潮騒、某、暮れ泥み

小説のような旅行記を。鉄道旅を主として全国を旅しています。

島根・山口・広島旅行

 鉄道開業150年記念として、いつもの青春18きっぷなど以外にも色々なきっぷが販売されていた時期の話である。その一つとして、JR西日本が販売する「西日本どこまで4DAYS」というものがあった。これはJR西日本圏内の在来線が連続する4日間乗り放題になるというもので、18きっぷ4日分より僅かに高いが、智頭急行にも乗れたり、特急券を購入すれば在来線特急にも乗れたりするというのが18きっぷとの相違点である。今回はこのきっぷを使い、昨年夏の記事にある鳥取・岡山・香川旅行と対になるような、中国地方西部の旅をすることにした。

 とはいえ、旅程の都合上、松江・出雲周辺だけを観光する初日はそのきっぷを使う必要がないという結論に至った。4日間のきっぷの1日分の運賃にも満たないので元が取れないという考えによるものである。それでは松江まではどうやって行くのか、という話になるが、松江まで行く道をすべて在来線縛りにするとそれだけで一日潰れてしまうくらいには時間がかかる。そして旅程も一日長くなり、宿泊費も一日分増える。それよりは安いだろうと考えて、初手から高速バスでショートカットして初日から十分に観光できるようにしたわけである。

 早朝に梅田に着くと、グランフロントから工事中のうめきたに設けられた通路を通って梅田スカイビルのバスターミナルへと向かう。スカイビルの北側に数台のバスが並んで待機しており、そのうちの米子・松江・出雲へと向かうバスに乗り込むと、バスはまだ朝も早い梅田を出発して西へ走り出した。

 

 

 

 松江には5時間くらいで到着する。途中、加西と蒜山高原のサービスエリアで休憩が入り、煙草でも吸おうかとバスを降りた。蒜山高原ではまだ雪が残っており、涼しい気候であった。その後、米子付近まで来ると、まだ雪を被った美しい大山が見えた。大山は旧国名をとって伯耆大山伯耆富士などとも呼ばれ、山陰本線伯備線の合流するところには伯耆大山駅がある。その後は米子で降りる客を何人か降ろして、間もなく松江に辿り着いた。

 

 

 山陰はICOCAエリアが非常に狭いが、この日はそのエリア内をうろうろするだけなので、松江駅の自動改札を通ってまずは安来へと向かった。安来駅は本当は米子駅からの方が近く、バスも米子で降りてまったく問題なかったのであるが、何となく島根縛りにしたいという個人的で無意味な拘りから少し運賃が上がっても松江側からギリギリ島根県の東端にあたる安来に来たのである。

 安来駅は木組の美しい風情のある駅舎であった。駅前に停まっているバスは、これから行く足立美術館行のバスであるが、これが何と無料シャトルバスなのである。普通の路線バスに乗る必要がなく無料で安来駅との往復を乗せてくれるのはとてもありがたい。

 

 

 足立美術館安来駅から少し山手に向かったところにある、島根きっての美しい日本庭園と、横山大観を主とした数々の日本画や陶芸などを鑑賞することができる美術館である。横山大観と言えば近代日本画界を牽引してきた画壇の重鎮であり、朦朧体と呼ばれる画風で知られる。館内の絵画などは撮影禁止となっているため写真を撮ってここに載せることはできないが、間違いなく一見の価値がある日本画の数々が展示されていた。また、順路に沿って進む間の所々で色んな角度から日本庭園を鑑賞することができ、こちらは撮影可能である。枯山水もあれば池庭などもあり、米国の『The Journal of Japanese Gardening』における日本庭園ランキングで20年連続で1位に選ばれているほど海外からの評価も高い。この日はよく晴れていて、一層美しく輝く木々の緑と、絶妙な配置の岩などが保つ調和に私は心を奪われた。

 

 

 

 

 

 美術館を出てシャトルバスで駅まで折り返すと、山陰本線で折り返し、松江駅を通り過ぎて玉造温泉に着いた。駅から温泉街までは徒歩20分ほどかかり、雲一つない空、傾き始めた日の光に照らされながらしばらく歩いた。

 温泉街は川を挟んだ両側に古風な旅館などが並ぶ典型的な温泉街といった趣である。無料で入れる足湯もあるが、あまり時間がなかったのでそこは通り過ぎて、日帰り温泉に入る。温泉に行けば一つくらいは温泉むすめの等身大パネルが置いてあるのは普通だが、それ以外にもやたらとグッズが置いてありサインも展示してあり、建物自体も少し変わった構造の温泉であった。ちょうどいい湯温の温泉に浸かって、初日なのでまだ大して溜まっていない旅の疲れを少し癒した。

 

 

 

 来た道をまた徒歩で折り返し、山陰本線を更に少し西へ乗って出雲市駅で降りた。日が暮れた夜の出雲市を少し歩いて出雲そばを食べに行く。出雲そばは戸隠そば、わんこそばと並び日本三大蕎麦の一つに数えられ、割子と呼ばれる漆器が何段にも重ねられて提供されるのが特徴的である。三段重ねの出雲そばが届くと、まずは一番上の割子に出汁と薬味を入れて蕎麦を啜り、なくなると下段の割子の蕎麦に上段の割子に残った出汁を移して食べていくという食べ方をする。無事閉店する前に美味しい蕎麦を食べることができて満足したところで、1日目は幕を閉じた。

 

 

 

 翌朝、まだ日の出前に出雲市駅まで行って、日が昇り始める車窓を眺めながら大田市駅に着いた。大田市と言えば、あの世界遺産にも登録された石見銀山がある市である。駅から路線バスに乗って、まずは石見銀山で鉱夫たちが生活していた大森の古風な街並みを散策する。着いたのがあまりに早すぎて観光客はまったくいなかった。大森には黒い瓦の建物も多かったが、所々に赤褐色の石州瓦を葺いた建物もあった。石州瓦は石見では現在でもよく使われており、山陰本線から見える街並みにも赤い屋根瓦を多く見ることができる。

 

 

 

 

 静かな街並みをかなりの距離歩くと、それはやがて途切れて、木々の間に車道が一筋伸びている。この道を2kmほど歩くと、間歩と呼ばれる坑道の中で、石見銀山では唯一間歩の中が常時公開されている龍源寺間歩に辿り着く。間歩の中は本当に鉱山の中を掘り進めただけの狭く低い道がずっと続いており、所々に道の左右の壁を少し掘った空間があるが、それらは立入禁止となっていて、進路は一方通行の一本だけである。途中に竪坑と呼ばれる排水坑もあり、ここから間歩に溜まった水を下へと流していたようである。奥へ奥へと進んでいくと、やがて岩盤で塞がれた坑道の端に到達し、その奥には更に狭い坑道が続いていたらしいが立ち入ることはできない。左手には、苔むした岩壁をしてはいるが現代的な手摺りがつけられた、出口に続く新坑道が伸びている。これは観光用に昭和末期に掘られた通路のようだった。

 

 

 

 

 

 

 入口より少し手前の出口から出て大森の街並みまで戻ると、観光客はかなり増えてきていた。流石に私が早く来すぎただけで、観光地としての人気がないというわけではないようで安心した。アクセスが多少難しかろうとも、世界遺産を一目見たい人は大勢いるに違いない。最初のバス停まで戻ってくると、大田市駅へと引き返した。

 ところで、石見銀山世界遺産としての登録範囲は、山奥の坑道や街並みだけでなく、銀を各地に輸送するための港も含まれているのである。その一つの温泉津港には、まさにその名の通り温泉も湧いており、温泉津温泉として知られている。ちなみに、「温泉津」と書いて「ゆのつ」と読む。

 大田市駅から数駅乗ると温泉津駅に着く。駅前には大したものはないが、温泉津温泉とその街並み保存地区への案内が書かれており、道なりに港沿いの道を上っていくと、温泉街に至る。温泉街としての知名度はあまり高くない場所かもしれないが、世界遺産の温泉であることを売りにしており、かつては石見銀山に従事した鉱夫たちが仕事の疲れを癒した温泉街である。その中の日帰り温泉に立ち寄って、二日連続で温泉を堪能した。

 

 

 

 

 一日を通して天気が優れなかった石見銀山についに雨が降り出し、傘を差して温泉津駅まで戻り、石見銀山を後にした。そこからは一気に西走し、島根県の市として最西端の益田市にあり、山陰本線山口線との乗換駅でもあり、山陰本線の運行系統上の境界にもなっている益田駅までやってきた。

 時間はそろそろ宵に入る頃、益田には日本一の居酒屋とも称され、食べログの居酒屋百名店にも選出されている有名な海鮮居酒屋があるという。駅からしばらくあると、その居酒屋はあった。木造のあまり大きくない建物で、都会の居酒屋のように店の前の通りを人々が行き交ったりしているわけでもなく、はっきり営業中と書いているわけでもないので少し不安だったが、恐る恐る木の引き戸を開けてみると、下に行く階段があって、それを下ると普通に接客してもらってカウンター席を案内されたので、一安心した。

 

 

 有名店だと聞いていたが、この日は他に人もほぼおらず空いていた。天気が雨だからなのか、時間がまだ早いからなのかはわからない。メニューはいかの生き造りなどが名物で、他にも色々な魚の刺身などを新鮮なままいただけるようであったが、あまりお金も持ち合わせていなかったので、海鮮丼にいくつかの小皿がついたセットと、サワーを一杯だけ注文し、それを飲みながら料理の到着を待った。明らかに旅人の出立ちをしていた私に、どこから来たのかとカウンターの向こうから板前が尋ねたので、大阪からと伝えた。きっとこの店には全国から客が訪れるのだろう。

 やがて来た海鮮丼は新鮮な刺身を敷き詰めたもので、ちょうどいい価格で美味しい魚介をいただくことができた。味噌汁や漬物など他についてきた料理も美味しく、隣に誰もいないカウンター席で一人舌鼓を打った。落ち着いた居心地のよい空間で日本海の魚を楽しんで会計をした後、階段を上ろうとした時に、店内の生け簀に気がついた。こうやって鮮度が保たれているのだなあ。全国の居酒屋を多くは知らないので日本一なのかどうかは判断しかねるが、また訪れたいと思うようないい店ではあった。

 

 

 益田駅に戻ると、山陽側へ向かうために山口線に乗り、終点の新山口から更に宇部線に乗って宇部新川に着いた。この日はここに泊まった。宇部に着いた頃には深夜であった。

 

 宇部新川駅宇部市の中心であるとともに、宇部線及び小野田線の中では大きな駅である。厳密には小野田線は隣駅の居能駅からであるが、運行系統上は宇部新川から出発する。そこから小野田線に乗って終点の小野田駅まで行き、山陽本線に乗って、山陽本線美祢線山陽新幹線の3路線が通る厚狭駅まで行った。そこから更に美祢線へと短距離で乗換を繰り返して、ようやく美祢駅に着いた

 美祢駅からバスに乗って向かったのは秋芳洞秋芳洞は日本有数の鍾乳洞で、その上には地理の教科書にも載っているように日本最大のカルスト台地秋吉台が広がる。バス停から秋芳洞の入口まで土産物屋の並ぶ細い通りを歩いて、秋吉台ジオパークの一部を構成する巨大な鍾乳洞へと入っていった。

 

 

 

 秋芳洞の中は、広いのはもちろん、様々な形をした鍾乳石が複雑な地形をなしており、棚田のようになっていたり、特徴的な形のために色々なものに喩えた名前のつけられた石があったりと、見所が多すぎて書き切れないほどである。観光用に公開されているエリアの真ん中くらいに、上の秋吉台展望台に行けるエレベーターがあるが、まずは鍾乳洞の立ち入れる範囲での一番奥まで行ってみることにした。

 

 

 

 

 最奥まで行くとそこには別の出口があったが、ここから出ても正面入口やバス停に戻れず、秋吉台を見るのも難しいということで、鍾乳洞内を引き返してエレベーターのところまで戻ってきた。エレベーターは80mもあるらしく、上まで行ってエレベーターを降りて地上に出た後も、更に坂道が続いていた。急勾配の坂をしばらく歩いてようやく展望台に辿り着くと、そこからはごつごつとした岩が突き出しドリーネが形成されている広大なカルスト台地を見ることができた。それは遠くの方までずっと続いていて、見渡す限りそんな様子であった。円形の展望台の建物の上から、そして地上の一番前まで行ったところから、色んな角度からその景観を観察した。自然が悠久の時を経て作り出す地形というのは本当に感嘆するしかない。

 

 

 

 

 一通り見終えると、またエレベーターに乗って秋芳洞に戻り、そのままバス停まで引き返して、バスで美祢駅に戻った。そこからは長い時間をかけ、途中岩徳線を乗り潰したりしながら広島駅まで駆け抜けた。もう時間はすっかり夜である。駅ビルのエキエに入って、夕食をとることにした。

 向かったのは広島つけ麺の店。広島つけ麺とは中華麺と一緒にキャベツなどが盛られていて、たれはラー油などで辛くした広島のご当地ラーメンならぬご当地つけ麺である。つけだれの辛さは選ぶことができ、店内にはそこまで書いてないが100倍もあるそうなのでそれを注文すると普通にオーダーが通った。しばらくして着丼すると、ラー油と胡麻が大量に浮いた赤いつけだれに食欲をそそられ、つけ麺を食べていく。流石に100倍ということもあって辛くはあるのだが、元が普通の唐辛子やラー油なのでそれをいくら入れても限りがあるようで、ピリ辛くらいの感覚で食べ進めることができた。追加で麺を注文し、少食の私にしては珍しくかなりの量を完食して、会計を済ませた。

 

 

 

 広島市内の観光は昔したことがあるので、つけ麺を食べただけで去って更に東進し、三原駅で降りた。ここに泊まるのには理由があったが、すぐに後述するように結局は無意味な移動となってしまった。ともかくその日は三原に泊まった。

