は鉄道の町をアピールしており、鉄道の要衝であることから「西の米原、東の新津」と呼ばれていると書いてあった。初めて知った。何かとこういう都市の比較はあるものである。

 

 

 しばらく待っていると信越本線が来て、長岡へ。ここでも待ち時間があったので、軽く長岡を散策した。その後は駅ビルのCoCoLoでお土産を買った。長岡駅CoCoLoが想像以上に大きく、都市の大きさを見せつけられた。政令指定都市もあって県下二番手もこんなに発展していて、新潟県は意外に凄いじゃないか。

 

 

 散策も暑さでギブアップし、煙草を吹かしていると、いよいよ上越線水上行の到着である。これが本数が少ない東京〜新潟間の一番の難所だ。今度は無事に乗れ、水上駅に着いた。次は高崎行に乗る。高崎まで来ればもう安心だ。私は旅愁を覚えながら高崎線に乗り込んだ。

沖縄本島旅行

 梅雨が明けた。蒸し暑い中を、日焼け対策の長袖長ズボンで羽田へと向かう。京急の車内は涼しい。羽田に着くと、いよいよ旅の始まりだ。

 那覇空港に着いた頃には、日もとっぷりくれた夜。一番安い飛行機が夜便だったので、この日は前日入りのようなものだ。ゆいレールに乗り、ネカフェへと向かう。日本全国どこに行っても変わらないネカフェは身体に馴染んで落ち着く。その日は何もせずそのまま眠りに就いた。

 

 

 次の日から本格的な観光の始まりである。那覇バスターミナルまで歩くだけで汗をかく。ところで、私は運転免許を持っているが、ペーパードライバーだし、沖縄のレンタカーは供給が足りず逼迫しているという。那覇バスターミナルに着くと、バスの3日間周遊パスのゆいレールプラスを買った。5500円也。3日間沖縄本島のほとんどのバスが乗り放題になる上に、1日分のゆいレール乗り放題券が付くたいへんお得な切符である。これからの旅ではこの周遊パスを運転手に見せ続けることになる。

 初めに向かうのは何と言っても美ら海水族館であろうと息巻いていたが、バスで寝過ごし乗換を失敗し、終点の名護バスターミナルまで……。計画を変更して、今帰仁城から行くことにした。

 ここでこの旅の趣旨を書いておくと、それは世界遺産琉球王国のグスク及び関連遺産群」を全部回ることである。今帰仁城はその一ヶ所目となる。ここは三山時代に北山の拠点であったグスクで、規模も大きく、観光客もそこそこいた。暑い中ご苦労なことである。石門を潜り、階段を上っていくと、見晴らしのいい一の郭に出る。壮大な石垣と建物の遺構が残されたグスクからは、遠くに海を臨めた。沖縄では少し小高いところに出ると大体海が見える(後述する識名園を除く)。

 

 

 今帰仁城を後にすると、いよいよ沖縄一の観光地と言ってもいいであろう美ら海水族館に向かう。隣町なのでバスに乗れば少しの距離だ。事前調査が足りず知らなかったのだが、美ら海水族館の周りは海洋博公園として整備されており、思ったよりも広い。結果から書けば、全部は回りきれなかった。

 

 

 ここについては詳しく語るまでもないであろう。巨大なジンベイザメの泳ぐ水槽を初めとして、様々な生き物が展示されており、我々を楽しませてくれる。個人的にはサメに関する展示が興味深かったのを覚えている。本館の他にマナフィ館などもあるが時間切れで行けなかったのだけが心残りだ。

 

 

 この日は更にもう一ヶ所、恩納村にある万座毛に行った。断崖絶壁が象の鼻のような形をしており、自然の神秘を感じられる。ちょうど日の入り頃に行けて時間的にもちょうどよかったと思う。非常に短い滞在だったが、ここもいい景観であった。

 

 

 これで2日目の観光は終わり、ネカフェへ。元々沖縄本島のかなり北部まで来ていたことと、次の日の行程を考慮して、この日はコザに泊まった。美味しい沖縄そばを探してコザ周辺を少しうろついたが、時間が遅いこともありありつけず。結局、コンビニでお酒と沖縄そばを買ってネカフェに入った。

 

 3日目は最も疲れる一日となった。コザを朝早くに出発し、まず向かったのは座喜味城。座喜味城は築城名人としても名高い護佐丸の手によるもの。入場料がなく自由に開放されているのがありがたい。24時間開放されているグスクに入城すると、小規模だが立派な石垣の郭が待っている。ここも見晴らしがよく、読谷村の海が一望できる。他に、入館料のいる資料館があったが、その日は定休日であった。残念。