 

 予定では大崎下島に行くつもりで三原に滞在していた。三原駅呉線の起点であり、途中の竹原で降りて竹原港まで歩いて大崎下島行の船に乗るはずだった。しかし、乗る予定だった時間の呉線に乗り損ねて、この日の予定が一気に潰れた。というのは、大崎下島の中でも重要伝統的建造物群保存地区に指定されており、また『たまゆら』というアニメにも登場する御手洗地区に停泊する便が少なすぎる上に、御手洗から歩けるところの大長に停泊する便を含めてもやはり便数が少なくてめちゃくちゃ時間が空いてしまうからである。やはり離島や山奥などアクセスの難しい場所へ行くのは、少しでも時間が狂うと一気に破綻してしまう。私は三原駅でしばらく立ち尽くしていた。

結局、その日広島県内で行きたい場所が大して思い浮かばなかったので、乗り潰しをすることにした。三原まで行った甲斐なく広島駅まで戻り、芸備線の快速みよしライナーで三次まで行き、福塩線に乗り換えて、府中で乗り継ぎをした後、終点の福山に着いた。

 

 

 福山には行きたい場所があった。福山の中心からずっと南へ行ったところにある、伝統的な街並みの残る港町・鞆の浦である。そこまで行くバスとの乗り継ぎが悪かったのでしばらく福山駅前をうろうろして時間を潰した後、バスに乗って鞆の浦に着いた。

 

 

 バス停からしばらく海沿いの道を歩いていくと、伝統的な日本家屋の並ぶエリアに入った。海沿いには鞆の浦のシンボルである常夜灯があり、多くの漁船が停泊していて、瀬戸内海が日光を照り返し輝いて見える。一方で一本筋を入ると隘路が入り組んでおり、所狭しと木造家屋が立ち並ぶ古い街並みがあった。それら伝統的な家屋の他に、寺も多くあり、かつては城もあったようで、少し階段や坂を上った小高い丘には鞆城跡の石垣が残っている。それらを自由気儘に歩き回り、日が傾いてきた頃にバスに乗って福山駅まで戻った。

 

 

 

 

 

 

 夜の福山の繁華街に入って、尾道ラーメンの店に入った。尾道ラーメンは当然尾道のご当地ラーメンであるが、尾道の隣の市であって備後で一番栄えている福山にも店舗が多い。醤油ベースのスープに背脂が浮かんでおり、麺は細麺だった。ずっと前に尾道でラーメンを食べた時より美味しく感じたので、尾道では自分好みの店に入れず福山では当たりの店に入れたのだろう。スープまで飲み切って店を出ると、商店街を抜けて少し駅から離れたネカフェに行って、時間が余ったのでゆっくりと一夜を過ごした。

 

 

 

 次の日が4日連続で使えるこのきっぷの最終日である。この日は元から大して観光する予定などなく、乗り潰しをしながら大阪に帰るつもりだった。ところが、乗る予定だった福塩線の時間に間に合わず、次に府中より北に行く列車を待っていては大阪まで帰り着かないので、山陽本線で広島まで行き、芸備線で三次に着いた。前日から同じ路線を行ったり来たりして非常に無駄な時間を過ごした気分になった。

 三次から備後落合に行く列車まで乗り継ぎ待ちがかなり長いので、昼食に広島風お好み焼きを食べることにした。三次では麺に唐辛子を練り込んだ唐麺を使ったお好み焼きが名物のようだったのでそれを注文して食べた。実際、私が辛さに強く舌が鈍感になっているせいか麺の辛みは感じなかったが、お好み焼き自体は美味しく、三次の味かどうかわかりかねたのが悔しいものの広島の味を感じることができた。

 

 

 

 ここからはひたすら芸備線姫新線を乗り継いで、内陸の中国山地を突っ切っていくルートで帰った。途中の備後落合には雪が残っており、実際、備後落合から松江市内の宍道に至る木次線の方は雪の影響で運休していた。木次線もいつかは乗りたいと思いながら芸備線で新見まで行き、ここから姫新線となって、津山で乗り継ぎ、佐用まで行った。

 

 

 ここで初めて、このきっぷと18きっぷの最大の相違点と言ってもいい特権を行使した。智頭急行に乗ってショートカットするのである。佐用姫新線智頭急行線の2路線が乗り入れる駅であり、そこから智頭急行に数駅だけ乗り、終点の上郡に行くと、ここからは山陽本線に乗ることができる。実はここで智頭急行に乗れなければその日中に大阪に着けないところだったので、この仕様は非常に助かった。

 

 

 そして山陽本線で姫路まで行くと、いつもの新快速が待ち受けており、ハプニングの多かった今回の旅を何とか丸く収めて、楽しかった余韻に浸りながらクロスシートに座った。

箱根・伊豆旅行

 昔、確かに伊豆急と南伊豆のバス路線が2日間乗り放題になるフリーきっぷがあったはずなのだが、先延ばしにしていたらいつの間にか廃止されてしまっていた。同じく先延ばしにしていた著名な観光地として、箱根があった。2ヶ所とも、東京から行きやすく、かつJR沿線ではないので18きっぷで行けないという点で共通しており、このままでは一生先延ばしにしてしまう気がしたので、18きっぷのシーズンではない時に、普通運賃であっても行こうと重い腰を上げたのであった。

 小田急の急行に乗って、まずは小田原まで。小田原駅は箱根観光の拠点として複数の路線が乗り入れており、駅の近くには小田原城などの観光地があるが、小田原駅周辺の観光は以前にしたことがあるので今回の旅では割愛し、小田急のホームから繋がっている箱根登山鉄道のホームへと向かう。

 

 

 箱根登山鉄道小田急グループの鉄道会社なので、駅名標やら車両やらも小田急に似ているし、小田急の特急ロマンスカー箱根湯本駅まで直通することもある。小田原〜強羅までの路線だが、運転系統としては箱根湯本で一旦途切れているといった感じだ。私はまず箱根湯本まで行って、周辺を散策することにした。

 

 

 箱根湯本駅は流石有名観光地と言うべき立派な駅舎で、駅前の商店街も栄えており多くの観光客が行き交っている。とりあえず私も商店街を往復して湯本の街並みを楽しんだ。その後、駅からすぐ近くのところにある温泉に向かって坂を上っていった。

 

 

 公衆浴場らしく簡素な造りで、入浴料を払うと細い道を通って脱衣所で服を脱ぐ。温泉にはたまたまその時先客がおらず、しばらく一人でゆったり浸かることができた。浴場はごつごつとした岩に囲まれていてそこそこの面積があり、後から人が入ってきてもまだまだスペースにはかなり余裕がある感じであった。いつかは旅館の温泉にも入って泊まってみたいものだが、私はこういうレトロな香りの漂う公衆浴場もかなり気に入っている。

 温泉を後にすると、続けて箱根登山鉄道で更に箱根の奥へと進んでいく。終点は強羅駅で、ロープウェイと繋がっているので一応乗換駅のようなものだ。箱根湯本には及ばないが多少は土産物屋などがあり、ロープウェイに乗り換えるのであろう観光客も多くいた。

 

 

 しかし、私はロープウェイには乗らなかった。というのは、実はバスに乗った方が運賃が安く、金欠の私はなるべく出費を抑えたかったから、という何とも情けない理由である。バスはロープウェイの終点と同じく桃源台に向かって走っていく。やがて到着し、バスを降りると、目の前には箱根駅伝の折り返しポイントとしても有名な芦ノ湖が広がっていた。

 

 

 

 芦ノ湖周辺にはさほど人はいなかったので、のんびりと湖畔を歩く。スワンボートなども多く繋留されていたが、実際に乗っている人は見当たらなかった。少し寂しいが、落ち着く散歩道だった。

 芦ノ湖からバスに乗って、今度は標高が低い方へと向かっていく。降りたバス停は、箱根観光では外せない大涌谷である。こちらは多くの観光客で賑わっていたが、恐らくほとんどは強羅からロープウェイで訪れた客で、私のようにバスで来た人はほぼいないだろう。

 

 

 

 大涌谷から湧き出る蒸気は一目見る価値のある壮大さを誇っており、見入っている観光客が多くいた。私もその壮大な自然の営みに目を奪われて、しばらく眺めながら写真に収めた。すぐそばには黒たまごを始めとした様々な土産を売っている施設があり、そちらも物色はしてみたものの、お財布事情が気になって結局何も買うことはなかった。最後、バス停に戻る道で、晴れ渡る青空を背景としてはっきりと富士山が大きく見えた。

 

 

 

 再びバスに乗って、次は彫刻の森美術館へと向かう。近くのバス停を降りて少し歩くと、それはあった。事前に買っていたウェブチケットを見せてスムーズに中に入ると、いきなり美しい彫刻が現れた。全体的に現代アートの多い美術館で、恥ずかしながら美術に昏く作者を知らない場合も多いのだが、流石にブールデルくらいは知っていた。

 

 

 そこから公園のようになっている施設内を歩いていくのだが、その所々に様々なコンセプトの現代アートがあり、錯覚を起こさせるようなものもあった。その中でも、やはりステンドグラスの敷き詰められた壁面を螺旋階段を上りながら鑑賞することができる塔は美しく、私を含む素人でもかなり心躍るものがあった。

 

 

 

 その先にはピカソ館があり、ピカソの様々な作品が展示されていた。そこは屋外の吹き曝しの彫刻群とは違い、建物の中に絵画が展示されている、美術館と聞いてイメージするような空間そのものである。撮影は禁止されていたので屋外の彫刻のように写真として残せるわけではないが、その長い生涯の中で様々に画風を変えながら20世紀の美術界を牽引してきた偉大な画家の作品群は大変よいものであった。

 

 

 その後も、また別の道を通りながら、屋外の現代アートを見て回った。閉館ぎりぎりの時間までじっくり鑑賞して、美術館を出た。最寄駅まで行って、箱根登山鉄道小田原駅まで帰る。箱根観光はこれで終わりなのだが、もう一つだけ寄りたいところがあった。それはご当地ラーメンの一つである小田原ラーメンである。

 宿泊地の都合もあり、JR東海道本線の上り方面へ一駅、鴨宮駅で下車する。ここから少し歩いて、小田原ラーメンで有名なラーメン屋に辿り着く。小田原系ラーメンは豚骨醤油のスープで、私が注文したものは葱がたくさんトッピングされたものである。普段は味が濃く脂っこいものの方が好きな私だが、時々こういう優しい味のラーメンも食べたくなるものである。

 

 

 ラーメンを食べ終わると、そのまま鴨宮駅近くに宿泊して、1日目は幕を閉じた。

 

 鴨宮で一夜を明かすと、東海道本線に乗って熱海まで行き、伊東線伊豆急行線伊豆半島をどんどん南下していく。伊豆急は今度は東急グループの会社だが、箱根登山鉄道の場合と違って東急の路線とはまるで繋がっていない。たまたま観光列車がやってきて、窓側に向かって座れる座席があり、途中、海岸沿いを走る列車が相模灘を何度も見せてくれた。

 

 

 

 終点の伊豆急下田駅は改札に入口と出口があって、その二つは別々になっている変わった駅であった。到着はまだ朝で、昼食には早い時間だったので、とりあえずペリーロードの方へと歩いていった。下田は江戸末期、鎖国が終わって初めて開港された地であり、ペリーが来航した地点から、日米和親条約の付録である下田条約が結ばれた了仙寺までの細い川沿いの道がペリーロードである。近づくにつれ少しずつ古風な建築が見られるようになり、期待が高まっていった。

 ペリーロードに着くと、そこにはやや小規模ながら水路の両岸に古風な建築が軒を連ねており、シダレヤナギが映える小洒落た道が伸びていた。その道を奥の方まで歩いていくと、ペリーロードは左に曲がっており、その先には港とペリー艦隊来航記念碑があった。ペリーの胸像は、日本史の教科書に載っているような容姿そのもので、この地が歴史の大きな転換点になったことを今に伝えている。

 

 

 

 

 最後に軽く了仙寺を見学して、駅の方へと歩き始めた。そろそろ飲食店が昼営業を始める頃であろう。下田名物である金目鯛を食べたいと思い、海鮮の食堂の暖簾をくぐる。金目鯛を含む種々の刺身の乗った海鮮丼に味噌汁やエビフライなどがついてくる定食をオーダーした。下田の鯛は新鮮で普段食べるものより当然美味しく、定食全体としてもボリュームがあって、満ち足りた気持ちで店を出た。

 

 

 伊豆急下田駅の入口の方の改札を通って列車に乗ると、今度は普通の車両だったが、伊東線内を直通する熱海行であった。そのまままた端から端まで乗って、数時間ぶりに熱海に戻ってきた。

 次は三島へ行きたいと思っていたのだが、わざと一旦熱海で改札を通って外に出た。これは鉄道で旅をする人ならよく知っていることであろうが、JR同士でも複数の会社の路線に跨ってしまうと、交通系ICでは自動改札で弾かれてしまうためである。今回で言えば、熱海駅JR東日本JR東海の境界駅であり、JR東日本伊東駅からJRに入ってJR東海三島駅で降りようとするとややこしいことになる可能性があった。というわけで改めて熱海駅の改札を通って、JR東海東海道本線に乗って三島に向かった。余談だが、この問題はあくまで交通系ICの話であり、普通のきっぷや18きっぷなどの場合は気にする必要はない。

 三島駅熱海駅と同じく東海道新幹線の停車駅でもあり、大きな駅で、駅前も栄えている。駅の近くに楽寿園という庭園があるのでそこに向かう。楽寿園は本来は有料施設だが、無料で入れる条件が色々あり、私の場合は学生証を提示することで無料で入れてもらえた。なんと学生に優しい施設であろうか。数百円のこととはいえやはり得をすると嬉しいのが庶民感情である。

 楽寿園は池泉回遊式庭園を中心としながらも、一部で動物が飼われていたり蒸気機関車が置いてあったりと独特な施設である。当初はこの後に伊豆箱根鉄道駿豆線修善寺まで行こうかと考えていたのだが、微妙に時間が狂い、開門しているうちに訪れられなくなったので、逆に時間が余り、楽寿園をじっくり回って楽しむことができた。

 

 

 

 その後は、もう少し駅から離れたところにある三嶋大社を訪れた。これまた庭園も美しい立派な神社であり、鳥居に一礼して参拝した。私が願うことはシンプルで、それはただ心の平穏のみである。常に穏やかな気持ちで趣味などを楽しめるような環境を構築するため、これまでも多くの神社でそれを願ってきた。

 

 

 

 三島駅周辺の観光を終えて駅前に戻ってくると、最後にコンビニでみしまコロッケを一つ買った。みしまコロッケは箱根西麓の三島馬鈴薯で作られたらしいコロッケで、町おこしの一環として生まれたものであるらしい。寒風の吹く駅前のベンチで、冷めないうちにコロッケを食べた。

 

 

 三島に別れを告げ、会社跨ぎの問題を解消すべく普通のきっぷを買って、小田原まで戻った。JRから小田急に乗り換えると、急行列車が新宿を目指して走り始めた。

会津・上越旅行

 冬になると雪を見たくなる。私は雪の降らない土地で育ったので、雪が積もったことが滅多にないし、積もっても数cmもあるかどうかですぐ溶けてしまうものだった。雪だるまを作れるほどの雪は私の生活圏では経験したことがない。それで冬の18きっぷは降雪量の多い東北や日本海側に行きたくなる。

 当初の旅程では、会津の観光をした後、只見線に乗って新潟県入りし、そのまま上越方面まで行こうというものであった。しかしこれは後述する大雪のせいで叶わなかった。そのため、まとまった一つの旅行かのように一つの記事に書いているが、実は不幸にも分割されてしまった二つの小旅行の話になる。

 さて、会津を観光するのにまずは移動拠点となる会津若松駅まで向かうのだが、どうやら会津若松まで着いた後に会津の山奥の方まで観光して戻ってくるという行程を一日に収めるのは無理があるようだ。初日は、退屈だが会津若松への前日入りということで、のんびり東北本線を北上していく。

 この日は特に観光らしい観光をしないので逆に時間は余っており、乗り潰しのために烏山線に乗ったりしてみた。烏山を観光すればよかったのかもしれないが、この日は出発が遅かったのもあり、それをすると今度は時間がなくなるというジレンマに陥り、結局はすぐにそのまま折り返した。

 引き続き北上して黒磯まで着くと、乗継に時間があったので少し駅前を散歩した。旅をするときは地元のスーパーなどを見ると地域性・文化がわかったりお土産が安く買えたりするので、特に何も買わずスーパーをうろうろしたりしていた。駅前にある図書館は非常におしゃれで内装も美しい場所で、市立の図書館というよりも蔦屋書店のような落ち着いていながらも襟を正したくなるような高級感を提供していた。

 

 

 この先は私のように鉄道旅をする人にとってはきっと煩わしいであろう白河越えである。もう何度もやらされた、新白河での同一ホーム上の前後移動による乗継をして、郡山に着いた。

 

 

 郡山は東北で二番目の経済規模を誇る都市であるが、仙台一強で人口50万前後の中規模都市がない東北での序列というところが悲しい。それでも駅ビルや百貨店もあり、高層ビルもあり、商店街も人はいて、決して寂れているといった様子ではない。

 駅前はイルミネーションで飾られ冬らしい装いで、更に小ぶりなステージも用意されていた。何かバンドのミニライブでもするのだろうか。私が見た時は、誰も登壇していないにもかかわらず、ステージには人が群がっていた。

 

 

 郡山ではもう日が暮れていたので、何か夕飯を食べようとご当地の名物グルメを検索してみるも、あまりその日の気分に合う料理がなく、結局まぜそばの店に入った。店内は小洒落ており、まぜそばを頼むと、待ち時間に温かいスープを提供してくれた。寒い冬の東北では特にありがたいサービスで感激した。やがて着丼したまぜそばは魚介系でしっかりと味があり、チャーシューも分厚く美味しかった。郡山にこんないい店があったのかと満たされた気分で店を後にして、磐越西線に乗りに行った。この日は郡山で麺を食べただけの日となった。

 

 

 会津若松駅に着くと、只見線の開通を祝う階段アートなどがあり、翌日只見線に乗るのが楽しみになった(しかし結局、翌日には大雪で只見線は運休することになるのだが……)。会津若松駅周辺の観光は以前にしたことがあるので、今回は会津鉄道の起点になる西若松駅まで行ってそこで降りた。実はここで只見線に乗っているが、あまりに短い区間しか乗っていないので乗った気はせず、実はまったく乗れなかったわけではないという事実をつい忘れてしまう。

 そこからは宿泊地まで真っ直ぐ歩いていった。雪は多少積もっていたが、気になるほどではなかった。しかし、今思えば磐越西線の途中で酷く雪の降っている場所があったので、その時点で翌日の大雪もさもありなんといった感じであったのかもしれない。次の日に大雪に振り回されるとも知らず、この日は本当に何も観光しないまま就寝した。

 

 翌日は大雪であった。まだ踏み固められていない柔らかい雪道の上を歩いて西若松駅に向かった。駅に着くと、改札前に運休情報があり、只見線は運休とのことであった。新潟に行く方法は他にもあったが、只見線で終点の小出まで行けない時点で旅程が完全に破綻したのでへこんだ。しかし、幸い会津鉄道の方は動いていたので、それに乗って会津の山奥へと向かう。こちらは旅程通りに行動することができた。

 

 

 かわいらしいラッピングが施された車両に乗って南下していき、湯野上温泉駅で降りる。この駅がまた趣深く、外観は木造で屋根の勾配が急な雪国らしい建築で、中の待合室には囲炉裏まで存在して暖をとれるようになっていた。土産屋も併設されていた。

 

 

 

 駅から少し歩いたところに駐車場があって、そこにバスが停まっていた。このバスは湯野上温泉駅と大内宿の間を走るバスである。大内宿こそが今回の旅のメインとも言ってよく、雪国の古い街並みが化粧をした絶景を期待しながらバスに乗り込んだ。

 一面雪で覆われた何もない道をしばらく走ると、やがて宿場から少しだけ離れた場所にあるバス停で降ろされる。会津盆地以上に雪は激しく、新雪に足が埋まってしまう。そんな中で少し歩けば宿場の入口があり、そこを通り抜けて曲がると、少し晴れ間を覗かせた空の下、概念としての冬とでも言うべき光景が広がっていた。

 

 

 大通りがあってその両側に茅葺屋根の木造家屋が立ち並んでおり、郷土料理など様々な飲食店もあったりした。とりあえずはその景色を見回しながら奥の方へと歩いていく。雪はいつの間にか止んでいたが、風が吹くと屋根に積もった雪が巻き上げられ、さながら吹雪のように流されたり舞い上がったりしていた。白川郷五箇山などもそうだが、こういう土地で生きていくのはさぞ大変だろうと余所者の傲慢で月並みな感想が浮かんだ。

 

 

 道の終わり辺りまで行くと、階段と坂とがあって、そのどちらかを使って上に行くと、子安観音堂と見晴らし台があるが、階段はただでさえ急な上に雪が積もって滑りやすくなっている状態なので、細心の注意を払って慎重に上った。階段が怖いという声も周りから聞こえてきた。

 

 

 上まで行くと、観音堂に一礼し、横の空き地に行った。そこから下を見ると、木々の間にいい感じに大内宿の大部分が収まる形で先程歩いてきた街並みが見えた。上から見た銀世界は筆舌に尽くし難い美しさであり、数ある宿場町の街並みの中でも大内宿がとりわけ人気な場所の一つであることも頷ける。それは秘境に存在する豪雪地帯を描いた絵画のようであった。

 

 

 

 一頻りその景色を堪能すると、階段を下り、来た道を引き返していく。到着時は朝早くまだ開店していない店も多かったが、この頃になると開店し始めていたので、大内宿名物であるねぎそばを食べるために店の引き戸を開けた。

 中は畳の座敷になっており、適当な席に座ると、ねぎそばをオーダーした。到着したのは、情報としては知っていてもなお驚くほど長い白葱が一本そのまま蕎麦の器に凭れかかっているインパクトのある料理であった。伝統的にはその葱で蕎麦を掬って食べるようなのだが、一本しかない葱になかなかうまく蕎麦が引っかからない。周りの客も、試しに一口だけ挑戦してみて後は普通に箸で食べていたので、私もそれに倣った。

 

 

 葱は箸代わりでありながらそれ自体も食べるものなので、葱を豪快に齧りながら蕎麦を啜るが、流石に生の葱だけをそのまま齧ると辛くて食べにくい。持ち帰りもできるらしいのでそうしようか少し迷ったが、しかしこの空間で食べてこそ価値のあるものだと思ったので、蕎麦だけでなく葱もしっかり完食した。ただ、正直葱は食べにくいので、次に来ることがあれば普通の蕎麦の方を頼もうと思った。

 蕎麦屋でゆったり暖をとった後外に出ると、湯野上温泉駅に向かうバスの発車時刻が近づいていたので、初めのバス停があった場所まで戻ってバスに乗り、湯野上温泉駅に到着。ここから会津若松まで行く列車は来るにはまだ時間があり、寒い中多くの人が駅の待合室で待機していた。寒さに数十分ほど震えていると、ようやく列車が来て、会津線から只見線に直通して終点の会津若松駅まで乗った。

 

 

 さて、ここからどうやって新潟方面に向かおうかと思案し、只見線ルート以外に磐越西線ルート、かなり遠回りして米坂線ルートなども考えたが、結局どこも運休で、東京まで帰るルートさえ怪しいくらいの状況になってきた。よって、郡山まで戻って、比較的降雪量が少なくちゃんと動いている東北本線に乗って東京まで帰ることとなった。冬の18きっぷ旅ではこういうことはよくある。冬らしい雪景色を見たいが雪が降りすぎても鉄道が運休して困るというジレンマを抱えて、天候に翻弄される旅人側の敗北となった。

 

 後日、リベンジということで直江津に向かうことにした。直江津はJR信越本線えちごトキめき鉄道日本海ひすいライン妙高はねうまラインの3路線が通る交通の要衝となっている。かつてはすべてJRだったものが、北陸新幹線の開業によって三セク化されたためにこのような状況になっている。また、かつてはJR東日本JR西日本の境界駅でもあったため、文化的にも直江津を境に東西に分かれるところがあるのではないだろうか。いや、直江津くらいだとまだまだ東の雰囲気があると思うが。

 直江津までJRで行くなら高崎から上越線で長岡(正確には隣の宮内)まで行った後信越本線直江津に向かうというルートになるが、この日も上越線が一部運休しており長岡には行けないようになっていた。仕方がないので18きっぷだけで直江津に行くことを諦め、六日町〜犀潟に路線を持つ北越急行ほくほく線に乗ることにした。こちらの方が距離的にもショートカットできるし、ちょうどタイミングよく超快速スノーラビットに乗ることができたので速達性はJR縛りよりも遥かに高かった。北越急行内は18きっぷで乗降することも通過することもできないので、その分のきっぷは六日町で購入した。そのきっぷと18きっぷを両方見せて直江津駅の改札を出た。雪でどこもかしこも交通が麻痺している中、よくもまあここまで辿り着けたものである。

 

 

 直江津のあたりは海側で、会津のような山の中と比べれば雪はまだましだったようだ。それでもそれなりには雪が積もっていたが、除雪は済んで車道には雪がない。問題は、除雪車は雪を歩道寄りに集めるので、歩行者は普通に雪の上を歩いていかないという点であるが……。駅に近い一部の通りには雁木造の建物が連なっていて、そこは雪もなく歩きやすいのでなるべくその下を通りながら水族館まで歩いていった。

 

 

 

 雪の絨毯の向こうにある一階部分がガラス張りでおしゃれな建物は上越市立水族博物館うみがたりである。うみがたりは大きすぎず小さすぎずちょうどいい大きさの水族館だと思う。入館すると、3階に行くよう案内される。上層階から下っていきつつ魚類などを観察する形式の水族館である。順路が上の階から下の階へと向かうようになっているタイプの水族館や博物館などは時々見かけるが、やはり鑑賞を終えた時に出入口と同じ階にいる方がスムーズという理由なのだろうか。

 3階に行くと、まずクリスマスツリーが飾ってあって、そういえばそんな時期だったなあなどと思ったりしながら順路を進んでいく。日本海沿いの新潟らしく基本的に日本海の生物の水槽と地理的解説などを見ていく。少し暗めの空間の先には大量の魚が群れをなして動いている大水槽が見える。マイワシのダイナミックな運動と、のんびり泳いでいる様々な魚が見られ、下の階に行ってもまた別の角度から見られるので、十分なスケールで日本海の様子を再現できているのだろうと思う。下の階の他の小さな水槽にはそれぞれまた別の生物が展示されていて、その先には照明を落とした暗い水槽の中を泳ぐ深海魚のコーナーがある。最後の方にはゴマフアザラシの泳ぐ水槽やイルカの泳ぐ水槽などがあって、イルカショーもやっているようだったが、タイミングが合わなかったのでそれは見送った。

 

 

 

 

 

 

 明るい空間に出ると、マゼランペンギンの展示があるはずなのだが、鳥インフルエンザの影響で展示を中止しており残念ながらお目にかかることはできなかった。ニシキゴイが泳いでいて餌やりもできる池に行くと、餌がなくても大量の鯉が群がってきた。水族館や動物園の餌やり体験ができるコーナーで必ず見られるように、人間を認識すると餌をくれると思うのだろう。私は餌をやらずにそこを去って、ミュージアムショップに入って軽く物色し、うみがたりを出た。私は懐が寂しいので入館料を払うので精一杯だ。