 

 

 次に向かったのは勝連城……のはずが寝過ごして屋慶名バスターミナルまで……。気を取り直して折り返し、勝連城に到着。城の入口の手前でバスが停まってくれるのが後述する中城城などと比べてありがたいが、入場券は少し離れたあまわりパークで購入しなければならない。そこの資料館とのセットで入場券を購入することになる。

 

 

 勝連城は護佐丸・阿麻和利の乱で知られる阿麻和利の居城であった。阿麻和利は琉球王府を脅かす反抗勢力であり、歴史的に悪役とされてきたが、うるま市は彼の英雄的な側面も紹介しようとしている。

 あまわりパークを出ると、4人くらい乗れる小さな車が待機しており、グスクの石垣までの急勾配を上って連れて行ってくれたのがありがたかった。窓も扉もないので風が気持ちいい。勝連城は立派な石垣をしており、眺望も抜群。阿麻和利の勢力の大きさを窺わせる。

 

 

 そしてお次は中城城へ。しかし、これがまあ大変であった。世界遺産だというのに、バス停はグスクから遠く、30分くらいの山登りを強いられた。これには堪えた。

 汗だくになりながら必死で坂を登りきって平地になると、ようやく中城城の看板が。ほっとして入場券を購入する。そこから城まで更に少し坂があるが、そこは勝連城にもあったような車で送ってくれた。しかしそれなら山の麓から送ってほしいものだ。

 中城城は護佐丸の居城として知られ、勝連城と同様に規模が大きい。立派な城郭と美しい眺望はもう見慣れたものになっていたが、やはり似て非なるものである。違いを楽しみながらグスク観光を終えて山を下った。

 

 

 

 この日は既にくたくたになっていたが、もう一ヶ所行きたいところがあった。これは空港に貼ってあった広告を見て急遽どこか旅程の中に組み込めないか悩んだ場所だった。DMMかりゆし水族館である。

 那覇バスターミナルに戻ると、煙草で一服して、次のバスに乗った。終点まで乗ると、豊見城市の臨港地帯にあるイーアス豊崎に着く。その中に水族館はあった。

 

 

 水族館の入館料は高く、施設自体も広くないが、映像や音とリンクした新感覚の水族館が待っていた。爬虫類などの展示もあり、普通の水族館とは違うことが入った瞬間にわかる。熱帯魚の展示も煌びやかで、見る者を魅了する。雰囲気作りが見事で、それだけで来た甲斐があったと思った。

 

 

 

 水族館を出ると、バスまで少し時間があったので、海岸の方まで歩いていった。日もとっぷりくれた夜の海は人っ子一人おらず寂しげだった。でもそれが心地よく、しばらく感傷に浸っていた。

 やがてバスが来て、豊見城を後にする。ネカフェの最寄りのバス停に戻ってくると、ネカフェまでの道を歩いた。この日は本当に疲れた。さっさとシャワーを浴びて、眠りに就いた。

 

 4日目は南部を攻略することにした。那覇バスターミナルまで歩き、斎場御嶽行のバスに乗る。途中で奥武山公園の沖宮に寄った。

 

 

 斎場御嶽前のバス停に着くと、チケット売場があり、購入。土産物屋があったので入ってみた。ここ斎場御嶽のある南城市は、アニメ『白い砂のアクアトープ』の聖地だ。だからそのグッズやパネルも合わせて置いてあった。誘惑に負けて私はそのグッズを買ってしまった。ちなみに私は風花が好きだ。

 

 

 土産物屋を出ると、わかりにくい道を辿って世界遺産斎場御嶽を目指した。中は森のようになっていて、そこに参道が架けられている。一番有名な三角形の隙間の空いた岩の前にも、拝所や見晴らしのいい場所がある。ニライカナイに通じるとされる久高島への遥拝所もあった。そして斎場御嶽の最奥に着いた。岩は見事で、パワースポットといった趣だ。三角形の空洞のある岩の奥には、本来なら入れるようだが、この時は入れなくなっていた。残念。それでも満足感を覚えながら帰路に就いた。

 

 

 

 斎場御嶽を出ると、次はおきなわワールドを目指した。鍾乳洞である玉泉洞を始めとして、沖縄に纏わる様々な施設や催し物がある。まずは玉泉洞に入ったが、中は涼しく、一年中その気温が保たれるそうだ。鍾乳洞は見事で、規模も大きく、魅了された。