 

 

 

 直江津駅に戻ると、駅にも小さな水槽があって魚が展示されていることに気づいた。水族館で有名な場所の駅にはいくつかこういう駅があるが、安房鴨川駅など撤去された駅もあるので、維持するのはそれなりに大変そうだ。

 

 

 さて、次は高田城を見に行くべく妙高はねうまラインに乗る。高田までは2駅しかないから到着はすぐである。しかし高田で降りると、駅舎は黒い屋根瓦の立派なもので、雁木造の商店街も存在していて、まるで別の町に来たみたいだった。というのは、直江津と高田は今でこそ合併して同じ上越市になっているが、元は別の町で、直江津は港町として、高田は城下町としてそれぞれ発展したからである。

 

 

 高田城は天守はないが、三重櫓がある。東日本では徳川家に遠慮して天守を建てず、三重櫓などを天守代わりとして使っていた城が多く、高田城もその一つである。現存天守にしろ復興天守にしろ、天守のある城跡は西日本に多い。また、高田城には石垣もなく、縄張りは堀に水が張られているだけで、後は土と芝生の土台しかない。城内には学校や陸上競技場などもあるようだった。

 

 

 雪に覆われた斜面の上に三重櫓が建っている。天守ではないというだけで十分立派な建築である。中は大抵の城がそうであるように城にまつわる歴史の展示があって、最上階は展望台になっている。さほど広くないので軽く展示を見て、展望台から城内を眺めて、外に出た。城内に入った時とは別の、部分的に雪が積もった橋を渡って、駅の方へ戻った。

 

 

 直江津方面の列車に乗るのだが、ネカフェがあるのが直江津と高田の間あたりで春日山駅が近かったのでそこで降りる。港町に来たら魚が食べたくなるので、寿司の店に入って、12貫の寿司に味噌汁のついたセットとハイボールを注文し、寿司に舌鼓を打ちながら軽く一杯ハイボールを呷った。普通に単品の2貫の寿司もあるので最後にそれをちょっと注文して食べてから店を後にした。コンビニでたまたま見つけた新潟限定の缶ビールを限定の文字に釣られて買って、それをネカフェで飲みながらこの日の旅程は終わった。

 

 

 

 

 翌日、直江津駅に着くと、今度は日本海ひすいラインに乗って糸魚川に向かった。この路線もJRではないので18きっぷは使えず、普通のきっぷを購入。糸魚川に着くと、雨が降ったり止んだりの不安定な天気で、私はなるべく雁木の下を歩いた。雪は積もっていなかった。

 

 

 駅からさほど遠くないところにもう日本海があり、小さな展望台も設置されていた。雨も風も強く傘を持っていても大変だったが、展望台には屋根があって雨を凌ぎながら、どんよりした日本海テトラポッドを見ていた。晴れの日ならもっと綺麗に見えるのだろう。天気を操作する異能を習得したいと常々思う。

 

 

 

 展望台を下りて駅の方に向かって歩き始めるが、せっかくなのでご当地B級グルメを食べようと思って、昼食には少し早い時間に中華の店に入った。注文したのは糸魚川ブラック焼きそば。いかすみで真っ黒な焼きそばの上に玉子が被せられていて、そこにマヨネーズがかけられている。いかすみと言えば石垣島でも真っ黒なチャーハンを食べたことがあったが、糸魚川イカがよく取れるらしい。焼きそばにはしっかりといかすみの味があって非常に美味しかったし、いかすみ自体日常的には食べないので珍しいものを食べた満足感もあった。

 

 

 黒くなっているであろう口の中のことを少し気にしながら糸魚川駅に戻ると、次はバスに乗る。バスは駅から山側に向かって走っていき、小高いところにあるフォッサマグナミュージアムで降りた。この頃には雨は止んでいて、青空も見えたが、館内に入れば恩恵もないのでやはり展望台で晴れの海を見たかったなあ、とかぼんやり思う。

 

 

 フォッサマグナは地理の授業などで習って知っている人も多いであろうが、日本列島を東西に分割するようにして存在している地溝帯である。その中でも、特に西端の境界線にあたる糸魚川静岡構造線は文化的にも東西に分ける基準の一つとして言及されることも多い。実際、直江津や同じ上越市上越妙高駅JR東日本が持っているが、上越妙高を境界として北陸新幹線JR東日本から西日本に切り替わり、その隣駅の糸魚川も西日本の駅である。

 館内の展示はとにかく翡翠が多い。翡翠糸魚川あたりでよく見つかるようで、大小様々な翡翠が大量に展示されていた。他にも種々の化石やカラフルな鉱物が多く展示されており、『恋する小惑星』(小惑星はアステロイドと読む)という地学をテーマにしたアニメで博物館に鉱物を見に行く回を思い出したりした(面白いアニメなのでぜひ見てほしい)。

 

 

 

 

 

 

 展示を見終えて出入口の方に向かう時に、クリスマスツリーが何個か置かれていることに今更気づいて、これらが置いてあるのはこの時期だけかと思うと少しラッキーな気もした。

 ミュージアムの近くには長者ケ原考古館という小さな博物館があり、縄文時代の土器など様々な当時の生活用品が展示されていた。この場所になぜこのような施設があるかというと、どうもこのあたりが縄文時代の遺跡であるらしいことに気づいた。帰りのバスの時間に間に合うように歩速を上げて林の中を通ると、その先には一面を雪で覆われた竪穴式住居があった。どこにも足跡がなく誰か来た形跡もないような地味な場所だったが、私だけの靴底のスタンプを残しながら、建物の中も少し覗き見た。しかしバスの時間が近づいておりもうあまりゆっくりできない状況だったので、また早歩きでバス停まで戻り、何とか間に合って糸魚川駅に戻ることができた。

 

 

 

 

 糸魚川駅前にもヒスイ王国館という建物があり、巨大な翡翠が置いてあったりお土産売られたりしていた。ここにもクリスマスツリーがあり、かなり背が高かった。そこで適当に物色して時間を潰してホームに行くと、大糸線南小谷行の列車が停まっている。大糸線は松本〜糸魚川を結ぶ路線で、一部は篠ノ井線中央本線にまで直通する。ここからはJRだけを使って東京に帰るので、18きっぷ以上の運賃は必要ない。夕方の糸魚川を背に、列車は長野の山間部へと走り出した。

 

 

サンキューちばフリーパス旅行

 半年以上このブログを更新していなかったので、久しぶりの更新となる。久々の記事なので、もうとっくに販売終了したきっぷを使った、少し昔の旅の記録から執筆を再開しようと思う。去年の秋に発売されていた、千葉県内のJRと一部ローカル私鉄及び東京湾フェリーに乗ることができたフリーパスで、房総半島と久里浜を訪れた。

 基本千葉県内だけで使えるきっぷなので、まずは総武線で市川まで行き、市川からタイトルにあるフリーパスを使用開始。再び総武線に乗って千葉駅まで行った後、内房線五井駅へ。ここから小湊鐵道いすみ鉄道をそれぞれ全線乗って、房総半島の外側へと向かう。

 

 

 小湊鐵道に乗って内陸の田園風景の中を走って、次第に山の中へと入っていき、養老渓谷駅で降りた。天気はあまりよくはなかったが、山に囲まれた遠景と風情のある屋根瓦の駅舎が織りなす幽遠な雰囲気にはそれなりに適していたかもしれない。紅く染まる紅葉も相俟って秋らしい風景だったが、気の早い小ぶりなクリスマスツリーもあった。

 

 

 駅前で待機するバスに乗ってしばらく行くと、粟又の滝がある。バス停から遊歩道を下っていくと、比較的穏やかな流れの川があり、その上流の方に目をやると、滝にしては穏やかだがそれなりには勢いのある水流が微妙に緩やかな斜面を滑り落ちていた。滝の上の方にも行くことができて、水流に削られ複雑になった地形とそこで湾曲しながら流れていく川が見られた。周りの木々は部分的に赤や黄に染まっており、水溜りに落ち葉が溜まっているところもあった。

 

 

 

 一通り滝と紅葉を楽しんで再びバス停の方まで坂や階段を上っていったが、まだ次のバスまではかなり待ち時間があった。時間潰しにすぐそばにあったおしゃれな外観のジェラートの店に入ってみることにした。そこで食べたジェラートは非常に美味しかったが、あまり比較対象を知らないので細かい感想が言えないのが少し悔しい。

 

 

 やがてバスが来て、養老渓谷駅へと戻り、小湊鐵道を更に一駅だけ乗って、いすみ鉄道との乗換駅になる上総中野駅に到着した。上総中野は木造で更に古めかしく、ローカル線の気動車とよく合う駅舎だった。二社の車両が並び、乗客たちはいすみ鉄道へと乗り換えていく。私もその列に沿って列車に乗り込み、次はいすみ鉄道の終点の大原駅まで向かう。

 

 

 

 時間の都合上、いすみ鉄道沿線を観光することができなかったのは少し悔やまれるが、大原駅に着くと外房線に乗り換えて、安房鴨川駅へと向かった。

 

 

 安房鴨川駅に着くと、雨の中少し歩いて、駅の前のバス停へ向かった。そこからバスに乗り、鴨川シーワールドの前で降りて、地下道で道路を横断して正面入口に行く。

 

 

 鴨川シーワールドといえば日本でも有数の巨大な水族館で、特にシャチで有名である。私が訪れたのは既に夕方に差し掛かろうかというかなり遅い時間だったので、シャチのショーなどを見ることはできなかったが、ベルーガのショーは何とか見ることができた。他のコーナーも含めて広大な水族館の中を早足で回って、一通りは見ることができたかと思う。川の魚から海の魚までが水の流れに沿うように紹介されていた。シャチは、パフォーマンスをすることはないもののショー会場で泳いでいる姿を見ることはできた。

 

 

 

 

 

 鴨川シーワールドが閉館する直前に外に出たが、閉館時間と同時に出るバスは出てしまった後で、激しい雨の中、バス停の屋根の下でずっと次のバスを待っていた。数十分してバスが来ると、安房鴨川駅まで戻り、そこから木更津行の内房線に乗って終点まで。すっかり日が暮れて真っ暗な木更津駅周辺の微妙な賑わいを見て東京都市圏の果てであることを感じながら、その日宿泊するネカフェへと向かった。木更津泊である理由は、次の日に始発の久留里線に乗るためであった。

 

 翌朝、久留里線・上総亀山行の始発に乗り込んで、相変わらず優れない天気の中、再び房総半島の内陸側の山奥へと向かった。まったく、天気に関してはなかなかこちらの旅程の都合には合わせてくれないものである。地球物理の不条理を嘆いていると、上総亀山に到着したので、傘を差して列車を降り、田舎の小さな町の中を歩き始めた。一応、季節的に紅葉スポットに向かっているつもりであった。

 

 

 どんよりとした天気の中、ハイキングコースと書かれた案内板に沿って歩いていくと、亀山湖に着いた。雨で余裕がない上に、紅葉もさほど見られなかったので、正直残念な景色ではあったが、ダムの様子を観察することもできたし、久留里線の乗り潰しもできたので、ある程度目的を果たせはした。どうせなら久留里駅周辺の街並みなども見てみたいものだったが、他に行きたいところがあったので、今回は飛ばしてそのまま久留里線で木更津まで真っ直ぐ折り返した。

 

 

 

 その後は内房線で再び南下し、浜金谷駅で下車した。浜金谷駅には以前も鋸山を訪れるために降りたことがあったが、今回はまた別の目的である。初めに書いた通り、今回使用しているフリーパスでは、東京湾フェリーに乗ることができるのだった。せっかくなのでこれを活用しようというわけで、駅舎を出ると金谷港に向かい、そこからフェリーで久里浜港に向かった。久里浜は神奈川県横須賀市になるので最早千葉県ですらないが、このきっぷを最大限に利用するために外せない移動経路だと感じたのでこちらに行くことにしたのだ。

 

 

 対岸の横須賀市を目指して東京湾を横断することおよそ一時間で、久里浜港に着いた。船を降りると、雨は止んでいて、雲は多いものの少しだけ青空が顔を覗かせていた。久里浜での滞在時間ははっきり決めてはいなかったが、とりあえず海沿いを歩いて、ペリー公園を訪れた。ペリー公園にはペリー上陸記念碑としてちょっとした広場の真ん中に大きな石碑があり、その前には青銅の世界地図に航海の記録が記されたものがあった。公園の隅に建つペリー記念館は、その日はちょうど閉館していたので入ることはできなかった。これで当初予定していた久里浜観光は終わってしまった。

 

 

 

 しかし、まだ時間はかなり余っていて、その時港付近からも見えた小高い丘にあるくりはま花の国のことを思い出した。時間が余っているのだから行ってみようと思い、海沿いから内側へと歩いていった。この頃にはかなり晴れ間も見えてきていて、緑や黄の葉が生い茂り、その下には綺麗な花が咲いている坂を上っていった。辺りはさして人もおらず静かであった。

 

 

 坂を上るにつれ、上から綺麗な港町の景観を見下ろせたり、子供向けの遊具があったりと色々な景色の移り変わりを楽しめた。園内は広く、時間的にも体力的にもすべては回り切れなかったが、各地の県木が植えられているエリアに興味を持ってその辺りを鑑賞していた。紅葉しない種も多いので全体的には緑の茂る木々が多かったが、イチョウなど黄色く染まっているものもあった。エゾマツのような亜寒帯の木もあり、日本列島全体の多様な植生を凝縮した興味深いエリアであった。

 

 

 

 

 