 

  

 

 

 その他には、沖縄の伝統的な街並みを再現したようなエリアや、南国のフルーツなどを栽培しているエリア、それから沖縄特有のハブに関する展示などがあった。どれも興味深く、楽しく見て回ることができた。また、沖縄の伝統的な街並みを再現したエリアの一角では創作エイサーが催されており、それもたいへん見応えがあった。太鼓の音に合わせて踊る様が勇ましかった。

 

 

 

 

 この日最後に向かったのはひめゆりの塔だ。沖縄ではあちらこちらで沖縄戦の苦い記憶が保存されている。その中でも代表的なひめゆりの塔に一度は行ってちゃんと勉強してみたかった。

 ひめゆりの塔は塔というより慰霊碑だった。犠牲者の名前が書き連ねられ、献花がしてあった。近くの資料館に立ち寄ると、そこには大量の千羽鶴が飾られてあった。

 

 

 

 資料館の中に入ると、沖縄戦の凄惨な事実に言葉を呑んだ。写真撮影は禁止だったので写真はないが、沖縄戦の歴史や、生き残った方々の証言に息が詰まる。犠牲者は全員が展示されており、当時の作文のようなものも置いてあった。改めて戦争の悲惨さを痛感するいい機会となった。

 

 

 ひめゆりの塔を後にすると、今日の旅程は終わりなので、那覇バスターミナルに戻る。そこでふと、まだ沖縄料理をちゃんと食べていないことに気付いた。まだ早い時間だったので、適当に沖縄料理の居酒屋に入る。泡盛といくつかの沖縄料理を注文して、3000円ほど。そこで食べた島らっきょうとラフテーは忘れられない味になった。

 

 最終日、寝坊した。それはともかく、バスの3日券は切れていたので、もう自由にバスには乗れない。その代わり、この日はゆいレールプラスを使ってゆいレールが乗り放題だ。まずは首里城に向かう。那覇観光が最後になってしまった形だ。

 首里城は雨だった。傘を差しながら一つ一つの城門を潜っていく。立派な朱色の城門だった。とりわけ守礼門2000円札の絵にもなったことがあるほど著名で、写真撮影している観光客も多かった。余談だが、沖縄のATMでお金を下ろすと2000円札が出てきて驚いた。

 

 

 

 肝心の中心部である御庭には、城がない。以前焼失してしまったのは記憶に新しい者も多かろう。工事中という趣でグレーのシートや組まれた足場があり、小さな土産物屋だけが営業している状態だった。せっかくなのでマグネットを購入した。少しでも修繕費に当ててくれれば嬉しいが、どうだろうか。

 首里城の近くには、他の世界遺産として園比屋武御嶽石門と玉陵もある。それらにも立ち寄った。園比屋武御嶽石門は本当にただの石門で、玉陵はある程度広い空間に立派な石垣と建造物がある。しかし、それらに見向きする人は少なかった。

 

 

 

 玉陵を出ると、牧志に向かった。国際通りを県庁前側から行ったことは以前にあるのだが、牧志側から行ったことはなかったからだ。そこで沖縄一安いというソーキそばをいただいた。味変のコーレーグス島とうがらし泡盛に漬けたもの)も美味しかった。その後は第一牧志公設市場を見学し、イラブチャーなる青々とした魚が売られているのを見たりした。

 

 

 

 そして、那覇新都心であるおもろまちにも寄ってみた。おもろそうだから、というのは冗談で、おもろさうしから取られた名前だ。そこそこ発展していた。

 

 

 その後は識名園に向かった。識名園は立地が悪く、バスを使わざるを得ない。しかし、その時のバスの運転手の応対が悪かったので、二度とバスに乗るかと誓って帰りは首里駅まで必死に歩いた。

 識名園はそれほど広くないものの立派な庭園である。池泉回遊式庭園で、池も見事だし、御殿なども立派であった。また、識名園は中国からの冊封使琉球王国を広く見せるため、海が見えないようにできている。沖縄ではちょっと小高いところに行くとすぐ海が見えるが、識名園はそれが見えず山と街しか見えないのだから、やはり意味のある立地選びなのだ。

 

 

 

 えっちらおっちら首里駅まで歩くと、もういい時間になっていた。本当はてだこ浦西まで乗ってゆいレールを完乗し、浦添ようどれなどを見たいと思っていたが、寝坊したせいでそれは叶わなかった。それが少し心残りではあったが、沖縄旅行は十分楽しめた。世界遺産も制覇した。私は満ち足りた気分で那覇空港へ向かった。

 帰りの飛行機は行きと違って成田に着く。航空会社が違うのだ。成田までのフライトを待つ間、さんぴん茶を買った。やはり沖縄の味といえばこれである。やがて搭乗案内がなされ、私は飛行機に乗り込んだ。さらば、沖縄。

 

 成田に着いても蒸し暑さは続いた。各停しか来ない京成にやや苛立ちつつも、京成の車両に乗り込む。西船橋で乗換をして、東京メトロに乗った。沖縄気分はまだ抜けないまま、私はさんぴん茶を呷った。

メンヘラは「夜」が好きなのか?

 昨今、「夜」がつくアーティストが流行っている。ヨルシカ、ずとまよ、YOASOBI……。今回はそんな「夜」がつくアーティストの曲を通してメンヘラの気持ちを綴っていこうと思う。以前書いた記事も参考にしてほしい。

 

目次

 

 

三者の違い

 よく「似ているから違いがわからない」と言われる三者。でもどれもよく聞く自分からすると全然違う。それぞれに主題やモチーフが違うからである。音楽のことはよくわからないので、歌詞の観点から違いを述べる。

ヨルシカ

 ヨルシカの歌詞は全体的に鬱っぽい。それから夏がよく登場する。この辺は「感傷マゾ」の概念を想起させる。どこか遠くへ行きたいけど行けないもどかしさが歌われていると思う。

ずっと真夜中でいいのに。

 ずとまよの歌詞は愛が重いという意味でメンヘラっぽい。また、科学的なモチーフがよく登場する。無機質なものにたとえることで機械的に漫然と生きている様を表していると思う。

YOASOBI

 YOASOBIは正直メンヘラ感は薄い。もうちょっと王道寄りのポップスである。しかし、その中で一番のヒット曲の「夜に駆ける」がメンヘラっぽいゆえにメンヘラっぽく感じられることもあるのだろうと思う。

 

 

楽曲

 

だから僕は音楽を辞めた/ヨルシカ

 

 

「将来何してるだろうって

 大人になったらわかったよ

 何もしてないさ」

 の部分が刺さる。そう、大人になっても何もせずにいる自分がいる。何かを成し遂げたわけでもなく、ただ呆然と生きている自分が。

「僕だって信念があった

 今じゃ塵みたいな想いだ

 何度でも君を書いた

 売れることこそがどうでもよかったんだ」

 昔は信念があったかもしれないのに、それももう忘れてしまった。今は何もせずぼうっとしている自分だけがいる。精神を病んでいる。それはもう修復できないほどに。

 

 

藍二乗/ヨルシカ

 

 

「人生は妥協の連続なんだ

 そんなこと疾うにわかってたんだ」

 人生は妥協の連続である。妥協して、妥協して、残るものは何もない。悲しいけれど、そういうふうにできている。妥協せずに生きていけるほど強くなかったのだ。

「人生の価値は、終わり方だろうから」

 人生の終わり方を自分で決められたらどんなにいいだろう。そんなことを常日頃思う。私は死に場所を探している。死ねない自分を呪う。

 

 

爆弾魔/ヨルシカ

 

 

「死んだ眼で爆弾片手に口を開く

 さよならだ人類、みんな吹き飛んじまえ」

 本当にその通りだと思う。人類も地球も全部吹き飛んでしまえばいいのに。跡形もなくなって、世界がなくなってしまえばいいのに。そうすればこの苦しみからも解放されるのに。

「今日も出来ませんでした

 今日もやれませんでした」

 今日も何もできずにいる自分がいる。そう、本当に何もしていない。人生に意味を見出せない。生産的なことが何もできない。こんな人生に意味はあるのだろうか?

 

 

レプリカント/ヨルシカ

 

 

「あんたの価値観なんて偽物だ

 思い出だって偽物だ

 心は脳の信号なんだから

 愛も皆レプリカだ」

 心は脳の信号である。だからすべては物理法則に従った電気信号の集合体でしかなく、そこに意味なんてない。

「人を呪う歌が描きたい

 それで誰かを殺せればいいぜ

 夏の匂いに胸が詰まっていた」

 私の文章も誰かを殺すだろうか。私は人を呪って生きてきた。全部吹き飛べばいいのにと思って生きてきた。刺し違えたい相手もいる。本当は私の心が殺されたのかもしれない。

 

 