 すっかり晴れてきた久里浜を、港へ向かって坂を下りながら折り返していく。時々立ち止まって、咲き誇る花を見物しながら花の国を出て、もう少し行くと港である。時間的にもちょうどいい感じで、再びフェリーに乗って、金谷へと戻った。

 

 

 戻った頃には金谷の方も晴れていた。海沿いから、木でできた駅名標のある駅舎、そして高架橋から見える線路の先の山々と、少しの距離でも随分と景色が変わるので、ホームまでの帰路も飽きることがない。

 

 

 

 そしてやってきた内房線で君津まで行き、ここで横須賀・総武快速線久里浜行に乗り換えた。先程まで久里浜にいたというのに、また久里浜行の快速に乗ることになるとは、首都圏の鉄道網も長距離直通運転が多く複雑なものである。こうして日の暮れた頃に市川に到着して、今回の旅でのフリーパスは役目を終え、通常運賃で東京へと帰っていった。

茨城・福島・山形旅行

 上野は東京の北の玄関口と言われるが、東京から見れば北関東・東北への玄関口でもあると思う。ここから水戸・宇都宮・高崎へと路線が伸びているからだ。厳密には常磐線の起点は日暮里、宇都宮線東北本線で起点は東京、高崎線の起点は大宮であるが、運転系統上はやはり上野中心であると思う。今回も上野が出発点だ。

 上野から常磐線に乗って水戸へ行った。水戸は宇都宮・高崎には劣るものの大きな駅だ。ここから水郡線に乗る。水郡線は水戸と郡山を結ぶ山間の路線で、2021年春に台風による損傷を修復し全線再開した。そして水郡線に乗って、上菅谷で乗り換え、まずは常陸太田駅に行った。太田支線の乗り潰しである。

 

 

 折り返して上菅谷から袋田に向かう予定だったが、水郡線が遅延して袋田駅から袋田の滝に行くバスに間に合わなくなってしまった。これは悔しかったが、仕方ない。結局、袋田で降りることはなく、そのまま水郡線で郡山まで行った。茨城観光がなしになってしまった。悔しいので、タイトルにはさも茨城も観光したかのように書いておく。

 さて、郡山から磐越東線に乗っていわきを目指す。水戸から常磐線で行けばいいものを、とんだ遠回りをしたものである。まずは小野新町行に乗って、そこで1時間くらい待ってようやくいわき行が来た。いわきに着いた頃には完全に夜だった。一日移動だけで終わってしまった。いわきのネカフェに泊まって、2日目以降の旅の成功を祈った。

 

 

 

 2日目はいわき駅から常磐線に乗って、泉駅で降りた。泉駅は小名浜地区の最寄駅であり、土日祝に限ってイオンモールいわき小名浜へ行く無料のシャトルバスが走っている。その無料シャトルバスに乗り、小名浜を目指す。シャトルバスは高速バスのような造りだった。

 

 

 イオンモールの前で降ろされると、アクアマリンふくしまに向かって歩いた。アクアマリンふくしまは大きな水族館で、多種多様な魚に加えて陸上の動物も展示されており、釣りが体験できるエリアや子供が遊べる遊具のあるエリアまであり、複合的な施設だった。

 

 

 チケットを買って順路に沿っていくと、最初は水族館ではなくわくわく里山・縄文の里に通され、ネズミやタヌキや昆虫などの展示と、滝などの写真展が開かれていた。

 

 

 その後、水族館本館に入り、最初は生命の進化を辿るエリアがあった。それからエレベーターで上に行き、福島の川と潮目の海のエリアに着いた。潮目の海というのはアクアマリンふくしまのテーマで、黒潮親潮が流れ込む潮目をイメージしたものらしい。ここでは世界でここでしか見られないというバショウカジキも展示されていた。

 

 

 

 

 その次は北の海の海獣・海鳥のエリアで、トドやアザラシ、エトピリカウミガラスへの給餌が行われていた。特にトドの給餌は迫力があった。ウミガラスはペンギンとよく間違えられるとのことだった。

 

 

 

 次はクジラの骨や捕鯨の歴史を展示するエリアがあり、化石の展示やプラスチックごみに関する展示もあった。

 

 

 その先には熱帯アジアの展示があり、熱帯雨林を模した空間の中に魚だけでなく爬虫類の展示もあった。世界で初めてヤエヤマノコギリハゼの繁殖に成功したらしい。

 

 

 その奥にはサンゴ礁の海が再現されており、カラフルな熱帯魚やチンアナゴなどが泳いでいた。やはり熱帯魚の鮮やかさには目を瞠るものがあった。

 

 

 

 段々下へと下りていって、潮目の海の下側に来た。そこには寿司屋があり、水族館の魚を見ながら寿司を食べられるようだった。これは面白い企画だと思った。潮目の海の下には三角柱の通り道があり、優雅に泳ぐ様々な魚を下からも横からも見ることができた。

 

 

 

 その奥には親潮アイスボックスというエリアがあり、北方のクジラやヤドカリやエビなどが展示されていた。知床から取ってきたものが多く、希少な種類も多いらしかった。

 

 

 アクアマリンふくしまには初繁殖認定された魚も多いらしく、たくさんの表彰を受けていた。

 

 

 ここまで来てようやく本館の常設展示は終わり、食堂やショップのある場所に着いた。その外には釣り場や遊具などがあり、展望台もあった。展望台で屋上に上がると、小名浜港一帯や太平洋、マリンタワーを臨むことができた。

 

 

 

 蛇の目ビーチという子供が水辺で遊べるエリアをぐるっと回ると入口に戻ってきた。そこには絵本すいぞくかんなる展示があり、「スイミー」に因んだクラゲや小魚がいた。それを見終わると、ようやく本館のすべての展示を見終えたことになる。思ったより長く充実した展示で、楽しむことができた。

 

 

 外に出ると、更に金魚館があって、流石に疲れてきていたが様々な模様や形態の金魚を観察した。その外では鯉の餌やりもできるようだった。

 

 

 アクアマリンふくしまを出ると、小名浜港の遊歩道沿いを歩いた。釣りをしている人が多くいた。ここで一休憩して、海を眺めていた。

 

 

 その後はお土産が売られているといういわき・ら・ら・ミュウに行って少しお土産を眺めた。この頃には乗りたい帰りのバスの時間が近づいていた。いそいそとバス停に戻り、シャトルバスで泉駅まで戻って、しばらくして来た常磐線いわき駅まで戻った。

 

 

 いわき駅前のラトブでお土産を物色した後、磐越東線に乗って郡山へ。そこから更に東北本線で福島に行った。福島に着くと、福島交通飯坂線の改札へ向かった。飯坂温泉に行くのだ。

 

 

 JRの1番線ホームから続く改札口へ向かって、いい電1日フリーきっぷを買った。ホームは福島交通阿武隈急行の共同ホームとなっていて、反対側に先に阿武隈急行の車両が来た。それを見送ると、次は飯坂線の車両が入線してきた。ちょうど夜の帰宅の時間で利用者は双方ともそこそこいた。私は飯坂線の車両に乗り込んだ。因みに、飯坂線にも泉駅があった。

 

 

 飯坂温泉駅に着くと、駅近の温泉を目指して歩く。飯坂温泉は熱いのが売りらしいが、あまり熱い温泉は得意ではないので、温めの温泉があるところを選んだ。いい電1日フリーきっぷには飯坂温泉共同浴場9ヶ所のどれか一つに入れるチケットが付いている。それを使って入浴した。因みに、切符を使い終わった後は栞として使うよう書かれてあり、なかなか粋な企画だと思った。

 

 

 浴槽は2つあり、熱い方は源泉で45℃、温い方は加水で42℃であった。この45℃でも熱すぎるのに、飯坂では熱い方ではないというのが驚きである。私は温い方に浸かってのぼせないように注意した。後で脱衣所の貼り紙を見ると、60℃超えの温泉まであるようで、それは最早死人が出るレベルなのではないかと思った。

 

 

 温泉を出ると、周囲を少し散策する。紅葉が始まりつつあった。あまり時間がなかったので旧堀切邸とかには行けなかった。再訪したい温泉街である。

 

 

 飯坂線で折り返して福島駅に戻ると、そこから奥羽本線山形線)米沢行に乗り込んだ。次の日は朝早くから米沢で活動するので、前日入りだ。米沢に着いたら、ネカフェまでの長い道を歩き続けた。途中でふと空を見上げると、いつもより星が多く、輝いて見えた。

 

 

 

 3日目は5時台から動き出して、上杉神社に向けて歩き続けた。かなり長い距離を歩いて、上杉神社の表参道に辿り着く。上杉神社は米沢城跡に建つ、上杉謙信を祭神とする神社だ。その手前には摂社の松岬神社もある。また、元は城なので堀もある。大鳥居の前で礼をして境内に入ると、立派な社殿が顔を出す。とりあえず参拝。復路で小さな池を発見した。これも庭園なのだろうか。

 

 

 

 

 ここから米沢駅に戻るのだが、時間がギリギリだった。駅は思ったより遠く、かなり歩かなければならない。早足で歩いていると、汗をかいてきた。何とか間に合って、奥羽本線山形行に乗った。

 山形駅でしばしの待ち時間があったので、お土産でも見ようかと思ったが、朝早すぎてエスパルは開いてなかった。改札前にも土産物コーナーはあるので、そこを少し冷やかした。

 次は新庄行に乗って、大石田駅で降りた。尾花沢市銀山温泉への玄関口だ。ここからはながさバス銀山線に乗り、銀山温泉を目指す。バスは運賃前払い制、高速バスのような4列シートで、満席になるくらい人が乗っていた。

 

 

 30分強くらいで銀山温泉に到着。バス停から畝った坂道を少し下って、大正浪漫溢れる銀山川沿いの温泉街が顔を出した。

 

 

 まずは温泉街を散策して、奥にある白銀の滝まで行った。滝は勢いよく流れ落ちており、迫力があった。その後は銀山川沿いに設置されている足湯に浸かった。また、古山閣には鏝絵なるものが飾られており、季節ごとの風情ある風景が描かれていた。

 

 

 

 その後はいよいよ入浴。隈研吾が建築したという共同浴場に足を運んだ。中は狭く、定員は3名でこぢんまりとしていたが、硫黄臭のする温泉は適度に熱くて心地よかった。

 

 

 温泉から上がると、雨が降り始めていた。近くの土産物屋で雨宿りがてらお土産を物色し、ここで買うことに決めた。お土産を買い終えても雨が止む様子はないので、傘を差してバス停まで戻った。

 バス停には簡易な待合室があり、そこに座って煙草を吹かしていると、少しずつ人が集まってきた。結局、1時間くらい待って、ようやく来た大石田駅行のバスに乗り込めた。

 大石田でまた待ち時間があって、山形行の列車がやってきた。それに乗り山形に着くと、また長い待ち時間。適当にエスパルを冷やかして、米沢行の列車に乗った。

 来た道を完全に戻っているが、これには時間的な都合があってこうなっている。移動距離が無駄に伸びて非効率だが仕方ない。流石に米沢まで戻ることはなく、次は赤湯で降りた。南陽市の中心駅である。

 

 

 赤湯はラーメンと温泉が有名だ。まずは赤湯ラーメンを食べに行った。日が暮れてきた頃に店に着くと、数組の客が待っていた。幸いすぐに店内には入れ、ベンチソファーに座って待った。先に注文を取られ、しばらくして席に通される。

 注文した赤湯からみそラーメンがテーブルに置かれた。ラーメンの上に乗っている辛味噌の塊が印象的で、これをスープに溶かしながら食べていく。油も多めのスープは程よい辛さで美味しかった。中太の縮れ麺も私好みであった。

 

 

 ラーメンを食べ終わると、次は温泉へ。何だか温泉ばかり入っている気がするが、たまたまである。温泉街に着くと、観光案内所に足湯が設置されており、それに隣接する形で共同浴場があった。

 

 

 共同浴場では2つの湯が楽しめた。浴場には仄かな硫黄臭が漂い、雰囲気がいい。一方の湯は熱くて私は一瞬しか入れなかったが、もう一方の湯はさほど熱くなくゆっくり浸かることができた。極楽である。

 

 

 温泉を出ると、真っ直ぐ赤湯駅に戻った。駅の待合室にはワインなどの特産品が並べられていた。やがてやってきた山形行に乗り、また来た道を折り返した。

 山形駅に着くと、仙山線仙台行がもう既に待機していた。出発までまだかなり時間があったが、とりあえず乗り込んでおく。旅の思い出を振り返りながら待っていると、発射時刻が来て、仙台へ向けて走り出した。

 仙台駅に着くと、東口から出て夜行バスの乗り場に向かった。そう、この旅は3日に収まり切っていないのである。最後は夜行バスに乗って東京に帰ることになっていたし、その分の運賃もかかっているので、実質的には3泊4日のようなものである。

 しばし待っていると、乗る予定の夜行バスがやってきて、それに乗り込んだ。疲れていたからか、夜行バスでもぐっすり眠ることができた。目覚めたら、新宿に着いていた。バスから降りて、新宿駅の方へと歩いていった。

甲信・常総・群馬旅行

 秋の乗り放題パスを使って、東京を中心に右往左往していちいち家に帰ってくることで宿泊費を浮かせる旅を計画したのは、出発の前日だった。突発的な思いつきで旅を始めてしまうのが旅人の性である。旅は自由奔放でなければならないと思っている。だからこれは独立した三つの旅の日記である。

 中央特快で高尾まで行くと、次は大月行に乗って、更に小淵沢行に乗った。小淵沢が初日の旅の出発地と言っていい。小海線が主役の旅だ。

 

 

 小海線は日本一標高の高い路線である。長野県南牧村野辺山駅が日本一標高の高い駅で、山梨県北杜市にある二番目に標高の高い清里駅との間に最高地点(1375m)がある。その上を観光列車である快速HIGH RAIL 1375が走っている。小海線の終点・小諸駅に向けて、私はそれに乗ることにした。

 HIGH RAIL 1375は快速で全席指定席なので、今回の秋の乗り放題パス18きっぷなどに指定席券だけを足せば乗ることができる。えきねっとで指定席を予約し、大月駅で乗換待ちの間に発券しておいたものを駅員に提示して、車両に乗り込んだ。

 

 

 標高が高い、すなわち空に近いことから星空をテーマにしている小海線なので、車内には天体に関する書籍やプラネタリウムなどがあった。また、車内販売もあり、車内に土産物屋があるような感じだった。

 

 

 

 やがて2時間ちょっとの観光列車の旅が始まった。列車は快速なので途中駅をどんどん飛ばし、しばらくして清里駅に着いた。ここで一旦降りて写真を撮ったりする時間が与えられる。標高は1274m、最高地点より100m程低い位置にある。それでも標高が高いので涼しく感じられた。そして列車は次の野辺山駅へ向けて発車した。

 

 

 ここからいよいよ最高地点を通る。最高地点が近づくと、それを示す柱が見えるとのアナウンスがなされた。一瞬だったが確かにそれを見ることができた。今まで東西南北の果てまで行ってきたが、上への果てにも到達したことになる。

 やがて野辺山駅に着くと、ここでも写真を撮る時間が与えられる。ここでは駅員が記念撮影をするサービスを行っていた。標高は1345m。日本一高い駅であることがアピールされていた。

 

 

 

 野辺山を過ぎると、後は普通の快速として走り続ける。小諸駅に着いて、観光列車の旅は終わった。ところで、旅程では小諸に滞在できる時間が長くない。急いで小諸城址・懐古園に向かった。

 

 

 懐古園は城跡と博物館や美術館、動物園まで併設した複合的な施設である。まずは天守台を目指し階段を上っていく。本丸には懐古神社があり、そこに参拝した。その後、神社の裏から天守台に上った。天守台からは庭園の一部を見下ろすことができるが、特別眺望のいい場所という程ではない。天守台を下りると、次は動物園の方へと向かった。

 

 

 

 動物園は小規模ながら様々な動物がいて、我々を楽しませてくれる。急ぎ足でそれらを見ていった。ポニーやペンギンはとりわけ人気が高いように見受けられた。

 

 

 

 動物園を後にすると、最後に本陣主屋と大手門を見に行った。時間がなくて本陣主屋の中を見学できなかったのが悔やまれるが、旅程に少し無理があるので仕方がない。早足で小諸駅へと戻った。そしてしなの鉄道上田駅に行くために切符を買った。

 

 

 

 ちなみに小諸はアニメ「あの夏で待ってる」の聖地である。もう放送から10年も経過しているのに、未だにポスターがあちこちに貼られており、タペストリーもあり、地元民の作品への愛が感じられた。こういう町おこしはやはりいいものである。

 

 

 しなの鉄道は元々は信越本線だったものが三セクに移管されたものである。それに乗り上田駅で降りると、次は上田名物らしい馬肉うどんを食べに行った。馬肉が乗っているだけでなく、出汁も馬肉から取っているらしい。上田に馬肉の文化が根付いていることが窺える。こしのある美味しいうどんだった。

 

 

 

 店を出て、次は上田城に向かった。上田城は真田氏と関わりの深い城で、天守などは再建されてないが、二つの櫓と一つの櫓門が再建されている。櫓への入場券を購入し、眞田神社に参拝した後、櫓の内部を見学した。

 

 

 

 二つの櫓は二階建て、その間を櫓門が繋いでいる。順路に沿って甲冑や瓦や写真などを見て回った。時間がなかったので、上映されていた城の紹介映像はろくに見ることができなかった。やはり旅程に無理があった。

 最後に旧北国街道の柳町を見ていくことにした。城の出口からは10分ほど歩いたところにある。柳町は往時の宿場町の風景を保ったような風情のある町並みだった。そこを通りつつ駅へと向かう。

 

 

 時間がなくて、最後は上田駅まで走る羽目になってしまった。気温も下がりつつあるというのに、夏の時のように汗をかきながら何とかしなの鉄道小諸行に乗った。ここからは来た道をそのまま引き返すだけである。帰りの小海線普通列車に乗った。

 

 2日目は始発に近い程の早朝から中央・総武緩行線に乗って千葉へ向かい、そこから総武本線銚子行に乗り込んだ。

 寝ているうちに銚子に着いて、次は銚子電鉄に乗る。一日乗車券を購入し、レトロな車両に乗り込むと、車内はピンク色でたくさんの風船やぬいぐるみなどが置いてあった。これには度肝を抜かれた。車内の広告を見ると、「アイドルマスターSideM」と岩下の新生姜銚子電鉄のコラボということだった。S.E.Mともふもふえんのキャラクターが描かれていた。

 

 

 

 列車に乗っていると、随所に観光案内のアナウンスが入る。緑のトンネルや髪毛黒生駅(笠上黒生駅)など見所がいっぱいだ。そして犬吠駅で降りた。

 

 

 犬吠駅犬吠埼灯台の最寄駅で、駅舎には土産物屋も入っている。ここにもS.E.Mのパネルや、「はたらく魔王さま!」のキャラクターのパネルがあった(テレビアニメ2期で銚子が出てきたため)。いかに銚子電鉄が観光に力を入れているかがよくわかった。

 

 

 

 ぬれ煎餅を買い、犬吠埼灯台に向けて歩き出した。しばらくすると、灯台と壮大な太平洋の荒波が見えてきた。一帯は銚子ジオパークであり、白亜紀の地層も見られた。海風が強く吹いていた。

 

 

 灯台の中に入ると、螺旋階段が続いていた。狭い階段を人とのすれ違いに注意しながら上っていくと、やがて展望台に着いた。あまりに海風が強く吹きつけるので参ったが、展望台から見える太平洋沿岸の景色は絶景だった。展望台をぐるっと一周して存分に海を楽しんだ。

 

 

 灯台を下りると、併設されている資料館に行った。歴史を解説したパネルや、巨大なレンズなどが展示されていた。また別の建物には、濃霧の時に道標となる音を鳴らす機械も置かれてあった。灯台というものをここまでじっくり見たのは初めてだった。流石世界灯台100選に選ばれているだけのことはある。

 

 

 灯台を後にすると、犬吠駅に戻り、外川まで一駅乗った。外川駅は木造でレトロな風情のある駅舎だ。一頻り写真を撮ると、折り返し銚子行に乗った。これで銚子電鉄は完乗、銚子電鉄の旅を十二分に楽しめた。

 銚子に戻ると成田線で佐原へ向かう。これは偶然なのだが、この日佐原では祭りが開催されていた。佐原駅前には多くの人がいたし、チーバくんもいた。少し時間があったので観光案内所で香取市コミュニティバスの一日フリー乗車券を購入した。しかし、これで香取神宮に行くのは後の話。

 

 

 佐原駅に戻って、鹿島線に乗り込んだ。鹿島神宮駅で降りると、坂を上って鹿島神宮を目指す。鹿島神宮常陸国一宮だ。少し行くと表参道に店舗が軒を連ねているのが見えた。その中を進んで神宮の境内に入った。

 

 

 森の中の参道を進むと、朱色の総門が顔を見せた。それを潜ると社殿があるのだが、残念ながら工事中のようだった。それでも参拝はできるようになっているので、行列に並び、二礼二拍手一礼する。その後、奥宮の方へ進んだが、そこにも行列ができていて、時間がなかったので参ることはできなかった。

 

 

 

 奥宮を見終わると、鹿が飼われているのを見たりしてから駅へと戻った。何とか間に合って、鹿島線佐原行に乗った。佐原に戻ってくると、次は香取神宮だ。先程買った切符を使ってコミュニティバスに乗った。

 

 

 香取神宮下総国一宮である。バス停に着くと、歓迎の文字が目に入った。参道には同様にたくさんの店が出ており、団子などを売っていた。奥へ進むと、鳥居があって、一礼して中に入るとまた森の中を進んだ。

 

 

 

 こちらにも鳥居と朱色の総門があり、その先に拝殿があった。こちらは工事中とかではなくてほっとした。行列に並んで、参拝。その後は摂末社を見て回り、要石などを見た。そして再びコミュニティバスに乗って、佐原駅に戻った。

 

 

 佐原駅からすぐのところから多くの出店が並んでおり、祭りを見にきた人でごった返していた。佐原の大祭は関東三大祭りの一つに数えられ、世界無形文化遺産にも登録されているという。その中を進むと、山車とその上に乗る大人形が見えてきた。山車がのの字に回るのがこの祭りの見せ場らしい。それを運よく見ることができた。

 

 

 その後は今夏食べることのなかったかき氷を夏のやり残しとして食べ、小江戸・佐原の風景、小野川の両岸に木造建築が並ぶ町並みを見に行った。見事な木造建築の並びと、川を進む小舟、柳の木が調和して、さながらタイムスリップしたような景色があった。その中に伊能忠敬旧宅があったので、そこも見学した。

 

 

 

 伊能忠敬は佐原で酒造業を営んでいたという。その後、測量の旅に出て日本地図を作り上げたようだ。佐原の偉人として、駅前にも像があったことを思い出した。

 小野川沿いに踏切の辺りまで歩いて行き、そこから駅に戻った。北総・鹿行エリアの旅はこれで終わりである。成田線成田行に乗って成田まで行き、成田線から横須賀・総武快速線久里浜行に直通する電車に乗って、帰路に就いた。

 

 3日目は群馬を目指す。群馬と言えば名湯が多く存在することで知られる。群馬の名湯巡りの旅だ。

 始発の高崎線に乗って、北進する。大宮辺りから意外と乗客が多くなってきた。そのまま座ってゲームをしていると、高崎駅に着いた。

 最初に向かうのはかの有名な草津温泉吾妻線長野原草津口駅からバスに乗って行くことができる。高崎から上越線経由吾妻線直通長野原草津口駅行に乗った。4両編成だったが、そんなにいるだろうかと思う程空いていた。

 長野原草津口に着くと、すぐにバスに乗り換える。JRバス関東草津温泉行だ。バス代は710円と少し高いが仕方がない。ICカードをタッチしてバスに乗った。内部は高速バスのような造りだった。

 

 

 

 草津温泉に着くと、まずは有名な湯畑を見に行くことにした。湯畑からは湯気が立ち込めており、草津温泉の顔とも言える光景に見惚れた。

 

 

 湯畑を少し眺めた後、その目の前にある共同浴場へ。脱衣所と風呂場に仕切りがない構造で、洗い場もないが、無料で入れるというありがたい温泉だ。二つの湯船があり、一つは熱すぎて入れたものではなかったが、もう一つは何とか入ることができた。それでもすぐのぼせそうになったので、早々に温泉から出た。硫黄臭の強い泉質だった。

 

 

 温泉から上がると、温泉街を散策した。湯畑には常時熱湯が流れ続けており、滝になっている場所も見所の一つだった。土産物屋や食べ歩きのできる店も多く、多くの観光客がいた。そこでお土産を買い、最後に湯もみと踊りのショーを見ることにした。

 

 

 

 建物内に小さな湯畑があり、そこで木の板を使って湯を冷ますショーと、草津に伝わる踊りを披露してくれた。「ちょいな、ちょいな」という掛け声が印象的だった。ショーの値段は少々高かったが、見られてよかったと思った。

 

 

 帰りのバスは混んでいた。長野原草津口行のバスにずらりと行列ができており、同じ時間に何台ものバスが出た。最初の一つに乗れなくて少し焦ったが、次に来た奴にすぐ乗れたので事なきを得た。

 長野原草津口に着くと、列車が来るまでの待ち時間にお土産を物色したりして過ごした。吾妻線新前橋行が来て、吾妻線の起点である渋川駅で降りた。ここから伊香保温泉に向かうのである。

 

 

 バスは既に止まっていて、乗り込むとすぐに発車した。関越交通のバスで、ICカードも使えるので便利だ。そして、伊香保温泉の景観として有名な石段の下で下車した。

 

 

 365段あるらしい石段を見上げると、こちらも多くの観光客がいた。石段を少し上って、温泉に入った。伊香保温泉の泉質は普通で、温度も程よく入りやすかった。こちらは有料だが洗い場もあるので設備としては優れている。

 

 

 温泉から出ると、更に石段街を上へ上へと進んでいく。石段街にはたくさんの店が軒を連ね、食べ歩きしている人も多くいた。途中で振り返ると、伊香保から渋川に続く街並みが見えて美しかった。賑々しい温泉街の雰囲気に浸りながら、石段を最上段まで上ると、伊香保神社に着いた。

 

 

 

 

 

 伊香保神社に参拝し、頂上のベンチで一休み。その後は往路とは違う頂上側のバス停に向かった。しばらくバスを待って、渋川駅行のバスに乗った。渋川に着くと、すぐに上越線高崎行が来て、高崎ですぐに高崎線に乗り換える。温泉で体も心もリフレッシュされた満足感を覚えながら、東京へと帰った。3日間で普段通過することのない盲腸線を行き帰りすることができたので、ずっと行ってみたかったところを無事回収できた。忙しないが楽しい旅が終わった。

知床旅行

 知床。それは日本の一つの果てと言っていいだろう。複雑な食物連鎖が維持され、ダイナミックな自然の運動を見ることができる最果ての秘境である。2005年に世界自然遺産に登録された。そんな魅力的な場所に行かない手はないだろう。上野駅から遠く北海道を想った。

 なお、知床が登場するのはこの記事の後半だ。それを期待して閲覧してくれた読者は前半を読み飛ばしていただいても構わない。今回の旅の主役はあくまで知床なのだから。

「ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく」という詩がある。これは岩手出身の石川啄木が東北方面からの東京の玄関口である上野駅で東北の方言を聞いて郷愁に浸っている詩とされる。だが、今や上野駅で東北の言葉を聞くこともない。それならば、聞きに行くまでだ。