詩書きとコーヒー/ヨルシカ

 

 

「幸せの色は準透明

 なら見えない方が良かった

 何も出来ないのに今日が終わる」

 ああ、今日が終わる。何もできないまま。そうやって鬱病の一日は過ぎていく。これを読んでいる読者はどうだろうか。生産的な一日を送っているだろうか。

「わかんないよ わかんないよ

 わかんないよ わかんないよ

 わかんないね

 人は歩けるんだとか

 それが当たり前だとかわかんないさ

 わかんないよ」

 もう何もわからない。人は歩けるんだろうか。私にはもう歩く元気がない。家でじっと、何もせず、一日が終わるのを待っている。そして今日も思う。ああ、何もできなかったな、と。

 

 

冬眠/ヨルシカ

 

 

「神様なんていないから

 夢は叶うなんて嘘だから

 仕事も学校も全部辞めにしよう」

 そうだ、全部やめにしよう。やめてしまえばいいんだ。自暴自棄だろうか。それでもいい。全部やめてしまいたい。もう疲れた。もう頑張れない。だから全部やめにしよう。それがいい。

 

 

秒針を噛む/ずっと真夜中でいいのに。

 

 

「このまま奪って 隠して 忘れたい

 分かり合う◯1つもなくても

 会って『ごめん。』って返さないでね

 形のない言葉はいらないから」

「『僕っているのかな?』

 本当はわかってるんだ

 見放されても信じてしまうよ」

 見放されても相手を追いかけてしまう主人公。メンヘラは愛が重く、愛想を尽かされやすい。それを的確に捉えた表現だと思う。また、恋愛絡みじゃなくとも「僕っているのかな?」という問いは私に付き纏う。私はこの世界に、誰かに必要とされているんだろうか。きっと必要とされていないけど、必要とされていると信じたくなってしまう。

 

 

脳裏上のクラッカー/ずっと真夜中でいいのに。

 

 

「なりたい自分となれない自分

 どうせどうせが安心をくれたような」

 理想像に追いつけない自分。私も理想像が遥か遠くにあって、永久に追いつける気がしない。それが歯痒く、もどかしい。

「なんで? 隣にいなくても

 いいよ いいよ いいよ いいよ

 って言わせないでよ」

 本当は隣にいてほしいのに隣にいてくれない。愛の重さが伝わってくる。これもメンヘラの空回りなのかなと想像する。愛の重さを受け止めてくれる人はなかなか現れないものである。私の愛も、受け止めてくれる人がおらず迷子である。

 

 

Dear My 「F」/ずっと真夜中でいいのに。

 

 

「きみ無しじゃ生きていけないって

 依存しそう で厄介さ」

 ずとまよの歌詞の引用は難しいが、ここは明らかにメンヘラポイントである。「きみ」に依存しそうなほど愛している愛の重さがメンヘラを感じさせる。

「あぁ、なんかわからなくなりました

 自分って誰 あれ 何故なれないの」

 自分という存在がよくわからなくなる時も多い。人を愛するという過程の中でもそういうことはあるだろう。私も自分がわからない。何ができるのか、誰が好きなのか……。歌詞を通して陰鬱さが感じられる。

 

 

サターン/ずっと真夜中でいいのに。

 

 

「私といるより楽しまないで

 心に傷を負った君がいい」

 はメンヘラらしさが非常によく表れている。嫉妬心が表出しており、共依存になりそうな関係性も予感させる。

「言わなきゃ でもやっぱやだ

 それじゃ何も始まらないのだから

 言わなきゃ なんかこのまま

 気づかないふりしないっこでいいのかな」

 自然消滅しそうな関係性を繋ぎ止めようとする必死さが伝わってくる。得てして関係性は自然消滅する。それが怖くて、何としても繋ぎ止めようとする気持ちは痛いほどわかる。それでも躊躇ってしまうところまで。だから遠くの惑星「サターン」なのだ。

 

 

夜に駆ける/YOASOBI

 

 

 これは心中を歌った曲である。

「変わらない日々に泣いていた僕を

 君は優しく終わりへと誘う」

 の部分で心中が暗示され

「二人今、夜に駆け出していく」

 で飛び降りてしまう。しかしこの曲は心中、自殺を決してネガティブに捉えてはいない。むしろポジティブに死を捉え、心中によって永遠の愛が歌われているように思われるのである。私も誰か愛し合える人と心中したい。それは決してネガティブな選択ではなく、ポジティブなこの世への別れであろう。

 

 