 北海道&東日本パスを使い、宇都宮線に乗って宇都宮まで行き、黒磯行に乗り換える。更に黒磯から新白河へ。そして一駅進んで白河駅に辿り着いた。

 

 

 白河駅は風情のある駅舎だった。そこから左へ行ったところにこみね・ふれあい通りという地下道がある。ここを潜れば白河小峰城は目の前だ。それ以前に駅のホームから見えると言ってしまえばそれまでだが。

 城山公園に入り、白河小峰城の三重櫓を目指す。平山城なので、多少の階段を上らねばならない。それを上っていくと、立派な櫓門と三重櫓(実質的な天守)がある。東日本には三重櫓などが実質的な天守の役割を果たしていた例が多いらしい。

 

 

 三重櫓は正方形を成しており、上の階に行くごとに狭くなっていく。最上階は狭く、展望台もないのでいい景色を写真に収めることも難しかった。だが、白河小峰城は木造建築で、後に木造で天守を復元する運動の先駆けとなった重要な建築物だ。戊辰戦争の弾痕が残る柱や急勾配の階段などはより忠実に復元しようとした思いの強さを感じ取れる。

 城を後にすると、本丸の石垣の周りを一周した。東日本大震災で崩落した石垣の修復工事の様子が展示されていた。白河市は内陸にあるので津波の影響はないだろうが、それでも震災の衝撃は大きかったであろう。無事復元された姿を見ることができたのは僥倖だった。

 

 

 その後は小峰城歴史館に向かった。歴史などの展示は城郭内にはあまりなく、主にここで行っているようだ。特別企画展では、松平定信渋沢栄一に纏わる展示がされてあった。松平定信白河小峰城と関わりが深く、渋沢栄一は彼を尊敬していたようだった。

 

 

 歴史館を見終わると、駅前に戻った。煙草を吹かしていると、次の郡山行の車両の発車時刻が迫ってきた。それに乗って郡山に着くと、間もなく福島行の発車となる。それで終点の福島まで乗っていった。

 

 

 福島駅に着くと、街は多くの人で賑わっていた。その中を抜けて、福島名物らしい餃子を頂く。餃子と言えば宇都宮と浜松が有名だが、福島もそれなりに名が通っているらしい。せっかくなので名物の円盤餃子を食べたかったが、少食なので半皿にした。

 

 

 餃子は皮がパリッとしていて美味しかった。あっという間に平らげると、会計を済ませ、店を出る。次は福島の街中を散歩しようと適当に歩き出した。閉店した百貨店である中合(再開発計画はある)を初めとして、様々な店舗が軒を連ねる。その中を進んでいくと、福島稲荷神社に辿り着いた。

 

 

 福島稲荷神社も歴史の古い神社らしく、檜の鳥居が目を引いた。願いを込めて参拝し、周辺を散策する。絵馬には色んな願いが込められていた。私はそんな絵馬を読むのが好きだ。

 稲荷神社を後にして引き返すと、文化通りなる小洒落た通りに入った。そこを進んで真っ直ぐ駅へ戻る。中心市街地のある東口から西口へと連絡通路を通り抜けて、西口のバスターミナルに来た。次の車両はここから発車する。

 

 

 福島駅では在来線と新幹線を繋ぐアプローチを建設するための工事が行われており、その影響で3月頃から福島〜庭坂間が日中代行バスになっている。西口バスターミナルに来ると、奥羽本線代行バスの札を掲げた駅員が立っていたので、乗るべきバスはすぐにわかった。代行バスに乗り込むと、間もなく発車し、庭坂駅に向かっていった。

 庭坂駅までは本来の鉄道による所要時間よりもかなり長い時間をかけて到着した。庭坂駅も風情のある駅舎だった。ここからは普通に列車に乗る。米沢行の車両が待ち構えていた。

 米沢に着くと、少しお土産を物色して、結局何も買わずに山形行に乗る。その時にふと思いついたことだが、JR乗り潰しの一環として左沢線に乗ろうと思い立った。「左沢」と書いて「あてらざわ」と読む。まさに難読地名だ。

 

 

 山形駅に着くと、すぐに左沢線左沢行に乗り込んだ。車両は部活帰りか予備校帰りかの高校生たちを多く乗せて左沢に向かう。左沢に着くと、駅名標や駅舎の写真だけをさっと撮って、引き返すためにまたすぐに車両に乗り込んだ。

 

 

 

 山形駅に戻ってきて、旅の続きだ。奥羽本線に復帰して、新庄行に乗る。これもまた高校生の群れを積んで走った。新庄に着く頃にはそんな彼ら彼女らもいなくなり、私は一人その次の秋田行に乗る。

 この日は秋田駅までは行かない。横手駅で下車する。なぜ横手か。それはネカフェが駅近だからの一点に尽きる。ネカフェで宿泊代を浮かしている私にとって、横手はとてもありがたい街なのだ。夜も更けてきた頃、横手駅から少し歩いて、この日の宿泊地に辿り着いた。まだ北海道は遠い。この日はここで眠りに就いた。

 

 2日目、横手を朝早くに発つと、秋田駅に向かった。秋田に着くと、駅前の目抜き通りを歩いていく。西武百貨店の横を通って更に進むと青々とした蓮が浮かんでいる堀が見えた。千秋公園だ。

 

 

 千秋公園の中に入って、平山城の緩い坂道を上っていくと、久保田城の二の丸に着く。そこから階段を上り、表門を通って本丸に入った。本丸には本丸御殿の礎石などが残るだけで、天守はない。天守はそもそも元々なかったそうだ。更に、石垣もほとんどないという珍しい城だ。

 

 

 本丸から更に奥へ進むと、御隅櫓に辿り着いた。御隅櫓は4階建の建物で、天守ではないものの立派な出立ちだ。遠足か何かだろうか、小学生の集団がいた。

 

 

 御隅櫓の中には久保田城に関する展示があった。それを100円で見られるのだからありがたい。歴史が書かれたパネルやジオラマなど、通常天守内によく置いてあるようなものが置いてあった。最上階の展望台からは秋田市内や男鹿半島日本海までを見渡すことができた。

 

 

 城を去ると、もう少し千秋公園を散策した。噴水の綺麗な池などがあった。春には桜も咲き乱れるという。またそんな季節に来てみたいものである。

 

 

 秋田駅に戻ると、奥羽本線を引き返して大曲へ。大曲で田沢湖線に乗り換える。角館行が待ち構えていた。それに乗って今度は角館へ。

 

 

 角館は「みちのくの小京都」と呼ばれ、武家屋敷が多く残る全国的にも珍しい場所だ。そのうちの何軒かは見学することもできる。そして、今なおそこに居住している人もいるというのだから驚きだ。食事処なども軒を連ね、生きた武家屋敷通りを形成している。

 

 

 駅から少し歩いて郵便局のところを右折すると、武家屋敷通りに入った。これには圧倒された。漆黒の垣がどこまでも伸び、伝統的な武家屋敷がいくつも並んでいた。まずは武家屋敷通りを端から端まで歩いてみた。そしてコンビニ前で煙草を吸いながら昼食を取る場所を探した。

 結局、悩んだ末に比内地鶏の親子丼を食べにいくことにした。店舗は武家屋敷通りの中にある。店内は賑わっていた。私は比内地鶏の親子丼をオーダーした。

 しばらくして、親子丼と、お吸い物やいぶりがっこなどがセットになった定食が届いた。親子丼は絶品だった。比内地鶏は柔らかく、半熟の卵も甘くて美味しかった。いぶりがっこは初めて食べたが、こちらも美味しい漬物だった。最後にデザートの梨を食べた。

 

 

 店を出ると、各武家屋敷に入っていくことにした。規模も様々、入館料も取るところと取らないところがある。とりわけ河原田家、青柳家、石黒家は規模が大きく、入館料が必要だった。この武家屋敷の維持に繋がるだろうと考えてそれを払った。

 

 

 一番規模の大きい青柳家は展示も豊富で、武器や生活用品、祭りの山車、人形、蓄音機や写真機や時計に至るまで実に多様な展示品があった。敷地も広大で、これが一つの邸宅とは信じ難い広さだった。

 

 

 それに次ぐ規模の石黒家は、敷地面積は青柳家ほどではないものの格式としては一番高い邸宅のようだった。欄間が美しく、囲炉裏もそのまま残されていた。ここには今も人が住んでいるということで、主屋は公開していないようだった。久保田城の縄張り図なども置いてあった。

 

 

 見学できる家を大体見終わると、角館駅に戻った。角館には長く滞在することになったので、何かお土産が欲しいと思って駅前で購入した。私は角館をたいへん気に入った。桜の季節や紅葉の季節、雪の季節に来てもきっとそれぞれに美しい顔を見せるのだろうと思った。みちのくの小京都に私は魅力された。

 そうしているうちに盛岡行がやってきた。これは角館(というか大曲)から盛岡まで行く終電だ。この日は新青森の近くのネカフェまで行かねばならなかった。田沢湖線盛岡行に乗り込むと、ほっと一息。何とか無事観光を終えることができた。

 

 

 その後は新青森までひたすら列車に揺られ続ける。盛岡駅に着くと、一旦外に出てIGRいわて銀河鉄道花輪線用の改札に乗り換えることになる。ちなみに盛岡駅には啄木の自筆による「もりおか」の文字や歌碑もある。

 

 

 IGRに乗って、そのまま目時で青い森鉄道に乗り入れる。八戸で降りると、更に青い森鉄道に乗って青森へ。青森駅でしばらく待って、奥羽本線弘前行に乗る。ここまで来れば新青森までは一駅だ。

 新青森駅北海道新幹線が乗り入れ、JR北海道最南端の駅となっている。まだ北海道の外ではあるが、ここまで来ると北海道が近いことを感じられる。だが、今回は新幹線で北海道に行くわけではない。次の日に八戸に戻ることになる。それが3日目の旅程だ。

 新青森のネカフェに着く頃には日付が変わっていた。だからさっさと寝ることにする。次の日の朝は少しゆっくりだ。お陰でぐっすり眠ることができた。

 

 3日目の朝はゆっくり朝食を摂り、ネカフェの近くのバス停に向かった。三内丸山遺跡に行くのだ。バス停についてしばらく経つと、三内丸山遺跡前行のバスがやってきた。

 三内丸山遺跡に開館より少し早く到着。既に開館を待っている人たちが何組かいた。手頃なベンチがあったのでそこに座ってゲームでもして暇を潰した。そうしているうちに開館時間がやってきて、遺跡の中に入った。

 三内丸山遺跡は日本史の教科書にも載っている通り縄文時代の巨大集落跡である。2021年に「北海道・北東北の縄文遺跡群」の構成遺産の一つとして世界文化遺産に登録された。それがどのくらい観光客を呼び込んでいるかわからないが、人はそれなりにいた。

 遺跡内は復元された縄文時代の竪穴式住居や掘立柱建物、墓地、ゴミ捨て場などが点在している。住居の中には地元の小学生が作ったものもあるようだ。どうやって技術のないであろう子供がこんな立派な住居を作ったのだろうか。

 

 

 

 墓地は大人と子供で分けられ、大人は道の両脇に並べて埋葬し、子供は土器の中に入れて置いておくようだ。中には現代の建物で覆われ、湿度管理がなされている場所もあった。石器や土器などが捨てられ積み上がった盛り土もあった。一番大きな掘立柱建物の屋根や大型竪穴建物の用途はまだわかっていないらしい。これからも発掘調査は続くのだろう。

 

 

 

 遺跡を粗方見終わると、次はさんまるミュージアム(常設展示)を見に行く。そこには膨大な土器や石器、土偶、動物の骨などが展示されていた。実物大に作られた縄文人の人形も点在している。そこでは土器の模様の変遷や、北海道・北東北の交易ネットワークなどを窺い知ることができた。

 

 

 特別展は見る時間がなかった。最後に出口の土産物屋でお土産を買い、バス停に戻る。ここからは少し急いで旅程をこなさなければならない。まずは青森駅に戻った。

 そこから次の青い森鉄道八戸行が来るまでに「味の札幌」で青森名物の味噌カレー牛乳ラーメンを食べに行くことにした。これは時間がギリギリで、何とか間に合いそうな時間に着丼すると急いでラーメンを啜った。本当はもう少しゆっくり味わいたかったけど、本当に時間がなかったのだ。それでも味噌カレー牛乳ラーメンは食べたことのない新しい味がして麺によく合い美味しかった。

 

 

 その後、走って青森駅に戻るとすんでのところで八戸行に乗り込む。汗を拭きながら東進し、野辺地駅大湊線に乗り換える。そして下北駅で下車した。

 

 

 下北駅は本州最北端の駅だ。大湊線に乗っていた乗客のほとんどがこの駅で降りたように思う。駅舎の撮影をする人が多くいた。私も写真を撮って、恐山行のバスに乗る。

 

 

 恐山行のバスは途中から鬱蒼とした山道の中を進んでいき、スマホの電波は圏外になってしまったくらいだった。くねくねとバスが走っていくと、冷水というバス停で一時停車する。そこには竹から水が出ている手水と思われる場所があり、参拝者はここで身を清めるべしということのようだった。私もそれに倣い、手と口を清める。そしてバスが再出発すると、三途の川を越えて恐山バス停に到着した。

 

 

 バスを降りると、いやバスに乗っていた間から、強烈な硫黄臭がしていた。辺りは苔も生えない不毛の地で、所々に水溜まりがあった。その中を進んで入山する。

 恐山菩提寺比叡山高野山と共に日本三大霊場に数えられ、全国から信仰を集める場所だ。死者の言葉を伝達できるというイタコがいることでも知られている。いかにも恐ろしげなところに感じられるが、普通に参拝できるところなので安心してほしい。