もしも命が描けたら/YOASOBI

 

 

 この曲のストーリーは複雑だが、「君」が死んで自殺しようとしていた「僕」が月から「自分の命を削って絵に描いたものに命を分け与える力」を貰い、「あなた」の彼氏にそれを使って死んでいくという構成になっている。

「恋に落ちた

 愛を知った

 幸せだと思えたのに

 どうして大切ばものばかりが消えていく

 この世界とさよならしよう」

 と自殺を決意するが、前述のようにストーリーが進み、最後は

「そしてひとり

 あなたのこと母のこと

 君のこと想い目を瞑った

 長い長い旅の終わり

 やっとまた会えたね」

 と締められる。寿命を全うして「君」に会いにいくところでストーリーは終わる。命の価値について考えさせられる名作だと思う。

 

 

 以上、三者三様の「夜」の世界を覗けたと思う。興味を持ったら他の曲も色々聞いてみてほしい。きっと新たな発見があることであろう。

 また、今回は「夜」をテーマにしたが、他にもメンヘラソングはたくさんある。是非お気に入りのメンヘラソングを見つけていただければ幸いである。

Juice WRLDとドラッグ

 私は洋楽のHIPHOPをそこそこ聴くが、その中でも一番好きなラッパーがJuice WRLDである。Juiceの曲の中にはドラッグが大量に出てくる。実際、エモ・ラップを牽引している多くのラッパーがドラッグに手を出しているのが現状だ。メンヘラとドラッグも関わりが深い。抗うつ薬抗不安薬を飲んでメンタルを保ち、時にはODもするからである。今回はJuiceの曲を通してこのドラッグ問題について考えたい。

 

目次

 

基礎知識

 薬物には大きく分けて3種類ある。

・アッパー

 覚醒作用を齎すもの。

・ダウナー

 鎮静作用を齎すもの。

サイケデリック(サイケ)

 幻覚作用を齎すもの。

 これらを踏まえた上で以下の解説を読んでほしい。

 

主な薬物

大麻マリファナ

 weed、野菜、420など色々な隠語がある。最も代表的な薬物。日本では違法だが、合法な国や地域も多く、普遍的に蔓延していると思われる。ダウナー系のドラッグである。アメリカのラッパーは当たり前のように使用している。

 

覚醒剤

 シャブ、アイス、スピードなどとも呼ばれる。物質名としてはアンフェタミンメタンフェタミンに該当する。アッパー系のドラッグである。これもまたラップ中によく登場する。

 

コカイン

 コーク、チャリなどとも呼ばれる。アッパー系のドラッグの中ではかなり強い。本来はラッパーは売人として売る側であったが、近年は乱用者も増えているという。ハードドラッグの一種。コカの実から取れる。

 

ヘロイン

 恐らく最強の薬物。他の薬物は、それを使用しながら作業をしたりセックスをしたりするために使用されるが、ヘロインはそれ自体の快楽に溺れるものだという。オピオイド系でダウナー系のドラッグである。ハードドラッグの一種。ケシの実から取れる。

 

MDMA

 エクスタシー、モリーなどとも呼ばれる。アッパー系のドラッグである。様々に着色されたものが密売されている。

 

LSD

 紙などとも呼ばれる。サイケ系のドラッグである。幻覚や幻聴が起こるタイプのドラッグである。私はあまり興味を惹かれない。

 

リーン

 purple drank、dirty spriteなどとも呼ばれる。昨今ラッパーの間で流行っているもの。後述するブロンと同じコデイン入りの咳止めシロップをスプライトなどで割ったものである。アッパー系かつダウナー系である。合法であるゆえに蔓延しやすい。

 

ザナック

 Xannyとも呼ばれる。抗不安薬の一種で、物質名としてはアルプラゾラム、日本での商品名はソラナックス。完全に合法な薬だが、それゆえに蔓延しやすい。鬱病などの患者には普通に気軽に処方されると思われる。

 

パーコセット

 Perkyなどとも呼ばれる。オキシコドンアセトアミノフェンが混ざった処方箋ドラッグ。モルヒネなどと同じく鎮痛剤として処方されるもの。オピオイド系でダウナー系のドラッグである。

 

 

日本でODによく使われる薬物

ブロン

 何を置いてもブロンが一番悪名高い。ブロンに含まれるコデインが体内でモルヒネに変換され、快楽を齎す。同時にエフェドリンによる覚醒作用も起こる。本来の用途は咳止めである。アッパー系かつダウナー系のドラッグである。通常の薬局では購入数制限などが行われている。

 

パブロンゴールド

 俗に金パブと呼ばれる。ブロンと同じくコデインの含まれる薬品だが、アセトアミノフェンが邪魔で肝機能障害を起こす可能性があるので、CWEという濾過作業をすることが推奨されている。そもそもOD自体推奨されないものだが。

 

レスタミン

 俗にレタスと呼ばれる。本来の用途はアレルギー性皮膚炎の治療薬。眠剤ドリエルと中身は同じなのに安いので眠剤としても使用できる。ODすると眠気の他、虫などの幻覚を見るとされている。

 

コンタック

 本来の用途は風邪薬。ODするとふわふわして幻覚を見たり音楽がクリアに聞こえたりするとされている。サイケ系のドラッグである。

 

デパス

 市販薬を除けば最もODされていると思われるもの。抗不安薬で、物質名はエチゾラム鬱病などの場合、簡単に貰うことができるので、蔓延しやすい。私も処方されているが、今のところODはしていない。

 

 

Juice WRLDの楽曲

Lucid Dreams/Juice WRLD

 

 

 Juiceの代表曲。直接薬物名は登場しないが

“I take prescriptions to make me feel a-okay”

 というフレーズから薬物に走っていることがわかる。

”Now I’m just better off dead”

 私も自分は死んだ方がましなんじゃないかとよく考える。親や世間に迷惑をかけるだけかけて何もせず生きているなんて……。そして

“You made my heart break

 You made my heart ache”

 と繰り返されるところは痛切である。彼女に傷つけられた恨みが描かれている。恋愛は毒にも薬にもなるが、ここでは毒となる好例である。

 

 

Righteous/Juice WRLD

 

 

“Five or six pills in my right hand yeah

 Codeine runneth over on my nightstand”

 というフレーズからコデインに走っていることがわかる。前述の通り、コデインは海外のラッパーにも日本のメンヘラにも広く愛されている。

“Taking medicine to fix all of the damage

 My anxiety the size of a planet oh”

 そう、惑星のように大きな不安を薬物だけが解消してくれるのである。私も抗うつ薬抗不安薬で何とか繋ぎ止めている命だ。このフレーズは痛切に響く。

“Over ice I’m freezing”

 という歌詞から覚醒剤もやっているのではないかと推測できる。違法薬物はやってはいけないが、それに逃げたくなるほどの不安はわかってあげてほしいものである。

 

 

Lean Wit Me/Juice WRLD

 

 

“Lean with me, pop with me”

“Smoke with me, drink with me”

 というフレーズが特徴的だ。リーンに逃げ、煙草(あるいはマリファナ)や酒に溺れている。私はリーンはやめたが煙草や酒はやめられずにいる。

“Yeah, I love P’s, yeah I love lean”

 という歌詞からパーコセットやリーンを愛しており脱せない苦しみが伝わってくる。これらは処方箋ドラッグと市販薬だから合法で手に入る。ゆえに依存から脱せない苦しみは痛切だ。鬱の不安はどうすれば取り除けるのだろう?

 

 

Black & White/Juice WRLD

 

 

“I’m in the black Benz, uh

 Doin’ cocaine with my black friends, uh”

“Switch up to the white Benz, uh (Benz)

 Doin’ codeine with my white friends, uh (friends)”

 と対比されている。黒人の友達とコカインをやり、白人の友達とコデインをやっているのだ。コカインもラッパーの間に広まっているのだろう。そこまで強い薬に頼らないといけないほど苦しんでいるのだ。

“I know that these percys finna hurt me, ayy”

 パーコセットが自分を傷つけることもわかっていながら、逃れられない。

“Pills with the Hennessy, I might throw up”

 ヘネシー(ブランデー)で薬を飲んだりもしている。もうめちゃくちゃだ。

“I’m getting too fucked up”

 と歌われている通り。

 

 

Wishing Well/Juice WRLD

 

 

“Stress on my shoulders like a anvil

 Perky got me itching like a ant-hill

 Drugs killing me softly Lauryn Hill

 と歌われている通りやはりパーコセットに依存している。Wishing Wellとは願い井戸のことで、一曲を通して苦しみから抜け出したいことが歌われているが、やはり薬物依存からは抜け出せていない。それほどに鬱のストレスは重く、薬物をやらないとやってられないものなのだ。

“If it wasn’t for the pills I wouldn’t be here

 But if I keep taking these pills I won’t be here yeah”