 

 

 総門を潜って境内に入ると、山門を潜り、本尊を安置する地蔵殿を参拝した。そして奥の院に向かって階段を上り、奥の院不動明王にも参拝。

 

 

 その後は境内のあちらこちらから湧く湯煙(地獄)の中を進んでいく。途中の順路には八角堂などもあり、また色んなところに風車が置いてあった。風車がからからと立てる音を聞きながら順路を進んでいくと、極楽浜に辿り着く。そこからは宇曽利湖を一望することができた。

 

 

 

 

 そこまで見たら後は出口に続いている。最初に潜った総門前に戻ってきた。この頃には帰りのバスの発車時刻が迫っていた。自販機で飲み物だけを買い、バスに乗り込む。バスは発車予定時刻よりもなぜか少し遅れて出発した。

 帰りは冷水に寄ることもなく真っ直ぐ下北駅へ向かう。下北駅に着くと、大湊行を待った。せっかくここまで来たのだから、大湊線を乗り切ってしまいたかったのだ。そして快速しもきた大湊行に乗り、すぐに大湊駅に着いた。

 

 

 大湊駅の駅舎や駅名標などの写真を撮ると、すぐにまた列車に戻った。間もなく野辺地行が発車し、そのまま野辺地へ。途中でCLANNADの聖地である陸奥横浜駅が見えた。いつかあの菜の花畑を見に行きたいものである。野辺地ではすぐの接続で八戸行が来た。それに乗って八戸に向かう。

 

 

 八戸で少しの待ちがあった後、八戸線鮫行がやってきた。これで本八戸まで行く。八戸は新幹線があるだけの駅で、本八戸の方が八戸の中心市街だ。本八戸で降りると、バスを待っていると思われる人が何人かいた。またしばしの待ちの後、多賀台団地行のバスがやってくる。これに乗って上浜名谷地というバス停で降りる。工場以外何もないような場所だ。

 

 

 本当にこんな場所にフェリーターミナルはあるのだろうかと疑ってしまうが、あるのである。八戸港フェリーターミナルに直接行くシャトルバスがないではないが、それは時間が微妙にずれていて使い物にならない。市営バスでこの何もない場所で降りてしばらく歩くのが正解なのだ。これはシルバーフェリー(八戸苫小牧フェリー)に徒歩で乗るにあたって最大の難所だろう。何せバスの路線図は旅行者にはわかりにくいからだ。

 ともかく、そこから少し歩いてフェリーターミナルに到着した。シルバーフェリーは徒歩利用でも出港60分前までに乗船手続きを済ませなければならない。それを済ませると、1時間も暇な時間ができる。幸いベンチは豊富にあるので、座って船の出港を待つ。ちなみに八戸港フェリーターミナルには食堂や充電スペースもある。

 

 

 すると、1時間以上前から乗船の案内が入る。私はフェリーに乗り込んだ。今回乗るのはシルバーエイトだ。フェリーの中は広く小綺麗だ。海が見える展望風呂もあり、贅沢な船旅である。港を眺めながら風呂に入って汗を流すと、薬を飲んで眠りに就く。

 

 

 

 お待たせした。ここからが知床を目指す北海道の旅だ。3日間で色々寄り道しつつも何とか関東・東北を通り抜けて北海道に上陸した私は気合いを入れ直した。ここからが今回の旅の本編だ。すなわち、知床旅行である。

 

 

 苫小牧西港フェリーターミナルに入港すると、船を降りていく。苫小牧の方はフェリーターミナルまでバスが乗り入れてくれる。そのバスに乗って、苫小牧駅に向かう……前に少し寄り道。途中のバス停で降りて南へ歩く。辿り着いたのはかの有名な「マルトマ食堂」。しかし、あまりにも有名すぎて店の前には大行列ができていた。しばらく並んでいたが、列の進みは遅く、列車の時間も近づいてきたので、撤退することにした。残念。次は開店時間頃に来ようと心に決めた。

 

 

 傘が壊れそうなほどの風が吹く雨の中、苫小牧駅を目指して歩く。私は雨の日の風が何よりも嫌いだ。鞄もズボンも靴もびしょ濡れになって、傘は何度もひっくり返った。ようやく苫小牧駅に着くと、そろそろ室蘭本線が発車する時間だった。北東パスを自動改札機に通して室蘭本線岩見沢行に乗った。

 

 

 緑と青のラインが入った北海道カラーの車両が懐かしい。何もない一面緑の中を列車が走っていく。80分ほど乗って岩見沢に着くと、次の函館本線旭川行までは長い待ち時間。こちらも雨風が強く、散策する気にもならない。昼ご飯には早い時間で食べることもできない。煙草の煙を燻らせながら次の列車を待った。

 

 

 そしてようやく函館本線旭川行がやってきた。乗り込み、座る。旭川まではまた80分ほど。ゲームしたり寝たりしながら適当に過ごした。

 

 

 旭川に着く頃はお昼時だ。雨が上がっていたので、旭川ラーメンを食べに行こうと決めて歩き出す。人気店に行こうとすると早仕舞いだったり長蛇の列だったりして右往左往したが、最終的にはラーメン屋に入ることができた。

 旭川ラーメン、醤油でラード濃いめをオーダー。しばらくして着丼し、スープを啜ると豚骨の出汁が効いていて美味しかった。それから、特にチャーシューが美味しかった印象だ。

 

 

 店を後にすると、ぼちぼち駅へと戻り始める。旭川駅に着くと、既に石北本線特別快速きたみ号北見行が停車していた。これが北見行の終電だ。田舎の終電の早さと北海道の広さには毎度驚かされる。間に合ってよかったと安堵した。

 

 

 列車に揺られること約3時間半、ようやく北見に到着。ここがこの日の宿泊地だ。ここに知床に一番近いネカフェがあるというわけである。

 北見では雨は止み曇っていたが、北見の中心市街地は以前に散策したことがあるので、真っ直ぐネカフェに向かう。普段ならナイト8時間を狙うが、北見では12時間パックになっても仕方がない。その分ネカフェではゆっくり過ごすことができた。

 

 いよいよ知床に行く日がやってきた。朝早くに北見を出て、石北本線網走行に乗った。そして網走でまた長い待ち時間。北海道を特急なしで旅するとこういうことになるからなかなかつらい。

 そしてようやくやってきた釧網本線快速しれとこ摩周号釧路行に乗った。快速と言ってもほとんど各停なのだが……。そして、知床斜里駅で降りた。ここが知床の北側にあたる斜里町の中心駅、知床への玄関口だ。

 

 

 しばし待ってここから知床五湖行のバスに乗った。知床五湖までの運賃は片道2000円。なかなか高いが、晴れた知床を見られるなら運賃を払うことも惜しまない。

 

 

 1時間半ほどバスに揺られ、ようやく知床五湖に辿り着いた。知床五湖は知床八景と呼ばれる絶景の中でも特に有名で代表的なものであろう。バス旅ではバスの本数が少ないため今回は知床五湖ウトロ温泉しか行けないが、それらを存分に楽しもうと思う(いずれはレンタカーもしたい)。

 

 

 知床五湖には高架木道と地上遊歩道小ループ・大ループの合計3つの回り方がある。知床五湖のそれぞれの湖は一湖、二湖、三湖、四湖、五湖と名付けられているが、高架木道からは一湖しか見えない。その代わり、この道は安全に舗装され電気柵に囲まれており、レクチャーなしで入ることができる。一方、地上遊歩道の方は、ヒグマが出るおそれがあることなどから事前にレクチャーを受けることが義務付けられている。しかし、それさえ受ければ(行く時期によるが)自由に地上遊歩道を歩き、五湖すべてを見ることができる。その上、帰り道に高架木道も通れる。ちなみに、レクチャーは10分置きに行われる。私は迷わず後者を選ぶつもりだった。

 しかし、知床五湖に着いた頃にはヒグマが出ていたようで地上遊歩道は閉鎖されていた。ヒグマは最近頻出しているらしい。仕方がないのでしばらく知床五湖パークサービスセンターでお土産を眺め、名物のこけももソフトを食べた。その後、高架木道へと向かった。

 

 

 高架木道は歩きやすく、そこからでも知床連山や一湖は見ることができるので、それだけでも十分楽しむことはできた。でもやはり五湖すべてを見たい。そう思っていたところに朗報が入る。安全確認が取れ、地上遊歩道が再度開放されたのだ。

 

 

 

 私はすぐに地上遊歩道入口に戻り、券売機で入場券を買い、利用調整地区内への立ち入り申請書を書いた。名前や住所、入場日などを書くだけの簡単なものだ。その後例のレクチャーを受けた。レクチャーは主にヒグマ対策についてだった。熊鈴や手を叩くことなどで音を立てながら進むことを念押しされた。

 レクチャーが終わると、いよいよ地上遊歩道への立ち入りが許可された。私は絶景を独り占めするため、大ループの先頭をずんずんと進んでいった。前日の雨の影響もあり所々泥濘んだ地上遊歩道は歩きにくい。それでも歩を進めると、五湖が見えた。最初に見える湖が五湖だ。

 五湖は一番小さい湖だ。それでも結構大きく見え、感動した。結局どの湖にも感動することになるので、陳腐な表現はこのくらいにしておこう。ともかく、最初に見た地上からの湖だったので感動も一入だったのだ。

 

 

 

 次に見えるのは四湖。四湖は中くらいの大きさの湖だ。五湖からそう遠くないところに展望台があった。

 

 

 

 その次に見えるのは三湖。三湖は大きく、湖畔に沿うように遊歩道が敷設されていて、展望台以外からでも垣間見ることができた。

 

 

 

 三湖を存分に堪能した後は二湖だ。二湖も大きく、またこれですべての湖を制覇したという感慨もあり、一層美しく見えた。ここで小ループと合流することになる。残りは高架木道からも見た一湖だ。

 

 

 

 一湖を見るのは2回目になるが、高架から見るのと地上から見るのではまた違った趣があった。これは大ループにしろ小ループにしろ地上遊歩道を頑張って歩いた人たちへのご褒美だ。一湖を堪能すると、高架木道に合流した。一湖の展望台にあるベンチで少し休憩した。

 

 

 

 高架木道を歩いて出発地点に戻っていく。その頃には少し太陽に雲がかかり始めていた。早く回っておいてよかったと思っているうちに出発地に着いた。そしてウトロ温泉バスターミナル行のバスに乗った。

 

 

 ウトロ温泉バスターミナルに着くと、丘の上にある日帰り入浴ができる温泉を目指した。ウトロ温泉に入るのだ。坂道はなかなかきつかったが、それを上り切ると、林の中に銭湯が佇んでいた。中に入って、あまり時間がなかったので急いで入浴した。中には内湯と露天風呂があり、露天風呂からはオホーツク海も臨むことができた。

 

 

 急いで着替えて坂道を下っていくと、何とかバスの時間には間に合った。斜里バスターミナル行のバスに乗って知床斜里駅に戻る。バスからは日の入りが見え、知床斜里駅に着く頃には完全に日が暮れていた。やはり随分東にいるので日没が早いと感じた。

 その後はまた1時間くらいの待ち時間。何をするでもなく適当に散歩したりして時間を潰した。そうしているうちに釧網本線網走行がやってきた。これで知床の旅は終わりだ。最低限行きたかったところにはとりあえず行くことができたので、私は満足した。後は東京まで帰るだけだ。とりあえずこの日は北見に帰った。

 北見に着くと、ネカフェに向かって歩き出した。市バスはもう終電を過ぎていた。長い距離を歩いていると、途中に安い焼肉屋がある。焼肉は北見の名物だ。最後にこれを食べていこうと店に入った。

 

 

 安いホルモンをたらふく食べ、店を出ると、ネカフェまではもう少しだ。ネカフェに着くと、ほっと一息吐いた。今回の旅の目的を果たせた喜びを噛み締めた。ソフトクリームが一層美味しく感じられた。

 

 ここからは後日譚。後は帰るだけだ。2日かけて北見から東京まで帰る。北東パスの残り日数は2日なのでちょうど使い切るというわけだ。まずは1日目、北見→旭川岩見沢→札幌→苫小牧と移動した。途中、旭川でラーメンを食べた。そして苫小牧西港フェリーターミナルまで歩く。

 

 

 市バスのフェリー線はもう終電を過ぎており、フェリーターミナルまで歩くしかないが、これがまた遠い。途中まではバスに乗って行けたけど、多少距離が縮まっただけで依然として遠い。少しずつ工場地帯に入り大型車ばかりになっていく道の中を歩き続けた。そしてようやくフェリーターミナルに到着。乗船手続きを済ませて乗船時刻を待った。

 行きは前述の通りシルバーエイトという船だったが、帰りはシルバーティアラ。後者の方が多少豪奢な雰囲気があるように感じられた。時間が来てそのフェリーに乗り込むと、疲れ果てていたのでそのまま眠りに落ちてしまった。朝目が覚めると、そろそろ八戸港に着く模様。急いで展望風呂に入り、身支度をしてフェリーを降りた。

 

 

 

 八戸港フェリーターミナルに着くと、歩いてバス停に向かい、本八戸まで行った。ここからはずっと鉄道に乗り続ける。列挙すると、本八戸→八戸→盛岡→一ノ関→小牛田→仙台→福島→郡山→新白河→黒磯→宇都宮→上野。ようやく東京に辿り着いた私は、ただ座って列車に乗っていただけにもかかわらず疲れ果てていた。何せ16時間近くもかかったのだから。JR北海道と違い、新白河を除いて乗り継ぎが比較的いいのだけが救いだった。

 そして上野から家に帰る。上野まで来れば後もう少しだ。何とか1日で八戸から東京まで帰り着いた。旅は家に帰り着くまで続く。でも、ここから先は、薔薇の下で。