 と、もう薬なしではやっていけなくなっている。

 

 

Wasted/Juice WRLD, Lil Uzi Vert

 

 

“Wasted, I’m on these drugs, I fell wasted”

 と歌われている通り、薬をやってハイになっている。

“Wasted, I waste all my time when I’m wasted”

 薬をやっていると時間を無駄にすることになると知りながら。ここにも薬物依存の悲しい現実が表れている。また

“She do cocaine in my basement

 I’m her docter, but I’m runnin’ out of patience”

 という彼女との不健全な関係性も描写されている。彼女もJuice自身もハイになっており、救いようがない。

 

 

End Of The Road/Juice WRLD

 

 

“It’s suicidal she wrote

 This is the end of the show, it’s over

 We doin’ drugs ‘til we in a coma”

 というふうに彼女は自殺し、Juiceたちは昏睡するまでドラッグに溺れる。まさに道の終わり、恋路の終わりであろう。メンヘラ同士の恋愛がうまくいかないことを象徴しているかのようだ。そして

“I pray to God my plug I pour up

 I pray to God my plug still show up”

とドラッグが手に入れられることを祈る。

“She love the coke, but not Coca-Cola”

 彼女もコカインに溺れている。メンヘラに恋は難しい。薬物に溺れて、お互いに限界なのだろう。

 息が詰まりそうだ。これだけ薬物依存の歌詞と向き合っていると、胸が詰まりそう。最後に少し救いのある曲を紹介しよう。

 

 

Girl Of My Dreams/Juice WRLD, SUGA of BTS

 

 

 この曲では

“Stop sippin’ purple potion (For you, babe)”

 と彼女にリーンを啜るのをやめるよう諭している。そして

“The girl of my dreams, but I ain’t fallin’ asleep”

“I ain’t gon’ lie, you got it all, all, all, all, all of me”

 と熱愛が歌われている。君は俺のすべてを手に入れたのだと。ああ、ようやく恋が叶った。不健全な関係を脱して、本当の愛を手に入れたのだ。やはり薬物に依存してはいけない。恋が薬の代わりになるのだ。

 

 

 以上、Juiceの歌詞とともに薬物依存について考えてきた。薬物依存の当事者の視点を通して、薬物依存への理解を深め、薬物から脱せるようになればいいと切に願う。私も酒や煙草、抗うつ薬抗不安薬から脱せてないが、ブロンなどからは足を洗えた。読者諸氏も、身近に薬物依存者がいれば、薬物依存を頭ごなしに否定するのではなく、その苦しみに寄り添いながら一緒に脱する方法を考えてあげてくれれば幸いである。

 

 

番外編

Lemonade/Internet Money, Gunna, Don Toliver, NAV

 
 
 この曲には実に多様な薬物が登場する。
“Xanny bars suicide door brand new bag”
“Off the juice codeine got me tripping”
“Ice lemonade my neck was drippin’”
“Adderall feeling nausea xanax bars ayy”
“Did a percocet promethazine”
 というように。ザナックス、コデイン、アイス、パーコセットは前述の通りで、lemonadeはヒドロコドン、Adderallはアンフェタミンを含むADHD治療薬、promethazineは抗ヒスタミン剤である。健全な読者なら知らないであろう薬物名のオンパレードに驚かされる。
 

Blueberry Faygo/Lil Mosey

 
 
 爽やかなナンバーだが、Blueberry Faygoもリーンのことを指している。
“Poured up a 4 now that’s blueberry Faygo”
 と歌われている。Faygoは清涼飲料水を指していて、それと咳止めシロップを混ぜたものを飲んでいるようだ。
“Got me some gas rollin’ up some”
 とマリファナも吸っていることがわかる。更に
“I ain’t fucked her yesterday I’ma fuck some”
 とセックスについても触れている。
 

Mask Off/Future

 
 
 Futureはリーンをスタイリッシュに広めた張本人の一人で、JuiceもFutureの影響でリーンを始めたと言われている。というわけで最後に紹介しておこう。
“Percocets molly Percocets”
 というフレーズはあまりに有名である。パーコセットとMDMAを常用していることがわかる。また
“Two cups toast up with the gang”
 とリーンも飲んでいることがわかる(リーンの冷たさを保つためにカップを二つ重ねるらしい)。しかし
“Mask on fuck it mask off”
 というように、薬物から脱しようとする試みが描かれている。薬物でキマった自分のマスクを剥いで、素面でいられる日が来ればいいと願うばかりである。それが健全な生き方なのだから。